【中編】
そして二週間後、オフェリアは王妃教育の為に登城したのだが……。
何故かその隣には、リシウスがピッタリと引っ付いている。
「あの……リシウス様? これからオフェリア様の王妃教育を始めたいのですが……」
「構わない。このまま続けてくれ」
「で、ですが! これから半日程指導に当たらせて頂くので、お時間を長く頂きます。そもそもリシウス様も本日は、ご公務でお忙しいのでは……」
「私の事は気にしないでくれ。公務は昨日のうちにある程度、片付けてきた」
「さようでございましたか……」
戸惑う教育係の伯爵夫人を余所にリシウスは一切気にする事なく、その場に居座りを決め込んだ。初日から王太子に傍観されながらの指導となってしまった伯爵夫人は、どこかぎこちなく、友人二人から聞かされていた厳しい指導にはならなかった。
しかし、その後の毎週末に行われる王妃教育も何故か必ずリシウスは同席する。
その度に教育係の伯爵夫人は戸惑っていたが、何故かそんな日々が三カ月程続いたのだ。
しかしある時、リシウスが公務で長期間視察の為、同席出来ない状況が二週間程発生した。その瞬間から、教育係の伯爵夫人が豹変する……。
伯爵夫人はまだ進んでもいない学習項目内で、いきなり抜き打ちの試験を始め、オフェリアがミスをした回数だけ罰と称して、その手の甲に鞭を振るってきたのだ。
しかも打たれた痕が残らない絶妙な力加減で鞭を振るう。
友人からこの伯爵夫人は回答ミスをした場合、罰と称して鞭を振るう事があるとは聞いていたオフェリアだが……。まさかその状況を故意に生み出し罰するとは、夢にも思わなかった。
そもそも友人二人の時は、試験範囲がちゃんと学習範囲内ではあったので、その理不尽な抜き打ち試験に不満を訴えられない状況だったらしいが……。
オフェリアの場合、かなり先まで予習をするタイプだった為、あからさまにミスを誘発するような試験範囲を用意されてしまったようだ……。
そんないつもと違う王妃教育を二週間程受けたオフェリアだったが、それは王妃となる為の忍耐力を鍛える訓練だと思い、素直にその教育的指導を受ける姿勢を貫いた。
しかし翌週、リシウスが視察から戻ってくると、何故か教育係の女性が代わっていた。同じ伯爵夫人という立場ではあるが、穏やかで所作の美しい女性が、今後のオフェリアの王妃教育を担当してくれる事になったのだ。
指導も丁寧で分かりやすく、とても楽しい時間となった王妃教育だが……。
何故急に担当が変更になったかの説明は、オフェリアには一切なかった。
後に友人二人から聞いた話では、前教育係の伯爵夫人は若い娘に対して嫉妬心を抱く性質だった様で、指導内容は合理的で的確な物だったが、時々敢えて指導側の令嬢のミスを誘発するような試験を定期的に行い、ミスをした罰と称して鞭を振るう事で、憂さ晴らしをしていたらしい……。
だが結果的に忍耐力が低い令嬢達が教え子となった場合は、その嫌がらせに耐える事で忍耐力が鍛えられていた為、なかなかその虐待のような指導が発覚しなかったようだ。
だが今回のオフェリアの場合、常にリシウスが付きっ切りで同席していた為、その理不尽な指導方針が明らかになり、問題視された夫人は王妃教育指導の任を解かれたそうだ。
その話を友人達から聞いたオフェリアは、リシウスの誠実さに心打たれた。
婚約の申し入れをされた際に宣言した『一生かけて君を大切にすると誓おう。もちろん、婚約期間中も丁重に扱うと約束しよう』という言葉をリシウスは、忠実に守ってくれていたのだと。
しかし王妃教育の指導者が、素晴らしい女性に代わった後も何故かリシウスは、頻繁にその指導時に同席した。
どうやら余程、オフェリアの王妃教育の進捗状況が気になるらしい。
