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この地に渡る風  作者: 成田チカ
12/25

5章 「旅立ち」

 翌朝。

 ミトの部屋で目覚めた綾はミトと共に朝食を取ると、自分の部屋に戻ってリンが用意してくれた旅装に着替えた。綾が紋章の付いた腰帯をしっかりと結び終えた頃、ミトが何やら大きな包みを2つ抱えて綾の部屋に入ってきた。

「これは、私からのお餞別ね」

 そう言いながら開けられた包みからは、弓と護身用のナイフが出てきた。2つとも特に装飾の無い実用的な物で、使われた形跡が見られたが、持ち手の部分には真新しい皮がきれいに巻かれていた。

「私が若いときに使っていた物なの。姉様の形見の品と一緒にここに保管されていてね。お義兄様が私に返してくださったの。手入れしておいたから、ちゃんと使えるはずよ。あ、それからこれは、全部お義兄様から綾へって」

 もう一つの包みからは新品の矢が10本ほど、少し年季の入った矢筒の中に整然と収まっていた。

 綾は弓を手に取って構えてみた。弓道の弓よりも小さく、弦を引く時の感覚が大分違うが、練習すれば何とかなるだろう。

「ありがとう、お母さん」

 綾がそう言うと、ミトは寂しそうに笑った。目が少し潤んでいる。

「いけないわね。ちゃんと笑って送り出そうって決めたのに。何か、いざとなると涙もろくって…。歳かしら」

「普段は自分が歳だなんて、ちっとも思ってないくせに。何よ、こんな時だけ」

「それもそうねぇ~」

 2人は微笑みあった。

 今日、ミトは向こうの世界へ帰る。綾をここに残して…


 昨晩、眠りに落ちる前に綾が考えていたこと。それは、自分はどのくらいここにいるのだろうという、漠然としたものだった。

 「私には関係無い」と言って帰ってしまうこともできたのかもしれない。大体、赤ん坊だった頃に連れ去られて以来、1度たりとも足を踏み入れたことの無い世界のことだ。知らん振りを決め込もうと思えば、そうできた。でも、綾にはそれがどうしてもできなかった。

 結局、綾は自分がしばらくの間、もしくは永遠に元の世界に戻ることはないのかもしれないと思った。なぜなら、綾はこの世界に自分との強い「繋がり」を感じてしまったのだ。

 それは自分の持つ天龍の紋章のせいかもしれなかったし、自分を産んでくれた母親譲りの赤みのかかったクセ毛のせいかもしれない。もしかしたら、全く別の何かのせいだったのかもしれない。でも、綾は自分が確かにこの世界の一部分であるということを強く感じていた。

 向こうの世界にいた時にも、そんな気持ちになったことはある。父の五郎がよく農作業中に綾に話してくれた。「人は自然の一部で、僕らはその中のほんの一部でしかないんだよ」と。しかしそれは今、綾が感じているものとは少し違う。向こうの世界では自分はただ世界の一部で、それを受け入れて従うものだという風に思っていた。でも、ここでは、自分はこの世界の一部であることには変わりがないが、自分には何らかの役割が与えられている。

 別に、世界を変えようとか、そういう大きな話ではなく―。

 ひょっとしたら、急に「姫」とか言われて図に乗っているだけかもしれないけれど、それでも綾には、自分が何かを成すための「鍵」を握っているような気がしていた。


 綾、スオウ、ケイ、ゴウヤ、そして天龍の5名は、ミトと共に王の寝室へ出発前の挨拶をするために訪れた。王の傍らにはババ様と澪がいた。

「行くのか」

「はい。行ってまいります。お父様」

 ハヤトは綾の「お父様」に一瞬顔を緩ませ、側にいたミトが笑いを堪えていた。

「う、うむ。気をつけて行くのだぞ。道中何が起ころうと、必ず、無事に帰ってくるのだぞ」

「はい」

 綾はハヤトの目をしっかりと見つめながら答えた。ハヤトはそれに満足そうに頷くと、傍らの同行者たちにも旅の安全を祈った。

 王の寝室を出ると、ミトが後を着いてきた。

「馬車まで送るわ。ちゃんと、お見送りさせてね」

「うん…」

 2人は何を話したらいいかわらず、しばらく無言で廊下を歩いていた。

「あ、お母さん。私の部屋の机の上に私のポーチがあるから、その中からお財布と部屋の鍵、持って行ってくれる?」

 綾はふと、自分は当分あの部屋に戻ることはないということを思い出した。ミトはふわりと微笑んで応える。

「借りてたお部屋、片付けておけばいいのかしら?」

「うん。私のものだってわかるものは全部、実家に持って帰って。残りはさゆりちゃんが帰ってきたら処分してもらってくれないかな?」

 さゆりちゃんというのは綾の7つ上の従姉で、現在勤め先のアメリカ支店に赴任している。綾は彼女が不在の間を利用して彼女の部屋を借してもらっていた。一人っ子の綾にとって、頼りになる姉のような存在だ。

