事件その1 教室荒らし(2) 真相編
生徒会室は、造り自体は教室と変わらないが、机が四角形に配置されており、壁際には書類のファイルがびっしりと納まった書棚が置かれている。
「どうぞ、どこでもお好きなところに掛けて下さい」
土本は言われるがまま、出入口近くの席に座った。
土本が座ると、北條は教卓の置かれた場所、ちょうど黒板を背にする場所に立った。そのまま座らずに土本に質問した。
「率直にお聞きします。今回の教室荒らしの件についてなんですが」
土本はうんざりしながら返答した。
「またそれか、さっきも言ったろ」
「土本君は、やっていない、無実である、ということでよろしいですね?」
北條はそう言いながら、土本の顔を真顔で凝視した。銀縁眼鏡の奥のまん丸の瞳は、土本の顔を真っ直ぐに見つめていた。
土本も、彼女の顔を見つめ返した。……というより、目を逸らすことが出来なかった。
整った顔立ちの彼女の、一点の曇りもない瞳に見つめられることなど、彼には経験のないことだった。
「やっていない、全くの無実だ」
土本はその圧に押されつつも、なんとかそれだけ返答した。
その言葉を聞いて、北條は微笑んだ。
「わかりました、では私は、土本君を信じます」
その言葉に、土本は拍子抜けした。
「……え、それでいいの? 追及とか、そういうつもりで呼んだんじゃないのか?」
「私は追及なんてしませんよ。土本君は嘘をついていないと思います。ちゃんと面と向かって『やっていない』と言って下さったんですから、私としてはそれ以上疑うことはありません」
「はあ……」
土本は、ここに来る前、北條からかなりねちっこく取調べを受けるものと思っていた。
北條は内部生の中でも優秀で人望も厚く、内部生の実質的なリーダーという位置づけになっているように見えたから、内部生の大方の意見を反映して、自分に対する疑いを確固たるものにしようとするだろう、そう予想していた。
だからこそ、ここに来るまでの間、この優等生をどうにかしてやりこめて、場合によっては泣くまで責めてやろう、そういうつもりでいたのだ。
それが、あまりにもあっさり、自分の言い分を受け入れるものだから、すっかり調子が狂ってしまった。
信じる、と言われてしまえば、もう委員長に突っかかる理由もない。
「えっと、じゃあ、俺はやってないとわかってもらえた、ということで、もう用はないよな。俺はこれで失礼……」
そう言って土本が立ちあがろうとするのを、彼女が呼び止めた。
「あっ、待って下さい。ここからが本題なので」
「本題?」
本題とは、要するに、北條は現場の第一発見者である土本に、当時の状況を出来るだけ克明に思い出して教えて欲しい、ということだった。
それで犯人がわからなくとも、クラスの中に犯人が居ないことくらいは明確にしたい、ということらしい。
「……なので、どうしても、最初に現場を見た土本君からお話を聞きたくて、こうして来ていただいたわけです」
どうやら本気で、北條は土本を疑う気などなく、今朝の現場の状況を聴取するために呼び出したらしい。
「まずは今朝の状況、具体的に教えて下さい。私が見た限り、冬休み中に教室に侵入し、ロッカーを荒らし、何も盗むことなく立ち去る具体的な理由が見当たりませんし、思いつきません。土本君が一番最初に現場を見た際に、もしかしたら私が見落としているものを見ているかも知れません」
北條がそう話す最中、土本はほんの少しだけ、ニヤリと笑った。それが何を意味するのか、彼女にはまだわからなかった。
「そうか、なら、見たままの状況を、なるべく具体的に、詳細に話すことにしよう。だが、まずは」
土本は席を立ち、教壇の方に歩み寄った。
「図で説明しよう。その方が手っ取り早い」
土本が黒板に何かを書くつもりと察して、北條は黒板の端に寄って黒板前の空間を土本に譲った。
土本は遠慮なく黒板前に立ち、白のチョークを1本手に取ると、黒板の中央に素早く教室の略図を書き始めた。
「ガラスが割られたのは、ベランダとの出入口になってる上下がガラスの引き戸。教壇から見て右奥だな。で、割られたガラスは、この引き戸の上部2枚」
そう言いながら、図面中の割られたガラス窓の部分を赤のチョークで塗った。
「割れ方は、こんな感じか」
更に図面の横に白のチョークで引き戸の図を書き、ガラスの割れた部分を赤のチョークで図に書き出した。
「ロッカーは半分以上が開けられていたが、開けられてないのは、まあ、犯人の気まぐれか、蓋が開かなかったかのどっちかだろう。俺みたいに、自前でカギをつけてる奴もいるからな。物が散乱していた範囲は、大体このくらい」
