【Vol.03】
突然、階下で大きな音がする。
紅葉とジュン、顔を見合わせる。
急いで螺旋階段を下りて、喫茶店へ。
そこには照彦がいる。四十才、痩せて背が高く、蛇みたいな嫌な目をしている。
「叔母さん、いいかげん立ち退いてくれよ。相続税が払えないんだろ」
わざとまわりに聞こえるように周囲に目を配りながら、大きな声を出す。
大介、他人のふりをしながら、かすかに不快な顔をしている。
もうじき正午になる閑散とした時間帯。大介の他に客はない。吹聴する相手がいなくて残念そうな照彦は、それでもいいかとばかりに声をあげる。
「おれがここ買ってやるって言ってるだろ。どのみち差し押さえられて競売にかかれば俺の仲間が競り落とす。こんないい土地、ただの喫茶店で終わらすなんて正気じゃないぜ」
エツコは産廃物を見るような目で照彦を見ている。
「おれの仲間って、どんなお仲間かしら」
「仲間だよ仲間、仕事のな。叔母さんみたいな世間知らずにゃ説明したってわかんないだろ」
「不動産?地上げ屋のお友達がいるそうじゃない。反社のお友達でしたら警察を呼んであげましょうか」
「・・・ンだとぉ!貧乏婆ぁが偉そうだな。悔しかったら金を作れよ。シメは月末だ。このあたりにゃ銀行もあるぜ。融資がダメなら強盗しろや。フォーダイヤ銀行みたいにでっかいのから郵便局まで、どっちむいてもこのあたりは銀行だらけだぜ!」
「郵便局は銀行じゃないわよ。あなた、馬鹿なの?」
「う、うるせえ!」
「帰りなさい。死んだ妹が見たら泣くわ。一人息子がこんなどうしようもないのに育ってしまって」
「てめぇブッ殺すぞ、ごるぁ!」
カッとなる照彦、そばのテーブルの灰皿をつかんで振り上げる。
そこへ、大介。
いつのまに傍にいて、ふたりのあいだに割って入る。
爽やかな笑顔のまま、怒りのオーラがたちのぼっている。
照彦へ、握手を求める手で。
「失礼。私、元はアーバングループにてトレーディング業務をしておりました」
誰もが知る外資系投資銀行の名を出す。
照彦の背後のボックス席を、揃えた四本指で示す。
「お金のお話でしたら代わりにお伺いいたします。エツコさんの友人です。そちらのお席におかけください。まずはフルネームからお聞かせいただきましょう」
有無をいわさぬ強い迫力に押され、照彦が一歩あとずさある。
「な、なんだよてめぇ。関係ねぇだろ」
ぐい、と、大介が一歩前に出る。
あわせて照彦が、もう一歩あとずさる。
床を見ないで動くから、椅子に足をとられてコケそうになる。そんな自分に驚いて、ヒッ、と情けない声が出る。
ああ、もう、と、自分で自分に癇癪を起こし。
「今日のところは帰ってやらぁ!クソババア!」
半分転びそうになりながら、店を出ていく。
店が静かになる。
螺旋階段の中腹で、紅葉とジュンが見ている。
紅葉はいざとなったら飛びかかる体勢でいるのを、ようやく解く。
ふうっ、と、大介とエツコ、力が抜ける。
ふたり顔を見合わせて、肩をすくめる。
そして猫たちに気がつき、大介が紅葉へ手招きする。
抱きあげて、紅葉にハーネスを着せて、レジへ行く。
財布をあける大介の手を押しとどめ、
「珈琲くらいご馳走させてください。本当に助かったわ」
「いえ、払います。これからも気持ちよく通いたいですから」
大介は千円札を置く。
「あと、さっき言ったことは本当です。お金のことで困ってるなら相談してください」
エツコ、困ったように微笑む。
言うべきかどうか迷ってから。
「ありがとう。でも。返せないお金だから、借りられないの」
大介、残念そうに微笑んで。
紅葉を抱いて、出ていく。
誰もいなくなった店内。
