事件その2 ゲリラ放送(6) 第1回定例会【後編】
証拠の精査は、土本の書き起こし、チェック事項の確認で一区切りついた。あとは、今後の調査方針についてである。
「では、今後調査をどう進めていくか、それについて決めていこうと思いますが……、何か、考えがありそうですね」
「うんまあ、あると言えばある。そんなしっかりした考えではないけどな」
「聞かせてください」
「DJピンキーについては、放送部からの情報次第だけど、とにかく調べられるところまでは調べていこうと思う。できれば、校務員との関係性まで」
それは、つまり声の主と犯人に何らかの関連性を感じている、ということ。
「何か繋がりがあると考えている、ということですね。その根拠をお聞きしても?」
「根拠ってほどじゃないけどな。全く意味もなく過去の録音を流すとは思えない。そして、おそらくお蔵入りになった番組は他にもあるはずなのに、DJピンキーの番組を敢えて選んだ、またはそれだけしか入手できなかった、そこには何か意味がある。放送を流した犯人を見つけても、そのゲリラ放送に至った背景を解明できなければ、俺にとっては『解決』とはならない、ってことだ」
その言い分は、個人的趣味で犯人の事情を掘り下げる、というように聞こえる。
「それは、自己満足のため、と解釈してもよろしいですか?」
「そう思ってもらっていい。だけど、それだけじゃない。放送に至った経緯を知る、解明する意味はあると思う。だが委員長が不要だと思うなら、これは一旦やめておいて、今は犯人探しだけをやることにしてもいい。後で余裕ができたら、俺の趣味としてやるだけの話だ」
先程の土本の自己満足のためとも取れる発言と合わせて聞くと、「ここからは俺の趣味の範疇だから、ついて来なくてもよい」とでも言いたげに聞こえる。
「私も、これが何か理由があってのことなら、その理由を知りたいです。その理由次第では、犯人に悪意がないと解釈できる可能性もありますし。それに、その事情に対して、私たちに何かできることがあるかも知れませんし」
北條は予想通りの反応を示した。やはり、とことん付き合うしかない。土本は覚悟を決めた。
理由を知れば、放ってはおくまい。「解決」に至るまで、関わらざるを得ないのだろう。
「うん。それに、ゲリラ放送の犯人を見つけた段階になった時に、その犯人を問い詰めても、動機を素直に話してくれるとは限らない。だったら、こちらで調べられるところまでは調べて、本人に、『これはこういう理由があってのことなのでは』と直接問い質すための材料を持っておく意味はあると思う」
「なるほど……」
その、本人に問い質す役目を、これから北條に負わせる可能性があることには、敢えて触れなかった。
「それと、犯人を特定するには、やはり最低限、放送直前に放送室に入ったという証拠はほしい。そうなると、火曜日の夕方から水曜日の朝にかけて放送室に入った人物について、客観的に見て明らかになるような証拠を、どうにかして入手することになる。できればその写真か映像か」
「あっ、その件なんですが」
北條は、昨日叔父から借り受けた8ミリビデオカメラの件を話した。
「……マジか、それはありがたい」
「これを、火曜日の夕方設置して、翌朝回収、そうすれば、侵入した人がビデオに映っているということですね」
「ああ。それがバッチリ映っていれば、決定打になるな」
「それと、一昨日の夕方の話ですが……」
続いて北條は、放送室に入った者を目撃した件について、その一部始終を詳細に説明した。
「おお……それは……」
「おそらく毎週、いえ、毎日、点検の名目で入っているのではないでしょうか」
「かもな。なら、来週からカメラを設置すれば、放送室に入ったところを撮れる可能性は大いにある、ってことだ」
「どうですか? 重要な情報、でしたか?」
土本の反応を窺うように、北條は尋ねた。
「ああ、これは本当に、いい情報だ。よくやってくれた、ありがたいよ」
「……よかった、私もお役に立てましたね」
土本は、その返答に違和感を覚えた。
まるで、初めて役に立てたかのような。今まで役に立てていなかったかのような。
もしくは……。
「お役に立てたって……、今までだって、大分助かってるんだけど」
「そうですか? そう言っていただくと嬉しいですね、ありがとうございます」
内部生で、成績ランキングのトップ3常連、更には1年生ながら、既に生徒会からの信頼を得ている優等生。周囲からの賛辞は十分に受けているだろう。そんな人物が。
凡人に対して、気後れするなど。
この調査において、力不足を感じているなど。
そんなことは、あり得ない。
「試しに今日、設置してみるか。もし今日も映っていれば、火曜日の放課後、実行するところが撮れる可能性が上がってくるな」
いや、もしかしたら? 受けていないのか? 周囲からの賛辞を。
そう言えば、誰も面と向かって、彼女を褒めていない。少なくとも、それを見聞きしたことはない。皆、それを当然の事として、特に反応を示さない、何の声も掛けてやっていない。
だから、自分が優秀であると分からない。そうとは気づかない。優秀どころか超人級なのだが、当の本人は、そうとは思いもしないということか。
自らを凡人と思い込んで、その能力を活かすことを考えもしない、可能性に蓋をしている。
そういうことも、あり得るのか?