今度は黄色のチョークで、物の散乱していた範囲を薄く塗った。
「で、ガラスの破片の散らばった範囲は、この辺か」
続いて青のチョークで、引き戸付近を薄く塗った。
「ずいぶん克明に覚えていますね。大分参考になります」
北條が感心した様子で言うと、土本は振り返ってニヤリと笑いながら答えた。
「俺に疑いが向けられるのは、今朝の時点で想定してたからな。こういう事は先手を打っておかないと」
「先手……ですか?」
「そう。未来に起こりうるトラブルは、先回りできれば対処も苦労はない。今回みたいに、犯人のいることなら、犯人が分かればそれに越したことはない、不測の事態にも対応は容易、というわけだ」
「はあ……」
「で、今朝から自分の興味本位で犯人捜しをしてた。せっかくだから、今、その結果を委員長に教えとくよ」
さらに説明は続く。
「さて、ここで最初に俺が疑問に思ったのは、ガラスの破片の位置。掃除をしていた時には誰も何も言わなかったから、俺も黙ってたけど。一応気になったんで、撮影しておいた。これ、おかしくないか?」
土本はデジタルカメラ取り出し、それを少し操作した後に画面を見せた。
「えっ? どういう事ですか?」
北條は画面を凝視したが、不審点に気付かない様子だった。
「物の上にガラスの破片が乗ってるんだよ。犯人は何のために、ガラスを割ったんだろうな?」
「あっ……!」
北條はそこまで言われてやっと気がついた様子であった。
「ガラスを割ったのは、教室内を荒らした後だってことだ。外から侵入して、荒らしていったように見せかけたかったんだろうな。だけど、ガラスの破片まで気が回らなかったみたいだ」
「ということは……、犯人は、ベランダ側から窓を割って侵入したのではない、ということですね。おそらくは廊下から教室に入って、そしてロッカーを荒らし、教室を出てからベランダ側に回り、窓を割った、と」
「そういうことになる。しかし、そうなると何のためにそんな面倒臭い事をしたのか、という疑問が出る」
「すごいですね、土本君。私が声を掛ける前から、もう独自に調査を相当進めていたんですね」
北條はすっかり感心しきりでそう声を上げた。彼女の潤んだ眼差しに気づき、土本は顔を赤らめて思わず目を反らした。そして一つ咳払いをして気を取り直すと、説明を続けた。
「まあ……その疑問は後回しだ。まずは、教室内の状況について、残りの疑問を挙げてみよう。次は、ガラスが2枚割られていたこと」
先程描いた、割れたガラスの図をチョークでノックしつつ話を続けた。
「何故、2枚割る必要があったのか? 外部からの侵入を偽装するなら、1枚割れば十分のはず。あえて2枚割った理由は、恐らくは1回目が失敗だった、ということじゃないかな」
「右のガラスは、割れてはいるが、ガラスに何か固い物を投げつけたんだろう、そこの部分だけが穴になった状態で、ガラスはほとんど飛散せずに残っている。そしてこの穴からは、例え手を差し入れたとしても、ガラス戸の錠には届かない」
そこで左肘を高く持ち上げ、手をぶらつかせるジェスチャーをしてみせた。
「そうですね、穴から錠までの長さは……最短で、60センチ近くあったでしょうか」
「それに、そもそも穴の位置が高すぎる。だから、2枚目を割ったんだろう。左は、今度はあからさまに錠付近を狙ってる。そして今度は、ガラスが見事に飛び散った」
「そして、その破片が教室内に散乱した、と」
「そうだな」
ここで土本は、不意に笑い出した。
「ククッ、わざわざ別の窓を割り直すあたり、悪いことをやり慣れてないというか、念を入れすぎてドツボにはまっているような感じだな。ハハッ、同じ窓を割り直せば十分だったのにな。犯人は『ガラスを割って侵入』っていうイメージに囚われすぎて、おかしな行動をしていることに気がついていないんだろう」
北條にとって、その語りは、まるで、「悪いことをやり慣れた人」が、「自分ならこんなヘマはしない、もっと上手くやれた」とでも言っているかのように聞こえた。
だが、それは今この事件には関係のない、単なる憶測でしかない。それに、潔白である人に対して失礼な憶測である、と思い、その思考を急いで打ち消した。
北條は、数秒間、改めて事件のことについて頭を整理した後で、改めて質問した。
「うーん……、でも、そうなると、何を使って窓を割ったんでしょうか? 今朝の時点では、ガラスを割るのに使われたような物は無かったと思いますけど」