天井窓から、穏やかな光が降りてくる。
足元に、ジュン。心配で胸がはりさけそうな目でエツコを見あげている。
あなたは心配しなくていいのよ、と、ジュンの頭をなでて。
とうとう立っていられなくなってエツコ、しゃがみこんで両手で顔を覆う。声もあげずに嗚咽する。
ジュンは裏手の、庭にいる。
猫の額よりもさらに小さい庭には、丁寧に育てられた花壇がある。
十年前の、あの日。
ジュンはここでエツコに会った。
冬になりかけていた。寒かった。空腹で倒れそうになりながら、すこしでも温かい場所をもとめて彷徨っていた。
生垣をもぐって庭に来た。
エアコンの室外機が目に留まった。
あれの陰なら温かいだろう。
ふらふらと歩いていき室外機にもたれた時、いい匂いがした。
庭に迷い込んできたジュンを、窓からエツコが見ていた。
野良なら人間は嫌いだろう。
そう気を遣って、自分は姿を現さずに先回りして、室外機の陰に、ほぐした焼魚を置いていた。
ジュンは視線を感じた。
窓ガラスのカーテンの隙間から、心配そうに見ている目があった。
いまだに自分でもわからない。
なぜかあの時、この人はいじめない人だとわかった。
蹴ったり追い回したり殺しにきたりする人間はあまりにも多くて、人間なんて大嫌いだったのに。
たぶん、あれは奇跡。
ジュンはあの瞬間に、エツコを信じた。
そしてそれはエツコにも伝わった。
おそるおそる窓をあけ、エツコが窓辺にしゃがみこんだ。
ジュンは生まれて初めての、小さな甘え声をあげた。
とたんエツコの顔が、この世のすべての祝福を得たかのような幸せに満ちた顔になった。
人が喜ぶ顔がこんなにも可愛いものだと初めて知った。
そんなにも喜ばせることができた自分を、初めて誇らしいと思った。
今も美しく手入れされている庭を見て。
ジュンは、思う。
エツコのためなら汚れてもいい。
いつか天国でお母さんに会う時、胸を張って語れる人生でありたかったけど。
それよりも大切な人が、ここにいるから。
大介は頭を抱えている。
そこはマンションの一室、大介の部屋。有名ユーチューバーらしく、撮影機材や金の盾が置いてある。壁一面が本棚で、経済やらマーケティングやらの小難しい本が整頓されている。
リビングからはずっとミシンの音が響いてきている。
うるささにも慣れたわい、の顔で大介、空になったマグカップを持って立ち上がる。
リビングには、従妹の優香がいる。柔らかい癒し系でアイドル並みの可愛さだが、高校時代は空手で全国優勝。性格きわめて狂暴。見た目に騙されるとエラい目に遭う。ユーチューブチャンネルは優香が主役で、便利なので一緒に暮らしているが、おたがいに対する興味はゼロより低い。
優香が一心不乱にミシンをかけている。
部屋は全体どこもかしこも、蓮、ジンジャー、紅葉の写真が飾られている。まるで狂信的なアイドルファンの部屋のようだが、奉られてるのは三匹の猫である。大介はもう慣れっこだが、たいていの来訪客は異様な空気に耐えきれずに早々に帰っていく。
優香が縫っているのは、猫の服。映画の衣装やら歴史の民族服やらの資料が本棚に積まれ、作品は猫用クローゼットにぎっしり収められている。どうやら金属加工にも手を出しているらしい。部屋のすみには3Dプリンタや金属用レーザーカッターや旋盤が、よく手入れされた状態でスタンバイしている。なぜかどさくさまぎれにエアガンやガンドリルまであり、本当に合法なのか疑いたくなるキナ臭さがある。
剣呑な顔で、優香がふりかえる。
ミシンから手を離す。コンロでお湯を沸かしている大介へ、ん、と手を突きだす。
ああすまんかった、と大介、自室から紅葉を連れてきてその手に渡す。
