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この地に渡る風  作者: 成田チカ
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15章 「アヤ」

 海からの風が、ストップモーションのように動かなくなった彼らの間を吹き抜けていった。

 まるでこの中庭の空間だけが凍りついてしまったような緊張感が張り巡らされ、四人はその場から動けなかった。誰かが少しでも動くと何かが崩れ落ちてしまうような、そんな危い微妙なバランスの上に四人はいた。息をするのでさえ、その均衡を崩してしまうような気がした。

 だが、ピリピリと殺気立つケイの傍らで、綾の心は不思議と凪いでいった。

 ―よく見て御覧なさい

 誰かの声が聴こえたような気がした。それは、綾の中にうごめく「記憶」の声かもしれない。

(見るって、何を…?)

 綾はゆっくりと視線を目の前に跪いている二人に巡らせた。

(ああ、そういうこと…?)

 サガミと黒装束の女―確かサガミは彼女のことを「サキ」と呼んでいた―は、綾に向かってヤマトの最敬礼を取っていた。サキの足元には、地面に置かれた彼女の物と思われる刀も見える。

(戦いに来たわけじゃない、ということ?)

 しかし、綾が彼らに声を掛ける前に、ケイが耐え切れずに静寂の均衡を打ち破った。

「な、何をしに来たのです? アヤ様にそれ以上近付くことは、この、わたくしが許しません!」

 綾の前に立ちふさがるケイの右手が光り、光は細長く上下に伸び、ケイの杖へと変化した。ケイは杖を術式詠唱の形に構えたが、二人の侵入者は一向に構える気配を見せなかった。

(やっぱり、この二人に戦う意思は無い…?)

 綾は深呼吸を一つすると、ケイの左肩に手を置いてケイを制した。

「ケイ。待って」

「し、しかし!」

 取り乱すケイの腕にそっと手を置くと、綾は穏やかな口調で言った。

「いいから。落ち着いて…?」

 触れてみて初めて、ケイが小刻みに震えているのが綾にはわかった。ケイは綾の落ち着いた様子を見ると、ハッと気付いたように落ち着きを取り戻し、綾に向かって無言で頷いた。

 綾はケイの背後から少し出ると、サガミに向かって声を掛けた。

「私に向かって最敬礼なんて、どうかしちゃったの? サガミ」

 サガミはフッと軽く笑うと、顔を上げた。その顔はいつものサガミの自信に満ちた顔のようだったが、少し笑みが穏やかなような気がした。

 サガミは綾の目を真っ直ぐに見つめながら言った。

「僕も何故こんなことをしているのか、とても不思議だよ。今まで、王以外の何者にも最敬礼なぞしなかったこの僕が、あの夜、気付いたら去って行くあなたに向かって、無意識のうちに最敬礼をしていた。今も、こうしているのが不思議と自分の中では自然なんだ」

 サガミはそう言って俯いた。

「どうしてなのか、わからない。あの時からずっと、その答えを考えているのに」

 今のサガミには、かつて感じたような高飛車で威圧的な雰囲気は感じられない。

(それに、この間までの「お前」が「あなた」に格上げになってるし…)

