事件その2 ゲリラ放送(2) 現場確認
火曜日。
その日の放課後、土本は独り教室に残り、冬休み中に古本屋のワゴンセールで買った文庫本を読んで時間を潰していた。
先ほど教室を出て行った北條からは、理由などは特に聞かされてはいない。おそらく重要な用件ではないのだろう。
そうしていると、午後3時半に北條が教室に戻ってきた。
「お待たせしました。では、教頭先生のところへいきましょうか」
「そうだな」
2人は、予定通り職員室へ向かい、廊下から近くにいた教師に声を掛け、ゲリラ放送の件で教頭先生に話がある旨伝えて、教師が遠くの席にいる教頭先生の席に向かって歩いていくのを見送った。
「ところでさ。俺は教頭先生と話なんてしたことないわけだけど、どんな感じなの?」
教頭先生が来るまでの待ち時間に、土本は珍しく不安げに問いかけた。
「どんな、と言われても……、普通ですよ? 特に厳しいとか、圧を感じるとかいうわけでもありませんし」
「なんかさ、俺にとって先生と話す機会って、大抵こちらが何かやらかした時だから、なんとなく身構えちゃうんだよな。まして担任じゃなく、偉い先生となると尚更」
「ええっ、なんですか、それ。まるで問題ある生徒みたいな……」
土本が教師と直接話す際の心情を正直に吐露したのに対し、北條は苦笑で応えた。
北條は、何故か土本の発言を冗談と思って笑っているのだが、土本は至って真剣な話をしている。
今でこそ、学校では、その見た目はともかく、学習には人一倍真面目に取り組む優等生で通っている土本だが、過去の彼はまさにその「問題ある生徒」そのものであった。
高校入学以降は、11月初旬に成績について進路指導の教師から呼び出しを受けた(とは言っても、お叱りではなく、単に「特待生が中間テストで成績が伸び悩んでいるため、環境の変化や悩み等を聞き取る」のが目的の、カウンセリング的なこと)が、呼び出されたのはそれ一度きりであり、それ以降は成績も申し分なく、特に呼び出されることも、そもそも呼び出されるような問題行動は一切していない。
しかし、中学時代は、犯罪にこそ手を出してはいないが、相当な「やらかし」を繰り返しており(「やらかし」の内容はほぼ喧嘩)、呼び出しどころか、校長室まで引っ張り込まれ、そこで生徒指導から説教どころか親ともども怒鳴られて、その場で親が土下座する勢いで頭を下げた、という目に遭ったこともある。
そういうわけで、いつもは尊大な態度の土本でも、教師との直接の対面は軽くトラウマであり、萎縮もする。
しかし、そういう過去を一切知らず、現在は「進学クラス」の一員である土本の、その見た目にも言動にも、「問題ある生徒」の要素を一切見出していない北條が、教師との対面に対する不安など口にしたところで、本気だと思えないのも無理はないのかもしれない。
「まあ、今日は別に呼び出されたわけじゃないから、大丈夫だろう。委員長も来てることだし」
「そうですね、教頭先生への説明は私がやりますから、心配は無用です」
女子の陰に隠れて身の安全を確保するようで情け無いとは思ったが、土本は北條に対応を任せることにした。
そんな話をしていると、職員室の向こう側から教頭が歩いてきた。年齢は50代半ばくらい、茶色系のスーツを着た小太りの男性教師。そして、一見明るい性格という印象を受ける。
「どうもどうも。例の放送の件、だっけ? 生徒会はこの件、随分と熱心に取り組んでいるんだねえ」
そう笑いながら話す教頭からは、厳しいとか、圧を感じるといった風ではない、むしろ話しやすそうとすら思える。
「はい、生徒会長は特にこの件に強い関心を示していて、私たちは会長の特命を受けてこの件を調査しています」
「ほう、特命ね。でもまさか、この件たったひとつのために、生徒会がそこまでするわけではないよね?」
「はい、例の『生徒会の備品の件』も同時進行で調査しています。むしろ備品の調査の方が本命です」
「ああ、なるほどね。ではこちらは、本命ではないと」
ここまで事情を詳しく話してしまう必要があるのだろうか。重要ではない用件にわざわざ教頭を呼びつけた、という風に受け取られかねないのではないか、と土本は内心ヒヤヒヤした。
