夢1
次の瞬間、僕は見知らぬ風景の中に立っていた。呆然とした。コーンを触った姿勢のまま。手は赤く光る何かをつかんでいる。
でも、僕が触っていたのはコーンではなく、自転車だった。自転車の後部の反射板が赤く点滅していて、僕はそれをつかんでいたのだ。
は? どうして? と夢の中の僕は思った。しかし、すぐにその直前の記憶を思い出した。コーンに触っていたシーンではなく、その自転車を触っていた瞬間につながるシーンの記憶だった。こんなことが起こるのも、僕が夢を見ているせいだろうか。
その自転車を押していたのは母親で、並ぶようにして子供が歩いていた。ちょうどそこは狭い歩道だったので、自転車から降りて歩いていたのかもしれない。子供も歩いているのは、下手に自転車に乗せるとバランスがとりづらいからだ。
突然、子供が何かを落とした。きらりと光るもの。ビー玉か。近寄って僕はそれを拾い上げる。子供にとってはこんなものでも宝物なんだよな。僕だって経験がある。
僕はその母子に声をかける。母子は止まらない。もっと大きい声を出しても歩みを止めない母子に対して、驚いたことに僕は無理やり自転車をつかんで、止めたのだった。
これが、転移先の場面に至る経緯だった。そう、転移と言っていいだろう。場所がまるっきり変わっていた。だけど見覚えはある。ここも家の近くの歩道だ。僕もよく通る。
それにしても、夢の中の僕はなんて強引なんだろう。少し変だ。大声を出しても振り返りもしない母親もおかしいけれど、もっとおかしかったのは、僕がつかんだのは自転車の、赤く点滅する反射板だったということだ。
……赤く点滅する、ってさっきのコーンもそうだったな。
「わあ、これ俺の!」
僕が手のひらを広げてビー玉を見せると、子供はそう歓声をあげた。「俺」……?
「拾ってくださったんですね。ありがとうございます。……、こんな時はなんて言うの?」
「おじちゃん、ありがとう!」
子供の名前はノイズがかかったようになって聞き取れなかった。というか、うわあ、おじちゃんと来たか……。僕はそんなに老け顔なのだろうか。高校生だぞ。
こら、失礼でしょ、と母親が注意するが、子供は自分の宝物が返ってきたことがうれしくてそれどころではないようだ。そんなにうれしそうにしている子供を見ていたら、僕までうれしくなってきた。
「これも、君の宝物なの?」
夢の中では行動力があるだけでなく饒舌でもあるらしい僕は、子供にこんなことを聞いた。「これ」とは、子供が履いていた靴のことだった。
それは、ぴかぴかと赤い光を放っていた。小型のライトが埋め込まれているようだった。
なんとなく、嫌な予感がしていた。先ほどから何度か出てくるキーワード「赤く点滅するもの」。どうやらそれがこのわけのわからない夢と関わっているようけど、なんでこんな夢を見るんだ?
僕の思考は夢の中の「僕」には及ばない。しかし夢の中の「僕」の思考は、僕には手に取るように分かった。
僕は猛烈にその赤く点滅する靴に惹かれていた。触りたい、という強烈な衝動が僕に口を開かせる。
「ねえ、それ、触ってもいい?」
子供は僕のただならぬ様子に気づいたのか、渋った。嫌だ、俺のだもん。
「いいだろ」
自分でもぞっとするような低い声を出しながら、僕は手を突き出した。
その時の子供の顔は、もはや恐怖に歪んでいた。母親の顔を見る余裕は、夢の中の僕にはなかったようだが、きっとそちらもひどく歪んでいたことだろう。
しかし母親の顔を見ることはかなわなかった。
子供と話すためにしゃがんでいた僕の顔面をその子供が蹴りつけた。「俺のものだぞ!」僕が強引に彼の靴に手を伸ばしたからだ。ガツンと言う衝撃が僕を襲ったが、僕はひるまずにその靴をつかんだ。
カンカンカン……。
また転移したのだと分かった。
「僕」は何かをつかもうとするが、かなわない。手がぬめぬめしたもので覆われていて、つかもうとしても滑るからだ。それに、なんだか手に力が入らない。おかしいな。身体はこんなに軽いのに、支えられない……。
「僕」はそのまま落下した。
「僕」? これは、「僕」なのか?
カンカンカン……。
どさりと、落ちた。頬にごつごつした、石? のようなものの感触。脇腹を強くぶつけた気もするが、痛くないので気のせいかもしれない。
さっきからひどい違和感を覚える。世界が、薄い、靄に包まれたような感覚だ。
それとも、違和感の正体は、この軽すぎる身体か? 足の感覚がない。なんにせよ、「僕」はもう元には戻れないってことが、分かった。
カンカンカン……。
「ひっ」
声がして、がしゃんと何かが倒れる音がした。カラカラカラ……。自転車の車輪が空回りする音だ。
その音は、どこまでも虚しく鳴り続ける。カラカラという音に合わせて、目の前の景色が点滅を繰り返した。
僕は、目の前のものに気づいた。スマホだ。僕のだろうか。さっきまでやっていたゲームの画面が表示されている。
『GAME OVER』
いつの間にかゲームオーバーになっていたらしい。「僕」は赤く点滅する画面に手を伸ばした。そうしなければならないと、感じたからだ。