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この地に渡る風  作者: 成田チカ
10/25

復活、ですか?

「ここに来るのは、久しぶりだなぁ...」


 城の中に到着した天龍は、そう呟いた。


「へー。来たこと、あるの?」


 天龍の身体を引き剥がそうともがきながら尋ねた。さすがに城の中には人目も多く、綾は一分一秒でも早く天龍の腕から離れたかった。

 大体、天龍は目立つのだ。

 城が近付いてきてからというもの、綾は城で働く人達の視線の集中豪雨を浴びていて疲れてしまった。特に若い女性達からの視線が痛い...。彼女達は興味と羨望の眼差しを天龍へ、嫉妬の眼差しを綾へと投げ続けていた。天龍はそんな状況を楽しんでいるように見える。


「昔はよく来たけどね。最後に来たのは、君の『名づけの儀』の時に。君が僕を呼んだんだよ」


「どういうこと?」


「王の一族は、生まれて7日目の『名づけの儀』で名前と共に、紋章が送られる。その時にどの龍の庇護下に置かれるかが決まるんだ」


「どうやって?」


「赤ん坊が紋章に触れると、紋章の龍の彫り物に付けられた龍石を伝わって、僕ら龍のいづれかに赤ん坊の呼び声が届くんだ。それを受け取った龍が赤ん坊の庇護龍になる。その証に、龍石の色が庇護龍の色に変わる。僕は7色だから、君の紋章も7色でしょう? と、言うわけで、君はその時に僕の花嫁に決まったんだ。ああ、運命の絆を感じるなぁ~」


「はぁ...」


 綾は自分の腰のベルトに付けられた紋章を見た。確かに、この色はあの空洞で見た天龍の本当の姿と同じ色だ。光の揺らめき方も似ているかもしれない。

 そんなことを思いながら立っていると、横の方からババ様の声がした。


「変わった客人がおいでだね」


 綾が声のした方に顔を向けると、ババ様が北側の通路から歩いてくるのが見えた。ババ様の後ろには、ローブのようなものを羽織った人達がぞろぞろと続いている。ババ様の配下の術式官達だろうか。

 ババ様の姿を見るなり、その場にいた人達全てが壁際に寄ってひざまづき、広い空間の中で立っているのは綾と天龍、そしてミトだけになった。


(この人って、ここでそんなに偉い人なの...?)


 周りのただならぬ様子に綾は一瞬驚いたが、すぐに自分の身体にはまだ天龍の腕が絡みついていることに気が付いて、赤面した。

 ババ様は「ほっほっほっ」と水戸黄門のような笑い声を上げながら、ゆっくりと近付いてきた。


「久方ぶりじゃのう、天龍」


 トキのその一言で、周りにいる人々が一瞬、息を呑むのが聞こえ、その後にひそひそと何かを告げ合う音が聞こえた。

 天龍は周りの反応を気にする様子も無く、フッとババ様に向かって微笑んだ。周りの女官達から「ほうっ」と甘い溜息が漏れる。


「そちらも相変わらずの様子だね、トキ」


「ワシをその名で呼ぶのは、今はもうお前さん一人じゃがの」


「それは光栄だね」


 ババ様はケイを抱えたままひざまづいているスオウにちらりと視線を投げると、側にいた術式官に何やら囁いた。術式官は頷くと、他に2名を従えてスオウの所まで歩み寄り、ケイをスオウから受け取って元来た方へと去っていった。


「おやおや。うちの次官ともあろうものが、一体どうしたかね」


 ババ様が溜息混じりに呟いた。


「あ、ババ様...」


「何だい、アヤ」


「ケイは、その...ちょっと、ショックを受けて気絶してるだけだから」


「『しょっく』、というのは、何だえ?」


「ええと、その...」


 綾が言葉を探してしどろもどろしているのを見かねて、天龍が飄々と答えた。


「あのお嬢さんは、アヤが僕のこの美しい顔に見事な平手打ちをしたのを見て、驚いて気絶しちゃっただけだから、御心配無く」


 その台詞を聞いて、周りの人達が一斉に目を見開いて綾を見つめた。ババ様は俯いた顔からは表情が読み取れなかったが、笑いを堪えているのか、肩が小刻みに揺れているのが見えた。


「ちょ、ちょっと、天龍!」


 綾は天龍の服の袖を掴むと、それを思い切り下へ引き寄せた。前屈みになった天龍の顔が、綾の目の前に近付いた。


「大胆だね、アヤ。こんなところで口づけしようなんて」


「バ、バッカじゃないの? しないわよ、そんなこと。あのねぇ、さっきの言い方だと、まるで私があなたのこと、いきなり殴ったみたいに聴こえるじゃない!」


「じゃ、僕らが口づけしたことも言うべきだった?」


「!!!」


 目の前の天龍は綾と周りの反応を楽しんでいるようだ。


(こ、こいつ...。信じられない!)


