転生遺族のむかしむかし8
異変が起こった(当時は怪しまなかったけど)のは姉さんが中学生になって数週間ほど経ったころだ。
「お姉ちゃんおかえり!」
「うん……ただいま」
「お姉ちゃん?大丈夫?」
「うん、ちょっと疲れちゃって」
姉さんは元々運動音痴だったが、思い切ってバドミントン部に入部した。それ以来帰りは遅くなり(これは仕方ない。運動部だから。)、顔色も悪くなっていった。きっとそれだけ練習が大変なんだと、当時の僕は思っていた。
作子もあまり遊びに来なくなった。そして学校が休みの日に珍しく来ると、僕にこう訊いてきた。
「ねえ縦軸」
「ん?」
「愛、最近家だとどんな感じ?」
特に怪しむことはなく答えた。
「うーん、何か前より疲れてるかな。きっと部活頑張ってるんだよ!」
「……そう」
作子はそのまま帰ってしまった。
小学1年生のとある日、姉さんの部屋の前にやってきた。ドアを軽くノックする。
「お姉ちゃん、ちょっといい?」
少し間を置いてドアが開く。
「縦軸……どうしたの?」
「宿題で分からないところがあるんだ。お姉ちゃん、教えて」
「ああ……いいよ。入って」
そのまま姉さんの部屋で勉強を教えてもらうことになった。
「……ちゃん、お姉ちゃん、ねえ!」
「……ハッ!ど、どうしたの?」
「なんかボーッとしてたよ。大丈夫?」
「う、うん。ごめんね、どこ教えてたっけ?」
「えーっと、これ、この問題」
「うん、どれどれ……ええと、この問題はね、まず文章をよく読むの。それでね……」
これが6月ぐらいのこと。あの日は近づいていた。
7月14日、僕は7歳になった。
「縦軸、お誕生日おめでとう!はい、これお姉ちゃんからのプレゼント」
姉さんがくれたのは1冊の小説だった。
「まだ縦軸には難しいかもしれないけど、勉強頑張ったら絶対に読めるようになるわ。そうなったら絶対面白いよ」
「お姉ちゃん……うん、ありがとう!僕、この本大事にするね!」
「ふふふ、縦軸は優しいね」
そう言って姉さんは笑っていた。この時は知らなかったが、人ってのは辛いときほど笑って誤魔化すことがある。姉さんの笑顔はつまりそういう意味だったのだ。
8月31日、さいごの日。姉さんに手伝ってもらって夏休みの宿題は既に終わっていた。
夏休みの間、姉さんは珍しく家によく居た。この頃には姉さんは部活を辞めていた。
「縦軸、お姉ちゃんちょっと出かけてくるね」
「ん?どこ行くの?」
「うーん……秘密」
「えー」
「お母さんかお父さんが帰ってきたら、ちょっと出かけたって言っておいて」
「うん、分かった。いってらっしゃい」
「うん……」
少し黙った後、姉さんは僕に駆け寄ってきて、うんと力強く抱きしめた。
「縦軸、大好きだよ。愛してる」
「……お姉ちゃん?どうしたの?」
「ううん、何でもない。何でもないの。伝えたかっただけ。それじゃあ、いってくるね」
何故か姉さんは泣いていたが、その理由は訊けなかった。
「……?いってらっしゃい」
「……いってきます」
そう言って姉さんは出かけた。
この後、姉さんは自殺した。
あの後葬式やら、両親の学校への抗議やらがあったが、記憶は無い。そんなことを覚えられる余裕は無かった。強いて言うなら、両親がひたすら泣き続ける中、僕だけが人形のように呆然としていたことくらいは辛うじて覚えている。
「お姉ちゃんが死んだ。もういない」その事実だけが、強引に僕の脳内へ入ってこようとしていた。理性はあっさり受け入れた。心は激しい抵抗を見せたが、結局勝てなかった。
僕は学校に行かなくなった。行けるわけが無かった。この頃、学校側がようやく事実を認め、姉さんの自殺の動機がいじめだと分かった。姉さんを殺した犯人は別の学校へ転校させられたらしい。その後のことは知らない。
「縦軸、ご飯置いとくね」
ドアの向こうから母の声がした。当時はそんな余裕は無かったが、今思うと申し訳ないことをした。両親だって姉さんの死でどれだけ追い詰められてるか分かんないってのに、僕が引きこもってしまったのだから。
当時、僕は何をしたらいいのか分からなかった。学校は楽しかったし、将来の夢もあったと思う。だけど、姉さんがいなかった。姉さんがいなくてはどれだけ賢くなろうと、どれだけ友達ができようと、どれだけ夢が叶おうと、結局意味が無いような気がした。
朝起きたら、大抵何もしないで過ごした。ベッドの上でボーッとするか、たまに部屋の中を目的も無く歩き回るくらいだ。
そんなある時、ふと本棚に目が向いた。そこにあったのは、姉さんが7歳の誕生日にくれた小説だった。
あの時の笑顔が蘇ってきた。笑顔だけじゃ無い。姉さんの声が、匂いが、姉さんの一挙手一投足が記憶の奥底から帰ってきた。そいつらが一斉に僕の心を叩きつける、揺り動かす、一切の秩序を捨てて騒ぎ始める。そんな動乱に耐えられるほど、僕の心は強くない。
ああそうだった。大切な人を喪うって何よりも悲しいことだった。
「ああ……うあああああああああああああああ!」
久しぶりに、姉さんが死んでからは初めて泣いた。もう何が何だかわからなかった。
「もう、いやだ」
勉強机に向かう。確か引き出しにハサミがあったはず。僕も自殺しようと思った。きっとハサミで心臓を刺したら死ねるだろう。
姉さんがいないと生きてても意味がない。それに確か、死んだら良い人は「天国」っていうのに行けたはずだ。そこに姉さんがいるに違いない。だから僕も会いに行こうと思った。僕がいい子って思われるかどうかは分からなかったけど、神様に一生懸命お願いしたら会うくらいはできるだろうと思った。
引き出しを開けてハサミを手に取る。そっと心臓のある辺りに刃を当てる。うん、この位置だと確信する。
「……うぅ」
死ねなかった。何故か手が動けなかった。
「……ダメだ」
何故かそう思われた。姉さんのいないこの世界で、もう生きたくなることなんて無いはずなのに。何故か、まだ死んではダメだと、そう強く確信できた。
「僕には、やることがある」
そう呟いた瞬間、それはやってきた。
「……!」
体の中に分からない力が満ちてくる。こんなもの知らない、なのに、なぜか違和感を覚えなかった。そして、頭の中に無機質な声がする。
(スキル〈転生師〉を取得しました)