「ああ、それなんだけど。ここからは、一旦教室に戻ってみよう」
言い終わると同時に、土本は生徒会室から出て行こうとした。
「あっ、ちょっと、待ってください」
北條はあわててその後を追った。
教室に向かうまでの間、土本はやや早足で歩き、その後ろにいる北條は、小走りで前方の土本の後を追いながら、質問を続けた。
「なんだか、随分段取りがいいですよね? 良すぎるくらいに」
「段取りが良すぎて、かえって怪しく思えるか?」
「そんなことは、ないですけど……」
土本は若干意地の悪い笑みを浮かべつつ、言葉を続けた。
「まあ、探偵のまねごとは、『趣味』みたいなもんだ。人に話すのは初めてだけどな」
「『趣味』……ですか。以前にも、こんな風に推理したことがある、ってことですか?」
「ああ。でも、あくまで誰かに話したりはせず、自分なりに真相を突き止めた、ってところまでで、それ以上深入りはしないがな。だからこそ、これは自己満足、趣味の範囲ってことで」
そこまで話した時点で、ちょうど教室に着いた。
「だから、今回もそういうことで、その先まで深入りはしない。委員長が俺の推理を聞いた後でどう動くかは任せるが、あくまで俺はその先については、一切タッチしない。それでいいよな?」
「はっ、はい」
土本の念押しに、彼女は頷いた。
「じゃあ、窓が割られた状況、それについて俺の推理を発表しよう。とは言っても、もうガラスははめ直されてるし、掃除も済んでるから、物的証拠はほとんど無いけどな」
嫌みっぽく前置きをしながら、教室の出入り口の引き戸を引いた。
教室内は既に清掃され、生徒は誰も残っていなかった。
土本は教室の後方、割られたガラス戸の近くへと移動していった。
「写真で見たとおり、割れる、というより、ガラスに穴が開いたようになってたわけだ。このあたりに」
と、ガラスの上部の一点、今朝方割れていた箇所を指し示した。
「おそらく相当な速さでそこそこの重さ、硬さのある物がガラスにぶつかった。となると……」
そう言いながら、ガラスの穴があった辺りから、指でその「ガラスを割った物」の軌跡をなぞるように人差し指を動かしていった。その先に、教室後部の壁がある。
「ここに、ものがぶつかった痕がある。おそらく、ブツはここに当たって、跳ね返る」
指さした場所には、何かがぶつかったような凹みがついている。
「そして……この辺に落ちる」
凹み辺りで跳ね返った後の軌跡を指でなぞり、落ちたと思われる床の一点を指さした。
「それが、これだ」
そう言いながら再びデジタルカメラを取り出し、先程とは別の画像を示した。
画面には、書類の穴あけ用パンチが写っている。
「このパンチ、大きさといい、重さといい、ガラスをぶち破るのに、まさにうってつけに思えるんだよな」
そこまで黙って聞いていた北條が、ここまでの土本の推理に口を挟んだ。
「でも……、それは、ガラスの穴と壁の凹みから推測される軌跡上に、丁度パンチが落ちていた、というだけで、これでガラスを割ったとは断言できませんよね?」
「その通りだ。だけど、俺は今朝の掃除のとき、このパンチの持ち主を特定し、その後こいつがこれをどうするか、注視してた。そいつは、それをさっさと自分のロッカーにしまったかと思いきや……」
そこで一呼吸置いて話を続けた。
「さっき委員長が俺を呼び止める直前。そいつはこのパンチをバッグに突っ込んでいった。怪しいだろ? 冬休み中教室に置きっぱなしにしてた物を、なぜこのタイミングで持ち帰る必要がある?」
「それは、たまたま家で使う用事があったのかも知れませんし……」
「それにしたって、もっと堂々としていてもよさそうなもんだがな。……まあいい、それはそのパンチの持ち主を疑うに足りる理由のうちの、たった1つでしかない。次は、もう1枚の窓ガラスを割った件」
再び窓ガラスの方へと戻った。
「1回目で失敗したから、こちらは物をぶつけて割るという方法は取らないだろう。何か別の方法で、改めてガラスを割った。その方法って何だと思う?」
不意に土本は、そんな質問を投げかけた。
「えっ? えっと、じゃあ、何かで叩いたりして……?」
北條は思わず適当にそう答えた。しかし、土本はその適当な回答に満足した様子だった。
「そう、まあ十中八九そういう発想になるよな。おそらく、犯人も同じだろう」
2人は窓を開け、ベランダに出た。
