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ミカエルのお告げ

最初に『お告げ』を受けたのは何歳の時だったかと、十八歳の誕生日を迎えた朝、真理愛は布団の中で考えた。

確か六歳の時だ。陽子に連れられて市場を歩いていた時、チーズ屋から走り出て来た、焦げ茶色の毛に覆われたハツカネズミが真理愛の方を向いて、

「壊せ」

日本語ではっきりそう告げてきた。

「え?」

真理愛が問い返すと、駆けてきた野良猫から逃げるために、ハツカネズミは近くの排水溝の中に潜り込んでしまった。

「どうしたの?」

陽子に顔を覗き込まれた真理愛は何も言えず、ただ頭を振るだけだった。

そして陽子に手を引かれてその場を後にしながら、排水溝を何度も振り返っても、ハツカネズミは出てこなかった。

二度目のお告げは忘れもしない。初潮を迎えた日だった。

そのことを陽子に知らせようと、冷え冷えとした冬の修道院内の廊下を、寒さとカラダの変化の怖さで震えながら歩いた時のことを今でも鮮明に覚えている。

そして、陽子の部屋へ続く廊下の角を曲がったところで、一匹のハツカネズミが後ろ足で立った状態で真理愛を待ち受け、

「壊せ」

日本語で確かにそう語りかけてきたかと思うと、修道院で飼っている白猫のタマが駆けてきた。その姿に戦慄して、ハツカネズミは壁の小さな穴に潜り込んで姿を消してしまった。

三度目のお告げは、十八歳の誕生日を迎えた朝、ベッドで目覚めてすぐ。つまりたった今、されようとしていた。

「お誕生日おめでとう真理愛。ひょっとしたら、僕がお祝いメッセージの第一号かな?」

真理愛のお腹の上に後ろ足で立つハツカネズミは、前足を大きく広げながら真理愛の誕生日と人生の新たな門出を祝ってくれている。その表情は普通のネズミよりも豊かだ。

修道院は年季が入っていて、数多くのネズミが棲息している。これまで、ベッドまでよじ登られたことは一度や二度ではなく、その点については慣れている真理愛だったけれど、普通は真理愛が起き上がると逃げてしまう。それが今日は逃げるどころか話しかけてきたのだ。

「おかしいおかしいおかしい……ありえねーありえねーありえね……」

真理愛はぶつぶつ呟きながら瞼を閉じる。これはきっと夢。夢に違いない。夢に決まってる。じゃなければ、寝ぼけて幻を見ているだけ――

「壊せ」

三度目のお告げ。

真理愛は反射的に瞼を開けた。

「はぁーい」

ネズミは陽気に手を振っている。

「あんた、何者?」

 ネズミに話しかけるなんてバカげてると思いながら、真理愛は恐る恐る訊いた。

「僕は神様の使いのミカエル。よろしく、真理愛」

ミカエルは右手を斜めに下ろしながら恭しくお辞儀をする。

「ミカエルって、まさか大天使の?」

「うん」

「うんって……ミカエル様がネズミになんて化けるわけねーだろ。侮辱するのも大概にしろ」

「いやいや真理愛、それはネズミを侮辱してるよ。ネズミは子だくさんの象徴的な動物だし、今回の任務にぴったりだと思うよ」

ミカエルは部屋の隅にある姿見の方を向いて、角度を変えつつ全身を見る。

「それに、ネズミはかつて、世界中で人気だったテーマパークのシンボルだったんだよ」

 そう言うと今度は、「僕らのクラブのリーダーは……」と陽気な歌を口ずさみ始めたけど、

「任務って?」

 真理愛はそれを遮って本題に入った。

「よくぞ聞いてくれたね」

「何度も出てきて『壊せ』だなんて物騒なこと言われたら、そりゃ誰だって気になるだろ」

「それもそうか。ビッグファーザーさ」

「……は!?」

ミカエルがあまりにもさらりとトンデモナイことを口にするものだから、真理愛は反応がワンテンポ遅れた。

「おやすみなさい。きっと、もう一度寝て目覚めれば悪霊は退散するはず」

真理愛は上半身を倒して布団を頭の上までずり上げて顔を隠した。その拍子に、

「うわぁっ!」

布団が急に動いたことでミカエルがお腹のあたりで転がる感触があり、嫌でもこれは夢ではないのだと認識してしまう。

ミカエルがトコトコとお腹の上に戻るのを感じながら、

――ホントに幻じゃねーの、これ?