 綾はサガミの変化に少し戸惑いながら尋ねた。

「あなたがここに、戻ってきた意味は…?」

 綾の問に、サガミは俯いたまま「確かめようと思った」とだけ小さく呟いた。

「確かめるって、何を…?」

「…あなたが、何者なのか」

 そう言ってサガミは顔を上げ、その瞬間、目を大きく見開いた。

 綾の傍らには、いつの間にかスオウとゴウヤが綾を守るように立ち、綾のすぐ後ろには天龍、そしてサガミとサキを囲むように三龍が立っていた。

 地面に置かれたサキの刀を拾い上げながら、スオウが言った。

「この刀は…。黒兎(こくと)の一族は先の戦で滅んだと聞いていたんだがな。生き残りがいたのか」

「黒兎?」

 聴きなれない言葉を聞き返す綾に、スオウは頷きながら説明してくれた。

「はい。ケイの一族、白兎(はくと)と対を成す一族で、敏捷性に非常に優れた民族です。過去に優れた紫影を数多く生み出した、言うなればヤマト随一の忍びの里でした」

「忍び…」

 スオウは綾に頷きながら、サキの刀の柄に施された文様を注意深く見た。

「ケイ。この文様は黒兎のものに相違ないか?」

 スオウは刀をケイに渡した。ケイは柄の文様を見て一瞬、息を飲んだ。

「これは黒兎の長の印? では、あなたは…」

 ケイの言葉に、それまでずっと黙ったまま俯いていたサキがキッと顔を上げた。

「いかにも。私は黒兎の里、最後の長の娘です。刀は里が落ちた時に、父上から委ねられました」

 サキはそう言うと、綾に鋭い視線を向けた。その視線には憎悪と怒りが絡み合っていた。

「我が里は、暗焦獣(あんしょうじゅう)によって一瞬にして焼き尽くされた。私はたまたま里の外へ使いに出ていたから助かったが、戻った時には既に多くの民が炎の中で死んでいた。父は私にその刀を託すとすぐに事切れた。私は、あのような化け物をこの世界に呼び寄せたお前の母を、一生許さない! その娘であるお前も同罪だ!」

「サキ!」

 意外なことに、サガミがサキを一喝した。サキはそれに対して驚きの顔を隠さなかったが、すぐに感情を自分の身の内に飲み込んで俯いた。彼女の肩がまだ怒りに震えているのが綾には見えた。

「…いいよ」

 綾がぽつりと言った。

「許さなくて、いい。お母様が召喚した暗焦獣が何をしたのか、私はよく知っているから」

 綾の言葉にサキが顔を上げ、蔑んだ目で綾を見た。

「ハッ! 気休めを言うな! お前はあの時、まだ赤ん坊で、城の奥底で家臣達に守られながらぬくぬくと暮らしていたはず。そんな嘘で誤魔化される私ではない。馬鹿にするな…!」

 いきり立つサキに向かって、ケイが穏やかな口調で語りかけた。

「アヤ様がおっしゃったことは、嘘などではありません。アヤ様だけではなく、ここにいるわたくし達全員、暗焦獣が召喚され、国を焼く様を見てまいりました」

 ケイの言葉に、スオウとゴウヤが頷いた。

「な、何を馬鹿げたことを…!」

 サキが勢いよく立ち上がり、それと同時にスオウとゴウヤが構える。綾の後ろに立っていた天龍が綾の前に出ながら言った。

「僕がみんなに見せてあげたんだよ。僕の力で、あの日に彼らを連れて行った。アヤは…。アヤは、目の前で母親が自ら召喚した魔物に食われていくのを、その目で見ているんだよ」

「な…!」

 驚いた顔で綾を見るサキとサガミに、全員がしっかりと頷いた。彼らの瞳に、嘘の欠片も無い事はサキにも嫌という程伝わってくる。それでも、それを素直に受け入れることの出来ない自分がいた。

「わ、私は、それでも…」

 後ずさりながら懐に手を入れようとしたサキを陸と東風が取り押さえた。その時、乾いた金属音と共に数個の暗器がサキの衣からこぼれ落ちた。

「あっぶねーな、この女…」

 東風が目を丸くしながら言った。

「サキ、お前、何を…!」

 うろたえるサガミをスオウとゴウヤが取り押さえた。

「ま、待て! あれはサキが勝手に…!」

「申し訳ございません、サガミ様…。サガミ様の命でも、私は、やはり…」

「聞いたか? サキは僕の命で動いたんじゃない! 僕はアヤ様に危害を加えるつもりは…」

「あー、もう、うるっさいわね!!」

 綾がキレた。

 綾は勢いよくツカツカと前に出ると、押さえつけられたままのサキの目の前に仁王立ちになった。

「ごちゃごちゃごちゃごちゃ、うるさいわね! サキって言ったわよね、あなた。私が憎ければ、それで結構。命を狙うなら、どうぞ御自由に。但し、本気でかかって来るっていうなら、あなたの命の保障はできないから! それから、サガミ!」

