自業自得ですこと。
貴族の自立と交流を目的とした王立学園に入学した。誰もが知るこの国の公爵令嬢として、王子様の婚約者として、決して恥じぬ行動を心がけていた。仮に顔を知らなくても、黒髪紫目というだけで、私が誰だか分かるのだから。しかし、その志は一人の少女の登場により、崩れていった。
「カロウ様、大変迷惑かと思うのですが、どうしても食事のマナーがよく分からないので教えていただいてよろしいでしょうか?」
「もちろんだよ、マイ。わたしに任せて」
最近、平民上がりの茶髪に緑目の女子生徒がカロウ様に近づいている。
彼女にはちょっとした恩があったから、忠告をした。カロウ様といたら碌なことにならないと。
彼は仮面を被るのは大変得意だけでど、中身は王子とは思えないほど無責任で、自分第一。そんな彼といると、彼女はきっと身を滅ぼしてしまう。
私は彼女が一人になったところで話しかけた。
威厳を保ちながら、私の忠告を聞き入れてもらえるように、遠回しに、柔らかく話しかける。
そうそう、笑顔も忘れずに。しかし、自分から話しかけるなんてほとんどしたことない。いつもは向こうから来てくれるものだから、案外難しいのね。こうなれば、少し強引でも彼女に話しかけなければいけない状況を作りましょう。
私はわざとらしくならないように気をつけながら彼女にぶつかった。あまりに強くぶつかってしまったのか、彼女を転ばせてしまった。それならなおさら、気高く、友好的に話しかけないと。
「あーら、ごめんあそばせ。見ない顔だから幽霊だと思っていましたわ」
私は精一杯の気高さを表して話しかけた。それと同時に、腰を少し屈め、彼女の手を取る。
「いえ、大丈夫です」
「あら、よく見たら最近カロウ様と仲の良いマイさんではありませんこと」
ここで笑顔も忘れない。私完璧じゃない。
「あなたは平民だから分からないでしょうから教えてあげますわ。彼は私の婚約者なの、変な気を起こさないでくださいまし」
彼女の尊厳を傷つけない良い注意の仕方。これなら彼女も不快に思わない。
「そ……うですね。気をつけます。ご忠告ありがとうございます」
彼女は一礼すると、私に背を向けた。用事があるのか、足早に去っていく。
「まあ、分かってくれたのなら良いでしょう」
私は安心した気持ちを抱き、寮へと戻っていった。
◇◆◇◆◇
私はいつものように授業の準備を済ませている。
「セイナ様、おはようございます!」
「あら、おはよう。今日はとても良い日ね」
「天気良いですからね」
彼女は隣国の伯爵家の御令嬢。よく私に話しかけてくる内の一人。
「セイナ様、おはようございます」
もう一人が彼女、国でも有名な大商会の娘。
「おはよう。二人とも、早く席に着きなさい。授業が始まりますよ」
「そうですね、失礼します」
彼女達は時計を見て少々慌ただしく席に向かった。
授業が終わり、いつものように図書館へ向かおうとする道中、カロウ様とすれ違った。彼はこちらに目もくれず、どこかへ向かっているようだった。
その行動が少々気になり、後をつけると、平民上がりの彼女と会っていた。
私には見せたことのない笑顔で彼女を見つめている。
彼とは婚約者というだけの関係で、好きでもないのだけれど、少々心に引っかかる。
それから彼を見かけるたびについていったのだが、ずっと彼女と会っていることが分かった。
遠回しすぎて理解できないかったのなら、もう一度教えなければいけない。
私は再び彼女と二人で話した。
「平民、私の言葉が理解できなかったのかしら? なぜ未だに彼にあのような目をむけているのかしら?」
なんて呼べば良いのか分からず、出てきた言葉が平民で、少々申し訳なく思ったものの、彼女は気にしていないみたい。
「どのような目でしょうか。私は何もしておりません」
彼の時と同じ、強い意志を持った目。