「さゆりちゃんにも、もう会えなくなるね」

「綾も外国に行きましたって言っておくわ」

「さゆりちゃんのことだから、私を訪ねていくから住所教えてって言うかもよ」

「その時はほら、お母さん、外国語わからないし~って誤魔化すわよ」

「あはは」

 正面玄関に到着すると、そのすぐ横に小さな馬車が停まっているのが見えた。その横には鞍を乗せられた馬が一頭、控えている。今回、綾と天龍は表向き「儀式に向かう祭祀省次官(ゴウヤ)の供人」という形でこの旅に随行しているので、馬車は正面に小さな朱雀の文様が描かれている他はいたって質素な造りのものだ。

 馬車のすぐ側には、ワダチとリンが一行の到着を待っていた。ワダチは綾達に気付くと軽く会釈をした。

「アヤ姫様。道中、お気をつけて。通常、こういう旅立ちの時には『龍のお導きのあらんことを』と申し上げるのですが…」

 ワダチはそう言って天龍を見た。

「天龍様御自身が御一緒ですから、必要ありませんかな?」

 天龍は得意げな顔になって言った。

「僕がついているんだからね。御心配無く」

 あんたが一緒だから心配なんだよ!とスオウと綾は思っていたが、ワダチの手前、口には出さなかった。

「アヤ様…。これを…、道中でお召し上がり下さい」

 ワダチの影からおずおずと出てきたリンが、小さな籠を綾に手渡した。中からはうっすらと焼き菓子のいい香りが漂ってくる。

「うわぁ。いいの? ありがとう!とってもいい匂い。」

 綾の言葉に、リンは真っ赤になって照れて、またワダチの影に隠れてしまった。

「さ、参りましょうか」

 スオウの合図と共にケイが御者台に上がり、 馬車の手綱を取った。綾、ゴウヤ、天龍が馬車に乗り込み、スオウは側に待たせていた馬に飛び乗った。

「お気をつけて!」

 綾は手を振るリンとワダチに笑顔で返すと、ワダチの側に立つミトを見た。

(お母さん…)

 何かが綾の中でざわめいた。

「ちょっと待って!」

 綾はケイにそう言うと大急ぎで馬車を降り、ミトに駆け寄った。

「お母さん!」

 綾はミトに抱きついた。

「お母さん、ありがとう。元気でね」

 ミトは綾の背中に腕を回して力を込めた。綾の中のざわめきが一層大きく波打った。

「綾…。ありがとう。あなたも、元気で…。さあ、行ってらっしゃい」

 ミトに送り出されて、綾は再び馬車に乗った。

「行って来ます!」

 馬車が動き出し、城がどんどん小さくなっていった。小さくなった城は、ぼやっと白くにじんで見えなくなった。

 綾はしばらくの間、馬車の中で子供のように泣いていた。


 王都ワトを出た後、馬車の窓から見えるのは干からびた荒野だけだった。

 地龍の庇護を受けていた綾の叔父(ハヤトの弟)が不慮の事故で亡くなってから3年余り。それまで辛うじて意識を保っていた地龍もさすがに力を使い果たして眠りにつき、以来、土は実りをもたらさなくなった。

 それでも人々は奇跡を信じて痩せた土地にしがみつき、今日も望みを託しながら耕し続けている。

「この辺りは以前、どこまでも続く麦畑でした。あの辺りには果樹園があって、小さな頃に父上に連れて行っていただいた記憶があります」

 ゴウヤが指差す辺りには、今は石と枯れ木の他は何も見えない。

 泣き止んだものの、まだ目を真っ赤に腫らしたままの綾は、ただ無言で外を眺めていた。

「ちゃんと、復活してくれるかな、地龍…」

 聴こえるか聴こえないか位の声で、綾が呟いた。瞳はまだ窓の外を見つめたままだ。天龍はしばらく綾の様子を見ていたが、小さな溜息を一つ、つくと、自分の足元に顔を向けた。

「…どう思う?(くが)

 天龍は足元の影にそっと問い掛けた。

「大分、意識は以前よりもはっきりしてきているのですが…。具現化までは、今少し…」

 地龍の声は、天龍以外の誰にも聴こえない。

「そう…」

 天龍がポツリと言った。その様子を、天龍の向かい側に座っているゴウヤが興味深そうに見ていた。

「天龍様。地龍様は、そちらにいらっしゃるんですよね?」

 ゴウヤは思い切って天龍に話し掛けてみた。

「そう」

 天龍が素っ気無く答える。「だから何?」とでも言いた気な不遜な態度だ。

「あ、いえ。失礼いたしました…」

 恐縮したゴウヤが押し黙ると、馬車の中には沈黙が続いた。馬の蹄の音と車輪の廻る音が規則的に聴こえてくるだけだ。

 

