ハイドアンドプルーフ【1】
「花瓶って本当に置かれるんだ」
登校するなりの第一声がつまらなくて落ち着いていたのは多分反射だ。生物ってのは暴走しないための制御装置を己に組み込んである。だから辛いことがありすぎると心を殺して傷つかないようにする。本来は。
親友の愛が死んだ。それを直接私に伝えたのは私の母で、母にその情報を伝える愛の両親の様子は想像するに耐えなかった。
自殺だった。理由なんて推測するまでもない。あの子がいじめられていたことを、私は確かに知っているのだから。
教室には既に何割かの生徒が登校していた。そのうちの3、4割――半分はいかないかな――が愛の机に視線を向けては即座に目を逸らしている。近くにいる連中同士で何やらコソコソと話している。内容を推測するのなんて簡単だ。
「え、あれ何」
「また三谷でしょ。ほっとけ」
「うっわ、虚死んだの?」
結局彼女の死が明言されたのは朝のHRだった。「悲しいお知らせがあります」って、あんた本当に悲しんでんのか。
先生の話を聞かずに騒ぐクラスメイトが心底うざい。
「みんな辛いと思います。先生だって同じです」
お前なんかと一緒にするな。
こいつらと一緒くたにしないでくれ。
「どうして虚さんが死ななければいけなかったのか。みんなにもよく考えてほしい」
よく考えないと分からないのか。
「そしてどうか、このことを忘れないでください」
忘れるよ。こいつらこのままじゃ。
ああ、嫌だな。人を平気で馬鹿にできるこいつらが嫌だ。芸人みたいに人に笑われることを前提に立ち振る舞っている連中ならともかく、何かを成し遂げたくて必死で頑張ってる人を嗤うのはダメだよ。なんて場合分けして説明しようとしている私のこともどこかで嗤っているであろうこいつらが嫌だ。そして何より、正義の味方面してる私が嫌だ、なんて俯瞰した気でいる私が嫌だ、なんて俯瞰した気でいる私が……ははは、終わらないな、これ。
今日は始業式の日ということもあってか、学校はいつもよりも早く終わった。
普段より多少長いだけのHRが呆気なく終わりを迎える。私は一目散に教室を飛び出した。
あんな教室、もう一瞬たりともいたくない。あそこにいるのは人殺しだ。直接手にかけてないってだけで、じわりじわりと私の親友を確かに追い詰めていった狂った化け物たちだ。
あいつら、誰1人として罪悪感を覚えていなかった。愛が死んだことも身近な場所でめんどくさそうなイベントが起きたとしか思ってない。先生が長ったらしい話をしたらもうそのイベントは奴らの中では終了。またいつも通りの日常が戻ってくる。昨日までと何も変わらない。そういう認識なんだ。
廊下を足早に駆け抜けていく。誰かも分からない話し声が聞こえてくる。
「え、今日部活あるの? 始業式だよ?」
「そういや昨日さ、宿題やってないの気づいて――」
「あーやべ、死んだわ」
至っていつも通りだ。わざわざ愛のことを口にする奴なんていない。
知らないのか。いや、さっきの始業式で先生が話していた。どれだけ話を聞いていない奴でもこれだけショッキングな出来事なら耳には入っているだろう。それなのに誰も興味を持たない。関心が無い。
……もういいや。放っておこう。
結局何もないまま、長くてうざい1日は終わった。
もしかしたら愛の家に行った方がいいのかもしれない。ご両親もそうだし、何よりあの弟くんが心配だ。あれだけお姉ちゃん大好きっ子だったんだから、どうなっているか分かったもんじゃない。
……いや、やっぱりやめておこう。向こうだって今はそっとしておいてほしいだろうし。詳しくは知らないけどお葬式の手続きとかで大変な筈だ。こんなつまらない中学生風情がいたところで足手纏いでしかない。今日は家に帰って大人しくしていよう。
何故か家路に着く足取りは軽かった。まだまだ世界は暑くて、走れば走るほど服にじっとりとした汗が染み込んでいく。なのに走るのはやめられない。早く帰らなきゃ。やばい。あとちょっと水分摂らなかったら死ぬ。そんな妄想が浮かぶにも拘らず、結局家のドアを閉めるまで私の息は上がりっぱなしだった。
部屋に戻って、着替えて、ご飯を食べて。自分でも不思議なくらい普通にできた。友達が死んで悲しい筈なのに、何も手につかなくなる筈なのに、私は至っていつも通りに行動できている。まるでロボットがプログラムされた通り動くように、私じゃない誰かにこう動けと命令されているみたいだ。
とはいえ流石に勉強はする気が起きなかった。部屋に戻ってからはただベッドの上で人形みたく転がって、とにかく何も考えないでいた。より正確に言うならば、最近聞いた歌とかこの間見たドラマとかのセリフが脳内に浮かんでは消えていくだけで、意識して何かを思考するという行為はしないでいた。
……もういいや、明日は休もう。どうせもう愛のことを心配しなくてもよくなったんだし、学校に行く理由なんて無い。そんなことより縦軸の様子が心配だ。
(まずは自分の心配をしろよ)
うるさい。私は大丈夫だから。
(大丈夫じゃない)
大丈夫だって。
(いいや。ご両親やあの男の子に心配かけたくなくて虚勢を張ってるだけだ)
うるさい。
(他人の心配は後にしろ。一旦君が元気になってから)
「ああもううるさいっ!」
信じられないくらい息が荒くなっていた。冷房の効いた部屋の中で、べったりとした汗が吹き出している。
「何回言えば分かるの。私は――」
気づいて固まった。やっと不審に思った。
私……誰と話してたの?
(えー今更?)
何これ? 耳を通して聞こえてないというか、頭の中に声が響いてるというか。
(そりゃ君にとっては心の声だからな)
「ちょっと黙れ! 気持ち悪い!」
(言い方散々過ぎない?)
私はおかしくなってしまったのか? 幻聴が聞こえるようになるなんて。まあ確かにそれだけ病んでても不思議じゃないか。どうしよう。病院とか送られるのかな。
(幻聴じゃないし君は正気だよ。今はね)
お母さんとお父さんにはどう説明しよう。あの子にはどう話せば。
(ねえ)
怖がられないかな。変なやつになったって嫌われないかな。嫌だ。縦軸に嫌われるのなんてただでさえ最悪なのに、よりにもよって今だなんてそんな!
(聞けって!)
左手が勝手に動いた。
何だこれ。気持ち悪い。幻聴も気持ち悪いけど、手が勝手に動くのも負けず劣らず気持ち悪い。もう何なの。私どれだけおかしく――
(だーかーらー!)
ムニッ。
(これ全部現実。信じろ)
「……むいあっえ」
左手に頬をつねられた。痛かった。




