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この地に渡る風  作者: 成田チカ
16/25

9章 「紫影」

「う~え~さ~ま~。おっはようございますぅ~」

 天龍の朝は、(みお)の目覚ましボイスで始まる。

「ああ、澪。おはよう。今日もいい天気だね」

「はい、上様。お召し物はこちらです。すぐに朝餉の準備をいたしま~す」

「ああ。宜しく」

 澪はパタパタと忙しく動き回り、慣れた手つきで朝食の用意を整える。

 天龍が着替えを終えた頃に(くが)が天龍の部屋にやってくる。地龍の祠から戻ってからというもの、朝食をこの三人でとるのが日課になった。

「上様。おはようございます」

「おはよう、陸」

「陸、おはようございますぅ~」

「ああ、おはよう、澪」

 三人はそれぞれテーブルの定位置に付き、食事を始めた。

「上様、本日の御予定は?」

 陸の問に、天龍は優雅に首を傾げる。

「んー。特に何も無かったと思うよ。最近、アヤが僕に構ってくれないから、暇でしょうがない」

 澪が頷く。

「アヤ様はお戻りになられてから、毎日忙しくていらっしゃいますものね~。仕方がありませんよ」

「…」

 陸は静かに何かを考え、ゆっくりと口を開いた。

「アヤ様のことですが…」

「アヤが、どうかしたのかい?」

「その…。上様、最近また何か、アヤ様にいたずらをされましたか?」

 陸の言葉に、天龍が眉をピクっと動かし、眼を細めた。

「…それは、どういう意味かな? 僕には思い当たることは、何も無いけど?」

 多少トゲ混じりの天龍の言葉に、陸はさらに困惑したような表情をした。それを見た天龍が、苛立ちながら髪を掻き揚げた。

「その顔。僕を信じてないわけ? 本当だよ。いたずらどころか、ケイが仕掛けた不可侵の術式のお陰で、彼女の部屋にこっそりと忍び込むことすらできやしない。全く。僕を誰だと思ってるんだか、あの連中は」

 憤慨する天龍をよそに、陸は腕を組みながら首を傾げた。

「では、何故なのでしょう…」

「アヤ様が、どうかされたんですかぁ~?」

 澪は平然とした様子で食後のお茶を楽しんでいる。

「いや、私の思い過ごしなら良いのですが…」

「まさか。僕の他に男が?」

「いえ。天龍様ですら侵入できないアヤ様のお部屋に、他の男性が侵入することは不可能です」

「…まぁ、そうか。では、何なんだ、陸?」

 陸は一瞬躊躇いつつ、天龍に言った。

「最近、アヤ様が天龍様を避けておられるような気がするのです」

「それって、いつものことじゃないですかぁ~」

 澪の言葉は、悪意が無いだけに余計、天龍の心にダメージを与えた。

「避けられて…? でも、僕は本当に、地龍の祠からの帰り道に水浴び中のところを抱きついて以来、何もして無いのに?」

「うわぁ。上様、そんなことしちゃったんですかぁ~?」

 見た目も明らかに天龍からドン引きしている澪に「出来心だ!」と言い放つと、天龍は陸に向き直り、テーブルの上に頬杖をつきながら尋ねた。

「お前は、どうしてアヤが僕を避けていると思ったんだい?」

 あからさまに不機嫌な天龍を見ながら、陸は小さな溜息をついた。

「最近、廊下などで上様と一緒に歩いている時にアヤ様とすれ違うと、アヤ様が上様の事を極力見ないようにされているようですので」

「気のせいじゃないのか?」

「いえ」

「照れてるだけとか?」

「いえ」

「…妙に断言するね、陸」

「それはもう。会う度に同じ態度を取られますと、やはり」

「やはり?」

「上様がまた、何かしでかしてしまったのでは、と」

 陸の言葉に、澪が感慨深げに頷いた。

「そうですよね~。思いますよね~、やっぱり」

「澪。お前もか?」

 天龍が泣きそうな顔で澪を見た。澪はやはり平然とした態度で、美味しそうにお茶を飲んでいる。

「ん~。でも、これは『乙女の勘』ですけど…」

「何だ。言ってみろ」

「アヤ様は別に、上様の事を無視していると言うわけではないと思うのですよ。それよりも、その逆、というか…」

「祝言が近いということか?」

 目を輝かせながら言う天龍に対し、澪は微笑みながら首を横に振った。

「い~え~。そこまでは」

「…なんだ」

 天龍はあからさまに肩を落として見せた。

「直接、お話されてみることですね~」

 澪の言葉に、天龍は頬杖をつきながら溜息をついた。

「…それが簡単にできてたら、こんなに退屈してないよ」


「アヤ、ちょっといいかね」

 部屋でケイから術式の系統についての講義を受けていた綾の元へ、ババ様が中年の女性と共にやって来た。

「どうぞ。こちらももう終わるところでしたから」

 ケイはそう言いながら机の上に広がっていた資料や本を片付け始めた。

「ほお。今日は術式の勉強かい?」

 机の上に残っていた教本を手に取りながらババ様がそう言うと、綾が頷いた。

「そうです。ここのところ、朝はケイかゴウヤの講義を受けて、午後に兵士の訓練に紛れてスオウと弓や剣の練習をしてるって感じなので。それで、えーっと、そちらの方は?」

 綾が視線をババ様の後ろに立つ女性に向けると、女性は穏やかに微笑みながら綾の前に跪いて一礼をとった。立ち上がった彼女の腰帯には金色に光る青龍の紋章が下がり、その傍らで小さな銀の天秤をかたどったアクセサリーが揺れている。

「えーっと、青龍だから、生産省? 生産省の副長さん、でいいのかな?」

「正解じゃ。ほお。しっかり勉強しとるようじゃの」

 満足げに微笑むババ様に、綾はにっこりと笑って見せた。

「そりゃぁ、毎日毎日講義の時間を詰め込まれてればねぇ、ババ様?」

「じゃが、早く一人前になりたいと言ったのは、アヤ、お前の方じゃ。しっかり精進せい」

「はあーい」

 相変わらず、口ではババ様に敵わない。

「ほれ、自己紹介せい」

 ババ様に促されて、女性が綾の前に立った。

「お初にお目にかかります、アヤ姫様。私は生産省副省長、名をイヨと申します。この度、ババ様の命により、姫様の教育係の一員として御側に上がることになりました。宜しくお願いいたします」

