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鳴尾、西宮が舞台の小説

ベースボールタウン鳴尾

作者: 恵美乃海

プロローグ


物心が付いたときから祐也のまわりには野球があった。それがごく当然のように祐也の毎日は野球一色になった。幼稚園児の時は園庭で野球をして遊び、小学生になれば休み時間には常に野球をする。下校すれば、すぐにグローブとボールを持って外に行く。友達が集まれば、それが何人であっても野球の試合をして、友達がいなければひとりで壁に向かってピッチングの練習をする。あたりが暗くなって家に帰っても祐也はそのままの格好で家の壁に向かってボールを投げてキャッチする(幸か不幸か祐也の家は鉄筋コンクリート造りだった)。祐也の家の壁は隙間なくボールの跡がついた。


親にせがんで、春夏の高校野球の大会、プロ野球の試合もしばしば見に行った。やがて、祐也は自分の居住する土地が野球に関しては特別な土地であることを知った。祐也にとっては当たり前のことであったが、かくもまわりに野球が存在するのは、祐也の育つこの土地だけであるということが分かったのだ。祐也は自分にこの幸運をもたらせてくれたなにものかに感謝した。


祐也の家のまわりには、さほどの距離を置くこともなく、三つの球場とそれぞれを本拠地とする三つのプロ球団があった。祐也はやがてその中のひとつ、彼の家から最も近くに存在する球場とそこを本拠地にする球団に特別な感情をもった。

その球団、鳴尾パイロッツは三つの球団の中でも、最も安定して強かった。

祐也が野球を意識して見るようになったとき、パイロッツは黄金時代のさなかだった。

リーグ優勝はしても日本一にはなれない、という時期もあったが、総じて言えば、日本プロ野球史上でも有数と言うに足る黄金時代をその球団は演じた。


そしてその球団のスターには、祐也の居住する市内の高校、鳴尾第一高校、鳴尾中央高校の出身者が多かった。

鳴尾パイロッツ同様、その二校もまた、高校野球史上でもある程度の期間、強豪校と呼べるだけの実績を残した学校だったのである。

祐也の夢、それは、将来は鳴尾第一高校に入学して甲子園出場を果たし、さらに鳴尾パイロッツに入団して鳴尾球場で活躍することであった。


鳴尾パイロッツはその全盛期において十三シーズンで九度のリーグ優勝、内四度の日本一を達成した。プロ野球史上、この時代は鳴尾時代と称されることもあった。

(その同じ時期に、四度のリーグ優勝、三度の日本一を達成した、やはり同じ鳴尾市を本拠とする阪神タイガース。

五度のリーグ優勝、二度の日本一を達成した、東京を本拠とする読売ジャイアンツ。

さらには、鳴尾パイロッツと同じパシフィックリーグで、三度のリーグ優勝、三度の日本一を達成した、鳴尾市の隣り、西宮市を本拠とする阪急ブレーブスも含め、四強時代と称されることもあったし、鳴尾・西宮時代と称されることもあった)。


パイロッツの、茶色を基調にしたホーム用ユニフォーム。

黒を基調に灰色で縁取られたトップス、灰色を基調に外側の横に黒い縦のラインが入ったボトムスのビジター用ユニフォームは、当時の少年の憧れであった。


パイロッツの黄金時代を彩った名選手は、


富島悠一。鳴尾第一高校が全国大会(選抜)で、初めてベスト4に進出したときのエース。そのとき、彼は二年生(新学年)の春であった。二年夏はベスト8。中退してパイロッツに入団。新人の年に十二勝二十五敗。勝率324。防御率3.34。三百十八イニング投げて奪三振百四十五。

二年目は、十五勝十九敗。勝率441。防御率3.13。三百二イニング投げて奪三振百五十二。

そのシーズンオフに事故により退団。プロ在籍は二年のみ。その年はまだパイロッツが黄金時代を迎える前であった。背番号19。右投(下手投)、右打。172cm、67kg。

引退後、俳優となる。女優兼歌手であった前畑姉妹の妹、富島より四歳年上の尚子が妻である。結婚時の年齢は、二十歳と二十四歳。尚子は離婚経験があり、再婚であった。


秋川昌ニ。鳴尾第一高校が初めてベスト4になったとき、準々決勝の対戦相手であった早稲田第二高校の四番でエース。彼もこの時、高校二年生であったが、富島が被安打七、与四球ニ、奪三振七。秋川が被安打四、与四球四、奪三振五であった投手戦の末、一対二で敗退。二年夏は一回戦敗退。三年春はベスト4。三年夏はベスト8であった。高校卒業後、パイロッツに入団。入団後打者に転向。主に中堅手。六年間在籍し、通算打率、二割四分六厘。通算本塁打、二十九本。心疾患を発症して引退。背番号は35。右投右打。174cm、76kg。

引退後は、野球解説者兼タレントとなる。妻は前畑姉妹の姉、秋川より六歳年上の侑子。結婚時の年齢は、二十二歳と二十八歳。

1年目 375打数 88安打 235 ホームラン2本

2年目 499打数120安打 240 ホームラン5本

3年目 518打数129安打 249 ホームラン6本

4年目 531打数136安打 256 ホームラン4本

5年目 505打数128安打 254 ホームラン8本

6年目 342打数 80安打 234 ホームラン4本


通算 2770打数681安打 246 ホームラン29本




肥田順。富島、秋川と同年。鳴尾第一高校卒。高校二年では外野手兼投手。富島が中退したあとは鳴尾第一のエースとして、高校三年春ベスト4。高校三年夏ベスト4。卒業後、パイロッツに入団。九年間在籍して百三十四勝百二十七敗。勝率513。

肩の故障により引退。背番号21。右投右打。177cm、76kg。


行岡正。鳴尾第一高校から鳴尾総合大学出身。外野手(主に右翼手)。パイロッツに十一年在籍。通算打率二割九分六厘。ホームラン三百十三本。背番号9(永久欠番)。右投左打。176cm、78kg。首位打者一回。本塁打王二回。打点王二回。シーズンMVP三回。シリーズMVP一回。


浅見薫平。岡山学院高校から鳴尾総合大学出身。投手。パイロッツに十三年在籍、通算百九十勝百十三敗。勝率627。背番号13(永久欠番)。左投左打。180cm、74kg。新人王。最多勝一回。最優秀防御率一回。最優秀勝率二回。最多奪三振二回。シーズンMVPニ回。シリーズMVP一回。


倉田虎三郎。山口県東周防実業高校出身。捕手。パイロッツに十八年在籍、通算打率二割七分二厘。ホームラン三百七十六本。背番号10(永久欠番)。右投右打。177cm、82kg。打点王一回。シーズンMVP一回。シリーズMVP一回。


立川準造。鳴尾中央高校出身。投手。パイロッツに十八年在籍、通算二百十三勝百四十四敗。勝率597。背番号14(永久欠番)。右投右打。174cm、76kg。最多勝一回。最優秀勝率一回。シーズンMVP一回。


宮島鮎太。鳴尾第一高校出身。遊撃手。パイロッツに十九年在籍、通算打率二割八分五厘、ホームラン百七十四本。盗塁四百五十。守備の名手であった。背番号8(永久欠番)。右投右打。169cm、65kg。盗塁王三回。シーズンMVP一回。シリーズMVP一回。


平山速雄。鳴尾中央高校出身。外野手(主に左翼手)。パイロッツに十七年在籍。通算打率二割九分三厘。本塁打二百六十八本。背番号5(永久欠番)。左投左打。179cm、76kg。首位打者二回。シーズンMVP一回。


彼らは全て鳴尾パイロッツにおいてそのプロ生活を全うした。時代背景も現代ほどトレードは盛んではなかったが、鳴尾パイロッツは特にその傾向が強く、主力選手を他球団に出すことはなかった。


尚、上記の選手たちの中で名球会入りしたのは、

倉田虎三郎、立川準造、宮島鮎太、平山速雄の四人。


そして、この四人に加えて、行岡正、浅見薫平の二人、合わせて六人が、殿堂入りしたのであった。



鳴尾パイロッツが黄金時代を迎えていた同じ時期、この国において野球に次ぐ人気スポーツであった相撲の世界には、かつての横綱、神天陽(本名は宮本文夫)の、三人の息子が登場した。


長男の定夫の四股名は神天勇。中学卒業と同時に入門。十八歳五ヶ月で十両昇進。十八歳十一ヶ月で幕内昇進。

新入幕の場所は五勝十敗でいったん十両に落ちるも一場所で再入幕。以後八勝七敗を三場所続けて前頭四枚目まで昇進したところで、事故のため、致命的な故障が発生して引退。このとき十九歳。179cm、144kg。


次男の守夫の四股名は神天勝。高校卒業と同時に入門。序ノ口六勝一敗。序二段、三段目をいずれも七勝で優勝して一場所で通過。幕下は五勝。七勝(優勝)。六勝と続けて十両昇進。十勝。十二勝(優勝)で二場所で通過。新入幕の場所で十二勝。前頭筆頭で九勝。翌場所の小結昇進を決めたところで、網膜剥離を発症して引退。このとき二十歳。175cm、136kg。


父の神天陽(182cm、141kg)は、二十二歳で横綱に昇進したが、故障により二十六歳で引退。その優勝回数は四回にとどまった。


長男、次男が、それぞれ十九歳、二十歳の若さで引退することになったときは栄光と悲劇に満ちた一族として喧伝された。


三男の治夫の四股名は神天剛。同年代時期で比較すれば、兄ふたりより軽量で、十両、幕内への昇進スピードは、兄達より遅かったが、兄ふたりの無念を晴らし横綱に昇進。

優勝六回。

が、彼もまた故障により二十七歳の若さで引退した(横綱昇進時は、二十四歳)。

178cm、134kg。


彼ら三人のライバルとしてうたわれたのは、神天陽の同時代の第一人者で優勝二十回(内全勝優勝四回。対戦成績、桜山21ー6神天陽)を数えた名横綱、桜山(186cm、151kg)のひとり息子、若桜のち横綱、桜山(本名は小木辰乃助)、優勝九回(内全勝優勝一回、対戦成績、若桜3ー0神天勇、若桜2ー0神天勝、若桜・桜山16ー12神天剛)。181cm、153kg。


さらに横綱、朝日洋(本名は椎野久通)、優勝八回(内全勝優勝二回、対戦成績、朝日洋1ー0神天勇、朝日洋2ー0神天勝、朝日洋15ー8神天剛。朝日洋21ー19桜山)。182cm、142kg。


この五人は、力士としてみた場合、その体躯は、当時であっても長身力士とは言えなかったが、その時代では重量級といえるアンコ型タイプであった。

が、各力士とも技量にすぐれ、見て面白い相撲を取った。

大相撲史上の中では、その体形、実績からやや小粒なイメージはあったが、華やかな雰囲気を持ったひとつの時代を形成したのであった。


彼らのまわりにいた名力士は、その前の時代の主役、双葉山の再来と言われた横綱、天川(優勝十八回、内全勝優勝四回)。

そのライバルで体つき相撲ぶりが太刀山に似ていると言われた横綱、相模灘(優勝十回、内全勝優勝三回)。

小兵、押し一筋の横綱、最上川(優勝五回)。

小兵でありながら投げ技を得意として、豪快な相撲を取った横綱、若出雲(優勝三回、内全勝優勝一回)。 

巨漢で悠揚迫らぬ相撲を取った大関、伊吹山(優勝二回、内全勝優勝一回)。

小兵、その動き飛燕の如しとうたわれた大関、平城桜ならざくら(優勝一回)。

闘志の権化と言われ激しい相撲を取った大関、旭岳(優勝一回)。

風格のあった老練大関、金竜。

天川の弟弟子で、体型も相撲の取り口もそっくりだったことから「小型天川」と言われた関脇、天錦。

さらに双子の力士、関脇、月ノ花と関脇、雪ノ花。


これら個性的な力士に彩られ、人気の点で、双葉山時代、栃若時代にも準じると言える時代が形成されていたのである。



1  ベースボールタウン


かつて存在した兵庫県鳴尾市は別名ベースボールタウンと呼ばれていた。日本全国でも十六しかないプロ野球のチームの内、二つの球団がこの町を本拠地にしていた。

さらに、鳴尾市に隣接する西宮市にもプロ野球チームがあり、この地域は日本でも最も野球熱の高い土地であった。


かつて鳴尾市にあった二球団の内のひとつ、セントラルリーグに所属する阪神タイガースの本拠地である甲子園球場は春の選抜大会、夏の選手権大会、二つの高校野球の全国大会が開催される球場でもあった。

阪神タイガースの親会社が大正十三年、甲子の歳に完成したこの球場は東洋一と称される名に恥じない、収容人員は五万人を超える大球場であった。


 今、その球場は超満員の観客であふれていた。春の選抜大会の決勝戦がまもなく開始されようとしていたのだ。


 決勝戦のカードは神奈川県代表の川崎学院高校と兵庫県代表の阪神大学附属第二高校であった。甲子園球場に最も近い高校である阪神大二高が決勝戦に駒を進めたのは、その校名になってから初めてのことである。

 また甲子園球場の所在地であるかつての鳴尾市に所在地をおく高校が決勝戦に進出したのは実に久しぶりのことであった。地元の中の地元が優勝まであと一歩のところまできたのだから、球場内の熱気はすさまじいものがあった。そして、一塁側アルプススタンドの川崎学院高校の応援席を除けば、場内は阪神大二高の応援一色に染まっていた。


 阪神大二高のエースは左腕小沢正太郎。一八四センチの長身から投げ下ろす速球と大きく曲がるカーブを武器に決勝までの四試合中三試合を完封。ここまでの失点はわずかに一という快腕ぶりを発揮していた。

 そして打の中心は四番早川義雄。ここまで十四打数七安打で打率は五割。ホームランも二本放っていた。


 対する川崎学院高校の投打の主役は一人で兼ねる。エースで四番の橘孝一である。投げては、ここまでの四試合で完封二試合、通算の失点は三。打っては、十五打数八安打。打率五割三分三厘。


 この橘孝一こそ天性のスターと言うべき選手であった。彼の甲子園における戦歴は華麗だ。高校一年の夏から高校二年の夏に至るまで、三回の全国大会全てに甲子園出場をはたしていた。一年の夏はベスト8。橘は外野手で五番打者。二番手投手として二試合にリリーフした。二年生となってからは、エースで四番。春は準優勝。夏はついに全国制覇をはたした。去年の秋、新チームとなってからは、キャプテンという重責も加わった。


 そしてこの春、四度目の甲子園出場となったわけだが、あと一試合で夏春連覇というところまでこぎつけたのである。

彼のスター性を際立たせるもう一つの要素は、彼が川崎市に本拠をおく川崎ユニオンズの主力打者、橘雄一の長男であるということだ。

 川崎ユニオンズはパシフィックリーグにおいて、南海ホークス、西鉄ライオンズ、阪急ブレーブスの三球団と並んで四強と称されるだけの成績を毎年残してきている有力球団である。橘雄一はその川崎ユニオンズの主砲であり、四年前からは選手のまま監督も兼任していた。高校を卒業してすぐ川崎ユニオンズに入団した橘雄一は結婚も早く、孝一は彼が二十歳の時に生まれた。彼の妻、そして孝一の母である久美子は映画に主演したこともある高名な女優であった。雄一よりは三つ年上になる。結婚と同時に、女優を引退して以後主婦業に専念。孝一をはじめとして三人の子供を育てた。


 橘孝一は野球においては父の才能を受け継ぎ、容姿においては母の美貌を受け継いでいたから彼の人気たるや大変なものであった。ここまで人気のあった選手は過去の高校野球史においても稀であった。本大会においても彼は人気の中心であったが、対戦相手が甲子園球場から指呼の間に存在する阪神大二高となれば、今日だけは、敵役となるのも致し方ないところであった。


 川崎学院高校と阪神大二高は昨年の夏に既に対戦していた。準々決勝で顔が合い、川崎学院高校が勝った。スコアは五対ゼロ。川崎学院高校の完勝であった。ゆえにこの決勝戦は、阪神大二高にとっては雪辱戦でもあった。昨夏敗れてから、七ヶ月余り。阪神大二高にとっての雪辱戦は最高の舞台で実現した。


一塁側の内野席に三人の少年と一人の少女の一団が座っていた。少女は美人というにはまだいささか幼さが残っているが、美少女と称しても恥ずかしくないのでは、と言えるだけの顔立ちはしていた。 だが、そのことばから連想されるイメージからいえばいささか体形が太めであった。しかし、人好きのする愛くるしい表情の持ち主であり、同じ年頃の男子生徒のなかには、彼女に思いを寄せる者が多数いるであろうことは容易に想像できた。


「富美ちゃん。どうだい、橘さんは」

少年のうちの一人が少女に話しかけた。

この四人はこの春甲子園球場からさほど遠くはない市内の中学を卒業した。四月からは高校生となる。


 この決勝戦については、当然地元の阪神大二高が陣取る三塁側に座ることを希望したが、チケットがとれず、一塁側となってしまった。しかし、川崎学院高校の、ダッグアウトのすぐ上の席が取れたので、今をときめく橘孝一の姿を間近に見ることができた。それにこの席であってもまわりの観客はほぼ阪神大二高を応援している様子であったから居心地は悪くない。

「テレビで見るより実物はもっと素敵ね。何かそこだけが輝いている感じ」

「おやおや、君の隣に座っている男の子だって結構素敵だと思うけどなあ」

「そうね。芦原君はうちの学校の女の子に一番人気があったものね。バレンタインデーではチョコレートはいくつ集まったんだっけ」

「二十四個。大したことはないよ。それに本命の女性からはもらえなかったし」

「まだ言っている。だから、うちのお姉ちゃんには付き合っている人がいるって言ったじゃない。それにお姉ちゃんは芦原君より四つも年上になるのよ」

「それくらいがちょうどいいんだよ。同い年の女の子はガキ過ぎて話しが合わない」

「あら、悪かったわね」

「あーあ。今年も道人に負けたか。しかも去年より差が開いたな。俺は十五個だったものな。去年は差は五個だったのに。何でかな。俺のほうが道人よりハンサムなんだけどなあ」

「佑ちゃんは芦原君みたいに女の子と気軽に話さないものね。近寄りがたい雰囲気があるのよ。もっともそこがいいという女の子も多いんだからいいじゃない」

「十五個ももらって贅沢なこと言うなよ。俺は一個だったんだから」

「あら、秀ちゃんは一個だったの。でもその一個って」

「そう、ふーちゃん、君にもらった一個だけです」

「そうだったんだ。秀ちゃんは渋くていいと思うけどなあ。でも高校生になったらきっともてるよ。秀ちゃんこの一年でずいぶん背が伸びたものね。一年前は私とそんなに変わらなかったのに。かっこよくなったよ」

「ありがと。それに高校に行ったら、道人も祐也もいないわけだからね。少しはもてるかなって期待している」

「ふうん、秀ちゃんもそんなこと考えているんだ。意外ね。女の子には興味がないのかと思ってた。でも、芦原君と秀ちゃんと佑ちゃんの三人がみんな別々の高校に行くことになるとは思わなかったな。去年の夏が夢みたい」


 三人の少年、芦原道人、桜井秀一、牧野祐也は同じ中学で同じ野球部に所属していた。そして一緒にいる少女、久保富美代はその野球部のマネージャーだった。去年の夏、彼らは中学校の全国大会に出場を果たし、そして優勝した。同市内の中学としては、二年前、小沢と早川がいた中学(道人たちとは別の中学だった)のベスト4を上回る快挙だった。


 祐也がエースで一番。道人が準エースで普段はセンターを守り四番を打った。投手としての投球のスピードも、打者としての飛距離も道人が祐也を上回っていた。が、道人は野球選手としてまだ荒削りで制球力、打率においては祐也が上だった。そして、秀一はキャッチャーで五番だった。


 富美代と祐也と秀一は幼なじみだった。幼稚園の頃から富美代も交えて三人は野球で遊んだ。何と言ってもベースボールタウンと呼ばれていた街に住む少年と少女。二人集まればもう野球が始まるという土地柄だ。