「あなたが何を企んでいるのか、どうでもいいことですの。しかし、何を企んでいようと、彼を利用するのは間違っています。最後の忠告です、彼に近づくのはやめなさい」
「……私は、別に利用しようだなんて思っていません。彼は私の友人です。セイナ様に口を出される筋合いはありません!」
「あなた、私になんて言葉を……」
そのような強い言葉を使われたのは初めてで、少々戸惑ってしまった。しかし、今はしっかりと言わなければ
「後悔しても知りませわよ」
彼とこのまま共にいると絶対に自分を悔いてしまう。平民上がりなら頼れる者もいないから特に。
「それは脅しですか? 公爵令嬢であろうあなたが」
彼女のその言葉に、もう無理なのだと諦めた。もっと別の方法でないと、彼女は諦めない。でも、それとは別に脅していない事は言っておかないと、公爵令嬢が脅したとなってしまう。
「いいえ。言ったでしょう、忠告よ」
私は寮へと戻り、別の方法を模索した。
◇◆◇◆◇
次の日、私は朝から疲れた顔を隠せていなかった。
「セイナ様、どうされたのですか?」
「あなた達」
一人で考えても無理ならば、彼女達にも協力してもらうのが最善。私は二人に彼女のことを相談した。
「話しても無理でしたら、少々困ってもらうのはどうでしょうか。セイナ様からすれば心苦しいことだと思いますが」
たしかに、原因はカロウ様なのに彼女に被害がいくのは可哀想だけど、このままカロウ様と一緒になる方が彼女にとっては酷になる。それならば、彼女達の案に乗っかるのが今は一番最善でしょう。
「そうしましょう」
私が立ち上がると、二人は制止した。
「お待ちくださいセイナ様」
「私達にお任せください。セイナ様では大変酷だと思いますので」
「そう? ならお願いするわね」
そうやって任せていたのだけど、日に日に彼女がやつれていたので、探すことにした。しかし、見つけるのは至難の業で、学園自体広いのに、いつどこでやっているのか分からない。二人に聞いてもいつもはぐらかされ、得られない。
結果、見つけた時にはもう年終わりになっていた。
水をかけられた彼女を見て、私はすぐに声をかけた。
「何をしているの」
「セイナ様!」
二人は急ぎ足で私の元へ来る。
「平民が土に塗れていたので、水で洗い流してあげたところです」
「そう」
今は二人のことではなく彼女のことが優先。
彼女を怯えさせないように、私だけで近づく。
「風邪ひくわよ」
慌てず、冷静に彼女に声をかけてハンカチを差し出す。
「自分のがあるので大丈夫です」
彼女は遠慮してか、ハンカチを受け取らないので、気にしないように言葉を付け加える。
「足りないでしょう。別に返さなくていいから」
「いりません!」
彼女は私の手を叩いて、受け取りを拒絶した。
少々傷ついた。だけど、人が使ったか分からないハンカチは、確かに嫌。そのことに気づき、私は大人しく引き上げることにした。
「そう。行くわよ」
二人を連れて、彼女の視界から消える。
「あなた達、一体何をしているの。あんなに酷いことしなくても良いじゃない。彼女が風邪でも引いてしまったらどうするのよ」
「申し訳ございません」
「私の責任でもあるからこれ以上咎めませんが、もうやめましょう。彼女には、また私から言っておきます。さあ、先に帰りなさい」
二人を先に帰らせ、再び彼女の元へ向かう。
今までの謝罪と今までより強い忠告をしようと。
しかし、カロウ様と抱き合っている光景を見て、その内容は置き換わってしまった。
「一体どういうことか、ご説明いただけますか? カロウ様」
こちらに気づいたカロウ様は小馬鹿にしたような顔をした。
「セイナか。丁度いい、お前に忠告しようと思っていたことがある」
「忠告ですか?」
「ああ。セイナ、マイが平民上がりだからといって、危害を加えていい理由はない」