 しばらくして、早駆けの馬の蹄の音とスオウがケイに何かを喋っている声が聴こえた。やがて、馬車の速度が緩んで大きな川の流れる岸辺で停まった。

「ここで少し休憩にしましょう」

 ケイがそう言って馬車の扉を開けた。

 川はもっと水量の多い川だったのだと思う。明らかに以前は川底だったと思われる部分が両側に出ていて、川岸の高さや幅と、今の川の水幅が妙にアンバランスだった。それでも、清流が流れているのはありがたい。綾は持っていた水筒に水を継ぎ足し、少し自分で飲んだ。水は冷えていて、とても美味しかった。

「はぁ。生き返る~」

 すぐ側でスオウは馬に水を飲ませていた。馬は茶色の毛が美しい雌馬だった。

「アヤ様、あまり飲み過ぎまぬよう。あとでお腹を壊されたりしたら、大変です」

「わかってるわよ。子供じゃないんだから」

 綾は水を飲んでいる馬を眺めた。子供の頃に近くの農場の馬によく乗せてもらっていたことを思い出した。そう言えば、綾は乗馬もミトに教えてもらった。

「スオウ。後でこの子に乗せてね」

「乗馬の経験がおありですか?」

 スオウが意外そうに片眉を少し上げながら尋ねた。

「うん。少しなら。スオウみたいな早駆けはできないけど」

 綾の答えに、スオウはニヤッと笑った。

「それでは後ほど、お乗せして早駆けして差し上げましょう」

「本当?」

「その代わり、手加減はいたしません」

「うっ…。やっぱり、遠慮しておきます」

 ハハハと笑うスオウを見て、少し前から2人の遣り取りを近くで聴いていたゴウヤが驚いた顔をした。

「スオウ殿。貴殿とアヤ姫様は、随分と仲が良くていらっしゃるのですね」

「そうかな? でも、敬語が何か堅苦しくない?」 

 綾がそう言うと、スオウとゴウヤは「とんでもない!」と言って首を横に振る。

「えー? どうして?」

 口を尖らせてむくれてみせる綾を見て、スオウは笑った。

「俺はあなたの(しもべ)ですから。そのような不躾(ぶしつけ)な真似はいたしかねます、我が主」

 スオウの言葉に、それまで少し離れたところで皆の様子を見ていたケイが「え?」と言って近付いてきた。

「スオウ。今、あなた、アヤ様のことを『我が主』って呼んだ?」

「ああ。それがどうした?」

 目を驚きで見開きながら、ケイがスオウに詰め寄った。

「ス、スオウ!あなた、アヤ様に忠誠を誓ったの?」

「ああ」

「いつ?」

「昨日」

「本気で?」

 詰め寄るケイに一瞬ムッとしながらスオウが言った。

「お前は本気以外で誰かに忠誠を誓えるのか?ケイ」

 ケイは一瞬押し黙った後、「信じられない」と呟いた。

 ケイのウサ耳がフルフルと震えている。感情が目に見えてわかってしまうのは便利なのか、どうなのか。

 黙ったままのケイとスオウの間に、妙な緊張感が漂っていた。

「あの、何か問題でも、あるの…?」

 ケイのあまりの剣幕に不安になった綾が尋ねると、スオウがきっぱりと言った。

「いや、何も」

「あるでしょう?!」

 ケイがキレた。

「忠誠は一生物よ! 一生、続くのよ! 取り消しなんてできないのよ! それを、出会ってたった3日で? どうしちゃったの、スオウ!今までのあなたはそんな軽率な真似はしなかったはずよ!」

 スオウはケイの「軽率」と言う言葉に対して明らかな嫌悪を見せたが、一つ深呼吸をすると、肩で息を切らせながらスオウを睨み付けているケイにニヤっと不敵な笑みを浮かべてみせた。ケイはその様子に一瞬ひるんだが、相変わらずスオウを睨み付けている。ケイの頭のウサ耳がピクピクと痙攣している。

 綾が助けを期待しながら周りを見ると、天龍は2人の遣り取りを面白そうに頬杖付きながら遠くの方で座って眺めているし、ゴウヤは口をあんぐり開けたまま、放心している。

(だめだ。この2人にこの場を押さえてもらうのは、無理…)

 綾がケイを宥めようと何かを言いかけた時、スオウの低い声が静かに響いた。

「たったの3日でも、『これだ』と思った瞬間があった。だから誓った。後悔はしていなし、するつもりも無い」

 スオウの声と共に、さっきまでの緊張感が穏やかな凪へと変わっていくような気がした。ケイの表情は、さっきまでの「怒り」から「悲しみ」とか「諦め」のような感情に変わっていた。

「…そう」

 ケイはそれだけ言うと、馬車の置かれている方へと足早に去っていった。綾は放心したままのゴウヤは放っておいて、スオウの元へ駆け寄った。

「スオウ…。私、よく知らないから、何て言っていいのか全然わからないんだけど…」

「あなたが心配なさることではありません。アヤ様」

 スオウが穏やかに言った。

「忠誠を誓った者は、主と共に生き、主と共に死ぬ。俺は一生あなたの側に仕え、あなたを裏切ること無く、あなたの盾となって生きる。あなたがどこへ向かおうと、どこへ移り行こうと、俺は側を離れずに付いて行く。それが忠誠の誓いのもたらす意味です。俺はあなたを主と選んだ。それだけです」

