プロローグ
〝出来の悪い人間が身近にいると苦労する〟とはよく聞くが、出来が良すぎても苦労はするものだ。
「アリーチェは本当に綺麗ね!」
「アリーチェ様は我が国の誇りですわ!」
私、フランカ・シレアの姉であるアリーチェ・シレアは、とにかく美しかった。
私の家は子爵家で、貴族の中ではそれほど爵位が高いほうではない。しかし、姉の見た目の美しさを爵位で例えるならば、公爵を超え、むしろ王族と名乗っていいほどである。
姉は父に似た大きな薄茶色の瞳に、すっと通った鼻筋。加えて母に似たサラサラの金色の髪、口角の上がったかわいらしい唇――両親のいいところの集大成のような顔。
一方私は父に似た赤茶色の髪に、なぜか私だけくせ毛の要素がプラスされている。そのため、毛先にかけて少しうねっている。
同じく薄茶色の瞳はそれなりに大きいが姉よりは小さい。鼻も低くはないが姉よりは低い。唇も悪くはないが口角は姉ほど上がっていない。
〝百年に一度の佳人〟と称されている姉に比べると、なにもかもが劣っている。
すごいのは見た目だけではない。姉は勉強も運動も、なんでもそつなくこなせた。それなのに私はかわいそうなくらいどちらも苦手だった。
唯一姉に勝ることといえば、私にだけ魔力があることだ。
私が暮らすこのストラ王国で魔力を持つものは全体の四割ほどで、母が魔力を持っており、その力を受け継いだのは姉でなく私だった。
しかし、別に魔力があるからといって特別すごいわけではない。魔力を持つものはこの国に何人もいる。だが姉ほどの美貌を持つものは、ほかにいなかった。
幼い頃から、自分より姉が周囲から注目されるなんて当たり前のことで、私はそれに慣れていた。
母は社交の場が好きで、よくお茶会を開いていた。お茶会を開いても、みんなが群がるのは姉のところ。……あまりにも誰も私を見ようとしないから、私はみんなから見えていないのかと疑った時期もあったっけ。
そうなると、決まって私はこっそり屋敷を抜け出して、近くにある森へと向かった。突然消えてもなんの騒動にもならないくらい、私は空気のような存在だったのだ。
森に入ると、いつもひとりで魔法の練習をした。
私は土魔法の使い手だ。
その影響もあってか、土をいじるのが好きだった。同時に草や花も好きになり、自然に触れられる森の中は私にとって、美味しいお茶やお菓子のある空間より天国だった。
屋敷の庭で、素手で土に触っていると、母に『行儀が悪い』と怒られたことがある。姉からは『土魔法はフランカにぴったりね』と鼻で笑われた。
屋敷で好きに土を触れないぶん、森で思う存分土や花と触れ合った。
もちろん遊びではなく、メインは魔法の練習だ。土から石ころを生み出してみたり、砂で人形のようなものを作ったりと、地道に魔法の腕を上げていた。
――土魔法を極めれば、私も注目してもらえるかもしれない。お父様やお母様に、褒めてもらえるかも。
そういった劣等感が、私を動かしていた理由のひとつでもあった。
たまにどうしようもない寂しさが自分を襲ってきた時は、森でひとりで泣いたこともあった。そのたびに、森に吹く心地良い風が、私の涙を乾かしてくれた。
そんな毎日が続き、私が十二歳の頃、ある事件が起きる。
いつものように、私は退屈な時間の暇つぶしに森に来ていた。その日はシロツメクサがたくさん咲いていたので、魔法の練習はそっちのけで、花冠を作って遊んでいた。
完成したものをかぶってみる。鏡がないので自分の姿を確認できないが、私より姉のほうが似合うだろうなと思い、ひとりで勝手に落ち込んでいた。
「それ、かわいいわね。似合ってるわ」
「……え?」
すると、背後から声が聞こえた。
今……私にかわいいって言った? かわいいなんて、言われたことなかったのに。
振り返ると、とても綺麗な長い黒髪をなびかせた、なんともいえない色気を放っている二十代後半くらいの女性が立っていた。
「かわいいって、私のことですか?」
「ええ。とてもかわいいわ」
「そ、そんなっ! お姉さんもすごくお綺麗です! ……私よりきっと、これが似合うと思います!」
突然言われた言葉が嬉しくて、恥ずかしくて……私はなぜか、勢いで花冠をその女性の頭の上に乗せてしまっていた。
「……あ、やっぱり。似合ってる」
花冠を乗せた女性を見てぽつりとそう呟くと、女性は驚きながらもすぐににこりと微笑んだ。
「うふふ。ありがとう。おもしろい子ね。これ、アタシがもらってもいいの?」
「もちろん! プレゼントします!」
女性は嬉しそうに、自分の頭に乗った花冠を触る。
そして、ずいっと身を乗り出すと、屈んで私と同じ目線に立ちこう言った。
「それじゃあかわいいお嬢さん。お返しに、あなたの願いをひとつ叶えてあげるわ」
妖艶な眼差しが、私を捕らえて離さない。
私はわけがわからず、何度もぱちくりと瞬きをした。
「……願い?」
「ええ。なんでもいいから言ってみなさい」
なんでも願いを叶えるなんてそんなこと、簡単にできるわけがない。
女性は私をただの子供と思って、冗談を言っているのだろうか。
いろいろと考えた結果、私は長年の願いを言ってみることにした。
「私――私も、恋がしたいです!」
女性の瞳が、大きく揺れるのがわかった。
――馬鹿なことを言っていると思われたかしら。でも、切実な願いだった。
今まで社交の場で気になる男性がいても、誰も私に振り向くことはなかった。みんな、視線は姉の方に向いている。
恋がしたい、そう思っても、する前に敗北が決まっている。
私も誰かに愛されてみたい。恋がしたい。そして見てみたい。恋をしたら、世界はどんなふうに映るのかを。
目の前にいる女性を改めてじっと見つめる。……こんなに綺麗でスタイルのいい女性なら、今まで散々モテてきたはず。ぜひ私に恋愛を教えてほしい。ついでに強力なライバルにも引けを取らないモテテクを伝授してほしい!