私が危害を? 何を言っているのか分からなかった。もし苦言の件を勘違いされているなら訂正しなければ。
「危害? 何のことでしょうか。苦言を呈した覚えはありますが、力を奮った覚えはありません。それよりも、カロウ様の状態についてお聞きしたいのです。なぜ、私という婚約者がいながら、他の女性の肩に触れているのでしょうか」
カロウ様は話を自分のペースに持っていくのが得意。決して、彼の話に合わせてはいけない。
「彼女は頭の良さと身体能力の高さを買われた。ここに来るまでは平民だった。頭の固いお前でも分かるだろう、彼女は貴族しかいないこの場所で生活することが、多かれ少なかれ苦になっているはずだ。だからこそ、王子であるこのわたしが、率先して彼女と友好的な関係になったまでだ。何か問題はあるか?」
「いいえ、その考えは大変素晴らしいものです。しかし、限度を知らないようですね」
「女性というのは親しい者にはこのようなスキンシップを施すのだろう。それに合わせているだけだ」
これ以上引き伸ばしても無駄。彼は決して認めようとしない。それに、彼女もこれ以上外に置いてしまうと風邪をひいてしまう。不服であるものの、ここは退散するのが正解。
「そうですね、失礼します」
◇◆◇◆◇
あの日から一月、カロウ様のガードが固く、彼女に近づくことは叶わなかったのだけでど、ようやく隙ができた。
年終わりの舞踏会の前日、私は彼女が逃げ出さないように壁際に追いやる。
これを逃したら次はいつになるのか分からない。だから、私は謝罪も忘れてしまった。
「言いましたよね。彼から離れなさいと」
「私の友好関係を他者に制限される気はありません。それがたとえ、公爵令嬢様であろうと」
焦りが手に出てしまった。彼女に喋らせてはいけないと、頬を叩いてしまった。しかし、下手に出てはいけない。彼女の強さなら、その時点で私は負けてしまう。
「あなたが彼と離れると言わない限り、痛い目見るわよ」
離れると言ってもらえれば、私も公に彼女を庇うことができる。言ってくれなければ、彼から庇えず、将来痛い目を見ることになってしまう。
「泥をかけるなり、転ばすなり、階段から突き落とすなり、叩くなり、ご自由にしてください。ずっとあなた方にされていたのでもう慣れました」
一体何のことを言っているの? はぐらかされている?
「なんですって? いつ私がそのような事をしたとおっしゃるの?」
「ずっとあなたの側にいる方にされていた事です。でももういいです。今年はこれで終わりですから」
その瞬間、私の手から力が抜けた。ここまで酷いことをされているとは思わなかったから。
改めて彼女の目を見た。鋭い目つきで私を睨んでいた。
彼女は私の手を退けると、そのまま行ってしまった。
寮へと戻る道で、私は考えた。どこから間違えていたのだろうと。最初はまだ敵視していなかった。手を出してしまったからでしょうか。
それとももっと前、根本的な所で間違えてしまったのか。
聴きたくても、彼女はきっと答えない。
こんな現状で私のやるべき一番は彼女に謝る事だけ。明日、舞踏会が終わったら謝りましょう。許してもらえなくても、もう彼女に手は出さないと安心してもらわなくては。
◇◆◇◆◇
私は一人でパーティー会場へと向かう。二人が心配してきてくれたが、その好意を受け取るだけにして、彼女達には楽しむように言った。
周りはひそひそと私のことを噂している。
婚約者である私が、カロウ様の隣にいないのだから当然のこと。
音楽が鳴り止み、カロウ様が登壇した。
祝い言葉を言い終えたカロウ様は彼女を隣に立たせた。そして言った。