「で、その本命ではないことに、私は何をしたらいいかな?」
「放送室の中を確認させていただきたく。鍵を開けていただき、調査の立ち会いもお願いしようと思いまして」
北條は、丁寧ながらも堂々と教頭と話をしている。そして、先を読んだ上で上手く教頭先生の話を誘導しているようだ。
「ん? それって、私じゃなきゃダメかな?」
おそらく、北條はこの言葉を待っていたのだろう。
「実は、昨日校務員室に伺って放送室に入る許可と立ち会いを求めたのですが、校務員さんは、事件か起こっている最中に、自身の判断でそれはできかねるとのことで、また、これについては『教頭先生に許可を得るのが筋』と言われてしまいまして。そういうわけで、今日こちらに伺った次第です」
既に昨日の土本との会話の中にあった、校務員から言質を取った件をここで使ってきた。
初めは昨日校務員と接触した件を伏せて、用件を端的に話し、教頭自ら出ていかなければいけない案件なのかという疑問を「起こさせる」。そして、その疑問を教頭が発してから、妥当な理由、校務員から言質を取った件を伝える。その流れであれば、生徒の立場なら、教頭に直接お願いせざるを得ないのだろう、と思わせるのは十分可能ということになる。
北條と教頭の会話を間近で見ていた土本からは、その北條の交渉の仕方、話の進め方が、随分と手慣れた感じのあるものに見えた。
「はあはあ。なるほど。うーん、そこまでピリピリすることでもないと思うけどなあ」
やはり、教職員側では、この事件、そこまで警戒しているわけではないようだ。
「まあ、今日はこの後特に何もないし、行ってみようかな」
「ありがとうございます」
教頭は、その立場と見た目に反して、判断も行動も早い。行ってみようかな、と言った直後にはもうポケットから鍵の束を取り出して、放送室の鍵を探し始めた。
「とは言っても、あまり時間はかけられないからね。概ね今から1時間くらいで終わらせてもらうけど、いいよね?」
「もちろんです。おそらく30分程度で終わると思います」
北條は、土本に目配せすると、土本は頷き、これに同意してみせた。
「よし、じゃあ早速行ってみようか」
先行する教頭に続いて、北條、土本がその後を追って放送室に向かった。
放送室は、職員室から割と近くにある。本来なら放送が始まれば、すぐに駆けつけられる距離である。
それでも犯人が分からない、放送を止めるまでに時間がかかっているということは、つまりは、タイマーのセットが大分前に行われている、そして放送室の開錠に時間が掛かる、ということだろう。
また、そこまで焦って止めるまでもない内容であるというのも、止めるのに時間が掛かっている理由と考えられる。
放送室へと向かう途中、北條は小声で土本に声を掛けた。
「ところで、急に放送室に行くことになりましたが、お時間は大丈夫ですか?」
「もちろん、今日は元からその可能性があると思ってたし」
「そうでしたか、ならよかった」
おそらく多忙であろう教頭に、放送室の話を持っていけば、今日なら時間的余裕があるから、今のうちに行ってしまおう、という話になる場合を土本は既に想定していた。とは言え、元々今日は特に予定はなかったのだが。
「あっ、そうだ。すんません、扉を開ける前に一応、写真撮ってもいいっすか」
放送室に着く直前、土本は教頭に話し掛けた。
「えっ? ああ、もちろん構わないけど」
「じゃあ、とりあえず今日、放送室内部の調査開始前の状態、ということで」
土本は教頭を追い抜き、デジタルカメラで放送室入口の扉を、画角を変えて3回撮影した。さらに、ドアノブ付近に寄って1回撮影した後、扉に嵌められたガラスを通して中を覗き込んだ。
その扉は、上端から中央近くにかけて、幅15センチメートル位の細長いガラスが嵌められている。そこから部屋の中を覗くことはできるが、現在は薄暗くて室内の様子はよく分からない。そこでも、ガラス越しに室内の様子を2回撮影した。
「あ、大丈夫っす。もう撮れました」