「それだけって…、ええっ?」

(『一生』って、何?『共に生きて共に死ぬ』って…)

 綾は馬を連れて去ろうとしたスオウの腕を掴んだ。スオウは構わずに歩き続けている。

「スオウ。スオウ、それって…」

「俺は」

 スオウは急に立ち止まって振り返った。止まれなかった綾の顔はそのまま、スオウの胸に当たった。

「あう…」

 ぶつけた鼻をさすりながらスオウの顔を見上げると、すぐ側にスオウの顔があって綾は一瞬息を飲んだ。スオウの強い緑色の瞳から、綾は目を逸らすことができなかった。

「俺は、あなたの傍らで、あなたの創る国を見たい。出来ることならばあなたを助けて、あなたと共にあなたの想う国を創りたい。それが俺があなたに忠誠を誓った理由です」

 スオウの眼は本気だ。

(「あなと共に」って、まるでプロポーズみたいな…!) 

 複雑な気持ちにかき乱されたまま、綾は頭の中で必死に言葉を探していた。

「はーい。そこまで」

 次の瞬間。少し棘のある不機嫌そうな声がしたと思った途端、綾は後ろに引っ張られてスオウから離された。振り向くと、そこには明らかに不機嫌な天龍がいた。

 天龍は両腕で綾の身体をしっかりと抱きかかえたまま、スオウに向かって言った。

「僕の許婚に求愛とは、穏やかじゃないね、スオウ」

 天龍の口調は柔らかかったけれど、綾を抱きかかえた腕はきついままだった。スオウは2人を見る目を少し細め、フッと鼻で笑った。

「どう取られようと構わぬ。それに、俺は主の命は聞けても、あんたの命は聞けぬ」

「うわー。生意気だね。何様のつもり?」

「ちょ、ちょっと、2人とも!」

 綾は天龍の腕から離れようとしてもがいていた。相変わらず、この細い腕のどこにこんな力があるのだか、全く理解できない。

 天龍が綾の耳元で囁いた。

「アヤ。浮気はいけないなぁ」

「な、何言ってんのよ。大体、私、あなたに本気じゃないし!」

「お仕置き」

 綾の首筋に何か湿った暖かいものが触れた。

「ひ、ひやあ~」

 綾が身を屈めようとしたと同時に、天龍の動きがぴたっと止まった。

「…この僕を、斬るつもり?」

(へ?)

 綾が恐る恐る顔を上げると、目の前には天龍の首筋に刀の切っ先を向けたスオウが立っていた。スオウはいつの間にか、音も立てずに抜刀していたのだ。

「アヤ様を放せ」

「気に入らないな。僕を天龍と承知の上で、こんなことするなんてね」

 2人はしばらく睨み合っていたが、やがて天龍の腕が深い溜息と共に緩んだ。

「ま、野暮な観衆の前ですることじゃないからね。気分が台無しだ。また後で、アヤ」

 天龍はそう言うと、一人で馬車の方へと戻っていった。

(「後で」じゃないわよ!)

 綾は踵を返すと、川に向かって歩き出した。

「アヤ様、どちらへ?」

「川!首を洗いたいの。うう。ベトベトする~。気持ち悪~い」

 肩を怒らせながら早足で歩く綾の後を、スオウが馬と一緒について来た。

 川に着くと、スオウが綾に小さな木綿の手拭を差し出した。

「どうぞ。これをお使い下さい」

「ありがとう」

 綾は手拭を水に浸して首を拭いた。

「ふー。すっきりした。あ、これ、後でちゃんと洗ってから返すね」

 綾は手拭を手に持ったまま立ち上がった。

「あーもう。あのバカ龍のせいで少し遅くなっちゃったね。早く戻ろうか。皆をこれ以上待たせたら悪いし」

「そうですね」

 そう言ってスオウは連れていた馬に跨り、綾に手を差し伸べた。

「さぁ、どうぞ」

「?」

「お乗り下さい。その方が早い」

「え、いいの?」

「はい」

 綾がスオウの手を掴むと、スオウが綾の身体を馬の背に引き上げ、綾はスオウの前に座った。馬の背からは、ほのかに草の匂いがした。田舎で近所の牧場のおじさんに馬に乗せてもらった事を思い出す。

