事件その2 ゲリラ放送(1) 緊急連絡
1月の稲岡駅では、西方の山々から駅に向かって冷たく乾いた風が吹き下ろす。
そしてその風は、他の生徒より1本早い電車で登校し、停止した車両のドアを自力で開いて降車した、1人の男子生徒の顔面に向かって容赦なく吹き付けられる。
その男子生徒は、その冷たい風を受けて肩をすくめつつ、古ぼけた焦茶色のマフラーを鼻の上まで掛け直して、足早に駅を出て学校へと向かった。
新学期が始まってまだ2週目だが、既にやることが山積みで、その重圧に潰されそうになっている土本は、兎に角その山積みのものを1つでも減らそうと踠いていた。
先週の北條との話の通り、やはり放送の件はもう1つの事件よりは解決が早そうだし、できれば早めに解決させたい。そのためには、ある程度容疑者を絞る必要がある。
そのためには、やはり新たな情報が欲しい。それは、北條からの情報待ちということになる。
教室に入ってみると、今日はいつも通りの1番乗りらしい。
先週のように、北條が先に来ている可能性を考えていたが、あれはイレギュラーな事態であったことが確定し、ほっとしたような、残念なような、妙な気分になった。
登校から始業までの時間は土本にとって貴重な休み時間であり、大抵その時間は手持ちの文庫本を読む時間に当てている。
当然その時間も惜しんで勉強に励むこともできるし、実際そうしている者もいるのだが、彼は敢えてそうすることはない。それは、人に寸暇を惜しみ勉強している所を見られたくない、「ガリ勉」と思われたくない、そういう思いがあるからだった。
しかし、普段から人とつるまない、クラスメイトとまともに会話すらしない筈の彼が、その程度の他人の評判を気にするのもおかしな話ではある。
その辺りの疑問を解消する、それを説明するための材料は、土本自身も持っていなかった。
北條は始業20分前に教室に入ったが、他のクラスメイトと挨拶をして、落ち着いた様子で土本の斜め前の席に着いた。その様子は、先週と比べて特段変わったところはない。土本への態度も同様。それは特に不自然ではなく、ある意味当然なのだが、先週、あれだけの熱意をもって生徒会に勧誘した時との落差を意識せざるを得ない。
だが、何か対応を変えられても、それはそれで困る。この状態がベストだ。そう思い直した。
こうして、いつも通りの日常が過ぎていく。木曜の放課後までは、この平穏が続く。
そう思っていた。
それが変わったのは、その日の放課後のこと。
日課時限を終え、他のクラスメイトが帰った後。ひとり教室に残り、読書に没頭していた土本が、窓の外が朱色に染まってきたのに気づいて、帰り支度を始めたところ。
突然、教室の扉を開けて1人の女子生徒が飛び込んできた。
それは、普段の落ち着いた彼女とは違う、その表情、様子から、何か異常事態が発生したことが容易に見て取れた。
北條は、教室に残っていた土本の顔を見てほっとした様子である。
「はぁ、はぁ、あの……、今、ちょっと、よろしいですか?」
何がよろしいのか、何もわからない。
しかし、この様子でよろしいかと問われたところで、まさか「よろしくない」とは言えまい。
「あ、ああ。どうした?」
「それが……、校務の方に、放送室の中を、確認する許可を、頂こうと思って、先ほど、校務員室に、伺ったのですが……」
「断られた?」
土本は、息を切らせた北條に代わって、先回りして結論を言った。
「は、はい……」
先週の話の通り、北條は校務員に放送室の鍵を開け、放送室内に立ち入る際の立ち会いを依頼するため、今日、というか今さっき校務員に話をしに行ったものと思料される。
そして、依頼を断られる、という想定外の事態に直面し、急ぎ土本に報告して相談すべく、駆け足で教室に戻ってきた、ということなのだろう。
北條は、近くの壁に寄りかかりつつ、話を続けた。
「あの、どうしましょう? そうなると、これから……」
