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この地に渡る風  作者: 成田チカ
22/25

14章 「披露目の儀」

 城への帰還から披露目の儀までの数時間は怒涛のように忙しく過ぎ、その間に自分が何をしていて、周りで何が起こっていたのか、綾はあまり良く覚えていなかった。ただ、綾の部屋にやって来た髪結い係の女官が床に届くかと言うくらい長くなってしまった綾の髪を見て、泡を吹いて卒倒しそうになったのは鮮明に覚えている。

 とりあえず何とか準備を終わらせて儀式の会場に向かったのは、当初予定されていた儀式の開始時刻を一時間ほど遅れた頃だった。

 広間の入り口に到着した時、扉の前で綾を待っていたケイの口からリンが目を覚ましたことを聴いた綾は、安堵の息を漏らした。

「よかった…」

「ええ。ただ、まだしばらくは養生が必要だとババ様が」

 ケイの言葉に、綾は少し眼を潤ませながら頷いた。

「うん。でも、本当によかった。それで、あの、えーっと…」

 口籠もったまま黙ってしまった綾に、ケイが少し悲しげな顔をして首を横に振った。

「サガミは、城には戻ってきておりません。皆には宰相は足に怪我をして療養中だと伝えるよう、王からの指示が出ております」

「…そっか」

 綾は目を少し拭ってから深呼吸をすると、ケイに向かってしっかりと頷いた。その合図を受け、ケイが近くの兵士達に合図をする。ケイの合図と共に太鼓が打ち鳴らされ、広間に儀式の開始を告げた。

 綾の目の前で大きな扉が少し軋んだ音を立てながらゆっくりと開かれていく。開かれた扉の向こうには、こちらを見ている大勢の顔が並んでいた。その中に知っている顔を何人か見つけると、綾は少し緊張が和らいでいくような気がした。

 豪華な刺繍の入った晴れ着を身に纏い、広間の中央に敷かれた絨毯の上を誇らしげに歩く綾の姿に、会場からは感嘆と驚愕の声が上がった。

 綾は広間の中央で広間の奥に設えられた祭壇に向かって一礼をすると、さらに歩いて、父であるハヤトが鎮座する王座の前に歩み寄った。綾が近づくに連れ、始めは変化した綾の姿を見て驚いた様子だったハヤトの顔に、徐々に穏やかな笑みが宿った。

 綾は父王の前で跪き、ヤマトの最敬礼を取った。壇上から衣擦れの音が聞こえ、祭祀長官のワダチが祝詞を読み上げる声が広間に響いた。ワダチの祝詞は力強く、歌のように緩やかな抑揚があって耳にとても心地良い。ほぼ徹夜状態の綾にとって、ワダチの祝詞は激しく睡魔を誘うものがあったが、綾は何とかそれに耐えていた。

 やがて祝詞が終わり、ハヤトの声が今まで聞いたことも無いような力強さで広間に響き渡る。

「今、ここに、この場にいる全ての者を証人とし、我が娘アヤを、我らが国ヤマトの第一王位継承者、すなわち次のヤマト国王とする」

 ハヤトは女官に支えられて玉座から立ち上がると、ワダチの隣に立つゴウヤが捧げ持つ漆塗りの盆から、金色に光る耳飾を一つ、取り上げた。紫の珠が先端に付けられたその耳飾は、中央の円盤に王家の象徴である龍の文様が刻まれている。ヤマト王家において、成人した第一王位継承者のみが付ける事を許された耳飾である。

 ハヤトは壇下で跪いたままの綾に歩み寄ると、自らの手で耳飾を綾の左耳に通し、満足げに微笑んだ。

「うむ。よく似合っておるぞ」

 綾はハヤトに微笑み返すと、ハヤトに導かれて立ち上がった。ハヤトが女官の手を借りながら壇上の王座に戻るのを見届けると、綾は静かに壇を登り始めた。

(王座への階段、か…)

 ごく普通の農家の一人娘として育った綾には、今ここで起こっていることは、まるで舞台か映画の中にいるような出来事だ。数ヶ月前は、まさか自分がこんな衣装を着てこんな儀式の中心にいるなんて、夢にも思うことはなかった。

 一段一段上りながら、綾はこの数ヶ月に我が身に起こったことを思い出していた。

(あの日、スオウとケイが迎えに来て、お母さんに電話して…)

 それまで疑問にも思っていなかった自分の出生の事実を知り、門を通ってこちらの世界に渡り、ハヤトや仲間と出会った。仲間と一緒に地龍の祠へ旅をした。仲間が友になった。忠誠の誓いも受けた。

(全ては、これからが始まりなんだよね…)