「この子、何ていう名前?」

「ユウナギと申します」

「綺麗な名前ね。スオウがつけたの?」

「いいえ。馬主からは、こいつが生まれたのが穏やかな夕方だったからユウナギと名づけたと聞きました」

 ユウナギはスオウと綾を乗せて緩やかに歩き始め、川岸を登るとあっという間に馬車に着いた。馬車の横で、不機嫌な天龍と苛立ったケイと困惑顔のゴウヤが2人を待っていた。

「...遅かったね」

 天龍からの牽制球が飛ぶ。

「ごめん。誰かさんに付けられたヨダレを洗い落としてきたから」

 綾が悪びれもせずにそう言うと、天龍は「付けたままでよかったのに」と嫌なことを言う。2人の遣り取りを聞いて、傍らにいたゴウヤの顔が見る見る真っ赤に染まった。

「…大丈夫か、ゴウヤ? 熱でもあるのか?」

 スオウが心配して尋ねると、ゴウヤがスオウに手招きをして側まで来てもらい、スオウの耳元に何かを囁いて、スオウがそれに何か返事をしているようだった。少しして、綾に背を向けていたスオウの大きな肩が小刻みに揺れ始めた。多分、笑っているんだろう。

「…スオウ殿」

 スオウの影でよく見えないが、ゴウヤの眉間には皺が寄っているようだ。

「くっくっく…。す、すまない、ゴウヤ。しかし、お前は以外とウブだな。歳の割には」

「ウ、ウブ…? 私はこれでも、21の大人です!」

 真っ赤になって叫ぶゴウヤを全員が見た。

「あ…」

 ゴウヤは全員の視線を受けて硬直した。

「へー。ゴウヤって、私と同い年だったんだ~。年下かと思ってた」

 綾が素直な感想を述べると、ゴウヤが恥ずかしそうに俯いた。

「21なんてヒヨっこよ。で? そのヒヨっこが何ウブなことを言ったのかしら?」

 だるそうな表情でケイが髪を掻き上げながら訊いた。

「え、いや、その…。何でもありません!」

 ゴウヤは慌てて馬車の中に入ってしまった。スオウはユウナギの背に跨った後も、しばらく笑い続けていた。

「変なの」

 綾はそう言って馬車に乗り込んだ。天龍が後に続く。

 やがて一行は、再び北へ向かって進み始めた。


 その日に宿を取る予定の街に到着するまでの間、スオウの薦めもあって、綾はゴウヤから祭祀省や1年の間に主に行われる年度儀式の数々についての講義を馬車の中で受けることになった。

 ゴウヤは綾と同い年で今年21になったばかりだが、家は代々祭祀省に仕える家柄で、彼自身も16歳の頃から祭祀官として出仕している。この若さで次官に上り詰めたのがすぐに納得できるほど、ゴウヤは聡明で祭儀についての知識も深く、教え方も上手だった。綾は数時間の講義の間、退屈することが全く無かったのがありがたい。

「―要するに、ヤマトで行われる一連の儀式って、農作業に深く結びついているのね?」

 一通りの講義が終わり、綾がゴウヤに質問を浴びせていた。

「その通りです、アヤ様。ヤマトの国は太古より農業を主な産業として行っております故、今回私達が参ります地鎮めの儀を始めとし、主な儀式は農業と密接した関係にあります」

「私には覚えやすくって助かるわ」

「どうしてですか?」

「実家が農家なの」

「は?」

 目をぱちくりとさせているゴウヤは、年齢よりもやっぱりいくらか若く見えた。綾は笑って答える。

「私を育ててくれたお父さんは農家の五男坊でね。私も小さい頃からよく畑でお父さんの仕事を手伝ってたの。まぁ、子供の頃のお手伝いなんて、たかが知れてるけどね。でも、お父さんを見ながら育ったから、農家が1年の間にどういうことをしてるのか、大まかにだけど知ってるわ。」

「なるほど。ところで、アヤ様は向こうで今も学校に通っていらっしゃると伺ったのですが、向こうの学校というのは、どのような教科を教えているのでしょうか?」

 一通りの授業が終わると、今度は綾がゴウヤの質問に対して答えた。さっきまで眠そうにしていた天龍が目を輝かせながら話の輪に入ってきた。宿に到着した後、夕食時にこの時の話になり、馬車の中にいなかったケイとスオウが自分たちも綾が育った世界の話を聞きたかったと言って文句を言った。

「でも、ケイとスオウは向こうに来たじゃないの」

「しかし、我々はアヤ様をお探しし、お連れするという目的の元で動いておりましたから、向こうの世界を観察する時間がほとんど…」

 悔しがるケイを遮って、スオウが綾に質問をしてきた。

「アヤ様。そう言えば、あの、道で動いていた馬の無い馬車は一体何なのですか?」

「馬の無い馬車…?」

(何か、ナゾナゾみたい。馬の無い馬車、馬の無い馬車…。あっ!)