「まあ、落ち着けって。そんな慌てることじゃないさ」
土本はニヤつきながらそう声を掛けた。
「そうなる可能性も、考えなかったわけじゃないが。……まさか、フッ、そうなのか。断ったのか。ハハッ、断っちゃったか」
「えっ、それは、どういう……?」
調査がつまづいたにも関わらず、さも嬉しそうに笑う土本の反応が理解できず、北條は不審げな顔でその真意を尋ねた。
しかし、土本はそれには答えずに、さらにその時の様子について訊いた。
「校務員は何て言って断ったんだ?」
「えっ? ええと、『今、この事件が起こっている中、生徒会とはいえ、自分の権限では、生徒に放送室の中を見せることはできない。どうしても、と言うなら、教頭を通してやりなさい。それが筋というものだろう』とのことでした」
「へえ、『事件』と言ったか。それは、怒ってたのか?」
「い、いえ、怒る、というより、不機嫌、という感じでした」
「不機嫌か。そうか。ハハッ」
ようやく息が戻ってきた北條は、寄りかかっていた壁から離れながら、土本に一歩近づいた。
「あの、一体それは、どういう……」
「ああ、つまりだ。昨日までの時点では、校務員は、『カギを持っている人間』のうちのひとり、その程度の『容疑者』だったんだ。だけど、今日、と言うか今さっき、『生徒会が放送室内を調査する際の立ち会いを依頼したのを、事件を理由に拒んだ』という結果が得られたわけだ。つまり」
「つまり?」
「容疑者のランクが上がった」
「えっ?」
土本は、話しながら帰り支度を終え、立ち上がって教壇の方へ歩きながら話を続けた。
「だってそうだろう? そもそも、この放送の件、少なくとも今、教職員は予防策を検討している、ってだけだ。そんなに大ごとだとは思っていないはずなんだ。放送の内容も、特に問題になるようなことは言ってないしな。これが、暴動を呼びかけるとか、政治活動的なことを言っているとかなら話は変わってくるだろうけど」
「は、はあ……」
「それなのに、校務員が『事件』を理由に生徒会の現場確認をさせられないって言うなら、教職員から何か言われたとかではなく、校務員が『校務員自身の考えで』、あの放送が流れたこと自体に大きな問題があると考えて、さらに、それを理由に『生徒会を放送室に入れさせないくらい』厳重に警戒すべきと判断した、というわけだ」
そこまで聞かされても、北條にはいまいち理解できない。
土本は、鞄を教卓の上に置き、立ったまま話した。
「つまり、校務員は、例のCD-Rの内容を放送したこと、それ自体に『重大な、あるいは後ろめたい動機がある』と知っている、言い換えれば『犯人がゲリラ放送を流した意図』を正確に把握している可能性が高い、そういう人物、しかも現時点ではそれに該当する唯一の……ってこと」
「えっ?」
「今のところ、犯人からの声明もないわけだから、その意図なんて、俺たちには推し量りようもないことだし、犯人から直接聞かされでもしない限り、誰にもわかるはずがない。にも関わらず、今の時点で校務員がそれを知ってる可能性が高いとなると、少なくとも犯人に相当近い位置にいると考えるのが自然だ。そうなると、容疑者としてのランクは相当高くなる、今のところ暫定トップだ」
「あっ、そういうことですか!」
ようやく土本の長い説明の真意を知り、北條は膝を打った。
放送の内容に問題がないことから、学校側、教職員側の視点では、少なくとも、ゲリラ放送は『生徒のたわいもない悪戯』としか映っていないはずであり、実際教職員は現時点で事件の対応に積極性は見られない。
それにも関わらず、校務員が事件を大げさに問題視し、生徒会を放送室から締め出す程に生徒の動きを警戒している、という姿勢を取るということはつまり、教職員とは明らかに違う視点でこの事件を捉え、警戒すべきと考えている、ということになる。
