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事件その1 教室荒らし(3) 後日談

 翌日、朝のホームルーム時に、北條が昨日の教室荒らしに関してクラス全員に向けてある説明をした。


「……というわけで、教室が荒らされたのは終業式の日だと思われます。たばこも吸っていたようです。ガラスを割ったのは、昨日の朝のようですね」

 昨日の土本の推理を元にした(パンチを体育倉庫の屋根上から投げて穴を開けた、ベランダをよじ登った等の話は伏せて)説明をし終えたところで、北條は教室を見回した。その時、ある1人の生徒だけが、目があった際、咄嗟に目を伏せた。

 それを確認し、北條は説明を続けた。

「ただ、犯人につながる証拠は今のところありませんので、このクラスの中に犯人がいるとは言えません。終業式の日に夕方まで校内に残っていた生徒、それを探し出して犯人を特定するのは極めて困難です。ですから、このクラスの中でお互いを疑い合うのはやめましょう。幸い、盗まれた物は何もなかったことですし……」


 その日の放課後も、北條と土本は生徒会室にいた。

 教壇から見て右前直近に位置する席の椅子に座った土本は、教壇に立つ北條に向かって期待のこもった質問を投げた。

「で、どうだった? 奴の反応は」

「はい。土本君の言ったとおりでしたね。かなり動揺してましたよ。あれでは、こちらから見たら犯人だってバレバレですね」

「そうか、そりゃよかった」

 土本は満足げに微笑んだ。

 対する北條は、意外そうな、もしくは残念そうとも取れる表情になった。

「まさか、宇野君が犯人だったなんて……」


 宇野は、進学クラスに在籍していながら、野球部にも所属し、控えではあるが投手として試合にも度々出場している。ボールコントロールには定評がある、将来有望な選手らしい。当然、身軽さもあり、終業式の日は練習で夕方まで残っており、昨日も筋トレのみではあるが朝練があった。

 土本は、昨日の朝に不審に思ったパンチの所有者を辿った所、宇野がそのパンチを拾い上げた事から、彼を疑い始めた。だからこそ、宇野が自分に疑いを向けようとした事に対して、落ち着いて対応できたのだった。

「まあ、これで奴もビビって、俺にちょっかい出してこなくなるだろ」

「でも……いいんですか? これで」

「ん? 何が?」

「だって、せっかく犯人がわかったのに」

「証拠がないんだから、犯人だって名指しするわけにもいかないだろ。他の共犯者も見つからないのに。仮に、その共犯者が見つかって、そいつらが洗いざらい白状するんなら話は変わるけど。それに、犯人を名指ししたりしたら、俺も委員長も、逆恨みされるかも知れないぜ」

