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蜜蜂の日に

 籠の中にはライラの乳香。浄化用の水晶粉。熱の無い鬼火を灯すコボルトランタン。コケベリーのジャム。

 そして今日の夕飯はミートパイになった。


「エドワード様、来ないな……蜜蜂の日は明日なのに」


 大市場で買い物を終え、広場へと歩きながらシャーロットは呟く。


「忙しいのかな。面倒臭くなったのかな。私、余計なこと言ったかな……うん……言ったかも……。年上の人に『応援』なんて、失礼だったんじゃ……」

 銀髪の魔女の独り言は、黄昏へ近付く雑踏に掻き消された。


 あれから一月。エドワードは一度も『オラクルの館』へ来なかった。元より、占いを盲目的に信じたり頼るタイプではなさそうだったと承知している。


(でも。それにしても……)


 考えるほどにシャーロットは胸が塞がった。

 勝手に張り切っている遥か年下の無礼を、エドワードは人生の先輩として許してくれていたのではないか。


「それとも……もう占いがいらなくなったのかな。お別れの挨拶したかったけど……」

 占いを望む客は、来ても一度か二度というのは珍しくなかった。シャーロット自身も、普段はもっと冷静なのだ。今回だけ、気になって仕方ない。


 溜息を吐いて歩くうち、青と白のテントへ辿り着いていた。

 昼休憩の間テントの番を引き受けてくれたギルドの受付嬢ソフィアが、樽を椅子代わりに煙草を吸っている。


「ソフィアさん。留守番ありがとうございました」

「おかえりシャーロット。これ、さっき男の人が来て置いてったよ。アンタに『渡してくれ』って」


 茶色の髪を無造作に結ったソフィアが笑顔を開き、白い小箱を差し出す。買い物籠をテントの中へ置いて、シャーロットは振り向いた。


「え……? 誰だろう? 名前は言ってました?」

 被っていた白長衣のフードを下ろし、小箱を受け取る。


「聞いたけど言わなかったのよ。金髪で赤い目で。デカくて厳つくて、目付き悪くて顔が傷だらけな、闇のオーラが漂ってる黒尽くめの人」

「その人いつ来ました!? どっちに行ったんですッ!?」

 シャーロットが叫ぶと、ソフィアは怪訝そうに目を細めた。


「ついさっきよ。西門の方に行ったわね。それよりその箱、何? プレゼント?」

 煙草をくわえたまま首を伸ばす。シャーロットは焦りを押し殺して小箱を開けた。


美神イゼフレイアのアミュレット!?」

「ちょっと、これ一個で家が買えるわよ!?」


 金の薔薇に七色の宝石があしらわれた細鎖の腕輪。二人揃って蒼白の顔を見合わせる。


「わ……私、ちょっと行ってくるんでソフィアさん留守番お願いしまシュワワワワあ!」

「見るからに混乱してる状態で大丈夫!? シャーロット!?」


 ソフィアの声が追いかけてきたが、振り返る暇も惜しい。追い駆ければまだ間に合うはず、と小箱をポケットへ押し込み、身を翻らせた。大市場とは反対側。裏路地を抜ければ、西門へ繋がる大通りがあった。橙色の屋根が連なる広小路へ飛び出し、息を切らせて見回す。

 見覚えのある黒い外套と癖のある金髪が見えた。


「あ……エドワード様!」


 人波から頭一つ飛び出している後姿へ、背伸びしたシャーロットは大声で呼びかける。

 黒尽くめの巨体が一瞬立ち止まった。絶対エドワードだった。

 が。

 振り向かない。それどころか


「え!? うそ!? 何で逃げるのエドワード様ーーーーッ!?」


 思いがけない敏捷さで遠ざかるエドワードに、シャーロットは悲鳴を上げる。しかし人混みに流され距離は広がり、終いには大通りの脇の方へ追い出されてしまった。


「む、無理ぃ……どうして男の人ってあんなに足が速いの……」

 肩で息をしたシャーロットは項垂れる。

 それに声は届いていたにも関わらず、止まってくれなかった。むしろ積極的に逃げていた。


(や、やっぱり迷惑だったのかな……っていうか、そんなに嫌われてたの私……?)


 考えたくなかった可能性が、鮮明になる。

 今も変に騒いでしまったから、きっとますます嫌われた。

 絶望感で心臓が苦しくなってきて、シャーロットはその場でへたり込む。

 引き返そう、と思っても足に力が入らなかった。

 その時。


「大丈夫ですか?」

 柔らかい声がして、しなやかな手が差し伸べられた。


「へ?」

 顔を上げると、乳白色の肌に紺碧の瞳。艶やかな赤い髪も美しい青年がシャーロットを見つめている。特徴的に尖った耳の形からしてエルフだった。赤髪のエルフは片膝をつき、西門の方角を指差してくすっと笑う。


「あの人に置いて行かれたでしょう? やれやれ、ひどい奴だ。あんなの放っておいて僕と食事でもどうですか?」

 青年が囁いた。一部始終を見ていたらしい。顔から火が出る思いで、シャーロットは首を振った。


「い、いえ、急いでますので……!」

「そう言わず。すぐそこに良い感じの店があるんですよ。お茶だけでも、ね?」

 見かけより強引な青年がシャーロットの手を取ろうとした、瞬間。


「俺より先に触るなあッ!!!!」

「うおっとぉ」

 落雷と紛う怒声と共に、衝撃波がシャーロットの横で炸裂した。


「え、エドワード様?」


 どこから引き返して来たのか、エドワードが傍らで仁王立ちしている。剣を仕舞いながらシャーロットを見ると、傷跡だらけの髭面が気まずそうに歪んだ。「すまん」と小声で言い、立ち上がるシャーロットを片手で支える。衝撃波は掠りもしなかったし、一瞬過ぎて何が起きたかわからなかったが、見た限り周辺の人や物は何ら変わっていなかった。


