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ビッグファーザーを壊せ

夜になっても遠くから微かに銃撃音が聞こえてくる。こんな環境で育つ子どもたちは将来、どんな大人になってしまうのだろうか。

真理愛は三段ベッドが並ぶ部屋で順番に子どもたちを寝かしつけながら、そんな不安を抱いた。ストレスのためか、毎晩のようにおねしょをしたり、いつになってもチック症が治らない子どもが目立っている。

何とか全員を寝かしつけると、

「おやすみ」

そう囁きながら部屋の電気を消した。

決して恵まれているとはいえないけれど、せめて子どもたちが屋根の下で眠れる今の環境だけは何としてでも守りたい。心の底からそう思った。

自分の部屋へ戻ろうと廊下を歩いていると、

「みんな寝た?」

友理愛が前から歩いて来て、腕の中ですやすや眠る乳児を起こさないよう小さな声で訊いてきた。

タオルに包まれている乳児は、昼間に真理愛が拾ってきた子どもだった。用水と血を拭かれてキレイになったその顔はかわいらしかった。

「悪ガキども、やっと寝てくれた。もうクタクタだよ」

大袈裟に疲れた表情をしながら、真理愛は赤ん坊の頬っぺたを軽く突いた。柔らかくて触れるだけで疲れが取れるような気がする。この子の母親は同じことを思わなかったのかと悲しい気持ちになった。

友理愛は笑い、

「陽子さんがね、この子の名前、真理愛がつけるようにって」

と、すぐに笑みを消して真理愛を見つめてきた。

「あたしに? どうして?」

今まで神野修道院にやって来た赤ん坊は、ビッグファーザーを経由した『正規』の子であれ、捨て子であれ、みんな陽子が名付け親になってきた。

それだけに真理愛だけでなく、言付けを頼まれた友理愛も疑問を抱いた表情を浮かべている。

「わからないけど、そう伝えてくれって」

「そう……」

真理愛は天使のような寝顔を見つめ、

「アンナ」

そう口にした。

「アンナ? どういう字?」

友理愛に訊かれたことで、真理愛は無意識に妹と同じ名前を口にしたことに気づいたけれど、

「杏子の杏に奈良の奈で杏奈」

と、漢字まで同じにすることに決めた。

「杏奈ちゃん。いい名前ね」

友理愛が囁きかけると、杏奈はあくびをした。その姿が愛しくて真理愛は微笑み、

「気に入ったみたいだから、洋子さんに伝えてくる」

そう言って友理愛と別れ、洋子の部屋へ向かった。

ドアをノックすると、

「真理愛だね? どうぞ」

陽子の弱々しい声が返ってくる。

いつも名乗らなくても「独特の音がする」と言って、洋子はノックの音だけで真理愛だとわかってしまう。長年、本当の親子のように接してきたからこそだろう。

真理愛が部屋に入ると、洋子はすでに寝間着の白いワンピースに着替えていた。修道服よりも生地が薄く肌の露出も多いだけに、華奢なカラダのラインが目立つ。満足に食料がないとはいえ、ここ最近、急激に痩せすぎだ。真理愛は心配になった。

真理愛の顔から感情を読み取ったのか、

「最近、冷えてきたわね」

陽子はカーディガンを羽織り、骨ばった肩回りを隠す。

「どうしたの?」

「昼間に拾ってきた子、杏奈って名前に決めた」

「いい名前ね。どんな字を書くの?」

陽子は微笑み、机の上からペンとメモ帳を手に取って真理愛に差し出す。

「杏子の杏に奈良の奈」

真理愛はぞんざいにそう答えると、

「どうして急にあたしに名づけ役を? 今までそんなことなかったのにさ」

本題を切り出した。

「どうしてって、いつまでもわたしがここをまとめていくわけじゃないし、あなたももう十八歳になった。その誕生日にちょうど赤ん坊を拾ってきたから、名前を付けてもらおうと思っただけよ」

陽子は微笑んだままそう答え、コホコホと小さな咳をしながらベッドに腰かける。

「杏奈ちゃん? は多分、わたしよりあなたと接する年月の方が多くなると思うから。友理愛にも機会があれば、名づけ親になってもらうつもりよ」

「陽子さん、何か隠してるだろ?」

言い逃れはさせない、という強い意思をもって真理愛は詰問する。

「そんなに睨まないで頂戴」

陽子は笑うけれど、また小さな咳が出た。

「大丈夫?」

 真理愛は陽子の隣に腰かけて背中をさする。背骨と肋骨に薄っすら皮が張りついているだけ、といった感触に驚いた。

「どこか悪いの? 痩せすぎてて心配になる」

「大丈夫」

陽子は真理愛の手を取り、目を真っすぐ見つめてきた。

「それに、わたしに何かあっても、あなたと友理愛がこんなに立派に育ってくれたから安心。あなたたちはわたしの宝物よ。自分の子どもは産めなかったけれど、あなたたちのお陰で母親の気持ちを知ることができた」

