バカみたいな愛
リベラート様の帰還から三日後。
話があるとティオに伝え、私はリベラート様と一緒にティオの住む家へと向かった。
「……リベラート……さん」
家の前で私の到着を待っていたティオは、私が連れて来た人物を見て目を丸くする。
「久しぶりティオくん。このたびは、俺の婚約者を利用した挙句俺のいないところで勝手に告白をした謝罪をしてもらいに――」
「違うでしょう、リベラート様!」
「えっ? ああ、つい取り乱してしまった……。このたびは、ふたりで君に伝えなきゃいけないことがあるんだ」
まったく違うことを言い出すリベラート様を慌てて制止する。ティオはなんとなく予想がついたのか、気まずそうに後ろ頭を掻きながら肩を落とした。
「……いや、謝るよ。リベラートさん、フランカから全部聞いたんだろう?」
ティオの問いかけに、リベラート様は無言で頷く。
「ご、ごめんねティオ。でもどちらかというと、感謝を伝えにきたの」
「……感謝?」
拍子抜けしたように、強張っていたティオの表情から力が抜ける。
屋敷までの帰り道、リベラート様にティオのことを聞かれて、私は言ってもいいのか悩みながらも、リベラート様にティオから聞いた話を打ち明けることにした。きっと、リベラート様に話すのはティオも許してくれるだろうと心のどこかで信じていたのもある。
「俺はフランカを利用しようとしたんだ。感謝される理由なんかないだろ」
「でも、ティオのお陰でお姉様が私宛の手紙を隠していることがわかったの。……私とリベラート様がまた心を通じ合えたのは、ある意味、ティオがあの日に私を早退させてくれたおかげよ」
ティオに言われなければ、疑うこともしなかった。
お姉様とリベラート様が私の知らないところで勝手に仲を深めていると勘違いしたまま、私はそれを疑うこともしなかったろう。
「……だからって俺にわざわざ感謝を伝えにくるなんて……どれだけお人好しカップルなんだよ。そんなだから足元すくわれるんだ――って、俺に説教する権利はないか」
呆れた顔でため息を吐くティオに、リベラート様がずいっと一歩前へ踏み出してにこりと微笑んだ。
「いいや。君に感謝を伝えたいお人好しはフランカだけだ。そんなところも俺にとっては可愛いんだが、たしかに心配にはなるな」
「……リベラートさんは俺にのろけを言いにきたんですか?」
「それもあるが、また別件だ。まず、君の推理が間違っていたことを教えにきた。俺は元々、フランカの魅了魔法にはかかっていなかったんだ」
ふんっと自信満々に言うリベラート様に、ティオが眉をひそめる。
「じゃあ、お前――じゃなくて、あなたが言っていた〝フランカの忘れられない香り〟っていうのはなんだったんです?」
「ティオ。リベラート様が覚えていた私の香りはね、魔女からもらった香りじゃなくて――普段の私が持ってる、そのままの香りだったの。土魔法使いなら誰もが持つ、魔法訓練後の土と草の混じったあの香り……」
リベラート様はずっと前から私を知っていたことを話すと、ティオは全身の力が抜けたようにふらふらと身体を揺らす。
「な、なんだそれ。紛らわしい……」
「紛らわしいのは君だ。よけいな推測で、フランカにいらない誤解を生ませてしまった」
「いやいや! 絶対俺だけのせいじゃあないだろ! つーかそんなに前から好きだったのかよ……勝てるわけねぇ……」
ティオは右手を額にあてて、なにかぶつぶつとぼやいている。
「それともうひとつ。ティオくん、君に頼みがある」
「……はぁ? なんでもひとりで解決できそうなリベラートさんが、俺に頼みごと……?」
いったいなにを頼まれるのかと、ティオの表情は不安に満ちていた。
「ああ。これから俺たちが向かう場所へついてきてほしいんだ。そしてそこで……アリーチェ・シレアのことを話してほしい」
◇
「お勤めご苦労様です! 王都へおかえりなさい! リベラート様!」
シレア家の屋敷へ到着すると、お姉様の甲高い声が門の前に響く。