「車のことかな? こんな形とか、こんな形とかしたやつ?」

 綾はテーブルの上に水で自動車やトラックの絵を描いてみせた。

「そうです。その他にも、人が馬のように乗るものもございました」

「あ、バイクかな。こんなの?」

 綾はバイクの簡単な絵を描いた。スオウが頷く。

「そうです。…意外と絵がお上手なのですね、アヤ様」

「意外ってどういう意味よ」

「いえ。失言です。お許しを」

 天龍とゴウヤは2人の様子を見ながら笑っている。ケイは昼の休憩からずっと不機嫌なままだ。ケイの方をちらりと見ると、その様子に気付いたスオウが「気にするな」と言うように小さく首を振った。

(気にするなって言ったって、私、この旅の間中、ずっとケイと同室になるんだけどな。女の子、私とケイだけしかいないし)

 その晩、宿の部屋に入ると、ケイは綾と一言も会話をすることも無く床についてしまった。


 翌朝、朝食を済ませて旅支度を整えると、ゴウヤとスオウが先に馬車の近くで待っていた。やがて天龍とケイが合流すると、一同はその日の予定を軽く確認し、スオウはユウナギに跨り、天龍とゴウヤは馬車の中へと入っていった。

 綾は御者台で準備をしているケイを見た。ケイは今朝も目を覚ました後、綾を避けるかのように行動していて、結局今まで綾がケイに話しかける隙が全く無かった。

(馬車を走らせている間なら、ケイは御者台から逃げるわけにもいかないよね)

 綾は御者台に座っているケイに歩み寄った。

「ケイ。私、休憩になるまでの間、御者台に一緒に座ってもいいかな?」

 綾がケイに尋ねると、ケイは始め渋っていたものの、「中より少し揺れますので御注意を」と言って隣に座らせてくれた。

 一行が移動を始めてからしばらくの間、ケイはただ黙ったまま馬車を操っていた。綾はケイと話すきっかけを見つけられないまま、黙って座りながら景色を見ていた。

 空はよく晴れて、乾いた風が首筋に心地よかった。

 綾は遠く前方に、馬車から先行してユウナギを走らせるスオウを見つけた。

「ケイって、スオウのこと、ずっと昔から知ってるの?」

 綾が思い切ってケイに話しかけてみた。

「…気になりますか?」

 ケイの返事はちょっとした「含み」を感じさせ、思いがけないケイの反応に綾は一瞬たじろいだ。

「えーっと、気になるって言うよりは、二人の関係って、何だか面白いなぁって思ったの。何か、仲間とか友達とかっていうよりは、兄妹みたいな感じ、かな?」

「どうしてそう、思われるのです?」

 ケイが警戒するかのように尋ねた。何か悪いことでも言ってしまったかと思った綾は、自分の思ったことを言葉を慎重に選びながら口に出した。

「何ていうのかな。スオウもケイも、2人でいる時は遠慮があんまり見られないっていうか。素の部分でお互いに喋ってるような気がするっていうか。友達といるっていうよりは、家族と話してるみたいな感じがしたから、かな」

 ケイは綾の言葉に少し意外そうな顔をしたが、それはじんわりと微笑みに変わっていった。

「兄妹、というのは、あながちハズレではないのですよ、アヤ様」

「え?」

 驚きに目を見開くアヤに、ふふっと笑ってケイが答えた。

「わたくしとスオウの親同士が仲がよく、そのお陰でわたくしとスオウは幼馴染だったんです。ですが、わたくしの両親が共に先の戦で亡くなり、スオウの御両親が身寄りの無くなったわたくしを引き取って育ててくださいました。ですから、わたくしとスオウは兄妹のように育ちました」

「あ、そうなんだ…。ごめんね」

「何故、謝られるのです?」

「御両親のこと…。知らなかったから」

 ちょっと失敗したな、と思いながらしょんぼりしている綾に、ケイがフッと笑って言った。

「お気になさらないで下さい。それから、御安心を。わたくしとスオウの間には、何もございません」

「ちょっ。ケイ。私、別に」

 慌てる綾を見て、ケイが久しぶりにクスクスと声を出して笑った。

「ケイ。何か誤解してない?」

「あら。そうなんですか? それは残念です。スオウはああ見えて、結構いい男だと思うんですけど。お勧めでございますよ?」

「そんな、魚屋さんでお魚勧めるような言い方しないでよ」

「ふふふ。でも、御存知かとは思いますが、スオウはもうすでに、アヤ様のものですから」

 ケイが真面目な顔をして言った。

「それは、変な意味じゃなくて、スオウが私に忠誠を誓ったから…?」

 綾の問に、ケイが頷いた。2人の間に少しの間、沈黙が流れた。

「スオウがね、昨日、教えてくれたの。スオウはこれから先、私と共に生き、共に死ぬ存在だって。私を一生裏切らず、私の盾となり、私の側にいるんだって」

 ケイは静かに綾の言葉に耳を傾けていた。2人の遥か前方に、先行しているスオウの後姿が小さく見える。ケイが口を動かした。

「誓いをお受けになる前に、スオウと2人で何をお話になっていらっしゃったのです?」

「えーと…。私たち、王都に出て、それからお母さんの家族のお墓参りに行って…」

 綾はその時のことをケイに話した。街で見た人々の様子。延々と続く墓石の広がる丘。夕焼けの色。乾いた風。乾いた土。春に花が1輪も咲かないこの国。この国をあるべき姿に戻したいと願った自分。