「そんな……」

「まあ、いいんじゃねーの? これで。自分でも言ってたろ、被害もなかった事だし、この件はここまでってことで」

 土本は事もなげに笑い、椅子に座ったまま反り返った。

 北條はまだ何か言いたげだったが、1つため息をついて、顔を緩ませた。

「そうですね。これで、土本君への謂われなき中傷もなくなるでしょうし」


 その言葉を聞き、土本は急に反り返っていた背中を真っ直ぐに戻して、呆気にとられたような顔で北條を見た。

「えっ、まさか……そうか、委員長はそんな風に思ってたのか」

「ん? 私、何かおかしな事、言いましたか?」

 北條は、頭は良いが、世間の風評や、場の空気の類については疎い。土本のクラス内での評判も、ほとんど理解できていないようだった。

「いや、あのさ。俺が犯人だって陰口叩かれたのは、昨日一番に登校したからってだけだと思ってた?」

「違うんですか?」

「違うよ……って、まあ、こんなこと説明しても仕方ないか」

「えっ、それはどういう……」

「まあ、明日になればわかるよ。とりあえず、推理の時間は終わり。じゃあ、また明日な」

 北條は腑に落ちない顔をしながら、慌てて話題を切り上げ、足早に帰っていく土本の背中を見つめていた。


 次の日。

 いつもどおり、朝一番に登校した土本は、自分の席に座り、登校してくる生徒の様子を観察していた。

 クラスメイトたちはごく一部を除き、いつもと同じような、土本に対する警戒、侮蔑、敵意、そういった負の感情があからさまに読み取れる表情を土本に向けた。

 それを確認し、やれやれといった顔で土本は便所に向かった。

 便所からの帰り、廊下で北條は土本を呼び止めた。

「あの……ちょっと、聞きたいことが……」

「ん? 今日のクラスの反応のことか?」

 質問の内容を概ね予想できていた土本は、質問される前にその内容を当てて見せた。

「えっ、は、はい。どうしてなんですか? 土本君への誤解は晴れたはずなのに」

「ああ、それなんだけどさ。今日の放課後、ちゃんと答えるよ。放課後、少しくらい時間あるよな?」

「ええ、まあ……」


 その日の放課後。皆が教室から出ていった後も、北條は1人、教室に残っていた。

 生徒が全員教室から出た頃を見計らって、土本が教室に戻ってきたところで、待ち構えていた北條が切り出した。

「早速ですけど、どうしてみんな、土本君に対してあんな態度を取るんですか?」

「まあ、もったいつけることでもないんだけどな」

 土本は荷物を近くの机の上に放り投げ、教室内をぐるっと回りながら話を続ける。

「内部生の連中は、そもそも俺を含む外部生の存在を快く思っていないのさ。それに俺は、特待生扱いで、授業料免除になってるし。それは委員長だって知ってるだろうし、クラスのほとんどが知っているだろう」

「で、貧乏人ごときが? 内部生サマと一緒の扱いを受けていることがさ、よっぽど気に入らないんだろうよ」

 北條は黒板前で立ったままその話を聞いている。

 土本は話しながら教室の内周を一周し終えると、さっき鞄を置いた机に腰掛けた。

「そこでこの事件だ。あの連中にとっては俺を叩く格好の材料だったろうな。それで宇野の主張を疑うことなく受け入れた、といったところか」

「でも、あれはまったく根拠のない言いがかりだったじゃないですか」

「そう、言いがかりだ。だけど、クラスの連中の望む『解決』なんてのはそういうもんさ」

 

そこで土本は一呼吸置き、話を続ける。

「望む解決は、真実の究明なんかじゃない。『犯人であってほしい人間』にさ、『犯人である、と糾弾するための理由づけ』ができて、さらにその人間に『相応の糾弾』が出来さえすればそれでいいのさ。例えそれが嘘や言いがかりの類であってもな。俺にとっては全く身に覚えがないことだし、そんな扱いを受ける謂れはない。だけど、連中、そういう冤罪被害なんて全く気にしちゃいないんだよ」


 それは北條にとって、受け入れがたい言葉であった。

 人は真実の究明なんて望んでいない。

 気に入らない誰かに罪を被せられればそれでいい。

 何の根拠もなくても、無実の人を糾弾する、それがまかり通っている。

 そんな土本の主張に思わずむきになった。

「そんな! 私は絶対に認められません、真実が蔑ろにされ、謂われのない糾弾が正当化されるなんて! そんな土本君の言うような理不尽がこのクラスで起こっているなら、そんなことを見逃すわけには……」

「で、俺みたいに除け者になるか?」

 土本に遮られ、北條は絶句した。

「やめとけって。みんながみんな、委員長みたいな、誠実でまっすぐな人間ってわけじゃない。母集団の中に異物を見つけたら、異物や対抗勢力を除いた小集団を結成し、その異物を排除しようとする、それは人間の生物としての自然な反応、大抵の人間なんてその程度だ。多少の異物でも受け入れた上であれこれ考えて調和を図るなんて、そんな高度なこと、人間程度には出来やしないんだ。よっぽど知的レベルの高い個体をピックアップして作った集団でもない限りは、な。この際だから言っておくけど、委員長も結構危うい立場に居るぞ?」

 それは北條にとっては些か厳しい指摘だった。

「だって知らなかっただろ、俺がクラスでハブられてるの。それはつまり、連中は委員長に対して、みんな上っ面だけの当たり障りの無い接し方をしていて、誰も本音で話してない、後ろめたい部分は隠しているってことだ。今のうちに気をつけておかないと、委員長も『異物』になっちまうぞ」

「でも、だからって……そんな理不尽なこと、見過ごすなんて……」

 