 そして小学五年生の夏。友達同士の中でも際立って野球のうまい祐也と秀一に(富美代もこの頃までは祐也たちに劣らない技量を示していた。中学生になって以降、体力差はいかんともしがたくなった。富美代はそのことを本気で悔しがり、しばらく落ち込んだ)道人が加わった。


 有名人を父親にもつということについては、実は道人は橘にさほど劣るわけではない。道人の父親は相撲取りだった。元大関秀乃川である。さらに言えば母方の祖父は元横綱秀乃川である。


 初代秀乃川である祖父が部屋持ちの親方であり、二代目秀乃川である父が後継者となることを約束された相撲部屋が道人の実家であったが(その後、名跡交換を行い、二代目が部屋を嗣いだ)、三人兄弟の真ん中である道人は、兄の行人と弟の信人が、幼い日から当然のごとく力士を目指したのに対して、何故か野球に興味を持ち、小学校高学年になって以降は、実家の稽古場にはほとんど立ち寄らず、野球ばかりして遊んだ。


 小学校五年生の夏休み。道人は初めて一人で旅行をした。行く先はベースボールタウン、鳴尾市である。

高校野球の開催期間中に合わせて、甲子園球場の近くに宿をとり、一週間の予定で滞在した道人だったが、すっかりこの土地に魅了されてしまった。


 朝から夕方にかけては、高校野球を見て、夜はプロ野球を観戦した。甲子園球場を本拠とする阪神タイガースは球場を高校野球に明け渡して恒例の夏のロードに出ていて不在であったが、鳴尾球場を本拠とする、鳴尾パイロッツの試合を見た。

 東京でも何度かはプロ野球を見た経験はあったが、初めて見る高校野球は、数年後の自分の姿をその場所に置くことを道人に決意させた。そしてベースボールタウンを本拠とする球団の試合はグラウンドとスタンドの一体感において、東京のそれをはるかに上回っていた。

 何よりも観客が野球を愛して、そして野球を知っている。試合中に絶妙な野次を何度か聞くことになった道人はそう感じた。


街も素晴らしかった。

鳴尾野球博物館。

野球図書館。

野球グッズを専門に扱う店が集中する野球ストリート。

野球に関する様々な遊びが楽しめるテーマパーク「ベースボールランド」。

阪神タイガースの独身寮「虎風荘」。

鳴尾パイロッツの独身寮「飛行少年訓練所」。


街は野球一色と言っても良かった。


それは道人の実家のある両国、相撲一色であるその街を思い出させた。野球観戦の合間に道人はそれらを見てまわった。道人は堪能した。しあわせだった。そしてその日、道人はこれまた名所である野球広場を訪れた。


 野球広場は草野球のグラウンドが二十面以上並んでいる、草野球愛好者のための広場だ。大人も子供もこの場所で野球のプレーを愉しむ。道人は羨ましかった。


 道人がこの広場にやってきた時、それは夏でも暑い盛りの時間帯であり、高校野球の開催中ということもあってか、全てのグラウンドが埋まってはいなかった。ひとつひとつグラウンドを見て回っていた道人の足が止まった。


 そのグラウンドでは、道人と同じ年頃の少年達が野球を楽しんでいたが、並々ならぬ力量と思われる少年が何人かおり、特にその中のひとりが道人の目をひいた。


 その少年の投球フォームと打撃フォームは美しかった。道人には、それが相当量の練習の成果であることが理解できた。その少年はピッチャーとして適当に打たれていたが、本気を出してはいないのでは、と道人は思った。変化球が投げられるのかどうかは分からないが道人の見る限り全てストレートだった。バッターとしては、無理の無いフォームで右に左に打ち分けていた。


 三十分ばかり見ていたら、その少年がイニングの合間に道人に声を掛けてきた。


「あの、中学生ですか」

相撲取りの息子だけあって、道人は小学生には見えないだけの体格を持っていた。

「いや、小学校五年生だよ」

「へえ、それじゃあ、僕たちと同じだ。大きいなあ。ねえ、ずいぶん熱心に見ているけど、良かったら一緒にやらないか」

「いいの」

「うん、見てのとおり元々人数は足らないし、それに奇数だから君が入ってくれたら丁度いい」

「分かった。ありがとう」

その少年のチームは六人。相手のチームは七人だった。当然、その少年のチームに入るのだろうと思っていたら、その少年は相手チームで、道人が見るに最も技量が劣ると思われる少年を自分のチームに入れて、道人を相手方のチームに入れた。


 道人が入ったチームは守備の番だった。


道人は新参者の常として外野を守ることになった。チームが変わった少年もその守備位置だった。先程までのゲームを見ていても感じたことだが、道人はこの広い外野を一人で守らないといけないようだ。ただショートは通常の守備位置よりかなり深めに守っているので、道人はセンターから、ややライトよりに構えた。


 三人が打席に立って四人目がその少年だった。右のバッターボックスに入った。一死一,二塁となっていたが、ランナーはふたりともフォアボールでの走者なので、道人のところにはまだボールは飛んできていなかった。


 一球目は外角に遠く外れた。二球目は内角でストライクのコースだった。道人はレフトの方角に動いた。快音が響いた。打球の行方を見て道人は全速力でレフト方向に走った。が、打球は早く、道人の俊足をもってしてもノーバウンドでは取れそうになかった。道人はワンバウンドで取ることに目標を変更してより深い位置に向かって走った。ワンバウンドで打球に追いついた時点で二塁ランナーは三塁ベースを蹴っていた。道人は投げた。小学生とは思えない速い球がキャッチャー目がけてノーバウンドで返ってきた。道人の投げた球がホームベース上を通過した時、三塁ランナーはまだホームベースに達してはいなかった。が、そのランナーはアウトにはならなかった。それどころか、三点が追加された。キャッチャーが道人の球を取れなかったのだ。道人の球は、思わず首をすくめたキャッチャーのミットの上をかすめてバックネットまで転がっていった。その間にランナーだけでなく、その少年もダイアモンドを一周した。

そのグラウンドにいた少年全員(ひとり少女が混じっていた)が道人のほうを見た。


 ようやく道人のチームが攻撃する番になった。すでに九回裏である。道人のチームはまだ一点も取れていなかった。あっという間にツーアウトになり、道人の打順となった。


 右打席に入って構えた。その構えを見てピッチャーマウンドに立つ少年がプレートをはずした。深呼吸をして再びプレートを踏んだ。

振りかぶって投げられた球はこの試合で少年が投げた最も速い球だった。ど真ん中だったが道人は見送った。快音を響かせてキャッチャーミットに収まった。

二球目、同じスピード、同じコースだった。道人はバットを振った。打球は外野のフェンスを超えた。だが、打球はファールラインよりも、向かって左に切れていった。

その打球を見ていた少年達から大きなどよめきが起こった。

「へえ、祐ちゃんが……」「あんなところまで打たれた……」

と口々に騒いでいた。


 ピッチャーマウンドで打球を見ていた少年が振り返った。

「まいったなあ。ライトに飛ぶのならまだしもレフトにもっていかれちゃったか」

少年は三球目を投じた。また、同じコースだった。

 道人はかっとした。「叩きのめしてやる」瞬時にそう思い、左足の開きをややためて、バットの始動をほんの少し遅らせた。完璧なタイミングのはずだった。が、道人のバットは空を切った。

 少年の投じた球は大きく外角に曲がっていった。これまで道人が見たことのない大きなカーブだった。キャッチャーは難なくこのカーブをキャッチした。このとき道人は初めて気づいた。あのスピードボール、そしてこのカーブを簡単にキャッチするこの少年もまた相当な技量を持っているということに。


 これが、道人と祐也、秀一、富美代との出会いだった。言うまでもなく、この時のピッチャーが祐也であり、キャッチャーが秀一、少年に混じって野球をしていた少女が富美代である。



2 夢の街


道人と祐也たちが出会った翌年に鳴尾市の存在基盤を根底から覆してしまう大変な事態が起こった。

 

 兵庫県鳴尾市に本拠を定める鳴尾グループは元々出版業が本業であった。今もグループの中心となっているのは明治時代後期に創業された鳴尾書院である。鳴尾書院は学術書、芸術書、小説を中心に出版を行い、ある意味採算を度外視した良心的な出版社として声価も高かった。


 その鳴尾書院が大きく変貌し、また発展したのは現在の社主、浅川仁が二十代の若さで社長に就任してからだった。もともと鳴尾書院は同族企業であり、浅川仁が二十代で社主となったのも、父親である前社主が五十代の若さで急逝したからにすぎないのだが、浅川は社長に就任するやいなや、どんどん事業を拡張していった。が、彼の原動力になっていたのは、実は事業欲ではない。「自分の好きなことをやる」これだったのだ。


 彼が好きなものはふたつあった。本と野球である。本についてはいうことはない。家業そのものなのだから。が、かれは、本からの発展として、先ず、教育事業に手を染めた。そして、古くから鳴尾に存在した私立鳴尾第一高校の経営に参与してやがてその経営の全権を握った。さらにあらたに鳴尾中央高校を創設した。自分の経営するふたつの学校については、当初、文の鳴尾第一。武の鳴尾中央と性格づけ、実際そのように発展させた。が、その後、浅川の頭に甲子園の決勝戦で、自らが経営する両校を対戦させたい、という夢が生まれた(夏の全国大会は一県一代表なので無理だが、選抜大会であれば実現する可能性はあった)。そして、鳴尾第一高校にも有力なスポーツ選手を入学させるようになった(必然的に鳴尾第一はマンモス校化していった)。


 さらにこの地に鳴尾総合大学をも創立した。

 また、出版事業についても良心的な薫りは失わないながらも、スポーツやマンガ、アニメ、青少年の教育事業等へ、その分野を広げていった。


 そして、浅川が次に乗り出したのがプロ野球球団の経営であり、さらに近年整備を進めてきた鳴尾市のベースボールタウン化構想であった。

 浅川の夢はどんどん実現していった。ベースボールタウンは彼の構想どおりに完成をみた。鳴尾市には野球に関連する、近代的で堂々たる建物がいくつも建てられた。


 彼のもつプロ野球球団、鳴尾パイロッツの本拠地鳴尾球場もまた、華麗な装飾を持った派手で豪華なイメージの球場として完成した(むろん、そのような球場が、浅川の好む理想の球場であったことによる)。


 前身の鳴尾球場がそうであったように浅川はやがて高校野球の開催を甲子園球場からこの球場に移すことを目論んでいた。その前提として五年に一度行われる記念大会では出場校が増えることもあり、一部の試合を鳴尾球場で行うことに成功した。


 鳴尾第一高校も鳴尾中央高校も次第に野球の強豪校となっていった。そして富島悠一と肥田順が鳴尾第一高校に入学したことを契機として全盛時代を迎えたのであった。


 富島の入団を契機として鳴尾パイロッツもまた黄金時代を迎えた。  

 鳴尾パイロッツの黄金時代は、鳴尾市がベースボールタウンとしての発展の時期を終え、完成をみた時期でもあった。そのとき、浅川はまだ四十代の若さであった。彼の前途には洋々たる未来がまっているはずであった。だが、やがて黄金時代の中心となった名選手達が徐々に引退の時期を迎えるようになり、さしも隆盛を誇った鳴尾パイロッツも凋落の道を歩み始めることになった。そして……

 

 鳴尾書院本社特別会議室には沈鬱な空気が流れていた。会議室に集まった鳴尾グループの経営幹部がみな押し黙っている。

 ようやく社主である浅川仁が口を開いた。

「だめなのか、どうしてもだめなのか」

 経理を担当する堀口常務が答える。

「はい、メインバンクである関西摂津銀行に見放されました。もう駄目です」

「そうか」

「社主」

森田専務が叫んだ。先代から仕えている、いわば鳴尾グループの大番頭である。

「ですから、私がいつもいつも言っていたではありませんか。本業に忠実にと。社主は野球などと言う道楽に財産をそそぎこみ、伝統ある鳴尾書院を全然別の姿に変えてしまわれた。それでももっと堅実なやり方をなされていたら、もう少し何とかなったでしょう。でも、社主のやり方はあまりにも性急でした。豪華な建物を次々に作られた。どだい立ち行くはずがないじゃありませんか。そのことは何度も申し上げたのに、社主は「日本人は野球が大好きだから、採算はとれる。かりにとれないとしても、事業家として後世に野球文化を立派な形で残したい。それが事業家としての責務だ」と。結果はどうです。パイロッツが強かった時は良かったですよ。全てがうまく循環していました。でも今ではベースボールランドにしろ、野球博物館にしろ入場者は全盛期の二割程度ではないですか」

「ベースボールタウンは残らないのか」

「残りません。我が社の資産はパイロッツと学校を除いて、全て関西流通グループに売却されます」

「関西流通グループはベースボールタウンを残してはくれないのか」

「駄目です。買い取りの際の事業計画によれば、野球博物館、図書館は改装されてデパートになります。ベースボールランドは一般的な遊園地に、そして野球広場は公園と宅地になります。鳴尾球場も取り壊されます。本拠地球団を持たないとなれば、利用されることもなくなり、維持費が大変ですから。野球ストリートも普通のショッピングセンターになるでしょう。元々ほとんどの店が赤字だったようですし」

「大学と高校、鳴一と鳴央はどうなる」

「阪神大学が引き取ります。鳴尾総合大学の学生はそのまま無条件で阪神大学に編入できます。まあもともと鳴尾総合大学と阪神大学は入学試験の難しさでいえば、ほぼ同じレベルですからね。問題はないでしょう。阪神大学は、近年学生数を伸ばしていますし、敷地が手狭になっていましたから、いくつかの学部が鳴尾総合大学のある敷地に移転してきます。また、高校教育への進出を検討していたようですから、鳴一と鳴央も阪神大学が引き取ることになりました。あちらにとっては、勿怪の幸いというところでしょう。いきなり規模が大きくなりますが、阪神大学は学校経営一本ですからね、ちゃんと目算はあるのでしょう」

森田は皮肉をきかせた。

「校名はどうなる。そのまま残してもらえるのか」

「いえ、鳴尾第一は阪神大学附属第一高校。鳴尾中央は阪神大学附属第二高校と変えられるときいております。阪神大学側は鳴尾の文字は残したくないようです」

「何なんだ、その校名は。鳴央が第二だと。」

浅川が一瞬、声を荒げた。しかし、そういう自分を恥じるかのようにすぐに声をひそめた。

「いや、やむをえんな。私には何も言う資格はない。で球団は、鳴尾パイロッツはどうなる」

「Sグループが引き取ります。当初は社主がおっしゃるように、関西流通グループをはじめとして阪神地区の有力企業に当たり、つぎに京阪、阪和、京都地区にも交渉の手をひろげましたが、どこもだめでした。だいたい、この関西地区にプロ野球が五球団あるというのは多すぎましたから」

「Sグループなら、本拠は関東になるのか」

「埼玉です。元々Sグループは、将来プロ野球の経営に乗り出す計画があったので話しがまとまりました」

「選手達は転居しなければいけないのか。なんとも気の毒だな」

「何をおっしゃっているのです。選手達は幸福ですよ。仕事があるのですから。鳴尾グループ三千人の社員とその家族は路頭に迷うのですよ」

「私の個人資産はすべて処分する。グループが残した借金に比べれば、焼け石に水だがせめてそれだけはしないと社員に申し訳ない」

「社主」

相沢が声をかけた。鳴尾パイロッツ球団社長である。

「宮島と平山には昨日、現状を伝えました。ふたりは「今季限りで引退します。パイロッツ以外の球団に行くつもりはない」と言ってくれました」

相沢はパイロッツ黄金時代を支えた名選手の中で、今も現役である最後のふたりのことを浅川に報告した。

「そうか、宮島と平山はパイロッツに殉じてくれるのか」

浅川の目から涙がこぼれ落ちた。


宮島の背番号10と、平山の背番号5は、鳴尾パイロッツの最後の永久欠番になった。

 

 浅川の脳裏に今の鳴尾市の全景が浮かんだ。それは浅川が作り上げた街だった。その街は完成してから、さほど長くもない年数でその生命を終えることになった。

「夢の街……」

浅川はつぶやいた。

財産を処分したら、浅川はこの街を離れることを決意した。人々の白眼視の中で生きていくことはあまりに苦しかったし、これから、この街が特色のない普通の街に変貌していく姿を見ることは浅川にはつらすぎた。  


 鳴尾グループの経営破綻が公になった。

 数週間後、鳴尾市が翌年一月一日をもって西宮市に編入されることが発表された。もともと鳴尾はひとつの市として成り立つには人口は問題なかったが、面積が余りにも狭いため、しばしば合併するべく行政指導を受けていたのだ。しかし、これまでは鳴尾グループの法人税という豊かな税収があり独立を保っていたのだが、数年前から鳴尾グループの経営悪化に伴い、税収は激減し、このまま独立を続けることは難しい状態になっていた。鳴尾グループの終わりにともない、鳴尾市もまた地図から消えることになった。西宮市とは対等合併ではなく、編入であった。


「阪神大学附属第一高等学校」

新しく付け替えられた校名の看板を見たとき、祐也はおのれのこころの中に暖めていた最も貴重なものがこわされたことを知った。おのれの夢は最早完全な形では決して実現することはない。祐也は将来を思い描くことをやめた。


 道人は小学校を卒業すると、中学は西宮市(旧鳴尾市区域)に転校した。道人は生まれて初めて同年齢で一緒に野球をやりたい、と思う少年に出会ったのだ。道人は祐也の家に下宿することになった。

 祐也は普通のサラリーマン家庭ではあったが、父は大企業の役員であり、それなりに広い家に住んでいた。道人の両親は、祐也の家を訪問して祐也の両親に丁重に挨拶した。祐也の父親は野球だけでなく、相撲も好きで、道人の父親、秀乃川のファンだった。


 道人が、西宮に住むことを希望している話を聞いて、ぜひ我が家に下宿してほしい、と名乗り出たのだ。

いくら申し入れられても食費以外の下宿代は受け取らなかった。


 中学時代を、祐也と道人は、ひとつ屋根の下で暮らしたのだった。


 中学の三年間、道人はこの地で野球に励み、全国大会で優勝という最高の思い出を残した。そして、道人、祐也、秀一が通った中学の野球部にはやはり相当な実力をもった選手が何人かいたのである。かつてベースボールタウンと呼ばれた土地は少年達の野球の技量においてもその名に恥じない土地であった。


 祐也たちの中学時代は鳴尾がごく普通の平凡な街に変貌していく三年間でもあった。その三年間のうちにベースボールタウンを構成した建造物は全て姿を消した。鳴尾球場、鳴尾野球博物館、野球図書館、飛行少年訓練所、野球ストリート、ベースボールランド、そして道人と祐也たちが初めて出会った野球広場。


それらは現実の世界から思い出の世界にその場所を移した。




「でも何とか小沢さんと早川さんに勝ってほしいな」

選抜の決勝戦を観戦する秀一が言う。

小沢と早川は彼ら四人と出身中学は違ったが、彼らにとっては最も身近なヒーローだった。

試合開始のサイレンが鳴った。先攻は阪神大二高。

 

 マウンドは川崎学院高校のエース、右腕橘孝一。橘は三振をどんどん奪うというタイプのピッチャーではない。ストレートのスピードはほぼ百四十キロ。高校生としては確かに速いが、そのスピードはトップクラスではあっても、決してトップではない。橘の最大の持ち味はその配球の妙にあった。


 先頭打者である安藤がヒットで出た。球場は大歓声に包まれた。二番打者の川合がきっちりとバントで送り、一死二塁で左打席に立ったのはピッチャーの小沢。打撃にも非凡なものをもっていたが、今大会はここまで十五打数四安打。調子は今ひとつであった。この打席もツーストライクワンボールのあと、ややボール気味の球に手を出し、ショートゴロに倒れた。ランナーはそのまま。