「イヨさんね。初めまして。綾です。『姫』はいらないわ。そう呼ばれるの、慣れてないから恥ずかしくて」

「では、『アヤ様』とお呼びすればよろしいですか?」

「とりあえず、それでお願いします。本当は『様』もいらないくらいなんだけど、それを言うと皆うるさくって」

 綾の言葉に、ケイがギロっと睨みながら言った。

「当然です! 恐れ多くも、あなた様はこの国の姫君。しかも第一王位継承者でいらっしゃいます。そのような方を『アヤちゃん』などとお呼びするわけにはいきません! 呼び捨てなど、持っての外です!」

「…ほらね?」

 ババ様とイヨが声を出して笑った。


 綾達が地鎮めの儀から戻って二週間が過ぎた。

 その間に披露目の儀の日程が決められ、本格的な準備が始まった。披露目の儀が執り行われるまであと二週間。経費の問題から、あまり大きなことは出来ないと言われたが、それでも来週からは友好国の使節たちが到着し始める予定になっている。

 変化と言えば、披露目の儀の日程が発表された時点から、綾は比較的自由に城の中を歩きまわれるようになった。とは言っても、相変わらず「教育係」の誰かが同行しなければならない上に、歩き回る時間がほとんど与えられていないので、これはあまり「変化」とは言えないかもしれない。

 ケイとゴウヤは容赦無く知識を詰め込んでくるし、スオウの剣や護身術の稽古はしばらく運動をしていなかった綾には体力的にキツイものがある。それでも、皆が綾の事を思ってくれているのが伝わるし、彼らだけではなく、リンや三龍達、ハヤトやババ様も綾の事を大事にしているのがわかる。それがわかるから、彼らの期待に応えようとさらに頑張ってしまう綾がいる。

 始めは「お客様」扱いだった自分が少しづつこの世界に馴染んできている気がして、綾は嬉しかった。


「―それで、イヨさんは術者? それとも武者?」

 綾の問に、イヨは微笑んで答えた。

「私は武者です。術式はあまり得意ではありません」

「でも、剣を振るようには見えないけど…」

 スオウとの鍛錬で兵士の訓練所に出入りしているせいか、綾は最近では剣士と弓士では肩や二の腕の筋肉の付き方が少し違うことに気付いていた。イヨの場合、着物で隠れて見えないが、肩にそれほど剣士のような筋肉が付いているようには見えない。

「私は、こちらです」

 イヨが微笑みながらそう言った瞬間、綾の目の前に扇のように数本の小さなナイフが広がった。

「えっ?」

 綾が目を丸くしている間に、それらのナイフはどこかに消えた。

「…手品?」

 目を見開きながら驚く綾を見て、イヨは声を上げて笑い始めた。

「ふふふ。アヤ様は本当にお可愛らしい方ですね。お顔はカノ様によく似ていらっしゃいますけど、仕草や話し方はミトにそっくり」

 綾はイヨが母の名を親しげに呼ぶのに気が付いた。

「お母さんをご存知なんですか?」

「お母さん?」

「あ、ミトのこと…」

 ああ、と頷いて、イヨはにっこりと綾に向かって微笑んだ。暖かな感じがミトを思い起こさせる。

「ミトと私は同い年で、学校も、紫影の鍛錬も、ずーーっと一緒でした」

「ああ、そうなん…。ええっ?」

 綾は目を見開いた。

「お母さんも、紫影だったの?」

「おや、知らなかったのかい?」

 横で聴いていたババ様が飄々とした口調で言った。

「ミトは紫影の中でもとっておきのとっておきじゃったぞ」

「え、だって、お母さんはそんなこと、一言も…」

「まぁ、私達は普段、自分が紫影であることは他人に言いませんし」

 ケイがそう言ったが、何かが綾の腑に落ちない。

「でも、あれ? お母さんの紋章、紫玉は付いてなかったけど?」

 綾の問に、ババ様が笑った。

「アヤよ。紫玉は王からの賜り物じゃが、あれが紫影を示すものではない。あんな目立つもん付けとったら、紫影の意味が無いじゃろうが」

「あ、ああ。それもそうか~」

 イヨがふふふと笑って自分の青龍の紋章を持ち上げた。

「紫影の証は違う所にあるんですよ」

 そう言ってイヨは紋章を左手に持ち、右手の人差し指を後ろ側から紋章の龍の頭の辺りに当てた。

「紫の影たる証を日の元へ」

 イヨがそう呟くと、イヨの右手の人差し指から出た光が紋章を突き抜け、床に青龍の影を映した。

「アヤ様。床に映った青龍の眼を御覧下さい」

「青龍の、眼?」

 綾が床に浮き出た青龍の影を注意深く見ると、それはそこにあった。

「あ!」

(青龍の瞳に、王家の龍の紋章が浮き出てる!)

 そこには、綾の持つ龍の紋章と同じ形の龍が紫色の影となって浮き出ていた。

「これが、紫影の印です。他の紫影たちも、彼らの持つ通常の紋章のいずこかに、紫の龍が浮き出る仕掛けが施されております」

「うわぁ~。凄いね、これ。こんなに細かい細工が施されているものだとは、知らなかった」

 綾の言葉に、ふぉっふぉっふぉと笑いながらババ様が言った。

「お前の持つ王家の龍の紋章の方が、わしらの紋章よりもさらに細かい細工が施されておるのじゃぞ」

「えっ? 本当に?」

 綾は自分の天龍の紋章を手に持って間近で見てみた。が、当然細工らしい細工など見つからない。ただの龍の文様の彫られた金メダルにしか見えない。龍が七色に光っている以外は。