その期待に応えるようにオフェリアの方も、ますます王妃教育を熱心に受けるようになっていた。
そんなリシウスのオフェリアに対する誠実な接し方は、王妃教育を受けている間だけには、留まらなかった。
その一つに毎週末に登城したオフェリアには、必ず午後のお茶の時間をリシウスと過ごして関係醸成を図る事を義務付けられた。
「私は将来、社交界だけでなく国民側にも自分達を理想の夫婦像として印象付けたいと思っている。その為、君には常に私の隣にいる事が当たり前だと意識して貰いたい。その意識改善の為に今後登城した際は、なるべく私と過ごすようお願いしたいのだが」
「かしこまりました。ですが……リシウス様がご公務をされている間は、いかがいたしましょう?」
「もちろん、その際も常に私と共に過ごしてもらう」
そのリシウスの言葉にオフェリアは、一瞬だけ目を見開いた。
「ですが……まだ婚約という間柄で、国の重要機密に関する案件等も扱う事がある執務室に、まだ王族の一員にもなっていないわたくしが長期滞在するの事は、問題ではありませんか?」
「構わない。君が将来私の妻となる事は決定事項だ。父上と母上もすでに了承して貰っている」
「さようでございましたか……。ではそのように協力させて頂きます」
やや腑に落ちないという雰囲気をまといながら返答をしてしまったオフェリアに対して、リシウスが困った様な笑みを向けてきた。
「すまない……。君の自由な時間を奪うような事をお願いしている事は、私も自覚はしている。だが、私はこの政略的な結婚を婚約期間中に何としても第三者から見た場合、理想的な結婚に見えるよう完璧にしておきたいのだ……。その中でも一番力を入れたい部分が、第三者に見られた際、私達の事を誰もが仲睦まじい夫婦だと感じるような夫婦像を抱かせる事だ。国王夫妻が仲睦まじい印象があれば、それだけ国民からの支持率も上がる。国での祝い事のイベント等も盛り上がるので、かなりの経済効果も得られる。私はこの国にとって、プラスになる可能性がある事柄に関しては出来るだけ努力し、妥協したくないのだ」
「ご立派なお考えだと思います。殿下は本当に王太子の鑑の様なお方ですね……」
「だからと言って、君に無理強いするように私の理想に付き合わせる事にも心苦しいとも思っている……。もしその理想を押し付けられる事に重圧を感じたのなら、すぐに教えて欲しい。必ず善処する」
「お気遣い誠にありがとうございます」
それが王太子リシウス12歳、その婚約者オフェリア10歳の時に交わした二人の会話だ。その半年後、長女オフェリアの代わりに婿を取って家を継ぐ事となった妹のシャノンと、リシウスの弟でもある第四王子ルーレンスとの婚約が決まった。
その後は妹のシャノンも毎週二回王妃教育で登城するオフェリアと一緒に登城し、婚約者でもあるルーレンスと面会していたのだが……。
しかしこの二人は、自己主張が強い似た者同士だった為、常に喧嘩を始めてしまう程の犬猿の仲となる。
挙句の果てには、オフェリアの取り合いまで始める始末だ……。
オフェリアにとっては、目に入れても痛くない程可愛がっている妹シャノンと、やや生意気だが愛らしい容姿で全力で自分を慕ってくる未来の義弟予定のルーレンスの両方から自分を取り合いしてくれる状況は、かなり嬉しいものだったが……。
この二人の場合、本気の喧嘩を毎回始めてしまうので、その事に関しては少し心を痛めていた。
そんな自分の取り合いを繰り返す二人の遊び相手を一時間程務めていると、時間ピッタリにリシウスが現れ、二人からオフェリアを回収しにやってくる。
妹シャノンは自宅に帰れば姉にベッタリ出来る事と、幼いとは言え流石に王太子でもあるリシウスに意見は出来ない立場だと自覚しているので、そのリシウスの行動を黙って受け入れていたのだが……。
