影喰い様
ほんの些細な出来心が始まりだった。
最近ウチの部署に異動してきたクソ上司はノルマに異常に厳しく無理難題も押し付けてくるような奴で。
過剰なノルマを達成するために増えていく残業時間は青天井で。
数年ぶりに会った高校時代の友人達とやけ酒を酌み交わしたせいで。
居酒屋から出た後も缶ビール片手にふらつく足取りで俺達の足が向いた先は小此木神社だった。
ここ小此木村唯一の神社で、古くからこの村で信仰されている影喰い様の宝刀が本殿に奉納されているという。
悪い瘴気をその刀で断ち切り、恵みをもたらすとされる小此木村の豊穣の神、影喰い様。
しかし、実った作物を盗もうとする者、信仰心を持たず悪さばかり働く村民にはその刀で影を斬られ、喰われてしまうとも言い伝えられている。
故に、村民は懸命に働いて作物を作り、影喰い様を熱心に信仰せよとのことらしい。
俺から言わせればそんな迷信なぞクソ喰らえだ。
神様が本当に存在するのなら、パワハラを受けながら必死に毎日働いている俺を助けてくれてもいいじゃないか。
神様なんていない、いや、不遇な立場の俺を助けてくれない神様なんかいらないと、本殿の扉に貼られた御札をひっ剥がした。
神社全体が寂れ切っており本殿の扉に鍵はかかっていないので、あっさり扉を開けて影喰い様の刀を手に取ることができた。
拍子抜けするほどだった。
鞘から抜いた刀は若干錆びているものの、鉄でできた本物の刀で、やっくんとなおちゃんも感嘆の声を上げている。
街灯に照らされた刀身は妖しげに光っているが、神様の持つ刀が鉄でできているのかと真面目に考え出すとなんだか酷く安っぽく思えて笑えてくる。
えい、と近くの木に向かって適当に刀を振るってみると、思いのほか深々と突き刺さってしまい抜くのに苦労した。
頑張って引き抜こうとするもなかなか抜けず、2人はそんな俺の姿を見て大笑いしていた。
良くないことをしているのは自覚しているが、社会人になって数年、鬱々とした日々の中、久しぶりに旧友たちとバカ騒ぎが出来たと思うと結果オーライだ。これくらいの悪事は神様も見過ごしてくれるだろうと、この時はたかをくくっていた。
そんなスッキリした気分で刀を本殿に戻し、何事もなかったかのように3人並んで帰ろうとした時――――
やっくんは訝し気に眉をひそめ、街灯に照らされて浮き出る自分達の影を指差した。
それにつられてなおちゃんも自分達の影に視線を落として顔を引きつらせた。
俺達3人の、首の影だけが写っていなかったのだ。
次の異変に気づいたのは翌朝だった。
なおちゃんから着信があり出てみると、電話口に出ているのは彼女の母親だった。
――――娘が昨夜、事故で死んじゃった。
放心した声で短く言った。
自宅マンションの階段から足を滑らせて落下、打ち所が悪く、首の骨を折ってしまったらしい。
昨日娘が俺とやっくんとの3人で会う約束をしていたことを事前に聞いていたらしく、昨夜どんなことをしていたか、娘に変わったところはなかったのかと質問された。
娘は昨夜酩酊状態になるほど酒を飲んだのかと問われたので、2,3杯ほどカクテルを飲んだくらいだったと正直に答えたものの、母親の反応は疑わしげだ。
とはいえ、実は小此木神社に行って本殿の刀を使って悪ふざけしましたなんてことは
口が裂けても言えない。
影喰い様に対する村全体、主に高齢世代の信仰は未だに厚く、神社の本殿を開けたなんてことがバレたらその家族ごと村八分にされてしまう恐れがあるからだ。
特に変わった様子は見受けられませんでしたと冷や汗を流しながら答えた。
影喰い様の呪いなんて実在しない。
