26.壊れた瓶底眼鏡2
――穴があったら入りたかった。
猫執事のラファエルが治癒魔法で、メリッサの手の平の傷を治してくれている。
「メリッサ様。治りましたよ」
「ありがとう」
メリッサは土下座ではすまない状況に、もはや消えてしまいたかった。
保管庫の魔導具たちは無事だったが、アレイとラファエルはボロボロだった。
セキュリティの術式を変更する間、アレイが侵入者とみなされて,あらゆる捕獲魔法を回避し続けていたらいしい。
「俺じゃなかったら手足がなくなってるぞ」
ぞっとするレベルの仕掛けがされていたらしく、メリッサは青ざめた。
壁や天井は穴が開いていて、書類が床に散らばっている。
「特にこの髑髏ガーディアンなんか、作った奴の性格の陰湿さが滲み出てて、えげつない攻撃してくるしな」
アレイは転がっていた髑髏を、ボールのようにわしづかみにして、マスターガーディアンの執務机に置いた。
「アレイ様、わたしのせいです。すみません」
「気にするなって、メリッサの奇想天外さには免疫がついたよ」
こんな状況でも、笑ってくれるアレイのおおらかさになんとなく感動してしまう。
「それから、様はいらない。呼び捨てで構わないぞ」
「でも、身分のある方ですし…‥」
「ここでは身分なんて関係ないだろ」
「ですが‥‥その、目上の方には」
「ああ、それな。俺は二十四でセスは二十三歳だ。君よりは歳上だけど、呼び捨てでいいから」
察しのいいアレイは、メリッサの考えていることを汲み取ってくれた。彼はもう魔女殿とは呼ばず、メリッサと名前で呼んでいる。
「わかりました」
「それにしても、君の祖母様の魔法はすごいな」
瓶底眼鏡にかけられていた魔法は、祖母がかけたものだった。
どうしてこのタイミングで発動したのかはわからないが、サファイアの正体を暴いた者から、孫を守るためにかけた事だけは理解できる。メリッサが眼鏡の記憶に飲まれることまでは想定外だったかもしれないが。
あれは、祖母が昔抱いていた感情そのままなのだろう。サファイアであった時の苦闘が黒いモヤとなって現れ、メリッサはそれに同調して飲まれた。
きっと、あの眼鏡を作ったときに、無意識に思念を残してしまったのだろう。それくらいつらい経験をしたのだと、今ならわかる。
優しい祖母が、わざとあのような記憶を残すことは考えられない。
「あの、マスターはいつお戻りになるのですか?」
「ああ、あいつか。そのうち戻るかな」
「なんて説明したらいいのか、絶対これはクビになると思うんです」
マスター不在の保管庫を、めちゃくちゃにしたのだ。魔塔すら追い出されるかもしれない。それに修繕費はまた借金になるのだろう。考えるだけで頭も痛いし、吐き気までしてきた。
「ラファエル。ごめんなさい大切な保管庫を壊してしまいました」
「メリッサ様のせいではありませんよ。それに主はクビになどしません。大丈夫です」
「ラファエルのいう通りだ。大丈夫だって。――そうだ!」
アレイは何かを思いついたかのように手を打った。
「ちょっと耳を貸せ」
ごにょごにょ。
「えっ。アレイちょっとそれは…‥」
隣室を片づけていたセスランが、保管庫に戻ってきた。
「ラファエルに傷を治してもらったか?」
「はい」
彼は散らばった書類を拾いながら、こちらに近づいてくる。
「あの」
「どうした…‥ん。顔色が悪いぞ、真っ青だ」
足早にメリッサの座るソファの横に腰掛け、手が額に触れた。
「魔力暴走で少し酔っているようだな。早く休んだ方がいい」
心配してくれるのはありがたいが、クビと借金の二文字に、よりげっそりしているだけなのだ。
メリッサは、色々親切にしてくれるセスランに悪いとは思いつつ、意を決して言った。
「お願いがあるのですが」
「なんだ?」
「セス。一緒にマスターに謝ってもらえませんか?一人では心細いので」
バササッ。
セスランは、集めたばかりの書類を落とした。ラファエルが、素早くそれを拾う。
目を合わせたまま、二人の時間が一瞬止まった。
セスと愛称で呼んで、お願いしてみろとアレイに言われた。必ず味方になってくれるからと。
「‥‥‥彼には俺から言っておくから大丈夫だ。君はもう帰って休んでくれ」
「でも、直接謝罪しないといけません。今度こそクビになるかもしれませんが」
「クビになどしない」
「え?」
「いや、クビにしないように伝えるから」
咳払いをして、セスランは立ち上がる。
「君の宿舎の部屋の中を、イメージしてくれるか?」
急に話題を変えられた。
「宿舎ですか?えっとどうして」
「いいから目を閉じてイメージしてくれ」
「はい」
彼の意図がよくわからないが、部屋の場所と室内を思い出して想像してみる。
「目を開けて」
言われた通り目を開けると、そこは宿舎のメリッサの部屋だった。
「どうして?」
見慣れたその部屋は、間違いなく自室だった。
さっきまで一緒にいた、アレイもラファエルもいない。
「女子宿舎への侵入者扱いはしないでくれよ。今日は疲れただろうから休んでくれ。あと、今使った魔法は誰にも話してはいけない秘密だ。もし誰かに言ったら罰を受けてもらう」
瞬間転移魔法は、三賢者くらいしか使えない超上級魔法だ。しかも通常は転移魔法陣が必要なのだ。セスランはそれもなしにやってのけた。
「セスは…‥一体何者なんですか?魔法のレベルが異常です」
「ただの魔法術師だ」
「でも、さっきわたしを助けてくれたとき、光魔法を使ってましたよね。あれだって古代魔法の一つで並みの魔法術師には使えないはずです。それに…‥あのときセスの背中に白い羽根が見えました。あれはもっと特別な光魔法じゃないんですか?」
彼は、底が知れない。怖ささえ感じる。けれど――。
「とても、綺麗な羽根が見えて、胸が暖かくなったんです」
紅い瞳がほんの少し揺れた。
「セス。まだ言ってませんでした。助けて下さってありがとうございます」
たった二日で、彼にどれだけ助けられたことか。緑陰の仕事とはいえ、彼はずっと優しかった。
「メリッサ」
セスランは静かに微笑み、名前を呼んだ。
「また会おう」
メリッサの問いには答えずにそれだけ言うと、瞬間転移魔法を使い消え去った。




