表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

いじめの対処法


 時代の移り変わりと共に「いじめ」というカテゴリーのギャップもかなり変わってきている、というのが世間の認識だと思います。

 ただ、私の考えは「いじめ」は一種の循環サイクルであって、どれほど時代が移り変わろうと根本的に同じだというものです。

 理由を語る前に、最近の「いじめ」について調べてみました。


 予想はつくと思いますが、SNSやメッセージアプリ等を行使した精神的ないじめが「近代のいじめ」と言えるでしょう。

 ではその直前はどうだったのか。


 よく聞くのは体罰や暴力、器物損壊でしょうか。勿論、精神的にも辛いですが、物理的に辛いのが「ひと昔前のいじめ」です。

 二つが混ざった結果は言わずもがな、最悪の一言では済まないでしょう。


 ちなみに、私が経験したことのある「いじめ」は後者が大部分です。

 何故なら学生時代は全くと言って良いほどSNSに興味が無く、学校からの連絡を確認する以外は全くやってなかったからです。


 なのでもしかしたら共感出来ない部分もあるでしょう。

 そこはご了承下さい。


 批判と誹謗中傷。差別と区別。攻撃と特攻。

 違いは分かりますか?


 そんなことをいきなり言われたところで、殆どの人は咄嗟に明確な違いを口に出して説明することが難しいのではないでしょうか。

 私もなんとなくでしか分からないので同じですね。


 だからこそ加害者側と被害者側で認識の相違が生じるんでしょう。

 人間の心は生産的なものではないですから、簡単な足し引き算のように全く同じ結論、回答を出すことはおそらく不可能です。

 人間誰しも自身の心身の構造をよく分かってないまま生きているのに、ほぼ同じ種()()()()()()(大枠でカテゴライズされた)他人のことが分かるわけもありません。


 例えば、嫉妬。

 きっかけを辿れば、自身よりも何かに優れている人間を羨ましく思ってしまう心に辿り着くはずです。

 ないものねだり、という言葉がありますがまさにその通りで、人はどうしても他人と己との優劣を比較したがるのかもしれません。


 例えば、嫌悪。

 大体は理不尽な理由で「なんとなく嫌」というものに尽きます。

 えっ? と思いましたか。現実を受け入れましょう。

 本能的に、生理的に特定の人が無理という体質の人は実際にいます。

 細かくいえば価値観や匂い(体臭)、違和感(原因不明)といったところでしょうか。

 単純に嫌い、というものもあり。


 例えば、洗脳。

 急に怪しい単語が出ましたが、単純に協調社会における小集団の許容範囲がどれほど逸脱するか、という話です。

 ……分かりにくかったですか? 分かりました。


 では「カースト」――と言えば分かりやすいでしょうか。

 そうです。ピラミッドと言われて思い浮かべるあの三角形の図形です。

 本来は必要の無いはずの上下関係を、何もなくとも何故か自然形成してしまうアレのことです。


 上の立場であればあるほど「このくらいなら大丈夫だろう」で度々やらかしてしまいがちなアレです。社会、世界の縮図ですね。

 後々大変なことになっても「そんなことで」「こんなことになるとは」という言葉が真っ先に出てくるのは大体そういう立場の人です。


 もしも当て嵌まった項目があれば、もしかしたらあなたは気付かないうちに加害者側になっているかもしれません。

 でもここで気付けたのなら、これからは気を付けましょう。


 と、まあ。いじめる側の心理云々とかよりもそろそろ結局その「いじめの対処法」はなんだよと思われている頃かもしれませんので、ここで結論を発表します。

 ずばり――「口説く」です。


 疑問符が頭に浮かんだかた、舌打ちしたかた、何言ってんだコイツと思われたかた、とりあえずまだ見捨てないで下さい。

 ちゃんと経験談に基づいてます。ちなみに私個人のものなので実際の効果は個人差があるかもしれないと先に言っておきます。


 昔、お気に入りの筆箱が故意に投げられ壊れたことがありました。

 その当時はまだまだ入学したてのちびっこ小学生。

 大人からみれば可愛らしい子どものじゃれあい程度でしょう。

 実際、先生に訴えても犯人の男の子に適当に謝罪させて終わらせようとしただけでした。


 その後どうしたのか?