昨日帰り際に見た首なしの影は、酔っていて錯覚を起こしただけだ。
だから彼女の死は本当にただの偶然の事故死なのだろうと自分に言い聞かせる。
それからほどなくしてやっくんからも電話がかかってきた。
彼もなおちゃんの母親から電話があって色々と探りを入れられたのかもしれないと思いながら電話に出ると案の定だった。
声が震えてしどろもどろな口ぶり。
かすれる声と乱れる呼吸音。
かなり狼狽しているようだった。
いや、狼狽というより、どうも様子がおかしい。
なおちゃんの事故死に困惑はしているようだが、それだけではない。
言っていることが意味不明で支離滅裂なのだ。
――――自分の顔がどんなだったのか分からない。
彼の言動の真意が読み解けず、鏡で自分の顔見ればいいだろうと適当に返すと、鏡に自分の顔が写らないのだという。
意味が分からない。
恐怖や不安で頭がおかしくなってしまったのか。
かなり動揺しているようだったのでとりあえず会って話そうと落ち着かせるようになだめ聞かせ、昼頃、駅前にある小さな喫茶店で待ち合わせをした。
先に着いてテーブル席に座っていた彼は何かに怯えるようにガタガタと身体をわせている。
彼の身に一体何が起きているのか。
注文したアイスコーヒーで一旦喉を潤し、彼は語り始める。
朝起きて歯を磨きに洗面台に向かってからすぐに異変に気付いたらしい。
鏡には首のない自分の姿が写っていたと。
始めは幽霊が写ったと勘違いして思わず叫んでしまうほど驚いたそうだが、よくよく見てみるとよれよれのナイキTシャツを着た男は紛れもなく自分だと気づいた。
しかし、おかしなことはそれだけじゃなく、叫び声に気づいて洗面台にやってきた母親の目には、鏡に写る息子の顔はしっかりと視えていたようなのだ。
おかしな事はまだ他にもあるんだと言ってスマホを俺の目の前に掲げる。
昨日3人で居酒屋で呑んだ時に撮った時の写真だった。
「スマホで撮った写真にも、俺の首だけが写っていないんだ」
この写真だけじゃないと、彼は自分が写った過去の写真を次々とスクロールしては
見せてくる。
これも――。
これも――――。
この写真も――――――。
どの写真にも自分の首だけが写っていない。
俺はだんだん自分の顔がどんなだったのか思い出せなくなってきたと。
半ば錯乱しながら見せ続ける彼の写真にはどれもしっかりと彼の笑った顔が写っていた。
なおちゃんが急に事故で亡くなって心が疲れているだけだとなだめ、家に帰って酒でも飲んで一旦休めと適当に助言をしてやったのだが、それは自分自身に言い聞かせているようでもあった。
果たしてこれは影喰い様の呪いなのか。
それとも彼の気が触れてしまっただけなのだろうか。
彼と別れた後も、自宅までの帰り道の間ずっと考えていた。
不幸と勘違いが積み重なっただけの出来事にすぎないのではないか。
堂々巡りの思考に頭も足取りも重たくなってくる。
川沿いの土手道を歩いていると、前方から電動の機械音が聞こえてきた。
近所の爺さんが草刈り機で土手に鬱蒼と生える雑草を刈り取っているようだった。
近づくにつれて勢いよく回る刃の回転音。
あっさりと切り裂かれていく草の群れ。
嫌な汗が首を伝っていく。
何か悪い予感が、良くない出来事が視に迫っているのではないかと脳の奥で警笛が鳴り響き。
俺は咄嗟に首の前に鞄を掲げる。
草刈り機の刃から首を守るように。
爺さんはそんな俺の滑稽な姿を見て、そっちに刃は飛んでいかんから安心せいと大笑いした。
自宅に帰った俺は2階の自室に入ろうと階段を登りかけ、足を止める。
足を滑らせる何かが落ちているのではないか。
急にそんな不安に駆られ、足元に気をつけながらゆっくりと階段を登る。