それは、校務員が、「放送を流すこと」それ自体が「問題である」と知っていて、その問題点を把握している立場にあるということになり、校務員が犯人あるいはそれに近しい人物、ということになる。
今回、校務員は北條への対応1つで以上のことを曝け出してしまう、という重大な失敗を犯したことになる。
もっとも、それに土本が気づかなければ、その失敗もなかったことになったはずだが。
「とは言っても、校務員がとんでもないへそ曲がりで、ただの意地悪で生徒会に放送室を見せないことにした、っていう可能性もゼロじゃない。まあそれはそれで大分不自然だけどな。それに、まだ校務員が犯人という証拠もないから、これから証拠を集めていくことになるけどな」
「あの返答、たった1つから、そこまで……これで、調査は大きく前進しましたね」
北條は土本に一歩近づき、目を潤ませた。
「そうだな、これで、方向性が決まった。これからは、校務員の周辺を重点的に調べていくことにするか」
「そうですね、今まで接点がなくて、全く知らなかったので、今回改めて、校務員さんについて調べておきますね」
「あー、あと、放送室はやっぱり一度見ておきたいから、カギを開けてもらうのは、教頭先生にお願いすることにしよう」
「いいんですか? 確か先週の話ですと、教頭先生に依頼するのは、『本当にやむを得ない時』ということでしたが」
「そうなんだけど、まあ今回に限っては、やむを得ないと言っていいだろう。月山先生に依頼して放送部に余計な波風立てるよりは、教頭先生に頼む方がマシだからな。幸い、今回は校務員から『どうしてもと言うなら、教頭を通して』という言質も取れてることだし」
土本は、件の校務員の発言から、容疑が濃厚になった部分を見つけただけでなく、図らずも、この学校としては重要ではないはずの事件の犯人探しに、わざわざ教頭の手を借りることの根拠となる言質を取ることができた。「校務員から教頭先生を通すよう言われたから」というのは、立派な理由となる。
「そう……でしたね。はあ……すごい、やっぱりすごいです、土本君は」
北條は、思わず感嘆の声をあげた。
「えっ、そう?」
調査を進める上で、重要なキーを見つけて思わず熱く語っていた土本は、一呼吸置いたタイミングで北條の声を聞き、我に帰った。
「そうですよ、この校務員さんの返答1つで、ここまで調査が進むなんて。しかも、教頭先生にお願いしに行くための理由まで引き出すなんて……私にはとても、いえ、ここまでできる人なんて、他には思い当たりません。私、感動しちゃいました」
北條が土本を見上げるその目は、瞳の中に星が見えるくらい輝いている。
土本はその目を見返すことができず、目を逸らして一つ咳払いをした。
「うん……お褒めに預かり光栄だが、まだまだこれからが大変だから、気を引き締めていかないとな」
「はい、そうですね。でも今日、進むべき方向が見えたので、あとは進むだけです」
つくづく、彼女の前向きな姿勢に感服させられる。土本はそう思って頭を掻いた。
「さて……そうなると、教頭先生に話を通しに行くことになるが、今日のうちに行っておくか?」
「いえ、今日はもう下校の時間なので、明日改めて話をしに行きます」
「あ、今回は俺も行くよ」
意外にも土本は、これまであまり積極的にやろうとはしなかった「教職員との接触」に前向きな姿勢を見せた。
「えっ、そうなんですか?」
「教頭先生と直接接触する機会なんてそうそうないからな。『もう一つの事件』のこともあるし。こないだ貰った資料って、元々提出した先はおそらく教頭先生なんだろうから、調査を進める上で、多分どこかのタイミングで話を聞くことになるだろうしな」
「確かに、そうですね」
もう一つの事件も同時進行、土本はそれを忘れずに、できることは機会を逃さずやっていこうという腹積もりらしい。
「教頭先生と顔つなぎできるなら、今のうち、この機会にやっておきたい。それに、思わぬ新情報が得られるかもしれないし」
「なるほど……。では、明日の放課後、2人で行きましょう」