 四番の早川が右打席に向かう。スタンドから先制打を期待する拍手がわき起こった。昨夏の対戦の時、早川は四打席四打数ノーヒットであった。しかし、早川には橘に力でねじ伏せられたという思いはなかった。うまくかわされてしまった、そう感じていた。

橘の持ち球はストレート、スライダー、シンカーの三種。早川はストレートに的を絞った。


 一球目、ストレート。しかし外角のはっきりボールとわかる球だった。早川は見送った。二球目は内角低めのストレート。ストライクともボールとも判断がつきかねるコースであったが、高めが得意な早川はこれを見送った。判定はボールだった。

三球目、またストレート。今度は真ん中高めだった。ボール気味のコースだったが、早川はスイングした。結果は平凡なセンターフライだった。

場内にため息が流れた。


 一回裏、川崎学院高校の攻撃が始まった。マウンドには小沢正太郎が立つ。百八十四センチ、七十三キロ。痩身である。球種はストレートとカーブ。ほぼこの二種に限られる。が、そのストレートのスピードは百四十キロ台後半であり、カーブの曲がりの大きさもあり、イニング数を超えた三振奪取率を誇る。ここまでの四試合で奪った三振の数は四十五個。


閑話休題:選抜大会での大会通算奪三振記録は元巨人の投手、江川卓が昭和四十八年に残した六十個。この大会、江川は準決勝で広島商業に敗退しており、彼はこの記録を四試合で達成した。さらに作者の記憶では二番手投手の大橋がリリーフした試合があり、九イニングあたりの奪三振率は十六個弱になるはずである。(夏の大会では明石中の楠本保投手の三十六イニングで六十四個という記録もあります)

作者は江川の甲子園球場でのデビュー戦を球場で実見した。友人の清水保博さんとふたりで、三塁側の内野席だった。


 江川は、一年生の時から騒がれていたが、甲子園に初めて出てきたのはこの三年生になる選抜大会だった。


 大会の開会式には、この年の行進曲に選ばれた「虹をわたって」を唄う天地真理がネット裏にゲストとして来ており、まずそのまわりが騒然となった(作者は三塁側の内野スタンドにいた)。

そして、開会式の直後の第一試合に江川のいる作新学院が登場した。対戦相手は西の強豪、北陽高校。エースはのちに近鉄バファローズに入団した有田二三男である。


 今も毎日新聞社から出版されている選抜特集号には各校の戦力が点数で評価されているが、作者が初めてその特集号を購入したのもその年だった。作新学院には総合評価で九十八点がついていた。

三部門は投手力百点。打撃力九十五点。守備力九十五点。 

寸評は「江川、江川と騒がれているが打線もすごい」だったと思う。

 私の知る限り、その後これだけの総合評価の点数をつけられた高校はない。

 原辰徳がいたときの東海大相模も、桑田、清原がいたときのPL学園も、松坂のいた横浜も九十五点だった、と記憶している。

 江川がこの選抜大会にでてきたとき、秋の地区大会での通算防御率は0.00だった。


 作者はわくわくして江川のピッチングを見守った。初回は三者三振だった。その後、二巡目の四番打者まで十三人の打者に対して四球が二個あったが、あとは全て三振だった。まるで劇画を見ているようだった。その時点で、作者には十年の野球観戦歴があったが、それ以前も、それ以後もあれほどすごいピッチングは見たことがない。

では、本文へ


 が、川崎学院高校の打線は強力である。一回戦、十四対一。二回戦、六対ゼロ。準々決勝戦、五対二。準決勝戦、五対ゼロ。これが本大会のここまでの川崎中央学院高校の戦績である。


 投打の主役は橘孝一であることは間違いないが、橘を間にはさんだ、川崎学院高校のクリーンアップは破壊力があった。


 三番はライトの沼田誠。橘とともに一年からレギュラーポジションを獲得した。左打ちで甲子園での通算の打撃成績は六十九打数二十八安打、ホームラン四本。今大会に限れば十六打数十安打ホームラン一本。


 四番はピッチャー橘孝一。右打ち。甲子園での通算成績は六十七打数三十安打、ホームラン二本。今大会は前述したように十五打数八安打。


 五番はファーストの岡崎大介。二年の秋になって、ようやくレギュラーの座をつかんだが、力量のアップは目覚ましく、秋季大会、練習試合でクリーンアップの一角として充分な成績を残した。右打ち。甲子園通算、十九打数六安打、ホームラン二本。今大会は十五打数五安打、ホームラン二本。


「橘君と阪神大二高の打線の対決以上に小沢君と川崎学院の打線の対決がこの試合のポイントでしょうねえ」

テレビの解説を行っていた、大阪出身で、元慶應義塾大学のアンダーハンド投手であった、藤田正樹さんの柔らかな関西弁が電波にのった。


 昨夏、二試合連続完封で準々決勝戦にのぞんだ小沢は川崎中央に五点をとられた。しかも、橘にはホームランを打たれてもいた。それは、小沢にとって甲子園の本大会での彼にとっては唯一の被本塁打であった。


 一番の宮本から三振を奪ったものの二番の平岡に四球を許し、一死一塁で小沢は川崎中央のクリーンアップを迎えた。クリーンアップの前に走者を出さないとの小沢の目論見は果たせなかった。

沼田が左打席に立つ。沼田は左投手を苦にしない。今大会は橘以上に好調である。


 ツーボールナッシングから、カーブがやや甘いコースにはいったところを打たれた。打球は左中間かなり深いところまで飛んだが、レフトの鳥越が好補した。


 続いて橘である。敵役でありながら、場内のボルテージは、先程、早川が打席に立った時に劣らなかった。特に一塁側アルプススタンドの川崎学院高校の応援団は騒然となった。


 小沢には橘ほどの制球力はない。小沢は球威で勝負するピッチャーであった。一球目外角寄りストライクゾーンに決まったストレートを橘は見送った。二球目のストレートは低めに外れた。三球目、これもストレート。真ん中やや低めの球。橘の好きなコースであったが。橘は見送った。ストライク。四球目、小沢はここでカーブを投げたが、外角にはっきりとわかるボールであった。五球目、ストレートが高目一杯に決まり、橘はこれも見送った。三振だった。スタンドから大歓声が沸き起こった。


 両軍ともゼロが続く。四回表一死ランナーなしから早川が敬遠気味の四球で出たが、続く五番の浅野が三振。六番の樋口がセカンドゴロに打ち取られた。


 圧巻はその裏だった。三番の沼田から始まったこの回、先ず沼田を見逃しの三振。四番の橘には、一球ボールのあとの二球目のカーブを狙い打たれたが三遊間を抜くかと思われたライナーをショートの宮井がジャンピングキャッチした。ファインプレーである。そして、五番、岡崎を空振りの三振。これが小沢の奪った七個目の三振であった。ここまで小沢は川崎学院高校を四球二つでノーヒットに押さえていた。


 六回表、この回の先頭打者、一番の安藤がこの試合彼自身二本目、阪神大二高にとっては、三本目のヒットを放った。が、二番川合のバンドは橘の正面をつき、ランナーは二封された。


 続いて三番小沢、ワンストライクワンボールからの三球目、橘には珍しい失投だった。甘いコースに入ったストレートを捉えた小沢の打球は左中間を深々と破り、一塁ランナーの川合は長躯ホームイン、打った小沢は三塁ベースに駆け込んだ。


 阪神大二高は橘孝一から十五イニング目にして初めて得点した。

スタンドの熱狂は最高潮に達した。


 尚も一死三塁の追加点のチャンスでバッターは四番の早川。一塁側ベンチから伝令がピッチャーマウンドに走った。川崎学院高校の内野陣が集まる。


伝令が監督の指示を伝える。

「監督は、早川と無理に勝負をすることはない。敬遠したかったら敬遠してもいい。判断は橘にまかせる、と言われた。どうする」

橘は少し考えたが、

「早川と勝負する」と答えた。

「そうか、やっぱり勝負したいよな。ここで逃げたくはないだろう」

ファーストの岡崎が橘に声をかけた。

「いや」

橘は頭を振った。

「敬遠するのが最善だと思えば敬遠するさ。しかし、ここで早川を歩かせたら、次のバッターはスクイズを仕掛けてくるだろう。そうなれば読み合いだ。半分以上の確率で見破るという自信はないからな」

「しかし、かりにスクイズするカウントを見破れなかったとしても、お前の球の切れなら、スクイズ自体を失敗する確率だって相当に高いぞ」

岡崎が反論した。

橘は何も答えず、にやっと笑った。

キャッチャーの大野が口をはさんだ。

「橘さんははこう言われているのですよ。「相手にスクイズさせる危険性より、早川さんと勝負する危険性のほうが低い」ってね」

川崎学院高校の内野陣が、それぞれの守備位置に散った。

あるいは敬遠かと考えた観客はキャッチャーの大野がしゃがんだのを見て歓声をあげた。

スタンド中が固唾を呑む。


「さてと」橘が早川を見る。

「外野に打たせてもいけないわけか。となればあの手を使うか」

橘と大野のバッテリーは通常は二年生である大野がサインを出すが、ランナーが出ると橘がサインを出す。が、この試合前にランナーの有無に関わりなく、早川が打席の時は橘がサインを出すと決めていた。

一球目、ストレート。はずれた。

二球目もストレート。これもはずれた。場内が騒がしくなった。

三球目もストレート。これも大きく外れた。

観客はキャッチャーを座らせただけで実質的には敬遠であると察した。場内が騒然となった。

四球目もストレート。これはストライクだった。

が、ノースリーで手を出すほどの好球ではなかったから、早川はこれを見送った。

五球目もストレート。これもストライクゾーンに入ってきたが、これもワンスリーで手を出していい球とは思えなかったから、早川は見送った。

六球目、速球が外角をついてきた。コースははっきりとしたストライク、早川はスイングした。「打てる」と思ったがバッドは空を切った。スライダーだった。

これが、この日、橘が早川に対して初めて投げた変化球だった。


五番の浅野も三振に倒れ、阪神大二高の追加点はならなかった。この時点で橘の奪三振数は四個。


 七回裏、川崎学院高校は三番の沼田からだった。ここまで、小沢は四球三個を与えただけでノーヒットピッチングだった。(川崎中央には併殺打が一個あった)三振はここまで九個。

そして、むろん、ここまでくれば、ノーヒットノーランという文字もこの試合を見つめる人々の脳裏に去来した。


 だが、初球のストレートを沼田はセンター前にヒットした。ちらっと人々の脳裏をかすめただけで、ノーヒットノーランは夢と消えた。それだけではない。得点差はわずかに一点で、ノーアウトのランナーが出た。しかも迎えるバッターは四番橘孝一。一塁側アルプススタンドではまだ校歌が歌われていたが、校歌を歓声が圧した。


一打席目、二打席目と橘が考えていたのは、高めのストレートは捨てるということだった。これまでの研究で、同じストレートでも小沢の場合は低めより高めのほうが球威があるということを橘は見て取っていた。速球投手によくあることだが、高めにくるほうが球が伸びるのだ。球威があるだけでなく、ストライクと思っても実はボールとなる球も多かった。また、橘はパワーヒッターではなく、巧打者であり、速球よりは変化球を打つほうが得意であった。橘はツーストライクまではカーブに絞って、ツーストライクになったら、カーブに加えて低めのストレートにも手を出すと決めていた。


だが、沼田への投球を見て、橘は小沢の球威が落ちてきているのを感じていた。橘は、方針を変えた。ストライクは振っていく、と決めた。


一球目、高めのストレートだった。振った。バックネットへのファールだった。「まだ、球威はある」橘は感じた。「しかし、タイミングはあっている」とも思った。

この最大の敵、昨夏、小沢の投じたカーブをレフトスタンドに放り込んだ男に対して、小沢は残る力を振り絞った。

 

 二球目、三球目、ストレートが外れた。四球目、キャッチャー浅野のサインはカーブだった。たしかにここで一球変化球を混ぜることは必要であろう。全球ストレートで橘からアウトを取ることは難しい。浅野の意図は理解できた。今のカウントがツーワンであれば、カーブはボールにして、次のストレートで勝負したいところだが、ワンスリーとしてしまえば、フォアボールが怖い、ノーアウトで逆転のランナーを出すことになる、二球目、三球目がともに外れてしまったせいだが、如何ともし難かった。橘がストレートを待っていることを祈って小沢はカーブを投じた。ストライクゾーンに入った。橘のバッドが快音を発した。


 ボールはレフトに飛んだ。飛距離は充分だったが、わずかにレフトポールの左に打球は落ちた。ストレートを続けられたことにより、タイミングがわずかにずれた。


 小沢はもうストレート以外、投げることができなくなった。覚悟を決めた。五球目、ストレート。ファール。六球目、ストレート。ファール。七球目、ストレート。ボール。八球目、ストレート。この日小沢の投げた最高の球だった。球は高めに伸びて、橘のバッドは空を切った。三振。この試合十個目。三塁側アルプススタンドがいや、球場全体が揺れた。


 一死一塁。五番岡崎。今日は二打席二三振。

 が、橘を三振に奪ったことで無意識のうちに心に隙ができていた。初球ストレートに球威はなく、コースも甘かった。岡崎の打球は左中間スタンドに飛び込んだ。二対一。川崎学院高校が逆転した。

 

 八回裏、ランナーひとりを置いて四打席目が廻ってきた橘のタイムリーヒットにより三点目が追加され、三対一となった。


 九回表先頭打者の早川は、この試合で橘が初めて早川に投じたシンカーでセカンドゴロに倒れた。  

 そして試合は終了した。


 川崎学院高校の夏春連覇がなった。小沢の三振は十個から付け加えることは出来なかった。


 一塁側内野席で、三人の少年はそれぞれの思いを抱いて試合を見守った。


 芦原道人は特に大きな感銘は受けなかった。あえて言えば、小沢のピッチングを「なかなかいいな」と思ったが、「俺に比べればスケールが小さい」とも感じた。

 橘については、自分よりもてそうな顔をしているのが気に入らなかった。「夏になったらたたきのめしてやろう」と決心した。


 桜井秀一は試合を決めたのが橘でも小沢でも早川でも、まして沼田でもなく、最高学年になってレギュラーの座を射止めた男であったことに感銘を受けた。


 牧野祐也は橘孝一を、現時点でおのれの目指すべき理想の選手と思い定めた。橘はずば抜けた速球投手でもなければ、長距離打者というわけでもない。が、今の高校球児の中での最高峰の選手である。(祐也はこのあと、父に頼んで録画していたこの日の試合のテレビ放送を繰り返し見ることになる)


 祐也もまた、おのれが速球投手にも長距離打者にもなりえないことを中学の三年間で思い知らされていた。

 橘と比較してもスケールはさらに小さい。橘には百七十八センチの身長がある。祐也の身長は百六十六センチだった。常に野球とともにあった日常生活により、小学生時代の祐也の投げる球は同年齢の少年達の中では抜群の速さを誇っていた。

 が、長ずるにつれて体格に恵まれない祐也の球の速さは常識的なレベルに取り込まれていった。

 自分はどれほど鍛えてもストレートが百四十キロに達することはないであろうし、甲子園球場でホームランを打つこともできないであろう。それを認めることは祐也にはとてもつらいことであったが、そこから出発すること。見果てぬ夢は追わず、自分の限界を知り、その中で最高の野球選手となること。鳴尾商業高校に入学して甲子園の全国大会に出場する。そしてさらに将来はプロ野球、それも地元である鳴尾パイロッツに入団して鳴尾球場で活躍すること。それが、小学生時代の祐也がおのれの未来に思い描いた夢だったが、その夢がこわされてしまった今となっては、自分の限界の中で可能な限り最高の野球選手になるということだけが祐也の目標だった。


 こうして、三人の少年は別れた。

 


3 少年達の新たな日々


 芦原道人は実家に戻り、東京都内で、何度か甲子園に出場したこともある、日本商業大学附属江戸川高校に入学した。


 桜井秀一は、阪神大学附属第二高校に入学した。

 

 牧野祐也は、阪神大学附属第一高校に入学した。校名変更してからは甲子園の全国大会の出場経験はない。が、ここに来て第一高校も、学校側が野球の優秀な中学生を集めることに力を入れだした。


 今年の新入生には昨夏の全国中学生野球大会の優勝メンバーが祐也以外にも何人かいた。

 また、地方からも数名の野球留学生が入学した。野球留学生は本来、少しでも甲子園に出場する可能性を増やすために都会の少年が、予選出場校が比較的少なく、また野球のレベルもそう高くはない地方に留学するケースが通常であったが、今年に限っては、中学生野球大会の優勝メンバーが大挙入学ということを聴き、腕に自信のある何人かの少年が阪神大学第一高校に入学してきたのである。


 久保富美代もまた、阪神大学第一高校に入学した。家のある場所からいって、ごく普通の選択であったが、結果として富美代は自分が一番近くにいてほしい、と思う少年と同じ高校を選んだことになった。



 道人は三年ぶりに東京に住むことになった。

 彼の実家「淡路部屋」は国技館にほど近い両国の街にある。

淡路部屋は瀬戸ノ海部屋を本家とする瀬戸ノ海一門に属する。


 道人の父の二代目秀乃川、現在の淡路親方は元大関であった。この時、四十歳。母の秋子は元横綱、六回の優勝を誇る初代秀乃川、現在の三草山親方の次女である。

 長女の春江は二代目秀乃川と同い年で、派手な顔立ちと活発な性格の持ち主であり、両国小町と唄われた美人であった。

 初代は二代目秀乃川をこの長女の婿養子にと考えていたが、二代目が選んだのは自分より三歳年下で控えめな性格の秋子のほうであった。


 秀乃川と秋子が結婚した翌年、長女の春江は淡路部屋と同じ一門である旭川部屋の黒潮と結婚した。

 

 秀乃川より二歳年上になる黒潮はこの結婚した年に大関に昇進した。翌年、秀乃川も大関に昇進した。個性あふれる華やかな力士たちの時代の中で、黒潮と秀乃川は地味な存在ながら、渋好みのファンの支持を集めた。両者の対戦成績は秀乃川がやや上回った。

 

 道人の兄、行人は道人より二歳上になる。中学を卒業と同時に淡路部屋に入門した。十七歳にして早くも幕下に昇進している。四股名は秀ノ海


 弟の信人はこの春、中学生となった。小学生時代、わんぱく相撲で好成績を残しており、三年後の淡路部屋への入門を心に決めている。


 淡路部屋は四階建てである。四階には淡路親方夫妻、三草山親方夫妻、信人、妹の幸子に加えてこの春から道人が住む。三階は関取の個室である。現在は幕内力士である若秀山、秀王山。十両の大秀の三人が個室を占めていた。二階は幕下以下の力士の大部屋である。


 道人が再び家族と一緒に住むようになったことを表面上、最も喜んだのは弟の信人と末っ子であるただひとりの妹、今度小学校五年生になる幸子だった。

 道人は弟妹の面倒見が良く、二人は幼い頃から「道兄」「道兄ちゃん」と呼んで、慕っていたから、兄が三年間離れて暮らしたのはとても寂しいことだったのだ。


 帰ってきた翌日、信人の強い頼みで道人は久しぶりに廻しを締めて実家の稽古場に立った。相撲に関心がない、とはいっても育った家であるから、過去に道人が廻しを締めたことは皆無ではない。小学校低学年までは、かなりの頻度で稽古をしていたから基礎はきちんとできていた。

 兄弟同士で久しぶりに胸を合わせた。弟の信人とは十数番取った。さすがに全て道人が勝ったが、かなり手こずった。弟が強くなっていることに道人は驚いた。

 兄の行人とは三番取ったが、全くかなわなかった。


 道人を交えた兄弟同士の申し合いを、淡路親方、秋子、三草山親方、三草山親方夫人、幸子が上がり座敷から嬉しそうに見守った。

 

 「ねえ、道兄」

稽古上がりの風呂の中で信人が道人に話しかける。


 「道兄はやっぱり高校に入って野球を続けるの」

 「ああ」

 「学兄ちゃんはこの春に入門するんだよ。知っているでしょう」

 「うん、聞いてるで」

 学とは、旭川親方(既に黒潮が部屋を嗣いでいた)と春江との間に生まれた彼らの従兄の名前だった。道人とは同学年にあたる。学は一人っ子だったこともあり、幼い頃から彼ら兄弟とはよく遊んだ。