 その場では一度謝罪を受け取るも「許す」とは明言せず、その日のうちに帰って親に報告。

 後日、相手の家まで直接訪問し親と子同士の対面正座で壊れた筆箱(物証)を手に話し合い。


 最終的に相手の親が謝罪と弁償を行い、それ以降物理的な「いじめ」はなくなりました。

 これが私が初めて経験した「いじめ」の流れです。


 保育園や幼稚園が実はとても狭い世界だったのだと、この時に気付いたのは良い思い出です。

 勘違いしてはいけないのは、()考えれば……ではなく、()()()()そう考えた、という明確な違いがあることです。


 極悪人がいくら改心して更生しようとも、いつまで経っても過去が消えないのは当たり前です。

 漫画や小説の悪役だって過去がいくら悲惨で同情的なものであろうと、その後の行いが全て正当化されることはありません。

 ……もしもいるとしてもそれは実際に被害を経験していない、実態を知らない上から目線の同情心で上辺だけ取り繕ったただの戯言です。


 この出来事以来、小中高と私は自分の荷物をひとつたりとも学校に置いて帰ったことは一度もありません。

 どれほど重かろうが全部持ち帰りました。凄く肩凝りました。


 何故全てを持ち帰ることにしたのか。それは犯人の男の子がそれなりに学校では人気者だったからです。

 幼稚な子どもの考えそうなことです。


 落書きとかはともかく、裏で隠れて過激なこと(教科書破る等)をやられたらたまったものではありません。

 なんならうわぐつや楽器等も全て持ち帰ってました。隣の子が画鋲入れられてとばっちり食らってましたね。


 ちなみに犯人は女の子たちのグループでした。

 ――で。ここで「口説く」という話に戻ります。


 まさかの百合!? 違います。


 私がまず最初にやったことは、目を合わせて笑いかけることです。

 もう一度言いますが、百合じゃありません。


 これには私なりの理由があって、それは子どもながら今までに笑顔だけで大人たちを手玉に取れてきたという実体験に起因します。

 端麗な顔だけど常に仏頂面で頭良い子よりも、適当にお花可愛い~とかにこにこで中身無いこと言ってるだけの普通の顔だけど愛嬌のある子のほうが確実に大人に好かれます。

 これが世の真理です。


 頻繁に目が合って笑いかけていると、大体二つの反応に分かれます。

 不気味、気まずい、不安、といった比較的ネガティブな反応。

 楽しい、照れる、疑問、といった比較的ポジティブ? な反応。


 前者は犯人、後者は無関係。とても分かりやすいですね。

 では、犯人の目星がついたところで次のステップにいきます。


 糸くずを取ってあげましょう。

 実際についてるかついてないかは関係ありません。

 ついてることにしてとってあげましょう。

 ちなみに糸くずでなくとも虫やホコリ等でも何でもいいです。


 距離を縮めるのにこれほど有用な台詞はありません。

 少女漫画で乱用されるはずですね。


 この時に注意したいのが、真正面から行くときは堂々と。

 出来るだけ真剣な表情で目を合わせながら近づき、近距離で「ついてたよ」と最後は笑顔で決めながら取ってあげましょう(事前にブツを持ったまま接近)。


 後ろや斜めからいく場合は適当でいいです。適当で。

 サッと行ってサッと取った(フリをする)として、よほど下手でなければどうせバレませんから。

 他にも落とし物を拾ったり、届け物を(プリントなど)したりといった親切を積み重ねていきます。

 これを定期的に繰り返すと、とある変化が(早ければ一週間程度で)訪れます。


 ――目が合うんです。


 これだけでは私が何を言ってるのか分かりにくいと思いますが、詳しく言うとこちらから合わせる前に目が合うようになるということです。

 ここまでこれば勝ちです。


 実際、この段階になるとほぼほぼ「いじめ」の対象から外れてます。自分に好意があると()()()()人に対して過激なことをする人間は少数派だからです。

 場合によっては昨日の敵は今日の友になっちゃったりもします。とても平和的なルートですね。表面上は。

 勿論、違う意味で悪化した場合もあったことは先に言っておきます。


 逆に、気味悪がって距離を置かれることで実質的に「いじめ」の対象から外れるパターンもあります。この場合は相手から警戒されて目が合ってることになります。

 ちなみに、このルートでは以降にほぼほぼその相手からの「いじめ」は二度と起きません。どんな相手であろうとも。


 というのも、相手にとって嫌がらせをしたはずの自分に急接近されるのはかなり想定外で理解出来ない気持ち悪い、関わり合いになりたくないと考える行動だからです(酷い)。

 電車で横になってぐーすか寝てるおっさんを想像してください。いくらマナー違反だと分かっていても注意のためにわざわざ声を掛けたいと思いますか? 私は思いません。避けて関わり合いになりません。あっても駅員に報告するくらいです。つまり、あの現象と一緒なのです。