リシウスの弟であるルーレンスは別だ。
毎回、ピッタリ一時間後に自分達からオフェリアを奪いに来る長兄に食って掛かった。
「リシウス兄上はズルいです! 兄上は先程まで王妃教育を受けていたオフェリアと一緒にいたのですよね!? この後の兄上のお仕事にも、その後のお茶の時間もオフェリアとずっと一緒なのですよね!? どうして兄上ばかりオフェリアを独り占め出来るのですか!?」
「私とオフェリアは、ただの婚約者ではない。私達は次期国王と王妃となる立場なのだ。その為、常に行動を共にし、仲睦まじい印象を周りに与え続けなければならない。尚且つ一緒にいる事で、お互いを理解する為の時間に費やしている。これは政略的な結婚をより良い結婚と印象付ける為に必要な事なのだ」
その長兄の言い分に末っ子王子のルーレンスが口を尖らせながら、更に不満を訴える。
「でも政略的なら、そこまで何でも一緒にいなくてもいいと思います!」
そう訴えるルーレンスの横には、同じような不満げな表情を浮かべているシャノンがいた。
普段は犬猿の仲で喧嘩ばかりしている二人だが、今回に関しては利害が一致している様で、二人一緒にジッとリシウスに抗議の視線を送っている。
そんな二人に対してリシウスは小さく息を吐き、言い聞かせる為に二人に目線を合わせようと膝を折った。
「政略的な婚約だからこそ、常に関係醸成を行う必要があるんだ……。お前達だって、毎回喧嘩ばかりしているのに必ず週に二回は顔を合わせるように周りから手配されているのは、そういう理由があるからだ。そもそも今のお前達はオフェリアとの交流よりも自分達の関係醸成を図るべきだろ?」
6歳児にも大人と同じような対応をするリシウスに案の定、ルーレンスの不満が爆発する。
「『かんけいじょうせい』って何なのですか!? 僕はまだ6歳なので、あまり難しい言葉を使わないでください!!」
だが変なところで要領のいい末っ子ルーレンスの性格を見抜いているのか、リシウスは再び大きく息を吐く。
都合が悪くなるとすぐに幼子ぶり、知らぬ存ぜぬで自分の我を通そうとするルーレンスに呆れながら、リシウスはサッとオフェリアの横に付き、腕を取って連れ出そうとした。
「あっ! 兄上ズルい!!」
「お姉様ぁー!!」
普段は犬猿の仲でもある天使の様な愛らしい容姿の二人が、珍しく協力し合ってリシウスからオフェリアを奪還しようとしたが、リシウスの方は子猫でも追い払うかのように二人の妨害を回避し、そのままオフェリアを連れ出してしまった。
「リシウス様……二人はまだ幼いので、もう少し甘えさせてもいいのでは?」
「君が一緒にいたら、あの二人はお互いに関係醸成しようとしないだろう? 私は何も二人から君を取り上げる意地の悪い事をしている訳じゃない。あの二人の将来の為に敢えて、二人で過ごすようにように仕向けているのだ」
まるで子育て方針の意見の食い違いで言い合いをしているような会話になってしまったので、オフェリアは口を噤む事にした。
しかし、この頃からオフェリアの心の中にある燻りが生まれ始める。
リシウスは事ある毎に、ある言葉を必ず口にする……。
『この婚約は政略的なもの』
最初の頃はオフェリアもそのつもりで婚約を受けたので、リシウスのこの言葉はそこまで心に引っかからなかった。
だが、教育係変更事件から自分に対して誠実に接してくれるリシウスの行動に胸を打たれてからは、何故かその言葉がオフェリアの心にモヤモヤした気持ちを与えてくる。
すなわちそこには、リシウスの意志はないという事だ。
それなのに真面目で几帳面な性格のリシウスは、律儀にオフェリアの事を最愛の婚約者に対して接するような姿を周りに見せつけるように振る舞う。