「本当に、美しい光ですね」

 紋章を見ていた綾に、イヨが話しかけた。

「私は、天龍の紋章を拝見させていただいたのは、これが生まれて初めてです」

「他のはあるの?」

 綾の問に、イヨは微笑んで頷いた。

「はい。王の水龍の紋章と王弟の地龍の紋章は、拝見させていただく機会がございましたので。ですが、双方とも、この天龍の紋章の美しさには敵いません」

「元になっているものはお父様の紋章と同じだって聞いたけど。それは本当なの? ババ様」

 ゴウヤが言っていたのだ。王家の紋章は、王家の女性が身籠ると同時に発注され、名付けの儀までに完成させるよう取り計らわれる。献上された時点では龍の紋章は光を放たず、他の紋章同様にただの金色のメダルでしかない。ただ、龍の紋章の部分には「龍石」と呼ばれる石がはめ込まれているだけの違いだと。その龍石が名付けの儀で赤ん坊に触らせると、その者の庇護龍の色に輝き始める。その光は持ち主が生きている間は失われることはなく、その死と共に色を失うという。王家の紋章の場合、紋章は死者と共に埋葬されるので、同じ紋章が違う人間に与えられることはない。

「不思議よね。この、龍石っていうのは、一体何なの?」

「さあな」

「『さあな』って…、ババ様」

「わしらにもわからんのじゃ。龍石は王家に赤ん坊ができると、自然に手に入るものなんでな」

「はぁ?」

 首を傾げる綾に、ババ様は笑って言った。

「この世には、わからんことがいーっぱいあるということじゃ。なに。その方が楽しかろう?」

 ババ様の言葉に、綾は苦笑いを浮かべながら答えた。

「わからないことだらけなのも、困ってるんだけどね」

「それを補うために、わたくし達がお側に付いているのではないですか」

 ケイの言葉に、綾は頷いた。

「そうだよね。これからはイヨさんも手伝ってくれることだし。頑張らないと」

 イヨが肩をすくめた。

「私で、お役に立ちますでしょうか」

「あら。私、生産省の人が来てくれて、すごく嬉しいのよ。この国を立て直そうと思ったら、やっぱりこの国のお財布事情はきちんと押さえておかないと」

「あら、術式の勉強と違って、かなり積極的なんですね」

 さらっと嫌味を言ったケイだが、顔は笑っている。

「術式は、その。ほら、私、やったこと無いから難しいのよね。その点、生産省のこととかは、私、向こうの世界で経済とか経営とか勉強してたから、どっちかというと、そっちの方面の方が理解しやすいと言うか…」

「ま、よろしいでしょう」

 ケイはそう言ってババ様に向き直ると、ババ様に何やら耳打ちをして、「それではまた」と一礼して部屋から去って行った。

 綾は部屋から出て行くケイの後姿を見ながら、小さな溜息をついた。

「どうしたね、アヤ? ケイに何か言われたか?」

 こういう時に、ババ様は本当に目聡くて困る。綾はババ様に話すか話さないか迷った末、話してみることに決めた。彼女はケイの直属の上司でもあるのだから、何か知っているのかもしれない。

「ババ様。私、ケイが最近、妙に元気が無いと思うんですけど…。気のせいならいいんですけど、でも、そうじゃないなら、何かしてあげられないかなと思って」

 綾の言葉を聴いたババ様が、目を細めてじっと綾を見つめた。

「ふむ。アヤよ。お前は、理由は何だと思う?」

 思い当たる理由は一つだ。

「サガミのこと、だと思います」

「…あの噂は本当か?」

「噂って…?」

 綾の問には、イヨが答えた。

「サガミ様がアヤ様に御執心とか」

「うげ」

 綾はつい、変な声を出してしまった。

「何、その噂! 信じられない! この城の人たちって、趣味悪いわよ、絶対! せめて、あいつが私にちょっかいかけてるくらいに言えないわけ?」

 憤慨する綾をよそに、ババ様とイヨは興味深げに意味深な笑みを満面にたたえた。

「では、『ちょっかいをかけている』のは本当なわけじゃな?」

「うっ…」

「アヤ…?」

 ババ様に見上げられると、蛇に睨まれた蛙の気分だ。

「ほ、本当、です…。でもね!」

 綾は一つ呼吸を整えた。

「迷惑なんです! すごく! とても!」

「妙に意気込んどるのぉ」

 ババ様は首を傾げた。その横でイヨが言う。

「サガミ様はこの国の宰相でいらっしゃるし、美男子で才色兼備とはまさにあの方の事を言う、ともっぱらの評判を持つ方でいらっしゃいますのに。まぁ、性格はアレですけど…」

 確かに、サガミは普段天龍の顔を見慣れた綾でさえも息を飲むような美男子だった。

 綾が地龍の祠から帰還して三日目に、綾はようやくサガミと対面することが出来た。サガミは長身ですらりとした体型をしていて、肩の辺りで切りそろえた亜麻色の髪がサラサラと揺れていた。一昔前の少女漫画に出てきそうな風貌であったが、それが嫌味になっていないのは彼の品の良さもあるだろうか。実の兄弟だと言う割には、体育会系のスオウとの共通点が全く見つからなかった。

 超エリートの上、美男子。普通の女性なら、遭った瞬間に目の中にハートだか星だかが入りそうなサガミだったが、綾は彼のことが好きになれなかった。

 まず、目つき。やんわりとした雰囲気を持つサガミだが、時折見せる冷たい目つきが綾の背筋に悪寒を走らせた。

 そして、サガミから時折「漏れる」黒い気が、綾に不快感を与えた。

(この人。私のことが嫌いなのかな)

 綾のこの手の勘は子供の頃からよく当たる。妬みや僻みを持つ人間の放つ、黒い気。そして、その気の向く方向。サガミから漏れた黒い気は緩やかな曲線を描いて、綾へと向けられていた。

 はっきりと放たれている気ではないから、無意識なのかもしれない。だが、その気が纏う力が毒のようで、綾はサガミとの対面中に僅かな吐き気を覚えた。

 残念ながら、問題なのはその対面ではない。

 その後どういう訳か、ことあるごとにサガミは綾の目の前に現れた。ある時は必然的に公務の一環として。またある時は「偶然」に。広い城内で綾達が動く範囲は限られているとは言え、今まで一度も出くわしたことの無かった人物がこうも頻繁に出くわすようになるなど、不自然極まりない。