「うん」
2人の会話はテンポが早い。
それは、解決すべき問題と、それに関する情報を深いところまで共有できていることも理由であるが、何より受け手側、助手役である北條の頭脳と行動力に依るところが大きい。
探偵の推理に関する閃きは、一見行き詰まったかと思われた調査を進めるのには重要な一手ではあるが、それは調査のペースを早めているというわけではない。一方で、助手役の頭の回転、理解の速さと行動の早さは、ペースを早めるのに大きく寄与している。
土本は、一人で「犯人探し」をしていた時よりも、明らかにそのペースが早いこと、調査が捗っていることを実感していた。
それでも放課後の時間は限られており、既に時間は4時を回っている。用事のない生徒は下校を促される時間である。
土本は帰り支度を済ませているし、北條も手早く準備を終えた。
「じゃあ、帰りましょうか」
「そうだな」
2人はそうして、昇降口へと向かった。
土本らしからぬことに、ごく自然に女子生徒と2人で帰る流れになった。
他の生徒なら、これが当たり前のようにできるのだろう。しかし土本はそうではない。
元々、高校入学以降はずっと、行き帰りともに1人だった。それが自然だった。
しかし、今日は北條と2人で駅に向かって歩いている。
それができているのは、先週金曜日に一度、2人で帰ることができた、そういう実績を積めたことも影響している。あとは、北條の方から距離感を詰めてきてくれている、というのもある。
もしかしたら、これからもこうして、学校から駅までの道のりを、彼女と並んで歩いてもいいのだろうか。
土本はそう考えたが、そこは慎重になるべきだと考え直した。
今日は流れ上そうなっただけだ。北條にとって、これは偶然そうなっただけのこと、特に拒否するほどではない、日常の何でもないこと、あるいは警戒するほどでもない事故程度のものかもしれない。
駅に向かう道の途中、北條は土本に問いかけた。
「ところで、校務員さんのことですが。『放送室の鍵を開けてもらう件を断られる可能性』って、いつから考えてたんですか?」
「うーん、それは、正直言うと、俺が校務員に依頼することを言った時点から、だな」
「えっ、じゃあ、この事態も織り込み済みだったってことですか?」
正直なところ、この質問には答えづらいものがある。
何故なら、北條との間には「調査について余計な意図を挟まない」という約束があったので、これについては事前に説明していなかったことから、土本の意図を挟んだ、何らかの意図を持って隠した、と捉えられても仕方のないことであったからだ。
「まあ……、織り込み済みというか、『そういうこともあり得ないわけじゃない』くらいの可能性は頭の隅にはあったかな。例えるなら、『パズルのピース』みたいなもの、僅かでも可能性のあることや、事件に関連する可能性のあること、そういうものが大量にあるものとして意識しておく、って感じで」
「パズルのピース、ですか。それが、他にも沢山あるということですね?」
「そうだな。言い出したらキリがないけど、例えば、放送部員の持ってる鍵だって、部員で持ち回してるだろうから、部員全員が容疑者ってことになるし、身内で庇いあってる可能性もある。月山先生や教頭先生が犯人だという可能性も、実のところまだ完全に消してはいない。他の先生たちが、職員室にある鍵を持ち出して事件を起こした可能性だってそうだ」
「確かに、それを言い出したら……という感じですね」
「あとは、容疑者以外の情報、例えば、教職員があまり事件を問題視している様子がない、合鍵が作られた可能性が低い、外部の者がゲリラ放送をやる理由がない、とか、そういう周辺の情報も、必要かもしれないピースのひとまとまりとして置いておく。そのひと山を、常に意識しておく」