その撮影の意図、深い部分については、土本以外の人間には全く理解のできないものであった。
「……うん、よし、じゃあ開けるよ」
土本の行動に呆気に取られていた教頭は、ようやくそれだけ言ってドアを開けた。ドアを開けると、入口すぐ右の壁に付いた照明のスイッチを入れた。
放送室は、入口から縦に長い部屋で、幅は2.5メートル、奥行は8メートル程の広さ、その縦長の部屋の入口から見て左側、その壁には大きなガラスが嵌められ、その先には職員用昇降口があるが、今日はカーテンが閉められている。
そして、そのガラスに沿った形で長机が置かれている。
ガラスの右側の壁には、放送のチャイムの音源となる、百科事典ほどの大きさの箱に納められた、ウエストミンスターの音色を奏でる機械式チャイムが取り付けられている。
ガラスの左側、つまりは入口から見て左奥には、放送用のアンプ等各種機器、カセットやCDのデッキ等が納められたラックが据え付けられている。そのラックの向こう側には、カセットテープが大量に納められた収納棚がある。
入口の右側は、壁になっているが、その壁には放送に関する決まり、チャイムの鳴動時間のメモ等が多数貼り付けてある。
部屋の奥は腰高窓があり、ブラインドが取り付けられており、現在はブラインドが下まで降ろされ、閉じられている。
「特に変わったところはないようだけど」
教頭は先に一歩室内に入り、軽く室内を確認した後、一旦退室して北條と土本を部屋に通した。
「失礼します」
北條は、教頭に一礼して室内に入ると、まずラックに入った機器を確認した。
カセットテープのデッキは大分古いもので、元々白かった筐体が大分黄ばんでいたが、おそらく機能自体は問題ないのだろう。そしてテープを入れる部分が2箇所ある。録音ボタンがあるため、おそらくダビングも可能と思われる。
その下にはCDのデッキがあり、こちらは新しく、カセットのデッキより大分薄い。それでも、CD一枚を入れるだけの機器にしては随分横長だという印象は拭えない。
それに一歩遅れて入ってきた土本は、ラックの機器より先に、部屋全体の状況、全体の配置等を確認していた。
「タイマーって、どうやって設定するんでしょうか?」
北條が土本に尋ねると、チャイムの機器を見ていた土本は、ラックに近づいた。
「まず、電源ユニットの電源を入れる。すると、その下にある、コントロールアンプや放送アンプにも通電するから、そちらも電源を入れる。放送アンプにはオンタイマー機能があるから、時間を設定しておく。CDプレーヤーのタイマーはこのアンプと連動してないから、放送アンプの外部入力にCDからの出力側からラインを引っ張ってきて、繋いでおく。CD側でもタイマーをセットして、例えば12時30分に放送する場合は、どちらもタイマーを『12:30』にセットしておくわけだ」
土本は、機器を実際に操作しつつ、北條にタイマーの設定方法を説明した。
その操作は、今日初めて放送室に入った者にしては、随分と手慣れた者の動きのように見える。
「そう……なんですね、よくご存知ですね」
「たまたま俺の通ってた中学校にあった機械と似たタイプだったからな。過去に機器に触った経験のある人なら、多少違う機種でも、操作方法はある程度わかるんじゃないか?」
「そうですか……では、経験者なら、これが可能であると」
「そうだな、学校の放送機器に触れた経験がある人なら可能だし、これをやろうと思いつくのも、まあ、そういう人しかいないだろうな」
そうなると、先週の土本による「放送部員を疑いたくなる」という発言の意味がよく分かる。放送機器の操作に慣れている人にしかゲリラ放送の実行、特にタイマーの設定は困難、となれば、まず疑わしいのは放送を日常的に行っていて、機器の操作に慣れた人間、つまり放送部員ということになる。
「ただ、機器が違うと操作方法が分からないこともあるし、実際これをいじるとなると、やはり実際にこれに触れる人間、ここの鍵を持っていて、いつでも入れる人間の仕業と考えるのが自然かな?」
土本は、教頭に気付かれないよう、校務員の犯行の疑いがより濃くなった、と北條に匂わせるような発言をした。