 壇上に着いた綾は、息を整えて上衣の裾を持ち、ヒラリと上衣の裾を翻しながら正面に向き直った。一気に会場にいる人々の顔が目に飛び込んでくる。

 綾が王座の隣に立つと、ワダチが言った。

「ヤマトの未来に、龍の導きのあらんことを!」

 ワーッと大きな歓声が広間に溢れたその時、どこからか鈴の音が鳴り響き、それと同時に広間の正面扉が大きく開いて四つの拳大の光の珠が、会場の中に入ってきた。

 驚いた人々が固唾を呑んで見守る中、四つの珠は広間の中央で人の姿に形を変え、周りにいた人々は彼らの姿を認めると一斉に跪いた。

 四つの光の珠の正体は天龍、(くが)(みお)東風(こち)の四龍だった。

 四龍は王座の前まで歩み寄ると、天龍以外の三龍は王座に向かって跪いた。

「我はこの地を守り、慈しむ者。この地の意思を以って、その者をこの地を統べるものと認めよう」

 天龍の言葉に、会場の人々の歓声が沸き起こった。天龍はそれを聴きながら綾を見つめながら、にっこりと微笑んだ。綾はその様子を見ながら平静を装ってはいたものの、その心臓はバクバクと忙しく動いていた。

(何、笑ってるんだか、この人は…。派手な登場してくれちゃって…。大体、これって、式の段取りに無かったじゃない…!)

「ただし! 条件がある!」

 大きな声を張り上げながら言う天龍の言葉に、会場が一瞬サッと凍り付いた。

(出た! 何を言い出すんだか、この人は…!)

 綾は自分の呼吸が少し上がっていくのを感じて、周りに気付かれないように深呼吸を繰り返した。

「アヤをわが妻とする。それならば、彼女を次の王と認めよう!」

(い、言ったよ…)

 綾はガックリとうな垂れたいのを我慢して背筋を伸ばした。綾の左手に握られた扇が一瞬、「パキッ」と鳴った。

 綾の苛立ちなどお構い無しに、会場には一際大きな歓声が上がった。綾がよく見ると、天龍の後ろで跪いて控えたままの澪と東風の肩が上下に小刻みに揺れている。

(二人とも、笑って、る…? あ、あいつら~)

 綾が真っ赤になりながらどうしてくれようかと思案していると、王座に座っているハヤトの手がサッと挙がり、会場が一斉にシン、と静寂に包まれた。

「天龍殿。お申し出、ありがたく存じ上げます」

(お、お父様…?)

「ただ―」

 ハヤトの言葉に、天龍の片眉がピクリと上がった。

「生涯の伴侶を選ぶはアヤの心一つ。ワシはただ、それを見守るのみ。如何にワシがこの地を()べようとも、人の心まで統べること、まかりなりませぬ」

 ハヤトははっきりとした口調でそう言うと綾の方を見上げ、綾に向かって優しく微笑んだ。

(お父様…)

 微笑みあう父娘を見て、天龍は満足そうに微笑んで壇上を登り、彼らに近付くと小声で言った。

「さすがはアヤのお父上。アヤの性格は母親譲りかと思ってたけど、本当は父親譲りなのかもしれないな」

「私の性格って…?」

 綾の問にはハヤトが答えた。

「頑固じゃろ?」

 天龍がクスリと笑った。

「そう。その通り!」

「二人とも、ひどいなぁ…」

 いじけた声を出す綾に、ハヤトが笑いながら言った。

「少し頑固なくらいが、王になるには丁度よいのじゃよ」

 天龍は微笑みながら頷くと、壇上から広間に向き直って言った。

「この地に、祝福を!」

 天龍の一言に、陸たち三龍が一斉に立ち上がった。

「この地に、大地の祝福を」

「この地に、水の祝福を」

「この地に、風の祝福を!」

 三龍の祝福を受けると、会場はますます盛り上がった。人々の興奮した様子を見ながら、天龍が綾に囁いた。

「後で君も、君の祝福をこの地に与えるといい」

「えっ。どうして?」

「君もこの地に、祝福を与えることができるんだよ?」

 そう言いながら、天龍が綾に手を差し伸べた。綾は戸惑いながら答えた。

「でも、私、龍じゃないし…」

「精霊の娘として、だよ?」

 その言葉に、綾は一瞬躊躇した。天龍は綾に優しく微笑みながら言った。

「怖がらないで。『記憶』を少しずつ受け入れてごらん?」

 綾は天龍の目を見つめながら頷くと、差し出された天龍の手に自分の手を乗せた。

「うん…」

 二人は壇を並んで降り、広間の正面扉へと向かった。徹夜の疲れか、綾は途中で軽い眩暈を起こしたが、天龍がさり気なく綾を支えてくれた。

「大丈夫?」

「う、うん…。ちょっと眩暈がしただけ」

「僕にしっかり掴まって」

「ありがとう」

 小声で遣り取りをしながら、綾はふと、天龍はわざわざこのために乱入して来たのかなと思った。本来の段取りでは、ワダチの宣言の後に綾は一人で退場する手筈だった。だが、疲れた身体で重い衣装を着たまま一人でこの距離を歩くのは、一苦労だ。天龍がいなかったら、途中で倒れていたかもしれない。