「もう、いいっ」


 綾は天龍を押し離して自分の部屋へと戻ろうとしたが、天龍の腕は綾から離れなかった。


「...邪魔なんだけど、この腕」


「部屋まで送る約束だろう?」


「そんな約束、してないし。もう。いい加減に離してってば!」


 どんどん不機嫌になっていく綾を見かねて、ババ様が言った。


「ほれ、天龍。その辺でアヤを開放してやっておくれ。女子にあんまりしつこくすると、嫌われるぞえ?」


 ババ様からの助け舟だ。

 天龍は不満そうな顔をしていたが、そのうちに綾の腰に回していた腕を緩めた。綾はその瞬間、天龍の腕から擦り抜けてミトの近くへ逃れた。


「ほれほれ。アヤとミトは部屋へお戻り。スオウは御苦労だったね。天龍、お前さんには色々と尋ねたいことがあるんでね。ワシと一緒にちょっと来ておくれ」


 天龍は少しの間ふてくされたままその場に立っていたが、やがて諦めたように小さな溜息と共に肩をすくめると、ババ様の方へ歩いていった。もちろん、その途中でアヤに向かって微笑むことも忘れない。


(た、助かった…。ババ様、感謝!)


 綾がババ様に向かって深々と会釈するとババ様は緩やかに微笑み、天龍を伴って去っていった。



 綾がミトと共に部屋に戻ってしばらくすると、すぐに夕食の時間になった。昼食並みに質素な夕食を済ませると、綾付きになったという若い亜人の女官が2人に食後のお茶を運んできてくれた。


「ありがとう。あなた、お名前は?」


 綾が尋ねると、女官は恐縮そうに「リンと申します」と答えた。

 歳は15、6くらいだろうか。犬のような垂れた耳が、短く切り揃えた赤茶色の髪の毛の間から出ていて、何だか可愛らしかった。小柄な身体に他の女官達とお揃いの衣装が少し大きめだ。大人しそうな娘だが、お茶を差し出す時や食器を下げる時の細やかな気遣いが気持ちいい。

 リンが注いでくれたお茶は何かの花の香りがして、綾の気持ちを落ち着けてくれた。

 リンが部屋を出ると、綾はどっかりとソファの背もたれに寄りかかった。


「今日は何か、色んなことがたくさん起こりすぎて、何か頭が変になりそう…」


 ずるずるとソファにもたれながらそう言う綾にやさしく微笑みながら、ミトは一口お茶を飲んだ。


「そうね。私も、まさか生きてまたハヤト様にお目にかかれるとは思ってなかったわ」


「帰れるとは、思ってなかったの?」


「んー。どうだったかしら」


 ミトはそう言うと、遠い目をした。ミトが弓道場で弓を射るときに時折見せる、あの目だ。その時初めて、綾はミトが今までこの目をする時に思っていたことは、この国のことではないかとふと、そう思った。


「お母さんは、あっちに帰るのよね…?」


「そうね」


 考える間も無く、ミトがはっきりと答えた。


「私の生きる世界は、もう、ここではないから」


 窓からの風が心地いい。


「お父さん、寂しがってるかな」


「そうね。私がいなくっても、ちゃんとご飯食べてるかしら。ふふふ」


 2人は以前、ミトが熱を出して寝込んだ時に父が2日間ずっとカップラーメンを食べ続けた話や、ミトが弓道大会の引率に出かけていた時に父が洗剤と柔軟剤を間違えて洗濯していたことを話して笑っていた。いつもは少し頑固で意地っ張りな父が、母がいなくなると途端にボロが出ることは、家族は全員知っていた。

