黒天狐と勇者
「いいのかな……私、こんな幸せで……」
「えっと、そういうのは恥ずかしいのであまり言わないで貰えますか?」
「だって……これってデートだよね?」
「まぁ、そうなりますかね?」
「そうか……夢、ではないよね」
「夢じゃないですよ。ほら、ちゃんと前を見て歩いてください。人がいっぱい居るのですから」
「う、うん! えへへっ」
大変です。
ラインハルトさんが壊れました。
何処に行ってもずっとこんな調子でブツブツ言いながらにやけ、何度も夢じゃないかと僕に尋ねてくるのです。
その度に僕は夢じゃないと伝えるのですが、それでも暫くするとまた尋ねてくるのです。
本人は喜んでくれているみたいなので僕は構いませんが、傍からみたら完全に不審者にしか見えない気がします。
ただでさえ、今日のラインハルトさんはおめかしして綺麗で目立っているのに、ずっとこんな様子なので余計に注目を浴びている気がします。
「それで、次は何処に向かっているんだい?」
「特に予定はありませんよ。好きな店に入って好きな物を買ったりして帝都を満喫するので」
「あれ? お勧めのお店があるって言っていないかったかい?」
「そ、それは後で行く予定ですよ?」
て、帝都には沢山お店がありますからね。
その……一直線にそこに向かっても面白くないですよね?
なので、色んなお店に寄ってみたら楽しいかなって思うのです。
「で、実際は?」
「何処にあったのかわからなくなりました」
「迷子なんだね」
「はい。迷子です」
「いつから?」
「割と、最初からだったりします」
色々と心の中で言い訳をしてをしていましたが、迷子になっていた事はあっさりとバレてしまいました。
でも、こればかりは仕方ないですよね?
僕だって帝都に来たのはほんの数回しかありませんし、そのうち観光の為に訪れたのはシノさんと出かけた時とシアさんと出かけた時のたった二回しかありません。
たったそれだけで軽くナナシキの数倍はありそうな場所を覚えるのは無理に決まっています。
それに……。
「今日のラインハルトさんが綺麗すぎるから悪いのですからね?」
頑張って平然を装ってはいますが、正直ドキドキします。
このドキドキが何なのかわかりませんが、つい見惚れてしまうほどに、今日のラインハルトさんはとても綺麗です。
もちろん、普段が綺麗じゃないという訳ではありませんよ?
ただ、普段はかっこいいと思う事が多かったので、そっちの印象の方が強かっただけです。
まぁ、それもあって余計にギャップにやられているのかもしれませんけどね。
「そ、そっか……そう言って貰えると、嬉しいかな」
「ラインハルトさんが嬉しいなら良かったです」
「うん。嬉しいよ」
「そうですか」
「「…………」」
困りました。
普通に会話していたつもりなのに、いつの間にか気まずい空気が流れてしまいました。
普段なら何気ない会話が出来るのに、今日はどうしてかそれが出来ません。
でも、いつまでもこうしていては、折角のお出かけなのに、ラインハルトさんに申し訳ないですよね。
なので、一度大きく息を吸って吐き、心を落ち着けました。
よし、これで大丈夫です。
ですが、その行動はしっかりと見られてしまっていたようで、ラインハルトさんは不安そうな顔で僕の顔を覗いていました。
「だ、大丈夫かい? もしかして、私と出かけるのはやっぱり……ん?」
「違いますよ。ただ、お姉さんとして僕が引っ張ってあげようと、気合を入れなおしていただけです」
言ってはいけない事を言いそうだったので、僕はラインハルトさんの口に人差し指をあて、話を遮り、代わりにそう伝えました。
すると、ラインハルトさんは少し恥じらった顔を見せましたが、肩の力が抜けたように笑ってくれました。
「お姉さんなのは私なんだけどね」
「いいえ。今日は僕がお姉さんですよ。今日のラインハルトさんは頼りないですからね」
「そうかな……そうかも、しれないな。それじゃ、今日の所はユアン殿に任せようかな」
「はい! 最初からそのつもりだったので任せてください。では、最初はこっちから回ってみましょうか」
「うん……って、ユアン殿?」
「何ですか?」
「その、手……」