確かにリシウスがオフェリアを大切に扱う事で、オフェリアは同世代のリシウスを狙っていた令嬢達からの嫌がらせを一切受けないで済んでいるので、非常に理に適った対策法だ。
しかもリシウスが必要以上に一緒に行動してくれるお陰で、教育係変更事件の様な理不尽に危害を受ける状況に陥っても、すぐに対処出来る状態を維持してくれている。
しかし、そのオフェリアに対する親身な接し方が、過剰過ぎるのだ……。
一緒に過ごすお茶の時間では、常にオフェリアの好きな茶葉やお菓子が用意されており、王妃からお茶の誘いがあると、どこからともなくリシウスが現れ、すぐにフォロー出来るようにオフェリアに張り付いてくる。
たまにオフェリアと二人きりでお茶を楽しみたい王妃が、その息子の行動に腹を立てて愚痴を零しているが、それでも涼し気な顔をしたリシウスはやめず、いつの間にかお茶に同席しているのだ。
婚約を申し込まれた頃にした約束を忠実に守ってくれているリシウス。
しかし、その守る理由として毎回『この婚約は政略的なもの』と口にされるオフェリアは、とても複雑な気分になってしまう……。
その一線を引く言葉を頻繁に口にしながら、全力でオフェリアを大切に扱うという中途半端な対応をリシウスは、7年間も続けた。
そしてその度に「この婚約は政略的なもので」と言い訳のように口にし、何度も何度もオフェリアに不安を与え続けていた。
そのリシウスの無自覚に発せられる無神経な言動に周りの人間達が、オフェリアの事を心配し出した。
未来の義弟となる第三王子フィリップは、何度もその言葉を放たれるオフェリアが傷ついていないか、気遣う言葉を掛けてくれた。
同じく義弟となる第四王子ルーレンスは「兄上は変なところで抜けている。もう私の方から口にしない様に進言してやろうか?」と同情され、妹シャノンからは「リシウス殿下は完璧なお方だけれど、あの口癖に関しては我慢出来ないわ!」と怒りの声を上げていた。
そんな周りに精神面を心配されているオフェリアだが、リシウスのその口癖は挙式まで、あと一年を切った辺りから、更に口にする頻度が上がり出す。
その所為で、オフェリアは更にリシウスと夫婦になる事に関して不安を募らせていた。
リシウスが望んでいる結婚は、完璧すぎる程の理想的な夫婦像をまとった完全なる政略結婚だ。何故、それにリシウスが拘るのかはよく分からないが……。
もしかしたら恋愛感情が自分達の間に生まれてしまえば、理想的な夫婦像を演じる事に支障が出ると感じているのかもしれない。
しかし……残念な事にオフェリアの方は、この7年間リシウスに誠実で気遣いある対応をされ続け、しかも一等大切なモノのように扱われた事で、すっかりリシウスに心を奪われてしまっていた。
そもそもあのような美貌の完璧主義な王太子に全力で誠実性をアピールされ、大切に扱われ続ければ、年頃の娘であれば誰でも恋に落ちてしまう……。
そんな罪作りな行動を無自覚で繰り返すリシウスに最近のオフェリアは、苛立ちさえ感じるようになってきた。
それでもこの7年間でリシウスから向けられてきた貴重な笑顔や過剰なエスコート等で、常に共に過ごす時間の中で、幸福を噛み締めるようになってしまったオフェリアは、苛立ちよりも愛おしさの方が勝ってしまう。
本日もそんな矛盾した想いを抱えながら、オフェリアは城内の庭園で、公務が長引いてしまったリシウスの事をお茶をしながら待っていた。
すると、急に上から大きな影が自分に掛かる。
ぼんやりとティーカップの中を覗き込んでいたオフェリアは、その人の気配に気付き、顔を上げた。
すると、そこには第二王子ライナスが面白いものでも見る様な表情で、オフェリアの事を見下ろしていた。