だが、北條はまだ証拠もない今、それを教頭先生に悟られるのはあまり適切ではないと考え、あまりその件について話し過ぎないよう、土本に目で訴えた。
「ところで、土本君、だっけ? 君も生徒会だったっけ?」
教頭から不意の質問を受け、土本は驚いた。
「あっはい、えっと、先週から生徒会に入りました、土本辰巳っす。この件と備品の件を、北條さんと調査をするよう会長から言われました」
「そうなんだ。いやー、優秀な生徒が生徒会に入ってくれるのは嬉しいね。頑張ってね」
「あ、ありがとうございます」
今日まで土本は、教頭に自己紹介したことはない。つまり教頭は、以前から土本個人を把握していた。おそらくは何かの資料を見て覚えていたのだろう。そして、「優秀な生徒」と認識している。お世辞や二枚舌とは思えない。
それは、現在の土本に対する、教職員全体の評価、そして北條や他の生徒を含めた、世間での一般的評価なのだろう。
「ああ、ごめんね、水を差しちゃったね。放送室の鍵についてだけど、ここに普段入る人は、放送部とその関係者、あとは施設管理の関係でここに入る私と校務員くらいで、鍵はその、普段入る人にだけしか渡してないよ。職員室にも置いてはあるけど、今年度からは、用がある時だけ鍵を取り出す、そして用が終わればすぐ戻す、を徹底してるから、流石に黙って持ち出すってことはないと思うね」
先日北條が話した内容とほぼ同一であり、つまりはこの説明にほぼ間違いはないと言えるだろう。
「しかし、合鍵を作られている、という可能性は……」
事情を知っているはずの北條は、あえてこの質問をしている。
「合鍵があり得ない、とは言わないけど、まあそれは難しいんじゃないかな。さっきの話の通り、鍵は一部限られた人しか持っていないし、職員室に常備した鍵は長時間持ち出せば誰かが異変に気付く。鍵を持っている誰かが合鍵を作ることも不可能じゃないけど、この鍵は最新のディンプルキーで、合鍵を作れる業者はまだ少ない。放送のためにそこまでするかとなると、難しいとは思うよね」
「そうなんですね、ありがとうございます」
既に分かっている内容ではあったが、北條は丁寧に御礼を述べた。
この内容を特に包み隠すことなく話せるということは、やはり教頭がゲリラ放送に関わっている可能性は低いのだろう。
その話の最中、土本はコントロールアンプの裏側、外部入力の端子を確認していた。
端子にはコードは挿さっていない。CDデッキの後方から伸びているコードを手繰ってみたところ、何処にも挿さっていないコードが垂れ下がっている。
そのコードの端子と外部入力の端子は同一であり、実際にコードを近づけてみたところ、挿すことは可能な状態である。
つまり、現状では簡単な作業だけで、CD-Rを音源として放送することが可能な状態、と言える。
そのコードの先端近くに、書類整理用のラベルを取り付け、CDデッキの上に置いた。
ラベルには、ご丁寧に「CDデッキ」と書き込まれている。
北條はその様子を横目で見て、その一連の行動の意図について一瞬疑問に思った。
しかし、おそらく何か意味のあることなのだろう、後で真意を尋ねればよい、と思って、特にその件については、その場では訊かなかった。
それが終わると、次は部屋の奥の窓に近づき、クレセント錠付近やサッシの隙間を念入りに確認した。それが終わると、デジタルカメラで窓の、さっき確認していた部分を何度か撮影した。
窓付近を気にしているのは、おそらく、犯人が窓から侵入した可能性を潰すため。窓からの侵入が可能であると、今までの鍵の話が無意味になってしまう。
今見た限りでは、錠には壊れている様子はなく正常に機能しており、その他不審な点はない。また、サッシ下部には補助鍵もついている。その状況から考えるに、窓からの侵入の可能性はほぼないと言ってよいのだろう。
「ええと、その他に何か確認することはあるかな?」
教頭が北條に尋ねると、北條は土本に目で合図した。
土本はそれに頷き、カメラを顔近くまで持ち上げた。
「あとは、部屋の中、特に放送機材関係をひととおり写真撮影して、最後に鍵を閉めた後に、鍵なしでは扉が開かないことを確認すれば終わりっす」