 ひとしきり笑った後、ミトがポツリと言った。


「私もね、お父さんがいないと、だめなの。だから、ちゃんと帰るわ」


 そう言った母を、綾は美しいと思った。そして同時に、羨ましいとも思った。


「いいなぁ、お母さんは。愛があって、羨ましい」


「僕がいるのに?」


 聞き覚えのある声がして、綾はぎょっとしながら声のした方向を見た。そこには部屋の入り口のドアにもたれながら立っている天龍がいた。いつの間に入ってきたのだろう。


「ひ、人の部屋に無断で… ちゃんとノックくらいしてよね」


「『のっく』とは、何だ?」


 そうではないかと薄々気付いてはいたが、やっぱりこの世界の住人には外来語が通じないらしい。

 綾は必死に言葉を捜した。外来語禁止なんて、何かのテレビで見た罰ゲームみたいだ。


「えーっと、人の部屋に入る前に、ちゃんと声を掛けて許可を得てから入ってください」


「じゃ、入るよ」


「許可してないし、もう入ってるし!」


 ふふふと相変わらずの不敵な笑みを湛えながら天龍は優雅に歩み寄り、「失礼」と一言言うと綾の隣にすっと腰掛けた。

 無駄の無い綺麗な物腰にうっとりする。これがこの男でなければ、の話だが。

 綾は天龍の腕が自分の肩に回る前に、ソファの端に身を寄せた。綾の肩の横で天龍の手が所在無さ気にひらひらと動いている。


「どうして君は、僕にこんなに冷たいのかな~」


「そりゃあ、あなたが初対面の私に向かって、ベタベタと触ってくるからじゃないの」


「許婚なのに?」


「納得してないけどね」


「君が決めたのに?」


「生後7日の赤ん坊に婚約者を決められるわけ、ないでしょうが?」


「それを『運命』って言うんじゃないか」


 そう言いながら、天龍はリンが慌てて運んできたティーカップを優雅に口元に運んだ。


(観賞用には最高なんだけどな、この人…)


 綾がそう思っていると、天龍がふと窓の外を見て言った。


「君に初めて会った名づけの儀の時も、こんな風に穏やかな春の日だったな。外には花がたくさん咲いてて、広間にも花の香りが漂っていた。もう、あれから21年も経っちゃったんだな」


「それなんだけど」

 綾がふと、思い出したように言う。


「私の誕生日って6月だから、21年までまだあると思うんだけど」


 綾の言葉にきょとんとした顔をした天龍が首を横に振る。


「いいや。君の誕生日は4月だよ。4月15日。僕、大切な女性の誕生日はちゃんと覚えているからね。間違いないよ」


「へ?」


 綾は向かいに座っているミトを見た。


「お母さん…?」


 ミトは気まずそうに笑いながら言った。


「あ、あのね。事情が色々あってね。ほら、私たち、向こうの人間じゃないから戸籍が無かったし。それで、申請する時にちょっとつじつまを合わせるために誕生日が違っちゃったっていうか。でも、4月と6月なら、そんなに違わないじゃない? 偶数だし」


「いやいやいやいや。違うって。牡羊座とふたご座じゃ、全然違うって。もう~。道理で今まで星占いとか、全然当たらないわけだ。牡羊座だったんだ。私…。今まで何信じてきてんのよ、私ってば…」


「ええー? でも、羊より双子のほうが、かわいくない?」


「お母さん。そういう問題じゃないのよ。今まで雑誌の星占いのコーナーとか見ながら、ふたご座の『今月のラッキーカラー』とか『今月のラブアイテム』とかを忠実に守ってきた私の立場が無いのよ。」


