珍百景です
遂にリベラート様が、シレア家の屋敷へとやって来る日が訪れた。
朝から両親はそわそわして落ち着かない様子だ。それは私も同じだった。
婚約者としてリベラート様を迎え入れるなんて、どういう態度をとればいいのか。いつものようにリベラート様を雑に扱いでもしたら、両親にこっぴどくどやされるのが目に見えている。
「楽しみねぇ!」
そしてお姉様はというと、なぜか私以上に朝から入念な準備をしていた。ばっちりな化粧に新しいワンピースをおろし、ヘアアレンジもして気合十分といった様子だ。実際に、いつもより美しさに磨きがかかっている。
……これは完全に、リベラート様を落としにかかっているわね。
リベラート様はどういう反応をするんだろう。普通だったら、なんの迷いもなく私から乗り換えそうだが、なにしろ彼の動きは読めない。
だけどもし、リベラート様がお姉様のほうがいいって言うのなら私の出る幕はない。周囲から見たって、ふたりのほうがお似合いだと思うはずだ。
約束の時間である十四時。馬車が走って来る音が聞こえ、私たちは家族一同で門まで出迎えに行った。
「フランカ!」
馬車から降りて来たリベラート様は、開口一番に私の名前を呼び、満面の笑みで手を振ってきた。私が控えめに手を振り返す横で、両親がごくりと息を呑む音が聞こえる。どうやら本人を前に、緊張がピークに達しているようだ。
「リベラート様、お待ちしておりました――」
私より先に、お姉様がリベラート様の方に駆け寄る。しかし彼はお姉様をすり抜けて私の方にぶつかってきた。
気づけばいつのまにか、私はリベラート様の腕の中にがっしりと閉じ込められていた。
「ああ、フランカ! 会いたかった!」
「リ、リベラート様っ……!?」
「元気だった? 今日はすごくいい天気だね。空まで俺たちの再会を楽しみにしていたようだ」
リベラート様の言う通り、今日はここ最近でいちばんの晴天。彼は天気まで味方につけるようだ。
「リベラート様! まずはご主人様と奥様にご挨拶が先でしょう」
駆けつけて来たリベラート様の執事が慌てて言う。
「いえ。お気になさらないでください。仲睦まじいのはいいことですしな」
「ええ。見ていて微笑ましいですわ。ふふふ」
一目散に私めがけて飛びついてきたリベラート様を目の当たりにして、私が婚約者として大切にされていると悟ったのか、両親はニタニタしながらこちらを見てそう言った。お姉様はなにも言わないが、表情を見るだけで不満そうなのがわかる。
「おっと。これは大変失礼いたしました。改めてご挨拶させてください。この度フランカの婚約者となりました、リベラート・ヴァレンティと申します」
リベラート様は、優雅に私の家族の前で一礼してみせる。
まるで王子様のような笑顔と立ち振る舞いは、一撃でシレア家の人々の心を仕留めたようだ。
その後、広間でリベラート様を含む五人で談笑していると、両親がいらない気遣いをしてきた。
「フランカの部屋で、ふたりでゆっくりしてきたらどう?」なんて言い出したのだ。
もちろんリベラート様は断るはずもなく、むしろ食い気味でその案に賛成していた。
「ええ。せっかくだから、私ももっとリベラート様とお話したいわ。いいでしょう? フランカ」
私たちをふたりきりにさせまいという強い執念が、お姉様の笑顔から伝わってくる。
断る理由もないし、断ればリベラート様が帰った後にまたぎゃあぎゃあと騒ぎだしそうなため、私は仕方なく頷いた。
メイドにお茶を淹れてもらい、私とリベラート様が横に並び、リベラート様の向かいの椅子にはお姉様が腰かけている。
「改めまして、フランカの姉のアリーチェと申します。リベラート様とは、夜会以来ですわね」
「ああ。先日はどうも。あの時はあまり挨拶ができず申し訳ございません」
「いえいえ。こうしてまたお会いできてとっても嬉しいです。前回会った時からずっと、素敵な人だなぁと思っていましたの!」