「今から話すことは他でもない、わたしの婚約に関する事だ。ここにいる大半の人間は、わたしと公爵令嬢、セイナ・マージと婚姻を結ぶと思っているだろう。たしかにそうであった。しかし、彼女はわたしの横にいる彼女を長きに渡り傷つけてきた。心も身体も傷つけてきた。しかも、何かあった時に備えてか、自分では直接手を下さずにだ! そんな人間が、王妃に相応しいだろうか。いいや、違う! 平民上がりだからと人を傷つける者は、人の上に立つべきではない。よって、わたしは今ここで、セイナ・マージとの婚約を破棄すると宣言する」
婚約破棄という言葉だけは、納得いかなかった。私はすぐに登壇し、彼に苦言を申す。
「一体そのような決断が許されるとお思いでしょうか?」
「人を安易に傷つける者を王妃にするよりかは良い判断ではないか。安心しろ、両家にはわたしから説明しておく」
「あなたの独断でそのような事を判断したのですか? 信じられません。それに、カロウ様は勘違いなさっています。私は本当に何も──」
カロウ様は都合の悪いことを言われるのを阻止するためか、私の言葉を遮り、声を張った。
「現状を認めぬだけでなく、言い訳までするのか! 見損なったぞ、セイナ。そこまで落ちぶれたか」
私も負けじと声を張る。
「話を聞いてください!」
彼は話を止め、私を見て、大袈裟な例を口にする。
「ならば、一つ問おう。お前は目の前で殺人を犯した者の言葉を、静かに聞くのか?」
「それは……」
「聞かないだろう。何を聞こうが、事実は消えない」
「ですから──」
私が再び言葉を紡ごうとすると、カロウ様はあろうことか暴挙に出始めた。
「警備兵、この暴れる令嬢を摘み出してくれ。家にでも送り返すといいさ」
「なっ!」
もちろん、カロウ様のその言葉に、兵達は戸惑っていた。
「早くしろ! 王子に逆らいたいのか?」
しかし、カロウ様の言葉に恐ろしくなったのか、兵達は急いで私を捕らえた。
「安心しろ、お前が降りた席はマイについてもらう」
カロウ様は勝ち誇ったように言い放った。私は彼の醜悪さの一端を見た彼女に託して声を上げた。
「そんなことさせません! あなたには荷が重すぎるわ! 子爵家の平民、断りなさい! 早く! 今なら取り返しがつくわ!」
──早く気づいて、彼と一緒になると、あなたの心はすり減ってしまう。彼に強く言えないあなたには、荷が重すぎる。
しかし、彼女の答えは残酷なものだった。カロウ様の腕に抱き、強い眼差しで言い放った。
「私はカロウ様を信じます」
私は何も言えず、言いたくても言葉が出なかった。
「これが答えだ、セイナ」
彼の言葉に、私は悔しくなった。悲しくなった。結局、彼女の心は彼の元にあった。私は彼女を救えなかった。
◇◆◇◆◇
私は家に送り返され、父上と話し合いをすることになった。
「婚約破棄をされた。そう言ったの」
「はい。皆が集まっている前でそう言われました」
「厄介だな」
父上は溜息をつき、ペンを走らせた。
「この国での婚約は望めないな」
「申し訳ございません」
「お前に非はない。カロウ王子は学園を出れば他方からの叱責が待っているだろう。しかし、それはそれだ。お前が婚約破棄されたという事実は無くならない」
婚約破棄をされたというだけで落ちこぼれのレッテルが貼られる。そんな私をもらってくれる人はいない。
「手紙を一筆書くから、隣国の王宮で世話になれ。妻の出身国であるし、話のわかる方々だ。留学という体なら面倒を見てくれるだろうし、婚姻も望める。少なくとも、ここにいるよりは良いだろう」
「そうですね。お願いします」
◇◆◇◆◇
私は返事が来たと同時に出発した。向こうの学園で学び、王子の家庭教師として雇われた。
時間の流れは早いもので、婚約破棄から五年経っていた。
「おはようございます、セイナ様」
私に挨拶をしたのは、黒髪に赤い目をした、私よりも少し年上の爽やかな男性。
「おはよう。今日も早いのね」
「憧れの団長に選ばれたのです。皆の期待を裏切るわけにはいきませんから」
「ジョン団長は代理団長の時からずっと頑張っていましたよ」
「見ていたのですか。はは、なんだか恥ずかしいですね」