 「道兄も入門したら、学兄ちゃんと同期生になるのに」

 「そやな。でも俺には別の夢があるねん」

 「前に言っていたね。牧野さんと甲子園で対決したいっていうことなの」

 「そや」

 「牧野さんてそんなにすごい人なの」

 「ああすごいで。一見そういう風には見えへんし、本人も自分のことをそれほどすごいとは思うてへんみたいやけどね」


 行人が風呂場に入ってきた。

 「おう、久しぶりだな三人で一緒に風呂にはいるのは。俺は、今は二階の住人だから一階の風呂でしか、一緒には入れないからな」

 「兄貴、強いな。全然かなわなかったな。小学生の時は、少しは抵抗できたんやけどなあ」

 「そうか、お前はそう思うのか。なあ道人、俺はプロだぞ。この二年間をそう甘く考えないでくれ」

 「うん、で、いつごろ関取になれそうやねん」

 「だから、そんな甘い世界ではないって。でもまあ、来年には上がってみせるよ」

 

 もし、先頃行われた春場所で行人が関取になっていたら、貴花田(貴乃花)の関取昇進の年齢よりも若く関取となっていたことになる。そして、そのためには春場所がタイムリミットだったのだが、事実はその春場所で初めて幕下に昇進したにすぎない。もっとも、であっても相当なスピード出世であることは間違いない。周囲からは三代目として、祖父、父に並ぶだけの力士になることを期待されていた。


 閑話休題:史上最年少関取の記録は第六十五代横綱貴乃花光司がもっている。十七歳二ヶ月である。

その前の前には彼の父親であるのちの大関貴ノ花がその記録の保持者だった。十八歳だったその記録をのちの横綱北の湖が十七歳十一ヶ月で昇進して一ヶ月更新。その記録を貴乃花光司が大幅に更新した。貴乃花光司は横綱昇進年齢以外のほとんどすべての若年記録をもっている。

 横綱昇進にしても双羽黒以降昇進条件がやたら厳しくなったが、それ以前の慣例でいけば、平成五年名古屋場所後には昇進していたはずであり(優勝、優勝同点(優勝決定戦で敗退)と続いていた)、であればこれまた北の湖の記録を三ヶ月更新していたはずであった。

 昇進の速度だけでいえば、貴乃花光司以上の力士もいたが、年齢も考慮にいれれば、貴乃花の昇進スピードというのは驚異的なものであったというしかない。

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 信人がさっきの道人との会話を行人にも訊かせた。

「そうか、結局お前が選んだのは、俺ではなく牧野君だったか」

「俺やないって、何ゆうてんねん。兄貴と対決はできんやないか。たとえ違う部屋に入門したかて兄弟は対戦できんやろう」

「そうだな。あのなあ道人。あれはお前が鳴尾に行って、俺がまだ入門する前だったから三年前のことだな。酒を飲んだときに親方がこう言われたんだ。「もし、道人が相撲をやっていたら、兄弟の中でも一番強くなっただろう」ってな。そしてこうも言われていた。「兄弟のうちの誰かが横綱になって、太刀持ちと露払いをあとの二人がやる。三兄弟による横綱土俵入りを見るのが俺の夢だ。あの伝説の三兄弟、神天勇、神天勝、神天剛だって活躍した時期がずれていたから、同時に幕内力士だったことさえなかったんだから」ってね」


道人は言葉を返すことができなかった。

「なあ、道人。兄弟でも戦えるぞ。優勝決定戦ならな」

「……」


「ところで道人」

「なんや」

「お前のその変な関西弁なんとかならんか。向こうで暮らす内にそうなったのか」

「いや、むこうでは標準語でしゃべっとったわ。なんせ、花の東京出身のシティーボーイで売ってたんやから」

「相変わらず変なやっちゃなあ。あかんうつってしもうたわ」


 道人はむろん、大相撲に入門することなく、当初の予定どおり日本商業大学附属江戸川高校に入学して、野球を続けた。入部してすぐにエースとクリーンアップの座を手に入れた。そして、春の都大会で優勝し、夏の全国大会の東東京予選では、一躍優勝候補の筆頭と評価されることになった。


 祐也が入学した阪神大学附属第一高校で、同時に野球部に入部した新入部員には、祐也と同じ中学出身者で、全国大会優勝メンバーが何人もいた。他府県からの留学組も含めて

彼らはいきなりレギュラー陣に割ってはいるだけの実力を示したのであった。


 久保富美代も中学時代に引き続いて野球部のマネージャーになった。新入生で女子マネージャーになったのは富美代だけで、先輩も三年生がひとりいただけだったから、忙しかった。


 阪神大学第二高校にもやはり西宮市内から、阪神間から、そしてそれ以外の地方から多くの有望な選手が野球部に入部した。が、選抜大会の準優勝高校だけに新入生にとってレギュラーポジション獲得への道は相当に険しかった。


 春の兵庫県大会で、阪神大学附属第一高校はベスト4まで進出した(この県大会では優勝した阪神大学附属第二高校とは顔が合わなかった)。大本命の阪神大学附属第二高校という存在はあったものの、夏の全国大会の予選では優勝候補の一角に名を連ねることとなった。

 

 阪神大学附属第一高校野球部の、夏の予選のベンチ入りメンバー十八人が発表された。

 祐也はベンチ入りのメンバーにはいり、レギュラーナンバーも与えられたが、その背番号は6だった。

 背番号1は同じ一年生の湯沢がつけることになった。春の兵庫県大会で、湯沢と祐也はほぼ同じイニングを投げた。防御率では祐也のほうが良かった。さらに制球力については祐也がはるかに良かった。が、祐也のストレートのスピードが130キロ台の前半だったのに対し、湯沢のそれは140キロを超えていた。将来性を考慮して、監督の細江は湯沢にエースナンバーを与えた。ただ、祐也の打撃の確実性は群を抜いていたから、祐也は投げないときはショートを守った。


 湯沢は岡山県出身で身長百七十三センチ。投手としては小柄だが、躍動的なピッチングフォームで、左腕から、速球をずばずば投げ込んだ。三振奪取率はイニング数を超える。ただ、コントロールには難があり、与四球率もイニング数とほとんど変わらない。陽気な男でさわやかな印象を与えた(内面もさわやかかどうかは分からない)

 湯沢以外でレギュラーポジションを獲得した一年生は、3番を与えられた志野貢。

 祐也たちの中学が全国大会で優勝したときの三番打者である。性格は無口。人付き合いも良くない。だいたい、選抜大会の決勝戦。チームの一番打者と四番打者と五番打者が一緒に観戦しているのに、この三番打者は誘われることもなかった。尊敬する野球選手は川上哲治と榎本喜八。

 部室でその話題になったとき、志野は珍しく能弁だった。

「川上はバッティングの奥義をつかもうとしてついには球が止まって見えるようになった。榎本は、シーズンの途中で、あるとき、突然神の領域に到達して、やることなすことあらゆることが思うどおりになるということを経験したんだ。その状態は約三週間続き、その間は驚異的な打率を残した。俺もいずれはその境地まで到達したい」

 彼がその話をしてから、それまで以上にだれも彼に話しかけなくなった。


 里見信也は4番を獲得した。やはり、祐也たちと同じ中学の出身で、二番を打っていた。祐也よりもさらに小柄だが野球をよく知っている。中学ではキャプテンだった。しかし彼にはキャプテンらしからぬ性癖があった。吝嗇なのだ。家が貧しいというわけでは決してない。貧しいどころか、彼の父親は関西流通グループの総帥である。だから、彼が吝嗇なのは持って生まれた性分というしかない。選抜大会の決勝戦。彼は祐也たちに誘われたのだが、球場に着くと「俺は外野で見る」と言ってひとりでそちらの方向に去っていった(高校野球の場合は甲子園球場の外野席はただである)。家から持参したお茶をいれた水筒と、朝御飯の残りをつめた弁当箱を持って彼はひとりで観戦した。道人、秀一ともうすぐ別れることになるのだ、などという感傷は彼にはない。


 2番を与えられたのは相川浩介。大阪河内の出身。体型は太い。キャッチャーにはずんぐりした体型の持ち主が多いが、彼はずんぐりしているというよりははっきりひとこと「太っている」といえばそれでいい。バッターとしてはかなりの飛距離を誇る。今の祐也の、一番の悩みのたねが彼だった。相川は良くギャグをとばす。それが少しも面白くないのだ。類型的で手垢のついたようなギャグしか相川は言わない。バッテリーの和を考えれば、「ここは笑わなければいけないところなんだ」と祐也の内心の声は告げるのだが、祐也はどうしても笑えない。そこで笑ってしまうと、おのれがこれまで培ってきた存在基盤がくずれてしまう。祐也はそう思った。たしかにこの世の中で、少しも面白くないギャグに笑わなければいけないということほどつらいことはないであろう。祐也は誇り高い少年だった。このセンスで、どうして笑いに最も厳しい河内で生き残って来られたのだろう。祐也は不思議だった。おそらくは、彼の体型が、彼を一見強そうに見えさせ、彼の身を守ったのだろう。

 

 一方祐也のライバルである湯沢は相川のギャグに対しては、ちゃんとにっこりとした表情を作っていた。あるいはあたかも受けたかのような声を出すこともあった。祐也には湯沢も少しも面白いとは思っていない、ということは一目瞭然だったが、彼がうまく対応していることは理解した。

「湯沢がエースナンバーをもらったのはこれが原因かな。監督が見ていて、湯沢のほうが相川と相性がいい、と思ったのかも」


 祐也も一度だけ、相川のギャグに受けたかのような対応をしてみせたことがあった。「大人にならなきゃ」と決心した末の行動だったのだが、普段は全く受けない祐也が受けたものだから、相川は何度も何度も同じギャグを繰り返した。

 祐也はその都度、誠実に笑った。その日の練習が終わり家にたどり着いたとき、祐也は自分がひどく疲れていることを感じた。そして激しい自己嫌悪の気持ちに苛まれてしまい、以後は相川のギャグを再び黙殺することにした。

 祐也は桜井秀一が懐かしかった。


 「秀一」

 祐也はこころの中で秀一に呼びかける。

 「お前さえ同じ高校に入ってくれていたら、こんな苦労はしなくてすんだのに」


 その桜井秀一は阪神大学附属第二高校の野球部に入部した際、ポジションはキャッチャーではなくピッチャーを希望した。

 彼は元々、地味なポジションの中で自分の喜びを見つけるというような性格ではない。祐也と違う学校を選んだのもそれがひとつの大きな要因だった。彼は女房役ではなく、旦那さん役がやりたかったのだ。


 その野球部には選抜大会準優勝投手がいたが、来年には卒業する。

「祐也も道人もいなければ、俺がエースになれるだろう」

秀一はそう思った。

さらに

「祐也も道人もいなければ、俺はかなりもてるのではないだろうか」

とも思った。


 秀一の希望は監督に受け入れられた。受け入れられたら受け入れられたで、「全国大会で優勝したチームのキャッチャーなんだから、少しは引き留めんかい」などとも思った。

 

 五月になって、秀一がピッチング練習をしていると監督の塚田が「お前、下から投げてみろ」と秀一に告げた。塚田にしてみたら、何人もいる投手がみんな上手投げなので、ひとりくらいアンダースローの投手も作っておこう。とりあえず、投手経験も浅く、背も高くはないこいつにしておこう、程度の思惑だったのだが、秀一にしてみれば、全国大会に何度も出ている経験をもつ塚田が、自分の中にアンダースローピッチャーとしての大きな素質を見出したのだろうと解釈した。

 「サブマリン・シューか。かっこいいじゃないか」

と勝手に自分のニックネームも決めて、以後アンダースローの習得に励んだ。杉浦、秋山、皆川、足立、山田。そういったピッチャーの研究をした。特に山田のピッチング論は何度も読んだ。


 夏の予選。秀一もベンチ入りを果たした。背番号は11。上級生が10をつけて、名目上は第三投手の扱いであったが、春の県大会が終わる頃には実質的には小沢に次ぐ第二投手の座を手に入れていた。またバッティングも認められて、投げないときも時にライトとしてスターティングメンバーに名を連ねることが多くなった。 



4 最高の場所へ

 

 夏の予選が始まった。阪神大学附属第一高校も、阪神大学附属第二高校も、日本商業大学附属江戸川高校もそして川崎学院高校も順調に勝ち進んだ。


 このなかで最初に甲子園出場を決めたのは川崎学院高校だった。


 全国で最も多くの参加校を数える最激戦区神奈川にあっても川崎学院の強さは圧倒的だった。


 新たな話題としては橘雄一の次男、孝一の弟の栄二が川崎学院に入学してメンバーに加わった。栄二は孝一に次ぐ第二投手として二試合に先発、二試合にリリーフ(いずれも大量にリードしたあと)した。通算二十イニング投げて自責点は二。又投げないときも外野を守り、沼田、橘孝一、岡崎の、クリーンアップトリオのあとの六番を打った。


 次に日本商業大学附属江戸川高校が東東京大会で優勝した。

 芦原道人がひとりで予選の全イニングを投げた。六試合五十イニング投げて(コールドゲームが二試合あった)、失点二。自責点一。被安打十三。与四球二十三。奪三振七十二。完封五試合。内ノーヒットノーランが二試合(内一試合はコールドゲームでの参考記録)

 打撃については、初戦と二戦目は五番だったが三戦目からは四番を打った。通算、三十打席二十一打数十四安打、打率六割六分七厘。ホームラン四本。打点十。大活躍であった。元大関の息子という話題性もあり、マスコミにも大きく取り上げられた。プロ野球の監督兼主砲の息子、橘兄弟との対決を期待されることになった。


 そして兵庫県も決勝戦の日を迎えた。決勝に駒を進めたのは阪神大学附属第一高校と阪神大学附属第二高校だった。決勝戦は甲子園球場で行われた。


 阪神大学附属第二高校の桜井秀一はここまで一試合に完投、一試合にリリーフで使われ通算十一イニングで失点は一点だけだった。


 阪神大学附属第一高校は、ここまでの六試合は湯沢と牧野祐也が交互に先発して各々全て完投していた。湯沢は、完封は一試合。通算失点は四。一方の祐也は三試合全てに完封していた。


 決勝を前にして、細江監督は先発投手の選択に迷ったが、彼が指名したのは当初の予定どおり湯沢だった。安定感は祐也のほうが上だが、祐也の技巧的なピッチングでは、第二高校には通用しないと判断して、パワーのある湯沢をぶつけた。前日の準決勝戦で祐也が投げたので一日休養しているということも湯沢を選んだ大きな理由だった。但しそれは、細江がこの日を予想して、勝ち抜けば、七試合戦うことになる奇数戦目に湯沢を先発させていたのだった。祐也のここまでの失点ゼロのピッチングも、細江監督の最初の計画を覆すにはいたらなかった。有り体に言えば、細江は技巧派ではなく本格派のピッチャーが好きということだった。決勝戦で祐也は投げないときの常であったが、ショートを守ることになった。


  決勝戦のスターティングメンバーが発表された。

 先攻は阪神大学附属第二高校。

一番センター安藤(三年:右投右打)、

二番セカンド川合(二年:右投右打)、

三番ピッチャー小沢(三年:左投左打)、

四番サード早川(三年:右投右打)、

五番キャッチャー浅野(三年:右投右打)、

六番ファースト樋口(二年:左投左打)、

七番レフト鳥越(三年:右投右打)、

八番ショート宮井(二年:右投左打)、

九番ライト桜井(一年:右投右打)。

 

 後攻は阪神大学附属第一高校。

一番ショート牧野(一年:右投両打)、

二番セカンド里見(一年:右投右打)、

三番ファースト志野(一年:左投左打)、

四番センター南森(三年:右投右打)、

五番キャッチャー相川(一年:右投右打)、

六番サード野島(三年:右投右打)、

七番ライト大場(三年:右投右打)、

八番レフト野村(二年:右投右打)、

九番ピッチャー湯沢(一年:左投左打)。


 一回表阪神一高のピッチャー湯沢は早速九イニング当たりの与四球8.3の本領を発揮した。

安藤、川合に連続でフォアボールを与え、小沢からはツースリーのフルカウントのあと空振りの三振を奪ったが、続く、早川に初球を右中間に運ばれ、走者一掃の三塁打を打たれた。いきなり二点を奪われてしまった。

 続く浅野はスクイズを失敗した。これは、バッテリーが見破ったのではなく、たまたま浅野がスクイズを狙いにいったときに投じた球が高めに外れたのにすぎない。

 結局浅野からは三振を取り、次の樋口の一二塁間を抜けると思われた打球を里見が好補して、セカンドゴロ。何とか二点でくいとめた。


 一回裏、阪神一高の先頭打者、牧野祐也が右バッターボックスに入った。祐也のここまでの打撃成績は二十二打数十三安打。


 祐也はバッティングの際、実は狙い球を絞ることはしない。少年時代から祐也は選球眼に磨きをかけ、ストライクゾーンに入ってきた球は、スピード、コース、球種に関わりなく打つことを心がけてきた。

さらに柔軟なバッティングフォームと、野手の間に打球を運ぶ技術をおのれのものとした。

体格に恵まれない祐也はおのれのもつ肉体の全てを鍛え、バランス良く使うことを目指してきた。元々右利きであったが、左も右に劣らず使えるように日常生活の中でも鍛錬したから、スイッチヒッターとなったのは必然的なことだった。

但し、入る打席については、その時の状況、自分の調子を考慮して決めており、時に打者不利と言われる側の打席に立つこともあった。また祐也はさすがに両投げとはいかなかったが、今では左で投げても百二十キロ近くのスピードは出せたし、コントロールも良かった。

 狙い球を絞ることはしなかったが、その観察力で投手の癖を見抜き、仕草やピッチングフォームで球種が分かるということはままあった。ただ小沢についてはまだ百パーセント間違いないという癖は見いだせていなかった。


 初球、「ストレートかな」と祐也は思った。そのとおりストレートがきたが、外角にはずれた。


 二球目、小沢が球をリリースする前にカーブがくる気がした。

 やはりカーブだった。内角のストライクゾーンに入ってきた。祐也の打球は綺麗に三遊間を抜けていった。


 一塁ベースからベンチをうかがうと監督の細江が「二球目に盗塁」のサインを出した。

 祐也は、足はすごく早いというレベルではなかったが、ピッチャーのモーションを盗むのが巧かったから九割近い盗塁の成功率を誇っていた。

 一塁ランナーを正面に見ることができる左ピッチャーから盗塁を奪うことは難しい。が、祐也には自信があった。小沢のピッチングフォームはそれこそ穴の開くほど見てきたし、牽制するときの癖もつかんでいた。


 一球目ストレートがはいってワンストライク。二球目、小沢が牽制球を投げてきた。しかし殺そうとするものではなく、形式的なものだった。ここで走ってくることはない。小沢がそう思っていることが感じ取れた。

 二球目、祐也が走った。絶妙なタイミングだった。小沢のストレートを里見が空振りして援護する。セーフ。

 三球目、サインはバントだった。スリーバントになるが、里見はバントの名人だ。ただ、ボールが大きく外れた。里見は無理にバントにいくことはせず、祐也も飛び出したりはしない。

 四球目。またストレート。今度はストライクゾーンに入ってきた。里見があっさりと三塁前に転がす。犠牲バント成功。一死三塁。

 三番の求道者志野が左打席に入った。スクイズのサインは出なかった。そんなサインが出たら、志野は黙ってバッターボックスを去るだろう。

 一球目のストレート。二球目のカーブともに外れた。二球目はかなりきわどいコースだったが、一球目同様、志野はぴくりとも動かない。もちろん、ひとたび打席にはいれば不動の姿勢を貫いたという川上哲治の真似をしているのだ。