「そうしましょう、カメラと三脚は教室にあるので、後で設置してみましょう」
「そうだな。それで、今後はそのカメラの映像を毎回確認するってことでいいな。放送された時に、前日放送室に入って放送機器を操作した状況が撮れていれば、それで犯人確定ってことだ」
今はそれよりも、調査のことを考えよう。土本はそう思い、カメラの事に意識を向けた。
「では、今後の調査方針は、ビデオ撮影と放送部からの聴取を元にした、DJピンキーの正体、それと校務員さんとの関係性の解明、ということですね」
「ああ、そうだな」
「それでは、本日の定例会は以上、ということで。では教室で、カメラ設置をやってみましょう」
北條はそう言うと、ノートと筆記用具を手早く片付けていく。
土本も立ち上がり、黒板を消した。
その北條の一連の動作は、やはり時間を気にしてか、急いで先へ進もうとしているように見える。
生徒会室にある時計は、4時45分を指している。カメラ設置の時間を考えると、あまり時間的余裕はない。
なるほど、この定例会の後にカメラ設置を考えていたなら、急ぐのも納得できる。
生徒会室に鍵をかけ、続いて2人で備品倉庫の中から卒業生名簿を持ち出し、その名簿の束を土本が抱えて倉庫を出た。
1冊当たり厚さ5ミリ程度の名簿でも、数年分となればそれなりの厚さ、重さとなる。
それを脇に抱えて、土本は教室へと向かい、北條はそれに続いた。
生徒会室から教室に向かう途中、北條は土本に声を掛けた。
「ちょっと気になったんですが、卒業生名簿の件、1人で全て確認するのは、やはり何か『意図』があってのことですか?」
先ほどは時間の都合もあって深く掘り下げていなかったが、やはりどうしても気になっていたことを聞かずにはいられなかったため、今聞いてみたのだった。
「うん、まあ。委員長を信用してないとか、そういうのじゃないんだけど、一度は生徒会で目を通したものだし、これは正直言って、俺が気になって、自分の目で確認したいと思ったってだけの再確認だからな」
「そこは、気になさらなくてもいいんですけど」
「それに、これってどうしても、確認者ごとに基準が変わってくると思うんだ。確実性を求めるなら、誰か1人が、一度全てに目を通すのがいいだろう。だから、まず俺がやって、それでも、どうしても該当者が見つからなければ、委員長に頼むことになるかもしれない。その時は、よろしく頼むよ」
とは言ったが、こんな面倒な作業を、自分のところで結果を出せずに北條に回す、という事態は極力避けたいとは思っていた。
「……わかりました」
「なるべくそうならないように、該当者を探してはみるけどな」
実は、それは「表向きの理由」であり、真意は別のところにある。
要は、北條にいいところを見せたいという、土本なりの不器用な「かっこつけ」であった。大変な作業をあえて引き受けることで、男らしさを見せようとしていた。
それを北條がどう捉えたか、土本には今のところ見えていない。ただ、マイナスにはなっていないだろうという自信はあった。
教室に戻り、北條は8ミリビデオカメラと、三脚を出してきた。
「これです。テープはとりあえず3本は用意してあります」
「おお……お高いビデオカメラがここにある……」
自分の経済状況ではまず買えない高級品を前に、土本は思わず感嘆の声をあげた。
「これって、そんなに高いものですか?」
「もう世に出てきてしばらく経つけど、まだ10万円以上はするんだ。うちではとても買えない代物だ」
「うちでも、そう頻繁に撮影する機会はないので、叔父のものをお借りしている状況ですけどね」
「これを借りる以上は、何としても侵入者を撮っておきたいところだな」
「……ところで、設置場所についてですが」
カメラを手に取ってしばらく眺めていた土本に、北條はやや冷めた声を掛けた。
「うん、ああ、そうだな」
「廊下から放送室を見下ろすことはできましたが、さすがに廊下にカメラを設置するわけにはいきませんよね」
「まあな。でも、あそこなら」
土本は、廊下の窓の反対側、廊下と教室の間にある壁の、上にある窓を指した。
「上の窓は開くし、そこにカメラを設置すればいけるんじゃないか?」
1年3組の教室内から見ると、床から壁上部の窓までの高さは、2メートル少々ありそうだった。
「三脚はそんなに高くはできませんよ?」