 綾はサガミからの食事の誘いを全て「丁重に」断った。しかし、その後には決まってサガミから一輪の生花(生花は今、ヤマトでは入手困難な上、高価な嗜好品だ)と共に手紙が添えられて贈られてくる。達筆な筆でしたためられた手紙には当たり障りも無い挨拶文が書かれているだけなのだが、「手紙付きの花」を贈られると言う行為自体が城の人間の好奇心をくすぐるのに、十分な代物であった。

(どういうつもりよ、あの男。ケイの婚約者のクセに)

 綾のイライラにさらに拍車をかけているのが、天龍の存在だ。

 自分の知っている少年。しかも、綾にとっては初恋の相手の面影を天龍が持っているのは偶然なのか、それとも何か仕組まれたものなのか? 考えれば考えるほど訳がわからず、そのせいか最近、綾は天龍を見ると避けるようになっていた。

(司お兄ちゃんが天龍であるはずなんてないのに。でも、それを完全に否定できない自分がいる。どうして?)

 綾は天龍の顔を見るとその事を思い出すので、極力見ないように勤めている。それが何も解決しないと言うことは、頭ではわかっているというものの…。

「サガミのことは、今のまま受け流しておればええじゃろ。城の人間は何かと噂好きじゃで、じきにこの噂も無くなるじゃろうて。それが収まれば、ケイも自然と元気になるじゃろ」

 ババ様は慰めるようにそう言ったが、綾はそれだけでは終わらない何かが動き始めているような気がしていた。


 数日後の朝。

 綾はイヨに連れられて、明かりのほとんど無い狭い廊下を無言で歩いていた。

 事前に「音を極力出さぬように」と注意されていたので、自然と足の運びも抜き足、差し足、忍び足といった泥棒状態になる。

 しばらく進んだ先に、明かりが見えた。そこが本日の目的地である。

 小さな窓が数個ならんだその場所には、窓の側に金属で出来たパイプが通っている。イヨ曰く、そのパイプに耳を付けるらしい。綾がパイプに耳を付けると、男の人たちの話し声が聞こえてきた。

(うわお。スパイ大作戦って感じだわー)

 状況に少しドキドキしつつ、綾は小窓の外を覗き込んだ。2階分吹き抜けになっている天井の高いその部屋には、ヤマト国の重鎮達が揃っていて、何やら意見を交換している真っ最中だった。

 まだ披露目の儀を済ませていない綾は、正式には王家の人間として認められていない。そのため、公儀に出席することはできないので、代わりにイヨが王家と紫影しかその存在を知らないという隠し通路を使い、公儀を覗かせてくれているのだ。

 王は病床にあるため、王座は現在空の状態だが、王座の前にサガミが立ち、会議を進めているようだった。

(でも、これ、会議っていうよりは…)

 先ほどから、サガミの出す予算案に対して、他の出席者達がただただ反論しているだけに聞こえる。

 部屋から漏れる灯りを元に、イヨが事前に入手してくれた予算案(を読み上げてもらって自分でわかるように書き直したもの)に目を通す。

(サガミの案って、悔しいけど合理的なのよねぇ…)

 しかし、「合理的」なだけでは諸侯は納得いかないらしい。それもそうかもしれない。前年度比した場合、彼らの領地運営費がかなり削られているのだ。

(必要最低限だけ残しましたって感じだもんな~。極端すぎるんじゃない? いきなりこれじゃ、先方も納得しにくいでしょうに)

 結局、この日の会議で予算案は決議されず、明日に持ち越しとなって公儀は終了した。

 諸侯が全員部屋から退出した後、その場にはサガミと彼の側近達だけが残っていた。

「サガミ様。予算案ですが、いかがいたしましょうか。本日で3日目ですが、このままでは通るものも通らないかと」

(あ、この声、いつもサガミの後ろにくっついて歩いてる人だ!)

 綾がパイプから通ってくる声に集中していると、小さく誰かが舌打ちをする音が聞こえ、さらに押し殺したような声が聞こえた。

「あの、石頭共め…」

(うわあ。サガミがドス黒い!)

 サガミは少しの間、押し黙った後、側近達に彼の執務室で予算の見直し作業をすることを伝え、彼らは会議室から出て行った。

「アヤ様。いかがでした?」

 いつの間にかアヤのすぐ隣に来ていたイヨが、小声で囁いた。

「ええ。実に…興味深いわ」

 綾達は来た時と同様、極力音を立てずに廊下を進み、隠し廊下から出た。

「彼らは、いつもああなの?」

 自室に戻ってから扉が閉まったのを確認して、綾がイヨに尋ねた。

「はい。どうやら、この数年は常にあんな状態ですわねぇ…」

「そうなの?」

 訊き返す綾に、イヨは「私が言ったのは内緒ですよ?」と前置きしてから告げた。

「私は公儀には立場上、特別な場合のみしか出席できません。私も出席するもう少し大きな会議の場では、大体のことは既に決定済みですので、あのような言い争いはほとんど発生いたしません。ただ、紫影として時折こうして公儀を観察してはおりますが」

「ああ、なるほど…」

 綾は頷きながら、ふと疑問に思ったことを口にした。

「サガミは、改革を行いたいのかしら」

「改革、と申しますと?」

「うーん。この予算案とか、最近の行政案とか見ると、どうも特定の諸侯を排除しようとしているような気がするのよね。どうしてだろう?」

「思い当たった諸侯について、お調べになられますか?」

 イヨの提案に、綾は力強く頷いた。

「ええ、お願い」

「わかりました。と、言うわけで」

 突然、イヨがピシっと背筋を伸ばした。

「この見学を踏まえた上で、これから本日の授業を行います。御覚悟はよろしいですね?」

「は、はい…」

 元気なイヨに色々な情報を詰め込まれ、授業が終わった頃には、綾は脳死寸前な気分だった。


 キリキリと弓を引き絞ると、自然と気持ちが引き締まる。

 綾の放った弓は、小さな弧を描いて的の中央へと突き刺さった。

「おおー!」

「お見事!」

 周りから兵達の歓声が上がった。

 綾にとって、唯一のストレス発散の場が兵士の訓練所だというのは、何とも女気の無いことではあるが、仕方が無い。元々、身体を動かして何かをすることでストレスを発散してきたのだから。