「陽子さん、やっぱり何か隠してるだろ」

それも命に関わる何か。仮にそうだとしても、高度な医療を施せる病院は下界には数えるほどしかない。

「大丈夫。もし何かあったら、その時はちゃんとあなたたちに話すから。心配してくれてありがとう」

「約束できるか? 無理はしないって。食事だってちゃんと採るって」

「わかった」

「指きり」

真理愛が小指を差し出すと、洋子が骨ばった小指を絡ませてきた。そのまま指きりげんまんをして、

「おやすみなさい」

真理愛は立ち上がり、ベッドの上にぽつんと座る陽子に手を振りながら廊下に出た。

自分の部屋に戻ると、

「こんばんは」

ベッドの上にミカエルがいた。

「元気がないね。どうかしたの?」

「何でもねえよ」

真理愛はベッドの上に乱暴に腰かけた。その振動でカラダが浮き上がり、

「うわっと、危ない。気をつけてよ」

ミカエルは抗議の声を上げる。真理愛はそれに構わず、

「で?」

と話を促した。

「ずいぶん、雑に扱われるもんだな。僕は大天使の――」

「疲れてんだよ。早く用件だけ言え」

「……うん。さっき、杏奈に会ってきた」

「それで?」

「杏奈は計画に乗るって」

「マジで?」

てっきり断られるものだと思っていた真理愛は驚いた。たとえ一時的とはいえ、天界での優雅な暮らしを捨てて、下界で暮らさなければいけないのだ。

「その婚約者と結婚するのが、そんなに嫌だっての? どんな奴だよ、そいつ」

ミカエルから詳しい事情を聞いても、それが天界を離れるほどのことなのかと、真理愛には理解できなかった。同じ血が通っているとはいえ、育った環境によってこうも考え方は変わるものなのだと感心すらした。

と同時に、その日の食事に悩んだことさえないであろう妹のことを、改めて腹立たしくも思えた。

「で、真理愛はどうするの?」

ミカエルに訊かれて、真理愛は返事に困った。ビッグファーザーを壊せ、というのは神様からのお告げだとして、さっきまでは引き受ける気でいた。

ところが、洋子の様子がおかしいとわかったことで、修道院から離れるのが急に不安になった。

――もし、洋子さんに何かあったら。

友理愛では頼りない。お嬢様育ちの杏奈ではろくに役に立ちはしないだろう。それに、治安の悪化も気になる。

「え、まさか断るつもり?」

ミカエルが驚いて膝の上に乗ってきた。

「ここを離れてる間、何が起こるかわかんねえから心配なんだ」

そう言って、真理愛は懸念していることをすべて話した。

するとミカエルは、

「確かに不安もあるかもしれないけど、何かあれば、天界からすぐに戻ってこれるよ」

 真理愛を安心させるようにそう断言した。

「そういや、どうやって移動すんだ?」

頭上を覆う土の深さは地上まで三十メートル以上はある。政府がつくった巨大なエレベーター装置でもなければ、地上へ移動するのは不可能だ。

「その点は大丈夫」

 ミカエルは自信満々に胸を張る。

「トンネルを掘ったからね。そうだ、一度行ってみる?」

「トンネルを掘ったって、誰が?」

「下級の天使たちに協力してもらって、ずっと前から掘ってもらってたんだ。真理愛に初めてお告げをした十二年前から」

「壮大なプロジェクトだな。ご苦労なこった」

真理愛は唖然としてしまう。ビッグファーザーを壊す方法は、もっと他にいい案があるのではないかと思いもした。

「すぐ近くに洞窟があるでしょ? あそこから斜め上にトンネルを掘って、首相官邸の敷地内に出るようにしてある。その中間地点には、真理愛と杏奈がお互いに成りすましをするために、情報交換や演技の練習を積むための場所も用意してある」

まるで囚人が大脱走を企てているみたいだ。真理愛はミカエルの妄想のような話に面食らうばかりだった。

「その中間地点で一度、杏奈と会ってみるのはどうかな?」

ミカエルの提案を真理愛は黙って頭の中で吟味してみる。

何も行動を起こさなければ、ジリ貧の未来が待ち受けているだけだ。ミカエルの計画がどんなものなのか、杏奈がどんな人物なのかを知るだけなら、思い切って行動してみるのもいいかもしれない。

そう思い、

「わかった」

承諾した。

「よし、そうと決まれば、ふたりが会う日をすぐに調整するよ」

ミカエルはベッドから飛び降りると、机の下にできた小さな穴に潜り込んで姿を消してしまった。

いよいよ杏奈に会うのかと思うと、真理愛は緊張してきた。

仮に生活を入れ替えるとなれば、両親に会うことにもなる。

ミカエルと話すまでは、その存在を知ることもないと、ましてや会うことなんて絶対にないと思っていた両親。いざ目の前にした時に平静でいられる自信は、今の真理愛にはなかった。


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