遭遇、しました
綾は最近、誰かに呼ばれているような気がすることがよくある。
その度に自意識過剰だよね、と、そう自分に言い聞かせる。
(でも、何か気になるのよね。変なの)
その日は、天気のいい日曜日だったが、綾は朝から不機嫌だった。日課のジョギングの最中や買い物の最中に誰かに見張られているような気がして、何だか気持ちが悪い。
気配を感じて振り向いても、誰もいない。
(おとといテレビでやってたホラー映画の影響かな)
不安な気持ちのまま、綾は携帯電話を手に取った。
*************
「綾。あなた、それっていわゆる、『すとおかん』っていうものではないの?」
「お母さん、それを言うなら『ストーカー』だよ。ストするおかんでどうする」
「そうなの~? でもね、気をつけなさいよ~。都会には変な人たち、たくさんいるって言うじゃない?」
「まぁ、そっちよりは多いだろうね。人口多いんだから当たり前だけど」
「そういう意味じゃなくって…」
綾は母と電話で話をしている。
地方の農家の娘として産まれ育った綾は、中学1年の頃にテレビで見たアメリカ映画の中のヒロインがオフィスでバリバリと男勝りに働く様子を見て、いつか自分もああなりたいと憧れを抱いた。
父や母のように土をいじって暮らすのも嫌いではないけれど、これからの時代はオフィスで大勢の人達を動かすような職業だ!それにはとにかく大学だ。それも都会の大学だと、中学、高校で猛烈に勉強した。その甲斐あって現役で東京の大学に合格した綾は現在、とある大学の経済学部で勉強中。いずれ憧れのヒロインのように、バリバリと男性に混ざって働くんだ~とそればかりを夢見ているから、男っ気、まるで無し。
目標があるのは楽しい。でも、がむしゃらに進んでいくっていうのは、時々とても疲れるものだと最近よく実感する。東京での時間の流れの速さには無理矢理慣れたものの、やっぱり18年過ごしてきた田舎とは違う時間の流れの中で息を抜ける場所が、ここでは少ない。
だから時々、週末に実家に電話をかけて母親と他愛も無い話をする。
母親の声は、自分の時間を田舎にいたころのようなのんびりしたものに一時でも変えてくれる。自分が自分らしく呼吸をすることのできる時間に。
「そういえば、まだ高校で弓の指導してるの?」
母は地元ではちょっと有名な「弓のおばちゃん」である。
「してるわよ~。今年は結構有望な子達が多くてね。夏の大会が楽しみだわ~」
「へぇ~。行けたら行くから、日程と場所、メールしておいてね。OGとして応援するから」
「はいはい。お父さんに打ってもらうわ~」
「携帯、自分の持ってるでしょ?」
「持ってるけどー。いまいち『いんたあねっと』っていうののやり方がわからないんだもの」
「『だもの』じゃないよ。かわいこぶっちゃって、もう」
「うふふ」
母は何故か上品なところもある人だ。
綾の両親はその昔、地元の弓道場で知り合ったのだそうだ。
母は父に誘われるまで弓道をやったことはなかったそうなのだが、すぐに上達して地元や中央の大会で優勝するまでになった。
「あいつに教えてやるんじゃなかった」と父は今でも悔しがる。
2人は今でも弓を続けているが、父は農家の仕事が忙しいから、母が代わりに地元の高校の弓道部のコーチになっている。
綾は小さい頃から地元の弓道場で両親から手ほどきを受け、高校に入ってからは母の教える弓道部に所属していた。
今でも帰省すると必ず地元の弓道場での練習に参加する。
でも、どんなに頑張っても母の作法には到底及ばない。
母の射る姿は凛としていて、いつもそこだけ空気が違って見えた。
そして、的を見据える母の瞳がその時だけ、的よりもさらに遠くのどこかを見ているような気がしていた。
「とにかく、気をつけてね。あんまり夜遅くに独りで外を歩いちゃだめよ。綾だって一応、女の子なんだから」
「一応って何、一応って!」
綾が呆れた声を出すと、携帯の向こう側から父の「ただいま」と言う声が遠くに聞こえた。
「うふふ。あ、お父さんが帰ってきたわ。それじゃぁ、またね、綾」
「うん。また…」
携帯を耳から話すと、途端に寂しさを感じた。
ひとつ深呼吸をして、テーブルの上に広げたままの様々な資料に視線を移す。
「うう。今度のレポート、テーマが決まらないよぉ~。どうしよー」
窓を見ると、外はまだ十分明るい。
綾は散歩と言う名の現実逃避に出かけることにした。
「間違いなさそうだな」
低い男の声がそう呟く。
「はい。亡き王妃様に面影が似ていらっしゃいますし、『気』も感じられます。あの方に間違いないかと…」
小声で女の声がそう言うと、二組の眼がマンションの入り口から出てきた若い女性を追った。
「それにしても、ミト様のお姿を全くお見受けしないが、一体どちらに…」
「何処かへ出掛けられているのか、もしくは一緒に御住まいではないのかもしれません。少なくとも今日1日様子を見ている限りでは、ミト様のお姿をこの近辺で拝見しませんでしたし」
2人はしばらく黙って歩いていく綾の後姿を見つめた。
「決め手に欠けるな」
「それは承知の上です。ですが―」
女の強い瞳が男の目を真っ直ぐに見つめた。
「わたくし達には、残された時間がもうあまりございません。それはあなたもよくご存知のはずでしょう?」
「……」
二人はお互いの目を見合わせた。
男は静かに溜息を一つ吐くと、視線をもうほとんど見えなくなった綾に移した。
「仕方あるまい」
低い声が漂う。
「賭けてみるか」
2つの人影が動き出した。
綾の住むのマンションのすぐ近くに、散歩のできる広さの公園がある。この公園が気に入ったから、あのマンションに住めて幸せだと思う。時々この中を軽くジョギングしてみたり、散歩したり。暖かい日には芝生の上で本を読んだりして、心の充電ができるのが綾には嬉しい。
綾はしばらく緑の生い茂る木々の並ぶ小道を気の向くままに歩いていたが、ふと、背後に視線を感じて立ち止まった。
(誰…?)