ちょうど、新作が出来たとこらしい。
紅葉は諦観の顔で、なすがままに新作を着せられている。
次の作品は、映画「トップガン」、トム・クルーズのコスプレ。海軍大尉の軍服である。
優香はビシッと襟を際立たせた紅葉を、クッションの上に乗せる。
そこは、簡易撮影スタジオでもある。
レフ板ライティングが紅葉を飾る。アパレル撮影用デジイチが、ストロボ音とともに動き出す。
優香は目に涙をうかべて紅葉を見る。
じっ、と、みつめる。
そして。
優香は膝から崩れ落ち、床へ溶ける。
「紅葉様・・・!」
ビジュアルのあまりにもの素晴らしさに震えてしまって立てなくなっている。
大介と紅葉、男同士で目と目を交わす。
これが廃人というやつか、哀れだな、と。
簡易スタジオのそばでは、すでに撮影を終えたらしい蓮とジンジャーが、ネズミのおもちゃで遊んでいる。
蓮は、映画「俺たちに明日はない」のクライドの衣装。フェドーラ帽にピンストライプのグレーのスーツを粋に着崩す。ジンジャーは同じくボニーの衣装。ベレー帽にVネックのシルクセーター、洒落たスカーフを首にあしらう。当時の最先端スタイルである。それを二匹は無造作に着潰し、夢中でネズミにジャレている。ジンジャーは、今日の衣装は気に入ってるのが表情でわかる。着せる時には自分から飛んできて服をせがんできたから、脱がす時にはかなり手こずることだろう。
コンロで、ヤカンの湯が沸く。
大介は目で優香へ、きみも飲むかい、と尋ねる。
優香が目がトップガン紅葉へ釘付けのまま、うなづく。
「あのさ・・・」
優香専用、猫柄マグカップに淹れたインスタントコーヒーを手渡しながら、大介。
「喫茶・JUN、知ってるだろ。相続税が払えなくて、もうじき閉店かも。立ち退き迫られてるらしい」
優香の目が光る。
「ジュンちゃんは?」
「立ち退くなら行先は賃貸だろう。高齢、ペット可、格安。そんな物件を探すのは相続税より難易度高い」
「猫ならうちでも引き取れるけど」
「それじゃ意味ない。あの二人は引き離しちゃいけないよ」
「なんとかなんないの?」
「うちの金は借りてもらえないし」
「大介兄ぃの同業者は?」
「返す金がない、てエツコさんに言われちゃった。あの一言を聞いてなけりゃ知らんぷりして昔の同僚に紹介したんだがな。聞いた以上は、コンプラ的に、な」
「・・・兄ぃ、役立たずだね」
「・・・きみまで言うな。ぼく今自分の無力さに凹んでるんだよ」
「いい手、ないの?」
「締切は月末」
あー・・・、と、優香。もう言葉もない。
クッションの上で紅葉、モゾモゾしはじめる。
ライトが熱いので、着衣で長い時間ここにいると少し痒くなってくる。
大介が気づいて、紅葉を抱きあげる。手早く脱がせて、服を撮影済用のバスケットへ放りこむ。
そのときバスケットの上に、巨大な、手芸材料専門店ユザワヤの、巨大な紙袋があることに気づく。
なんだこれ、と、紙袋をひっぱって中をのぞく。
そこには優香の手作りの、蓮、ジンジャー、紅葉の、等身大ぬいぐるみ。かなり精巧にできていて本人そっくりな上、キャスターとリモコンまでついている。ちょっとなら踊って移動もできるらしい。
大介、呆れて目が点になって、優香を見る。まじまじと見る。本物と一緒に暮らしているのにそれでも足りず、寂しさのあまりこんなものまで作らずにはいられなかっただなんて。なんて不憫なのだろう。
優香、何が悪いんだと開き直って大介を見返す。
「なんで褒めないの?上手でしょ?」
「きみが可哀想で、涙が止まらないよ・・・」
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