ちょっとだけ、素直になります
リベラート様に連れられ、私は診療所の敷地内にある小さな庭園へ来ていた。日没前の空は、二色が混ざった幻想的な色をしている。
「空、すごく綺麗だな。赤と青で、俺とフランカの色が混ざり合ってるみたいだ」
私の赤い髪色と、リベラート様の空色の髪色……。私はこの空を見ただけで、そこまで発想を飛ばすことはできなかった。なにげない景色に私という色を見つけてくれるのって、素直に嬉しい。
「ここで話そうか。ベンチもなにもないから、芝生に直で座ることになっちゃうけど……」
「そんなの全然気になりません。私、いつも森で草むらや土の上に座りこんでましたから」
「さすが。俺の婚約者は頼もしい」
私たちは芝生の上にふたりで座り込み、吹き抜ける心地よい風を肌で直に感じていた。
「周りに人がいない場所で話すのって久しぶりだな」
「たしかにそうですね。前回はティオもいたし、その前も私の屋敷でしたから」
こうやって、人の声が聞こえない静かな場所でふたりきりになるのは、あの夜会以来だ。ちらりとリベラート様のほうを見ると、リベラート様もこっちを見ていて目が合ってしまった。
「それより……早くフランカの気持ちを聞かせてほしいなぁ」
小さく首を傾げ、私から視線を外さないまま、悪戯っぽくリベラート様は笑う。
……リベラート様も、誰にも言っていなかった話をさっき私にしてくれた。嗅覚がないことを知った、今の私の気持ちを正直に伝えるくらいはしてあげていいだろう。
でも、その前に。
「……私の個人的な話を、してもいいでしょうか」
「フランカの? いいよ。聞かせて。君の話ならなんでも聞きたい」
そんなに瞳を輝かせて聞くような話ではないんだけどなぁ……と思いながら、私はぽつりぽつりと話し始める。
「私、学園時代――いや、それよりもっと前から〝魔性の女〟なんて呼ばれてた時期があって。今は違うけど、男性に言い寄られる日々がずっと続いていて……」
「うん。知ってる。フランカの人気っぷりはすごかったよ。学園にいる男全員がライバルでだなんて、俺も思ってもみなかった。でも、君はそれだけ魅力的な女性だったから――」
「違うんです。そうじゃ……ないんです」
「……フランカ?」
魔女からもらった力で、纏った香りによってただみんなを騙していただけ。
その事実を話す勇気が今の私にはなくて、おもわず口をつぐんでしまう。すべてを話すことはまだ先になろうとも、この溢れ出る感情だけでも、今リベラート様に伝えたいと思った。
「あれは全部まやかしで、偽りの愛だったんです。みんな、本当に私を好きなわけじゃない」
「……どうしてそんなことを思うんだ?」
「そう思わざるを得ない理由があったからです」
私が自ら話そうとしないからか、リベラート様がその“理由”について追及してくることはなかった。優しい彼のことだ。きっと、私が話すまで待とうという考えなのだろう。その優しさが、さらに私の胸を締め付ける。
「どんなに好意を伝えられても、誰のことも信じられない。それは私への本心じゃないという確信があったから。現に、今は以前みたいな現象は起きていないでしょう? それがまやかしだった証拠です。わかっていたから、私は誰かに恋をすることがなかった。人を好きになる気持ちをわかりたかったはずなのにわからなくなってたんです。本末転倒です」
「……だから俺の気持ちも信じられなかったってこと?」
「最初はそうだったけど……でも、今はこう思ってます。リベラート様だけは、そうじゃないかもって。……ひとつ聞いていいですか? どうしていつも、私の居場所がわかったんですか? 男子生徒から逃げて隠れていた私を、リベラート様はいつも見つけることができましたよね」
私が放つ香りで男子生徒に居場所がバレないよう、私はいつもハーブを焚いたり、サシェを持ち歩いたりした。香りで香りを誤魔化していたのだ。
それでもリベラート様は、いつも私を見つけ出した。あの時は、鼻が人よりよく利く男だと半ば呆れていた。しかし、リベラート様は当時既に嗅覚を失っていた。
――それなのにどうして。純粋に、私は疑問に思ったのだ。
「そんなの、好きな人なんだから当然だろう」
「え?」
「好きなんだから、居場所がわからなくても見つかるまで探すだけだ。だって、学園にいるあいだ、俺はずっと君に会いたくて仕方なかったんだから」
当たり前のように、リベラート様はそう言って笑った。
……彼は容易く私を見つけていたわけじゃない。学園内のあらゆる場所を探して、私が見つかるまであきらめることをしなかっただけ。
そこまでする理由はただ、〝私に会いたかったから〟?