 三球目のストレートを志野はセンターに運んだ。飛距離は充分だった。センターフライ。祐也はタッチアップしてホームイン。初回で一点を返した。


 四番の南森が三振に倒れて一回裏の攻撃が終わった。


 二回はともに三者凡退。桜井秀一の打球はショートゴロになり、祐也が処理した。


 三回表。この回の先頭バッターは再び一番の安藤。湯沢は二回で立ち直ったかに見えたが、また荒れだした。安藤、川合、そしてこの回は小沢にまでフォアボールを出して無死満塁となった。


 細江はようやく湯沢をあきらめた。ショートの祐也がピッチャーマウンドに呼ばれる。

 湯沢があまりさわやかとはいえない表情でライトに行き、ライトの大場がレフトに代わり、レフトの野村が引っ込んで、その打順に入った二年生の稲葉(右投右打)がサードを守りサードの野島がショートに代わる。阪神一高は祐也が投げるときのいつもの布陣を強いた。

 

 祐也がピッチャーマウンドに歩を進めると相川がそこで待っていた。

 「牧野」

 「なんだ」

 「この試合が終わったら何が食べたい」

 いきなり何を言い出すんだ、こいつは。ああそう言えば時々野球の雑誌に書かれているよな、マウンドでバッテリーは何を話しているかって。そうか、俺の気持ちをほぐそうとしているのか。


 「食べたいものを言ったらお前がおごってくれるのか」

 相川は虚を突かれたようだったが、立て直した。


 「あ、ああいいぜ。このあと最後まで点を取られずに押さえたら、お前の好きなものを何でもおごってやる」


それで甲子園に行けるのなら安いものだ。相川はそう思った。祐也が追加得点を与えなければ、一点差ではあるし逆転できるだろう。


 「三田屋のランチ」

 「なんだって」

 「お前だって三田屋は知っているだろう。チェーン店だから。お前はこっちに来てまだ日が浅いから気がついているかどうかしらんが、学校の近く、ほら小曽根線に面したところに店があるんだ。うちの家庭では、ちょっとお金が入ったり、何か良いことがあると三田屋のランチを食べることにしているんだ。うちの親父、年収は平均よりずいぶんと多くもらっているだろうに、家族に過大な贅沢はさせない、というポリシーがあるようなんですわ。

そういうわけで、高いから夜の三田屋には一度もはいったことはないんだけどね。だから本当はディナーをおごってほしいところだけど、お前も高校生だからランチにしておくよ。もちろん試合が終わるのは夕方だろうから今日はランチは食べれない。明日にしてくれ」

 「分かった。明日、三田屋のランチだな」

 「そう。ああ、あと肉は二百五十グラムにしてくれ。それから最初にハムが出てくるけど、三分の二は俺によこせ。そのかわり一緒についてくるオニオンはお前にやる」

 「分かった、分かった。それでOKだ」

 「ところでこのあと点を取られずに、なのか。自責点ゼロではだめか」

 「だめだ」

 「なあ、相川。状況をよく見ろ。ノーアウト満塁で打席には早川さんがはいるんだぞ。これでゼロに押さえろっていうのか」

 「そうだ」

 相川は嬉しそうに言った。

 「分かった。何とか努力してみるよ。おい、審判の小父さんがにらんでいるぞ。早く定位置に戻れ」


 相川を見送って振り返った祐也がぎょっとした。そこに里見が立っていた。

 「なんだ。なんだ。いったいいつ来たんだ」全然気配を感じなかったぞ。

 「今、相川と何を話していたんだ」

 「ん、そりゃバッテリー間の打ち合わせさ。決まっているだろう。あたしゃしがない第二投手ですからね。色々確認しておかないといけないのさ」

 「おごる、っていう声が聞こえてきたんだけどな」

嘘だろう。セカンドに聞こえるような声では話してないぞ。

 「いや、それはお前の聞き間違いだろう」

 「ふうん」

里見が疑わしそうな目で祐也を見る。

 「まあいいか。がんばれ」

 「ああ」

 「そうだ、祐也。もしここで点を取られたら明日の昼飯をおごれ。いいな」

話しがまた長くなりそうなので、祐也は面倒になり

 「分かった。分かった。」

と答えた。

満足そうに頷いてセカンドに向かおうとする里見の背中に

 「で、点を取られなかったら、お前がおごってくれるんだな」

と声をかけたが、里見は振り返らなかった。 


 規定の投球練習を終えて、祐也はバックスクリーンの上にあるスコアボードを見た。両校の名前が三文字ずつ、電光掲示板に映し出されていた。

 「阪神二、阪神一か。どこかの店のバーゲンセールみたいだな」

 祐也は振り返った。

 早川が右のバッターボックスに立っていた。

 「怖い顔をしているな」

 とにかく、点を取られるとややこしいことになりそうだ。慎重にいこう。

 相川のサインをのぞきこんだ。

 外角低めへのカーブ。

 祐也は右と左に一回ずつ首を振った。

 相川が出し直す。

 内角高めにストレート。

 祐也は右に一回首を振った。

 外角低めにストレート。

 祐也はまた右に一回首を振る。

 早川がじれて、タイムをかけバッターボックスから出た。

 再び早川が打席に入る。

 祐也からサインを出した。外角ボールになるストレート。

 そのとおりの球が相川のキャッチャーミットに収まった。

 二球目も相川からの三度のサインに全て首を振り、祐也からサインを出した。

 低めボールになるストレート。

 やはりそのとおりの球が相川のキャッチャーミットを鳴らした。

 球場がざわめいた。観客はこの二番手投手が緊張のあまりストライクがはいらないのだと思った。

 三球目。相川のサインは外角低めへのカーブ。祐也が左に一回首を振る。

 サインが出し直された。外角低めへのストレート。祐也が頷く。

 きわどいコースにストライクが決まった。早川は手を出さない。

 四球目。再び相川のサインに三度首を振り、祐也がサインを出す。外角ボールになるストレート。

 サインどおりに投げて、ワンストライクスリーボール。再び球場内のざわめきが大きくなった。

 五球目。サインは内角高めへのストレート。祐也が左に一回首を振る。

 内角高めへのチェンジアップ。祐也が頷く。狙いどおりに決まった。早川は見送った。

 フルカウント。

 六球目。サインは外角低めへのシンカー。祐也が頷く。

 寸分違わず、投じられたボールに対して早川のバットがこの打席で初めて起動した。バットはボールの上部をたたき、ぼてぼてのゴロがセカンドに向かっていった。里見がすばやいダッシュでこのゴロをつかみ、相川に投げる。相川は志野に転送。4-2-3のダブルプレー。

 一塁に向かって走りながら、早川はある既視感にとらえられた。「このピッチング、どこかで見た」

 いつ、どこで見たのか。早川が気づいたのはベンチに腰を下ろした時だった。


 早川から狙いどおりのダブルプレーを奪ったものの祐也も完全に満足していたわけではない。五球目のチェンジアップ。このあとの打席のことを考えれば、あそこでチェンジアップは見せたくなかった。しかし、あの場面でストレートを投げることは危険が大きすぎて祐也にはできなかったのだ。


 結局、九回が終わるまで祐也は一点も取られなかった。しかし、試合には負けた。スコアは二対一。阪神一高もまた、二回以降一点も取れなかったのだ。祐也自身の打撃成績は五打席四打数四安打一四球。小沢を完璧に打った。何故か、リリースの前に小沢の投げようとする球種が分かったのだ。

 

 道人に続いて秀一の全国大会出場が決まった。が、秀一は忸怩たる思いをぬぐえなかった。祐也と三打席戦ったが、ヒットは打てなかったのだ。


 試合後、阪神大一高の監督の細江が「三年生はこれで引退だな。明日から三日間練習を休むから、英気を養ってくれ。一、二年生は四日後から練習再開だ」と告げた。

 

 その夜、祐也は自分の部屋のベッドに横たわっていた。

「負けたのか」おのれのこころの中でつぶやく。

「負けたんだな」

 今日の決勝戦、祐也は甲子園球場で戦った。しかし、予選と全国大会では同じ甲子園球場でも意味が違う。高校球児にとって「甲子園」とは、あくまでも春の選抜と夏の選手権大会。そのふたつの大会のみを象徴する代名詞だ。その舞台に祐也は立つことができない。

 これで、川崎中央高校の橘孝一と高校野球の場で対決することはできなくなった。


「俺に長打力があればな」祐也は小沢から四安打した。が、すべて単打であり、里見は良くつないでくれたが、一回を除いてあとが続かなかった。自分ひとりで試合を決める力を持っている道人が羨ましかった。


電話が鳴った。

「よう、俺だ」

道人だった。

声を聞くと何だかほっとした。

「おう」

「今、ニュースを見た。お前負けたのか」

「ああ」

「ふうん、お前が負けるかねえ」

「嬉しそうだな」

「ん」

「お前、声が笑っているぞ。今、どんな顔をしている」

「おやまあ、ずいぶんひがみっぽくなってますな、祐さん」

「そりゃ、三人の中で俺だけが予選で負けたんだからな。失意のどん底さ」

「そうか、大いに悩んでくれ。ああところで祐也」

「なんだ」

「うちの学校は明後日にそちらにはいる。宿は水明荘だ」

「そうか、あそこはいつも東京の代表が泊まるもんな」

「で、明後日の夜、久しぶりに会おうぜ。悲劇のヒーローをなぐさめてやるよ」

「分かった。でも勝手に外出していいのか、団体行動なんだろう」

「お前のことは監督に話した。来年、再来年と必ず戦うことになる相手だってな。監督も「そういう相手なら会っておけ」ということだ」

「そうか。で、なぐさめてくれるわけか」

「そう、優しいだろう」

「ということは晩飯をおごってくれるのか」

「ん」

「なぐさめてくれるんだろう」

「晩飯は宿で出るんだけどな。まあいいか。二食分くらい食えるだろう」

「さすが大関の息子だな。それじゃあよろしく」

「で、何が食べたい」

「食べ放題の寿司というのはどうだ」

「分かった。でもあのへんにそんな店があったかな」

「あるさ。食べた分だけちゃんと金を払えばどこだって食べ放題だ」

「祐也」

「なんだ」

「俺も秀一もいなくなったから、お前、里見と親しくしているのか」


 電話のあと、祐也は自分の気持ちが持ち直していることに気づいた。自分一人の力で点は取れなくても、投手として相手に点を取られなければ、少なくとも負けることはない。そう思った。


 三十分後、再び電話が鳴った。

また道人からだった。

「おう、俺だ」

「またお前か、なんだ」

「明後日のことだけど、予定を一部変更してくれ」

「寿司さえ食わせてもらえればあとの相談にはのるぞ」

「お前との電話が終わったすぐあとに、俺に電話がかかってきたんだ。誰だと思う」

祐也はぎょっとした。里見か。道人に「今、お前、おごる話をしなかったか」と言ってきたのか。


「香さんだ」

誰だって、ああ、あの富美代の色っぽい姉ちゃんか。道人がずいぶん入れあげていたな。

「香さんが俺に、会いませんか、と言ってきた。中学の時は、全然相手にしてもらえなかったのにな。で、明後日、会うことになった」

「明後日はたしか先約があったような気がするな」

「おお、宿には来てくれ。お前と会うから外出できるんだからな。お前と一緒に連れ立って宿を出て、店に入ったらお前は帰ると。香さんと俺が出ていってもいいけどね。寿司はやめだ。もっとロマンチックな場所を考えておこう」

 祐也の返事も聞かず道人はあっさりと電話を切った。


 十分後、また電話が鳴った。

「もしもし」

「あら、声が不機嫌ね。やっぱり負けてショックだったの」

「なんだ、富美代か」

「ご挨拶ね。まあいいか。ねえ、お姉さんが慰めてあげるから明日逢わない」

祐也は十二月生まれ、富美代は五月生まれなので富美代は祐也に対してよくお姉さんぶる。

 「なんで」

 「なんでって、あのね、私、祐ちゃんからきっと電話がかかってくると思ってずっと待ってたんだよ。野球部員にとって貴重な三日間のお休みでしょ。彼女をデートに誘おうとは思わないのかな」

 たしかに中学時代、祐也と富美代は何度かデートの真似事をしたことはあった。が、お互いに小さいときから一緒に野球をしてきた仲でもあり、特に甘い雰囲気になるようなことはなかった。

「明日は先約がある」

「誰と」

「相川だ」

 祐也は今日のマウンドでの一件を話した。

「ふうん、ずいぶん長く打ち合わせをしているなあと思っていたらそんなこと話していたんだ。でも祐ちゃん」

「なに」

「せっかくのお休みなのに男の子ふたりでお昼を一緒に食べるの。虚しくない」

「うん、俺も自分から言い出したことだけど、実は気が進まないんだ。どうせ、しょうもない話をされるんだろうしなあ。しまったな、と思っていた」

「そうか、分かった。それじゃあ、ふたりだけでデートするのは明後日ということにして明日のお昼は私も一緒に行こう」

「相川がおごるつもりにしているのは俺だけだと思うけどな」

「まあ、そのへんのところは私にまかせなさい」

「ところで今、明後日の予定も決まってしまったような気がするけど」

「そう、明後日は私と一緒に海に行くのよ。分かった」

「分かった」

「あのね、祐ちゃん。私、今日ね。水着買ったんだよ」

「そう」

「あら、あっさりしているわね。どんな水着なの、とか訊かないの」

「どんな水着なんでしょう」

「ビ・キ・ニ」

「ほえ」

「前から高校生になったら着ようと思っていたの。楽しみにしててね」

「そう」

祐也は想像してみた。富美代はスマートという体型ではない。似合うのかなと思った。でもここ一、二年でずいぶんと胸が大きくなってきたなあ、とは感じていたから確かに楽しみではある。

「ああ、でも明後日は、夜は用事があるからね。早めに帰るよ」

祐也は道人からの電話の内容を伝えた。道人が富美代の姉の香と会う予定であることも伝えた。

「へえ、さっきお姉ちゃんが電話していた相手は芦原君だったんだ。道理でいつもの彼が相手にしては様子がおかしいと思った。でも許せないなあ。医大生の彼がいるのに二股かけるなんて。きっとここのところ芦原君が良くマスコミに取り上げられて有名人になったからよ。やだなあ」


 次の日のお昼、祐也が約束の時間に三田屋の前に来るとそこには高校生の集団がたむろしていた。よく見るとみんな顔見知りだった。

「おお、相川。富美代もやっぱり来たんだな。でもなんでお前らまでいるんだ」

里見がいる。これはそういう予感がしなくもなかった。だが湯沢もいた。何と志野までいる。

「志野まで来たのか、今日はバッティングの練習はいいのか」

「うむ」

志野がちらっと富美代のほうを見た。

「みんな、私が電話して誘ったのよ。相川君がみんなにおごってくれるよって言って」

相川が抗議する。

「俺がおごるのは牧野だけだ。あとの奴らは自分で払えよ」

「あら、私もおごってはもらえないの」

相川の頬が少し赤らんだ。

「いや、マネージャーは・・・おごります」

店に入った。


 とりあえず、みんな打ちひしがれている風はなかった。昨日の敗因は湯沢が不調で点を取られたこと。そして、祐也と里見がチャンスを作っても初回を除いて得点に結びつけることができなかったクリーンアップトリオにあるわけだが、試合終了後から今に至るまで、湯沢も志野も相川も特に悪びれた風はない。もっとも彼らに「すまん祐也。負けたのは俺たちのせいだ」などと謝られても気持ちが悪いだけだ。


みんなでランチを注文した。

「いいか、湯沢と里見と志野は自分で払えよ」と相川が念を押す。

「ねえ、相川君」

「はい」

「ここはひとつ太っ腹なところを見せてよ。人の上に立とうという人は小さなことにこだわっちゃだめ」

相川が怪訝な顔をする。

「私ね、みんなを見ていて、私たちが最上級生になったときは相川君が一番キャプテンにふさわしいなって思っていたのよ。だってでんと構えて頼りになりそうなんだもの。ねえ、祐ちゃんもそう思わない」

「ああ、そうだな。俺もそう思う。相川がぴったりだ」

富美代の思惑は見え透いていたから祐也もすぐに同調した。

「そ、そうか。でも牧野の中学では里見がキャプテンをしていたんだろう。里見はいいのか」

「ん、なんだ」

注文したあとも食い入るようにメニューを見ていた里見が自分の名前が呼ばれたのを聞いて顔をあげた。

「いや、マネージャーと牧野が、俺がキャプテンにふさわしいって言うのだけど、里見はどう思う」

「ああそうだな。お前がやれ」

監督抜きで一年後の人事が決まってしまった。里見には物質的なもの以外の欲望はないことを祐也はあらためて知った。

 相川は嬉しそうな顔をしていたが、「でもなあやっぱりこの値段で六人分払うというのはきついなあ。高校生にしてみたら大変な出費だぜ。俺は親からの仕送りで暮らしているんだし、俺の両親のすねの骨が見えてしまうよ」とまたぶつぶつ言い出した。

「ねえ、相川君」

「はい」

「ここにいるみんなが、将来プロ野球の選手になったとき、「高校時代の一番の思い出は」って聞かれたら、「一年の夏に予選の決勝戦で負けた翌日のお昼に食べたステーキの味が忘れられません。相川がみんなおごってくれたんです。あれでどんなになぐさめられたことか。相川は昔からそういう奴でした」って言ってもらえるのよ。美しいエピソードじゃない。一生の財産よ。ものごとは長い目でみなきゃ」

 裕也は思う。それが美しいエピソードとして成立するには、食べるのはラーメンかカツ丼であるべきだな。ステーキを食べました、ではだめだろうなあ。むろん、そのことを口に出したりはしない。

 相川は富美代のそのことばで納得したようだった。

「分かった。先憂後楽。損して得とれだな」

 人数分のハムが一緒に盛られた大皿が持ってこられた時は全員ハムだけに手を伸ばして黙々と食べていたが、概ね和やかに食事は終わった。


「このあとどうする。外はずいぶん暑いし泳ぎにでもいくか」湯沢が提案する。

「おおいいな。でも今から須磨の海水浴場に行ってもたいして泳げないぞ。烏の行水になってしまう」と相川。

祐也と富美代がそっと目を見交わす。その場所は明日二人で行くことに決めた場所だ。

「それじゃあ、デラックスプールか厚生年金プールだな。どちらも混んでいるだろうなあ」と湯沢が応じた。岡山出身なのに何故かここらあたりの地理に詳しかった。小学生時代、何度もベースボールタウンの地図を見ていたのかな、と祐也は思った。

「甲子園プールにしよう。あそこは水深が深いから小学生は来ないのですいている。それに安い」

この台詞はむろん、里見だ。だがたとえ割安であるにしても里見が金を払って泳ぐ気持ちがある、ということに裕也は驚いた。

この提案はみんなに歓迎された。

「よし、じゃあ決まりだ。みんな行くね」と湯沢

「ええと、私も行くのかしら」

「当たり前だろ。みんななんで一致団結して泳ぐことに決めたと思っているの。マネージャーの水着姿が見たいからに決まっているだろう。期待しているからね。スクール水着なんか着てきたら怒るよ。それじゃ二時にプールの前で集合ということにしよう。相川キャプテン、勘定よろしくな。エピソードの披露は約束するから安心してくれ」

 