 今度は綾はサガミの目の前で仁王立ちになった。

「あんたの意図は全くもって意味不明よ。何がしたいわけ? 私が何者なのかが知りたくて来たって言ってたわよね? 私はこの国の第一王位継承者の『アヤ』よ。それ兼、おとといあたりから『精霊の娘』って言うのもやってんのよ。私にはこの国の立て直しプランとか、記憶の制御とか、色々とやらなきゃいけないことが多いんだから、あんた達のウダウダ話を黙って聞いてる暇は無いのよ。わかった?」

 サガミとサキはアヤのあまりの剣幕に、ポカーンとした間抜けな表情をしたまま聞いていた。それを見ながら、普段アヤのこの状態を見慣れている仲間達は、苦笑しながらサガミとサキを憐れんだ。

 言いたいことを一息に言い終えると、アヤは仲間達にサガミとサキを離すように言い、その場を去ろうとした。

「ま、待ってくれ! 一つ、訊いてもいいか?」

 サガミがアヤを引き止めた。

「何?」

 振り返ったアヤの姿はどことなく威厳が漂っていた。風で長い髪が揺れ、その合間からアヤの耳元に揺れる金の耳飾が時折光を反射して輝いた。

 サガミは不覚にもアヤの姿に圧倒されながら、ゆっくりと口を開いた。

「あなたが『精霊の娘』だと言うのは、本当、か…?」

 サガミの問に、アヤはニッコリと微笑みながら答えた。

「そうよ。あの晩、あなたが私を襲ってくれたお陰で、覚醒しちゃったらしいの。他に御質問は?」

「いや…。あ、待て。もう一つ尋ねたいことが」

「どうぞ?」

「もし…。もしも僕が城に戻っても、あなたは許してくれるだろうか…?」

 その言葉に、アヤ以外の全員が目を丸くした。

「はあ? お前、サガミ、何言ってるんだ! 普通はこういう場面では、悪役は()られるか去るかの二択だろ?」

 スオウが呆れたように言い、澪がそれに「そうですよねぇ~」と暢気な相槌を打った。

 アヤはサガミに少し近づくと、彼の顔をまじまじと見つめた。サガミはアヤの視線に頭の中を探られているような妙な感覚がして視線を反らせようとしたが、出来なかった。

 しばらくして、アヤがニッコリと満足そうに微笑んだ。

「いいでしょう」

「ええええっ!」

 仲間達がどよめいたが、アヤは一向に気にしていない様子でサガミに言った。

「あなたの風があなたをそう導くのなら、それでいいんじゃない? ちょっとこっちの条件を飲んでくれるというのであれば、元の通り宰相として城に戻ることを許していただけるよう、お父様に進言してあげる」

「条件、とは…?」

 不安気な顔をするサガミを見ながら、アヤは苦笑した。

「難しいことじゃないわ。あなたに約束して欲しいの。これから先、ヤマトの宰相として存分にその能力を発揮すると。そして、お父様と私の補佐として、この国の民の幸せのために働くと。どう? 出来そう?」

 アヤの言葉にサガミは一瞬目を見開いたが、すぐにその顔は穏やかな微笑へと変わった。

「それで、本当にそれだけで、よろしいのですか?」

 アヤは頷いた。

「もちろん。今は人手不足だから、一人でも多くの優秀な人材が必要なのよ。あなた、頭はいいんだし、この国や他国のことを誰よりもよくわかっているでしょう? ただ、ちょ~っと、無駄な方向に能力を使ってただけで」