「そう? 私は誇っていいと思いますよ」
「そんな、まだまだですよ。このままじゃ若者にすぐ抜かれてしまいますよ」
「あなたもまだ若いでしょう」
「いや、もうおっさんですよ」
「あら、それなら私はおばさんになるわよ」
私がそういうと、ジョンは慌てて訂正した。
「そんな、セイナ様はまだまだ若いですよ。それに、誰よりも美しい」
「王妃様に怒られますよ」
「え、あ、これ以上喋ると失言してしまいますね。少し黙ります」
彼はそう言って笑顔を浮かべた。
「団長! 僕に訓練付けてください」
宮廷騎士団に入ってまだ間もない兵が、ジョンに笑顔でそう言った。
「もちろんさ。先に訓練場に行っておいてくれ」
「はい!」
「好かれているのね」
「でしたら嬉しいです」
「好かれているわ。それじゃあ、私もそろそろ行くわね」
「はい、お気をつけて。……あ、あの!」
ジョンは少々照れくさそうにしていた。
「どうしたの?」
「あの、こ、今度一緒に食事でも、どうですか? い、良い店知っているので」
普段は敵なしのジョンが今はとても可愛く思える。
「楽しみにしているわ」
そう言うと、ジョンはまるで子どものように目を輝かせた。
「はい! お仕事、頑張ってください!」
ジョンは今にも飛んでしまいそうなほど、嬉しそうに歩いていた。
◇◆◇◆◇
それから私達は一緒にいる時間を増やしていった。
「セイナ様、こんな僕ですが、一緒になってくれませんか? あなたのこと、一生愛し、守り抜きます!」
婚約破棄をされた私にそんな言葉をかけてくれて、泣き出しそうになってしまった。
「はい。よろしくお願いします」
ジョンは嬉しそうに私を抱きしめた。
あまりにも幸せすぎて、我慢していた涙が溢れてしまった。
以前の身分がどうであろうと、私達は使用人。結婚式は慎ましく行われた。
「セイナ様、良いですか?」
「私達は夫婦よ。何を遠慮しているの」
「そ、そうですね。失礼します」
愛する人と一つになれた。婚約破棄をされた時はどうなることかと思ったのだけれど、結果的に良い事になって、私は恵まれていると思っていた。
しかし、結婚して一月も経たず、彼は亡くなってしまった。
大きな火事が起こり、騎士団も動員された時、彼は子どもを助けて亡くなってしまった。煙を吸い込まないようにするハンカチを子どもに与えたのだ。さらに、子どもが不安にならないよう、ずっと声をかけ続けた。
その話を聞いた時、私の心には穴が空いた。でも、誇らしく思った。彼はまっすぐで、どんな人も見捨てない。彼らしいと思った。それでも、私はすぐ立ち直れなかった。一年経ってもずっと引きずっていた。
そんな時、陛下から話があった。
この国にいても辛いだけ。カロウ陛下が亡くなったから、母国に戻り、王を目指さないかと。忙しさで、少しでも寂しさを紛らわすよう言われた。
私は二つ返事で賛同し、母国に戻るため馬車に乗った。
その時、私は学園での出来事を思い返していた。予想通り、立場の弱い彼女を娶った彼は、仕事をせずに落ちぶれ、結果帰らぬ人となった。私が妻ならそうはならなかったと思うと、当然の報いと思った。馬車の窓に映る私を見て、私はこうなることを多かれ少なかれ望んでいたのだと気づいた。
「ざまあみなさい」
私を散々馬鹿にしていた彼が亡くなったのだから、多少は良いわよね、ジョン。
◇◆◇◆◇
道中で、私は懐かしい人にあった。彼女は昔とは見違えるほど変わっていた。
私は彼女に傘を差し、声をかけた。
「だから言ったでしょう」
彼女は今にも死んでしまいそうなほど覇気のない顔をしていた。
「セイナ様」
学生時代の強さはどこにいったのか、彼女はとても弱々しかった。
「今の現状をどう思っているの?」
「後悔しています」
「そう。なら良かった。私を隣国に追いやった二人が苦しんでくれて」