「―お父様の部屋に飾られているお母様の絵には、沢山花や緑が周りに描かれているのよ。あれって、今思うと、絶対に城の中庭のアーチがある辺りで描かれたんだと思うのよね。なのに今、あの場所は…」

 そこまで言って、綾は言葉に詰まった。目の前に枯れた王宮の庭園の姿が甦って、何とも言えない気持ちに覆われた。小さい頃から緑のあるところで育った綾には、あの庭園の姿はある意味「恐怖」だった。綾にとっての「死の世界」そのものの風景だったからかもしれない。

 今も綾の目の前に広がるこの乾いた世界は、綾をふとした拍子に不安にさせる。それでもパニックに陥らないでいられるのは、ケイやスオウ達が側についていてくれるのがわかっているからだ。知り合ってまだ日が浅いとはいえ、彼らの存在は綾にとって心強いものになっていた。

 綾は瞳を閉じてゆっくりと深呼吸をする。目を開けて前を見ると、遥か遠くになだらかな山並みが見えた。

「私ね、ケイ」

 綾の瞳は前をじっと見詰めたままだ。

「天龍や澪ちゃんと、七龍を復活させるって約束したの。残りの龍を全て復活させて、この国を元の姿に戻すって。だから―」

 遠くに見えていたスオウの姿が少しずつ近付いてくる。

「復活を終えて、この国が元の通りか、それ以上に豊かになるまで、スオウをお借りします。今の私には、スオウみたいな『味方』が沢山必要だと思うから」

 馬車がスオウに追いついた。

「スオウ」

 ケイがスオウを呼ぶと、スオウがこちらを振り向いた。

「何だ」

 ケイはスオウと綾を交互に見て微笑むと、言った。

「いい主を得たわね」

 スオウは一瞬驚いたような顔をしたが、得意気な顔になると馬上で胸を張った。

「…だから言ったろ?」

「あなたはいつも、ああ言えばこう言う」

 呆れた様子でそう言うと、ケイは綾を真っ直ぐ見た。

「我が兄を、宜しくお願いいたします。アヤ様」

 ケイは軽く綾に向かって会釈をすると、顔を上げてスオウにいたずらっぽく微笑んだ。

「お借りします」

 綾がそう言ってケイに会釈をして返すと、ケイがすまして言った。

「返品は承りません」

「何だと?」

 スオウがケイを睨み付けた。ケイと綾は声を上げて笑い始めた。何事かと思って、天龍とゴウヤが窓からこちらの様子を伺っている。

「何か、お嬢さん方2人で楽しそうだね。僕も混ぜてよ。さっきからずっと狭い所で男と2人っきりで、いい加減嫌なんだけど」

 天龍が愚痴を言う。

「あともうしばらく御辛抱下さい、天龍様。休憩場所まで、まだございますので」

 ケイがそう言うと、天龍は「つまんないなぁ」と言いながら座席に寄りかかった。

 それから休憩に入るまでのしばらくの間、綾はケイから術式省のことや術式について色々教わった。


 数時間後。一行は道中にある小さな農村で昼の休憩を取った。

 その村は人口が約30人ほどの小さな村で、人々は6、7軒ある小さな家に分かれて住んでいた。家は全て古びていて、その周りにある畑には、一生懸命に耕している跡が見受けられた。

 人々は彼らが今年の地鎮めの儀を執り行うために王宮から使わされたと知ると、色々ともてなしてくれようとしたが、綾達はそれを丁重に断った。この村に余所から来た旅人をもてなすほどの蓄えなど、あるわけがない。綾達は、彼らが村人の僅かな蓄えを奪ってしまうことを極力避けた。

 村人たちに井戸を借りると、彼らはこの村の井戸がここ数日で甦ったという話をしてくれた。枯れてしまったと思っていた井戸が水を蓄え始めたお陰で、村人たちは村を捨てず留まることを決めたのだという。

「それって…、やっぱり澪ちゃんが原因かな」

 綾がこっそり天龍に尋ねると、天龍が嬉しそうに「そうだろうね」と答えた。綾は、たった一柱の龍が復活を遂げただけで起こった遠くの村での現象に驚いた。

(やっぱり、この国を豊かな国に戻すためには、全ての龍を復活させなくちゃいけないんだろうな)

 綾は乾いた田んぼの中で元気に鬼ごっこをしている子供たちを眺めながら、そう思った。

 井戸の水は澄んでいて、とても美味しかった。綾は水を自分の水筒に注ぎ足すと蓋をしっかりと閉めた。ムクムクと気合が入ってくる。

「よおーっし、頑張ろう!」

「何をそんなに頑張るんだ?」

 誰もいなかったはずの綾の背後から声がして、驚いた綾は水筒を地面に落としてしまった。通常ならこのパターンで現れるのは天龍なのだが、天龍の声とは違う。もっと歳の若い、少年のような声だ。