 アヤの言葉を聞きながら、サガミが苦笑した。

「無駄、ですか」

 アヤは笑いながら頷いた。

「ええ。大いに無駄ね。勿体ないわ」

「それは…、光栄です」

 アヤとサガミはお互いの顔を見合わせながら、声を上げて笑い始めた。

「わかりました。約束いたしましょう。僕は今後、この国の民とその暮らしを守るために、王やあなたの手足となって働きましょう」

 アヤは満足そうに微笑みながらサガミに頷くと、サキの方を向いた。

「で、あなたはどうするの? 今までどおり、サガミの暗殺者を続けるの?」

「わ、私は…」

 サキはそう言いながら、サガミの顔を伺った。サガミはサキに微笑みながら頷くと、アヤに「提案があります」と言った。

「これは個人的なお願いなのですが、サキを紫影にお加えいただけませんでしょうか?」

「はい?」

 アヤは咄嗟にスオウとケイの顔を見た。二人とも、困ったような顔をしている。

「あー、まあ、あれだ」

 スオウが手で頭を掻きながら言った。

「サキって言ったか、あんた。あんたの能力は認める。だが、こればっかりはアヤ様や俺達の一存で決められることじゃないし、それに―」

「別に構わんぞ」

 スオウの言葉を遮る声が背後からして振り向くと、そこにはイヨを伴ったババ様が立っていた。

「ババ様…! どうしてここに?」

「フォッフォッフォ。何やら、こっちで不穏な気配がしたもんでの。それより、よかろう。そこの、サキとやらを紫影に迎え入れよう。その方が色々と制約ができて、こちらも好都合というもの」

(制約…?)

 アヤが考えていると、ケイが隣で頷いた。

「ああ、なるほど。そうですね」

「どういうこと?」

 アヤの問に、ケイが答える。

「紫影は王と王家に仕える者。つまり、紫影に入るための誓約を済ませた時点で、サキはアヤ様を襲うことは出来なくなります」

 ケイの説明に、アヤが首を傾げながら尋ねた。

「そんなに簡単なもの? 彼女の持ってる私への恨みとか、そんなに簡単にあっさりと消えるものじゃないでしょう?」

 アヤの問に、ババ様が頷きながら言った。

「人の感情は変えることはできんがの、紫影になるための誓約を結んだ者が王や王家の者に刃を向けると、その時点で誓約がその者を(あや)めるでの。サキがアヤに刃を向けた時点で、その刃が放たれる前にサキが死ぬことになろう」

 ババ様の言葉に、アヤの背筋に悪寒が走った。

「…結構、えげつないことやってんのね、紫影って…」

 アヤの恐怖など気にもせずに、ババ様はカラカラと笑った。

「紫影は訓練された戦いの専門家じゃ。じゃが、彼らの思考や感情を縛ることはできん。誓約は、紫影を使って王家の者同士が争わぬようにするためと、他国の者が紫影に渡りをつけ、それを利用して王家の暗殺などをせぬようにするための安全処置じゃ。フォッフォッフォ」

(いや、これって笑えることじゃないと思うんだけど…)

 アヤは苦笑しながらサキに向き直った。

「っていうことで、紫影に受け入れてもらえそうなんだけど、あなたはそれでいいのかな?」

 サキは黙ったまま、サガミの顔を見た。サガミは頷き、そして言った。

「そうしてくれ。これは主命だ」

「…はい、我が主。仰せのままに」

 二人の遣り取りに、アヤは慌てて声を上げた。

「え、ちょっと、待って! サガミの命だってだけで決めちゃって、いいの?」

 サキは穏やかな様子で頷いた。

「はい。サガミ様は私が心からの忠誠を誓った我が主。サガミ様の命であれば、私はそれに従うのみです」

「あのねぇ。私は、『あなたはそれでいいのか』って訊いてるのよ」

「はい。サガミ様の命ですから」

「だ~か~ら~、そうじゃなくて、サガミの命はこっちに置いといて、『あなた』はどうしたいの?」

 サキに詰め寄るアヤをゴウヤがたしなめた。

「まぁまぁ、アヤ様、落ち着いて。忠誠の誓いをした者にとって、主命は絶対ですから」

「でも、私はあなた達が嫌がるようなことは、絶対に主命にはしないもの!」

 アヤの言葉に、スオウがニヤリと笑いながら言った。

「あれ? そうでしたか? 俺があなたの護衛に付きたいと言っていたのを、主命を使って無理矢理に俺を他国使節の護衛につかせていたのは、どこのどちらさまでしたっけ?」

「あれは臨時の非常事態なんだから、仕方がないじゃない! 大体、主命!って言わなかったら、スオウはやってくれなかったでしょう?」

「はいはい」

「それとこれは別問題なの! 話を聞く限り、紫影になるのは忠誠の誓いをするのと同じようなものじゃない。それを主命だってだけで進めちゃって、それでいいわけ? サキはそれで幸せなの?」