 ……いずれにせよ、細かい分岐はさておきどちらに転んでもこの二つのパターンに結果的になるはずです。


 口説きは忍耐と持久力の勝負ですから。いじめに耐えるよりも相手を疲弊させてしまいましょう。それが遠回りに見えても近道ですよ。

 何か特別好きや嫌いだとかを言ったわけでも、物(賄賂)をあげたわけでもなく、こうしていじめは無事収束します。

  ――()()()()()()()


 この方法で効果が顕著なのは無視や嫌がらせ、嫌味などの比較的軽いジャブのような「いじめ」に対してです。

 世界にはもっと酷く暴力的な「いじめ」のカテゴリーを空高く積み上げた跳び箱を軽々超えるような非常に残酷な仕打ちも残念ながらあります。

 そう言われてすぐに思いついたのはポルノ被害ではないですか?


 こうなればもう「いじめ」だなんて、なんて可愛らしい表現か。

 もっとハッキリと言ってしまえば「犯罪」です。


 年齢なんて関係ありません。何の為の保健体育、生物の授業なのか。

 人体や性差の構造、生態を多少理解させて終わり、となるから認識が甘くなるのでしょうか。


 ともかく、もしもこういった被害に遭った(遭っている)場合はすみやかに親に相談するか、相談出来る親ではないと思う場合は確実に証拠か証言を確保してから警察に駆け込みましょう。

 ここで最悪なのは、沈黙と学校内で完結することです。


 残念ながら。基本、ある程度の人生経験があると大人は波風を立てたくないという保守的な思考に陥りがちです。残念ながら。

 相談だけ受けてそのまま放置、なんてこともザラにあります。


 私の高校時代の友人もそうでした。被害に遭ったことを先生に相談し、結局何もしてもらえなかったまま中学を卒業したそうです。

 ちなみにその話を聞いた時、私は割と本気で怒りを感じ、もしもどこかでそいつと会うことがあれば必ず潰す(何がとは言いません)と被害に遭った彼女へ言ったところ、相手の詳細な情報を教えて貰えませんでした。

 感情が衝動的に先に出てしまったのは若気の至りでしたね。


 クズのせいで私が捕まるほうが悲しい、と説得されて当時は渋々納得しましたが、大分前の話なのに詳細をずっと覚えているくらいには未だに天誅出来なかったことが実に惜しくてなりません。

 被害に遭いそうになったら、その時は私が駆けつけて助けるよ! とその時に彼女と約束しましたが、あれから時が経って彼女が結婚したので彼女の旦那様に役目を無事譲れて安心してます。

 さすがに東京から鹿児島までは遠すぎて……。


 ちなみに、話を聞いたのは「うきうき新入生、始業式の待ち時間でクラスメイトと仲良く恋バナしよう。はーと」のほぼ会って直後です。

 友情に時間は関係ありません。大事なのは嘘をつかないことと、相手を肯定してあげること。たったそれだけです。


 この彼女も、衝撃の告白をする前後で「私なんか」や「でも」といった自分を卑下するような発言が度々ありました。

 しかし私が根気よく「そんなことはない」、「ここがあなたの魅力だ」という肯定で上書きしようとしたことで彼女の信用を短時間で勝ち取れたのでしょう。

 おかげで普通なら会って間もない人には決してしないだろう話までしてもらえたということです。

 ……ん?