地味で我慢ばかりの毎日に、ちょっとだけ派手な色を付けてみたい。
ただ私は純粋に、そう思っただけだった。
女性はしばらく経つとくすりと笑い、私の髪を優しく撫でた。
「恋がしたいって、そんなの自分次第でいつでもできるじゃない」
「……私はいつも、する前に諦める癖がついちゃってるんです。お姉様がすっごく可愛くてモテるから。……こうやって卑屈になってるのが、そもそもいけないんだと思うんですけど」
自分で言って苦笑する。
恋ができないのを環境のせいにするなんて我ながら情けない。でも、願いと聞かれて最初に思いついたのがこれだった。
「やっぱり無理ですよね。こんな願い――」
「いいわよ。あなたを魔性の女にしてあげる」
「……魔性?」
そう言った途端、女性は私に手をかざした。全身を温かな光に包まれるような感覚。私自身になにか魔法がかけられていることに気づいた時には、もう光は消えていた。
「……あなたはアタシがかけた香り魔法によって、〝男を虜にする香り〟を身に纏ったわ」
「香り?」
「ええ。甘い香りのフェロモンみたいなものかしら」
森に行ってから屋敷に帰ると、いつも『土と草のにおいがひどい』と侍女に嫌な顔をされてきたこの私が、男を虜にする香りですって!?
自分で自分のにおいを嗅いでみる。……土と草の混じったにおいしかしない。
「自分ではわからないと思うけど、その香りには男を呼び寄せ虜にさせる効果がある。つまり、あなたは異性に対して自動的に魅了魔法を発動する体になったってわけ」
魅了魔法というのはその名の通り、使った相手を発動者に夢中にさせる魔法だ。人の心を動かす魔法は、選ばれたトップレベルの魔法使いしか使うことができない。
そんなすごい魔法を、私が? しかも自動的ですって……?
いまいちピンときていないが、本当かどうかはともかく、女性の言うことが嘘とも思えなかった。
「あ、あの、私が魔性の女になるのと恋をすることになんの関係が……」
「ええ? だってその体質なら男を選び放題よ。イコール、恋愛し放題じゃない!」
「……」
どうやら私と魔女の間は、そもそも最初から認識の違いがあったらしい。
恋がしたい=モテたいって意味ではなかったのだが……。
「……そもそも、あなたは一体?」
「アタシは魔女よ」
「ま、ままっ、魔女っ!?」
あっけらかんと答える、魔女と名乗る女性。
魔女といえば、ストラでは悪魔と契約し、あらゆる強大な魔力を手に入れた恐ろしい存在といわれている。
花冠を乗せ楽し気に笑うこの女性が恐ろしい魔女とは、にわかには信じ難かった。
「アタシは今、世界中を渡り歩いているの。今日はあなたに会えていい日だったわ。それじゃあね」
ヒラヒラと手を振りながら、魔女はそう言って瞬く間に姿を消した。
私は呆然とその場に立ち尽くし、しばらく動くことができなかった。
さっきの不思議な感覚――あれは、魔女が私に〝モテる香り魔法〟を本当にかけたというのか。それとも、今の出来事は全部夢だったのか。
頭の整理が追いつかないまま、日が暮れる直前に屋敷へと戻った。
いつもなら泥のついた洋服や体を見て、使用人たちがため息をつくのだが……この日は違った。
「フランカお嬢様、おかえりなさいませ!」
「今日もまた土魔法の練習をしていたのですか? 綺麗な手に泥がついております。私が落としてさしあげます!」
「いや、その仕事はわたくしめが!」
その場にいた男の使用人が皆、態度を急変させ私を取り囲んだ。侍女やメイドたちは目を丸くしてその光景を見ていた。そして、ひとりの執事が私に言った。
「お嬢様、今日はとてもいい香りをしていらっしゃいますね」
「!」
魔女の言葉を思い出す。
『あなたは今日から、男を虜にする〝香り〟を身に纏ったわ』
「……ど、どうしよう」
こうして、今まで誰からも注目されなかった私は魔女の手によって〝魔性の女〟ならぬ〝魔性の令嬢〟となってしまった。