 弓や剣の稽古は、そのことだけに集中していられるから楽しい。それに、ここにいる兵士達は、最初こそ綾の出入りに戸惑ってはいたものの、スオウと綾の遣り取りを見たり聴いたりしているうちに、自然と会話に入ってきてくれて、お陰で早く打ち解けられるようになった。今では時々スオウの代わりに剣の稽古の相手をしてくれたりもする。

 ここにいるのは、綾にとって本当に気が楽だ。 

 ここ以外の場所では、綾を見るなり、その場に居合わせた人間が全て端に避けて床に跪く。綾は、これにはまだ慣れることができない。何とかならないかと尋ねてみても、「慣れてください」としか言われない。とりあえず跪かずに会釈だけにしてもらうということでお願いし、最近それが浸透しつつあるが、それでもまだ、何となくぎこちなさが残っていて心地の良いものではない。その点、兵士の訓練所では皆、綾を兵士と同等に扱ってくれる。まぁ、それも裏でスオウが色々手を回してくれたからだということは、百も承知だが。

「相変わらず、弓だけは群を抜いていい腕をお持ちのようですね」

 綾の後ろから、スオウの低い声が響いてきた。振り向くと、スオウが微笑みながら立っていた。

「お褒めいただき、ありがとう。『剣もちゃんとやれよ』って言いたいのね?」

 綾がニヤッと笑いながらそう皮肉を言うと、スオウが声を上げて笑った。

「はっはっは。おわかりならば、話は早い。この後、お相手いたしますよ」

「わかったわよ。あと二本だから、ちょっとそこで待ってて」

 そう言って綾は的に向き直り、呼吸を整え、矢をつがえて弓を引く。

 綾が矢を放つと、空を切る小気味のいい音をさせながら矢は的の中央に刺さった。

「お見事」

 背中に響くスオウの声が心地良い。

「これで最後」

 最後の矢も、的の中央に刺さった。その瞬間、遠くの方で拍手が起こった。

「いやぁ、噂に違わず、本当にお見事な腕前でいらっしゃる」

(うげっ。この声は!)

 綾がそっと視線を声のした方に向けると、そこには予想通り、サガミが三人の従者(綾は彼らを「サガミーズ」と勝手に名づけている)を後ろに従え、笑顔で拍手をしながらこちらに向かって歩いていた。

「お褒め頂き、どうも」

 感情の籠もっていない声で綾がそう言うと、サガミは満足そうに「とんでもございません」とやんわりと微笑みながら一礼した。

 突然のサガミの登場に、周りにいる兵士達がざわめいていた。

「かような場所にお出ましとは珍しいこともあるものですね、宰相殿」

 スオウはそう言いながら綾の側に歩み寄り、綾を守るかのように立ちはだかった。辺りに妙な緊張感が走る。

「おやおや。宰相であるこの私が、国を守る兵の訓練を覗いてはいけないとでも? いままでだって、時々はこうして立ち寄っていたと言うのに?」

「そうでしたか? これは気付かずに、失礼」

「副団長殿は、いつも熱心に訓練に励んでいらっしゃるようだから、きっと私が立ち寄っても気付かれなかったのでしょう」

「…で、何の用だ」

 一段と低い声で尋ねたスオウに対し、サガミは少し片眉を持ち上げて怪訝そうな表情をしたが、すぐに笑顔になると綾に向き直って言った。

「私は、アヤ様がこちらで鍛錬中だと聞き及んだものですから、ちょっと立ち寄ってみただけです。素晴らしい弓の腕前を拝見させていただきまして、満足です」

 芝居がかったサガミの言葉に、綾は憮然とした態度のままで答えた。

「それはどーも。スオウ、剣の稽古をしたいわ。あちらに早く行きましょう? 宰相殿、失礼します」

 綾はサガミに軽い会釈をすると、弓道場をあとにしようとした。

「アヤ様」

 サガミの声が綾を引き留める。綾は一つ深呼吸をしてから振り向いた。

「何でしょう」

「いえ。大したことではないのですが、どうして私からの再三に渡る食事の誘いを、お受けいただけないのです?」

(こいつ…。それはこの場で言うべきことなの?)

 綾は内心でムカムカと怒りを募らせながらも、冷静を何とか保った。周りにいる兵士達が好奇心丸出しの顔で二人を見ている。綾の後ろには、「不機嫌オーラ」を全身から放っているスオウもいる。

 綾は手に持っていた弓をギュッと握り締めた。

「私には、あなたと『二人きりで』食事をすることの意味がわかりませんから。私の側近も同席をお許し願えるのでしたら、いつでもお受けいたします」

「それは…、残念です」

 サガミは名残惜しそうに憂い顔でそう言った。ここに女官達がいたら、卒倒する者が多数出ただろう。

「失礼」

 綾は短くそう言って、足早にその場を去った。スオウはサガミに一睨みすると、急いで綾のあとを追った。

 残されたサガミはフフっと笑うと、踵を返して訓練所を出た。

「お楽しそうですね、サガミ様」

 サガミーズの一人がそう言うと、サガミは「まあね」と答えて、問いかけた。

「すぐに捕らえられる小さな獲物と、なかなか捕らえられない大きな獲物。お前なら、どっちを選ぶ?」

「は?」

 サガミーズたちが困惑している表情を満足げに眺めると、サガミは呟いた。

「大きな獲物相手じゃないと、燃えないんだよ、僕は」


 剣の稽古が終わり、綾はスオウと共に城の中庭を散策しながら、訓練で火照った身体を冷やしていた。5月に入り、あの枯れ果てていた庭にも新緑があちこちに出て、庭は徐々に回復に向かいつつある。