 全員一旦、自宅に水着を取りに帰った(湯沢と相川は下宿である)。

 帰り道、二人になったところで富美代が祐也に話しかける。

「ねえ、祐ちゃん」

「なあに」

「昨日買った水着、最初は祐ちゃんだけに見せてあげようと思っていたけど今日着てもいいかな」

「ううん、まああれだけ期待されたんだから着ないわけにはいかないかな。でも去年着ていたのでもいいんじゃないか。結構可愛かったじゃないか」

富美代はちょっと考えた

「やっぱりビキニを着てくる。みんなの期待に応えてあげたいし」

「そうか」

「それに私ももう十六歳だからね。可愛いって言われるよりセクシーだって言われたいの」


 プールへの入口で里見が係員に何か回数券のようなものを渡している。

「それは何」と裕也が訊く。

「このプールの無料招待券だ。うちの家に配達している新聞販売店の主人にこの前もらったんだ」

「そうか何回分あるんだ」

「七回分ある」

「でも、一回分しかちぎらなかったな。俺達みんなのために使ってやろうという気はないか」

「ない」

「ねえねえ、里見君。私だけでもその券くれないかなあ」

「だめです」

冨美代の色香も里見には通用しないようだ。


 プールの更衣室から富美代が出てきた。上半身にバスタオルを羽織っていた。少年五人の目が富美代に集中した。富美代が気取ったポーズをしながらバスタオルを取った。

「おお」とどよめきが沸いた。富美代がいろいろともったいぶっていたのも良く分かった。使用されている布地はかなり少なく、とても刺激的な水着だった。

 富美代が「どう」と言いながらゆっくりと一回転した。思わず拍手が起こった。祐也がみると志野も無表情のままで手を叩いていた。

 ずいぶんスタイルが良くなったんだな、と祐也は感じた。細い、とは決して言えなかったが、ぽっちゃりした中でそれなりにバランスが取れていた。元々豊かだったバストはさらにボリュームを増して水着からこぼれおちそうだった。

 祐也はこころの中で叫ぶ「俺のものだ。お前ら手を出すなよ。俺のものだからな」

この日、祐也はそれまでは一番仲の良い幼なじみの女友達と思っていた富美代に初めて本格的な恋心を抱いた。


 翌日の夜、昼間の富美代の姿を思い出し、にやつきながら祐也は自転車で水明荘を訪れた。玄関に道人が出てきた。

「おう、久しぶりだな」

「うん、ああ甲子園出場おめでとう」

「ほんとはお前と一番戦いたかったんだけどな」

「すまん」

ふたりは連れだって歩き出した。祐也は自転車を押しながら歩いた。

「小父さん、小母さん、郁代ちゃんは変わりないかな」

「ああ、みんなお前に会いたがっているよ」

「うん、大会の間に一度は遊びに行くよ」

「そうしてくれ」

道人が祐也のほうに視線を送った。

「お、祐也。少し背が伸びたな」

「ああ、もうちょっとで百七十センチになる。お前はいくつになった」

「二センチ伸びた。百八十二だ」

「そうか。で、門限は何時だ」

「十時だ。なあ祐也。あらためて新聞をじっくり読んだけどお前は一点もとられてないじゃないか。なぜ先発じゃなかったんだ」

「さあな。監督の決めたことだ」

「三ヶ月ではお前のすごさは分からなかったということか。ところで祐也。お前小沢さんから四の四だったんだな。まあお前なら不思議でもないが」

祐也は道人に告げた。小沢の投球の癖が具体的に分かったわけではないが、なぜか、リリースの前に球種が分かったということを。

「何故分かったのかは分からない。色々考えてみたけど、結局ストレートを投げるときとカーブを投げるときではフォームの雰囲気が違ったとしか言いようがない。口では説明できないんだ」

道人はぞくっとした。やっぱりおそろしい男だ。こいつは。

「で、祐也は二十六打数十七安打だね。打率はいくつかな」

案の定、言ってきたか。と、祐也は思う。

「六割五分四厘」

「で、俺の打率はいくつかな」

「打率は知らないけど、防御率なら良く知っているよ。0.18だな。で、俺の防御率はいくつかな」

「ち、普通、0.18なら誰にも負けないぞ」

「着いたぞ」

 旧国道に面したファミリーレストランに着いた。

 道人のお目当ての人は既に来店していた。

「やあ、香さん、こんばんは。おっと、富美ちゃんも来たのか。おや、秀一もいるじゃないか」

「おう、俺にも声をかけろよ。俺だってこっちにいるんだから」

「まあそう言うな。甲子園で対戦するかも知れない相手と事前に会うのは遠慮しておこうと思っただけだ。それでは香さん、店を出ましょう」

「あら、もう出ちゃうの。私たちと旧交を温めようとは思わないのかしら」

「またいずれ温めましょうね。あのね富美ちゃん、香さんと僕は今日がファーストデートなんだからね。時間もないし、グループ交際している暇はないの」

「何を焦っているんだ。まだ七時だぞ。少しは話していけ」

「ううん、あのな祐也。できれば二時間はしたいんだけどな」

「二時間って、お前何を考えているんだ」

「ね、道くん。落ち着いてちょうだい。座りましょうね」

香がそう声をかけると道人は「はい」と言ってさっと座った。むろん香の正面である。

「いやあ、香さん。相変わらず美しい。東京にも香さんほどの美人はいません」

「どうもありがとう」

照れるでもなく、香は応じた。

たしかに香は、類い稀なという形容詞をつけてもいいくらいの美人だった。顔だけではない。完璧なスタイル。センスの良い服装。かっちりときめたメイク。二十歳になったばかりだったが、もっと大人に見える。そしてこういうタイプの美人の常だが、ある程度の年齢を過ぎると今度は実際の年齢より、ずっと若く見えるようになるであろうことも予想できた。彼女は阪神間で名門として名高い女子大の二回生だった。

 香は優雅な動作でコーヒーカップに口をつける。道人はその姿に見とれた。もう、あとの三人は視野に入っていなかった。

 香がコーヒーを飲み終わった。

「じゃあ、行きましょうか」

と言って立ち上がった。

道人も弾けたように立ち上がった。

香が伝票を持った。

「ここは私が払っておくから、あなた達はゆっくりしていってね」

香と道人は店を出ていった。


「ふう」

秀一がため息をついてから感想を述べた。

「いやあ、かっこいいなあ」

「そうだな。あの道人が言いなりだものな。でもまあ憧れの人とデートできて良かった」

「でもせっかく、秀ちゃんも出てきてくれたのに。腹が立たないの」

「まあ、友情より恋愛を優先するのは極めて健全な青少年の在り方ですね。批判する気は全くありません」

「そっか、分かった」

「で、ふーちゃん、祐也との仲は、少しは進展したのかな」

「ふふふ」

「おや、意味ありげな笑いだな」

「今日ね、祐ちゃんとふたりで海に行ったんだ」

「へえ、いいな。こっちは甲子園に向けて練習漬けなのに。そんな優雅な夏休みを送っているのか」

「おい、言葉と表情が激しく乖離しているぞ。優越感に満ちた顔で言わないでくれ」

「いえいえ、祐也さんに対して優越感など持てるわけがありません。決勝戦でも全然打てなかったものな。コンプレックスだらけですよ。まして祐也さんにはこんな可愛い彼女がいらっしゃるし」

「可愛いと言うのは禁句のようだよ」

「へ」

「セクシーだと言ってあげて下さい」

「そりゃいくらでも言うけど。なにかありましたか」

「あのね。私初めてビキニを買ったの。とってもセクシーなんだから。ね、祐ちゃん」

「はい、今日はじっくりと鑑賞させていただき、とても有意義な一日でした。大人になっても今日のことは一生忘れないでしょう」

 こういう話を聞くと、かつての秀一なら嫉妬で胸が張り裂けそうになっていただろう。秀一がふたりと別の高校を選んだのは、そのこともまた大きな要因だった。

 だが今の秀一はある程度の余裕を持ってこの話を聞くことが出来た。高校入学以来今日までに秀一は既に八人の女の子から告白されていた。その中にはなかなか可愛い女の子も複数いた。「さてどの子にしよう」などと思える立場に秀一はのし上がっていたのだ。秀一は自らの野望を着々と実現させていた。しかし……。ビキニか。見たいな。

「見せて」

「え」

「ふーちゃんのビキニ姿見たい。見せて」

「いつ」

「今」

「このレストランの中で。それは無理だわ」

「デラックスプールなら八時までやっている。今からすぐ自転車を飛ばせば二十分は泳げる」

「食事がまだ途中だぞ。せっかくお姉さんがおごってくれたんだ。食べようぜ」

「うるさい、お前はもう見たからそんなことが言えるんだ。俺の立場になって考えて見ろ。我慢できるか」

祐也はちょっとだけ考えた。

「分かった、行こう」

 プール代も、そのあとのもう一回の食事代もお前が払えよ、と言おうかと思ったが祐也はやめておいた。


 道人と香は小曽根線沿いにあるイタリア料理の店にいた。

食事が終わり、香は紫煙をたゆたわせていた。

 「ねえ、道くん。さっきのお店で何か言っていたわね。私と寝たいの」

道人は喉を鳴らした。出来るのか。

「は、はい」

「私がそんな軽い女に見える」

「い、いいえ」

「そう」

「あの、香さん」

「なあに」

「香さんは……」

道人は言い淀んだ。

「訊きたいことがあるのならどうぞ」

「何を訊きたいか、分かりませんか」

「ああ、私に経験があるかどうか知りたいのね。気になるの」

「それはまあ」

「あるわよ」

香はあっさりと答えた。

「医大に行っている彼とですか」

「そうね。でも彼が初めてというわけでもないわ」

「そうなんだ」

「ねえ、道くん」

「はい」

「私は一流の男の人しか相手にしたくないの。今までそれほど多くの人と付き合ったわけではないけれど、付き合い始めたときは「この人なら」と思っていたわ。でもしばらくしたら底が見えてしまったの。まだ私も見る目がなかったのね。でも今付き合っている彼はなかなかの男よ」

「そうなんですか」

「大きな病院の一人息子で跡を継ぐことは決まっているの。彼自身もハンサムだし、とても頭がいいわ。専門バカってわけでもない、色んなことを良く知っている。まあ自分の頭の良さを鼻にかけるところがあるのが唯一の欠点かな。でも医療に対して情熱と使命感を持っているし、一流の医師になることは間違いないと思う。彼と結婚したら素晴らしい人生が送れるでしょうね」

「でもそれは香さんの力ではないですよね。それでもいいんですか」

「自分の力で一流の人間になろうと思ったら大変な努力が必要だわ。私はね、努力するのはいやなの。毎日を楽しく過ごしていきたいの。女はね、容姿に恵まれていれば一流の男と結婚できる。夫となる人の力で豊かな暮らしができるわ」

「そうですね」

「道くん、最近ずいぶん騒がれているわね。だから会ってみる気になったの。でも誤解しないでね。有名人といってもそれだけで憧れるほど考えは浅くないつもりよ」

「……」

「道くんは将来はプロ野球の選手になるの」

「そのつもりです」

「でも本当に一流の選手になれるかどうかはまだ分からないわね」

「……」

「スポーツの選手だといつ故障してしまうかもしれないし」

「……」

「ねえ、道くん。私を手に入れたいと思う」

「はい」

「今までの話を聞いて、私のこといやにならなかった」

「なりません。むしろ、話を聞く前よりももっと手に入れたいと思います」

「そう、それなら最初のテストは合格だわ。道くん、男は野心をもたなきゃだめ。低い場所にとどまっていたら、そこから下の場所しか見ることはできないわよ。最高の場所に立てばあらゆるものを見渡すことが出来る」

「でも、それだと下の場所は、詳しくは見えないでしょうね」

「そうね。どちらを選ぶかはあなた次第だわ。でもね、道くん。あなたは普通の人が持てないような才能を持って生まれてきたのよ。道くん。一流の男になりなさい。手に入れることの出来る最高のものを手に入れなさい。そして最高の女を手に入れなさい。私、さっき努力はいやだって言ったけれど、ただひとつ美しくあり続けるための努力はしているの。私は最高の女であり続けるわ。ねえ、道くん。私が二十五歳になるまで待ってあげる。あと五年ね。それまでに私に最高の人生を送らせてくれると納得させるだけの男になっていたら、あなたと結婚するわ。そうでなかったら、私は今の彼と結婚する」

 道人は大きく息を吸い込み、香を見つめた。そして答えた。

「分かりました。五年ですね」



5 最初の甲子園


 組合せも決まり全国高校野球選手権大会がいよいよ幕を開けようとしていた。この大会の最大のテーマは川崎学院高校の夏春夏の三大会連続優勝が成るかどうかである。


 閑話休題:春の選抜と夏の全国大会を連続した大会と考えた場合、高校野球史上これを達成した学校はまだ存在しない。昭和六年から八年にかけての中京商業の夏の大会三連覇は有名だが、同一年の、各々の、春の選抜の成績は、昭和六年は準優勝(優勝は広島商)。昭和七年はベスト4(松山商に敗退。松山商が優勝)。昭和八年もベスト4(明石中に敗退。岐阜商が優勝)だった。


 春夏連覇をした高校が翌年の春に優勝すれば三大会連続優勝となるが、過去春夏連覇した五校の翌春の成績は、昭和三七年の作新学院の翌春は不出場。昭和四一年の中京商業も翌春は不出場。昭和五四年の箕島の翌春も不出場。昭和六二年のPL学園の翌春も不出場。平成十年の横浜に至ってようやく翌春の出場を果たしたが、一回戦で前年夏の準々決勝で延長十七回の熱闘を繰り広げたPL学園と顔が合い、敗れた。 チームが全く変わってしまう新年度にまた優勝するというのはなかなか困難なことのようである。


 夏春と連覇した学校が同一年の夏に三連覇をかけるというケースでは、戦後であれば、昭和三五年夏、三六年春と連覇した法政二は夏に準決勝で浪商に敗れた。昭和五七年夏と五八年春に連覇した池田は夏に準決勝でPL学園に敗れた。このふたつのケースで共通するのは、法政二には柴田勲、池田には水野雄仁とのちにプロ野球でも活躍する選手がいたが、いずれも準決勝で、下級生の大物選手がいた高校に敗れている(浪商には尾崎行雄、PL学園には桑田真澄、清原和博がいた)ということである。


 この三連覇というのは高校生として出場できる五大会のうち四大会に優勝した山田太郎、里中智、岩鬼正美、殿馬一人のいた明訓高校も達成していない。彼らは一年夏、二年春、三年春夏と優勝しているが、唯一二年の夏に二回戦で弁慶高校に敗れている。

 では、本文へ


 川崎学院高校は春のメンバーに加えて橘栄二という新しいメンバーもレギュラー陣に加わったことにより戦力はさらにアップしたと見られ絶対的な本命と見られた。さらに昨春ベスト8、今春準優勝の実績をもつ、阪神大学附属第二高校がこれも確固たる対抗とされた。日本商業大学附属江戸川高校については、芦名道人のワンマンチームと見られ、三番手グループの一角と位置づけられた。

 抽選の結果、前記三校は少なくとも準々決勝までは顔が合わないことになった。


 大会が始まって三校は予想通り勝ち進んでいった。準々決勝でも当たらなかった。


 川崎学院高校。

一回戦、島根代表、石見学園を八対ゼロ(橘孝一が先発。橘栄二がリリーフで二イニング投げる)。


二回戦、千葉代表、松戸経綸を十四対二(橘栄二が完投)。


三回戦、熊本代表、熊本城西を四対二(橘孝一が完投)。


準々決勝、宮城代表、青葉学院を七対ゼロ(橘栄二が完封)。

 

阪神大学附属第二高校。

一回戦なし。


二回戦、群馬代表、前橋第一を三対一(小沢が完投)、


三回戦、静岡代表、東陽を十対三(小沢が先発、桜井がリリーフで一イニング投げる)。


準々決勝、徳島代表、眉山を三対ゼロ(小沢が完封)

 

日本商業大学附属江戸川高校。

一回戦、福岡代表、筑豊を二対一。


二回戦、南北海道代表、札幌三条を五対三。


三回戦、和歌山代表、紀南を四対ゼロ。


準々決勝、宮崎代表、宮崎光陽を一対ゼロ。


 準決勝の組合せは第一試合が川崎学院高校と日本商業大学附属江戸川高校。

第二試合が阪神大学附属第二高校と西東京代表、東京実業大学附属町田高校が対戦することになった。


 ついに橘と芦原の対決が実現することになった。橘と小沢の再戦以上に世間から待ち望まれていた対戦であったから、マスコミは前景気をあおった。甲子園球場も満員札止めになった。


 閑話休題:平成十年の夏、決勝戦の日。作者は当時小学校五年生と三年生だった娘ふたりを連れて甲子園球場間近の阪神パークで遊んだ。

甲子園が気になったが娘ふたりは残念ながら野球には関心を持っていない。

が、そろそろ終盤戦だなと思われる時間に娘に「今から甲子園に行く」と告げて、外野席に入ろうとした。甘かった。

準々決勝はPL学園と延長十七回の熱闘。

準決勝は明徳義塾を相手に六点差を逆転という劇的な試合を経ての横浜と京都成章の決勝戦。

場内は超満員だった。

何とか一番下の通路までは入れたが塀に遮られてグラウンドは全く見えない。

バックネット裏のスコアボードで三対ゼロで横浜がリードしており、もう九回になっているということは分かったが、外野席は通路も含めて人が溢れており、とても昇ってはいけない。


私はあきらめて甲子園球場をあとにした。驚いた。近年は高校野球の人気も下降気味で、行って入れなかったことなどなかったからだ。球場を出てしばらくしたら、ものすごい歓声が沸き起こった。「試合が終わったな」と分かった。

松坂がノーヒットノーランを達成したと知ったのは家に帰ってからだった。

 では本文へ。


 第一試合のスターティングメンバー

 先攻は川崎学院高校。

一番サード宮本(三年:右投右打)、

二番センター平岡(三年:右投左打)、

三番レフト沼田(三年:左投左打)、

四番ピッチャー橘孝一(三年:右投右打)、

五番ファースト岡崎(三年:右投右打)、

六番ライト橘栄二(一年:右投右打)、

七番キャッチャー大野(二年:右投右打)、

八番ショート大宮(三年:右投左打)、

九番セカンド山野(三年:右投右打)。

 

 後攻は日本商業大学附属江戸川高校。

一番セカンド松橋(二年:右投右打)、

二番ライト矢野(三年:左投左打)、

三番ファースト大内(三年:左投左打)、

四番ピッチャー芦原(一年:右投右打)、

五番サード小林(二年:右投右打)、

六番レフト高橋(一年:右投右打)、

七番ショート名越(三年:右投右打)、

八番キャッチャー北川(一年:右投右打)、

九番センター日野(一年:右投右打)。


 道人のここまで四試合の成績は投手としては三十六イニングで失点四。自責点三。被安打十六。与四球十七。奪三振四十四。

 打者としては十八打席十四打数四安打。打点三。ホームランは打っていなかった。

 不調とは言えないまでも大会前の期待に十全に応えているとはいえない成績であり、香の言葉がプレッシャーとなっているようだった。


 橘孝一はここまで、投手としては二試合十六イニングで失点二。自責点二。被安打十。与四球三。奪三振十三。

 打者としては二十打席十五打数七安打。ホームラン一本。打点七だった。


 川崎学院打線に対して道人はクリーンアップトリオ、特に橘孝一には全力投球。それ以外の打者には手を抜いて、ピンチになったときだけ力を入れると決めた。


 一回表、道人はまだ制球が定まらず、宮本、平岡に連続してフォアボールを与え、無死一、二塁で川崎中央の強力なクリーンアッププラスワンの打線を迎えた。

 三番の沼田誠が左打席に入った。ここまで十七打数七安打。打点四。

 道人は開き直った。逆境になればかえって力が出るタイプである。球種はストレートとカーブの二種だが、投球の九割はストレートが占める。微妙な制球力などはないから、真ん中を目がけて投げて適当に球が散らばるのに任せているだけである。

 フルカウントからたまたま内角低めのきわどいコースに決まったストレートを沼田は見逃した。

 そして、ついに芦原対橘孝一の対決である。


 橘孝一が右打席に入る。その端正な顔は、道人には余裕ありげな表情に見えた。

「ふん」と道人は思う。選抜の決勝戦の、観戦後の「叩きのめしてやる」との決意をあらためて思い出した。橘との対決に備えて道人はここまでまだ百パーセント全開のピッチングは行っていなかった。テレビ画面での球速表示は百四十キロ台の前半にとどまっていた。道人は、時に百五十キロを超えるストレートを投げる。