 サキはアヤが言った「幸せ」と言う言葉にピクリと反応すると、身を硬直させながら言った。

「わ、私は、主の…。サガミ様の側にいられれば、それで…」

 サキの言葉に、今度はケイがピクリと反応した。

「そう…。サガミの側に、ね…」

 ケイの身体からドス黒いオーラがじわじわと発せられるのが、アヤには見えた。

「ヒュー! 修羅場!」

「東風! ダメですよぉ~。そんな、火に油を注ぐようなことを言っては…」

「澪、お前もだ…」

 陸の溜息が聴こえた。

 ケイとサキ。二人のウサ耳美女が睨み合っているのは、ある種、異様な光景だった。当のサガミは、二人が睨み合っているのを華麗に憂い顔を浮かべながら眺めている。

(こいつ…! やっぱり、女の敵だ!)

 アヤがこの状況をどうやって収めるかを考えていた矢先、ケイがフッと笑いながら肩の力を抜き、ポツリと呟いた。

「わかりました…。もう、終わりにするべきですね」

 ケイはサガミとサキに近付くと自分の腰帯から紋章を外し、それを衣の懐にしまうと、腰帯の紐を解いて美しい装飾の施された腰帯を左手に掲げ持った。

「サガミ。これは、あなたから婚約の証にといただいたものですが…」

 そう言いながら、ケイは右手で素早く術式印を腰帯に向かって結んだ。

(ネン)!」

 ケイの術で腰帯が空中で美しい赤い炎に包まれ、すぐさま灰と化して地面にはらはらと舞い落ちた。サガミとサキの足元に散らばる灰を見ながら、ケイは満足そうに微笑んだ。

「そういうことです。さようなら。」

 笑顔でサガミに立ち向かうケイは、今まで見たどのケイよりも気高く美しかった。

 サガミはそんなケイを見て少し残念そうな顔をすると、ババ様とイヨに先導され、サキと共に城へと去って行った。


 四人の姿が見えなくなると、スオウがケイの肩をポンと叩いた。

「ケイ。お前、男前だな」

 ポツリとスオウが呟くと、ケイがキッとスオウを睨みつけた。スオウを睨んでいるケイの瞳には、うっすらと涙が溜まっていた。

 アヤは笑顔でケイに抱きついた。

「ケイはすっごく、いい女してるよ。カッコよかった!」

「あ、ありがとうございます」

「今夜は乾杯だな」

 スオウがそう言いながら笑うと、ケイが慌てふためいた。

「い、いやですよ? わたくしの婚約破棄記念の乾杯など…」

「いいじゃないですか。披露目の儀の打ち上げも兼ねて行なえば」

 ゴウヤが三人に近付きながらそう言うと、アヤが「賛成!」と言って無邪気に笑い、ケイが慌てた。

「アヤ様! だから、何のための乾杯です? わたくしは笑い者になるのは嫌ですが!」

「『ケイがいい女になった記念』でいいじゃない」

 すまし顔でそういうアヤに向かって、スオウが言った。

「じゃ、俺はアヤ様がアヤ様であることに乾杯」

「あ、僕もそれがいいです」

 ゴウヤがスオウと頷き合っている。

「…何それ」

 きょとんとした顔をする綾に、スオウが笑った。

「俺は、あなたがあなたでいてくれることが、何よりも嬉しいんですよ。我が主」

「そうですね」

 ケイが珍しくスオウに同意し、ゴウヤが横で頷いた。

「どうしちゃったの、三人とも…?」

 首を傾げながら困惑するアヤを見て、三人は顔を見合わせながら笑った。

「あの日、俺とケイがあなたを迎えに行ってよかったって言うことですよ」

 スオウの言葉に、ケイが頷いた。

「ええ、本当に」

 あの日。あの春の日に、突然アヤの前に現れた二人。

「正直な話、俺は不安だったんだ。この国の現状を全く知らないあなたにとって、ここに来ることが本当にあなたの幸せに繋がるのかどうか…」

 アヤは当時のことを思い出しながらクスクスと笑った。