 何とか無事に広場の正面口に近付くと、二人の前で正面扉が開かれた。広間を出ようとした綾の耳元に天龍が小声で囁いた。

「アヤ、左の扉の近くを見てごらん?」

 天龍の声に促されてその方向を見た綾は、感電したようにその場に立ち止まった。

 綾の視線の先には、綾を育てた両親が微笑みながら立っていた。


「それにしても、全然連絡できなくって、ごめんなさいね~? でも、連絡したくても出来なかったのよねぇ~。ウフフフ」

 そう言いながらミトは美味しそうに澪から注いでもらったお茶を飲んだ。ミトの隣では珍しくスーツに身を包んだ綾の養父、五郎が少し居心地悪そうに座っている。

 式の後、やっと重い衣装から開放された綾の部屋に早坂夫妻が訪れた。二人は今朝、イヨの導きによって門を通り、こちら側の世界にやって来たらしい。三人はハヤトの計らいで、久しぶりの一家三人での昼食を楽しむことになった。

「もうー。心配したんだからぁ。招待してくれたウサちゃんじゃなくて、えーっと、ほら、何て言ったかしら、あの女の人―」

「イヨさんだろ?」

「そうそう! そのイヨさんが迎えに来てね。私、てっきりウサちゃんが来るかと思ってたから、何かあったのって尋ねたら、あなたが誘拐されてウサちゃんたちが助けに行ったって言うじゃない! お母さんも助けに行きたかったんだけど、ほら、お母さん、『ぶらっく』があるから~」

「それを言うなら、『ブランク』だろ?」

「そうそう! そのブランクがあるし、お父さんをここで一人に出来ないしねぇ~」

(懐かしいなぁ、この夫婦(めおと)漫才聞くの…)

 綾はミトと五郎の遣り取りを訊きながら、懐かしさで一杯になった。

「それにしても、お父さん、よく来れたね。前から知らない土地に行くの怖いから旅行は嫌いだって言ってなかったっけ? 私が東京に住んでた時も、全然来てくれなかったのに…」

 綾の言葉に、五郎が少し困ったような悲しいような、何だか複雑な顔をする。

「あー、その、だって、なぁ…?」

 五郎は口籠もりながら、隣に座っているミトに助け舟を促した。ミトが頷きながらティカップをテーブルの上に置いた。

「あの後ね、家に帰ってから、お父さんに全部話したの。私がどこから来たのか、あなたが誰なのか。そして、あなたがどこへ行ったのか」

 ミトの言葉に、その場がしんみりとした空気に包まれた。

「そうしたらね…」

 ふと、ミトが思い出したように笑い始めた。

「お父さんったら、ガラにも無く泣き出しちゃってぇ~。もう、綾に見せたかったわ、お父さんの男泣き! ウフフフフ」

 五郎が赤面しながら小声でミトに言った。

「コ、コラ! それは黙ってろって言ったろ?」

「あららら。ごめんなさ~い?」

 ミトは悪ぶれもせずに再びティーカップを手に取った。

「それでね、一週間くらい前かしら。ウサちゃんがうちに来てね」

「ウサちゃん…? あ、ケイのこと?」

「そうそう。あなたを迎えに来た、あのウサちゃん。それでね、あなたの披露目の儀が行われるから、私達にも出席してもらえないかって、お義兄様からの手紙を渡されてね。まあ、この機会に一度お父さんにも、私が生まれた世界と、綾がこれから暮らしていく場所を見て欲しいなと思って…」