そう告げると、部屋の中の写真撮影を開始した。
「鍵について、随分気にするんだねえ」
教頭の問いかけに、土本はカメラの調整をしつつ答えた。
「はい。少なくとも今日見た限りでは、表の鍵がないと放送室には入れないんで。鍵なしでは入れない、合鍵の可能性も低いとなれば、放送の犯人は、正規の鍵を使って放送室に入った、ということになります。なので、職員室に置かれたものを含めて、鍵を持っている人、持ち出す可能性のある人、その中から犯人を探せばいい、ってことは分かりました」
「ふーん……、それは、私も含めて、ということだよね?」
その教頭からの返しに、北條は背筋の凍る思いがした。
「そうっすね。でも先生がこの放送をやる可能性は低いと思います。鍵の持ち主が少ないこと、合鍵の可能性が低いことを知ってるのに、バレるリスクの高いことをやらないでしょうし、第一バレた時の代償がデカ過ぎるんで」
調査の話になり、土本は調子に乗って、つい話し過ぎてしまっている。
だが、これは調査の重要な部分というわけではない。あくまで「鍵の観点から言えば、教頭先生も犯人の可能性がある」というだけの話に過ぎない。
それでも、「疑いの目を教頭先生に向けている」と本人に暗に告げるという事実だけで、北條は大分肝を冷やした。
「そうなんだ。ちょっと安心したよ」
教頭は、今のところ、疑われていることについて特に気にしている様子はない。
土本は、撮影しながら話を続けた。
「これが終わったら、鍵を持っている人の中で、放送内容と関連のある人とか、放送する動機のある人、そういうところを調べて、犯人を探していこうと思います」
「そうか、じゃあそれを調べたら、犯人は分かるんだね」
「そうっすね、放送との関係とか動機とかが分かれば、っすけど」
「犯人がわかったら、私の方にも教えてもらえるかな?」
そこで、慌てて北條が口を挟んだ。
「はい、あの、それは私たちが生徒会長に報告した後、生徒会役員から正式にお伝えしますので」
「そうか、じゃあ北條さん、よろしくね」
「はい、会長にも伝えておきます」
北條は胸を撫で下ろした。
おそらく土本は、教頭からの質問に答えている、という程度の認識しかないのだろう。
しかし、北條の視点からは、その土本の発言は、教頭に対し「ゲリラ放送の容疑がある」と告げているのに等しい。
このまま土本に回答を任せた場合、「先生が犯人だと分かれば、その前に話をしに来ます」などと言い出しかねない、という懸念があった。
そのため、教頭から犯人について報告を求める依頼に対し、土本が余計なことを言ってしまう前に、生徒会から正式に回答する旨を返答したのだった。
ひととおり写真を撮り終えた土本は、最後にチャイムの機器をもう一度見直し、中の写真を撮ってからそれらが納められた箱の蓋を丁寧に閉じた。
「中の写真は撮れたんで、最後にカギを閉めてから、また鍵穴の所を写真に撮って、それで終わりっす」
「あ、そう。それじゃ……」
教頭は、先に退室して出入口横に立った。それに続き、土本と北條が退室して廊下に出た。
「じゃあ、閉めるね」
そう言ってポケットから鍵を取り出して、鍵穴に差し込み施錠した後、扉が開かないことを確かめた。
「で、写真だっけ。どうぞ」
教頭がドアノブ付近を指して一歩横にずれると、土本は軽く会釈し、ドアノブ付近や鍵穴を撮影した。
「これで終わりだね。うん、ちょうど30分で終わったね」
教頭が腕時計で時間を確認しながら言った。
「お忙しい中、ありがとうございました」
北條が教頭に一礼しながら言い、土本もそれを見て会釈した。
そこから職員室に戻り、出入口付近に着いたところで、土本は思い出したように教頭に声をかけた。
「あ、ところで、これとは別の、備品がなくなった件なんですが、ひとつ質問いいっすか?」
「えっ、うん、まあ私でわかることなら」
「正直なところ、生徒会役員からざっと説明は受けたんですが、なんというか、何故なくなったのか、そもそも盗まれたかどうかもよくわからなくて。先生方のほうで、何か情報というか、今の時点でわかっていることがあれば、教えてほしいんですが」