一段一段と注意深く。
すると、小さなネジが落ちているのに気づいた。
ネジを手に取ってしげしげと眺めながら、なぜこんなところにネジが落ちているのか、
不自然な状況に疑念を募らせる。
このネジを誤って踏んでしまうことで痛みに呻き階段から足を滑らせる可能性があったかもしれない。
やはりこれは偶然を模した影喰い様の呪いなのか。
いや、でもそういえば一週間ほど前、ネットで購入したカラーボックスを自室で組み立てていたことを思い出す。
取付用の小ネジが予備として何本か入っており、それが何かの拍子に小袋から落ちてしまい、存在を忘れたまま今日まで至ったのかと思えばなんら不自然な状況ではないのだとも考えられる。
そう結論付けることで、ホッと一息……つくことなどできそうになかった。
家に帰った後も言い知れぬ不安を抱えたまま、自室で布団に潜って過ごした。
日も落ち、階下から夕飯の支度ができたと母さんの声が聞こえてきた。
食欲はあまり湧かなかったが食べないわけにもいかないと気の進まないまま階段を慎重に降りて食卓につく。
秋刀魚の塩焼きとキャベツの味噌汁、納豆にご飯という至ってシンプルな夕食だった。
程良く焼けている秋刀魚に、お椀から立ち昇る味噌汁の香り、ふっくら炊き立ての白米。
食欲が少し湧いてきた。
味噌汁を啜ると柔らかくなったキャベツの触感と甘みが口に広がり、自然と白米に箸が伸びていく。
秋刀魚を食べようと箸を入れると、皮のパリッとした音とともに身からじんわりと脂が流れ、中からは柔らかな身と小骨が顔を覗かせる。
箸で身をほぐして口に運ぼうとしてから、ふと手を止める。
不意に頭に一抹の不安がよぎったのだ。
秋刀魚の小骨が喉に刺さってしまったらと。
死ぬ可能性……………………いや、いくらなんでもあり得ない。
あり得ないと言い切れるだろうか。
小骨が刺さった傷口から炎症を起こし、それが死に至る病の発症へと繋がる可能性は0と言い切れるか?
これが俺の首に降りかかる不幸となってしまうのではないか。
箸を持つ手が震える。
しばらく考え、慎重に小骨を1つ1つ取り除いていくことにした。
身を箸でつつきすぎたせいで秋刀魚が挽肉のようにぐちゃぐちゃになってしまったが、命に関わる危険を考えれば仕方がないだろう。
「きったない食べ方ねぇ。秋刀魚が泣いてるわよ?」
母さんの言葉を無視して黙々と小骨を取り除き、夕飯を食べ終えた。
自室に戻り、俺は世界から隠れるように布団に潜りこむ。
家の外も中も、そこもかしこも身の安全が100%保障されている安全な空間などどこにもない。
どんな場所でも死の匂いが漂ってくるのだ。
自分以外誰も踏み込まないこの部屋だけが、世界中のどこよりも限りなく安全に近い空間だ。
そう考えると、少しだけ不安が和らいだ。
そして。
――――俺は、部屋から出ることができなくなった。
1日3食、母さんが自室の前にご飯を置いておいてくれるので、毎日それを食べる。
部屋から出るのはトイレに行くときだけ。
髭剃りはしない。
首を誤って切ってしまう恐れがあるからだ。
だから髭は伸ばしっぱなしで、2週間も経つとホームレスかと思うくらい顔の下半分が髭に覆われた。
会社には残っている有休をとりあえず全て使うと言った。
上司宛にかけると怒鳴られることは必至なので、総務宛に直接電話し、有給取得の申請書をメールで送ってもらった。
会社の同僚からは退職するのかといった心配する声や、上司の長谷川営業部長がブチ切れてるぞなんて不安を煽る連絡がメールできたが全て無視した。
父さんも母さんも俺の唐突の引きこもり宣言にかなり困惑していたが、あまり深くは詮索しないし口うるさく小言を言うこともなかった。