「そうだったんだ…。お父様が…。私、全然知らなかったな。一言くらい、言ってくれてもよかったのに」

 綾がそう呟くと、側で会話を聴いていた澪が言った。

「ハヤト様は、アヤ様を驚かせようと思ってらしたんですよ。御両親の参列なんて、最高の贈り物じゃないですかぁ~」

「うん。そうだね。後でちゃんとお礼言っておかないと」

 綾の言葉に澪とミトが頷いた。澪と楽しげに話す綾の様子を見ながら、ミトはテーブルに頬杖を付きながら綾の後ろに流れる長い髪を見つめた。

「それにしても、それ、付け毛? まさかこの数ヶ月でそんなに伸びたわけじゃないわよねぇ?」

 そう言いながら、ミトは綾の髪をまじまじと眺めた。

「ああ、これ? えーっと、話すと長くなるんだけどさ。お母さんは『精霊の娘』って、聞いたことある?」

 綾の問に、ミトは右手の人差し指を顎に当てながら視線を天井に泳がせた。

「精霊の娘、精霊の、娘…。聞いたことあるような…。あ、あ! あああ!!」

 ミトが両目を見開きながら綾を真っ直ぐに見つめた。

「あ、綾…。まさか、あなた…」

「何なんだ?」

 ミトの様子に、五郎が眉間に皺を寄せながら尋ねた。綾は真顔で答えた。

「うん。実はね、私…。この世界で『精霊の娘』って呼ばれる存在らしいの。それでね、夕べの事件の最中に覚醒しちゃって、後で気が付いたら髪がこーんなに伸びてた」

 ミトの視線が何度か綾の顔と髪を行ったり来たりしたが、やがてミトは溜息を一つ突いて言った。

「シャンプーするの、大変そうねぇ…」

「え? お母さん、そこ?」

「だってぇ~。他になんて言ったらいいのか、わからないんだものぉ~」

 二人の会話に訳が分からないと言う顔をしながら、五郎が二人を待った。それに気付いたミトが、笑顔で五郎の膝をポンポンと軽く叩きながら言った。

「お父さんには、後で家に帰ってから説明するわね。これ、本当に長い話になるから」

「お、おう…」

 気まずい沈黙が流れ、しばらくの間三人は何も言わずに食事を続けた。その後、食事が終わる頃を見計らったように誰かが扉をノックする音が聞こえた。

「はい?」

「僕だけど。お邪魔してもいいかな?」

 天龍だ。

「うん。どうぞ?」

 澪が扉を開けると、天龍と一緒に陸と東風も入ってきた。三人とも、綾が両親と久しぶりに会うのを邪魔しないように少しの間、遠慮してくれていた。

「改めまして、初めまして。僕は天龍。この二人は大きい方が陸。小さい方が東風です」

 天龍の挨拶に、ミトは微笑みながら言った。

「あら、あなたは『初めまして』じゃないでしょう? 昔、よく綾とうちの裏庭で遊んでくれたわよね? 名前は思い出せないけど…。あの時の男の子でしょう?」

 ミトの言葉に、天龍は目を見開いて驚いている。

「ど、どうして…?」

 天龍の問に、ミトはウフフと笑いながら答えた。

「あら、私だって祭祀官だったのだもの。あなたや他の龍にこの城で会ったことが何度かあってよ? それに、あの男の子からはあなたと同じ気配を感じたから、『もしかしたら』って、ずっと思っていたの」

(お母さんって、やっぱり何気にすごい…)

 綾が感心していると、ミトは笑顔で天龍に言った。

「それで、天龍君は、綾をお嫁さんにしてくれるのかしら?」

 ミトの隣で、五郎が飲みかけのお茶を盛大に噴き出した。

「お母さん…。それに、お父さんも、もう…」

 綾が呆れて言うと、ミトは肩をすくめながら微笑んだ。澪は慌てながら五郎が噴いた茶を手ぬぐいで拭いていた。天龍は綾の隣に座ると、堂々と綾の肩に手を回した。

「ええ。僕はアヤを僕の花嫁にする気満々なんですけどね。ま、色々邪魔が入ってばかりで…」

 天龍が軽く芝居がかった溜息を突くと、ミトの瞳が爛々と輝いた。

「そうなの? それって、もしかして三角関係?」

 ウキウキと天龍に質問するミトを見て、綾は思い出した。

(あ、しまった! お母さんって、恋愛少女マンガが大好物な人だった…!)

 綾の心配など気にもせず、天龍は飄々と語った。

「三角どころか、四角ですよ。剣ばっかり振ってるような筋肉男と優等生のお坊ちゃまが僕の恋路を邪魔してね」

「まあ、素敵! 王道だわ! それで?」

(ああ、お母さんがマンガ読んでる時と同じ顔になってるよ…)

 綾がチラリとミトの隣に座っている五郎を見ると、五郎は陸と何やら話が弾んでいるようで、こちらの話は聴いていないようだった。その後ろで、東風と澪がニヤニヤしながら天龍とミトの遣り取りを聴いている。

(はあ。もう…)

「アヤ、大丈夫?」

 綾が溜息を突きながら長椅子の肘掛に寄りかかってグッタリとしていると、その様子に気付いた天龍が声を掛けた。

「うん…。ちょっと、疲れたみたい」

「そう…」

 天龍の手が綾の頭をそっと撫でた。

「少し、休むといい。晩餐までにはまだ、時間があるんだろう?」

「うーん。でも、お母さん達、晩餐には出ないで帰るんでしょう?」

 綾が尋ねると、ミトは少し悲しげな顔をしながら頷いた。

「ええ。うちも忙しいから、あまり家を開けられないのよ。だからこの後お義兄様にもう一度挨拶をして、それから帰るわ」

「そっか…」

 ミトは綾と天龍を眺めると、フフっと笑った。

「なんだかそうしてると、あの頃に戻ったみたいねぇ」

「『あの頃』?」

「ええ。あの頃も、遊び疲れて寝ちゃったあなたに天龍君がよくそうやって、縁側で頭を撫でてあげてたわ」

「…そうなの?」

 身体中が熱で火照ってくるような気がした。

「そうよ~。仲のいい兄妹みたいで、かわいかったわぁ~」

(う、うわあ…。そう言えば、そんなこともあったなぁ…。今、思い出した)

「でも、安心したわ」

 ミトが穏やかな瞳で微笑んだ。

「安心…?」

 ミトはゆっくりと頷いた。

「ええ。正直な話、少し心配していたの。この世界は、あちらの世界とは違うし…。あなたがここで寂しい思いをしてたらどうしようか、とか」

「お母さん…」

「でも、心配しなくても良かったのね。こんなに素敵なお友達に囲まれて。お義兄様も綾のことを大切にしてくれてるし。それがよくわかって、今日は本当に来て良かったわ」

(お母さん…)

