61.天使の壁画
地下道を進み、外への階段を上ると、そこには神殿があった。
神殿はメテオーラを守る聖石が置かれる場所だ。
人間に生まれかわって初めて聖石に触れたとき、セスランは守護天使だった時の前世の記憶を思い出した。
そして聖石に選ばれた。
聖都メテオーラには隠密組織、緑陰が存在する。生れも身分も問わず、聖石に選ばれた者は強制的に魂の契約を結ばされ緑陰の一員になる。その聖石は前世で彼女が作り上げたものだった。
メリッサを見ると、どうしても前世の彼女の記憶を重ねてしまう。神殿などに来たからだろう。
「ここの神殿は簡素な作りなのね。魔塔の方の神殿を見させてもらったけど、こらちよりは豪華だったわ」
シャシャは神殿内を見回す。
「あっちは人に見せるために作られているからね。他の神殿はこんなものだよ」
神殿の中はがらんとしていて、祭壇と聖石があるのみだった。
朽ちかけた壁画を眺める二人の後ろで、セスランはソルの屋敷での老店主との会話を思い出していた。
メリッサとシャシャが調理場の方で地下への入口を探している時、老店主と二人だけのやり取りがあった。
◇◇◇
老店主は、メリッサとシャシャが調理場に行ったのを確認してから話し始めた。
「一つ、賄賂を渡しておこうかの」
「賄賂?」
「そうじゃ。エダンにはお前さんと会ったことは言っていない。嬢ちゃん一人だったと言ってある」
「何故だ?」
「あんたらを見れば、貴族なのは一目瞭然じゃが、ただの貴族ではないことくらいわかる。特にあの白い服のご令嬢は、高貴さを隠しきれておらん。オルテンシアに恩を売っておこうかなと思ってな。エダンのヤツ、聖都ではまだ追われているとは思っておらんからの」
そして、老獪な商人は、審美眼をそのまま披露した。
「あの金髪の美女。お前さんじゃろ」
セスランはメリッサに気取られぬように、空間魔法を使って声を遮断した。
「何故わかった?」
「キロシスタは女装する男が珍しくないんじゃよ。むしろ見分けることができないと騙される。お嬢様は騙せても、わしらキロシスタの男は騙せない」
「それで」
老店主はちらりと調理場に視線を流す。
「あの嬢ちゃんは、買い物してる時はあんたを女性とみて接していたが、今は男に接する態度だった。わかりやすいな」
訳知り顔でニヤリと笑う老店主。
「それだけでわかるものか?」
「お前さんは美人じゃったが、中身まで女になれんじゃろ。キロシスタで女装する男はみな中身まで女になる。だから、お前さんは嬢ちゃんに正体を隠していると思ったんじゃ」
「なるほどな」
キロシスタの商人の推察力に、納得させられる。
そういえば、ジュナ王子も言っていた。
――初めましてであってるよな。
ヤツも気づいているのかもしれない。
セスランは面倒ごとが増えた事に溜息をつく。
「賄賂は受け取っておく。口を滑らせなければ長生きできるだろう」
にんまり笑った老店主は言った。
「それで、何を知りたい?」
◇◇◇
――キロシスタの老店主は、エダンがまだメテオーラでは追われていないと思っていると言っていた。
だが、メリッサに気が付き、商人たちを置いて行動を開始した。
追手自体には気づいていないが、ここで何かを動かそうとしている。
――そろそろ緑陰のあの人に動いてもらうか。
エダンを追い詰めて、策略を暴いて、サファイアについて情報を漏らしていないか吐かせて、メリッサのこれからの不安材料を消す。
そのメリッサは聖石の前で膝をついて祈りを捧げていた。
「メリッサは何を祈っているの?」
「すべてがうまくいくようにって祈ってる」
「それはいいわね。わたくしもそう思うわ」
「それから、神殿に来るといつも、あの壁画の天使の涙が止まりますようにって祈ってる」
メリッサが見つめる先の石壁に壁画があった。色が薄れ、石壁がところどころ剥げ落ちている。ほとんどの神殿には同じような場面を描いた壁画がある。
「メテオーラの神話を描いたものね。わたくしには泣いてるように見えないけれど」
「え?そうなの?泣いてるようにしか見えないんだけど。古い絵だから見る人によって印象が違うのかな」
メリッサは首をかしげる。
「でも、天使って本当にいるのかしら?」
「わたしはいると思うし、会ってみたいな。セスはいると思いますか?」
メリッサがそう言いながら、セスランの方を振り向くと目が合った。
前世の記憶がセスランの心を揺れ動かす。天使が泣いたのを知っているのは前世の彼女だけだ。今を生きている生まれ変わった彼女に、前世の思いを、後悔を見せるわけにはいかない。
「いるよ」
つとめて平静に、そう答えた。今の彼女にとっては、遠い昔のおとぎ話のような存在だ。けれど、本当に側にいたことだけは伝えたかった。
「セスがいるって言うなら、いつか会えそうな気がします」
柔い笑顔を見せるメリッサに、セスランの胸は熱くなった。
◇◇◇
「転移魔法陣は見つかったか?」
「祭壇の、後ろにありました」
メリッサは答えながら、なんとなく胸が締め付けられるような感じがした。振り向いたときに見た、彼の表情はどこか物悲しく感じられた。メリッサ自身もそれがどうしてなのかわからない内に、すぐにもとの表情にもどった彼が、魔法陣を確かめに来た。
「よくもこんなルートを確保していたものだな」
すべての神殿に転移魔法陣があるわけではない。
地下から通じていた先にあった神殿は、マイムへの転移魔法陣が設置されていた。
魔法が当たり前のメテオーラでは、転移魔法陣の使用に対するハードルは低い。魔力がそれなりにあれば簡単に使える。
「用意周到な奴ですね」
エダンは使用人の振りをして、かなり聖都について調べていたようだ。
「便利よね。移動するときの感覚がなんともいえないけど。そういえば、セスランおにいさまも転移魔法使うわよね」
セスランのは無詠唱、魔法陣なしだ。規格外すぎて同じものといえるのかとメリッサは疑問に思う。
「まあ、似たようなものだ」
「転移魔法陣は作れるのかしら?」
「使うのは簡単だが、作るのはそれなりに大変なんだ。座標を計算して魔法陣を設計してまっすぐな道を作らないと、体の一部がどこかに置き去りになる」
「なんですって?!」
シャシャは両腕で自身を抱いて、青ざめた。今日は二回も転移した。
「作る場所も、神殿くらい安定した場所でなければ作れない。だから俺は作ろうと思わない」
作れないとは言わないあたり、彼はやっぱり桁外れなのだろう。
「これは三賢者様が作ったものだから、大丈夫だよシャシャ」
転移魔法陣は三賢者しか作れないことになっている。
「そう、三賢者様が作ったのね。なら安心かしら……。ちょっと待ってじゃあセスランおにいさまのは一体何なの?」
シャシャは当然の疑問に行きついた。
「だから、似たようなものだ」
それ以上は答えないと、雰囲気で押し通される。
「そう。わかったわ」
深堀しても今は仕方がないと判断したのか、シャシャは素直に引き下がった。
「さっそく転移しよう」
三人は魔法陣の上に立った。
「メリッサ手を繋いでくれるかしら」
「どうぞ、シャシャ」
好奇心旺盛なシャシャも、流石に転移魔法陣は怖いらしい。セスランが魔法陣を起動させると。光の中に包まれた。




