27.デービス翁
温泉郷の客室の一室で、翁と青年が対面している。
「サファイアを連れて来いと言ってから、もう三か月が経つぞ」
齢七十を過ぎた老人は、室内着のゆかた姿で、酒を飲みながら話し始めた。
「同じ職場に就職して、男女の仲になって誘い出せと命じたのに、マイムに連れ出すこともできぬとは!」
ダドリー・デービス翁は、グラスをテーブルに叩きつけて青年に怒鳴りつけた。
「申し訳ございません。祖父様」
ソルは、酒と食事には手をつけず、時間が過ぎるのを待つ。
「メテオーラにはこちらからすでに手下を送ってある。来週の春祭りに乗じて娘を連れてくる手筈になっている」
聖都メテオーラの春祭りは盛大で、オルテンシア王国の貴賓や多くの旅行客が集まる。そのため、一週間前から人の往来も増え、手下たちも紛れ込みやすい。
メテオーラ領土内の温泉郷マイムは、オルテンシア王国とのちょうど中間にあり、春祭りに向けて宿泊客が集まっている。祖父はここを拠点に、計画を実行するつもりなのだ。
「お前は、娘の動向を監視しろ。居場所を把握して、手下たちとマイムまで娘を連れてこい」
「解りました」
ソルは拳を握り、短く返事をした。
あのメリッサ・レイニードという、変わった同期の娘に、一体どんな価値があるというのだろうか。デービス翁の妹の孫。伯爵家の血の繋がった娘。
「お前がやらなければ、伯爵家の跡継ぎにはしない。お前は母親がよそで作った子だということを忘れるな」
祖父の言葉が、胸を切り裂いてくる。今はただ、拳を握り耐えるしかない。
伯爵位を継げなけらば、婚約者であるアナベルと一緒になることはできない。
騎士としての将来の夢もついえる。
祖父があの日メリッサを見つけなければ、こんなことにはならなかった。
あの日以来、祖父は人が変わっってしまった。
ソルの出生の秘密を取引材料にして、孫に犯罪の片棒を担ぐようなことをさせるような人ではなかったのだ。
現伯爵の息子に知られぬように、国王を欺き復讐するためのサファイアが欲しいなどと望んでいるのだ。
「ダドリー様、西の街に潜入していた者が姿を消しました」
新しい酒を持ってきた、使用人のエダンが報告した。エダンは比較的新しい使用人だが、デービス翁に気に入られて近頃は側近として側仕えしている。
蛇のような湿っぽさのある男だ。
「こざかしいシルビアの孫だ。やはりメテオーラ内では、こちらの思うようにはいかないか。聖都の外に出してしまえばこちらとて、力づくでも捕らえることができよう」
エダンが新しい酒を注ぎ、デービス翁はそれを一気にあおって鼻で笑った。
ソルは瓶底眼鏡の同僚を思い出した。地味な資材庫番の仕事が夢だったと、嬉しそうに語る変な女だと最初は思っていた。
学科が違ったが、一度だけ魔法騎士課に剣術の基礎学を学びに来たことがあった。
その時たまたまソルとメリッサがペアになったのだ。瓶底眼鏡でどんくさそうな女という印象で、単位の為だけに適当に教えればいいとたかをくくっていた。
ところが、剣を握らせると基本が出来ており、腕力がないのを魔力で補強して俊敏に剣を振ってきた。
それを、親友に少し教わっただけで、自分には才能がない。そう彼女は言っていた。
資材庫番に就職してから、休日に一緒に出かけようと誘っても断られ、何をしていたか聞くと、魔法素材の羽根を持つ鳥を、森で一日中追いかけていたとかそんな話ばかりで、普通の貴族令嬢しか知らないソルにとっては規格外な存在だった。まるで男女の仲になどなれそうもなかった。
そんなのを相手に、老獪ではあるが我欲を隠さなくなり、変わり果てた祖父の思い通りにいくだろうか。
だいたい、魔塔の魔法術師を貴族は正直舐めている。油断して足元をすくわれるのは、こちらの方だ。
ソルは、欲のため、保身のためにメリッサを裏切ることをしている。それには自己嫌悪を憶える。だが、歪んだ伯爵家の怨嗟を終わらせるためにも、もう止められなかった。