 綾がしんみりと感動していると、横の方でズビッズビッという音が聴こえた。

「うっ。ひっ。うっく…。ア、アヤ様…。澪は、と、とっても、感動してますぅぅぅ~」

 号泣する澪に、東風が胸を貸しながら「よしよし」と言って背中を撫でている。

「さ、じゃぁ、私達はそろそろ行くわ。ほら、お父さんも」

 ミトがそう言いながら立ち上がると、五郎も「あ、ああ…」と言いながらそろそろと立ち上がった。

 部屋の扉まででいいと言うミトの言葉を受けて、綾と四龍は部屋の扉まで一緒に見送りに出た。

「それじゃ、綾。元気でね?」

「うん。お母さんも。お父さんも、元気でね?」

 綾と目が合った五郎はしばらくの間、目を細めながら目の前の娘の姿を眺めた。

「…お父さん?」

「あ、ああ」

 五郎はフッと微笑むと、綾の肩に手を置いた。五郎の手は大きくて、暖かかった。

「しっかり、悔いの残らないようにやりなさい。実りは遅くとも、焦らず、ゆっくり。な?」

 綾は五郎の言葉を頭の中で反復すると頷き、五郎に抱きついた。

「お、おいおい」

 五郎はどうしたらいいものやらわからず、焦っている。その様子を見ながら、ミトはクスクスと笑っていた。

「お父さん、ありがとう…。私、お父さんの娘でよかった…!」

 綾の言葉を聞いて、五郎は目を潤ませながら綾の頭を子供にするようにくしゃくしゃと撫でた。

「あらあら。お父さん、よかったわねぇ~」

 ミトが微笑みながら五郎の肩に手を置くと、五郎が真っ赤になりながら答えた。

「お、おう…。あ、ほら、あれだ。少し休むんだろ? ほれ」

「もう~。お父さんったら、照れちゃってぇ~」

「お前も、ほら、義兄さんの所に行くんだろ?」

「はいはい。じゃ、綾。『また』ね?」

 綾は顔を上げると着ている衣の袖で少し涙を拭いながら頷いた。

「うん。『また』…」

 ミトと五郎は笑顔で頷き、案内役を買って出た陸と共に部屋を出た。

 綾は二人が去った後もしばらくの間、開いた扉の向こうを向いたまま立っていた。

(『また』…)


「お義兄様は、綾が『精霊の娘』であることを御存知だったのですか?」

 ハヤトの部屋を訪れたミトは、人払いを済ませると単刀直入に話を切り出した。ハヤトはゆっくりと首を横に振った。

「いや。ワシも今日、儀式の後にババ様から聞いた」

「そう、ですか…」

「まぁ、そこに座れ」

 ハヤトはミトと五郎を自分の向かい側にある長椅子に座るように促した。ミト達より先に部屋に来ていたババ様はハヤトの隣の椅子に静かに腰掛けた。ミトは落ち着かない様子で話の口火を切った。

「伝承が本当であれば、あの子の中には、この世界に出没した全ての『精霊の娘』の記憶が宿っているはずです。先ほど会った時にはそれほどの変化は見られませんでしたし、疲れているのは昨晩のことがあるからかも知れませんが、でも…」

 ミトの言葉にババ様が頷いた。

「うむ。そのことはワシらもよーく、わかっておる。あの子があの子の中の『記憶』に慣れるまで、しばらくは様子を見ながら休養を取らせた方がええじゃろう」

「お、おい…。全ての記憶って…?」

 話を聴いて心配になった五郎が呟くと、ミトがハッとしたような顔になった。

「お前、綾は。あの子は大丈夫なのか…?」

 ミトは少し涙目になりながら五郎に言った。

「私には、わからないの。ただ、文献で伝わる中には、記憶の多さに心を潰されてしまった『精霊の娘』も何人かいたらしくって…」

「そ、そんな…!」

 座ったまま両手を膝の上で握り締めた五郎の拳の上に、ミトが手を乗せた。

「ババ様。綾は、大丈夫でしょうか?」

 ミトの問に、ババ様は静かに目を閉じながら言った。

「ワシにも、わからん。このワシとて、実際に『精霊の娘』を見るのはアヤが初めてじゃ。ヤマトには、『精霊の娘』は始祖の娘亡き後、発見されておらんのでな。ただ、確かに心を潰された娘もおったらしいが、そうでない娘達も多くおったというのが事実。ワシはアヤは大丈夫じゃと信じておる。あれは、強い娘じゃ。のう、ハヤト」

 ババ様が目を開けてハヤトに視線を移すと、ハヤトは少し戸惑ったものの、ゆっくりと頷いた。

「うむ。あれはそなた達の気質を受け継いでおる。アヤをあのように育ててくれたこと、感謝しておる」

 五郎はしばらく俯いたまま黙ってしまった。ミトはそんな五郎の様子を見て言った。

「もう~。お父さん? 綾を少し早くお嫁に出したと思ったら、大丈夫でしょう?」

「…いや」

「お父さん?」

「嫁に出したとは思えない。俺は、綾の花嫁姿をまだ見てないからな」

 五郎のセリフにババ様が声を上げて笑い始めた。

「フォッフォッフォ。よかろう。アヤの婚姻の儀には、また門をお前さん達のために用意しよう」

 その言葉を聞いて、五郎が照れながら顔を上げ、ババ様に向かって頭を下げた。

「ありがとうございます」

「いいんじゃよ。その方がアヤも喜ぶじゃろ?」

 オホン、とハヤトが咳払いを一つした。

「ま、まぁ、まだまだ先の話だがな」

 そう言ったハヤトに、ミトがフフと悪戯っぽく笑って言った。

「あら、そうかしら? 案外、すぐかもしれませんよ?」

「なにっ?!」

 ハヤトと五郎が声を合わせて言ったのを聴いたミトが笑い出した。ババ様はニッコリと微笑むと言った。

「フォッフォッフォ。お前さん達、今から心の準備はしておくのじゃな」


(悲しい。寂しい。嬉しい。楽しい―)