両手を合わせ、少し頬を染め微笑むアリーチェお姉様。
斜め前から見ても驚きの可愛さである。演技とわかりつつも、こんな天使のような微笑みを真正面で受けて、平然としていられる男がこの世にいるわけが――。
「そう言っていただけて安心しました。俺も今日がすごく楽しみで。フランカに会えると思うと、夜も眠れなかったんです」
「……そ、そうなのですね。……リベラート様は、フランカを相当気に入っているみたいですが、なぜうちの妹をそんなに……?」
「気に入ってるとか、俺の気持ちはそんな言葉で済まされるものじゃあないです。俺はフランカに出逢って、初めて恋を知りました。そして学園時代からずっとアプローチをしてきて、やっと彼女を手に入れたんです。気に入ってるんじゃなく、愛してると言ったほうが正しいですね」
ない、と言いたかったのに。
リベラート様はそれからもずっと、お姉様の前で勝手にのろけまくっている。私は口をあんぐり開けて、ふたりのやりとりをただ無言で見ていることしかできずにいた。
「なんだか私、お邪魔かしら……?」
引きつった顔でお姉様が言う。
「そうですね。ちょっと邪魔かもしれないです」
私がフォローするよりも先に、リベラート様がさらりとそう言ってのけた。
なに言ってるんだこの男! お姉様に〝邪魔〟ですって!?
姉は驚いた顔をすると、俯いて肩を震わせた。
今まで自分の存在を否定されたことなどない姉は、邪魔だなんて言われことはない。まして異性に。
「……ひどいわ。私、妹のことが大切で。変な相手とは絶対結婚なんてしてほしくなくて、心配でついてきただけなのに」
今度は泣き落としが始まった。よくもまぁ、思ってもないことがこんなにペラペラと出てくるものだ。こんな状況なのに感心してしまう。
「悲しませてすみません。ですが、そんな心配は無用です。俺は誰よりもフランカのことを幸せにできる男ですから、安心してください」
「で、でも、信用できないわ。フランカは恋愛経験もないし、騙されているだけかもしれない。リベラート様は大層おモテになられるでしょう? それなのに、なぜフランカを……!」
「俺にはフランカしかいないからです。それ以上の理由がいりますか?」
取り乱す姉と違って、リベラート様は冷静に言い返す。
「……もういいわ! あとは勝手にやってちょうだい!」
そして、私が止める間もなく、お姉様は顔を真っ赤にさせて私の部屋からそそくさと退散した。……すごい。お姉様を言い負かすなんて。
ふたりきりになった空間に、時計の針の音だけが響く。
私はひとくちだけ紅茶を飲むと、リベラート様に言った。
「……綺麗だと思いませんか?」
私の姉は。私なんかよりもずっと。
「え? ……ああ。すごく綺麗だね」
リベラート様はそう言うと、私の顔をじっと見つめた。姉の顔と比べてでもいるのだろうか。
「本当に美しいよ。フランカ」
「いや私じゃなくて!」
「え。違うの?」
わざとなのか、天然なのかわからない。
というか、私がこのタイミングでいきなり自分のことを「綺麗でしょう?」なんて聞くわけないじゃない!
「ずっとアリーチェさんと話してたから、アリーチェさんのほうばかり見てたけど……数分ぶりにフランカを見たら、可愛すぎてびっくりした」
言いながらリベラート様が照れ笑いをする姿を見て、私は絶句した。
――こ、この男、まるでお姉様のことを眼中にないわ!
正直、姉に鼻の下を伸ばさなかった男など初めてだ。
目の前にいるリベラート様が、珍獣かなにかに見える。
「フランカ、抱きしめていい?」
「え!? だ、だめです!」
「……そこまで全力で拒否されると、さすがの俺も傷つくんだけど」
生憎私は、珍獣に抱き着かれる趣味はない。
その後も時間が許す限り、リベラート様は屋敷に居座り続けた。
一日通してわかったことといえば――やっぱりリベラート様は読めないということだ。