「あらぁ。ごめんなさ~い。言っておけばよかったわね」


「そんなに誕生日が重要なのか?」


 綾とミトのやり取りを興味深げに聴いていた天龍が言った。


「向こうの世界の女の子は、誕生日で占いをするのが好きなの。それだけ」


「その『向こうの女の子』は他にどんなものが好きなんだい?」


 好奇心満々の天龍の瞳を見ながら、綾は不覚にも一瞬ドキっとしてしまった自分を叱咤した。


「そうねぇ~。お菓子とかぁ~。お菓子とかぁ~。お菓子とかぁ~」


 お茶を飲みながらミトが呑気に言った。


「ミト殿は、向こうのお菓子がお気に入りの御様子だね」


 天龍が微笑むと、ミトが身を乗り出して答えた。


「あら、だって、初めて生クリーム食べた時なんて、そりゃぁ、もう、衝撃的だったわよぉ~」


「『くりいむ』…?」


「お母さん、生クリームって、こっちに無いの?」


「無いわよ~。牛乳はあるのに、何でかしら。食べたことなかたわね。生クリーム発見した向こうの人、偉い!って感じよ~」


「ふうーん」


「だから、『くりいむ』とは何なのだ?」


 独りで取り残されていた天龍が不機嫌そうに言った。


「あ、ごめん。あのね、牛乳を元にして作るものなんだけど、甘くて美味しいの。ケーキっていう、焼き菓子に良く挟んだり、上に塗ったりして使うのよ」


 ケーキで、綾は思い出した。


「あ~~~~!」


 綾の叫び声にミトと天龍が飛び上がり、廊下から聞きつけたらしいリンも何事かと慌てて部屋に入ってきた。


「ど、どうしたの、綾?」


「わ、私、誕生日、過ぎちゃってる…! 4月15日って、おとといじゃない!」


「だからアヤの気を察知して場所を突き止められたって、トキが言ってたよ」


 天龍がお茶を飲みながら飄々と答える。


「…そうなの?」


「ああ。誕生日って、自然と気が高まることが多くてね。特に君はよその世界にいたから気の感知が難しくって、それで誕生日を狙って探したって言ってたよ。去年とおととしも試したけど、その時は失敗したんだってさ。トキにしては珍しいよね」


「へぇ~。そうなんだ…。あのさ」


「ん?」


「天龍って…、何歳?」


 天龍の眉根が寄った。あまり訊かれたくない話題だったかな、と綾は思った。


「どうして?」


「え? だって、あのババ様を名前で呼んで、しかもタメ口だし」


「それは僕が偉い龍だからだよ。」


「…それだけ?」


「それだけ」


「本当に?」


「…しつこいね。」


 天龍はそう言うと、綾の方へ乗り出してきた。天龍の端正な顔が触れるほどに近くなった。


「ちょ、ちょっと天龍。近過ぎるよ」


「何か、困ることでも?」


 天龍の暖かい息が綾の顔に直接かかる。


「あ~ん。お母さ~ん」


「え、えーと、お母さんはお邪魔虫みたいなので、部屋に戻ろうかな~」


 席を立とうとするミトを、綾は必死で留めようとした。


「お母さん! そうじゃなくって! お願い、こいつを止めてよ~!」


「あ、そうなの?」


 また椅子に座ろうとしたミトに天龍が涼しい声で告げる。


「いや、ミト殿。お構いなく。退出してくれて構わない」


「構う。構うってば!」


 綾は手足をジタバタと動かしたが、相変わらず天龍の力は見た目と比べて格段に強い。


「えーっと、じゃ、また後でね~」


 ミトはそう言うとリンと2人でそそくさと部屋から出て行ってしまった。


「そんなぁ~。お母さん、ひどいよ~。はあ」


 扉が閉まる音を聴いて、綾は抵抗するのを止めた。


「おや? 覚悟ができたのかい?」


 天龍は相変わらず呑気だ。


「煮るなり焼くなり、好きにすればいいじゃない」


 綾が天龍から顔を背けたまま投げ槍にそう言うと、天龍は困ったような顔をして綾を助け起こしてくれた。天龍はテーブルの上のティーポットから綾のティーカップにお茶を注ぐと、「これを飲みなさい」と言ってカップを綾に差し出した。

 カップの中のお茶はまだ温かくて美味しかった。

 綾がお茶の香りで深呼吸していると、天龍がポツリと呟いた。


「僕らはね。先の戦争でこの国が荒れてしまったときに、力のほとんどを失ってしまったんだ」


 綾が天龍を見ると、彼は珍しく下を向いていて、その横顔にはいつものような自信満々な雰囲気は見えなかった。


「『僕ら』って…?」


 綾の問に天龍は顔を上げた。その瞳はとても穏やかだった。


「僕らは『7龍』と呼ばれていて、その名の通り、7柱の龍なんだ。天龍、水龍、地龍、風龍、火龍。そして陰龍と陽龍。それぞれが自然の力と理を司るんだ」


「あなた以外の龍は、この世界のどこかにいるの?」


 天龍は寂しそうに軽く微笑むと言った。


「先の戦争の後、僕と(みお)-水龍を除いた5龍達は皆、力を維持できずに眠りに付いてしまったんだ。澪は眠りにはつかなかったものの姿を維持することが叶わず…。以来ずっと、僕の影の中にいる」


 綾は窓からこぼれる光が作り出している天龍の足元の影を見た。天龍の影の中には、青や黄色の光がゆらゆらと揺れていた。


「この、影の中…?」


 天龍はゆっくりと頷いた。


「そう。今は澪だけじゃなく、地龍の(くが)と風龍の東風(こち)もいるけどね」


「あ、目覚められたんだ?」


 綾の何気ない問に、天龍は目を細めてニヤリと笑った。


「…どうしてだと思う?」


(うっ。この顔。何か、嫌な予感…!)