私も聖人ではない。いくらあの馬鹿元婚約者が悪かったとしても、彼女に対し多少なりとも苛立ちを覚えていた。私の言うことを聞いていれば、こうならなくて済んだのにと。だから、嫌味を込めてそう言い放ち、馬車に戻ろうとした。
しかし、彼女は弱々しく私のドレスの裾を掴んだ。
「お願いします。ノアだけは、息子だけは助けてください。息子は何もしていません」
彼女は子どもに負荷がかからない最大の深さまで頭を下げた。
「お願いします」
彼女の涙に不安を覚えたのか、ノアも泣き始めた。
「あなたのお願いは聞けません」
彼女と彼女の息子の姿を見て、私はジョンの笑顔と、幼い頃の記憶を思い浮かべた。私は昔、彼女に助けられた。初めて町に行って迷い、泣きそうになっている私の手を引っ張って、父上たちの元へ連れて行ってくれた彼女を。その時聞いた夢も。
ジョンもきっと彼女達を見捨てることは望んでいない。ジョンは人のことを優先するほどお人好しなのだから。
私は彼女に恩を返し、ジョンの生き様を受け継がなければならない。
「そこをどうかお願いします。ノアには、この子には王家の血が入っています。決して、損はさせません。お願いします。私のことはほっといてもいいです。処刑してもらってもいいです。ですからノアだけは許して下さい」
私は彼女と目線を合わせ、まずは訂正をした。
「子供にとって、親というのはどれほど大切な存在でしょうか。あなたが家族を思うように、今この子はあなたを思って泣いています」
彼女は静かになり、目には光が戻っていった。赤ちゃんというのは本当に機敏で、母親の気持ちを読み取って、泣き止んだ。
「助けてあげましょう。ですが、条件があります。それを飲み込めるのなら、あなた方二人まとめて面倒を見てあげます」
彼女は何も言わずに立ち上がり、頭を下げた。
「何なりと」
私は彼女を馬車に乗せ、家に向かってもらった。
「単刀直入に言いますと、あなたの頭脳を借りたいのです」
「頭脳ですか?」
「ええ。王を失った今、多くの者が王になろうとしています。今度はしっかりとした人間が民を導かないといけません。ですから、私は立候補したいのです。ですが、私は貴族です。平民のことを全て理解することは難しい。ですから、あなたの力が欲しいのです。あなたは両方経験したことがありますから」
「私なんかでよければ」
彼女の言葉を聞き、私は本格的に女王を目指した。今まで前例のない、女性が王位につくこと。彼女がいなければ、貴族の理解も平民の理解を得ることも難しく、かなり時間がかかったことでしょう。でも、私達はやり遂げた。ノア君が走り回ってお話できる頃合いに。彼女にはやられた以上のことを返してもらえた。
◇◆◇◆◇
明日はついに戴冠式。流れとスピーチの原稿を確認していると、ドアがノックされた。
「どうぞ」
マイは部屋に入ってくると、私に問いた。
「お聞きしてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
失礼とは思いつつも、時間がないので確認と並行していた。そんな私を、マイは珍しい物のような目で見ていた。元旦那が仕事をしていなかったことがそれだけでよく分かる。
「なぜ、私達を助けて下さったのですか。私はあんなに酷いことをしてしまったのに」
「言ったでしょう。女王になるためよ」
「それだけとは思えません。正直、セイナ様は私なんかいなくても女王になれたと思います。私はセイナ様に返しきれないほどの恩をもらいました。それでも、少しでも恩を返したいのです。だから、知りたいのです。お願いします!」
もう全部返してもらった。それはお釣りが出るくらいに。けれど、マイの強い目を見ると、つい要望を叶えてしまいたくなる。
「その目、相変わらずね。たしかに、あなたの言う通りそれだけではない。私に夫がいたことはご存知?」