相変わらず、何処に向かえばいいのかわかりませんが、これ以上迷子になるのはいけませんし、これだけの人が居る中で離れ離れになってしまったら大変なので、はぐれないようにラインハルトさんの手を握ると、ラインハルトさん慌慌てふためきました。
「手を繋いだくらいで何を慌てているのですか?」
「だって、いきなり手を握られたらびっくりするじゃないか……」
「ほぼ初対面の状態で僕の肩を抱いてきたのにですか?」
「そ、それは仕方なくだったんだよぅ」
とてもそうは思えませんけどね。
あの時……あれはラインハルトさんが勇者としてセーラと共にナナシキへと訪れた時でしたね。
その時に、サンケの街へと向かうためにラインハルトさんと共に行ける所まで一緒に転移魔法で移動をしたことがあるのですが、その時に移動為と言って、肩を抱かれたのですよね。
「へぇ、ラインハルトさんは仕方なく、僕の肩を抱くんですね?」
「あっ、違う。今のは言葉の綾でね? ユアン殿の事が好きなのは本当で、今も手を握って貰えるのは凄く嬉しいのだけど……少し手汗が気になって、ユアン殿に不快な思いをさせてないか不安になって……」
なんだか僕が苛めているみたいになってきちゃいました。
実際、ラインハルトさんの反応は面白いのでつい調子に乗ってしまいますが、これではいつまで経っても先へと進めませんね。
「それを言ったら、僕だって緊張していますので、手汗をかいていると思いますよ。ラインハルトさんは気になりますか?」
「全然気にならないよ! むしろ、それもご褒美というか……」
ご褒美ではないと突っ込みを入れるべきでしょうか?
でも、そうするとまたラインハルトさんが慌てそうなので、今のは聞かなかった事にして、僕はラインハルトさんの手をひきました。
「なら気にする必要はないですよ。ほら、それよりも時間が勿体ないので、少しでも長い時間は楽しみませんか?」
一日というのは長いようで短く、楽しい時間であればあるほどあっという間に過ぎてしまいますからね。
「そうだった、ね。うん、ごめん。確かに折角の楽しい時間を無駄にする訳にはいかないね」
「はい、その調子です。それに、恥ずかしいのは最初だけなので直ぐに慣れますよ」
「それは、経験則かな?」
「まぁ、そうですね」
最初は街中でシアさんと手をつなぐ事すら恥ずかしかった記憶があります。
それも不思議な事に恋人になる前から手をつなぐ機会はあったのですが、その時は全くに気にならなかったのに、恋人になってから突如として恥ずかしくなったのです。
ですが、それも最初だけで手を繋ぐ事が当たり前になってからは全く気にならなくなりましたね。
っと、これではシアさんとの約束を破る事になってしまいますね。
今日はラインハルトさんだけを見てあげて欲しいと言われていますので、今はシアさんの事はあまり考えないようにしないといけません。
何よりも、一応はデート中なので、その最中に別の女性の事を考えるのはラインハルトさんに失礼ですからね。
そもそも、結婚しているにも拘らず、他の方とデートしている時点で両方に失礼だと言われたらそれまでですけどね。
ですが、これは二人の許可というよりも、二人の案なので今回は問題ない筈です。
「では、改めて。行きましょうか」
「うん。今日はよろしく頼むよ」
「はい、こちらこそ」
相変わらずノープランですが、僕たちは帝都の街を歩き始めました。
ですが、それが結果的に良かったのかもしれません。
知らない事を知れる喜び。
今日はそれが沢山ありましたからね。
知らない街、知らないお店、知らない人。
そして、知らなかったラインハルトさんの素敵な一面。
今日は沢山それがありました。
いえ、違いますね。
それも、ありましたが正しいですね。
だって、今日はまだ終わっていません。
むしろ、帝都でのデートはオマケみたいなもので、本来の目的ではありません。
「ラインハルトさん、入りますよ?」
覚えていますか? ラインハルトさんとの約束を。
僕は忘れてはいません。
ラインハルトさんはあの日、確かにこう言ったはずです。
『一晩でいいからユアン殿を独り占め……というのはどうかな?』
僕はそのお願いを叶えるために、ラインハルトさんの待つ部屋の扉をゆっくりと開けたのでした。