 綾が振り向くと、そこにはこの村の子だろうか。16、7歳くらいの男の子が立っていた。薄汚れたつぎはぎだらけの短い上衣に、裾のほつれたパンツから伸びた素足に靴は無い。少し多めの緑がかった髪の毛は、鳥の巣のように絡まっている。

「この御時世に、あんたみたいに生っちろい顔や手をしたまま悠々と暮らせる所があるんだな」

 少年は皮肉を言いながら、意志の強い深緑色の目で綾を真っ直ぐに見つめた。綾はその瞳から、ふつふつと沸いてくる憤りと怒りを感じた。

「あなたは、この村の人?」

 綾は落とした水筒を拾いながら尋ねた。幸い、水はこぼれていなかったが、少し土がついてしまった。水筒の土を手で払っていると、少年が綾に自分の腰から手拭を取って差し出した。

「これ、使え」

「あ、ありがとう」

 綾は水筒についた土を借りた手拭で払った。手拭は随分使い込まれた様子で、今にもあちこちが切れてしまいそうだったが、隅の方に小さな刺繍の跡があるのに綾は気が付いた。

「あ。何、これ? 花…?」

「スミレだ」

 ぶっきらぼうにそう言う少年に綾は手拭を返した。返された手拭の刺繍の跡を、少年は少しの間見つめていた。

「昔は、ここいら一帯に、春になるとスミレが沢山咲いて、綺麗だったんだってさ。死んだ母ちゃんがそう言ってた。母ちゃんの好きな花だったんだ。スミレ。だからその手拭に自分で刺繍したんだってさ…」

「そう、なんだ…」

「城でのほほんと暮らしてる奴には、わかんない話だろ?」

 さっきまで少しだけ潜めていた怒りの色が、少年の瞳に再び宿り始めた。

「私は…」

「お前ら、城に住んでる奴らのせいで、この国はこんなになっちまった。前の戦の時、お妃が怪物を呼び出さなかったら、この国はこんなにならなかったんだ!」

「え?」

 綾は驚いて少年を見た。少年は少年で、綾のきょとんと驚く様が意外だったらしい。

「お前。知らないのか? 城の人間なのに? この国の人間なら、全員知ってる話だぞ?」

「全員って…。ねぇ。その話、どういうことなの?」

 綾に逆に詰め寄られ、少年は少したじろいで後ずさりながら答えた。

「お、俺は、その、実際に見たわけじゃねーから。生まれてねーし。でも、大人達が言ってたのは、お妃が呼び出した怪物は敵の軍隊だけじゃなくて、この国の街や畑も全部焼き払っちまったって…。だから、この国は今、こんなんだって…」

 そう言えば、と綾は思った。何故、この国はこんなに傷んでいる? 敵を追い払っただけならば、どうしてこんなに土地が枯れてしまった? それに、どうして龍達は眠りについてしまったのだろう? それは確か、カノの放った禁呪によって戦が終わる頃だったはずだ。カノが禁呪を放ったことで、この国に何が起こった? 全てはあの日から歪んでしまったのでは? 敵の軍隊を全滅させたほどの力だ。他に被害が出ていてもおかしくない。それに禁呪で呼び出した「怪物」って、何?

 少年は呆然としたままその場に立ち尽くしたままの綾を放って、どこかへと逃げ去ってしまった。

 どのくらいそこにいたのか、綾にはわからなかった。気が付いたらスオウが綾を探しにやって来た。

「いかがなされましたか、アヤ様。お顔の色が優れませんが」

 スオウが心配そうに綾の顔を覗き込んだ。

「ス、オウ」

 やっとの思いで言葉を出してみたが、綾の乾いた口からこぼれ出る声は擦れていて、いつもの綾の声ではないかのようだ。

「はい、我が主」

 スオウが綾の傍らに跪いた。綾の頭の中では、まだ色んな仮説がぐるぐると渦巻いていた。

 綾はすぐ側でスオウがただじっと綾の言葉を待ってくれているのを感じた。

「教えて、くれるかな」

「何を、でございましょう?」

 スオウの低い穏やかな声が綾を少し落ち着かせた。スオウを見ると、スオウの瞳が穏やかに綾を見つめていた。

(今度は、スオウもちゃんと教えてくれるよね? 誤魔化さず、言葉を濁さずに…)

 綾は一言、一言を押し出すようにスオウに告げた。

「私に、21年前に、お母様が放った禁呪と、それによって起こったことを、全て、話してくれる?」

 スオウは一瞬目を見開いたが、すぐに元の穏やかな顔に戻った。

「御意。あなたに私の知る全てをお話いたしましょう。ただ―」

「ただ、何?」

 警戒する綾に、スオウはうっすらと微笑んだ。

「私の知る話は我々の側から見た話に過ぎません。この国に起こった全てを知るには、やはり天龍にも話を伺うべきかと」

 スオウの言葉に、綾は安堵の息を漏らした。

「…ありがとう。そうします」

 

 風が砂埃を巻き上げながら、何も無いこの大地を横切っていった。 

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