 それでも綾には、何故地龍と風龍が目覚めたのか、さっぱり理由がわからなかった。


「わからないわ。降参。どうして?」


 天龍が綾の耳元で囁いた。


「君と僕があることをしたから。さあ、何でしょう?」


(「あること」…?昼に出会ってから、今までの中で、私とこの人が何したっけ…? 会って、話して...。ま、まさか...!)


「キ、キス…とか?」


「『きす』…? 接吻のことを、そちらの世界ではそう呼ぶのか?」


(接吻って…。そっちの方が何か生々しい気がして嫌~!!)


 綾が顔を真っ赤にしながら言葉に詰まっていると、天龍がくっくっと声を押し殺して笑った。


「何よ」


「いや、意外と可愛いな、と思って」


 天龍の言葉に綾が膨れっ面をしていると、天龍が「ごめん。からかい過ぎたかな」と言って綾の頭をまるで子供にするかのように撫でた。意外と手が大きいな、と綾は思った。


「そう。君の言うところの『きす』で彼らが目覚めた。それはね、君が僕にとって栄養源っていうか、僕に力を与えてくれる存在だからだよ。僕と君の間には名づけの儀で交わした庇護龍としての契約があるからね。同じように、(みお)が眠りに付かなかったのは、澪がハヤト王の庇護龍だからだ。ただ、彼は戦の後で精神的にも肉体的にも弱ってしまって、その影響で澪は実体を保てなかったけどね」


「ちょっと待って。私が元気だったからあなたが元気だったのはわかったけど、どうしてあなたとキスしたら他の龍の力が戻ったの?」


「それは、僕が龍王だからだよ」


「龍、王...?」


 天龍はいつもの不敵な笑みに戻って言った。


「僕以外の龍は全て僕から派生した。だから、僕が他の龍の源なんだよ。僕は他の龍たちと繋がっているから、僕の受けた力を分け与えることができる」


「はぁ...」


「こうして側にいるだけでも、僕は君から力をもらえているんだよ。信じられる?」


「じゃあ、別にキスしなくてもよかったじゃない」


「側にいるだけじゃ、何年かかっても龍を2柱も目覚めさせることはできなかったけどね。水飲むだけよりも、栄養のあるもの食べた方が体力は早く回復すると思わない?」


「...で、あなたは何がしたいと?」


 綾には何となく天龍の企みというか、何故彼がこんなに執拗に綾を追い回してくるのかがわかったような気がした。


「頭のいい子は嫌いじゃないよ」


 天龍はそう言ってティーカップに残っていたお茶を飲み干すと、真っ直ぐな目で綾を見つめた。


「僕は残りの龍を目覚めさせ、さらに彼らを復活させたい。このままでは、この国は僕ら7龍の恩恵を受けられずに枯れていく一方だからね。そのためには、君の協力が必要不可欠だ」


「この城の庭が枯れ果てていたのは、龍たちが眠っているからなの?」


「そうだよ。かつて、ここの庭は花が咲き乱れる美しい庭園だった。でもね、ここだけじゃないんだよ。この国全体で、土地が枯れてしまっている。『緑の王国』と誉れ高かったヤマトが、この有様だよ」


 龍を復活させなくてはいけない。綾はそう、思った。でも、そのためには。


「そのためには...。あと何回、あなたとキスしなくちゃいけないわけ?」


「さあね~」


 天龍が意地悪な視線を投げかけながら、さらっと言った。


「ちょっとぉ~」


「残念ながら、アヤ」


 天龍が真面目な顔に戻って言った。


「こんな状況になったのは、僕も他の龍たちも初めてなんだ。だから、正直な話、僕らの誰もこの先どうすれば確実にそれが成し遂げられるのか、どのくらいの月日を必要とするのか、全くわからないんだ」


「......」


 綾は黙って天龍の顔を見た。彼の瞳は真っ直ぐで、嘘をついているようには見えなかった。それに、どうにか出来ているのであれば、この21年の間に彼の力で何とかしていたはずだろう。

 天龍が表情を少し和らげた。


「まぁ、いいじゃないか。どうせ僕らは許婚なんだし」


 天龍はそう言うとさっと腕を綾の腰に回して引き寄せた。


(あ、まずい!)