「なら、机で上げ底するか」
土本は躊躇なく、廊下側の机をいくつか動かして台を作った。
そこに三脚を立てて、さらにビデオカメラを取り付けた後、カメラ下の支柱を一杯まで伸ばした。
「これを机の上に置けば、とりあえず何とかなるだろう」
そう言うと、土本は上履きを脱いで机に乗り、そこに三脚を立てた。
カメラのレンズは、ギリギリ窓の高さに届いている。そして、カメラの画面を下に向けて、下から映像を確認できるようにした。
土本が乗ったことで机が揺れ、互いに接触してガタガタと音を発しているため、北條は心配になってきた。
「だ、大丈夫ですか?」
「問題ない。えっと、ちょっと遠いか? ズームしてみるか」
机が揺れるのも気にせず、土本がカメラを操作すると、放送室の窓が少し大きく見えるようになった。
「これで撮影しておいて、明日の朝、カメラを回収して机を元どおりにする。とりあえず今日はこれを試してみよう」
「そ、そうですね、明日ビデオの映像を確認してみましょう」
揺れやすい机の上に立てられた三脚とカメラを見て、北條は不安になりながらも、カメラのモニターに放送室の窓が映っているのを確認した。
「明日の朝、このままにはしておけないから、俺が登校したらカメラを片付けて、机を元に戻しておくよ。カメラは、委員長のロッカーに入れておけばいいよな?」
机から降りてきた土本は、上履きを履きながら言った。
「はい、それでお願いします」
「ところで……そろそろ、5時10分なわけだけど」
土本は、窓の外を気にしながら声を掛けた。
「そうですね、毎日決まった時間に来ているなら、今日もそろそろ来てもいい頃かと」
「……見てみるか、一応」
カメラ設置まで、放送室に人が入った様子等はない。今日来るとすれば、今からそう遅くならないうちに来る可能性は十分ある。
「でも、ビデオで撮影してますよね?」
「まあ、そうなんだけど。あれはあくまでビデオだから、証拠にはなるけど、実際映像で残したものと、実際肉眼で見たものとでは、鮮明さも見た感じの印象も違うからな。実際放送室に入った人を見られるものなら、今日のうちに見ておきたいし」
北條は一瞬考えてから頷いた。
「そうですね、では私も、時間まで待ってみます」
北條の言う「時間」とは、完全下校の時間、つまり5時半のことだと思われる。
あと20分、その短い時間、薄緑色の作業服の者が来れば、ほぼ毎日、この時間に放送室に入っていると判断していいだろう。
2人は廊下の、柱に近い位置に立ち、そこから旧校舎の1階、放送室の窓を見下ろして、そこに人が入るのを待つことにした。
辺りはもう陽が落ちて、まもなく夜になるという頃である。
放送室は、明かりが消されていて、人の居る様子はない。今から人が入るとすれば、おそらく明かりをつけるだろう。
ただ黙って待つ20分というのは、実際やってみると随分と長く感じられる。
その沈黙に耐えられなくなった土本は、とにかく何でもいいから、何か話題を、と考えた。
「ところで……、この、『木曜探偵班』ってさ、ゲリラ放送と、備品盗難の件が解決したら、どうなるんだ? 活動終了なのか?」
「まさか。仮に今生徒会で調査すべき事件が全て解決したとしても、次の事件までは活動は一時休止になる、というだけですよ。それに、今は『例の件』、つまりは備品盗難疑惑の件を優先させて、他の案件に手をつけていないだけです。やることはまだあります」
やることはまだある。
……つまりそれは、今依頼された事件を早期に解決しても、まだ「木曜探偵班」としての活動は続くということ。
「そうか……、なら、できればこれも、備品の件も、早いところ解決させたいな」
「はい、そうしましょう」
その時、土本が窓の方を見て声を上げた。
「あっ」
「えっ?」
土本の方を振り向いていて、窓から目を離していた北條は、土本の声に反応して窓の方を向いた。
放送室の明かりが点き、薄緑色の作業服の男が放送室に入ってきた。
「マジかよ……、来たぞ」
「はい、今日も来ましたね。それも、一昨日に近い時間です」
北條は、身を隠そうと柱の方に体を寄せた。しかし、北條と柱の間には土本がいる。
土本は、北條と柱の間に挟まれる形になった。
「やはり、毎日ここに来ている、と判断してよさそうですね」
北條は窓から見える光景に夢中になり、自分の身体のことに全く気づいていない。