リベラート様は敢えて私たちを馬車に残してひとりでお姉様のところまで行くと、立ち止まってお姉様の相手をひとりでこなしていた。歓迎の言葉に当たり障りなく返事をしているリベラート様は、きっといつもと変わらない爽やかな笑みを浮かべていることだろう。
「急に屋敷へ来るって連絡がきて驚きましたわ。私、リベラート様のことをとっても心配しておりましたの」
「心配?」
「ええ。だってまだ、魅了魔法が解けてないようでしたから……」
馬車の中で、私はごくりと生唾を飲む。
「フランカはちょうどどこかへ出かけているみたいで、今が本当のことを伝えるチャンスだと思いますの。リベラート様、あなたはあの子に騙されていますわ。あなたがうちの妹を好きなのは、魅了魔法が原因で……」
「そのことなら心配いらないよ。そもそも俺は、フランカの魅了魔法になんてかかっていなかったのだから」
「な、なにを言っているのですか? 魅了魔法にかかっていなかったって……」
お姉様の声色に焦りを感じる。
「俺はフランカがベランジェールと出会う前に嗅覚をなくしていた。だから、フランカが持っていた香りを認識することは不可能だったんだ。……そうだよな? フランカ」
名前を呼ばれて、ついに自分の番がやってきたのだと察し、私はゆっくりとした足取りで馬車を降りた。
そのままリベラート様の隣に立つと、リベラート様に優しく肩を抱かれる。
その様子を見て、お姉様は私をものすごい形相で睨んできた。……それでも顔が綺麗だなんてすごいわ。
「はい。そうです。……お姉様、リベラート様は王都に戻ってきて私と再会してなお、私を選んでくださいました。……もう、これ以上の答えはないと思います」
「……なに? だから私に諦めろって言ってるの? あなたと私が一緒にいて、あなたを選ぶ人がいるわけないでしょう。昔から、そんな男はひとりもいなかった。あなたを選んでいる時点で、リベラート様は魅了魔法にかかっているってことで……」
「見苦しいですよ。アリーチェ嬢。……俺はあなたとフランカを比べることすらしていない。なぜなら俺はただ彼女を愛していて、そばにいたいだけ。最初から、フランカしか見えていない。……あなたのおかげで俺たちはすれ違ってしまったけど……わかり合えた今、前よりも愛は深まったよ」
ね? と同意を求めるように、リベラート様は私を愛おしそうに見つめると、肩に置いていた手をするりと上の方へ滑らせて優しく髪を撫でてきた。
……絶対険悪な空気のはずなのに、私たちの周りだけやたらと甘いような。恥ずかしいからやめてほしい。
「そ、そんな、信じない。絶対信じないわ……!」
「そう言われても、かかっていない魔法の解呪を証明なんてしようがない。あ、だったらいっそ信じなくていい。俺がフランカという存在に魔法なんて関係なく魅了されっぱなしなのは事実だからね」
「ちょ、ちょっとリベラート様、顔が近いです……」
「君が可愛すぎるから、近くで見たくなるんだ。……やばい。可愛い。キスしていい?」
「空気読んでください!」
私たちのやり取りを聞いて、馬車の中でティオも呆れているだろう。
お姉様を黙らせるのがどれだけたいへんなのか、リベラート様は理解しているのかしら。急に不安になってきた。
「……ふん。私を選ばないなんて、リベラート様はよっっっっぽど見る目がないのですね。幻滅しましたわ」
「ああ、やっと俺のことを諦めてくれた?」
お姉様にこんなことを言う男は、この世でリベラート様くらいだろう。
お姉様は悔しそうに唇を噛みながらも、まだ残っているプライドで懸命に反撃を試みてくる。
「ふたりがこのままなんの弊害もなく結婚できるなんて思わないことね……! フランカが魔女と関わりがあったことをバラせば、あんたの評判は終わりよ! これまで人を騙していたことも、ぜーんぶ暴露してやるわ。そうしたら、そんな女を選ぶリベラート様も哀れな目で見られるでしょうね。その前に、由緒あるヴァレンティ家の公爵が結婚を許すかどうか……」