 綾は一瞬そう思ったが、遅かった。


(不覚...! キス2度目...!)


 綾が天龍の腕の中でもがいていると、何か青い光を一瞬、目の端に捉えたような気がした。と、同時に近くで女の子の声が聞こえた。


「あ、きゃ、きゃぁ!え、えーっと、その...」


 かわいらしい女の子の声だ。リンのものとは少し違う。

 天龍が声に気が付いて綾から唇を離した。


「やぁ、(みお)。実際に会うのは随分と久しぶりだね」


 澪と呼ばれた少女は小柄な14、5歳くらいの美少女で、小柄で華奢な身体に、腰まで伸びた長い紫紺の髪がよく似合っていた。彼女は俯いて耳まで顔を真っ赤にさせながら、所在無さ気にモジモジとその場に立っていた。


「も、申し訳ございません、上様。私、その、お二人のお邪魔をする気は全く無かったのですが...」


「いいや。気にしなくていいよ。復活おめでとう、澪。またこうして会えて、嬉しいよ」


「あ、ありがとうございます!」


 澪は天龍に深々とお辞儀をすると、綾に向かって跪いた。


「お初にお目もじつかまつります、アヤ様。わたくしは天龍様にお仕えする水龍、名を澪と申します。不束者ではございますが、以後、お見知りおきを」


 未だかつて聴いたことも無いような時代劇調の挨拶をされて、綾は一瞬面食らった。でも、相手は中学生くらいの少女である(水龍だけど)と思い直して、姿勢を正した。


「こちらこそ。これからよろしくね、澪ちゃん」


 綾の言葉に、澪は満面の笑顔を向けた。


「はい! お任せください! この澪、アヤ様と天龍様のために、精一杯、心からお仕えさせていただきます!」


 2人の遣り取りを笑顔で眺めていた天龍は、綾の耳元に顔を近づけて言った。


「ね? たった1日で1龍復活だよ。すごいよね? 君の『きす』の威力ってやつは。僕がこの21年、何を試しても無理だったのに」

 天龍と澪の話だと、昨年ハヤト王が病で倒れて以来、澪は話すことも難しくなりつつあって、眠りに付くのも時間の問題だと思っていたそうだ。


「正直な話、独りぼっちになってしまったら、どうしようかと思っていたんだ」

 龍王ともあろうものが情けないよね、と哀しげに言う天龍を見て、綾の心が大きく揺らいだ。


「わかった。キスはともかく、私もちゃんと協力するから、皆で一緒に考えましょう? どうしたら他の龍たちが早く目覚めるのか。そして...」

 綾は深呼吸をして、はっきりと言った。


「どうしたら、この国を甦らせることができるのか」


 天龍と水龍は笑顔で頷いてくれた。




 綾の長い一日がようやく終わりを告げようとしていた。

 入浴を済ませて部屋に戻ってくると、綾はベットの上に身を投げ出した。


「今日は本当に、色々なことが起こったなぁ...」


 綾は目を閉じながら、今日一日で起こったことを回想していた。

 ミトが来て、門を渡り、ヤマトに来て、天龍と出会い...。

 そこで綾は天龍にファーストキスを奪われたことを突如として思い出して、天龍への怒りを再燃させた。


「あんの、バカ龍。やっぱり、今度弓の練習の時に的にしてやろうかな」


「それは御勘弁願いたいな」


 天龍の声が綾のすぐ後ろから聴こえてきた。

 綾がギョッとしながら振り向くと、綾のすぐ隣に寝そべってくつろいでいる天龍がいた。


「ど、どこから入ってきたのよ!」


「え? 窓から」


「く、くひぇもご」


 「曲者~」と扉に向かって叫ぼうとした綾の口元を、天龍が後ろから手で塞いだ。


「はいはい、夜は静かにしましょうね、アヤ。さ、今日は疲れただろう? 今日はもう何もしないから安心して。このままゆっくりお休み」


 綾の首筋に何か暖かくて柔らかいものが優しく触れた。抱き寄せられて、天龍の体温を寝巻き越しに感じる。どれも綾には初めての感覚で、どうしたらいいのか全くわからない。


(い、いやぁ~。お母さ~ん)


 綾はしばらくジタバタともがいていたが、やがて疲れ果てて、そのままの体制で眠りに落ちてしまった。


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