「スオウが色々と口を濁してたから、何か怪しいな~とは思ってたけどね。でも、今は来て良かったって思ってるし、幸せだよ?」

「あら、アヤ様はやっぱり聡くていらっしゃる」

 ケイが感心したように言う。

「わたくしはスオウの態度を見ながら、『変なことは言うな!』って冷や汗ものだったのですが」

「ケイって結構、腹黒…?」

 アヤの言葉に、ケイが慌てて首を横に振った。

「わ、わたくしは、任務の遂行を第一と考えていただけです!」

「ふぅーん」

「あはははは。今日はケイさんの意外な面をたくさん見られて楽しいなぁ」

「そうだね」

 四人は声を上げて笑った。それを見ながら、四龍が割り込んできた。

「何か、みんな楽しそうだねぇ…」

 天龍がアヤとスオウの間に割り込んできた。

「本当ですよぉ~。私達も混ぜてください~」

「オイラも!」

「こらこら、二人とも…」

 輪に入ってくる東風と澪を嗜めながら、陸も輪に加わってきた。

「これからまた、忙しくなるね」

 アヤの言葉に、全員が頷いた。

「とりあえずは、一難去ったって感じか?」

 スオウがそう言うと、皆がうーんと一斉に考え込んだ。

「サガミの件は、まぁ、何とか…?」

 アヤが首を傾げながらそう言うと、陸が頷いた。

「はい。ケイ殿には申し訳ありませんが…」

 ケイがわざと泣きそうな顔をしてみせる。

「いえ、お願いですから、その件にはもう、触れないで下さい…」

「それよりさー、あのシンガとかいう王子の件はどうすんだよ、姫さん」

 東風が悪戯っぽくそう言って微笑むと、澪が思い出したように言った。

(ほむら)の復活のことも、忘れないでくださいねぇ~」

「いや、それよりも早く日向(ひなた)月影(つきかげ)を作るべきだろう。ね、アヤ? もうそろそろ…」

 アヤに抱きつこうとした天龍を、ゴウヤが押し留める。

「いいえ! アヤ様、それよりも講義の遅れが…」

「あー、もう!」

 アヤが叫んだ。

「それよりも、早く城に戻ってお昼ご飯にしよう!」

 アヤはそう言うと、皆から逃げるように一目散に城に向かって走り出した。

「あ、逃げたな」

 スオウがあとを追う。

「スオウ、こら待て! アヤは僕のものだからな! 指一本でも触れたら…」

 天龍がスオウを追いかける。

「えっ? そういうことなんですか? それじゃ、僕も…」

 ゴウヤが走り出す。

 残されたケイ、澪、陸、東風は笑いながら城に向かってゆっくりと歩き始めた。

「あらあら、皆さんお元気ですねぇ~」

 澪が呆れながら言い、ケイが頷いた。

「ええ、本当に」

「あちらも忙しくなりそうですな」

 陸が溜息混じりに呟く。

「面白くなりそうでいいじゃん」

 東風がフワリと身体を宙に浮かせながら言った。

 中庭には、皆の笑い声が明るくこだましていた。


 昼食後、アヤは澪と一緒に病床のリンを見舞った。リンはベットの上に横たわり、頭や身体の至るところに包帯が巻かれていたが、呼吸は安定していてアヤを安心させた。リンの世話をしてくれている女官によると、今日は大分顔色もいいとのことだった。

「よかった…」

 アヤが安堵の息を漏らしながらリンの顔を見ていると、澪がアヤに向かって囁いた。

「アヤ様。ちょっと試してみませんかぁ~?」

「? 試すって、何を?」

「アヤ様の、『精霊の娘』の力ですよぉ~」

「うん…。いいけど、どうするの?」

「えっと…。多分、『記憶』がどうすればいいのか教えてくれるかと思うんですけどぉ~。ほら、あの、誘拐犯さん達にやったように」

「あ、うん。えーっと、ちょっと待って?」

 アヤは瞳を閉じて、自分の中の「記憶」を巡らせた。「記憶」はアヤの中で雑誌のページをパラパラとめくる様に様々な絵をちらつかせながら去って行く。その中で、アヤは見つけた。

