呪いのバット
この世には常識では計り知れない不可解な力のある物体がある。
ある車の所持者は暗殺され、ある指輪の所持者は発狂し、ある絵画を所蔵した美術館は全焼し、ある家屋の住居者は次々と失踪し、あの有名な戦争はある書物が原因で引き起こされたと言われている。
それは呪いなのか、魔法なのか、神の力なのか、偶然や結果論によるものなのか、人智の及ばない因果律の起点なるものなのか、現代の科学を以ってしても解明できないオカルトな代物は確かに存在する。
ところ変わって、落命館大学付属伏見林高校野球部部室。
そこには神棚が設置され、黒い金属バットが神々しく祀られていた。
そのバットの前で瞳を閉じて合掌し、黙祷している男がいる。
監督の丹波橋だ。
彼が捧げる祈りは何なのか。
感謝か、それとも懺悔か、ただそう振る舞うのが似つかわしいからなのか、もっと複雑な心境なのか。
少なくとも、世界平和や、恋愛成就や、マズい飯を作る嫁の今夜の献立の不安などではなかろう。
なにしろ当該バットは神通力の宿った通称「呪いのバット」なのだから。
時は遡る。
第XX回夏の全国高校野球決勝戦。
優勝候補筆頭である業死者大学付属宇治谷高校と、近年強豪校の仲間入りを果たした落命館大学付属伏見林高校の一戦は熾烈を極めた。
これは両投手が異次元な好投を繰り広げたことに起因する。
宇治谷のエース六地蔵は左の本格派。195センチメートルの長身から投げ下ろす剛速球は最速153キロを記録し、プロ入りが確実視されていた。
一方、伏見林のエース深草は右の本格派で、小柄ながらも制球力とキレのある変化球、緩急を活かした頭脳的な投球術を駆使するタイプであり、1年生の頃はベスト8、2年生で準決勝進出、そして3年生で決勝まで上り詰め、「伏見林の深草」ではなく「深草の伏見林」と言われる近年の強豪校の立役者であった。
奇跡的な投手戦、0対0でイニングは進みに進み、延長18回裏伏見林の攻撃。
両校の明暗は顕著であった。
恵まれた体格はもとより、名門校の優れたトレーニングが施された宇治谷の六地蔵にはまだ余力があったが、伏見林の深草は正視に堪えないほどボロボロだった。
伏見林はいわゆるワンマンチームであり、すべての負担はエースで4番の深草にかかっていた。
深草は名門校を相手に、体力と気力と集中力、そして配球等で知力を出し尽くして投げぬいた結果、目は半開き、呼吸は荒く、発汗は止まり、顔色は土気色をしていた。
引き分け再試合など冗談ではない、ここで決めなければ甲子園出場は不可能と思われた。
しかし、ドラマは待っていた。
四球とエラーがらみで2アウト満塁、そして打者は4番の深草。
半死半生の深草は簡単に2ストライクを取られた後、バットを支えに膝間づいてしまったとき、タイムがかかった。
補欠の出町柳が監督から預かった黒いバットを持って、深草に走り寄る。
勝利を渇望したチームは、遂に禁断の「呪いのバット」を使用する決断をしてしまった。
呪いのバット。
それは数十年前、伏見林が甲子園出場を果たしたときに、当時のキャプテンが愛用していた赤いバットである。
巨体で通算80本ものホームランを量産した「伏見林の呂布奉先」こと墨染。
才能に恵まれ、努力を惜しまず、チームから信頼されたキャプテン墨染はその打棒で英雄となったが、試合後交通事故で帰らぬ人となり、もともと赤かったバットは血に染まって更に赤さを増したという。
あまりの物々しさに墨染の名に因んで墨で黒く塗装された、栄光と無念が同居したバット。
過去に何度か使われたことがあるが、その全ての試合で結果を出し、その全ての試合で犠牲者を出したという真偽が定かではない逸話が語り継がれたバット。
「決して使ってはならぬ」
学校や前任の監督からも使用を禁止されていた。
だめだ、限界だ。
こんなこともあろうかと、部室に祀られていた神通力の宿った金属バット。
使用を禁止されていたが、俺はそんなオカルトなど信じない。
いや、都合のいいオカルトだけ信じる、ってかぁ?
全くの案山子状態で追い込まれた深草を見て、監督の丹波橋は遂にそれを使うことを決意した。
どう考えても深草は限界で、勝算皆無の再試合などできるわけがなく、ここで決めなければ悲願は成就されなかった。
タイムをかけ、丹波橋は出町柳に声を掛ける。
「補欠の出町柳」
「ぶっ。はい、代打ですか?」
「いや、バットの交換だ。深草に渡して来てくれ」
「こ、これっ!?呪いのバットじゃないんですかぁ!?」
高校生の悪ガキも恐れをなす気持ちの悪い呪いのバット、なにかの罰ゲームですら使われたことはなかった。
監督に逆らうことはできず、出町柳が深草にバットを渡す。
彼は豹変した。
顔が土気色で、息が荒く、まともに目も開いていない極限状態だった深草が、ギンッと何かを睨みつけるような目つきになり、完全に呼吸も整った。あまつさえ、闘気というか、蒼白いオーラさえ噴出しているような威圧感がある。
ヤバイ、目がイってる。これあかんやつや。
あまりの不気味さに出町柳は脱兎のごとくベンチに逃げ帰った。
凄まじい威圧感を放つ深草には、宇治谷バッテリーも完全に気圧された。
何を投げても打たれるビジョンしか思い浮かばない。
ボール球にもピクリとも反応せず、ツースリーに、宇治谷も追い込まれた。
タイムをかけて、キャッチャーの観月が六地蔵のもとに走り寄る。
「いや、やばいやろ」
「やっぱり?俺もそう思った。完全に目がイってるやん」
「お前はまだ遠いからいいわ。俺なんて地獄やで。なんか蒼白いオーラとか出てるし」
「最終奥義、出すしかないか?」
「リスクはあるけどな。生半可な球じゃ絶対やられるし、歩かせるわけにもいかんからな」
こうして、宇治谷も賭けに出ることになった。
六地蔵が3年間、チマチマと練習をサボって編み出した自称最終奥義。
六地蔵は長身を活かした投げ下ろしの速球が通常のスタイルだが、最終奥義は逆の発想であった。
大きく振りかぶって、右足をあからさまに高々とあげ、腰を沈ませた超変則フォームのアンダースローで投げ上げるジャイロ回転のライジングクロスファイヤーボール。
その球は球速こそMAX148キロと落ちるものの、通常の球筋になれたバッターであり、これがインハイに決まれば、たとえ伝説級のメジャーリーガーでも打てないと自負するもので、練習でも十中八九は成功、実用レベルにまで達していた。
「食らえ!俺の最終奥義!!打てるもんなら打ってみやがれ!!!」
六地蔵はいつになく大きく振りかぶり、いつになく右足を高々にあげ、地上スレスレのリリースポイントから全力投球した。
その変則フォームは両ナイン、ベンチ、応援団、観客の度肝を抜いた。
神懸っていたのであろう、記録はされていないが、150キロは越えていたのではないだろうか。
『ズバッシャーーーン!!』
呪
凄まじいまでの球威のボールは、キャッチャーミットではなく、真っ直ぐに深草の「顔面」に吸い込まれていった。
サヨナラデッドボール。
3塁ランナーがドン引きした顔をしながらホームに生還する。
かくして、落命館大学付属伏見林高校は悲願の甲子園出場を果たしたが、支払った代償はあまりにも大きかった。
終