 …………。


 好きなタイプは、という質問で彼女からは「優しい人であればいい」という回答を貰いました。

 これは多くを求めないのではなく、求めていいのか分からない、といった低い自己肯定感、諦観から出た言葉です。


 この言葉が自虐でも無意識でも日常的に出てしまう人は要注意です。何故なら、大抵のクズはこういう子を狙うからです。

 何故なら容易に支配がしやすいからです。依存と支配、親類縁者や友人知人との縁切り。最終形態の最悪コンボですね。

 ちなみに被害に遭うのに男女は関係ないです。あるとすれば生物学的に見た時の男女の力の差くらいでしょう。


 前提とする男女の身体構造的な力の差があるからこそ男性のほうが悪者になりがちです。というかなります。

 相手の女性が誘ってきた襲ってきた場合でも、それが事実真実であったとしても。


 未来は分かりませんが、今の人間は生物として大変な妊娠リスクがあるのは女性側だけなんです。男性ではありません。

 どのような経緯があれその事実は変わりません。なのでむしろ男性の被害者のほうが実態が深刻かもしれません。


 では、そういった被害に遭わないように、回避出来るようになるには何をすればいいのか。

 ちょくちょくと言葉が出てましたが、ずばり「自己肯定」です。


 やり方は簡単。鏡に向かって笑顔を向け、自分を口説きましょう。

 また口説くんかーい、とズッコケて転びそうになったかた。危ないので歩きスマホはこの際やめましょう。


 名前はド忘れしましたが、何かの医療的な名前がある方法だった気がします。おそらく。

 口説き方が分からない? いえいえ、ちょっとしたことでいいんです。


 例えば「おっ、今日はお肌の調子がよろしい」とか、「髪型上手く出来たね」とか、「休日はすぐそこだ! 明日の仕事も頑張るぞー」などなど自分への褒め言葉や簡単な近況報告をするといいです。

 笑っちゃうくらい、くだらない内容ですよね。でも最初はこんなもんでいいんです。なんでもいい。


 そのうち自分のことが好きになっていきます。そして普段の生活でも視線が自然と上に上がります。何故なら自分の顔を、あるいは目を見て話し続けていくことで自然と矯正されるからです。

 俯きがちだった顔が少し上がるだけで、人の印象はかなり変化します。周囲からの印象も同時に変化します。


 真っ直ぐ前を見て、背筋を伸ばして歩く。たったこれだけで彼ら彼女らはちょっかいを掛けて来なくなります。

 磁石のS極とS極が弾きあうのと同じ原理です(適当)。


 たまに弾かれまいと追い縋るやつ(ナンパなど)もありますが、その場合は狼狽えずに無言の笑顔でニコッと拒絶しましょう。

 昔、とある繁華街で(当時の)トップだと居酒屋で聞いた同伴中のキャバ嬢から聞いた秘技です。相手のしつこさに倣ってしつこく無言の笑顔で会釈、そのまま歩き続けてれば結構早い段階で引き下がるそうです。

 ちなみに、確かに効果はありました。何故かは未だに分かりません。


 何をもって「いじめ」と判断するのか。


 おそらく、年代によって想像する「いじめ」の内容は違うのではないでしょうか。

 だからこそ親に相談出来ない、誰にも相談出来ない、理解されないから何も言えない、という状況に追い込まれるのでしょう。


 分かりやすいほどに分かりやすい「いじめ」というのは、実は少数派だと私は考えてます。ほとんどは「いじめ」られているけど「いじめ」だとして一般的に認めてもらえるかどうかは分からない、という非常に微妙なラインではないでしょうか。

 もやもやとした感覚的なもので、とても言語化の難しい違和感。


 第三者から気のせいだと言われてしまえば、そうなのかもしれないと思ってしまう程度。

 だからその積み重ねが重ねに重なった頃、突如として心が病むのでしょう。実害が無いからといって、その違和感を無視してはいけません。


 毎日数秒、鏡に向かって笑顔を向ける。自分に言葉を掛ける。たったそれだけで変わることが、あなたが想像している以上に多くあります。

 私の場合、元々気が強くそこそこ狡猾だったのでいわば「体育授業の遊び試合でVAR判定持ち出したやばいやつ」レベルで小児らしからぬいじめ対応をしてましたが、当時の年齢で私のようなことが出来るタイプは少数派だと分かってます。

 ただ、私には出来ないと諦めないで欲しいです。笑顔でいましょう。


 私が紹介する「いじめの対処法」は「口説く」ことです。

 自分も相手も笑顔で口説いてみましょう。まずはそこからです。






 あ、そういえば最初の「いじめは一種の循環サイクル」であると私が考える理由について言ってませんでしたね。

 失敬。失敬。


 単純に、何千年も前からずっとツールや手段が変遷していっても「いじめ」の内容自体はやってることが繰り返しで全く同じって話です。

 原点回帰? もっと分かりやすく言えば、古文と現文……ほぼやってること一緒やん! て内容よくありません? つまりはそういうことです。

 ……人間って罪深いですね。こちらからは以上です。

持論を認めます(´・ω・`)b

ちなみに学生限定風に書いてますが、普通に社会に出ても応用してバリバリ使えます。

……いくつか注意点はあるけど(ぼそ

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