北條は、このやり取りから察するに、「校務員が放送室の開錠を拒む可能性について」及び「実際に拒んだ場合、校務員の容疑が濃くなる」という話を事前にしなかったこと、そのことを責める様子はない。
土本は少しほっとして、話を続けた。
「でも、そういう『言い出したらキリがないこと』の数々、雑多なピースについては、とりあえず頭の隅に置いておく。それを、今日みたいに、『普通ならまず起こらない事態』が起こった時に、それにうまく組み合わさるピースを拾い出してくる、みたいな感じだな。今回の場合だと、校務員が断る、それなら理由は、教師から何か言われたわけではない、また校務員はカギの持ち主であり容疑者の1人、そして校務員が自己判断で生徒会を放送室から遠ざける、それらから考えられる犯人との関連性、てな感じで組み立てていくわけだ」
土本が今まさに説明しているのは、彼の推理の根幹というか、種明かしに近いことなのだが、それを惜しげもなく北條に話してしまっている。
これを他人が知って、そして同じことをするのが可能になれば、お払い箱になる可能性もあるというのに。
かつての土本なら、こんなことは決してしなかっただろう。基本的に他人を信用しない彼が、自分の心の内、それも、他人に知られた場合に極めてリスクの高い、「趣味」に関わる重要な部分を自ら進んで他人に話すなど、まずあり得ない。
それを、懸念事項が消えてほっとしたタイミングとは言え、北條に対して、実に不用心に、手の内を晒してしまっていた。
「でも、その『まず起こらない事態』とピースを結びつけていく流れが随分早かったですね」
「そうかな? あの時は確か、生徒会からの依頼を断るなら、何か理由があるはず、それは学校の教職員の考えじゃない、校務員個人の判断にしても、どういう理由があって……っていう感じで組み上げていったんだけど」
「私から見たら、一瞬でしたよ。それこそ、事態を伝えてから、そう間を置かずに笑い出してました」
「そうだっけか? 俺にとっては、犯人との関連が浮かぶまで、それなりに時間かけて考えてたような気がするな」
「では、その時の土本君の中の時間と、私から見た時間の早さにズレがあったんでしょうね」
この話をしている間、北條はずっと楽しそうにしている。
これは、彼女にとって、そんなに楽しい話なのだろうか。
「ズレ?」
「そうです。時間って、何か新しいことや困難なことに取り組んでいる時や、嫌なことがあると、ゆっくり流れる感じがしません? 逆に、楽しい時や、ぼうっとしてる時は早いと感じたり」
「あー、そういうの、あるかも」
「ピースを組み上げている時って、おそらくは、ゆっくりに感じる要因がある、それこそ困難なことに取り組んでいるという、まさにその時なのかもしれませんね」
「おお、なんか納得できる理由だ」
「その土本君の、『時間を掛けて考えていた』という時間は、私から見たらほんの十数秒だった、ということですね」
先週、北條が完全下校の時間を、時計を見ずに正確に把握していたこともあって、時間の感覚に関する話には大分説得力がある。
「そのさ、委員長の『十数秒』っていう感覚は、果たして正確なのかな? 所詮人間の感覚なんだし、正確とは言えないんじゃないか?」
土本は、わざと「北條の時間感覚の正確さ」について疑問を吹っ掛けてみた。
「んー、それはちょっと失礼では? こう見えても私、時間の感覚については自信があるんです!」
北條は頬を膨らませてみせた。彼女にとっては怒っているというアピールなのだろうが、その顔はなんとも愛くるしい。
「へえ、自信ねえ。その自信はどこから来るんだ?」
土本は、北條の自信と能力に興味を抱き、もう少し情報を引き出してみることにした。
「そうですね、例えば、今私たちは駅に向かって歩いているわけですけど、私は今この時も、電車が着く時間に合わせてペースを考えてます。学校を出たのが午後4時7分、駅までは通常のペースですと10分ほどで着きます。電車は上り下りとも16時21分発なので、普段通りのペースで歩いていれば、4分以上遅れない限り、問題なく今度の電車に乗れることになります。これが私の『時間の感覚』です」
