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誕生日

食前の祈りを終えて朝食が始まると、食堂内は戦争状態に突入する。自分の分だけでは腹が満たされず、年下の子からパンやミルクを強奪しようとする子どもが必ず出てきて、被害に遭った子が泣き喚くからだ。

その度に、

「こら、武志! ちっちゃい子をいじめんじゃねぇ!」

真理愛の怒号が響くのが、もはや朝の恒例行事となっている。

真理愛は立ち上がり、三十人あまりいる子どもたちを見回して、他に強奪事件が勃発していないのを確認してから、

「まったくもう」

鼻息荒く席に着く。

「あまりカリカリすると、お肌が荒れてしまいますよ」

隣に座るシスターの陽子がのほほんとした調子で言う。

「陽子さんがきちんと叱らないからでしょ」

真理愛はため息を吐き、

「ほら、浩一、こっちに来な。あたしのパン、分けてあげるから」

武志にパンをむしり取られて泣きべそをかく坊主頭の少年を手招きする。

「いつまでもメソメソしてんじゃねーよ。油断してるあんたも悪いんだからな」

真理愛が坊主頭を撫でて涙を拭ってあげると、浩一に笑顔が戻る。

「ありがとう、真理愛姉ちゃん」

パンを受け取って自分の席に戻って行った。その後ろ姿を見守りながら、

「政府からの支援金がもう少し入れば、この子たちがケンカしないだけの食事を用意できるんだけど」

とため息を吐く陽子のトレイには、パンが半分と、申し訳程度のシチューがあるだけだ。「朝はあまりお腹が空かない」と言う陽子だけど、昼も夕食も食べる量はほとんど変わらない。やせ細っているために四十六歳という実年齢よりも老けて見える。

それもこれも、陽子が言う通り、政府の支援金が少ないからだ。

修道院はビッグファーザーから送られてくる子どもの受け皿になっているため、政府から資金を援助されているけど、その額は年々減らされている。真理愛が子どもの頃は、食べ物の奪い合いで揉めることはなかったし、陽子はもっとふっくらしてて健康的だった。

「もし本当に天界からの供給が減らされたら、食料はさらに高騰してしまうわね」

陽子のぼやきに、

「ビッグファーザー反対デモへの制裁ですか」

眉をひそめて反応したのは、真理愛の前に座る()()(あい)だ。真理愛と同じ日に神野修道院へ送られてきて一緒に幼少期を過ごし、今はともに修道女として修業を積んでいる。真理愛の一番の理解者であり親友だった。

「ええ」

陽子も友理愛と同じように眉間に皺を寄せて頷く。

「今だってカツカツだってのに、政府はあたしらを飢え死にさせるつもりなのかよ」

真理愛は固くぼそぼそとしたパンを腹立ちまぎれに荒く噛みちぎる。味も栄養もない。

『真理愛は本来なら天界行きだったのに、下界行きと判定されてしまったんだ』

ミカエルに言われた言葉が脳裏に蘇る。

『真理愛のすぐ後にビッグファーザーの選別センサーに入った双子の妹は、正当な評価を受けて天界の両親の元に送られた』

それが本当だとしたら、自分はとてつもなく不運な人間なのだろうか? そうかもしれない。その不運を免れて、天界で悠々自適に暮らしてきたであろう双子の妹の杏奈に対して、理不尽とは知りつつも怒りを覚える。

その一方で、下界に来なければ陽子や友理愛、これまで関わった大切なひとたちと出会うことは、恐らく一生なかったのだと考えると、自分を不運だと思う気持ちは少し和らいだ。

「どうかしたの?」

真理愛は突然、陽子に顔を覗き込まれた。

「何か悩み事?」

「ううん」

真理愛は慌てて頭を振り、

「ただ、ビッグマザーとビッグファーザーがなかった時代ってどうだったのかって思って」

ミカエルの「壊せ」というお告げを思い出しながらそうごまかした。陽子の祖父母が自由に結婚&出産して、子どもを育てられる環境で育った最後の世代であることを知っていたからだ。

「わたしの曾祖母や祖母の世代では、『女は子どもを産む機械』だなんて平気で言う政治家がいたらしいわ」

真理愛がこれまでに何度も聞いた話を陽子は口にした。

「出産には痛みや命の危険がつきまとうし、出産のせいで仕事との両立が難しくなって、キャリアを断念した女性は少なくなかったそうよ」

そこまで言う内に、陽子は食事を終えてしまった。

「今から三百年近く前に活躍した与謝野晶子という作家が書いた言葉が、ビッグマザーを開発する上でスローガンになった。真理愛、覚えてるわね?」

真理愛は頷いて、

「私は女子が『妊娠する』という一事を除けば、男女の性別に由って宿命的に課せられている分業というものを見出すことができません」

そう諳んじてみせた。与謝野晶子の評論「『女らしさ』とは何か」からの一節だ。七歳の時に原本をひと目見て暗記したことで、真理愛は陽子を驚かせ、よろこばせた。それ以来、この話題になると、陽子から諳んじるように話を振られるのが恒例になっている。