 初球ボール。

二球目百四十七キロのストレートが低めに決まる。橘は見送った。三球目ボール。

四球目百四十六キロのストレートが真ん中やや外角寄りに入る。橘のバットはこれを捉えたがバックネットへのファールだった。

五球目内角高めのストレート。バットは空を切った。百四十九キロ。

 この夏の大会で橘孝一が初めて喫した三振だった。


 五番の岡崎が右打席に入る。今大会は好調で十五打数九安打。ホームラン二本。打点九。

この好調の岡崎をショートフライに打ち取り、道人は初回のピンチをしのいだ。


 一回裏の日本商大附属江戸川は三者凡退。


 二回表、川崎学院は六番橘栄二から。十六打数六安打。打点四。ワンストライクワンボールから投じたカーブにタイミングが狂いファーストゴロに倒れた。七番の大野がライト前にシングルヒット。八番大宮がバントで送ったが九番山野が三振。


 二回裏、四番芦原。投打を変えて再び橘孝一対芦原道人の対決である。初回空振りの三振を喫したことで橘孝一の顔つきが変わっていた。芦原については、世間がこの対戦を持ち上げていることに対して多少の意識はあったが、「格が違うだろう」と内心不満でもあった。


 選抜の決勝戦で阪神大二高の小沢正太郎からも三振を喫したが、彼に対してはその前の夏の大会でホームランを含めて打ち込んだこともあり、精神的に優位な立場にあった。が、今の三振により、橘の気持ちが切り替わった。三振には三振でお返ししなければならない。橘はそう決意した。これまで同じ高校生で橘が同一のレベルで見なければいけない、と感じた選手はいなかった。

 が、元々三振を奪うタイプではない投手が三振を意識するとピッチングに狂いが生じる。


 ツーストライクワンボールに追い込んだ橘はストレートで三振を取りにいった。百四十二キロのストレートが真ん中高めに入った。道人のバットが捉えた。打球はセンターの頭を越えていった。三塁打。一死後高橋のスクイズが決まって日本商大附属江戸川が先取点をあげた。


三回表、川崎学院は三者凡退。沼田はセンターフライに倒れた。


三回裏、日本商大附属江戸川は無得点。


四回表、先頭打者は橘孝一。道人の肩は充分に温まっていた。

初球ストレート百四十九キロ。見逃し。

二球目、ストレート百五十キロ空振り。

三球目、ストレート百五十二キロ高めややボール気味であったが空振り。三球三振であった。


五番岡崎、六番橘栄二も三振でこの回は三者三振。


四回裏、二死ランナーなしで道人。初球のストレートを捉えたがレフトフライに終わった。


五回表、先頭の七番大野がショートへ内野安打。八番大宮がバントで送る。九番山野三振。一番宮本四球。二番平岡三振。


五回裏、二死から七番名越がヒットで出たが、八番北川凡退。


六回表、三番沼田ショートゴロ。一死で四番橘孝一を迎えた。この打席では道人がやや意識過剰だった。

再び百五十キロを超えるストレートも一球放ったが、制球が乱れワンスリーから四球。

五番岡崎三振。六番橘栄二の打席で、橘孝一が盗塁を成功させて二死二塁となったが、橘栄二三振で無得点。


六回裏、九番日野がヒット。一番松橋バント、日野が二封される。二番矢野もバント、成功して二死二塁。三番大内四球を選んで二死一、二塁で芦原道人が打席に入った。


キャッチャーの大野がマウンドに駆け寄った。

「橘さん、今のフォアボールも次の芦原を意識してしまったのでしょう。どうしたんです、今日は全然橘さんらしくないですよ」

「そうだな。俺としたことがずいぶん熱くなってしまった。ろくなことはないな」

「そうですよ。橘さんには橘さんのピッチングがあるんです」

「大野」

「はい」

「この打席はお前がサインを出してくれ。お前、芦原から二安打しているし、波長が合うようだな。任せるよ」

「分かりました」

大野が戻った。

橘がサインをのぞく。

初球、外角にややはずれるストレート。ボール。

二球目、真ん中低めシンカー。道人のスイングが空を切った。ワンストライクワンボール。

三球目、外角低めいっぱいへのストレート。決まった。道人は見送った。

四球目、内角高めにはずれるストレート。道人が頭をのけぞらせた。ボール。ツーストライクツーボール。

五球目、外角へのスライダー。コースは狙いどおりだった。しかし、切れなかった。切れないスライダーは打者にとって打ちごろの球になる。道人のバットが一閃した。打球は左中間スタンド中段に飛び込んだ。スリーランホームラン。


 道人が右手こぶしを突き上げてダイアモンドを一周する。橘がマウンドにうずくまった。大野が再び、マウンドに駆け寄った。

「橘さん、すみません。せっかく橘さんに配球をまかせていただいたのに。僕のミスでした」

 橘が立ち上がった。

「いや、お前の配球は良かったよ。俺の力不足だ」

橘がベンチの、歓喜の渦の中に迎え入れられた道人のほうを見やった。

「あんな奴がいたんだな。俺はうぬぼれていた」


 ピッチャーの交代が告げられた。孝一がライトへ栄二がピッチャーマウンドに登った。


場内は異様な雰囲気に包まれた。四対ゼロ。あの川崎学院が負けるのか。

 

五番小林はサードゴロに倒れてチェンジ。


七回表、先頭打者は七番大野。今日二安打されていることに道人は気づいた。クリーンアップにしか行わなかったピッチングをして三振。

これで気が抜けたか、八番大宮、九番山野を連続フォアボールで出塁させてしまったが、ここで気を取り直し、一番宮本をサードファールフライ。二番平岡をピッチャーゴロに打ち取りチェンジ。


七回裏、日本商大附属江戸川はひとりランナーを出したが得点には至らなかった。


八回表、先頭の沼田が三遊間を破りノーアウトでランナーが出た。橘孝一が打席に入る。おそらくこれが、橘孝一の甲子園最後の打席となるであろう、と観客は見た。固唾を飲んで見守る。


孝一は努めて冷静になろうと心がけた。この打席を無心で迎えたかった。

 一球目、カーブだった。橘孝一に対して初めて投じられたカーブだった。孝一はこれを見送った。ストライク。

 二球目、これもカーブ。ストライクゾーンに決まったが、孝一はこれも見送った。

冷静にと努めていたはずだったが、自分が再び興奮しているのを孝一は感じた。

 三球目、ストレート。空振り。百五十二キロ。

「見下された」孝一はそのように感じた。体が震えた。


 五番岡崎、六番橘栄二、連続三振。


 八回裏、二死二塁で道人にまわった。道人はセンター前にタイムリーヒットを打った。五対ゼロ。


 九回表、七番大野三振。八番大宮センターフライ。九番山野に変わった代打杉本三振。


 日本商業大学附属江戸川高校が、五対ゼロで大本命の優勝候補、川崎学院高校を破った。


 芦原道人、被安打三。与四球六。奪三振十六。

四打席四打数三安打。ホームラン一本。塁打八。打点四。



 準決勝の第二試合は阪神大学附属第二高校対東京実業大学附属町田高校。

 秀一は初めて一番にラインアップされた。これまでの三試合、秀一は十二打席十打数七安打と当たっており、ラッキーボーイと称されていた。

 この試合は阪神大二高が六対一で東実大町田を下した。

秀一は四打席四打数二安打。


 が、阪神大二高にとって大変な事態が起こった。

小沢が八回のマウンドで投球中肉離れを起こし、マウンドを降りたのだ。以後の一イニング三分の二は秀一が無難に無得点に抑えたが、小沢の決勝戦での登板は絶望視された。


 決勝戦を前に一躍、桜井秀一の存在がクローズアップされた。マスコミは芦原と桜井が中学時代、全国大会で優勝したバッテリーであると紹介し、「親友対決」と書き立てた。

牧野祐也の存在はマスコミからはほぼ無視されていた。

 

 「道人とやるのか」前夜、宿舎で秀一はつぶやいた。

「こいつは困ったな。もうちょっと待ってほしかった」


 秀一は今の自分の実力は祐也にも、道人にも及ばないことははっきりと自覚していた。まして、あの川崎学院をたったひとりで倒したと言いたくなるような準決勝を見せられただけになおさらであった。しかし、強い者が必ず勝つと決まっているわけではないのが野球だ。

 先ず、味方打線が、道人を打てるかだが、準決勝であれだけすごいピッチングをしただけに調子が落ちることを期待しても良いのではないだろうか。連投がさらに続くわけだし、自分はまだ大会に入って二イニング三分の二しか投げていないのだから、その分は大いに有利なはずだ。

 

 あとは自分が道人を抑えられるかどうかだ。

 「全部、敬遠してやるかな」と思った。実際、その作戦を採れば、日本商大附属を最少得点に抑える自信はあった。 が、他人の評価がとても気になる秀一に全打席敬遠という作戦はとれなかった。

 「道人と四打席対戦するとしてまわりに分からないように四球で逃げれるのは一打席だけだな。二打席四球があればちょっと目立つしな。勝負するのは三打席。道人は祐也ほど確実性があるわけではないし、実際準々決勝まではそう調子も良くなかった。うまくやれば打たれずにすむかもしれない。とにかく大きいのだけは打たれないようにしよう」

 

 決勝戦のスターティングメンバー。


 先攻は阪神大学附属第二高校。

一番ピッチャー桜井(一年:右投右打)、

二番セカンド川合(二年:右投右打)、

三番センター安藤(三年:右投右打)、

四番サード早川(三年:右投右打)、

五番ファースト樋口(二年:左投左打)、

六番キャッチャー浅野(三年:右投右打)、

七番レフト鳥越(三年:右投右打)、

八番ショート宮井(二年:右投左打)、

九番ライト菊池(三年:左投左打)。


 後攻は日本商業大学附属江戸川高校。

一番セカンド松橋(二年:右投右打)、

二番ライト矢野(三年:左投左打)、

三番ファースト大内(三年:左投左打)、

四番ピッチャー芦原(一年:右投右打)、

五番サード小林(二年:右投右打)、

六番レフト高橋(一年:右投右打)、

七番ショート名越(三年:右投右打)、

八番キャッチャー北川(一年:右投右打)、

九番センター日野(一年:右投右打)。 

 

 日本商大附属は準決勝と変わらなかった。


 試合開始の挨拶で一塁側から阪神大二高、三塁側から日本商大附属のメンバーがベンチ前からホームプレート付近に駆け寄った。道人と秀一の視線が合った。にやっと道人が笑った。秀一も笑い返す。

 帽子を取って挨拶して、道人がピッチャーマウンドに登り試合開始前の投球練習を始めた。三回戦から四連投になる。さすがに体が重かった。昨日は当初の予定以上に全力投球を多くしてしまった。今日は早川さんには九十五パーセント。秀一には八十五パーセント。その他の打者には六十五パーセントでいこう。道人はそう決めていた。

 「芦原君に昨日の熱投の疲れがどの程度残っているか。小沢君の負傷により、急遽決勝戦を投げることになった桜井君が、平常心を保って投げることができるか。二人の立ち上がりのピッチングが注目されますね」

 早稲田大学出身の鍛治舎巧さんがにこやかな表情で解説した。


 秀一が右打席に入る。道人が初球を投じた。ストレート、球速百三十九キロ。秀一のバットがこれを捉えた。打球は三塁ファールラインの上空をフライとなって飛ぶ。フェアかファールか。スタンドに入るか、入らないか。実に微妙な打球だったが、レフトポールの最も下部に当たった。ホームラン。


 その打球を見て、道人は思わず笑ってしまった。そうか、ここでホームランが出ちゃうのか。何だかおかしくてたまらない。

 秀一は夢中でダイアモンドを一周する。二塁ベース手前で我に返った。「今、日本中が俺に注目しているんだ。ゆっくり走ろう。それにしても決勝戦初回試合開始の初球をホームランか。こんなこと誰もやっていないだろう(作者注:実際にもあったという記事を読んだような気はします)。いや、たしか「ドカベン」で岩鬼が同じことをやっていたな」ここまで考えて秀一は背中がぞくっとした。その時、岩鬼はベースを踏み忘れてアウトになったはずだ。秀一も無我夢中で走っていたから、きちんとベースを踏んだかどうか、はっきりと記憶にない。残る三塁ベース、ホームベースは慎重に踏んだ。特にアピールされることもなく、ホームランが成立した。


 二番、三番は凡退で、四番早川はセンターフライ。


 一回裏の日本商大附属は三者凡退。「とにかく道人の前にランナーを出さないこと」そのことを秀一は心がけた。自分自身のホームランで気持ちは最高にのっていた。


 二回表、五番樋口がヒット。六番浅野が送りバント。七番鳥越セカンドゴロでランナー三進。八番宮井三振。これがこの試合で道人が最初に奪った三振だった。


 二回裏、先頭打者として道人が右打席に入った。

「さてと」秀一がロージンバックにさわる。

「ホームランを打ったことだしここで三振でも取ったらヒーローだな」

「決勝戦のスーパーヒーロー桜井。打ってはホームランを含む三安打。投げては芦原から四三振。おそるべき一年生、サブマリン・シュー」 

 そういう見出しがこころの中をよぎる。


 道人が打席から秀一を見やっているが、どうも笑っているような気がする。初回のホームランも別にこたえている風ではない。

「抑えられるような気がしないな」急に弱気の虫にとらわれた。

「急にうずくまって、「腹が痛い」と言って引っ込むかな」

 初球、サインは外角低めへのカーブ。決まった。道人は見送る。

 二球目、サインは内角高めへのストレート。秀一はこの試合で初めて首を振った。自分からサインを出した。内角にストレートをはずす。「ぶつかってもかまわない」このボールが内角ストライクゾーンにはいってしまった。「やばい」と思った。道人のバットが捉えたが、打球は三塁側アルプススタンドへのファール。

 三球目、高めストレートではずす。

 四球目、サインはシンカー。秀一が頷く。再び、道人のバットが捉えたが、セカンドゴロだった。

 五番小林ヒット。六番高橋の打席で、盗塁を試みたがアウト。高橋がヒットを打つ。七番名越。再び盗塁、今度は成功して、二死二塁。しかし、名越がセカンドゴロでチェンジ。


 三回表、九番菊池凡退で、打席に秀一が入る。

 ここで三振を取っておかないとあとで五月蠅いな、道人はそう思う。やっぱりホームランを打たれたのはまずかったな。あいつ一生自慢するだろうなあ、そのときのためにも、で、あとの打席はどうだった、と言い返せるようにしておかないといけない。よし、秀一には百パーセントだ。はじめからそうするべきだった。

初球、ストレート、百四十七キロ。ボール。

二球目、ストレート、百四十五キロ。ストライク見送り。

三球目、ストレート、百四十四キロ。ボール。

四球目、ストレート、百四十七キロ。空振り。

五球目、ストレート、百四十九キロ。空振り三振。

二番川合がヒットを打ったが、三番安藤をレフトフライに打ち取りチェンジ。


 三回裏、三者凡退。八番北川からこの試合、秀一としては初めての三振を奪った。


 四回表先頭打者は早川、全力投球して三振。「飛ばしすぎかな」と道人は思う。その分、早川、秀一以外の打者にはカーブの割合を高めた。五番樋口凡退。六番浅野ヒット。七番鳥越の打席で盗塁成功したが、鳥越三振でチェンジ。


 四回裏、二番矢野ファーストゴロ。三番大内三振で二死ランナーなしで道人を迎えた。ホームランさえ打たれなければ良い場面だ。本当を言えば敬遠したいところだが、自分で決めている道人に与えても良い一個のフォアボールは、ピンチで迎えたときに使いたい。徹底的に低めを攻めた。最後の決め球シンカーは、この打席では通用しなかった。一二塁間を破るヒット。だが、単打であれば御の字である。次の小林をショートゴロに打ち取る。道人以外の打者にはシンカーが大きな武器になった。


 五回表、八番宮井ヒット。九番菊池が送って、一死二塁で秀一。

初球、ストレート、百四十六キロ。空振り。

二球目、ストレート、百四十三キロ。ボール。

三球目、ストレート、百四十五キロ。バックネットへのファール。道人が全力投球したストレートに初めてバットが当たった。

四球目、ストレート、百四十七キロ。バックネットへのファール。

五球目、ストレート、百四十八キロ。ボール。

六球目、ストレート、百四十八キロ。バックネットへのファール。

七球目、ストレート、百五十キロ。センター前ヒット。

二塁ランナー宮井が三塁を蹴ってホームに突っ込む。きわどいタイミングだったが、タッチアウト。打球が早すぎたのが災いした。この間に秀一は二塁に滑り込む。

二番川合三振で、この回結局は無得点。


 五回裏、六番、七番、八番と三者凡退。


 六回表、三番安藤三振。四番早川三振。五番樋口四球。六番浅野キャッチャーファールフライ。

 

 六回裏、九番、一番、二番と三者凡退。


 七回表、七番、八番、九番と三者凡退。


 七回裏、三番大内セカンドゴロ。一死で道人を迎えた。

 秀一がサインを出した。

 初球シンカー、ストライク。

 二球目カーブ、ストライク。

 二球とも道人は見送った。

 三球目ど真ん中のストレート。百三十七キロだったが、道人のバットは空を切った。三球三振。

五番小林からも三振を奪ってチェンジ。

 八回表、先頭打者は秀一。

 初球、ストレート、百五十キロ。空振り。

 二球目、ストレート、百五十キロ。バックネットへのファール。

 三球目、ストレート、百五十三キロ。空振り。三球三振。

 二番川合、三番安藤凡退でチェンジ。


 八回裏、あとランナーをひとりまでは出しても道人にはまわらないな、そんな意識が秀一の脳裏をよぎった。

 六番高橋レフトフライ、七番名越ショートゴロ。しかし八番北川に三遊間を破られた。九番日野三振。


 九回表、四番早川、五番樋口、六番浅野を三者三振。


 九回裏、一番松橋セカンドゴロ、二番矢野三振。あとひとり。が、三番大内に一二塁間を破られて二死一塁。道人を迎えてしまった。


 「フォアボールを与えるならここだ」当然そう思ったが、勝負を求める周囲の期待はひしひしと感じる。せめてベンチから敬遠のサインでも出ていないかと思って見てみたが、そういうサインも出ていない。どうやら塚田監督は「さわやかな高校球児たちのドラマ」を選択したようだ。

 「俺は知らないからな」と思う。とりあえず、これまでの三打席で、道人をはっきりと抑えられる、という自信を持てる球はない、ということは分かっていたからあとは道人が打ち損なうのを期待するしかない。

 初球、ストレートが真ん中よりやや高めに入った。百三十八キロ。道人のバットが一閃した。打球はバックスクリーンに飛び込んだ。

 逆転サヨナラツーランホームラン。


 秀一は打球を見た。割れんばかりの大歓声に包まれた球場内を見た。ダイアモンドを一周する道人を見た。

 スターだな、そう思う。俺とは器が違うということか。それに引き替えこの俺は、自分のことを考えてみる。ん、あとひとりで優勝を逃して、劇的なサヨナラホームランを喫した悲劇のピッチャーか。これは悪くないぞ。人気沸騰するに違いあるまい。最後に逃げずに勝負したというのもポイントが高くなる要素だな。全国の女子学生から段ボール何箱分くらい、ファンレターが来るだろうか。俺は結構可愛い顔をしているし、おすまししたら一見、憂いを帯びた美少年風にも見えるはずだ。とりあえずここは誰かが助け起こしにきてくれるまでうずくまっておこう。   


 試合が終わって、道人がインタビューを受ける。

「いやあ、劇的なホームランでしたね」

「はい、ありがとうございます」

「狙っていたんですか」

「いえ、とんでもありません。来た球をとにかく無心で思い切り振ろうと思っていただけです」よし、模範的な回答ができた。

「桜井君とは同じ一年生で、中学の時はバッテリーで親友だったそうだけど、これから来年、再来年と何度か対戦するかもしれませんね。ライバルですね」

「いえ、もうひとりいるんです。もっとすごい奴が。牧野祐也って言うんです。祐也待っているからな。来年の選抜では決勝戦で会おうぜ」

インタビュアーが戸惑ったような顔をしている。道人は自分の今の発言を思い出した。しまった、秀一を虚仮にしてしまった。さわやかではなかったな。まあいいか。


 