気長に待つというスタンスはなんとなく伝わってくる。
とはいえ、いつまでこんな状態を続ければいいのかは分からない。
そういえば、今やっくんはどうしているだろう。
ふと心配になり……いや、自身の孤独と恐怖を紛らわすためともいえよう。
スマホを手に取り電話をかけると、年配の女性らしき声が聞こえてきた。
やっくんの母親だった。
やっくんは?と聞くと、息子は精神が錯乱してしまい、今は精神科病院に入院させているとのことだった。
俺の首がない、自分の顔を完全に忘れたなど、うわ言のように何度も呟くだけでなく、家中の鏡をバットで破壊していったのだという。
俺は重いため息をついて通話を切り、再びベッドに入る。
俺もこんな引きこもり状態が続けばいずれ頭がおかしくなってしまう。
肉体的に死ぬよりも、社会的に死ぬよりも、精神が死んでしまうのが先かもしれない。
社会から隔絶された部屋、先細る未来、醜くなった自分。
どん詰まり。
いっそのこと自殺しようかと思った。
そんな窒息寸前の俺にとどめを刺すかのように、スマホの着信が鳴り響く。
着信画面を見ると、長谷川営業部長からだった。
有給休暇ももうすぐ消化しきってしまうので、その後の進退に関する内容の連絡かもしれない。
正直、会社での立ち位置なんてもはやどうでもいいが、文句の1つでもぶつけてから退職の意向を伝えようと通話ボタンを押した。
「営業部のみんな必死こいてノルマを追っかけてる中、お前だけ有給取得するなんて良いご身分だな。そんな有給連続取得中のお前に朗報な。有給終わった後ももう会社来なくていいぞ。お前の懲戒解雇が決まったから」
――――――――は?
「お前さ、営業ノルマ達成するために架空売上計上しただろ。それも半年以上前からずっと。未収の売掛金が増えまくって怪しく思った経理部に調査されたんだよ。したらさ、案の定その得意先全部すでに潰れてんのが分かったんだよ。お前のデスクの中から発行した後送らずに隠してる請求書が山ほど出てくるしさ。んで、今は存在しない得意先に納品したはずの商品はどこにあんのよ?なんて今更聞かねぇわ。めんどくせぇし。っつーことで、懲戒解雇だから」
「…………懲戒、解雇?」
「めんどくせぇなぁ。クビだよクビ!クービ!お前はもうクビを切られたの!分かる?」
おーい、もしもしー?と無反応の俺に呼びかける長谷川部長の声がまるで別世界から届いているかのようにもの凄く遠く感じる。
俺はたった今会社からクビを切られたのだ。
……………………アハハッ。
自然と、喉の奥から声が漏れた。
会社からクビ宣告を受けて笑い声が出るとは俺もとうとう気が触れたか。
これが俺に見舞われる不幸、いや、呪いということか。
なおちゃんは階段で足を滑らせて落下し首の骨を折って死亡し。
やっくんは自身の首が消えてしまうという幻覚に苛まれて精神病院へ。
俺は会社での不正がバレてクビを切られてしまい。
「アハハハハハハハハッ」
こみ上げてくる笑いと何度拭っても溢れてくる涙。
長らく閉め切ったカーテンと窓を開け放つと、久しぶりの日光に目が眩んだ。
部屋に吹き込んでくるそよ風は部屋に沈殿した埃を一斉に舞い上がらせる。
部屋の扉を開け、階段を2段飛びで勢いよく降りた。
そして、リビングでテレビを観ながらくつろいでいた母さんに向かって嬉々と声を張り上げる。
「お母さぁん!俺今日会社クビになったよーー!!」
【影喰い様】お読みいただきありがとうございました。
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