 スオウの話によると、ヤマトのあちこちでも今年は作物の育ちがいいという。

(くが)を取り戻せて、本当に良かった」

 中庭のベンチに座りながら、綾が言った。見上げると、空も青くて気持ちがいい。

「そうですね、アヤ様」

 綾の隣に腰掛けながらスオウが言った。二人はしばらく、座りながら空を見上げていた。

「この庭も、早く元に戻るといいね」

「大丈夫ですよ、この調子なら。庭師もそう言って喜んでおりました」

「そう…」

 空を小さな鳥が二羽、横切っていった。

「講義の方は、進んでおりますか?」

「…嫌な事訊くのね」

 綾がチラッと睨みつけると、スオウは慌てて「いや、申し訳ない」と恐縮した。

「嘘よ。冗談。すごくためになってるよ」

 綾が笑ってそう言いながらまた空を見上げると、スオウは安心したように微笑んだ。

「それはよかった」

「詰め込まれ過ぎだけどね」

「それは…。ご愁傷様です」

 二人の笑い声が中庭に響いた。

「…何か、楽しそうだね、そこの二人」

 天龍の声がどこかから聴こえてきて、綾は心臓が飛び上がるかと思った。声のした方を振り向くと、そこには天龍が一人で立っていた。

「やぁ、天龍。今日は一人か? 珍しいな」

 スオウがにこやかにそう言うと、天龍は少し不機嫌そうな顔を無理矢理笑顔に作り変えた。

「ああ。散歩くらいは一人でしたいからね」

 そう言いながら天龍は綾を見たが、綾は天龍を見まいと下を向いている。

「アヤと話がしたいんだけど、ちょっといい?」

 天龍はそう言いながら二人に近付き、目の前まで来ると、スオウに席を外せないかと尋ねた。

「だが…」

 スオウはそう言いながら綾を見た。綾はまだ、身体を硬くしたまま俯いている。そんな綾の様子を見て、スオウが天龍に小声で囁いた。

「天龍。おぬし、また何かやらかしたのか?」

「どうして皆、僕のせいにするんだ! 何もしてない! あの水浴びの一件以来、本当に何もしてないんだ!」

「それなら、これは一体どういうことだ?」

「わからないから、話しに来てるんじゃないか!」

「ああ、そういうことか。うむ」

「ここからは動かないから。何ならこの辺り、見張っといてくれて構わないよ」

 スオウはどうするべきかと考えたが、天龍のいつに無い真摯な態度に若干折れた。

「…わかった」

 スオウは立ち上がると、綾に向かって一礼した。

「アヤ様。俺はこの辺りにいますから、何かあったら呼んでください」

「えっ? スオウ、ちょっと!」

 綾が顔を上げたときには、スオウは既に少し離れた所を歩いていた。スオウの後姿を呆然と見送っていた綾の視界が、天龍の衣で遮られた。

 恐る恐る上を見ると、そこには不安気な顔をした天龍の顔が綾を見下ろしていた。

「隣、いい?」

「…どうぞ」

 天龍は綾の隣に腰を下ろした。二人はしばらく、何となく気まずい雰囲気のまま、黙って空を見上げていた。

 しばらくして、綾が空を見上げたまま口を開いた。

「私ね、小さい頃に出会ったお兄ちゃんがいるの」

「うん」

「二つ三つ年上で、いつも私と、家の裏庭で遊んでくれたの」

「うん」

「私ね、お兄ちゃんのことが大好きだった」

「うん」

「でもね、お兄ちゃん、いなくなっちゃったんだ」

「…」

(つかさ)お兄ちゃん。私の初恋だったの」

「えっ?」

 天龍が驚きながら目を見開いて綾を見ると、すでに天龍を見ていた綾と目が合った。

「…あなたなの?」

 真っ直ぐな綾の視線に、柄にも無く天龍は慌てた。

「え…、と…」

「どうして?」

 天龍は綾の憤りを感じて息を飲んだ。

「私の記憶に自分を刷り込んで、楽しい? それで私があなたを想ったら、それで満足?」

「ちょ、アヤ…」

「私は、あなたの何? 操り人形みたいに弄ばれてる気がして、私は嫌なの! あなたの手の平の上で踊ってる私を見て、楽しい?」

「アヤ、違う!」

 立ち上がろうとする綾の腕を天龍は咄嗟に掴んだ。勢いの反動で、綾の身体が天龍の胸に抱き留められた。

「離してよ!」

 綾は必死に天龍の腕から逃れようとしてもがいた。

「違うんだ。別に、そんなつもりだったわけじゃ…!」

「じゃ、どんなわけよ?」

「君の声が聴こえたから」

「何よ、それ!」

「君が泣く声が聴こえたから」

 綾はもがくのを止めた。

「私の、泣き、声…?」

 見上げた天龍の顔には、振り乱された髪の毛が額や頬に張り付いていた。

「どこからか、女の子の泣き声が聞こえたんだ。『怖い』って。『助けて』って。気になってて。ずっと気になってて。何かできないかと思っていたら、あの日、気が付いたら、あそこにいたんだ。あの姿で」

「じゃ、どうしていなくなってしまったの?」

「龍脈―僕らの気の流れって言うのかな。とにかく、龍脈に乱れが生じて、僕があのまま君の世界に留まるのは危険だった。それにあの頃は、君は大分落ち着いてきていたし。君は、急に自分の持つ力が発現して、それが制御できずに戸惑っていただけなんだ」

 綾は天龍の顔に掛かっていた髪をそっと手で後ろへと流した。柔らかな髪が日に透けて輝いている。

「寂しかったよ、お兄ちゃんがいなくなって」

 綾の言葉に、天龍は微笑みながら言った。

「言っただろう? 『大人になったら会える』って」

 天龍のいつもの不敵な笑みを見ながら、綾はうっすらと微笑んだ。

「確信があったの?」

「いや? でも、そう信じてた」

 天龍が綾の身体にまわした腕を少し強めた。天龍の心臓の鼓動が直に伝わってくる。

 コツンと額をくっつけて、天龍は綾に囁いた。

「ずっとずっと、会いたかったよ」

「…ずるいよ」

「そうかもね」

 そう言って天龍は綾に口付けた。今までと違って、優しい、包み込むようなキス。不思議なことに、綾は何だか幸せな気分に浸っていた。

 もう少しこのままでいたいと思った次の瞬間、辺りに突風が吹いた。

「!」

「お取り込み中、おっ邪魔っしま~す!」

 風が止むと、そこには見た目が高校生くらいの少年が颯爽と立っていた。

 綾より少し高い位の背に、スラリとした整った体型。ポニーテールにされた緑色の長髪が風になびいている。悪戯そうな幼さの残る顔は、綾と天龍を見ながらニヤニヤと笑っている。