1年3組の教室は校舎の2階であり、ベランダには土本の腹くらいの高さがある手すりがついている。そこにはガラスを割るような物は何も置かれていない。
「見てのとおり、ベランダにはガラスを割るのに使えそうな物はない。おそらくブツは、犯人がどこからか持ち込んだんだろう。おそらく証拠となる痕跡もほとんど消されているだろうな」
犯人につながる重要な手がかりが失われたことを、事もなげに話す土本。その口元には笑みが浮かんでいた。
「だが、そのブツは捨てようがない。校内にそんな物騒な物を捨てる場所は無いからな。どっかに隠してあるんだろう。まあ、これも重要じゃない」
もったいつけるような土本の口調に、さすがに焦れてきた北條が思わず口にした。
「それで、犯人は誰なんですか? 今までの話からでは、犯人像が浮かんできませんけど……」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに土本が答えた。
「まあ、その前に犯人がいつこの教室に入ったか、そして今日どういう行動を取ったのか、それを推理してみよう。それが済んだら、犯人を……いや、『俺が犯人と思ってる奴』を教えるよ」
ベランダから教室内に戻り、施錠しながら土本は続けた。
「休み時間のうちに確認したら、この学校では警備会社と契約していて、年末年始も警備員が見回りしていたということだった。だから、施錠がされていない箇所は施錠されるし、ガラスが割れている箇所があれば修理されるはず。それがなかったということは、ガラスが割られたのは今朝早くだと考えるのが自然だろう」
「今朝って……朝から教室を荒らして、一旦外へ出てガラスを割るなんて、何が目的なのかさっぱりわかりませんけど」
その疑問に土本は事も無げに答える。
「教室を荒らすのとガラスを割るのは、この際、分けて考えた方がいいな。ガラスを割ったのは、外部から侵入したと見せかけるための『偽装工作』なんだから。で、教室を荒らしたのは、まあ目的は置いといて、今朝やるよりも、自由に出入りできる時にやった方が自然だな」
そう言いながら、ガラスを軽くノックし、さらに話を続けた。
「今朝やったのは、『ガラスを割る』ってことだけだ。教室を荒らしたのは、おそらく2学期の終業式があった日、だから12月22日。その後、今朝になってガラスを割った、と考えるのが妥当だろうな」
「みんなが帰ってから荒らして、そのまま帰ってしまえば、ばれずに済みますね……でも、荒らした目的って、何なんでしょうか?」
「それは簡単だ。それも別の『偽装工作』だ」
「えっ?」
「たばこだよ」
「あっ……!」
床に散乱した物をどけたその下には、小さな焦げ跡が数か所発見されていた。
「あの焦げ跡、発見のタイミングが荒らされたのと同時だから、荒らした犯人がうっかり残していった痕跡、証拠のように見える。でもさ、それだと『荒らした理由』ってのが、どうしても出てこない」
そこで一呼吸置き、土本は親指と人差し指を立て、顔の前で半回転させてみせた。
「そこで、発想を変えてみる。たばこの焦げ跡をごまかすために、荒らされたように見せかけた、となれば、全て辻褄が合うんだ」
「教室で喫煙。確かに、それがバレたら大変と考えて、慌てて誤魔化そうとする、ということなら理解できますね。泥棒の仕業なら、ついでにたばこの吸い殻を捨てていっても不思議ではない、と」
「そういうことだな。それに、床の焦げ跡付近にあるしみの状況から見ると、何かの飲み物をこぼしている。痕跡の数から見て、1人じゃないな。クリスマスパーティー的なことでもやってたんじゃないのか? 今朝俺が来た時には、ほんの少しだけアルコールの臭いが残ってたから、酒も入ってたかも知れないな」
「教室内で、お酒も……ですか。終業式の後とはいえ、随分大胆ですね」
呆れた様子で北條が呟いた。
「どこで我に返ったんだかわからないが、床の状況を見て、相当慌てただろうな。で、拭き取っても消えないたばこの焦げ跡の始末に困った。そこで、教室が荒らされたように偽装して、荒らした奴がついでにたばこを吸ったように思わせようとしたんだろう」
「なるほど……」
「犯人もそこで一度は安心して家に帰ったんだろう。でも、その後、どこかのタイミングで、教室が外から侵入出来ない状況であったことに気づいた。冬休み中、気が気じゃなかっただろうな。そこで、ガラスを割ることを思いつく」
「……それを実行したのが今朝、というわけですか」
「そういうことになるな」
北條は、少し納得がいかないような表情で、ベランダの外を見回した。