備品の管理は生徒会である。その備品の管理について、生徒会役員の把握している情報以上のものが教職員にあるとは思えない。しかし、北條は、土本に何か別の狙いがある可能性を考え、口を挟まなかった。
「うーん、正直、特にこれと言って情報はないんだよね。そもそも『盗まれた』という可能性はなくはないけど、そんなもの盗んでどうする、ってこともあるし、校内で他のクラスなり委員会なりに融通したのなら、それはそれでいいんだよね。ただ、管理をしっかりやることにした後でもまだ備品がなくなっている、ということになると、ちょっと気になるかなあ」
これが、事件に対する教職員側の基本スタンスだと言えるだろう。土本がこれを自然に引き出せたことに北條は感心した。
事件に関してはそう影響はないが、教職員側の空気感を知れたのは今後役に立つかも知れない。
「あ、あと、これについて、放送の件もそうだけど、無理に犯人を見つけようとしなくていいからね。再発防止が第一、ということでよろしくね。やった人が判れば然るべく対処するけど、無理に犯人だと名指しして、無用のトラブルを起こすのはまずいからね」
「わかりました。再発防止を第一に考えます」
土本はそう返答はしたが、犯人探しを役員から言いつけられている以上、無理にとはいかないまでも、探すことを第一に考えざるを得ないだろう。と考えていた。
「あ、そうだ。以前生徒会から資料を貰ったんだけど、参考までに見てみるかい? 原本はあげられないから、持ち帰るならコピーして貰うようになるけど」
「あ、それについては……」
「ありがとうございます、では、コピーさせてください」
北條は資料を既に生徒会役員経由で受け取ったことを話そうとしたが、それを遮るように、土本はコピーを貰う旨返答した。その資料をコピーして受け取ることに意味があるのか、それは北條にはまだ理解できなかった。
「じゃあ、ちょっと待ってて。資料持ってくるよ」
教頭が自分の机の方に向かって行ったのを見て、北條は土本の袖の肘辺りをを摘んで二度ほど引っ張った。
「資料は生徒会で頂きましたし、コピーしてまでもう一部入手する必要はないのでは?」
それは、若干責めるような口調だった。
「それは、『資料』としてならな。でも、先週貰った資料と、今教頭先生が持ってる資料が全く同じとは限らないだろう? 一応確認する意味はあると思うんだよな、俺は。それに……」
「それに?」
「教頭先生から調査の協力を得た、そういう既成事実をここで一つ作っておくのも、いいかなと思って」
「既成事実……それがあると、どうなるんですか?」
ここでやっと、土本は北條が不機嫌になっていることに気づいた。だが、不機嫌になる理由がわからない。思い当たるところはない。
「どうなるって、昨日も話したけど、要は『顔つなぎ』だな。事件について協力を依頼して、それが通ったっていう事実がまず一個あれば、次に何か依頼しやすくなるからな」
「それは、そうかも知れませんが、その事実一個を作るために、あまり意味のないことを教頭先生にさせてしまっていません?」
「は? 意味のない、って、資料のことか? 意味があるかないか、そんなの、確認してみなきゃわかんねえじゃん」
資料を要求したのは、確実性を求めた結果であって、土本は他人に無意味なことを要求したり、あえて他人に迷惑を掛けるようなつもりは一切ない。確実性を求めるための確認を意味がないと切り捨てるかのような北條の物言いに、土本は思わずむきになった。
「……その話は、後にしましょう。教頭先生が来ますから」
北條は、土本に目を合わせずに、ため息混じりにそう小声で言った。
教頭は、小走りで土本たちの方へ向かってきている。その右手には、資料らしきものが握られている。
「はい、じゃあこれ、必要な分だけコピーしたら、返しにきてね」
「ありがとうございます。すぐコピーしてきますんで」
土本は、資料を受け取ると、印刷室に向かって歩き出した。北條は、その後を追わずに教頭に話しかけた。
