庭、ですかね?
残されたミトと綾は、王と一緒に寝室で昼食を取ることにした。
昼食の用意がされるまでの間、ミトはヤマトを去ってから今に至るまでに自分に起きたことを、王に掻い摘んで話して聞かせ、一区切りついたあたりで食事の用意が整った。
ミトと綾は王を助けてテーブルに付かせると、自分達も席に座った。
食事は王の寝室同様、質素で簡単なものだった。
麦の混ざった米、野菜のおひたし、魚の入った汁物。
病気の王に合わせて作られたのかと思ったが、よく見てみると、王の食事はお粥だけだった。
昼食を取りながら、今度は綾が自分の生活について話をした。高校を出てから家を離れて一人で都会で暮らしていること。大学での授業や友人。バイトでの仕事。
ひとしきり話し終えると、皆の食事も終わっていた。食後のお茶を飲みながら、ミトが言う。
「そうそう、お義兄様。私、主人の元へ帰らなくてはなりませんので、長くても3日ほどで向こうへ帰らなくてはなりません。そのことだけは、最初にきちんとお伝えしておこうと思いまして」
そう言えば、ミトが最初に挨拶をした時に、王は「よくぞ戻った」と言ったのだった。「戻った」とは、「ここへ帰ってきた」ということだ。しかし、ミトにとって「帰る」場所は、もう既にここではない。彼女の夫の待つ世界だ。
王はミトの台詞に動じた様子を見せなかった。ミトは向こうの世界で結婚したことを話していたし、彼女の話す様子から、彼女が今、夫と幸せに暮らしているのだということを感じ取っていたのだろう。それでも、王はミトの言葉を寂しいと思っているようだった。
「アヤは、どうするのだ? ここに残ってくれるのか?」
正直な話、綾には答えがわからなかった。残るということは、王の娘としてこの国を支えていくということ。
では、帰るということは何だろう。元の生活に戻ること?
でも、今、自分の中にムクムクと湧き上がっている好奇心や疑問やその他の名前を付けられない感情に、きちんと答えを出さないまま帰るのはできないような気がしていた。
綾はテーブルの下で両手の指を組んだ。自分を少し落ち着かせてから、王に向き直った。
「私には、まだよくわかりません。でも、もう少しここにいれば、自分がどうしたいのか判るような気がするんです。けど、それでは、いけませんか?」
王は微笑んで頷いた。
「若い時に悩むということは、とてもいいことだ。アヤ、後で後悔せぬよう、しっかりと悩みなさい。全てはそれからでも、遅くはない。」
王は側で控えていた女官に目配せをすると、彼女は出口の近くで控えていた他の女官を連れて来た。
「この者がお二人をお部屋までご案内いたします」
対面の時間が静かに終わりを告げた。
綾とミトは立ち上がって王に会釈をすると、彼の寝室を後にした。
綾に与えられた部屋は3階の王の寝室の近くにある、こぎれいな部屋だった。
部屋の中にはベットと、質素な家具が2、3置かれているだけで、ヨーロッパの高級リゾートホテルと言うよりは、田舎の家族経営のホテルといったイメージが強い。それでも、置いてある家具はどれも年季の入ったアンティークだし、建物自体も古いとはいえ、掃除の行き届いた心地よい空間だった。
「ま、お城っていっても、色々あるしねぇ…。でも、『ロイヤル』っていうよりは、『禅寺』って感じなのよね、ここ…」
窓を開けると、海が見えた。風が潮の香りを部屋の中に運んできた。
「ここで見た中で、一番『ゴージャス』って言えるのがここよね…。ベランダでもあればよかったのに」
綾が窓に寄りかかりながら外を眺めていると、ドアをノックする音が聞こえた。返事をすると、部屋まで案内してくれた女官が替えの服と一緒にベルトのようなものを持ってきた。
ヤマトの服は着物に似ているが、どちらかというと古代文明の衣装の方に近いかもしれない。ズボンにゆったりとした上着で、女性の上着は長めで膝丈のスカートみたいになっている。
初めて見る着物に戸惑い、始めは手伝いを断っていたものの、結局着付けを女官に全部手伝ってもらってやっと着替えた。
「姫様。紋章をこの腰帯に付けて、この部屋からお出になる時には必ず身に着けるようにして下さい。城の中の者達は姫様のお顔を存じ上げませんので、お身を守るためにも」
そう言えば、ケイ達が紋章を付けていたのもこのような皮のベルトだった。ただ、綾に差し出されたものは彼らが身に付けていたシンプルなものとは違い、皮に細かい模様が細工された美しいものだった。女官は綾の紋章を緊張した面持ちで受け取ると、それを手際よくベルトに付いている止め具に括り付けて固定し、ベルトを綾の腰に結んだ。
「これ、装飾が素敵ね」
そう、綾が言うと、女官は微笑んで言った。
「この腰帯は王妃様が生前、身に付けていらっしゃったものだそうです。王がこれをアヤ様に差し上げるようにとおっしゃいましたので」
「あ、そうなんですね…。手伝ってくれて、ありがとう。これが、お母さんの…」
女官は綾に一つ会釈をすると、部屋から出て行った。
それから少しして、綾の部屋のドアを軽快にノックする音が聴こえた。
「はい」
「わ・た・し~」
「…どーぞ」
ドアが開いて、ミトが入ってきた。
「あら、かわいい部屋~。しかも、海が見えるのね、ここ。素敵じゃない。あっ」
ミトが綾の腰に付いたベルトを見た。
「それ、姉様の腰帯ね?懐かし~い」
「うん。王様がこれを私にって。さっき、女官さんが持ってきてくれて、付けてくれたの」
ミトは綾の姿をまじまじと見つめると、微笑んで「やっぱり、綾は姉様に似てるわね」とぽつりと言った。
「それね、ハヤト様が姉様に婚約祝いに贈ったものなの。こっちじゃ、婚約の贈り物に相手に腰帯を贈るのが一般的なのよ。普段ずっと、身に付けている物だから」
「ふうーん」
2人はそれから少しの間、何も言わずに窓から海を見ていた。
「やっぱり、海が見える部屋はいいわねぇ…」
「あ、そう言えば、お母さんの部屋って、向こう側だしね」
「そう。まぁ、庭が見えるけどね。でも、あの庭じゃぁ…っと」
ミトがバツが悪そうに言葉を濁らせる。
「…庭が、どうしたの?」
「ん~。何でもない」
「庭が、何なの?」
「別に~?」
(この言い方。絶対、何かある!!)