マイは申し訳なさそうに首を振った。少し意地悪をしてしまったかも。
「すみません、知りませんでした」
あまり惚気ず、悲しい顔をしないで、ジョンのことを簡潔に伝える。
「宮廷騎士団団長と結婚したのだけど、すぐに亡くしたの。火事で家に取り残された子どもを助けて。カッコいいでしょう」
「そうですね、私の元旦那とは違って」
マイのその言葉で、まだ心は彼の元なのだと思った。彼女も大概お人好し。自分を殺してまでも、他人を思いやるのだから。本当に彼との道を選んでしまったことが人生最大の過ちね。
「だから、子供はいないの。正直言うと、子供を育てたかった。子供は好きだもの。だから、あなたの子どもを助けたいと思ったの。それが一つ」
ジョンは子どもを守って亡くなった。だから、私も子どもを愛したい。きっと、ジョンがいなければ私は今のように思えなかった。本当に素敵な出会いをした。
「他にもあるのですか?」
「ええ。もう一つはあなたに同情したから。あの人と一緒にいるのは苦労したでしょう」
「はい。ですが、それはセイナ様の言葉を聞き入れなかった私の責任です」
「私もやり方がまずかったと思っているわ。あなたは話し合いで聞き入れそうにもなかったもの。だから、彼女達にも協力してもらって、実力行使をしてもらっていたの。流石に、内容を聞いた時は驚いて、注意したけど」
「正直、ちょっと傷ついていましたけど」
今になって思うと、私の言い方もかなり誤解の招く言い方だった。まだ済んでいなかった彼女達の嫌がらせも含め、マイには謝罪しないといけない。
「ごめんなさい。でも、その嫌がらせをあなたは耐え切った。今と同じ強い目を決して閉じなかった」
マイは反射的に鏡を見た。その行動が面白くて、失礼ながら笑ってしまった。
「自分で見ても分からないわよ」
私はごめんなさいと言い、落ち着いてから話を続ける。笑いながらで聞こえたのか分からないけれど。
「もう一つは、あなたの目的を知っていたから。だからこそ、あの人と一緒にしてはいけないと思ったの」
「どうして知っていたのですか?」
やはり、マイは覚えていなかった。仕方ないこと。きっと、マイにとっては日常だったのでしょう。
「それが最後の理由。私はあなたと幼い頃に会っていたの。その時私はあなたに助けられた。道に迷い、一人になってしまった私の手を取り、助けてくれた。その時にあなたの目標を聞いたの」
「それじゃあ、セイナ様は最初から……」
「今こうしているのだからそれで良いじゃない。私も、結果的に婚約破棄をされたおかげで短いながらも良い出会いができたのだから。それに、あなたはあんなボロボロになっていたのだから、罰は受けたと思っているわよ」
それに、カロウ・シーカーが亡くなっただけで、清清しているのだから。これは一生マイには言えないけれど。
「ありがとうございます」
マイは深々と頭を下げた。
「どういたしまして。早く寝なさい。明日朝早いのだから」
「はい」
マイが部屋を出てからしばらくして、小さな可愛い子がやってきた。
「どうしたの、ノア君。ママに怒られるわよ」
「あのね、ママが明日からセーナ様忙しくなるからって言ってたから伝えに来たの」
「なーに?」
「あのね、ありがとう」
その笑顔だけで、母親の気持ち、ジョンが子ども好きだった理由がよく分かる。笑顔を見るだけで元気が出てきて、守りたいと思うのだから。
未だに平民の間では子どもの売買が続いていることは知っている。だからこそ、私はそれを阻止せねばならない。子ども達の笑顔の為にも。その強い気持ちを込めて、私は名乗る。新たなる女王、セイナ・マージの名を。
拝読ありがとうございます。
『私に嫌がらせをしていた令嬢が正しかった。』 https://ncode.syosetu.com/n4972id/
の公爵令嬢視点になります。気になりましたらこちらもよろしくお願いします。