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この地に渡る風  作者: 成田チカ
8/25

天龍、ですか?

 井戸の底はひんやりとした空気が漂っていて、少し肌寒かった。

 中に入ってみて気付いたが、井戸かと思っていたそれには底に人1人が通れる位の幅しかない狭い横穴が続いていて、その奥から光が差し込んでいるようだった。

 今は乾ききっている地面には、地下水が流れていたかのような水の跡がうっすらと残っていて、通路の奥へと綾達を導くように続いている。

 奥に進むにつれ、光の強さと何かの気配が徐々に増していくようだ。それと同時に、綾は自分の心臓の鼓動が早く、強くなっていくのを感じた。


(何かが、いる…)


 綾はその「何か」に呼ばれている自分を感じて小さく身震いをした。



 狭い通路の果ては、急に開けた場所になった。

 体育館がすっぽりと収まってまだ余るような広い空洞があり、その最奥には七色にゆらゆらと光る塊があった。近付くにつれ、その塊が七色の光に包まれながら鎮座する巨大な龍であることに皆が気付いた。


「て、て、天龍様…?!」


 ケイが悲鳴とも驚愕ともつかない声を出し、綾の前には、いつの間にか抜刀していたスオウが綾を守るように立っている。

 映画を見ているかのような妙な感覚に囚われながら呆然と龍を見ている綾の腕を、ミトが顔を強張らせながら強く掴んでいた。


「やぁ、いらっしゃい。やっと会えたね」


 龍が七色の光を揺らしながら言った。その声は、綾に「おいで」と囁いた、あの声と同じだ。

 威厳のあるその姿からは想像もつかないような若い声。しかも、綾の苦手なナンパ調。その残念なギャップに、綾は思わず眉間に皺を寄せた。


「あ、あなたが、私を、呼んだの? どうして?」


 綾は目の前の巨大な龍を見上げながら尋ねた。

 綾を見下ろす龍の目が細められ、口元が微笑むように持ち上がったような気がした。


「決まってるだろう? 君が、僕の印を持つからだよ」


「印…?」


 綾は自分の腰帯にしっかりと結び付けられている紋章を見た。七色に光る天龍の印がそこにはある。龍の言う印とは、きっとこのことだろうとは思う。だけど。


「だから?」


「ん?」


 呑気に聞き返す上から目線の天龍の態度に対して、静かな怒りが沸々と湧き上がってくるのを綾は感じていた。足が自然と仁王立ちになる。


「だ・か・ら? どうして、アナタは、私を、ここへ、呼んだの?」


 苛立った口調ではっきりとそう言い放った綾の態度に、ケイが青ざめた。


「ア、アヤ様…。も、もう少し丁寧なお言葉遣いで…」


 ケイが綾に向かって小声で囁いたが、綾はそれには気を留めなかった。


「人を呼び寄せて、こんな所にあんな大掛かりなことしてまで招待したからには、何かそれなりに大事な用があるんでしょう?」


 苛立ちをあらわにした綾の言葉に、天龍はくっくっくっと笑った。


「お気に召さなかったとは、申し訳ないね。もっと雰囲気のある御招待を差し上げればよかったかな。僕の花嫁をお迎えするのに、さすがにあれはちょっと無粋だったかもね。でも、僕も入口を塞がれているのを、すっかり忘れていてね」


 龍はまだフフフと雅な笑いを続けている。

 綾はその様子にむっとしながらも、ある言葉が引っ掛かった。


(「僕の花嫁」??)


 他の3人もそれは聞き逃さなかったようだ。


「な…!」


「は…?」


「え…?」


「ちょ…!」


 全員、何かを言いたいようなのだが、ちゃんと言葉にならずに最初の音だけが口から漏れたまま、口をポカーンと開けている。何とも情けない状態だ。

 全員が目の見開き度5割増しで綾の顔を見ていた。ミトに至っては、口の開き方が8割増しくらいになっていて、ギャグ漫画の登場人物のような顔になってしまっていた。


「は? 何、それ? 花嫁? 私が、あ、あなたの?」


 やっと言葉を発した綾の台詞も、かろうじて言葉になっている程度だった。

 龍はそんな様子を気にもせず、軽やかに答える。


「昔からね、天龍の印を得た姫君は僕に嫁ぐと決まっているんだよ。まぁ、やぁ~っと産まれた誰かさんがいなくなっちゃったお陰で、契約が切れちゃうかと思って困ってたけどね」


