怖すぎる客
その場しのぎの話題といえば、『天気』である。
「今日は良いお天気ですね」
シャーロットはそう言って、長い銀髪を覆う絹紗のベールの下から微笑みかけた。
小さな円卓を挟んで、今日最初の客が座っている。
男は癖のある鈍い金髪と同色の顎鬚を蓄え、顔や腕には幾筋もの傷跡があった。筋骨隆々として、外套や胸甲、腰の剣を含めた上質そうな装備は黒尽くめである。
「そうだな」
男が無表情で答え会話が終わると、教会の鐘が王都に正午を告げた。
(こ、こわい……)
シャーロットは商売道具の水晶玉に手を置く。薄い衣の下を冷や汗が伝った。
冒険者ギルドの前広場には、掛小屋が幾つも並んでいる。その中の一つ。青と白の狭いテントで客を待っていたシャーロットの紫水晶の瞳の端へ、ついさっきこの黒い塊が音も無く入り込んできたのだ。
「う……占い魔女のシャーロットです。この『オラクルの館』へどういったご用件でしょう?」
仕事用の笑顔を貼り付けシャーロットは尋ねた。
見たところ四十代といった男は肌が浅黒く、知的だが射貫くほど鋭い真紅の瞳をしている。
「ここは腕の良い占い屋だと聞いて来た。西門鍛冶屋のヘンリーの紹介だ。俺は冒険者ではないが構わないか?」
重く低い声が言うと、それだけで凄味があった。しかしシャーロットは緊張が少し緩む。わざと粗野に見せている風だが無法な荒くれ者ではなさそうだと、経験と商売柄の直感が告げていた。
「はい。冒険者の相談が多いですけど、一般の方も受け付けていますよ」
愛想よく応じる。
「正直、詳しくないので先に教えてほしい。どうやって占うんだ?」
率直な物言いの客人は、占いを理解したいといった様子で尋ねてきた。
やはり悪人ではなさそうで、シャーロットは微笑んだ。
「私の占いは水晶占術と言いまして。この水晶玉に魔力を込めると、相談者の過去や未来を見たり、感じ取ったりすることがあるんです。他にも色や記号、絵などですね。それが何を意味しているか分析して、答えを探していく感じです。冒険者が相手の場合は、どこのダンジョンへ行くのが良いかとか、出発日の吉凶とか、そういうのを占ったりしますよ」
「そうか」
うら若い占い魔女の説明に、黒尽くめの男は腕を組む。
(あ、信じてない……占術を使えない人にはわからないだろうから、仕方ないけど)
シャーロットは察したが、別に腹は立たなかった。
いわゆる魔法とは違う方向へ進化した魔法が『占術』である。魔導師にさえ理解されないこともあり、術者は『魔女』と呼ばれた。まだ解明途上である『占術』に頼りきるのは無謀だが、不完全と頭から否定するものでもない。師にはそう教わった。
「支払いは?」
「前金で半分の五ゼニーを頂戴しますが、どうしても結果に納得できなければ残り半分はいただきません」
「気前がいいな。ではとりあえず頼む」
そう言うと大男は円卓の真ん中へ銅貨を置いた。
交渉は成立し、シャーロットは改めて相手の顔を正面から見つめる。彫りの深い顔立ちで金髪には幾筋か白いものが混じり、全体が風雪に耐えた岩に似ていた。
「ではまず、お名前と年齢を教えていただけますか?」
「エドワード。今年で五十歳になる」
「エドワード様ですね。今年で五十歳なら守護神は『戦神デルラーテ』。生まれた日はわかりますか?」
「獅子の月。十三日だ」
「お見かけしたところ、騎士様でしょうか?」
「そうだな。二十年前からこのガーシュリー王国で王に仕えていた。主に魔物の討伐などをしていたが、最近お役御免になってな」
「あ……き、気まずいですが、理由をお聞きしても?」
頬を引きつらせたシャーロットの問いに、エドワードは軽く首肯する。
「知っているとは思うが半年前に光の勇者によって魔王が消え、各地の戦も無くなった。平和な時代に殆どの騎士は不要だ。早い話しが口減らしだな。しかし充分な金で報いてくれた王には感謝している」
「そうだったんですね。ではご相談は、どういったことでしょう?」
シャーロットは片手でメモを取り本題を促す。
「この機会に引退を考えている。良い隠居先を探したい」
口と瞼だけを動かしてエドワードが言った。
「隠居……ですか?」
「ガーシュリー王国は広い。王都クラムも悪くはないが、もう少し静かな所が良い。幸い、国王陛下の許可証はある。王国のどこへでも行けるが……見当が付かなくてな」
「つまり『引っ越し先のご相談』でしょうか? お役人様や、お城にそういったお話は?」
「していないが?」
占い魔女が確認すると、エドワードはきょとん、とした顔をする。シャーロットは気を引き締めた。ここで言い方を間違えると大ごとになる。年長の男性の場合は特に。
「そ、それは……差し出がましいようですが、まずはお城で相談された方が良いのでは? 長年、王様に仕えていた騎士様が今後どの町や村で暮らすかは、首長や領主様たちとの兼ね合いもあるのではないかと……」
そこまで言った途端、エドワードの顔色が変わる。黒尽くめの巨躯が音を立てて椅子から立ち上がり、シャーロットは「ひゃ!?」と叫んで水晶玉の後ろへ隠れようとした。
だが
「……すまん」
相手の方こそ低い声で呻く。耳の縁は羞恥で赤くなっていた。
「わっ、あの!? エドワード様、ちょっと待って待って待ってください! ざっくりした方角くらいなら今占えます! せっかく来て下さったんですし! 大丈夫だいじょうぶ!」
撤収しかけた人の外套の裾を、シャーロットは掴んで引き留めた。傷跡だらけの厳つい顔が振り返り、魔女を見下ろす。
「……わかった」
答えた客は、ぎこちない動きで再び椅子に座った。
たて直せる。そう踏んだシャーロットは素早く香炉に火を灯し、水晶玉へ手をかざし呪文を唱えた。輝く水晶玉と連動し、地面に描かれていた魔法陣が青白い光を放ち回り出す。
「南の方角が『吉』と出ていますね……あ、あれ?」
術者のみ視える水晶の『結果』に、シャーロットは眉を寄せた。
「どうした?」
「エドワード様……最近、部屋を片付けていて母親の形見の花瓶が壊れましたか?」
「ああ。占いでそんなこともわかるのか」
「それから……病気以外で、何か体調不良があります? 長時間寝ていたりとか」
「……そうだな」
「黒髪の美人魔導師さんとお別れをしました?」
水晶玉から視線を戻すと、表情を一層険しくした大男が真紅の瞳を滾らせ沈黙している。
「すっ、すみません! 言いたくなければそれで!」
一気に青褪めた占い魔女へ
「……何故そこまでわかるんだ?」
尋ねたエドワードは気を取り直したようだった。
「さあ? いつもはここまでハッキリわかりません。こんなに見晴らしが良いのは初めてです」
シャーロットは首を傾げる。「見晴らし?」というエドワードの小声が漏れ聞こえた。
「ま、まぁたまにはこんなこともあるんじゃないかと」
取って付けたようなことを並べる。しかし占いの結果に嘘はなく、そこは自信があった。
「そうか……世話になった」
エドワードは残りの銅貨を円卓へ置くと、今度は静かに立ち上がる。
「も、もし宜しければまたどうぞ!」
テントを出ていく広い背中へ、シャーロットは慌てて声をかけた。
エドワードが僅かに頷いたように見えた。