「何しに来たハロルド……」

 攻撃を寸でで避けたエルフの青年を睨むエドワードの声が、地鳴りのように響く。

「ひどいな。僕は友達が置き去りにした気の毒な娘さんを慰めようとしただけだよ」

 痩身を若草色の僧服に包むハロルドが微笑み、肩を竦めた。


「ともだち……?」

 シャーロットが呟くと、エルフは整った顔立ちを無邪気に崩す。

「そう。僕らは二十年来のお友達なんだ。種族が違う分、年齢は少々離れているけど」

「誰がお友達だ」

 にこやかなハロルドに、エドワードは苦り切っている。友達の様子を全く意に介さず、ハロルドはひらりと手を振った。


「友達だからわざわざ来たんじゃないか。ホーテンスに相談されていたのもあるがね。どうせ気付いてないんだろ、エドワード? 彼女、振られた君が一月も寝込んだり、急に身の回りの整理整頓を始めたりするから心配していたんだぞ」

「ふられた」


 シャーロットも見た、エドワードの占い結果が脳裏をよぎる。


「君のショックは理解する。しかしホーテンスも気の毒だ。彼女は魔導師として僕たちと共に戦い、女手一つで息子を育ててきたんだぞ。愛も都合も誇りもあるさ。それが戦友だったエドワードに『子どもの父親になろうか』と言われても、そりゃ困惑するだろ」

「そ、そんなことがあったんですか……」


 爽やかな弁舌で、まぁまぁ重量感のある過去が暴露されていた。シャーロットの隣で、当該者はそっぽを向いている。


「だからあの話は無かったことにしただろ……」

「でもエドワードが引越すなんて言い出したせいで、ホーテンスは余計に気をもんでさ」

「同じ都市にいるのが気まずかったんだよ」

「その矢先に、占い師の女の子と仲良くなったらしいとの噂が、家令長殿を経由して流れてくる。またエドワードが壺を買わされるか、はたまた奇跡が起こるかと思いきや、いつまで経っても進展が無い」

「どこで観察していたんだ」


 色まで見えそうな怒気を孕んだ問いにも、華奢な青年は笑みを浮かべていた。まるでそれしか表現を知らないかのようだった。


「君は真面目で正義感の強い男だ。世のため国のため。魔物との戦いだけに日々を捧げて三十年。さすがにどうにかしてやれと国王陛下も案じている。引っ越しは明日だろ? チャンスは何度も訪れないぞ」


 軽々しかったハロルドの口調と態度が、少し改まる。

 三人の間に一呼吸の無音があった。と


「言えないだろッ! 二十五歳が『もう歳』とか言ってるんだぞ!? 五十の俺はどうなるんだ! それに後になって『あの時は怖くて断れなかった』と言われたりしたら、立ち直れないだろッ!!」

「そういうところだけすごく平凡だよな君は」


 エドワードが喚き、ハロルドが呟き、大通りに静寂が広がった。

 けれどそれすら一瞬で。通りすがる人々はすぐに日常生活を取り戻し、街は普段の雑音に満ちていく。

 意を決したシャーロットは、黒外套で覆われた広い肩の前へ一歩進み出た。


「あの、エドワード様……アミュレット、ありがとうございました」

 必死の思いで伝えたものの、彼は目を合わせない。


「資金繰りで困っているのかと思ってな。売り払ってくれて構わないぞ」

 素っ気なく拒否されれば、シャーロットも怖気づく。

 それでも斜め下から覗き込むと、ようやくエドワードの真紅の目と目が合った。


「売らずに持っていたいです。許してくれますか? それに私、そんなつもりで歳の話しをしたんじゃないんですよ」

「え?」

 勘弁してくれ、とでも言いたそうな顔をそこに見つけて、シャーロットは微笑んだ。


「私、エドワード様を好きになっても良いの? 迷惑じゃない?」


 尋ねるうち涙が溢れそうになった。頬も耳ものぼせるほど熱い。恐る恐る差し出した震える指を、エドワードが握り返してくれた。


「迷惑なわけないだろう」

 大きな手が躊躇いがちに、シャーロットの長い銀の髪を撫でる。


「こんな格好になってしまったが……俺と一緒にサドルワーズ領へ来てくれないか」

「はい! 喜んで!」

「結婚してくれ」

「嬉しい……!」

 弾かれたように胸へ飛び込んだシャーロットを受け止め、エドワードの腕が抱き締めた。


「ま、意外とこんなものだよな。光の勇者のやることにしては野暮ったいが」


 ぽすんぽすんと音の無い拍手をしていたハロルドが、しばらくして言った。

 黒外套に埋もれていたシャーロットは、顔を出す。


「光の勇者……?」

「そうだよ。最強の聖騎士にして、光の勇者エドワード。エルフの僧侶ハロルド。ホーテンスは魔導師。僕らは魔王を倒した勇者パーティなんだ。彼は昔からどう見ても光属性じゃないせいか、色々こじらせてしまってねぇ」


 赤髪のエルフは笑顔で教えてくれる。でもシャーロットの耳には入っていない。見上げた先には全身が傷跡だらけの、黒尽くめの元騎士がいた。

 肩書が居心地悪いのか、『光の勇者』は誤魔化すみたいに占い魔女を抱き上げる。

 慌てて首にしがみついた。


「怖いか?」

「まさか!」


 額を寄せ合い、笑い合う。

 やがて教会の鐘が鳴り響き、訪れた蜜蜂の日にキスをした。

※天文時的なやつが採用されている世界だと思っておいてくだせえ……。

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二人の馴れ初めをもうちょい長めに知りたかった!!
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