 色んな感情が渦を巻く。

(憎い。辛い。恋しい。愛おしい―)

 幾人もの様々な顔が目の前を過ぎ、違った風景が次々に流れていく。

 綾はその記憶の流れの中に、知っている顔を見つけた。

(司…?)

 天龍の自信に満ちた顔、悲しげな顔、諦めた顔…

(ああ、これは、阿姫(アキ)の記憶だ…)

 早送りの画像を再生に戻したかのようにゆっくりになった流れの中で、記憶の中の阿姫は、まだ幼い陸や澪に囲まれながら歌を唄っていた。

「地に渡る風と共に、水歌い、炎は囁く」

(この歌…。あの歌…?)

 天龍が綾に教えてくれた歌を、阿姫は子供達に唄って聴かせていた。阿姫の側には天龍が座り、小さな東風ともう一人の男の子の相手をしている。その男の子は、燃えるような真っ赤な髪の毛をしていた。この子はきっと、(ほむら)だろう。

 阿姫の視界の端に、遠くからその様子を眺める男の姿が垣間見え、視線はそちらへと動き、やがて焦点がその男のみを捕らえ、男の周りの視界がぼやけた。

(この人が、きっと阿姫の婚約者だった人だ…)

 綾の中に、阿姫の感情が流れてくる。

(愛しい。哀しい。あの人に触れたい。あの人に触れられたい…)

 その時、阿姫の視界の端に哀しげに阿姫を見つめる天龍の顔がチラッと映り、その表情が何よりも綾の心を締め付けた。

「アヤ…?」

 天龍の声が遠くに聴こえて、綾の意識がその声に向かって、トンネルの中を急速で潜り抜けるように上へ上へと駆けていく。

「大丈夫?」

 頬に暖かい手の感触を感じながら、綾は目を覚ました。

「つ、かさ…?」

「うん。ここにいるよ?」

 ぼやけた視界に、天龍の顔が揺らいで見えた。瞬きをすると、綾の瞳から涙が落ちた。

「あ、れ…?」

 綾は自分が何故か泣いていたことに気付いた。天龍は綾の涙を自分の指で拭いながら言った。

「辛いものでも、見たの…?」

「ん…」

 綾がボーっとしていると、天龍の手が綾の頭を優しく撫でた。その感触はまるで、綾の脳から先程まで見ていた記憶を拭い去っていくような気がした。綾はずっとそうしていたいと思ったが、視界に入ってきた窓の外の光が、ほんのりと茜色に染まってきているのに気が付いた。

「もう、起きなくちゃ…」

「もう少し、ゆっくりしても大丈夫だよ?」

 穏やかに微笑む天龍の顔が光の加減のせいか、少し疲れて見えた。

「あなたは少し、休んだの?」

 綾の問に、天龍は少し口籠もる。

「ん…。あ、まぁ、少しはね」

 それだけで綾には十分だ。綾はクスッと笑うと言った。

「…嘘つき」

 天龍は綾の言葉に片眉を上げると、「それじゃ、充電させて」と言って顔を近づけ、綾に啄ばむように口付けた。

 天龍は綾から唇を離すと、少し驚いたような顔をした。

「何?」

「いや…。嫌がらないな、と思って…。それとも、まだ疲れてるだけ?」

 綾は天龍の言葉に口を尖らせてムッとすると、「失礼な」と言って布団の中に潜った。天龍は理由がわからずに、ベットの上の小山に向かって呟いた。

「どういう意味だよ、それ…」

 綾は何も答えない。

「ま、嫌じゃないならいいんだけど」

 フッと天龍が何か思い立ったように言った。

「あ! 嫌じゃないんなら、もっとしてもいいんだ?」

「はい?」

 綾が布団の中から素っ頓狂な声を上げた。天龍はそれに構わずに、嬉しそうに綾が被っている布団を剥いだ。

「!! ちょっと!!」

 慌てる綾に天龍が抱きついた。

「それならそうと、言ってくれれば良かったのに」

「は、離してよ! バカ!!」

「やーぁだ」

 首筋に天龍の息がかかった。

「ちょっとぉぉ~」

 その時、綾の部屋の扉が突然開いた。

「アヤ様~。そろそろ晩餐の御支、度…」

 部屋に入ってきた澪が、ベットの上の二人に気付いた途端、真っ赤になって固まってしまった。

「あ、あわわわわ」

 慌てる澪に、天龍がさらに追い討ちを掛ける。

「みぃ~おぉぉ~!!」

 綾の方からは見えなくても、天龍が凄い形相で澪を睨んでいるであろうことが赤から青に変わった澪の顔色から想像できた。

「す…、すみません、すみません、すみませ~ん!!」

 澪があたふたと部屋を出て行き、部屋の扉が再び閉じられた。その様子を見ながら、綾は呆れてベットの上で脱力している天龍の隣で、声を上げて笑っていた。


 その日の夜の晩餐に綾が姿を現すと、会場が一斉に静まり返った。

 綾は紅色に花模様の入った振袖を着ていた。この振袖は綾が成人式に着た物で、それを今日、ミトと五郎は一式ヤマトへと持って来ていた。振袖の入った包みには、成人式の日に両親と一緒に家の前で撮ってもらった写真も添えられていた。