振り向いてみたが、誰もいない。
また、あの変な感覚。
綾は雑念を払うかのように軽く頭を振ると再び歩き出した。
いや、正確には「歩き出そうとした」。
いつのまにか、綾の足元には頭をすっぽりと覆う形の薄茶色の外套を羽織った人物が二人、綾に向かって恭しく跪いていて、綾は危うくその一人に躓いてしまうところだった。
「あ、あの…」
(ちょ、ちょっと、何?この人達!!こんな格好で…)
綾が考えを頭の中で巡らせていると、大柄な方がこう言った。
「貴殿が『アヤ』姫様で相違ないか?」
「は? えっと、私は綾ですけど、姫じゃないです」
(何、この人達? あ、お芝居の稽古中とか? まさか一般人ドッキリ??)
綾は助けを求めるように、辺りを見回した。
その時、異変に気が付いた。
(音が…)
辺りからは、先ほどまで聴こえていたはずの雑音が全く聞こえなくなっていた。
それだけではない。
周りにいる人達が皆、写真のように動かない。まるで、時が止まってしまったかのように…
「な、何? 何これ…? な、何かのチャレンジ? ドッキリ? は、はは…。まさかね?」
震える声で呟いた綾の言葉に、目の前の2人が反応した。
「驚かせてしまったようで申し訳ない。だが、我らの姿を他の人間に見られるわけにも行かず、こういう方法をとらせていただいた。我らの周りの空間を除き、ケイの術式を使い、時を一時的に止めている」
良く通る低い声でそう言いながら、体格の大きい方が外套のフードを頭から外した。フードの下からは、長い黒髪を後ろで一つに束ねた男の顔が現れた。
20代後半くらいだろうか。意志の強い目が真っ直ぐに綾を見ている。よく見ると左の眉に傷跡があって、昔見た時代劇の剣豪風だ。
(いかにも体育会系。それとも『ムサシ』とかいう感じ。あ、いや、今はそうじゃなくて)
「え、えーっと、どちら様ですか…? どこかで、お会いしましたっけ?」
綾はそう言いながら少し後ずさった。
「わたくし共は、あなた様をヤマトよりお迎えに上がりました」
もう一人いた方が上品な声でそう言いながら、外套のフードを頭から外した。
(バ、バニーちゃん…?)
フードの下から、まさかのウサ耳がピョコンと出てきて、綾は拍子抜けした。
明るい茶色のウェーブがかった髪の毛の間から生えたそれは真っ白の、いわゆるバニーちゃん系のもので、持ち主の「クールビューティー」のお手本のような整った女性の顔に、いささか似つかわしくなかった。
「わたくしの顔に、何か…?」
そう言いながら眉根を寄せる様も美しい彼女の頭に、モフモフのウサ耳…
しかも、彼女の表情が変わるのと同時に耳も少し怪訝そうな素振りを見せた。
(う、動いた…。まさか、本物の耳…?)
「お前の耳が珍しいんだろ。この辺りじゃ、亜人はちっとも見かけんからな」
男が低い声でそう言った。
「あじん…?」
「ここにいるケイは亜人と言って、人と動物の間みたいな容姿と能力を持つ。でも、ヤマトじゃ亜人は珍しくも何ともないのだが」
「ケイ…?ヤマト…?」
困惑する綾に、ケイと呼ばれたウサ耳美女がうっすらと微笑んだ。
「申し遅れました。わたくしの名はケイ。こちらがスオウ。我らはヤマト国より、アヤ姫様をお迎えにあがりました」
誇らしげにそう告げるウサ耳美女を前に、綾は固まったまま動かない。
いや、頭の中で綾の脳が情報の処理に困ってエラーメッセージを出してフリーズしている状態と言ったほうが適当かもしれない。何とか綾の脳が搾り出した台詞が「はぁ…。何かの…間違いでは?」だった。
「いえ。間違いではないと思います。あなた様はお母上、我らが亡き王妃、カノ様にとても良く似ていらっしゃいます」
(「かの」って、誰?っていうか、私のお母さん、生きてるし!)
「あの…。えーっと、それは、間違いだと思います。私の母はちゃんと存命してまして、名前も『かの』ではないんですけど」
「ケイ…」
スオウが呆れた声で呟きながら、鋭い眼光でケイを刺した。
それと同時にスオウの身体から発せられる威圧のオーラを受けて、ケイの顔が見る見るうちに赤く染まっていった。ウサ耳がわなわなと震えている。
「ス、スオウ… そんなはずはありません! わたくしは確かに、本当に、確実に、この方からカノ様やミト様と似通った『気』を感じ取りました!」
(ぎゃ、逆切れ…? あ、でも…『ミト』様…?)
「あ、あの…」
綾は声をかけてみたものの、それを言うべきかどうか、まだ迷っていた。
が、振り向いたウサ耳美女の潤んだ赤い瞳を見てしまったのが悪かった。
(や~め~て~。私、動物のつぶらな瞳に弱いんだってば~)
綾は腹をくくった。
「私の母の名は『みと』っていうんですけど、それって何か関係あります?」
ケイとスオウの瞳が爛々と輝くのを見て、綾は心の底から後悔した。