 アヤは両手を胸の前で組むと、小さな声で呟き始めた。

「命の光、ここへ集え」

 アヤの両手に白い光の粒が集まり始めた。

「この者を、満たせ」

 アヤが両手をリンの胸の上に置いて念じると、光の粒がリンの中へと流れ込んだ。リンの身体が一瞬、白い光で包まれる。

「…どうかな?」

 アヤは薄い光の膜で包まれたリンの身体を見ながら、澪に尋ねた。

「よろしいんじゃないでしょうか~?」

 しばらくして、光の膜が薄れて消えた。包帯が巻かれていなかった小さなかすり傷がきれいに無くなり、リンの顔色が先ほどよりも血色が良くなったような気がする。

「ちゃんと、効いてるのかな?」

「大丈夫ですよぉ~」

 リンの穏やかな寝息を聴きながら、二人はリンの寝室を後にした。


 その日の夕方、アヤは天龍と共に城の屋上に来ていた。そこからはワトの街を始め、かなり遠くまでの景色が一望できる。

 始祖が天龍と契約を結んだ土地に建てられたこの城は、始祖によって着工され、3代目の王の治世にようやく完成したと聞く。

「大分、緑も戻ってきたようだね」

 天龍が目を細めながらそう言った。

「うん。そうだね。地龍の祠に向かった時は、あの辺りとか、砂埃ばっかりで何もなかったもんね」

 アヤが地龍の祠に旅立ったのはほんの数ヶ月前のことだが、何故か随分昔に起こった出来事のような気がしていた。それくらい、この短い間に色々なことが起こった。

「でも、まだまだだね。阿姫(アキ)の記憶にあるこの辺りの風景は、もっと緑が多くて、あの辺りとか、結構大きな森だったし」

「…そうだね」

 風が吹いて、アヤの髪が大きくなびいた。それと同時に、アヤの耳に付いた耳飾が揺れる。この耳飾を感じる度に、自分はこの国を背負っていくのだと言われているような気がアヤにはしていた。今は貧しいこの国を、豊かで美しい国に変えていかなくてはならない。

 アヤは目を閉じて深呼吸をすると、天龍をその名で呼んだ。

「…司」

 それまでアヤの姿を見つめていた天龍が、真っ直ぐな視線をアヤに返した。

「何?」

「私に、今、ここで、できることって…?」

 天龍はアヤに微笑み、穏やかな声で言った。

「今の君なら、もうよくわかってると思うけど…?」

「それは…」

 アヤは少し躊躇いながら言った。

「私が、阿姫の生まれ変わりでもあるから…?」

「いや」

 天龍はそっとアヤを後ろから抱きしめた。

「君はアヤであって、アキじゃない。それも君が、一番良くわかってることだと思うけど…?」

 アヤはそっと微笑んで天龍に向かって頷き、天龍は微笑みながらアヤに口づけた。少しずつ深さを増していく口付けに、アヤは身体が火照ってくるような感触を感じた。

 と、どこからか躊躇いがちな咳払いが聞こえた。

「…あのさ。もー。いつまでやってんだよ、二人とも」

 聞き慣れない低い声がして声のした方を振り返ると、真っ赤な髪の男性が呆れたような顔をして立っていた。

「ったく、見せつけてんじゃねーよ。上さんも、相変わらずみたいだな…」

 赤い髪の男性はそう言いながら、クセのあるウェーブのかかった髪をかき上げた。髪がフワリと風になびく様は、まるで炎のようだ。

(炎のような赤い髪…。ひょっとして…)