「お忙しい中、すみません。資料も貸していただいてしまって」
「いやいや。私は正直言ってこの件に手が回らないから、生徒会で動いてくれるのは助かるよ。それに、彼はこういうことに慣れているというか、色々知識や経験があるようだし」
「えっ?」
土本の趣味、つまりは探偵の真似事に関しては、おそらく北條以外には話していないはず。それを教頭が知っていた、または気付いていたことに驚きを隠せなかった。
「さっき、放送室で彼の行動を見てたんだけど、何か見たことあるなと思って、思い出したんだ。あれ、警察の人がやるのに似てるよね」
「そうなんですか?」
「うん。実はね、昔に、うちに泥棒が入ったことがあって。その時に刑事の人と一緒に来てた、あれは鑑識の人なのかな? 青い作業服着た人が、まさにああいう風に、現場の写真をパシャパシャ撮っててね。まず家の玄関口から撮影して、部屋ごとに中の様子を撮ったら、犯人が触ったと思われるところを全部撮っていって。現場の状況を記録として残す目的なんだろうね。彼の一連のそれが、単なる真似事だとしても、それをどこかで知っていて、その意味、目的が分かっていなければ、まずそういうことはしないだろうね」
「そうでしたか……」
「あと、鍵に注目してたのも刑事っぽいね。彼の言う通り、鍵を壊したり、出入口以外から入る手段は取られていないから、犯人は表の出入口の鍵を持った人だ、っていうのは、言われてみれば確かにその通りだ。あの感じだと、もう誰が放送をやったのか、ほとんど分かってるんじゃないかな」
「そう、かもしれません」
犯人については、昨日既に校務員の可能性が高いという話をしていたが、北條は言葉を濁した。
「中々賢いよね、彼は。見た目は『とっぽい』感じだから誤解してしまいそうだけど、実際は理知的で、丁寧に仕事をするし、しかも慎重だ。さっきの話の内容からすると、私が犯人である可能性は低いとは言ってたけど、ゼロとは言わなかった。それはそうだね、まだ犯人は分かっていないし、私が放送を絶対にしないという確証も今のところない」
「その件については、申し訳ありません、大分失礼なことを……」
北條が土本に代わって頭を下げると、教頭はそれを制した。
「いやいや、大丈夫、それはいいんだ。むしろそこまで現状認識ができていて、それを正確に伝えて貰えるのは、こちらとしてもありがたい。調査の件は彼に任せておけば、解決できそうだと思うよ」
「……そうですね、そうだと思います、私も」
意外にも教頭は、調査担当としての土本を高く評価している。
内容に一部納得のいかない部分はあるが、北條は、同級生から不当に低い評価を受けていた人物を生徒会に引き入れたことで、そこで重要な仕事を任され、そして早くも自分以外の人からの高評価に結びついたという手応えを、ここで初めて感じることができた。
そう話をしていると、土本が帰ってきた。
「終わりました、ありがとうございました」
土本は、軽く頭を下げつつ、両手で資料を教頭に手渡した。
それを受け取った教頭は、左脇に資料を挟んで土本に話し掛けた。
「はい、じゃあまた、何か必要なことがあったら頼みに来てね。事件についてのことは、直接私の方へ依頼してもらっていいからね」
「わかりました、ありがとうございます」
「では、そういった際にはまた、よろしくお願いします」
2人は教頭に礼を言い、職員室を離れて教室へと向かった。
「……へえ。頭は良いけど、以前は結構な問題児だったと聞いていたが、なかなかどうして」
廊下を歩く土本の後ろ姿を見て、教頭は感慨深げに呟いた。
「並の生徒より、ずっとできる男じゃないか。大したもんだ。これも、片桐さんの影響、ということなのかな。それとも、北條さんが上手いこと手綱を引いてるのか。まあ、今後に期待、といったところか」
どこか満足げな表情を浮かべ、ゆっくりした足取りで自席へと戻っていった。
教室へと戻るまでの間、2人は一言も言葉を交わすことはなかった。先行する土本は不機嫌な北條にかける言葉が見つからず、その後を歩く北條は、ごちゃ混ぜになった情報と感情を整理しようと必死になっていた。