最初からリベラート様が自分を選ばなければそうするつもりだったように、お姉様はスラスラと口を動かしてそう言った。
……私がベランジェールと関わりがあって、魅了魔法を得ていたのは事実。
そしてそれが、世間にとって決していい評価にならないことを、私自身もわかっていた。魔女は恐ろしい存在と言われており、なにより、私がその魔女から得た力で人々を騙していたことについて証拠がありすぎる。これまで騙されていた令息たちが、こぞって訴えてきたりでもしたら……考えただけで最悪の結果だ。
これを言いふらすのがお姉様でなければ、ただの作り話と言って誤魔化しも聞きそうだが――お姉様は国で人気もあり、なにより支持する男たちが多すぎる。きっと、簡単にこの悪女に騙されてしまうだろう。
「……ははっ。予想通り」
不安を抱える私の隣で、リベラート様が楽しそうに笑みをこぼす。
笑い声につられてリベラート様の方を見上げると、見たことのない悪い顔でリベラート様が笑っていた。
「君なら絶対そう言うと思っていたよ。だから、こっちもばっちり対策を練ってきたんだ。……ふたりとも、出てこられる?」
リベラート様が馬車のほうを向いて声を上げると、ティオともうひとり――お姉様に手紙を横流ししていた、騎士団の使者が真っ青な顔をして降りてきた。
「! あ、あのふたりがいるからなんだっていうの?」
あきらかにお姉様は動揺しているが、精一杯虚勢を張り続けているようにも見える。
「よーく覚えてますよね? あなたが駒にした男たち――の、ほんの一部です」
「駒って……なんのことかわからないわ」
「誤魔化しても無駄ですよ。使者としての禁止行為をしたあっちの彼は、この件が騎士団にバレることを恐れて俺にすべて暴露しましたから。手紙を流せば結婚してあげると言っていたそうですね? これは立派な詐欺行為ですよ」
「そ、それは……」
ばつが悪いのか、目が完全に泳いでいる。
「アリーチェ様、リベラートが好きだったなんて聞いてません……俺は騙されて、最悪な行為をしてしまった……」
ここへきてようやく、使者の顔が真っ青だった理由に気づく。
お姉様が結婚してくれると言っていた言葉を、彼は今の今まで信じていたのだろう。
「そしてこっちは自業自得のティオくんだけど……彼は改心したようだから、あなたがどれだけ悪女かってことを世間に暴露することに抵抗はないだろう」
「……むかつくけど返す言葉もねぇな」
「ほかにもあなたに貢がされた既婚の令息や、同じ理由で騙された使者がもうひとりいるのも知っている。アリーチェ嬢に人の心を弄ぶ魅了魔法を悪く言う権利があるのかな? もしフランカについてよけいな情報を漏らすようならこちらも黙っていない。……俺が持てる限りの権力を使って、あなたを潰しにかからせてもらうよ」
リベラート様はお姉様に近づくと、上からじっと睨むようにして低い声でそう言った。
お姉様は身に覚えがありすぎるのか、黙ってその場にへたり込む。
「……これから家族になるのに、仲良くできそうになくて残念だ」
吐き捨てるように言うと、リベラート様は私のほうへ戻って来た。その言葉は本心のように思え、私も少しだけ切なくなる。
「……なによ。あんたたち、私のことが好きだったんじゃないの? それなのにあっさり権力に屈して……!」
私はリベラート様に守られているせいか、怒りの矛先をぶつけるのがふたりしかいないのだろう。お姉様はティオと使者を思い切り睨みつけて、地面の土を掴んで思い切りふたりのほうへ投げつける。だが、風に邪魔されてまったく本人たちには届いていない。
「そうですね。言いたいことはわかります。……あなたの見た目だけしか見ていない男たちが、あなたに騙されるのは自業自得でもありますからね。・だって、互いに本質は薄っぺらいんですから。それでも……アリーチェ様を最初見たときの衝撃は忘れませんよ。本当に、微笑むあなたはこの世のなによりも美しく、女神のように見えました」