 真理愛は心の中で疑問を抱いた。

「違うよ」

――どうしてあたしなんだよ?

「それは、真理愛が選ばれし特別な人間だからさ」

――……。

「ん? もう質問は終わり?」

真理愛はゆっくり布団から顔を出して、

「あんたひょっとして、あたしの心の中の声が聞こえるの?」

お腹の上に後ろ足で立っているミカエルを見つめた。

「まあ、天使だからそれぐらいのことはできるよ」

ミカエルは「えっへん!」とばかり、手で鼻をこすって殊勝な顔をする。

「ちょっと待てよ」

真理愛はミカエルが落ちないように両手で持ちながら上半身を起こす。

「今、あたしが選ばれし特別な人間って言った?」

「言った」

「じゃあ何で、あたしは下界にいるんだよ? あたしが特別な人間だったら、天界で育ってるはずだろ。いい加減なこと言ってんじゃねーぞ、ネズ公」

ビッグファーザーによって天界に振り分けられる赤ん坊は、全体の0.5%から1.0%しかいない。真理愛はそのことを知っているだけに、自分が『特別』ではないことを理解している。

真理愛に論破されて睨みつけられるも、

「まさにそれだよ、真理愛」

ミカエルはまったく動じることなく、むしろ活き活きとした顔になる。

「何だよそれって?」

「真理愛がビッグファーザーの選別センサーに入った瞬間、落雷によってシステムがストップした一瞬にも満たない僅かな時間。それによって、真理愛は本来なら天界行きだったのに、下界行きと判定されてしまったんだ」

「そんなことって……」

ビッグファーザーに誤作動はない。それが完全に証明されたからこそ、政府は国力アップのために導入したのだ。

「あるわけない? じゃあ訊くけど、これまでの人生で、自分が周りの子と違うと感じたことはなかった?」

これまでの人生……。

深く考えるまでもなく、そう感じたことはたくさんあったし、陽子からも学習能力の高さを褒められたことは何度もあった。運動神経にも恵まれている。それから――。

真理愛は姿見に目をやった。

艶やかな黒髪に長くカールしたまつ毛。大きな瞳にシャープな輪郭。スラリと背が高いわりに出るところはしっかり出ていて丸みがあり、ひとの目を惹くルックスだと自負している。実際にこれまで何度も男に言い寄られたことがあった。

「ほらね」

真理愛の心の中を読んだのか、ミカエルは自分が正しいのだと胸を張る。

「たとえそうだとしても、ビッグファーザーを壊すことなんてできない。できるわけねーだろ」

国の根幹を担う最重要システムだ。天界に住むひとですら関係者しか近づけず、ましてや下界の人間となると、内部に潜入するのは不可能に近い。

「そりゃ、真理愛ひとりでは無理だけど、仲間を集めればいい」

「そんな無謀なことに誰が付き合うってんだよ?」

と返しつつも、このところ『反ビッグファーザー』の機運が高まりつつあることを、真理愛は感じ取っていた。

生まれた直後に人生が決定づけられ、その後の逆転は不可能。天界の人間が作り上げる社会システムの中で奴隷のように死ぬまで働かされ、蔑まされ、差別を受け続けて生きることになる。