 北條は声を震わせ、目に涙を溜めていた。

 それは自分の主張を土本に否定されたからでも、自分がクラスで除け者になりかかっていることを告げられたからでもない。

 自分の信じていたクラスメイトは真実に目を向けず、無辜の人を糾弾しようとしている、しかも自分に心を開いていない。

 その受け入れ難い現実を前にして耐えられなくなったのだった。


 流石の土本もそんな北條を前にして狼狽した。

 いつでも斜に構え、尊大な態度を崩さない土本であっても、目の前で女の子に泣かれるのには慣れていない。

「えっと……ん、まあ、いいじゃないか。今までどおり、俺は嫌われ者、委員長は今までどおり委員長、みんなのリーダーとして無難に立ち回ってればさ。俺はもうそういうのには慣れたし、委員長だってじきに慣れるさ。委員長の志は立派だと思うよ? だけどここで皆に嫌われちゃ何もかも台無しなんだから、ここはうまくやっていこう、な?」

 北條は答えなかった。ただ俯いたまま肩を震わせ、眼鏡を外して目頭にハンカチを当てていた。

「とにかく、ここまでで、もう俺が話すべきことは、全て話した。これで、もうこの事件についてはおしまい。な? お互い、もう事件のことは忘れて、また普段の生活に戻ろうぜ? まあ、そういうわけだから。じゃ、お疲れさん」


 そういって逃げるように教室から出て行く土本の後姿を、北條は涙で潤んだ瞳ではっきりと見ていた。

 そして、その瞳の奥には、何かを決意したような、力強い光が宿っていた。

 

 翌日、その日もいつものように朝早く登校した土本は、一番に教室に入った。

 はず、だった。

 しかし、教室には既に1人の女子生徒が来ていた。

 見慣れたおさげ髪、キャメル色のダッフルコート。

「おはようございます」

 その生徒は他でもない、北條である。

 北條は教壇の上にパイプ椅子を置いてそこに座り、土本が来るのを待ち構えていたのだった。

「委員長? なんで……」

 土本の問いかけに、北條は事も無げに答えた。

「私、昨晩考えたんです。どうしても、今の状態がいいとは思えないんです。でも、土本君の言うとおり、皆から嫌われたらどうにもならない。だから、いいことを考えたんです。私がでしゃばることなしに、土本君が、みんなに嫌われずに済む方法」


「……で、その方法とは?」

 土本が恐る恐る聞いてみると。

「土本君が、生徒会に入ればいいんです。そして、先日の教室荒らし事件みたいな時に、土本君がその頭脳を生かして見事解決、そういった実績を積み重ねていけば、みんなの反応も変わっていくはずだと」

 それは唐突であり、若干強引な生徒会への勧誘だった。

「えっ……ちょっと待って。じゃあアレか? 俺は今さら、こんな中途半端な時期に生徒会に入って、そんな難しい仕事を押し付けられると?」

「生徒会への加入時期なんて決まってませんよ。それに、こんな事件はそうそう起こるわけじゃありません。解決をお願いしたい事件が発生した場合、その時は私から依頼しますから、土本君はそれ以外のときはいつもどおりにしていただいて構いません。それに、探偵まがいのことは『趣味』、でしたよね?」


 この段階ではじめて、土本は自分の推理を北條に披露したことを後悔した。

「まあ、趣味とは言ったけどさ……いつも犯人がわかる、とは限らないんだぞ?」

「それならば、それでも結構です。難しいことは求めません。結果についても、私が責任を持ちますから、そこは心配しなくても大丈夫です。私も土本君の推理を手伝いますし」

 生徒会への加入は気乗りしなかったが、委員長が手伝う、という一言に土本の心が動いた。

 一人で事件を追っていてもどこか虚しさが残るのは事実で、自分の推理を素直に聞いてくれる人間が居てくれるのは、土本にとってありがたいことだった。しかも、自分の手伝いをしてくれるという。それは良く考えれば、随分魅力的な条件に思えた。


「まあ、委員長がそこまで言うんなら……」

「本当ですか? ありがとう! よかったぁ、じゃあ早速今日の放課後、生徒会室に来てくださいね!」

 北條は椅子から立ち上がり、土本の手を取った。

 柔らかく、冷たい手。土本は、実に久しぶりに女の手に触れて、その感触に驚き、心臓が即座に鼓動を強めた。

 ただ、その手の冷たさは尋常ではなかった。早い時間から寒い教室で待っていたせいだろう、すっかり冷え切って、まるで氷のようであった。


 そんな北條の手を、もう少しだけ、せめて温もりが戻るまでの間、手放さずにいよう。

 土本は密かにそう思った。

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