「そ、そうだな……」
土本は努めて平静を装ってはいる。しかし、背中の感触を受けて、その平静が大いに揺らぐ。
その男は、放送室の中を軽く見回して、すぐに出入口の方へ向き直り、出て行こうとした。
その時、男はふと足を止めて、機器の裏から垂れ下がっている1本のコードを手に取り、先端をCDデッキの上に丁寧に乗せて、放送室を後にした。
「やはり、あのコードが気になるようですね」
「ん、ああ、ラベルを貼ったのは正解だったな」
男が手に取ったコードには、ラベルが付いていた。それは、先日土本が貼ったラベルに間違いないだろう。
「今の様子、撮影できていたか確認してみましょう」
北條は足早に教室へと戻っていく。
土本は「平静」であろうと、一度深呼吸をしてから、ゆっくりと教室に戻った。
三脚からカメラを取り外し、先ほどの録画を再生させてみると、若干ぼやけた映像ながら、侵入者が判別できる程度の画質で映っている。
「成功ですね」
「そうだな、でも一応、今日はこのまま録画を続行しよう。暗くなってからも外が映るかどうか、一応確認しておきたいしな」
「そうですね、そうしましょう」
北條がカメラ本体に付いた小さなモニターを覗き込む際、彼女の頭は土本の頬に触れそうなほど近くにあった。
先ほどよりは幾分落ち着いてきた土本だが、やはり刺激が強い。直接触れずとも、体温を感じる。甘い匂いがする。
落ち着け、と何度も心の中で念じながら、粛々と調査を進めていた。
カメラを再び三脚に設置して、机から降りたところで時計を見ると、もうすぐ5時半になろうという時間であった。
「もうこんな時間か……」
「はい、急いで帰りましょう」
ということは、今日は2人で帰る、そのつもりがあるということだろう。
「よし、じゃあさっさと帰ろう」
土本は、余計なことを言わないように、そのまま2人で帰る流れを壊さないようにと気をつけながら、自分の机の上に置いていた卒業生名簿をカバンに詰めて、帰り支度をした。
そうして、この日やるべきことを一応終えた「木曜探偵班」の2人は、完全下校の時間に校舎を出て、駅までの道を並んで歩き、互いに反対方向へ行く電車に乗り、窓越しに手を振り合って帰途に着いた。
まただらしない顔をして北條を見送った土本であったが、電車が動き出して数分後には正気に戻り、すぐにカバンの中身に意識を向けた。
先ほど備品倉庫から持ち出した卒業生名簿、そのうち1989年度のものを手に取ってみた。
1000人以上の人名が記載された名簿は、厚さはせいぜい5ミリ程度だが、その中身は文字でびっしりと埋め尽くされており、氏名だけでなく、住所、電話番号、進学・就職先までが記載されている。
当然、確認すべき箇所は氏名だけなので、氏名の欄だけにざっと目を通していく。
それが、文章を目で追うよりはるかに辛い作業であることに気づいたのは、まだ数ページしか目を通していない時だった。
しかし、自分でやると言った手前、簡単に投げ出すわけにもいかない。見落とすことのないよう、注意深く、名簿に記載された名前に一つ一つ目を通した。
そうして帰宅後も、名簿の氏名を注意深く確認していると、いつの間にか居眠りをしてしまっていた。
時間は午前零時15分。
机に向かって座った状態で、名簿の上に突っ伏して寝ていた土本は、風で雨戸が揺れる音で目を覚ますと、涎が名簿に垂れているのに気づいて、急いで袖で拭った。
すると、その名簿の、氏名欄に貼られた紙が一部剥がれた。
おそらく修正すべき箇所が判明して、既に印刷をかけてしまった名簿を訂正するためなのだろう。そこには、元の名簿の氏名欄の上に、訂正した氏名欄を貼り付けられていた。そこで、探していたものを見つけたのだった。
訂正後の氏名欄には、「◯川」の姓が記載されている。そして、訂正前の同欄に記載されていたのは、違う姓だった。
そういうことか。
事態を察した土本は、当該ページに付箋を貼り、その「◯川」という女子生徒に関する記載事項を、メモ帳に書き写した。
おそらく、この女子生徒が「DJピンキー」に間違いない。あとは、この女子生徒に関する情報を調べていけば……。
土本は、真相に着実に近づいている実感を得て、この地道な作業へのやる気を取り戻した。
そして、その他に同様の訂正がないかも含めて、目を擦りつつ名簿の確認作業を再開した。