綾はミトの横をすり抜けて廊下へ出た。ミトに与えられた部屋は、確か廊下を挟んで斜め向かいだったはずだ。
「ちょっと、どこへ行くのよ?」
「お母さんの部屋!」
ミトが綾の腕を掴むより、綾がミトの部屋のドアを開けるほうが早かった。綾はそのまま、綾を止めようとするミトを引きずるようにして庭に面した窓へと歩いていく。
「……」
窓の外には庭があった。それを「庭」と呼べるのであれば、の話だが。
春だというのに、花は一輪も咲いていなかった。
木々には若芽も無く、葉が出る気配は全く無い。
枯れてはいないものの命を失いかけた木々と、かつては緑の塀を形作っていたであろう茂みの枝々が、裸の状態で寒々しく立っているだけだった。
荒れているわけではない。ところどころ、手入れがされたような形跡はある。だが、こんなに命の気配の無い庭を見るのは初めてだった。
「お母さん、この庭。昔から、こうだった…?」
綾の問に、ミトが躊躇いがちに応えた。
「…いいえ」
庭の右奥の方に、木を組み合わせて作ったアーチが見えた。薔薇だろうか。いばらのような茶色いものがアーチには絡みついていた。庭の中央部には、水の出ていない噴水もある。
「まるで、廃墟みたい」
そう呟いた綾の耳元で、唐突に男の人の声した。
『おいで』
綾は慌てて辺りを見回したが、ミトの他には側に誰もいない。外を見ても、女官や兵士達が下の方に見え隠れしたが、3階にいる綾の耳元で囁けるはずがない。
(誰…?)
『おいで』
まただ。
でも、不思議と怖い感じはしない。
それに、どこかで聴いたことのある声だと綾は思った。
(それなら)
綾は目を閉じ、心の中で試しに呟いてみた。
(『おいで』って、どこへ行けばいいの?)
『枯れた庭。西の端に、忘れ去られた井戸がある。そこから先に。』
(庭の、西の端にある井戸ね。わかった)
『待っているよ…』
男の声が消えた。
「お母さん。散歩に行こうよ」
「散歩って…。どこに?」
「そこの、庭もどき!」
綾はミトの腕を取って、外へと向かった。
1階に着くと、2人は廊下でばったりケイとスオウに遭遇した。
「あら、お二人とも揃って、どちらへ?」
ケイがにこやかな笑顔で話しかけてくる。後ろにいるスオウは何故か不機嫌だ。
「うん。ちょっと、お城の中を散歩しようかと思って…。何かあったの? スオウ」
綾の問いに「え?」とか「ああ。」とか意味不明の言葉をスオウは発した。その様子を見て、ケイがくすくす笑いながら答えた。
「ああ、何でもないんですよ。御心配には及びません。スオウはババ様がちょっと苦手なだけで。」
「ケイ!」
綾とミトはスオウの剣幕に両目をめいっぱい見開き、ケイは肩をすくめた。
「ったく、余計なことを…」
スオウはケイを睨み付けたが、ケイはそれには動じない。
「すみません。それにしても、いくら城内とはいえ、お二人だけでは心配ですね。スオウ、あなたもどうせ、今日はもう非番でしょう? どうです? 護衛としてお供なさっては」
「…そうだな」
スオウは綾達の方へ向き直ると、「よろしいか」と尋ねた。正直言って、この申し出は綾には心強いものだった。何といっても、得体の知れない声(しかも男の声だった)が「来い」と言っている所へ行こうとしているのだ。護衛がいるに越したことはない。
「こちらからも、お願いします」
綾がそう言うと、「よし!」と言ってスオウはケイの腕を掴んだ。
「ならば、お前も来い!」
「はい?」
スオウはジタバタしながら文句を言うケイを引き摺りながら歩き始めた。
「えーっと、西は、こっちだよね?」
キョロキョロしながら歩く様はどこからどう見ても不審者なのだが、幸いにも城内では顔を知られたケイとスオウが一緒なので見回りの兵士に咎められることも無く、綾達は庭の西端まで無事に辿り着けた。
「この辺りに、使われてない井戸があるはずなんだけどな~」
「どうしてそんなこと、あなたが知ってるのよ、綾?」
「ん~。ちょっとね」
一行の行く先に、木の板で塞がれた何かが見えてきた。
「あ、あれかも!」
「だから、何を探しているの?」
「後で話す!」
綾は目的地に向かって走り始めた。まるで、磁石で引き寄せられるように、強い引力を感じた。