 髪の毛は髪結い係の女官に、成人式の時の写真を見せてイメージを伝えて結ってもらったが、長さのせいもあって、何となく大奥っぽくなってしまった感は否めない。

 しかし、会場が静まり返ったのは衣装の所為だけではなかった。昼間は日の光に紛れてわからなかった綾の身体から発せられる仄かな白光が、夜の薄暗くなった室内ではよく見える。身体から光を放つ存在は、この世界では二通りしかない。龍達のような精霊族か、「精霊の娘」のいずれかである。

 天龍達は光を自制する術を持っていて普段は人に紛れることができるが、「精霊の娘」として覚醒したての綾に、そんな術を得る時間の余裕は無かった。

 綾の先代の「精霊の娘」が他界してから三十年以上になる上、先代は人里離れた土地でひっそりと暮らしていた人だったために、今この会場にいる人間で「精霊の娘」を見たことのある者は誰一人としていなかった。

 始めは綾の姿を幻覚もしくは衣装のせいだと思っていた者も、一人、また一人と綾に向かって跪き始めていた。

 周りの人々が次々と跪くのを、綾は始めはそういう風にするものなのかと思いながら歩いていたが、さすがに昨日まで針のような外交議論を繰り広げていた他国の賓客達までもが跪き始めると、何かが変だと思わずにはいられない。

「スオウ…。何故お客様までが私に跪くの? この着物、何かスゴイ意味でもあるの?」

 綾が今回のエスコート役であるスオウにそっと囁くと、スオウが意外だと言う顔をして答えた。

「御自分の変化にお気づきではいらっしゃらないのですか? 我が主」

「『変化』?」

 綾が首を傾げると、スオウが小さく頷いた。

「あなたが、白い光を纏っていらっしゃるからですよ」

 綾は一瞬考え、そして思い出した。昨晩、歌を唄ったら白い光が部屋を満たしたこと。そして、サガミに襲われた時に眩い光に包まれたこと。

「あれ、私から出てたのね…」

 やっと合点が行ったというように呟く綾を見て、スオウがプッと噴き出した。

「…スオウ」

「も、申し訳、ございません。お気づきになられて、い、いないとは…。意外、でしたので」

「いいよ、笑いを堪えなくても」

 綾が呆れて言うと、スオウが大真面目な顔をした。

「いえ。この場で大笑いはできませんので。堪えます」

「よろしい」

 綾は先に奥の席に付いていたハヤトに挨拶をし、ハヤトの隣に用意されている自分の席に着いた。綾の着席に伴って他の賓客たちも各々の席に着席すると、形式ばった賞賛の言葉と乾杯の音頭を合図に晩餐は始まった。

 晩餐の間中、綾は綾の変化に対する好奇心に溢れた視線を浴び続けていた。昨日まで人の揚げ足を取って喜んでいたような人達までもが、今日は穏やかにヤマト国の息災を祈る祝辞を贈り、和やかな空気の中、綾はシンサイ国の他、二国から食料供給の援助に対して前向きな返答を取り付けることが出来た。

 綾は揚々と賓客との会話を楽しむことが出来たが、側で警護を勤めるスオウやケイ、ゴウヤは気が気では無かった。

 賓客たちの中には、綾の変化に明らかに畏怖(いふ)の目を向ける者もいたからだ。


 翌朝、ヤマトを訪れていた賓客達がほぼ一斉に自国への帰路に着き始め、その中にはシンガもいた。城の正門口で慌しく見送りが行われる中、帰国準備の整ったシンガが従者のラライを伴って他国の使者を見送っていた綾達に近付いてきた。

「あら。あなたも今日だったの? 近くなんだし、もう少し留まっていかれるのかと思ったのに」

 残念そうに綾が言うと、長身のシンガは綾を見下ろしながら少しはにかんだ。

「うむ。余もできればもう少し留まりたかったのじゃが、国元で色々とやりたいこともあるのでな」

 シンガの言葉に、綾が頷いて悪戯っぽく笑った。

「どうせ、私の話を元にした物を早く作ってみたいんでしょう?」

 図星を指されたシンガは、頭を少し掻きながら「うむ。その通りじゃ」と言って笑った。

「余は、一刻も早く工房に籠りたいのじゃ。おとといから、うずうずして身体がどうにも止まらぬ」

(本当に機械作りが好きなんだな、この人…)