6 話しを広げてあっさり終了


 優勝パレード、祝賀会。一連の祝賀行事もようやく終え、夏休みもまもなく終わろうとしていたある日、道人が淡路部屋と看板の掛かった自宅の玄関を開けると稽古場に兄の行人がただひとり、佇んでいるのが見えた。

「兄貴、どないしたんや」

「ん、ああ道人か。今帰ったのか」

「ああ」

行人が、道人に近寄ってきた。

「ちょっと話しがある。いいか」

「ああ」

行人がドロ着を引っかけた。

「ここではなんだから、外に行こう」

「うん」

行人は近所にある喫茶店の奥まったボックスに席を取った。座ってしばらくしても話しだそうとはしない。ずいぶん深刻そうな顔をしている。

「なんや。どないしてん」

「うん、なあお前、今からでも相撲をやる気にはならないか」

「なに言うてんねん。俺は、来年は祐也と対決せなならん、もう大見得を切ったさかいな。それに俺は、プロ野球に入って、はよ、スターにならんといかん事情があるねん」

香の姿を思い浮かべた。

「そうか、あのなあ。道人」

「なんや」

「親父の具合がなあ」

そう言って行人は目を伏せた。

「なんやねん、具合が悪い言うのか。あんなに元気やないか」

「いや、それは、本人は気丈に振る舞っているけどな」

「なんや、なんや、そんな深刻な顔をして。まさか生きるか死ぬか言うような話でもないんやろ」

行人は何も答えなかった。

「そんな、悪いんか」

「親父は俺達三人が揃って相撲取りになることを夢に見ていたからなあ。四股名もお前は秀ノ花。信人は秀錦に決めているそうだ。お前が相撲取りになった姿を一目見せてやりたいと思う。なあ道人。お前にも色々と夢はあるだろうし、甲子園で牧野君と対決もしたかったろうけど、とりあえず、高校一年でもう日本一になったことだし、相撲をやってくれないか。牧野君とはプロに入ってからだって対決はできるだろう」

「まず、相撲取りになれ、いや、親父が生きている間は相撲取りでいろってことやな。

なあ、兄貴、親父はあとどれくらい生きられそうなんや」

「はっきりしたことは分からない」

「いずれにしても長くはないいうことやな」

行人はまた、目を伏せた。

道人の脳裏に父の姿が浮かんだ。あの親父が長くない、というのか。祖父母、母、弟妹の姿もこころに浮かんだ。俺が相撲取りになったら、みんな喜ぶだろう。

道人はおのれの夢でなく、家族の夢をかなえようと決意した。

 祐也すまん。香さん。申し訳ありません。でも道は違っても必ず、一流の男になってみせますから。


 芦原道人の大相撲への入門、この秋場所に初土俵を踏むことが発表された。マスコミは驚天動地の騒ぎとなった。無理もない、甲子園の優勝投手、打撃にも非凡なものを持ち、伝説のヒーロー、富島、秋川、肥田以来の逸材と言われている男が相撲界に転向するというのだ。

 マスコミに対して道人は「家族を喜ばせるために相撲を取る」と表明した。


 記者会見が終わった日の夜、四階から二階に引っ越してきた道人のもとに行人が近づいてきた。

「よう、記者会見テレビで見てたぞ」

「兄弟子、今日から宜しくお願いいたします」

「うん、でも家族を喜ばせるために相撲を取るという発言は良かったぞ」

「ああ、親父、おっといけない、親方にも喜んでいただけるでしょう。親方がご健在な限りは相撲道に邁進します」

「親方がご健在な限りか。それだとあと四十年か五十年は相撲を取り続けなければいかんぞ」

「は」

「親方は頑丈だものなあ」

「ええと、親方は不治の病ではなかったんですか」

「ん、誰がそんなことを言ったんだ」

「誰がって、兄貴が」

道人はここで気づいた。だまされた。

「兄貴、だましたな」

「何を言う。人聞きが悪い」

「だって兄貴が」

「俺が言ったか、親父が不治の病だと一言でも言ったか」

「やめる」

「なんだって」

「相撲取りになるのはやめだ」

「お前、何を言っている。今日、あれだけのマスコミが来て、大騒ぎしていったんだぞ。今晩から明日にかけて世間ではこの話題で持ちきりだぞ。今、相撲をやめるといったら物笑いだぞ」

「何で、そこまでして俺を相撲取りにさせたかったんだ。おれには夢があったんだぞ。祐也と対決するだけじゃない。将来はプロ野球選手になってピッチャーもバッターもやって三百勝して、ホームランを六百本打つという夢があったんだ」

「そりゃすごい」

「だから相撲をやっている時間はないんだ」

「まあ、そう言わずに相撲をやってみろって。この前、お前と稽古したけど、だいたい十五歳になったばかりで、本格的に相撲をやっているわけでもない男がプロの幕下を動かすことができる、ということ自体とんでもないことなんだぞ。お前なら横綱になれる。俺が保証する。横綱になってから、また野球を始めるというのはどうだ。何年間か遠回りになるけどな。今、三百勝と六百本って言ったな。俺も野球を見るのは好きだから、それがどんなにすごいことを言っているのか分かるけど、お前ならやりそうな気がする。でもそれに横綱も付け加わったらどうだ。若いうちにさっさと横綱になって、それからプロ野球に入ってもいいじゃないか、大学に行ったと思えば。元横綱で、プロ野球のスーパースター。すごいな。お前がもう一度、野球をやる頃には牧野君はもうプロ野球の世界で大スターになっているだろう。そこで対決してみたらもっとすごいぞ」

 道人が黙った。

「お、今、気持ちが動いたな。その気になっただろう」

「ちょっと待ってくれ。少し整理させてくれ。なあ兄貴、俺の目標のことだけど、さっき兄貴はすごいと言ったけどそんなことはないよ。ホームラン六百本に三百勝って言ったけど、ホームランは歴代三位だし、勝星は歴代七位だ。もっと上の記録の持ち主がいるんだから謙虚なもんさ」

「そうか。たしかにお前の性格からすれば、たとえほらにしろ五百勝に千本だ、くらい言いそうだものな。三百勝と六百本ならプロで二十年やるとして年平均で十五勝と三十本か。ピッチャーとバッターの両方というのは凄いが、それぞれについてはお前にしてみたら結構堅実な目標かもしれないな」

「いや、俺は、野球は三十歳までしかやる気はない。十二年だから年平均二十五勝と五十本だな」

「ずいぶん計算が速いな」

「ああ、数学は3だけど算数は5だったから」

「そうか、で、三十歳になったら何をするんだ」

「それまでに貯めたお金であとは一生遊んで暮らすつもりだ。俺の嫁さんになる人は相当に金遣いが荒そうだからしっかり稼いでおかないといけないんだ」

「なあ道人。シュバイツアー博士を知っているか」

「密林の聖者だな。知っているよ」

「博士は少年時代に三十歳までは自分のために生きる。三十歳になったら世の中の人のために生きると決心して、三十歳になってから医学の勉強を始めたそうだ」

「そうか、俺の場合は三十歳までは野球をやって、世の中の人を喜ばせるために生きて、三十歳になったら自分のために生きるわけだからシュバイツアー博士と逆だな。兄貴が言いたかったのはそういうことだろう」

「ちょっと違う気がするけどまあいい」

「大学にいったつもりで相撲をやるということは二十二歳になるまで相撲をやるということだな。そうすると八年しかないから、年平均三十七.五勝と七十五本になる。これはさすがの俺でもちょいと大変だ」

「引退する年齢を四年遅らせるわけにはいかないのか」

「だめだ。嫁さんが四十歳近くになってしまう。・・・・・・分かった。通算記録についてはあきらめる。タイトルを獲ることを目標にしよう。相撲をやるよ兄貴。でも別に二十二歳になるまでやることもないな。横綱になるまでだ。兄貴、今までで一番若く横綱になったのは誰だ」

「北の湖と大鵬で、二十一歳だな」

「そうか。では仕方ないな。やっぱり二十一歳で横綱になって、二十二歳になったらやめる、というあたりが良い目標かな」

「二十歳で横綱になる、とは言わないんだな」

「ああ、今までだれも成し遂げられなかったことをやる、と言い切るほどの自信はない。史上に先例があればやれそうな気がするけどね。俺は結構堅実な人間なんだ。それに、人間、自分より上の存在をもっていないと、考え方がどんどん傲慢になって、ろくなことはない。でもその、上の存在を、今活躍している人間に対して求めるのはしゃくだから歴史上の存在に求めるわけだ。歴史に対しては謙虚に。現在に対しては傲慢に。というのが俺のモットーだ」

「でも、お前がやろうとしていることは、充分に先例のないことだと思うぞ。」

「そうだけど、ひとつひとつを見れば、横綱にしろ、三百勝にしろ、六百本にしろ、タイトル獲得にしろ、それを成し遂げた人間はたくさんいるわけだから。分けて考えるんだ。ええと。で、結局、二十二歳になるまで相撲をやることになるのか。本当なら、五年後の二十歳の時には、きちんとした結果を出さないといけないんだけどな。まあ、その時は将来性も加味してほしい、と言って交渉することにしよう。それじゃあ、話も決まったし、祐也に電話をしてくる」


道人は祐也に電話した。

「俺だ」

「おお、道人か」

「で、そういうわけだ。すまんな」

「甲子園の決勝戦ではずいぶん俺を持ち上げてくれたと思ったら、いきなり相撲取りになるとは驚いたな。来年の選抜の決勝で対決するんじゃなかったのか」

「それは延期ということにしてくれ。相撲を取らなくてはいけない事情がおきた」

「そうか。残念だな。四股名は決まったのか」

「秀ノ花だ。うちの部屋は「秀」がつくのが伝統だからな。俺はそんな字はつけたくないんだが仕方ない。なあ祐也。俺は横綱になる。横綱になったらまた野球の世界に戻る」

「そうか」

「祐也。俺が野球に戻る前に必ず日本一の野球選手になっていてくれ。いいな。甲子園でもあと四回、全部優勝しろよ。俺がいないんだからな。お前ならできるだろう」

「そうだな。今のメンバーを見ていればできそうだな。変な奴ばかりだけど野球の腕は確かだ。でも日本一の選手というのはどうかな。俺はたいして三振を奪えるわけでもないし、ホームランを打てるわけでもないからな」

「何を言っている。そんなものがなくてもシーズンで三十勝して四割打てばお前が日本一だ」

「そうか。道人にあっさり言われると簡単にできそうな気がするから不思議だな。でも秀一も日本一を狙っているようだぞ。もっとも記録よりも人気のほうの日本一に関心があるようだけどな」

「秀一か。たしかに凄い人気だな」

「サブマリン・シューだもんな。ファンレターの入った段ボール箱が山積みになっているそうだ」

「でも、あいつはたしかにすごいよ。決勝戦の三打席目には驚いた。俺の全力で投げたストレートに食らいついてきて、結局ヒットを打たれたものな」

「ああ、その話は秀一からも聞いた。あの打席は体の力が抜けてすごく集中できたって言っていたな。次の打席では「ここで打ったら猛打賞」とか考えてしまって肩に力がはいってしまったそうだ。ところでお前の三打席目はどうした。なぜ空振りした」

「俺にも分からないんだ。完璧に捉えたはずだったんだけどな。俺としたことが秀一の気迫に押されたか、それとも球が何か微妙な変化をしたのかもしれない。どうもそんな気がする」

「魔球か。あいつが聞いたら喜びそうだな。すぐに幻のシューボールとか言いそうだな。そうそう、お前にホームランを打たれてマウンドにうずくまっていた秀一を見てどう思った」

「笑った」

「やっぱりお前もそうか。でもあいつにくるファンレターのほとんどが「あのときの桜井さんの姿を見て泣いてしまいました」と書かれているそうだ」

「ふうん、まだまだ純真な女の子は多いんだな」

「純真なふりをしているだけかもしれないよ。そのほうが、受けが良いと思って」

「お互いに化かし合っているわけか。さすが祐さん、読みが深い。でもまあ、お前に立ちはだかる奴がいるとしたら秀一だろうな」

「そうだな。お互いあと五年でどこまで昇っていくことができるだろうな」

「ん」

「香お姉さんとの間の話は富美代を通して聞いた。頑張れよ」

「ああ、お前達はうまくいっているのか」

「純愛路線一直線だ」

「そうか。来年、甲子園に出て、富美ちゃんが記録員でベンチに座ったら、きっと騒がれるぞ。美少女マネージャーって」

「ああ、本人もその気だ」

「そうか、そうか。未来の義妹は頼もしいな。じゃあな」

「道人」

「なんだ」

祐也は思った。道人には言うべきことがある。道人が今、野球の世界から離れようとしている。何か言わなければならないことがあるはずだ。

祐也はようやく自分のこころの奥底にしまいこんでいた思いをさぐりあてた。

「道人」

「なんだ」

「俺の本当の夢はお前と対決することではないんだ」

「そうなのか」

「ああ、俺の夢はな。この街にまたベースボールタウンを作って、鳴尾パイロッツを復活させたいんだ。お前と秀一と俺の三人で、あの黄金時代を築きたいんだ。幼い日に俺が憧れたあの伝説のチームをもう一度作りたいんだ」

「そうか」

少しの間、沈黙があった。

道人が続けた。

「それはまた、途方もない夢だな」

本小説を書いたのは、20世紀末か、21世紀初頭の頃であったかと思います。

当初の構想では、

道人は、高校時代、祐也との数度にわたる対決を経て、高校卒業後、相撲界へ。

秀一は、高校卒業後は、早稲田大学に入学して大学野球で活躍。

祐也は、高校卒業後、里見の父が経営する企業が親会社となって復活させた「鳴尾パイロッツ」に入団。その後の四年間で、投打ともにタイトルホルダー、スーパースターになりますが、リーグ優勝はしても日本一は、まだ達成できず。

そして、祐也の入団五年目、

横綱になって引退した道人。

大学野球で、やはり投打にわたって顕著な実績を遺した秀一がパイロッツに入団。

その他、祐也の高校時代のチームメートたちも、パイロッツに勢揃いとなって、日本一を目指す、というのが当初の構想で、その年まで描くつもりでした。

が、根気が無くてこのような終わり方になってしまいました。


ただ、もしその年まで描いたとしたら、今の私の趣味から言えば、彼らを、本文中や上記に書いているような現実離れした、とてつもない記録を残す選手にはしなかっただろうと思います。

道人も関脇あるいは平幕力士あたりで引退。

そして、新鳴尾パイロッツは日本一にはなれなかった、としたかなと思います。


年齢を重ねるにつれて、歴史上の人物にしてもスポーツ選手にしても、英雄的でドラマチックなストーリーに富んだ人物、最高レベルの記録を残した人物よりも、日常的で、さほどドラマチックな背景は持たない人物を描くほうがしっくりするようになりました。


少年時代から、大鵬不在の大相撲界や、王、長嶋が不在のジャイアンツを想像して愉しむというような渋好み、アンチヒーロー的趣味も多分に持っておりました。

その渋さを際立たせるためにも、脳内の想像世界の中でも、英雄的でドラマチックな人物も必要としていた訳ですが、歳を取っていくと、本来の趣味だけで、余計なことは考えなくてよいか、と思うようになりました。


劇的なヒーローが退場したあとの時代、あるいは劇的なヒーローの周辺にいた人物というのが好みに合つていた訳ですが、劇的なヒーローは、元々不在だった、というのも良いな、と思うようになったという訳です。


さらに言えば、ある種の悪の要素を持った、あるいは世俗的な欲望が顕著に現れているヒーローについては、際立った巨大な個性であつても想像世界でも愉しめるようになったかな、と思います。



ちなみに小説の冒頭近くにある鳴尾パイロッツが強豪であった十三年間の優勝チームは、以下のように想定しています。

鳴尾パイロッツは、最強豪ではあっても圧倒的に強かったというわけではない。

日本シリーズが、鳴尾市、西宮市だけで開催された年がかなりあったということになります。


左から鳴尾パイロッツの成績及びパシフィックリーグ優勝チーム、

日本シリーズの勝敗、

セントラルリーグ優勝チーム



優勝 2 ー 4 読売ジャイアンツ


優勝 0 ー 4 阪神タイガース


優勝 3 ー 4 阪神タイガース


2位 阪急ブレーブス 4 ー 3 読売ジャイアンツ


2位 阪急ブレーブス 4 ー 2 読売ジャイアンツ


優勝 1 ー 4 読売ジャイアンツ


優勝 4 ー 3 国鉄スワローズ


優勝 4 ー 2 大洋ホエールズ


2位 南海ホークス 4 ー 0 読売ジャイアンツ


優勝 1 ー 4 阪神タイガース


2位 阪急ブレーブス 4 ー 3 阪神タイガース


優勝 4 ー 1 広島カープ


優勝 4 ー 2 中日ドラゴンズ



富島悠一、肥田順の二年生時から、彼らの二学年下の行岡正が卒業するまでの四年間、鳴尾第一は、8季連続ベスト8以上を達成。


1949年 選抜 ベスト4

1949年 夏 ベスト8

1950年 選抜 ベスト4

1950年 夏 ベスト4

1951年 選抜 ベスト8

1951年 夏 ベスト4

1952年 選抜 ベスト4

1952年 夏 ベスト8


鳴尾第一(阪神第一に校名変更後は、甲子園出場なし)

選抜 12回出場 通算24勝12敗

準優勝 1回

ベスト4 4回

ベスト8 3回


夏 9回出場 通算16勝9敗

ベスト4 2回

ベスト8 4回


甲子園通算40勝21敗



鳴尾中央(阪神第二に校名変更後の実績は除く)

選抜 5回出場 通算7勝5敗

ベスト4 1回

ベスト8 1回


夏 4回出場 通算8勝4敗

準優勝 1回

ベスト8 1回


甲子園通算 15勝9敗



鳴尾国際(その後設立、鳴尾市内三番目の高校)

選抜 3回出場 通算5勝3敗

ベスト4 1回


夏 1回出場 通算1敗


甲子園通算 5勝4敗


以前より、毎年5月に鳴尾球場で実施される、鳴尾第一と鳴尾中央の定期戦は、在校生、卒業生のみならず、地域住民も多数観戦する伝統行事であったが、

鳴尾国際設立後は、三校リーグ戦となった。


5月の週末に、三週連続で、

鳴尾第一 対 鳴尾国際

鳴尾中央 対 鳴尾国際

鳴尾第一 対 鳴尾中央

の試合が、必ずこの順番に開催されたのであった。




行岡正

甲子園通算 67打数20安打 打率299


浅見薫平

行岡と同学年

岡山学院にて、2年夏から3季連続甲子園出場

2年夏 二回戦敗退

3年選抜 一回戦敗退

3年夏 ベスト4

甲子園通算 4勝3敗

58イニング 自責点14 防御率2.17 奪三振49 奪三振率7.6


行岡も浅見も、高校時代は、超高校級といった評価を受けている選手ではなく、大学時代に大きく伸びたのであった。


二人が進学した鳴尾総合大学では、在学8季中、4度優勝。


浅見薫平 大学通算41勝13敗


行岡正 大学通算369打数118安打 打率320 ホームラン5本。

プロ通算は、5163打数1530安打 打率296 ホームラン313本。


プロ通算

倉田虎三郎 7529打数2045安打 打率272 ホームラン376本

宮島鮎太 8133打数2319安打 打率285 ホームラン174本

平山速雄 6950打数2037安打 打率293 ホームラン268本


浅見薫平 190勝113敗 勝率627 2541イニング 自責点870

防御率3.08 奪三振2136 奪三振率7.57


立川準造 213勝144敗 勝率597 3180イニング 自責点1142

防御率3.23 奪三振2305 奪三振率6.52




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― 新着の感想 ―
[良い点] 兵庫県鳴尾市は別名ベースボールタウンという、作者の身近な町を題材にしているので、鳴尾タウン出身の私としては、違和感なく親しみを持って読めました。 [気になる点] 特にありません [一言] …
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