木板に触れると、手が中へと吸い込まれるような感覚すらした。
「ここだ…」
木板を取り除こうとしたが、それはしっかりと土台に打ち付けられていて、綾の力では取り外すことができなかった。
「そんな、お無体な…」
がっくりとうなだれる綾を見て、他の3人は不思議そうな顔をして様子を見ていた。
「ここって…」
ミトが何かを思い出そうとしているようだった。
「お母さん、何か知ってるの?」
「えーっと、何だったかしら~」
「頑張れ!『元』祭祀官!思い出して!」
「はいはい」
ミトはしばらくこめかみに指を当てながら考え込んでいたが、「ああ」と言って顔を上げた。
「これって、『龍の抜け穴』の一つじゃないかしら」
「何、それ」
木板の上に座り込んだ綾が呆れ顔で尋ねた。
「ミト様。『龍の抜け穴』というと、城の伝承にある、地龍と水龍によって掘られたという地下道のことですか?」
ケイの言葉に、ミトが頷いた。
「そう、それ。大きなものは手を加えられて今も使われているけど、こういった小さなものも何本か残っててね。これもきっと、その一つね。塞がれてるから使われていないんじゃないのかしら」
全員が木板を見た。
塞がれて大分経っているのか、板自体は古い。だが、結構頑丈そうな厚い板が使われているから、簡単に壊れそうに無い。
「スオウ。あなたのバカ力で何とかなりませんか?」
「それを言うなら、ケイ。お前のバカ術式で何とかしてみせろ」
(ふ、二人の間に未だかつてなかったような、黒~い空気が… しかも、火花が散ってるような気さえするのは何故?? ランチタイムの間に、一体何があったのよ~?)
険悪なムードを漂わせる2人をよそに、ミトは綾の隣に座って尋ねた。
「で、この場所がどうかしたの?」
「うん…。誰かに呼ばれたの。『この先で待ってる』って言われたんだ」
「「誰に?」」
ケイとスオウが同時に言った。何も、こんなところだけハモらなくても…。
「知らない。声を聴いただけだから。でも、男の人の声で…。 悪い感じじゃなかったけど」
「それはいけませんわ、アヤ様! 男性の声なんて! 何か間違いでもあったら、どうなさるおつもりですか?!」
ケイが大真面目に言った。ウサ耳も「そうだ、そうだ」と言っているように縦に震えた。
「だから2人にも来てもらったんじゃない」
「偶然あそこで会ったから、だろ? そうでなければ、我々は今ここに来てはいなかったかもしれない。違うか?」
スオウが冷静に言い放つ。この人にこう言われると「ごめんなさい」としか言えなくなるのが不思議だ。
「ごめんなさい。そうだね。今日はもう、無理かな」
綾は立ち上がると、木板に手を置いてそっと「ごめん」と井戸に向かって呟くと、スオウ達の後を追った。
一行が城へ向かって歩き始めると、何故か地面が少しづつ揺れるのを感じた。一瞬、貧血かと思ったが、それはまるで、地面の下で何か大きなものが動いているかのようだった。
「じ、地震…?」
揺れがどんどん大きくなる。
「アヤ様!」
スオウの腕が綾の頭を包むように守り、2人は地面に伏せた。
バーン!という低い破裂音が近くで聴こえた。スオウの腕の間の狭い視界から、綾は自分が先ほどまで座っていた井戸を塞いでいた木板が四方八方に引き裂かれながら吹き飛ばされていくのを見た。
揺れがようやく収まり、スオウの身体から緊張感が徐々に抜けていくのを感じた。やがて、綾の頭上で安堵の息が漏れた。
「もう、大丈夫…?」
「ああ」
埃だらけのスオウに支えられながら立ち上がると、少し離れたところでケイに守られていたらしいミトがよろめきながら立ち上がるのが見えた。2人共、埃まみれになってはいるが、とりあえず無事らしい。
辺りを見渡していると、綾は井戸のあった場所が「えぐられている」のに気が付いた。
飛び散ったレンガや木の破片に気をつけながら近付いてみると、暗い井戸の中のさらに奥に、かすかに光が揺らめいているのが見えた。
「これは…。やっぱり、来いって言ってるのよね」
綾が言うと、他の3人が溜息をついた。
「熱烈歓迎、か...」
スオウはそう言ってニヤっと笑うと、近くにあるという庭師小屋へロープを取りに走っていった。