ティオは当時からは想像もつかないような、地面へ膝をついているお姉様を悲しげな表情で見つめて再度口を開いた。
「でも、愛っていうのは一方的だと続かない。偽りの愛をもらっても、それは同じ。……愛して愛されることで、続いていくものなんですよ。愛情って」
まるで、自分にも言い聞かせているようなティオの言葉は、私の胸にもずしりと大きくのしかかった。
――〝百年に一度の佳人〟と呼ばれるお姉様は愛されることは得意でも、愛することに関しては一流でなかった。
ティオの言うように、偽りの自分で得た愛は、いつかきっと消えてなくなるのだ。
「……フランカ」
「えっ? 私?」
ティオが私の名前を呼んだ。
振り返ると、真剣な顔をしたティオが私をまっすぐ見つめている。
「それを俺に気付かせてくれたのはお前だ。ありが――ぶはっ!」
最後まで言い切る前に、リベラート様の水魔法がティオの顔面に直撃した。
「おっとすまない。威力が強すぎたみたいだ。だが、誰の前でフランカを口説いているんだ? 頭を冷やす手伝いなら、いくらでもしてあげよう」
「礼を言っただけだろ!」
「いいや。あきらかに視線に好意が混じっていた」
「おいフランカ。こいつめんどくせーって。絶対束縛されるぞ?考え直せ」
「束縛だって? それは……するに決まってるだろう」
……するんだ。
心の中でそう思いつつ、それでも面倒くさいと思わないのはなぜだろう。きっと、私がリベラート様に愛されることを喜んでいるから……かな?
「…………バッカみたい」
膝をついたまま項垂れるお姉様が、ぽつりと呟く声が聞こえた。
それが誰に、なんに対して発せられている言葉かはわからないが――今、私が思うのはひとつだけ。
ずっと自分とは住む世界が違うと、羨ましいと思っていたお姉様は、とってもかわいそうな人だということ。
お姉様が地位や権力や見た目じゃなくて、本能に誘われるがまま本気で好きになれる人が現れたら、その時ようやく、愛ってものがわかるのかもしれない。
……私が恋や愛を語るなんて偉そうだけれど、少なくとも私はリベラート様になにがあっても愛されることで、ようやく気付いた気持ちがたしかにあった。
その後、お姉様は屋敷へ戻り、ティオと使者も途中でそれぞれ馬車を降りていった。
ふたりきりになった馬車の中で手を繋がれながら、私はふと気づく。
「あの、リベラート様。これってどこへ向かってるんですか?」
「町だよ。今日は俺も時間があるから、君とデートしようと思って」
「デ、デート?」
あんなことがあった後に? ずいぶんと気分の切り替えが早いというか……。
「ようやくあらゆるいざこざが片付いたんだ。……それに、ちゃんとしたデートって今まで一度もしたことがないだろう? 俺たち、婚約者同士なのに」
「たしかに。言われてみれば……」
「……これからは、今までしなかったことをひとつずつしていこう。なんの後ろめたさもなくなった俺たちなら、どんなことも楽しめると思うんだ。一緒に幸せな思い出を積み重ねていこう。フランカ」
優しい眼差しに、穏やかな声色。
誰がどう見たって、好きな人にしか見せない態度。それが私に向けられていると思うと、鼓動が自然と速くなる。
好きな人とデート。好きな人と旅行。好きな人とただ寄り添ってぬくもりを感じること。
ずっと憧れていたけれど、叶わないと思っていた。私は劣等感の塊で、魔女に恋をしたいなんて願うほどの拗らせ令嬢だったから。
それでも今は、全部を叶えてくれる大切な人がいる。
「……はい。リベラート様」
私は笑顔で答えると、重ねられた手に自分から指を絡める。
この先どんなことがあったとしても、もう二度と、この手を離さないように。そう思いながらしっかり握る私の手を、同じ――いや、私以上の力で、リベラート様は握り返してくれた。