(ほむら)! やっと復活したか!」

 天龍がアヤから離れて、焔と抱き合って喜んでいる。いや、喜んでいるのは天龍だけで、焔はどちらかというと抱き付かれて困っていると言った表情だ。

「で、そっちが例の姫様?」

 天龍から開放された焔が尋ねた。

「あ、初めまして。アヤと申します」

 アヤが頭を下げると、焔が髪をかき上げながら言った。

「御丁寧にどーも。俺は焔。まぁ、もう知ってると思うけど、火龍で、あんたにやらしーことしてる人の息子だ。よろしくな」

「やらしーとは何だ!」

 天龍が文句を言うと、焔は呆れたように切り返した。

「うっせ。こんな公の場で何やってんだか。城下に丸見えだぞ」

「馬鹿だな。見せつけてやってるんじゃないか」

 アヤは天龍の答えに顔を赤らめた。

「いや、それはないから…」

 その時、足音や人の声が下から聞こえてきた。

「絶対に、そうですってば~」

「えー。また澪の勘違いじゃねーの?」

「いや、私も今回は澪に同意だ」

 ああ、三龍か、と思う間も無く、澪、東風、陸の三龍が屋上へと続く階段の出口から顔を出した。

「ほら、やっぱりですぅ~」

「焔!」

「久しいな、焔」

 三龍は焔を囲んで再会を喜び合っている。アヤはその様子を見ながら微笑んだ。天龍はそんなアヤを見ながら、不意に阿姫とアヤを重ね、苦笑した。

(アヤに、アヤはアキではないと言ったのは僕じゃないか…)

 天龍は雑念を払うかのように頭を軽く振ると、盛り上がっている四龍に声を掛けた。

「そこさぁ、盛り上がってるところ悪いんだけど、僕らの逢引を邪魔しないでもらえるかな?」

「あ、逢引って…!」

 アヤが真っ赤になりながら絶句していると、天龍が笑いながらアヤを抱き締めた。その様子を見ながら、四龍が「お邪魔しました」と言いながらそそくさと階下へ降りていった。

 彼らの足音が遠ざかったのを確認しながら、天龍が言った。

「さて、と。じゃ、続きをしようか」

「つ、続きって、何の?」

 真っ赤になりながら慌てるアヤに微笑みながら、天龍がわざとらしく首を傾げながら言った。

「接吻?」

「…結構です」

 アヤはそう言いながら、天龍の胸を押した。

「そんな、照れなくても…」

 そう言いながら、天龍はアヤを離してはくれない。

 その時、天龍が思い出したように言った。

「あ、そう言えば、君はまだこの地に祝福を与えてないんだよね?」

「祝福…?」

「そう。僕らが披露目の儀の時にこの地に祝福を与えただろう? 覚えてる?」

 アヤは思い出しながら頷いた。

「ああ、あれ? えーっと、『祝福を』って言えばいいの?」

 天龍は少し考えてから答えた。

「君の場合は、それだけじゃだめかな」

「そうなの? じゃ、ちょっと待って?」

 アヤは静かに瞳を閉じると、「記憶」を探り始めた。ここまでくると、「記憶」も何だか図書館やインターネットのような感覚だ。

 祝福の記憶を探し当てると、アヤは自分の神経を額に集中させた。身体がどんどん熱くなって、足が地に着いていないような感覚になっていく。

「地に渡る風と共に、水歌い、炎は囁く」

 アヤが歌い出すと同時に、アヤを抱きしめたままの天龍も声を重ねた。

「光は影と踊り、我が地を包み、永久(とわ)に守る…」

 二人の身体を七色の光が包み込み、光は二人の周りで螺旋を描き、次々に天へと昇っていく。

「詠え、わが子らよ。命を紡げ!」

 空高くまで昇った光は大きな珠となり、それはやがて花火のように弾けて四方へと飛び散り、ヤマトの国土にきらめきながら降り注いだ。

「この地に、命の祝福を…」

 二人は最後の光の粒が消えて無くなるまで、その様子を微笑みながら見守っていた。


 その年の秋、ヤマトは国中を挙げて十数年ぶりの豊作を祝った。

 他国より供給された食料のお陰で、この年は国民が餓えて死ぬことも無く、穏やかに冬を越すことができた。

 アヤは宰相であるサガミと共に病床の王を助けながら国政を執り行い、その傍らには常にスオウ、ケイ、ゴウヤの三人と天龍を始めとする龍達の姿があった―。 

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