財布
財布を落とした。歩道の途中で止まってバッグの中を漁っても、見つかることはなかった。底にも、物の影にも、外に付いているポケットにも財布はなかった。鈍い汗が出てきた。これからコンビニ支払いに使う一万円札がその財布にはあるというのに、というかその財布も大学の入学祝に買ってもらった物なのに。落とすなんて大変なことだ。
来た道をもう一度歩く。歩道に落ちているゴミも、葉っぱも、くだらない広告も、そのすべてが財布であることを願う。石と石の間から伸びた雑草も、向こうから来る人も、路駐で誰かを待っているベンツも、すべてが財布に置き換わるといならばどれだけ幸せだろうか。もうすでに誰かが拾っている。人は少なくない。
優しい人物が拾っているか、普通に盗まれているか、それとも日本語が話せないからという盾を装備した、世界の誰かが拾っているだろうか。鳥が持っていくとは思わないし、猫が咥える大きさでもないし、フンコロガシが転がすほど膨張もしてはいない。だとすれば風に飛ばされただろうか、まさか自然発火はしないし、財布を落としたところだけ通り雨がやってくるのは考えにくい。それまでに誰かが拾っているはずだ。
一万円はまぁ盗られるだろう。落とした自分が悪いのだ。ポイントカードは盗られるかもしれない、あれだってなんかの記念イラストのついたポイントカードだ。店で出すには恥ずかしいから使わないが、転売しやすい代物だろう。学生証だって盗られるかもしれない。学籍番号や大学がバレて、連絡するか、悪用するかなど分からない。マイナンバーカ―ドなんてもってのほかだ。あんなもの野ざらしにしてしまえば、手のひらの生命線が突然消えるのも考えられる。
そう考えると、怖くなって手のひらを見る。手汗で濡れていたが、まだ生命線はある。マイナンバーカードは無事のようだ。それからもずっと財布はなかった。
もう誰かがどこかに連絡しただろうか。大学だろうか、警察だろうか、それともスリを働いている仲間に『お宝だ』とでも言うだろうか。善意に満ちた誰かが中も見ずに、交番に届けているだろうか、それほど人って優しい者だろうか。そもそも本当に落としたのかだって意味が分からない。買い物をして、財布を出して会計を済ませ、そこからどうやって落とすというのだろう。お店の人がこっそり盗んだか、客がすれ違いざまに盗んだか、会計で使った財布は自分のではなかったのでは。だとすれば家に財布がある可能性だって出てくるわけだ。最初から財布など持ってきてはいなくて、なにか超常現象的に財布が現れて奇跡的に支払えてしまった。なんてこともあるわけだ。そんなことがあり得るなら、落とした財布だって、次元の狭間に吸い込まれて行ったのかもしれないし、その財布は何時何分に落とされるのかを知っていた未来人が盗っていったかもしれないし、落とした瞬間に地面が高反発クッションのような材質になって、今はすでに宇宙にあるのかもしれない。いや宇宙は無理にしても、大気圏ギリギリまで行ったんだ。それでどこかの海に落ちたのかもしれない。であれば、カモメが咥えている可能性だって、シロナガスクジラの胃の中にあるのだって、全然あり得る話なのだ。
そう考えれば財布という者は、いささか不用心だと思う。財布を落としたのだって誰のせいとかじゃなくて、財布が悪いのかもしれない。いや、財布の中身があることがよくないのだ。お金なんて、全部デジタルでいいんだろうし、買い物に来るぐらいで個人情報の危機に晒されるようなものは持ってこなくていいし、あれをレシート入れにすればいい話なのだ。盗人が財布を拾ったときに、レシートと領収書のみだった場合、中身を抜いて財布だけ持っていく。……いや、ではダメだ。あの財布は大切な物に違いはない。であればあの財布をお祝いとして買った母が原因ではないか。そんなことは望んでいない。
結局盗む者が悪くなるはずだ。落とした方が悪い世界ならば、一人でも立ち向かえるほど、果敢に汗をかいている。しかし考えてみれば、財布の中に何も入れずに外を歩くと、事件に巻き込まれた時の処理が面倒になってしまう。財布とは自分なのだ。今、この時、自分を落としてしまったのだ。そう考えると、また汗が背中に噴出した。
だって、自分を落とした自分は、もう誰なのかさえ分からない。世間的に見れば、ここで倒れて突然死んでしまっても、何者なのかが分からないから価値づけされない。その辺にある、あの、青い財布にように、全員からどうすればいいのか分からないような目で見られて、結局スルーされていくんだ。
——財布じゃないか!
マジで焦ったときの思考はネタになる。




