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この地に渡る風  作者: 成田チカ
18/25

間章 「始まり」

 山の中腹を南へとひたすら歩いていた旅人の一行は、木々の合間から眼下に広がる緑の草原を見留めて立ち止まり、各々が感慨にふけっていた。その中に、年の頃十六、七の美しい娘が一人いた。

 潤んだ瞳で緑に揺れる土地を見つめていた娘の肩を、大きな男の手が包み込んだ。娘はその手の主を見上げると、ゆっくりと微笑んだ。

「やっと、やっと辿り着いたのですね、お父様…!」

 父と呼ばれた男は赤くなった瞳で娘に微笑み返す。

「ああ…。ここが我らにとって、新たな永住の地となる事を祈ろう」

 娘は頷くと、ふと、悲しげな顔をした。

「お母様にも、この風景を見せて差し上げたかった…」

「ああ、そうだな…」

 父娘はしばらくその場に立ち、青々と広がる大地を眺めていた。


 ここから遥か北の大国で年老いた王が亡くなると王位を巡り、親族同士で醜い争いが起こった。それは大きな内乱へと発展し、大勢の民の命を奪い、国土を焼いた。

 皇太子であったミナトは何者かの策略に陥れられ、家族と友を守るために国を離れる以外に生き残る道はなかった。いくつもの山々を越え、大陸の東南端に位置するこの地へとやっとの思いで辿り着いた。ここには未だ国が無く、遊牧民や農民、そして沿岸の漁師達が各々小さな集団を作って暮らしているような、そんな自由な土地なのだと旅の途中で聞いた。

 国を出るときは三十余名いたはずの一行も、過酷な山越えや飢えには勝てず、今では十数名が残るのみとなってしまった。旅の途中で埋葬した仲間達の中には、娘の母親である妃も含まれていた。

 一行は山を下りると、点在する自治体や遊牧民達の元を点々として食い繋ぎながら、彼らの安住の地を求めて彷徨った。

 

 旅は、姫として生まれ育った娘には過酷なものだった。それまで、彼女は長い距離を自分の脚で歩くなど、一度たりともしたことがなかった。柔らかな絹の衣装は丈夫な木綿の服に取り替えられ、それすらも裾がほつれて所々に糸が出ていた。

 それでも娘は幸せだった。自分は今、こうして生きていて、そして愛する許婚が常に自分の側にいた。

 娘の名は、アキと言った。この名は、自分の生まれ故郷では第一王女を指す言葉だ。本当の名は、結婚する時に初めて両親から下賜される。それが北の王家の風習だった。

 ボロを纏い、埃にまみれ、頬が少しこけてしまっても、アキは変わらずに美しいと彼女の許婚であるタカオは思っていた。彼とアキは幼馴染で、幼い頃に親同士が結婚を決めた間柄だが、大きくなるにつれて二人は自然に愛し合うようになっていた。だから、アキが父であるミナトと共に国を出る事を余儀なくされた時、自分の家族や財産を失っても、彼女と共にあろうと決心してここまでやってきた。


 一行は東南端の海岸線に位置する小さな漁村に辿り着いた。

 その村には、古から伝わる「天龍窟」という洞窟が近くにあり、そこではここの土地神である天龍を祀り、航海の無事や家族の健康などを祈っているのだという。

 信心深い漁村の人々の様子にうたれたミナトはアキを伴い、天龍窟へと祈りを捧げるために赴いた。

 洞窟は深かったが、壁に生えているヒカリゴケが辺りを薄暗く照らしていた。やがて二人は最奥にある天龍の祭壇の置かれた、少し広くなった空間に出た。中は天井付近の岩壁の隙間から自然光が入り、柔らかな光に満ちていた。

(何て、穏やかな場所なのかしら…。洞窟の中だというのに、暖かく、そして優しい…)

 アキはしばらくの間、岩間から漏れる光の中で佇んでいた。

「アキ。祈るぞ。こちらへ来なさい」

 祭壇の前からミナトが呼んだ。

「はい、お父様。ただいま参ります」

 アキは父の横に立ち、祭壇に向かって一礼するとその場に跪いて祈り始めた。

(どうか、一日も早く、皆が心安らかに留まることの出来る土地が見つかりますよう…)