 少年の姿を認めると、天龍が笑顔で叫んだ。

東風(こち)!」

「えっ? この子が?」

「ああ、そうだよ。風龍。名は東風(こち)だ」

 東風と呼ばれた少年は、綾と天龍の前に進み出ると、二人の前に跪いた。

「上様。姫君。永らく留守にして申し訳ございませんでした」

「あ、えーっと、はじめまして…」

 緊張した面持ちで挨拶をする綾をよそに、天龍は砕けた調子で東風に言った。

「堅苦しい挨拶はいいよ、東風。どうせそっちもその調子で話し続けるのは無理があるんだろう?」

 天龍の言葉に早速立ち上がると、東風は笑った。

「よくおわかりで! それにしても、今の接吻はかなりよかったっすよ~」

(「接吻」って言うな~!)

 東風の台詞に、綾は真っ赤になって俯いた。天龍は俯いた綾の肩を抱いて、「そうだろう?」なんて得意気に言っている。

「澪と陸は城の中かな? ちょっと、挨拶に行ってもいいかな」

 城の方を眺める東風に、天龍が言った。

「なら、一緒に行こう。僕らもどうせ中に入る所だし、ね?」

 色気のある声を出しながらそう言う天龍に、綾は耳まで真っ赤になりながら言った。

「…変なこと考えてるなら、それはないから」

「ええー?」

「ないから!」

 綾は膨れっ面の天龍と二人の遣り取りを観ながらケラケラと笑っている東風を置いて、歩き始めた。数メートルほど歩いた所で、スオウを見つけた。

「スオウ!」

「ああ、アヤ様。先程、突風が吹きましたが、大丈夫でしたか?」

 綾はニッコリとスオウに微笑むと、「ああ、あれは東風(こち)だから」と言って城に戻り始めた。

「こち…?」

「風龍よ。復活したの」

「ええっ? え、あ、そ、それは…」

 スオウが戸惑いながら言う。

「よう、ございました」

「うん…」

 複雑な表情の綾に、スオウは首を傾げた。

「大丈夫ですか、我が主」

 スオウが「我が主」と言う時は大概、綾が少し無理をして突っ張っている時だと、最近感じるようになった。そして、そんな時は素直になった方がいいということも。

 綾は立ち止まり、スオウに向き直った。

「私、わからないの」

「…何がです?」

 こういう時のスオウは誰よりも優しい。本人は全くわかっていないようだけれど。

「天龍が、私の初恋のお兄ちゃんと同一人物だってわかって、悔しいと思う自分がいるのはよくわかるの。でもね、嬉しいと思う自分がいるのが、何か納得できないの」

 綾の言葉に、スオウは一瞬目を見開いたが、すぐに穏やかな顔に戻った。

「天龍が…? そう、ですか」

 スオウは少し寂しげな色を瞳に浮かばせた。

「それで、風龍が復活したのですか」

「あ、う、うん…」

 綾は俯いた。風龍が復活したことの意味を、スオウは気付いているはずだ。綾と天龍の絆が龍達を復活させるということは、地龍の祠に一緒に旅した仲間は全員知っている。

 ポン、とスオウの大きな暖かい左手が綾の右肩に置かれた。

「心配なさるな。あなたはあなたの風が赴くままに」

「うん。ありがと」

 二人は城へ向かって歩き始めた。

「私ってば、まだまだ子供だよね」

「突然、どうなさったのです?」

「ううん。何か、私って大人になったと思ってたのに、まだまだ子供だなぁと思って」

 スオウは綾の頭に手を置いて、くしゃくしゃと髪を乱した。

「あ、また!」

「こうされても、直す知恵があるのが大人です」

「子供でも直せるよ?」

「そうかもしれませんね」

 二人は笑いながら城内へ入った。


「-報告は以上です」

「ああ、ありがとう」

「いえ、失礼いたします」

 一人の兵が立ち去った後、近衛隊執務室にはスオウと、この部屋の主であるヤマト国近衛隊団長カイトの二人が残された。

 カイトは机の上に広げられた報告書をもう一度読み直し、視線を資料の上に落としたまま言った。

「スオウ。お前はこの件、どう思う?」

「手口はそれぞれ違いますが、ほぼ同時期にこの三人…。偶然にしては出来過ぎですね」

「俺もそう思う」

 カイトはそう言って、また報告書に集中し始めた。

 カイトは今年三十六歳。近衛兵の中では異例のスピード出世を遂げた人物で、スオウが尊敬してやまない人物である。冷静な状況判断や作戦の巧妙さもさることながら、剣の腕でスオウと互角かそれ以上に渡り合えるのは、この国ではカイト一人だ。スオウはカイトの下で働ける事を誇りに思っていた。

「『そちら』の仕事か?」

「いえ。本件には『こちら』は一切関わっておりません」

 カイトは紫影の一員ではないが、スオウが紫影であることは随分前から内密に知っている。だが、その件を話すときには、あえて「そちら」とか「こちら」という言い方をすることが暗黙の了解になっていた。城の中では、誰がどこで何を聞いているのか知れたものではないからだ。

「なら、何者だ…?」

「まだ、そこまでは」

「やはり、狙いは…?」

 スオウは報告書に記された三人の兵士の人相書を見比べた。

 この2週間の間で、城の下級兵士三名が「不慮の事故」で亡くなった。普通であればただの事故や病気で処理されるのだが、彼らの死に関する報告書を見たスオウは、妙なことに気が付いた。

 -彼ら三人が、同時期に休暇を取っていた。それも、丁度スオウ達が地龍の祠へと向かっていた頃と同時期に。

 城に勤める兵士の中で、この頃に休暇をとっていた兵達が他にいなかったわけではない。だが、興味を持って調べるうちに、他のこの頃に休暇を取っていた兵士の中に、病気や事故のために休暇を延長した者が何人かいることがわかった。彼らの捜査をしたところ、何人かは既に亡くなっていた。