「でも、1回目の、パンチを投げ込んでガラスを割ったという話。あれが疑問なんですが、どこから投げ込んだんでしょう? 下からではガラスは見えないし、至近距離から投げ込むのは不自然ですよね?」
「そう、では次、今朝の犯人の行動、それについて推理してみよう。まず1枚目のガラスを割った件」
そこで土本は、どこからかガムテープを取り出してきて、ガラスの中央辺りにそのガムテープを×印に貼った。次に、ベランダの外にある体育倉庫を指さした。
「それは、あっちに移動してから話そうか」
「……ここからでもガラスは見えませんよ?」
体育倉庫の前まで来た北條は、つま先立ちで教室の方を見ながら言った。彼女の立ち位置から教室までは目測で12~13メートル程度離れている。
「そうだな」
北條より頭1つ分背の高い土本の視点から見ても、ガラスに貼ったガムテープの印は見えていないらしい。
「じゃあ、やっぱり登るしかないな」
土本は部室棟脇に積み重ねられていたタイヤを踏み台にして、部室棟の屋根に乗った。
「登れる?」
北條は土本に続いてタイヤに登ったが、そこから屋根まで行くところで一旦下を見て躊躇した。
その様子を見て、土本は作り笑顔を作り、無言で手を差し出した。
北條は恐る恐る土本の手を握り、屋根の上に立った。
屋根は真っ平らなコンクリートで、そこからは、先ほどガラスに貼ったガムテープの×印がはっきり見えた。
「距離は野球で言えばバッテリー間の距離より少し近いくらい、高低差もほとんど無く、若干こっちが高い程度」
土本はそこから×印の方向を撮影すると、デジタルカメラを内ポケットにしまい、野球の投手の投げ方を真似しながら言った。
「まあ、当てられないこともないかな」
そこで北條が冷静に条件を付加する。
「犯人が、ボールじゃない物でも、この距離で投げて、狙ったところに正確に当てられるなら、ですけど」
「できるさ。投げ込んでる奴なら、その辺の石だって正確に当てられる」
「そうなんですか?」
「そうだよ。野球でピッチャーやるのは大抵そういう奴だからな」
「犯人は、ここからパンチを投げて、1枚目のガラスを割った。でも、近づいて見てみると、割ったところからクレセント錠に手が届かないことに気づく。そこで、改めて割り直すことにした、ってところか」
土本はそう言うと、屋根から地面まで一足で飛び降りた。
そんな芸当は出来るはずもない北條は、また恐る恐るタイヤに足をつけ、そこからやっと下に降りてきた。
「でも、ベランダまではどうやって行くんですか? 施錠された状態だと、ベランダにも行けませんよ」
北條はベランダの下まで行き、ベランダを見上げてつま先立ちし、手を伸ばしてみた。いくら手を伸ばしたところで、その手はベランダの下にすら届かない。
この校舎のベランダは、教室を経由する以外に出入りする経路はない。
「行けるよ。まあ見てな」
ベランダの外側には丁度手が掛けられそうな段差がある。そして、ベランダの下には、雨水を排水するためのパイプが通っている。そのパイプは見た目は頑丈そうな作りだが、どれほどの強度があるのかは推し量りようがない。
土本は軽くジャンプしてパイプに手を掛け、そこからさらにベランダ外側に手を伸ばした。懸垂の要領で体をパイプに引きつけ、段差にさらに手を伸ばすと、指が段差に引っかかった。
あとはロッククライミングの要領でコンクリートの壁を登り、楽々とベランダに到達した。長身で細身かつ身軽な土本だからできる芸当である。
「ほら、行けるだろ? まあ誰もが出来るってわけじゃないが」
そう言った直後、また飛び降りてきた。
「なるほど、これなら昇降口を通ることなく、短時間でベランダに入ってガラスを割れますね。ということは、犯人は……」
北條はひと呼吸おいて続けた。
「12月22日に遅くまで学校に残っていて、今朝早く登校した人。それから、ある程度正確なコントロールでパンチを投げられて、外からベランダに侵入できる身軽な人……ですね?」
その答えに、土本は大きく頷いた。
「そう。じゃ、誰が犯人なのか、わかるか?」
「いえ……」
「だろうな。俺もこの条件に合致している人間が1人だけいる、ってことがわかってるだけで、物的証拠は何一つない。だから、まだ今のところは、容疑者が1人に絞れた、ってだけだ。そこで、もうひと押し、そいつを犯人と推定できる材料を引き出してみたい」
「え……どうするんですか?」
「それはさ……」
土本は、北條にある事を提案した。