 二人が祈りを捧げていると、不意に上から若い男の声がした。

「お前は、国が欲しいのか?」

 驚いた二人が顔を上げると、祭壇の上に美しい絹の衣を纏った若い男が一人、宙に浮いていた。

「な、何者だ…?」

 ミナトが腰の剣に手をかけようとすると、男はクスっと笑って二人の前にふわりと降り立った。

「お前は国が欲しいのか?」

 男はミナトの問には答えず、再び同じ問をミナトに返した。

「な、何故…」

 ミナトは剣の柄に手をかけ、アキを守るように前に出た。男は珍しい金色をした長い髪を少し掻き揚げると、両腕を胸の前で組んでニッコリと微笑んだ。

「お前はさっき、そう祈ったじゃないか。『自分の国が欲しい』って。だから訊いてるんだよ。お前の国が欲しいのかって」

 ミナトは警戒して男を睨みつけたまま、男の問には答えなかった。その様子を見て、男は少し肩をすくめてみせた。

「許してやってもいいと思ったんだけどね。お前がこの地を統べるのを」

「お、お前は一体、何者だ?」

 ミナトの問に、男は優雅に微笑むと言った。

「僕は天龍と呼ばれる者。この地の守護者さ」

「て、天龍? 守護者、だと…?」

 天龍は黙って頷くと、視線をアキに移した。

「服がこんなに汚れて、可哀想に。おいで」

 天龍に差し出された手にアキは一瞬躊躇ったが、恐る恐る自分の手を伸ばして天龍の手に乗せた。天龍はアキの手を掴んで立ち上がらせると、「あれに着替えるといい」と近くの岩を指差した。そこには、いつの間にか美しい絹の着物と髪飾りが置いてあった。

「これは…?」

「お近づきの印に、君にあげるよ。きっと似合う」

「でも…」

 躊躇うアキに、天龍は優しく微笑んだ。

「そこの通路の奥に、湧き水の流れる泉がある。そこで身体を洗うといい」

 アキは天龍に言われた通り、泉で身体を洗って新しい着物を身に付けた。久しぶりに着る絹の衣は、アキに幸せだった北の王宮での暮らしを思い起こさせた。

「やっぱり、よく似合う」

 アキの姿を見た天龍が嬉しそうにそう言うと、アキは思わずニッコリと微笑んだ。

「ああ、いいね、その笑顔。やっぱり君だ―」

「え…?」

「ミナト。お前に条件がある」

 天龍はミナトに向き直ると、ハッキリとした口調で告げた。

「アキを僕の妻にする。さすれば、お前にこの地を任せる。僕の加護の下、この地はお前を裏切ることなく、豊かな実りと糧を約束する。人々がお前の元に集まり、お前はお前の国をこの地で手にすることができるだろう」

 ミナトは呆然と天龍とその傍らに立つアキを見つめていた。

(悪く、ない。実に悪くない話だ。ここに、俺の国を。俺が俺の手で作り上げることができるのだ)

 皇太子として生まれ育ったミナトにとって、自分の国を持つということは、捨てがたい夢ではあった。それに、長い旅の果てに、ミナトは探し続けることに疲れていたのかもしれない。

(だが…。本当にこの話を信じていいものか?)

 ミナトは顔を上げて天龍に向き直った。

「お前が真に天龍であるという、その証を見せろ。そうでなくては、この話は意味が無い」

 ミナトの予想に反して、天龍はあっさりと簡単に答えた。

「それもそうだな。いいだろう」

 天龍がそう言った途端、天龍の身体から光が溢れ、天龍の姿が人から巨大な七色に光る鱗を持った龍の姿へと変わった。

 天龍は二人を掴むと洞窟の上を突き抜け、地上へと出た。そこは滞在している漁村を見下ろすことの出来る崖の上に広がる草原だった。

 天龍がゆっくりと二人を地上へ下ろすと、二人はしばらくの間、呆然としたまま座り込んで動かなかった。

「これでいいだろう? それともまだ、疑っているんじゃないだろうね?」

 巨大な龍から聴こえる声は、まさしく先ほどまで聴いていた天龍と名乗る男の声と同じだった。

 ミナトは一つ大きな深呼吸をすると勢いよく立ち上がり、宙に浮かんだままの天龍を見上げた。

「わかった。お前の条件を飲もう。俺に、この地を統べる力を」

「お父様!!」

 アキがミナトの着物の袖を強く掴んだ。

「何だ、アキ」

「お父様、私にはタカオが…!」

 ミナトの脳裏にアキと一緒に仲睦まじく微笑んでいるタカオの姿がよぎったが、もう彼の心はすでに決まっている。ミナトは娘の瞳を真っ直ぐに見つめた。

「…すまない」

「お父様!」

「タカオのことは、悪いようにはしない。だから、お前は天龍に仕えてくれ」

「お父様…」

「アキ。頼む…」

 父の真剣な眼差しを受け、ミナトを掴んでいたアキの手が緩んだ。アキは俯くと、小さな声で言った。

「…お父様の、仰せのままに」

「契約は成立だな」

 天龍はそう言って、空高く舞い上がった。上空で天龍の身体が一際眩しく光り輝き、七色の光が遠くまで伸び、辺りを満たした。その光に気付いたミナトの仲間や近隣の住人たちがミナト達の元へと集まり、天龍と共に佇むミナトの姿を見ると、次々に地面に跪き、天龍とミナトに祈りを捧げた。

 人々は皆、アキが流している涙は歓喜の涙だと信じて疑わなかった。


 そして、その日からミナトは「王」と呼ばれ、時を経てヤマト王国の「始祖」と呼ばれるようになった。

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