 亡くなった彼らの人相書を見ると、ほとんどの者に見覚えがあった。彼らは、旅の途中でスオウ達を襲ってきた連中に似ていた。

 スオウはその事をカイトに話し、カイトはさらなる調査を命じた。調査の結果、ほとんどの亡くなった兵達が病死や事故死ではなく、他殺である可能性が高まった。

「いかんな」

 カイトが口を開いた。

「披露目の儀も近い。何とかせねば、アヤ様のお命が危ない。この件、『そちら』にも通しておいてくれ」

「はい」

 スオウはカイトから資料を受け取り、懐に収めた。その様子を見ながら、カイトがふとスオウに尋ねた。

「アヤ様のご様子はいかがか?」

「つつがなく。いつものように講義と鍛錬でお忙しくしておられます」

「…そうか。今日、何か変わったことは?」

 スオウは、カイトに隠し事は無駄だという事を心得ている。

「風龍が復活なさいました」

「…やはりな」

 感慨深げに頷くカイトに、今度はスオウが尋ねた。

「風を感じられましたか?」

 スオウの問を受けながら、カイトは執務室の窓辺に足を運んだ。外には穏やかな海が見える。

「ああ。風が変わったからな」

「そうですね」

 普通の人間には感じられない変化かもしれないが、普段から天候の違いに気を配る軍隊の人間には、少しの風の違いが敏感に感じられる。

 カイトはしばらく外を眺めていたが、おもむろにスオウに向き直って真顔で尋ねた。

「スオウ。アヤ様は、『この地を渡る風』になられると思うか?」

「はい。俺はそう思います」

「…そうか」

 カイトはそう言って、また窓の外を眺め始めた。夕日を受けて、海は穏やかにオレンジ色に輝いていた。


 数日後。昼食を終えた頃にスオウから連絡が入り、その日の夕食をゴウヤ、ケイ、スオウ、イヨの四人と共に王族専用のダイニングルームで取りたいので、同席と部屋の手配を願えないかと打診する旨の書状が送られて来た。

「この、スオウの言ってる部屋って、どこ? リン、知ってる?」

 城の内部にまだ疎い綾が尋ねると、綾のティーカップにお茶を注いでいたリンが言った。

「その御部屋なら、この階の奥にある部屋だと思います。最近は使われていないようですが、王族方が集まって何やらお話される時に使われるお部屋だとかで」

「あ、そっか。この階って基本、王族と側近しか入れないのよね。その上、部屋自体が王族しか使えないんだったら、誰も入ってこられないだろうし。なるほど」

「彼らだけでは使うことが許されませんから、アヤ様がお使いになられると言う形を取って使用されると言うことですね。かしこ参りました。そのように手配しておきます。それで」

 リンは悪戯っぽくテーブルの周りを見回して言った。

「お食事されるのは、全員で何名様になりますか?」

 リンの問に、綾と一緒に昼食を取っていた四龍が「僕も」「私も」と手を挙げた。綾が呆れて溜息をつく。

「…何であなたたちが手を挙げてるのよ」

「えっ?」

「あ、いえ、その…」

「えー? いいじゃん」

 綾の鋭い視線に澪、陸、東風は口籠ったが、天龍は相変わらず飄々とした態度を保っている。

「いいじゃないか。面白そうだし。僕らも混ぜてよ」

「でも…」

「僕らも、『彼ら』のことは知ってるし、ね?」

 リンがいる手前、天龍はあえて紫影の名を出さない。

「…そうなの?」

 綾の問に、意を汲んだ四龍全員が頷き、陸が言った。

「『彼ら』が始まった事の起こりには、我々七龍も多少なりとも絡んでいるのです」

「事の起こり…?」

 首を傾げていた綾の耳に、聞き慣れた少女の声が静に語った。

「ヤマト建国後、しばらく後に始祖の姫君がある男性と駆け落ちされ、その事実を封じるために始祖は紫影を任じられ、彼らは駆け落ちの相手を密かに殺した。それが紫影の始まりです」

 驚いたことに、声の主はリンだった。

「お前…」

 天龍が驚いたような顔をしてリンを見た。リンはいつもよりも落ち着き払った態度で皆を見ている。

「どういうことだい? リン。その話は今となっては、我々七龍と王家の者しか知らないはずの闇に埋もれた真実だ」

「それは違います」

 リンがはっきりとした口調で言った。

「この話は我々紫影に語り継がれておりますから」

「!!」

(リンも、紫影…? 嘘…)

 驚く綾に向かって、リンは困ったように微笑んだ。

「そんなに驚かないで下さい、アヤ様。王家の方々を直接お世話する者が紫影であることは、そんなに珍しいことではありません」

「まぁ、確かにその方が効率はいいよね。それに、王の寝室に潜んでいた奴よりは、リンはずっと自然だ」

 天龍が呑気にお茶をすすりながら言った言葉に、綾は唖然とした。

「…やっぱり、いたのね? あの部屋に」

「まあ! アヤ様、気付かれていたのですか? 流石です~」

「あのさ、澪ちゃん。あの凄い殺気を食らって、あそこに誰もいないと思う方が変じゃない?」

「まあ、あれはハヤト様の紫影さんもウカツだったのではと思いますぅ~」

 澪の言葉に呆れながら、陸が言う。

「ウカツというものではなかろう、澪。あれは、完璧にゴウヤ殿に乗せられていた」

 陸の言葉に目を丸くしながら綾が尋ねた。

「『乗せられてた』って? じゃあ、ゴウヤはわざとああ言って挑発したってこと?」

「私にはそう見えましたが。上様はいかがお考えで?」

 天龍は「(くが)の言う通りだと僕も思うけど?」と言うと、いつものような不敵な笑みを浮かべた。その横で東風は「何か、面白そうじゃん」と言いながら笑っている。

「僕は今日の夕食が楽しみだよ。興味があるんだ。ゴウヤ、スオウ、ケイ、イヨ。そして…」

 そう言って天龍はリンを見る。

「君にもね、リン」

 リンは静かに微笑むと、部屋の手配をするために綾の部屋を後にした。

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