29.月の女神の秘薬と王女1
春祭りが始まる、満月の夜。
聖都と山岳の間にある草原に、月光に照らされたムーンドロップが咲いていた。
「見つかってよかった」
月の女神に教えられたその場所だけ咲く花は、白色の小さな花だ。
若葉の芽吹いた草原は、月明りでどこまでも明るい。
そよ風が吹く。
「久しぶりね、蒼玉の魔女よ」
「月の女神様、お久しぶりです」
月光の淡い光の中に、月の女神アルテミスが現われた。
メリッサは跪き、女神に礼をとる。
「また秘薬を作るのかしら?」
「はい。許可をいただけますか」
「いいわよ。秘薬を沢山作って売っていた、二年前が懐かしいわね」
「あの時はお世話になりました」
「今はあなたの周りに面白い者たちが集まってきてるみたいね」
すべてお見通しなのだろう、女神は微笑み、ムーンドロップを一輪手折るとメリッサに渡した。
「ありがとうございます」
メリッサはすぐに、花が枯れぬよう、保存魔法をほどこした。
「女神の秘薬を決して、穢れに混ぜぬこと。この理は変わってないわ。使い方には注意してね」
そう言い残して、女神は月光に解けて消えた。
◇◇◇
「月の女神の秘薬が完成しました」
約束通り、西の泉の女神にもらった聖水と、ムーンドロップを混ぜて完成させた秘薬を、朝一番にアレイに取りに来てもらった。
聖都の中心の広場は、花壇に花がいっぱい咲き、祭りの装飾が街灯や街路樹にほどこされている。朝から露天商が、開店準備に精を出して活気にあふれていた。
ちょうど春祭りの一週間、魔塔全体が休暇になる。メリッサも資材庫番の仕事が休暇に入ったため、普段着で待ち合わせ場所にきた。魔女ではなく町娘に見えるようにした方が目立たない。銀色の髪の毛はまとめて団子に結び、帽子をかぶってきた。
約束の時間に現われたアレイは、町の青年といった服装で現われた。
「デートっぽく見えるかな」
彼は茶目っ気たっぷりに、メリッサの横にぴったりくっついて言った。
相変わらず美貌が全開な彼には、目立たなくするという概念がないのだろうか。
「こんな早朝に?ご近所さんがいいところでしょう。早く受け取ってください」
メリッサは近所のパン屋の紙袋を、アレイに押し付けた。中には焼きたてパンと、秘薬が入っている。
ついでに少し、距離を空けた。
「つれないなー」
アレイは持っていた新聞をたたんで、周りから口元が見えないように隠して、ひそひそ声で言った。
「王女に会ってほしい」
「昨日、メテオーラにいらしたようですね。貴賓の方に会う理由はありません」
新聞の記事に、オルテンシア王国第三王女シャリア姫が、若き公爵と共に貴賓として来席すると書いてあるのが見えた。月の女神の秘薬を作ることまではするが、会うのはごめんだし、依頼内容に含まれていない。
いつになったら、紙袋を受け取ってくれるのだろうか。
アレイは紙袋をそのままにして、メリッサを見つめてくる。
嫌な予感がした。
「実は、もう来てる」
「は?」
「怒るなよ、俺も聞いてなかった。あのわがまま娘のことだから、急に予定変更したんだろう」
「なんで‥‥‥」
「後ろにいる」
アレイの背後を覗くと、貴族のご令嬢だとわかる佇まいの少女が、護衛と思われる女性と二人で立っていた。
少女はつば広の白い帽子を軽く持ち上げる。するとその顔があらわになった。
華奢で、儚げで、煌めくハニーブロンドの髪が印象的だ。格上の空気感を纏っている。
「信じられない。とびきりの美少女ですよ。やっぱり婚約者に立候補した方がいいのでは?」
「たのむから、それだけは言わないでくれ。特にセスには絶対言うなよ」
見惚れているうちに美少女は、メリッサの前にやってきた。
「あなたが、芙蓉の魔女の弟子かしら?」
「はい」
「わたくしはシャシャよ」
にっこり笑った美少女は、王女とは名乗らなかった。
「芙蓉の魔女の弟子の――。魔女です」
こちらも、本当の名は名乗らずに肩書だけ伝える。
「どうしてここに来たんだ?周りの連中を困らせるな」
アレイは、王女相手に苦言を呈した。
「相変わらず口うるさいのね。聖都は初めてなんですもの、少し見て回ったっていいじゃない」
「護衛はどうしたんだよ」
「その辺にいるわよ。ブリジットがついてるんだから大丈夫よ」
どうやら側に付いてるブリジットという護衛の女性以外にも、人混みにまぎれて仲間が潜んでいるらしい。
「そういう問題じゃないだろ」
王族とは関わらないようにすべきところに、向こうから突撃してくるなんて想定外だった。
「わたくし、あなたに会いに来たのよ」
だから、急にこんな誘いを断ることが出来なくても、仕方がなかった。
「え?」
王女は小声で言った。
「秘薬は完成したかしら?」