 綾は笑顔でシンガの顔を見ると、右手をシンガに差し出した。

「元気でね?」

 シンガは笑顔で頷いて綾の手を力強く握った。

「ああ。すぐにまた会おうぞ」

「うん」

「では、達者でな」

 シンガはそう言うとシンガの後ろで会釈をしていたラライと共に去ろうとし、途中まで行ってふと立ち止まると、突然何かを思い出したかのように振り向いた。

「アヤ!」

 シンガに呼ばれて、他の賓客の見送りに行こうとしていた綾も振り返った。声のした方から、シンガが必死な顔をして走りながらこちらに向かってくるのが見えた。

「え? な…」

 何?と言おうとした綾の口がシンガの身体で塞がった。シンガは綾の元へ戻ってくるなり、綾に物凄い勢いで力一杯抱きついた。

「!!」

「アヤ。しばしの別れじゃが、息災でな。それから―」

 シンガは腕の力を緩めて身体を綾から少し離し、呆気に捕らわれたままの綾の顔を真っ直ぐに見ながら言った。

「そなたを嫁に欲しいと言うたこと。あれは本気じゃ! 忘れるな? 天龍ではなく、余を選べ!」

 シンガは真っ赤な顔でそう言うと、綾の反応を待たずに踵を返して走り去って行った。その後姿を、綾は呆然と立ったまま見送っていた。

 それからしばらくすると城の正門前から賓客達を乗せた馬車が一斉に去り、辺りは一気にガランとして見えた。

「…最後になかなかやりますね、あの王子様も」

 綾の後ろからクスクスと笑いながらケイが近付いてきた。

「天龍と言い、シンガ様といい、どうして私の周りの男の人ってこう、自分勝手なのよ」

 綾はそう言いながら城の中庭へと続く通路を歩き始めた。ケイは綾と並んで歩き始めた。

「でも、彼らが欲しいのはアヤ様御自身ですから。これからさらに押し寄せるであろう幾多の求婚者たちよりは、よっぽどましなのではありませんか?」

 ケイの言葉を聞いて、綾は大きく溜息を付いた。実際、披露目の儀以降、ハヤトの元に縁談が次々と押し寄せていると聞いている。

「私より美人でおしとやかで扱いやすい理想的なお姫様が、この世界には沢山いるでしょうに…」

 綾がうんざりした顔でそう言うと、ケイが真面目な顔で言った。

「あら。お気づきではないのですか? アヤ様御自身も、この頃随分とお綺麗になられましたよ?」

「ケイ。お世辞はいいから」

 綾がそう言うと、ケイはフフっと笑って言った。

「では、率直に申し上げましょうか。国に龍の祝福を授け、さらに『精霊の娘』であるあなたを欲する国は多いと言うことです」

「…今度は随分と単刀直入ね」

「それをお望みでしたので」

「わかってる」

 中庭には、元気を取り戻してきている草花が少しずつ緑で庭を覆い始めていた。そのせいか、最近では庭で蝶や鳥なども見ることができる。

 綾は庭の東端に向かっていた。東端のある一画に近付くと、綾に気付いた庭師が綾に会釈をした。

「アヤ様。こちらです」

 庭師に促されて足を運ぶと、そこには小さな畑が出来ていた。

「うわあ。ここまでしてくれたの? ありがとう!」

 畑の中には小さな苗が間隔を置いて植えられていた。庭師が水を与えたばかりらしく、小さな苗はところどころに水滴をつけながら太陽の光を気持ち良さそうに浴びている。

「これが、例の…?」

 興味深げに苗を見ながら尋ねるケイに、綾は元気に頷いた。

「うん。お父さんが持ってきてくれたトマトとキュウリとナス! ちゃんとこっちでも育つといいんだけど…」

 五郎とミトは、振袖の他に野菜の苗を持ってきてくれた。どれも綾が実家にいた頃に育てたことのある野菜たちだ。

 庭師が微笑みながら言った。

「ヤマトの植物で似たような物がありますから、きっとこいつらも大丈夫でしょう。上手く育ってくれるように、自分も精一杯頑張りますよ」

「ありがとう!」

「いえいえ。アヤ様に土仕事をやらせるわけにゃ、いきませんから」

 その言葉には、綾は両頬を膨らませて抗議した。

「どうしてよ? 私だって、土くらいいじるわよ? 時々は水遣りくらいやらせてくれてもいいでしょう?」

 庭師は滅相も無いと恐縮したが、それでは納得できないと言う綾の剣幕に押され、では水遣りに時々来てくださいと言うと自分の仕事に戻っていった。

「アヤ様。あまり庭師を困らせないで下さいね?」

 ケイが呆れてそう言うと、綾は「わかってるわよ」と言いながら城へ戻り始めた。

 その時、綾はふと後ろに気配を感じて振り返った。綾が振り返ると同時にケイが綾を庇うように前に立ちはだかった。

 綾が感じた気配は庭の茂みの中に二つ。

 その気配は綾たちに感知されたことを知ると茂みからスルリと姿を現し、綾の前に跪いた。その姿を見て綾とケイは息を飲んだ。

 それはサガミと黒装束の女、サキの二人だった。

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