プロローグ 取り立てて、特技もありません。
『拝啓、田舎の爺ちゃんと婆ちゃん。
進学するにあたって東京に出てきて、かれこれ2ヶ月が経過しました。桜の季節も雨の季節も、このコンクリートジャングルの中では、いかようにも感じづらいです。そう思うたび、田舎で二人と一緒に畑を耕していたのが懐かしく感じてしまいます。ここでは蛙の声もしないし、ザリガニを獲って遊ぶこともできません。その代わりと言っては何ですが、アパートの近くでネズミ捕りはよく行われているようですが。
そんな冗談はさておいて。
今日はお二人に報告というか、お伝えしておくことがあります。まさかと驚かれるかもしれませんが、僕はこの度――』
◆
「えー……次の問題は、そうだな。田中、答えてみろ」
「あ、はい……!」
僕は授業中にこっそりと書いていた祖父母への手紙を仕舞い、ゆっくりと席を立った。そして数学の問題が書かれたホワイトボードへ向かい、記号やら何やらの方程式と向き合う。
途中まではどうにか計算を進めるが、しかし中盤で詰まってしまった。
「すみません。ここから、分からないです」
「いや、それでいい。ここからが今日の範囲だからな」
そのことを素直に謝罪すると、数学の先生は十分だと頷く。
そして、僕の解答を引き継いで説明を始めた。
「……なんだ。つまり、ちょうどいい当て馬、みたいなことか」
数学的センスがあれば、きっと今の問題も解けるのだろう。
だけど、僕こと田中慎太郎にそんなものはない。すなわち他の生徒に説明する際、手頃な駒として利用されたということだった。共通認識の共有に一役買った、といえば聞こえはいいけどね。
そんなこんなで、席に戻った僕は改めて手紙を机から取り出す。
そして、こっそりペンを走らせようとした時だった。
「あぁ、今日はここまでだな。……日直、号令」
どうやら、数学の授業はここまで。
先生の言葉に日直が反応して、起立の号令をかけた。
仕方ない。二人への手紙は、また今度の機会に書いておこう。
「ありがとうございましたー」
そう思い、僕は周囲に倣って間延びした挨拶を口にするのだった。
◆
「おーい、田中ー!」
「どうしたの。赤城くん」
そんなこんなあって、ホームルームを終え。
僕が教科書の類を鞄に放っていると、前の席の金髪男子――赤城くんが、どこか嬉しそうに笑いながら声をかけてきた。彼とは地域こそ違うが、同じく田舎の出身。
もっとも容姿端麗、運動神経抜群な赤城くんはすでにクラスの中心人物だった。
髪もいつの間にか染めてしまって、すっかり都会に馴染んでいる。
「今日、このあとカラオケ行くんだけど。田中もどうよ」
「あー……ごめん。僕、今日はバイトだ」
「そか、それならまたな!」
そんな繋がりがあるからか、彼なりに気を遣ってくれたのだろう。
しかし僕は予定を理由にそれを断って、一つ愛想笑い。すると赤城くんは残念そうに眉をひそめ、しかし努めて明るく手を振ってくれた。
彼のような人柄であれば、きっとどこへ行っても好かれる。
自己卑下するわけでもないのだが、自分には到底できそうになかった。
「それじゃ、お先に」
「おー! 次は絶対にこいよー!」
「考えとくよー!」
そんなことを考えながら声をかけると、やはり彼らしい返事をくれる。
僕は教室の出口に向かいながら、少し大きく言葉を返すのだった。そして廊下に出て、階段を降りて生徒玄関へ。靴を履き替えて、どんよりとした曇り空を仰いだ。
この様子だと、一雨きそうだった。
「あー、傘忘れた。……まぁ、いっか」
ぼんやりと、そう呟く。
もっとも自分のバイトを考えれば、そっちの方が都合がいいけども。
「さて、準備しようかな」
僕は一つ気持ちを切り替えて、人気のない路地裏へ向かった。
そして、黒革の手袋を装着し――。
「よし、行こう」
ちょっとだけ刃渡りの長い包丁を一つ、鞄から取り出すのだった。
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