遠くはないが、近くもない
「家令長殿に相談したところ、ムーア男爵のサドルワーズ領を薦められた。男爵から手紙が届いていたそうだ。俺も多少は面識がある。あの辺りは水と緑に恵まれた南部の草原地帯だが、辺境ゆえ今も魔物の砦が残っている。土地の防衛と今後の開発のために人手が欲しいそうだ」
賑やかな冒険者ギルド前の広場も、まどろむ午後。『オラクルの館』を再訪したエドワードが、この三日間の新しい情報を説明していた。シャーロットは右手のペンを顎に当てる。
「男爵様としても、ある程度の武力は必要だけれど傭兵さんでは不安、といったところでしょうか?」
城中や王侯貴族の仕組みなどは複雑で、外から垣間見るには限りがあった。それでも人の営みに変わりはない。聞きかじった程度の知識でも多少は想像がついた。
「それもあるだろうな。家令長殿が手続き一切まで任せろと何故か張り切っていたので、任せてきた」
「エドワード様は顔が広いんですね。男爵様とも知り合いなんて」
「王の使いで行っただけだよ」
答えるエドワードは、相変わらずにこりともしない。とは言え、他人を見下している風でもない。やはり風変りな人だと、シャーロットは不思議だった。でも何だか嫌じゃなかった。話していると胸がじんわり温かくなってくるのだ。
「ともかく、方角も『吉』と出ていた南です。きっとのんびり隠居生活が出来ますよ」
気分を切り替え、明るい声で祝福した。
「段取りが良過ぎて、逆に腑に落ちなくなってくるな」
呟いたエドワードの纏う気配は陰々滅々として、目の前の水晶玉を睨んでいるとそちらへ話しかけているように見える。今日も地獄の使者かと思うほど全身黒尽くめだった。
シャーロットは紫の目を見開く。
「そこは心配しなくても良いと思います」
「ほう。理由は?」
エドワードが顔を上げ、占い魔女は狭い円卓の上で両手を組んだ。
「先日の占いの結果に加えて『引越』、『しばらく報せのなかった人からの手紙』……エドワード様これは」
「これは?」
「前兆です! この引っ越しで運命の出会いがあります!」
「は?」
鋭い真紅の瞳が、数多の傷跡に威厳さえ漂う顔の中で、点になった。この前ちょっと『視え過ぎた』シャーロットは、前のめりになっている。
「今はしんどくても絶対に良いことがあります! お引越し頑張りましょう! 私もお手伝いします!」
「何らかの誤解を感じるが、感謝する」
「はい! それで今日はどういったご相談でしょう!?」
瞳を潤ませ舞い上がっている占い魔女に、しかつめらしい顔のエドワードが口を開いた。
「旅立ちに良い日はわかるか? どうせなら吉日を選べと、友人に言われた」
「お安いご用です!」
椅子へ座り直したシャーロットへ、三日前と同じく前金が払われる。呪文を唱えると水晶玉と魔法陣が連動し、やがて銀髪の魔女は閉じていた瞼をゆっくり開いた。『結果』をじっと凝視する。
「草原を飛び回る蜜蜂が見えます」
「蜜蜂?」
視えないエドワードが反対側から水晶玉を覗く。
「魔法暦では次の『英雄の月』の『八日』が蜜蜂の日ですので……三十日後ですね。蜜蜂は繁栄や豊かさを意味しますし、小さくても勇敢に戦うので勇気と献身、尊厳の象徴です。素晴らしい兆しが表れているということですから、旅立ちには最良の日ですよ」
薄い絹紗のベールを揺らし、シャーロットはにっこり笑う。
「ちなみにエドワード様は『戦神デルラーテ』の守護を持ち、『獅子の月』の生まれですので、この日を外すと次は七年後になります」
「そんなに!? もしズレたらどうなるんだ?」
占い魔女の言葉で、少々面食らったのかエドワードが身を起こす。
「こういうのは基本的に、厄の日を避ければ良いんです。でもせっかくですから、やはり『英雄の月』の『八日』がおススメですね」
「そういうものか……検討しよう」
説明すると、どこまで納得しているか不明だがエドワードは素直に頷いた。
「エドワード様。もしよろしければ他のことも占いましょうか? 運が良くなる家具の配置や、挨拶周りの順番なんかも占えますよ」
銀髪の占い魔女が提案すると、厳つい客は全く和まない小さな微笑を浮かべる。
初めて見た笑い顔に、シャーロットが上の空になっていると。
「商売が上手いな。少しはまけてくれるのか?」
「お代はいりません。お手伝いしますって言ったでしょ?」
「……シャーロット殿は」
「はい?」
「俺が怖くないのか? 昔から『見た目が怖い』とよく言われるのだが」
ふいに話題が方向転換した。シャーロットは「え?」と目を丸くする。
「自慢にもならないが、話しかけただけで逃げられることも多くてな。女性や子供は、泣き出したりする。仲間たちにも『人相が悪い』だの、『目が笑ってない』だの散々言われる。シャーロット殿は仕事柄、人相の悪い相手にも慣れているのか?」
自虐にしては淡白に、エドワードが尋ねてきた。シャーロットは苦笑する。さすがに慣れてはいなかった。
「占いは、相談者さんとの意思疎通が重要なんです。その点、エドワード様はお話ししやすいですよ。最初は怖いというか、目が鋭いというか、いかにも職業戦士な感じはしましたけど。こういう仕事をしてると話しが無茶苦茶な人や、失礼な人も時々いるので、私はそっちの方が苦手です。それに実は最近、引退を考えていたんですよ。だから参考になります」
照れ隠しを混ぜて笑うと、エドワードが片眉を上げる。
「引退? 占いを? もったいないな。失礼だが、いくつなのだ? まだ早いだろう」
「私二十五歳で、もう歳なんですよ。占い自体は一生修行中ですけど、稼ぐとなると別で。王都は若い子がどんどん来ますし、占術の流行も変わりやすくて。おまけに物価も高いから、結構大変なんです」
白い手を振り、説明する。
シャーロットが占い魔女になったのは十五歳の時だった。王都に同期は殆ど残っていない。『占い』は客商売であり、客や時代の好みに合わなくなれば淘汰されていった。
「故郷に戻るのか?」
エドワードの質問に、シャーロットは首を横に振る。
「まだそこまでは考えていません」
「そうか……占い屋も大変だな」
「あの、エドワード様」
「何だ?」
「サドルワーズ領って、ここからどれくらいの距離ですか?」
小首を傾げ、今度はシャーロットが話題の方向を変えた。
「クランプス街道を通っても、馬で二十日はかかるな」
静かな声でエドワードが答える。馬で二十日。そこまで遠くないが、決して近くもない距離だった。
「そうですか……お引越しされたら気軽に『またどうぞ』とは言えませんね。でもこちらにいる間は、何かご相談ありましたらいつでもいらしてください。私は占いしか出来ませんけど、結構当たりますから」
出来るだけ自然に、シャーロットは笑いかける。
エドワードは軽く「ああ」と頷いたものの、気にも留めていない様子だった。また幾つかの懸念を占い、結果を聞くと椅子から立ち上がる。
「今日も世話になった」
その言葉と銅貨だけを残し、青と白の狭いテントを出ていった。
「私に、もっと占い以外の能力があれば良かったのにな……」
俯いたシャーロットの独り言は、もちろん届いていなかった。