「……ふふっ。鼻が利くんじゃなくて、人より何倍もあきらめが悪い男だったんですね」
「なんの話かわからないけど……よかった。ここに来て、今初めて笑ってくれた」
おもわず笑みが零れた私を見て、リベラート様は安心したように目を細め、眉を下げながら微笑んだ。その姿を見るだけで、胸がいっぱいになる。
「俺のことを信じて。フランカ。君が恋をわからないなら、俺が教えてあげる。ていうか、俺以外を好きになんてさせない」
「……リベラート様」
「どういう理由でフランカが人を疑うようになったかわからないけど、これだけははっきり言える。俺の君への気持ちは、絶対にまやかしなんかじゃない」
――本音を言うと、私は多分、強がっていただけなのだ。
私はどこかで無意識に、リベラート様のことだけを特別に想っていた。
そしてよりによってリベラート様だけが、香りを失っても私を〝好きだ〟と言ってきた。理解不能だったし、どれだけ魔法が解けづらい人なんだと心配になった反面――どこか期待している自分もいたのが嫌だった。その期待が外れてつらい思いをするのも嫌で、彼の気持ちをなにかの間違いだと思うほうが、ずっとラクだった。
ほかの誰よりも純粋に気持ちをぶつけてくる彼に、素直になるなんて無理だった。蓋をしていた気持ちが溢れ出ることが怖かったから。
「信じても、いい?」
信じてしまえば私は、この人のことをきっと好きにならずにはいられないだろう。だって、初めてだったから。
ほかの誰でもなく、私だけを見続けてくれた人は。まっすぐに、愛を伝え続けてくれた人は。
リベラート様は私の言葉に目を見開いたあと、ふっと笑って、手を伸ばしそっと私の髪を撫でた。
「だめな理由がどこにある? 俺としては、むしろそうしてもらわないと困るよ」
私の顔を覗きこみながら、リベラート様は続けた。
「俺は君が好きだ。だから……安心して信じて欲しい、俺が君を好きだってことを」
言葉のひとつひとつから、リベラート様の愛を感じられた。今まで私の中にあった寂しさが、彼の愛情で埋められていく。
リベラート様が私の髪を耳にかける。指と髪がこそばゆい。でも、触れられるのは嫌じゃない。
「……フランカ」
熱っぽい眼差しと低い声で名前を囁かれ、心臓がどきっと跳ねる。大きな手が私の頬に触れて、引き寄せられるように自然と互いの顔が近づいて行く。
「フランカ!」
背後から私を呼ぶ声。はっとして、私は反射的に呼ばれたほうを振り返った。
「ティオ! どうしたの?」
ここまで走ってきたのか、息を切らしたティオが立っていた。リベラート様はというと、「いいところだったのに……」なんて言って、ティオのことを睨みつけていた。
「三十分経っても戻って来ないから迎えにきた」
「えっ! もうそんなに経っていたの?」
「ああ。カイルさんも苛立ってるし、早く戻るぞ」
ティオが私の腕を引っ張り、体を起こそうとした瞬間、その手をリベラート様が押さえて制止した。
「彼女は俺が連れて帰るから、先に戻っていいよ」
「……べつに、三人で帰ればいいじゃないですか」
「見てわからない? 俺とフランカは今、最高に盛り上がってる状態なんだ。あと俺の前でフランカに触る」
「はぁ? 意味わかんねー……って、痛い痛い!」
ティオはわかりやすく困った表情を浮かべたが、思い切り手を握られて耐えきれずに声を上げる。
「ティオ。先に戻ってて! せっかく来てくれたのにごめんね。ありがとう。でも今は、引いたほうがいいかも」
「……わかった」
ティオは腑に落ちない様子で、ひとりとぼとぼと診療所へと歩き出した。……なんだか申し訳ないことをしちゃったかしら。
「……彼はフランカのことをとても気にかけているようだけど」
リベラート様は哀愁漂うティオの背中を見つめながらそう言った。
「ティオはいつも一緒にいますから。ほら、学園時代のルーナみたいな感じで」
「本当に彼はそれだけの感情なのかな? 多分、それ以上だと思うよ。だけど……」
「……?」
「……いいや。なんでも」
険しい顔でティオの後ろ姿を眺めながら、なにやら意味ありげな発言をしたかと思うと、すぐにいつもの優しいリベラート様へと戻る。
「名残惜しいけど、そろそろ隊長の堪忍袋の緒が切れそうだし、戻るとしようか」
「そうですね。お医者様にも怒られちゃう」
夕焼けをバックに、リベラート様は微笑みながら、怪我をしていないほうの手を差し出してくる。
あたたかな手のひらに自分の手を重ねると、照れくさい気持ちになった。
いつかベランジェールとの話も、リベラート様に打ち明けられたらいいな。そして私もできる限りのことで、魔獣の情報を調べよう。
病室まで戻りながら、私は静かにそう思った。