どうやら「時間」について語り出すと、北條は饒舌になるようだ。
「間もなく駅に着きますから、私の感覚が正しいことが、そこで分かるはずです。ちなみに、今は通常より1分遅れです」
彼女の主張が正しいとすると、歩くペース、学校の出発時間、そして出発からの時間経過を、時計を所持することなく把握していることになる。時間の感覚には自信があると言い切るだけのことはある。
そんな話をしているうちに、稲岡駅の目の前まで来ていた。
「それじゃ、答え合わせといこうか」
「はい、行きましょう」
2人は並んで駅舎の入り口を通った。
駅舎に入ると、改札口の上には大きな時計が取り付けられている。
その時計は、午後4時18分を指している。
つまり、北條が先ほど言っていた時間は、極めて正確であったことになる。
「どうです? 言った通りでしょう?」
「おお……本当だ、こりゃすごい……」
誇らしげに言う北條に、土本は控えめに賞賛を送るしかなかった。
先週も、その能力の片鱗を見たが、彼女はやはり、分単位、いやそれ以上に正確な時間感覚の持ち主だった。それを今、改めて確認した。
いやいや、おかしいだろう、なぜ30分近く時計を見ずに、現時刻が誤差1分以内で分かるんだ、もはや人間にできることじゃないぞこれ。
……とはさすがに口には出さなかったが、言いたくて仕方がなかった。そのくらい衝撃的だった。
「すごいじゃん。どうやってこんな能力を身につけたんだ?」
「どうやって、と言われるとなんとも答えようがありませんが……、普段の生活の中、時間を意識しながら生活しているうちに、自然と身についた、という感じですかね」
「ええ……それでそこまで正確な時間感覚が身につくのか……」
その時、土本はふと背後に人の気配を感じて振り返った。
電車の時間が迫っているので、改札を通ろうとしている人が後ろから来ていたのだった。そして、今の土本と北條の立ち位置は、改札の目の前。
つまり、2人は完全に道を塞いでいた形になる。
「あ、すんません」
土本は、バツが悪そうにそう言って北條の後ろに回り、後ろの上級生と思われる男子数名を先に通した。
北條は、その男子数名に続いて改札で定期券を提示して通過し、さらにその後に土本が続いて通り、ホームに着いていた上り電車の前で顔を見合わせて苦笑した。
上り列車が既にホームに着いているので、下りの列車が来るまでそう時間は掛からない。すぐに下り列車が近づく音が聞こえてきた。
「では、また明日、よろしくお願いします」
「そうだな、また明日」
土本は、挨拶もそこそこに、反対側のホームに向かって駆け出した。
跨線橋を渡って電車に飛び乗り、向かいの窓から隣の電車内を覗いてみると、そこにはやはり北條がいて、目が合うと、彼女の方から手を振ってきた。
土本はそれに応えて控えめに手を振り返すと、北條の乗った電車が先に動き出した。北條が視界の右へと流れていくのを、今日もまた、だらしなく見送っていた。
先週金曜日に引き続き、今日も北條と駅まで並んで帰ることができた。これが2回連続でできたとなれば、今後これが3回、4回、その後もずっと続くのではないかと期待してしまうのは、土本に限ったことではないだろう。
土本は、彼の人生において今までなかった「楽しい高校生活」というものが、自分にもあるのだ、今、それが自分の元にも巡ってきたのだ、と思い、高校入学以降初めて「浮かれている」という状態になっていた。
しかし、それは、彼の「犯人探し」の仕事あってのこと、その能力と労力を惜しみなく生徒会に提供し、与えられた仕事で北條から高評価を得ているからこそ、その恩恵に預かることができているのだった。そのことに、彼はまだ気づいていなかった。
そして、それは程なく思い知らされることとなる。