真理愛はこの言葉を口にする度に思った。ビッグマザーの誕生によって、性差の壁は本当になくなったのかどうかと。

「よく覚えてるわね」

陽子は微笑み、

「是非はともかく、ビッグマザーによって、出産で命を落とす危険がなくなったのは確かね。ただ、十月十日の間、自分のお腹の中で育てて、命がけで産むからこそ、自分の子どもに強い母性を抱けたという意見もあるわ」

そう言って子どもたちを眺めた。

「天界には、自分の子どもだと実感が湧かず、愛情を注げない夫婦がいるみたいですね」

電波の悪いラジオを毎晩聞いて、天界の情報を集めるのが趣味の友理愛が、それがまるでビッグマザーの大きな欠点であるかのように言う。

「でもそれなら、あたし達はどうなるのさ?」

実の親から愛情を注がれる機会すら奪われてしまっている。ビッグファーザーをあげつらうためについ口を挟んでしまったけど、真理愛はすぐに後悔した。

「だから、わたしは肉親のつもりであなたたちに接してきたつもりよ」

気分を害した様子はなく、陽子はおどけるように言うと、

「だから、あなた達も肉親と神様に代わって、子ども達に惜しみない愛情を注いであげて。わたしに言われなくても、ふたりはもうできてるけど」

真理愛と友理愛の手にそっと手を重ねた。その手が骨ばっているため、真理愛は悲しくなりつつ、

「でもやっぱり、あたしはビッグファーザーには反対。昔は、どんな身分の子でも平等に出世するチャンスはあったんでしょ?」

ミカエルがこの場にいたら、「じゃあ、壊しに行こう!」とよろこびそうなことを口にした。

そして、ビッグファーザーについてここまではっきりと反対意見を語ったのは初めてだったため、陽子と友理愛が驚いた顔で見つめてきた。

「真理愛、そんなこと外では口にしないで頂戴。政府にバレたら目の敵にされて、支援金を取り上げられてしまうかもしれないから」

陽子は同意を促すように、重ねていた真理愛の手をそっと握りしめた。

「はい」

少し反省して返事をした真理愛に対して、

「でも、真理愛がそう思っちゃうのは仕方ないのかも」

友理愛が納得したような表情を浮かべる。

「どうして?」

「だって、真理愛はわたし達とは違うから。子どもの頃から、勉強も運動も何だって一番にできた。ここにいるのがもったいないぐらいに有能だもん」

友理愛にそう言われたことで、ビッグファーザーのミスによって下界行きに決まってしまったというミカエルの言葉が本当なのではないかと思い、真理愛は複雑な気持ちになった。

「神様は必要な場所に必要な人間を送る」

陽子がふいにそう口にした。真理愛が顔を上げると、

「わたしはあなたがここへ来てくれて幸せよ」

優しく微笑みかけてくれた。その言葉が真理愛にとってどんなにうれしいことか。

――杏奈は両親に同じことを言われたことがあんのかな?

真理愛はテレビで見たことのある伊藤雄一郎首相の顔を思い浮かべながらそう考えた。

白髪をキレイに撫でつけ、高級スーツを難なく着こなす。歴代総理の中で屈指のスタイリッシュさを誇り、公衆の面前に出る時はいつも微笑みを絶やさない。マスコミ受け抜群で人気は上々。

けど、真理愛はどこか冷たい印象を抱いた。目の奥に別の人格が潜んでいるような気がしてならない。

――あたしのカラダに、あんな冷血動物みたいなひとの血が流れてるわけがない。

あの男が自分の父親というのは、ミカエルと名乗るネズミの世迷いごとに過ぎないのだと真理愛は決めつけた。

けど、どうしても思い出してしまう。朝、ミカエルから聞いた杏奈についての話を。雄一郎の命令で、年齢が倍以上も離れた、意に沿わない相手と結婚させられることになり悩んでいるという。

「それがどうしたっていうの?」

真理愛はミカエルに向かって吐き捨てるように言った。天上のお姫様の悩みなど知ったことかと。それでも、自分と血を分けた妹かもしれないとなると、完全に見捨てることができない。おまけに、

「しばらく、真理愛が杏奈の代わりに天界で暮らして、婚約破棄されるように仕向けてくれないかな?」

ミカエルがそんな突拍子もないことを言ったものだから、真理愛は朝から調子が狂っている。

「詳しい話はまた今度する。それまでにこの話に乗るかどうか決めておいて。杏奈もまだ決心しかねているみたいだからね」

ミカエルはそう言い残して去って行った。

――何なんだ、あのネズ公は。

ワケのわからないことに巻き込まれ、真理愛はむかっ腹が立ってくるのを抑えようと、固いパンを思い切り噛みしめて飲み込んだ。すると突然、食堂内が静まり返り、何事かと真理愛と友理愛が周囲を見回して目を見交わすと、

「せーの」

陽子が音頭を取って、子ども達が一斉に「ハッピーバースデートゥーユー」と元気よく歌い始めた。真理愛と友理愛へのバースデーソングだ。

十八歳の誕生日。それはつまり、政府によって生殖機能を奪われる日がいつ来てもおかしくないことを意味していた。


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