しかも、男女ともに十八歳になると強制的に生殖能力を奪われ、自分の遺伝子を後世に残すこともできない。

希望をなくした人間が陥るのは自暴自棄、破滅、破壊と相場は決まっている。

下界では治安の悪化に歯止めが利かず、スラム化してない街を探す方が難しい。

神野修道院があるエリア51もご多分に漏れず、外出する時は護身用に拳銃を携帯するのが必須になっている。

窓の外から朝陽を模した電光が射し始める。

天界と違って下界に荒天はない。コンピュータによって電照が制御され、晴れの日だけが続く。下界で暮らすほとんどの人間が、雨や雪を目にすることなく一生を終える。

「あたしは今、シスターになるための修行中の身なの」

ミカエルを布団の上に降ろすと、真理愛はベッドから起き上がり、

「他をあたりな」

この話はここまでとばかりに修道服に着替え始めた。すっかり秋めいた空気になり、少し肌寒くなってきている。

「真理愛は、ビッグファーザーが非人道的なシステムだとは思わないの?」

なおも食い下がろうとするミカエルを真理愛は無視した。

――そりゃ思うさ。思うに決まってんだろ。少なくとも、下界の人間でそう思わない奴がいんのかよ。 ……あ、しまった。

 ミカエルが心の中の声を聞けるのを、真理愛はつい忘れてしまった。

「でしょ?」

ミカエルはベッドから飛び降りて、真理愛の足元に来て後ろ足で立つ。

「ひとの心の中を勝手に覗き込むのはやめろ」

「なら、本音を話せばいい」

「あのよ」

真理愛はしゃがみ込んでミカエルを見下ろすと、

「理想と現実は違うもんなんだよ。天界に一度も行ったことすらないあたしが、どうやってビッグファーザーに侵入して破壊するっての?」

どうせ無策だろ? とばかりに嘲笑う。

「首相の娘だったら、ビッグファーザー内を見学できるよ」

間髪入れずにそう答えたミカエルの言葉に真理愛は一瞬唖然として、

「そうだな。あるいは、透明人間になれれば容易く侵入できるだろうな。そもそも、天使だったら簡単に入れるんじゃねーの? その姿のままなら簡単に侵入できるだろ。ネズミの仲間を集めてあちこちのケーブルを噛みちぎってみたらどうだ? あたしになんて助けを求めないで、さっさと壊しに行けばいいじゃねーか」

ミカエルの冗談に付き合うつもりで笑いながらそう言った。

「ダメなんだ。セキュリティーが厳重すぎて、このカラダでも侵入できない」

「残念だったな。あたしが首相の娘なりなんなり、特権階級の娘だったら、苦労しないでビッグファーザーの中に入れたんだろうけど」

もうこれ以上相手をするのはやめようと真理愛は立ち上がり、鏡を見ながら白い頭巾をかぶった。

「そう、残念なんだ。真理愛は今頃、首相の娘だったはずなんだから」

足元で鏡に映るミカエルの言葉を最初、真理愛は聞き流した。

「ただ、真理愛のすぐ後にビッグファーザーの選別センサーに入った双子の妹は、正当な評価を受けて天界の両親の元に送られた。真理愛にそっくりの妹はね」

「ちょっと待てよ」

さすがに聞き捨てならなかった。

「よくそんな三文小説じみた作り話をペラペラと。ひとをおちょくるのも大概にしろよ」

真理愛は段々と腹が立ってきた。ネズミ型のロボットを誰かが操り、自分にイタズラしてるのではないかと疑った。

再びしゃがみ込んでミカエルを掴み、口の中を覗き込んだり、どこかにファスナーがあって、機械を覆う体毛を外せるのではないかと疑った。

けれど、機械らしきところはどこにもなかった。

「満足した?」

されるがままになっていたミカエルは黒いつぶらな瞳で真理愛を見つめる。

「僕は本物のネズミのカラダを借りてるだけだから、機械なんかじゃないよ」

冷静に言われたことでバカらしくなり、真理愛はミカエルをそっと床の上に置いた。

「じゃあ教えろ。あたしの妹の名前は?」

「アンナ。杏子の杏に奈良の奈で杏奈」

ミカエルは即答した。

「会ったことあんのか?」

「うん。杏奈は真理愛に会ってみたいって。どうする?」

「どうするって……」

天界へなんて、真理愛がどう頑張っても行けるわけがない。

それに、仮にミカエルの話が本当だとしても、天界で何不自由なく育ったお嬢様となんて会いたいとは思わない。どうせ高飛車で鼻持ちならない嫌な女。下界暮らしをバカにするに決まってる。

「杏奈はそんな子じゃないよ」

真理愛の心の中を読んだミカエルが断言する。

「真理愛と一緒で心優しい子さ」


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