「契約…?」


 初耳だ。


「ケイ。『契約』って、何? 知ってる?」


 綾と目が合うと、ケイは全身をビクっと振るわせた。可哀想にウサ耳が完全に萎えている。


「わ、わたくしが知るのは、王家には龍との間に国の繁栄をもたらすための何らかの契約があるとのことだけで、詳しいことまでは…。祭祀官なら御存知かと…」


「お母さん?」


「し、知らないわよぉ~。お母さん、祭祀官だったけど、下っ端だったし、戦争中だったしぃ~」


「ああ、もう!」


 綾は天龍に向き直って尋ねた。


「それって、『嫌です』って言ったら、どうなるの?」


 隣でケイの「ひぃ~」という悲鳴が聴こえた。

 天龍は楽しそうに言った。


「このまま契約が途絶えるようでは、ヤマトの国は自然の恩恵が受けられないよ」


「それって、この土地が死に絶えるってこと?」


「そう。草木は育たず、水は枯れ、空気はよどむ。陰と陽の理が崩れ、争いが絶えなくなる。ね、いいことなんて一つも無いんだよ。どう? お嫁に来ちゃいなよ」


「『どう?』って、そんなに軽く訊かれても…」


(私、まさか、ここに人柱になりに来たわけ? そんなぁ~)


 おとといまでごくごく普通に生きてきたのに、昨日は姫で今日は龍の人柱? こんな人でもないものと結婚しろって、どういうことよ。私の人生って、一体…。

 そう思った瞬間、不意に綾の視界が歪んだ。綾はその場にへなへなと坐り込み、涙をぼろぼろと流しながら子供のように泣きじゃくっていた。


「あ~あ~。何もそんなに泣かなくても。別に、僕は君を食べたりとかしないよ。 大体、それじゃ、お嫁さんにする意味がないじゃない? あ、そうだ。じゃあ、これなら御期待に添えるかな?」


 天龍がそう言うと、7色の光がどんどん中心の方へと吸い込まれていって小さくなった。

 やがて、光が人くらいの大きさになると、それは1人の青年の姿に変わった。長い金の髪を緩やかに右肩のあたりで束た、スラリとした長身の若者は、美しい絹の衣装を身に纏い、まるで美術館に飾られた肖像画を見ているように美しい。

 彼は剣を構えたままのスオウの隣を優雅にするりとすり抜けると、泣いている綾の前に来た。ひざまずいて綾の肩に手を掛けると、やさしく囁いた。


「この姿なら、大丈夫でしょう?」


 天龍が変わる様を全く見ていなかった綾には、目の前に突然現れた美形男子が天龍であることなど、知りもしなかった。


「あなた、誰…? あれ? 天龍は?」


 天龍は微笑んで答えた。


「僕が、天龍だよ。この姿なら、お嫁に来れる?」


「はぁ?」


 綾は涙を拭うと、ミト、スオウ、ケイを見た。3人とも目で「そうです。それは天龍です」と言っているようだ。ケイの瞳は何故かハート型になっているような気がしたが、それは綾の気のせいかもしれない。

 天龍は綾を支えながら立ち上がると、やさしそうな笑顔で言った。


「君が僕の花嫁に選ばれてから、21年も待ったんだ。辛抱強い僕に免じて、決めて欲しいな。僕は幸せになるし、国は恩恵を取り戻す。皆が幸せになって大円団! どう?」


 例え相手が人型美形男子に変わろうとも、綾の中にはまだ腑に落ちない部分がたくさんあった。


(大体、私はどうなるのよ!!)


 綾は天龍の描くシナリオに自分が入っていないことが気に食わなかった。


「それは、今、決めないといけないの?」


 上目遣いで訊いてくる綾に、天龍は微笑んだ。


「少しなら待てるよ。でも、ま、21年も待たされた分くらいは、少し先払いさせてもらおうかな。じゃないと割が合わないし、加えてさっきあんな力を使ったせいで、今ちょっと栄養不足なんだ」


「?」


 綾が「どういうこと?」と訊く前に、天龍は綾の顎の下を右手で掴み、もう一方の手で綾の腰を引き寄せた。綾が抵抗する間も無く、天龍の唇が綾の唇に重なっていた。


「!!!」


 意外にも天龍の腕の力が強くて、綾には振りほどくことができなかった。


(わ、私の、ファーストキスがぁぁ!)


 今までまるで男に縁の無かった綾には、初めてのキスだった。

 終わったと思うと、すぐにまた唇が別の角度で重なってくる。綾は息継ぎのタイミングを完璧に失って、呼吸困難に陥る寸前だった。

 天龍がやっと身体を離すと、肩で息をしていた綾は天龍を力一杯睨み付けた。


「お、お、お…」


 天龍はくすっと笑って、「何?『美味しかった』?」と洒落にならないことを平気で言う。

 綾は全身を怒りで震わせた。


「乙女の唇を、何だと思ってるのよぉぉ!」


 そう言った瞬間、綾の右の平手打ちが天龍の左頬に見事に炸裂していた。

 その一撃を見た瞬間、ケイは白目をむいて、その場で気絶してしまった。


 綾は涙を流しながら踵を返して元来た道の方へと早足で去って行き、ミトは腹を抱えて笑い転げていたスオウに気絶したケイを運ぶように促すと、娘に追い付くために走り去った。


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