9. 傷
夜が明ける前に、二人は森を出て山の麓についた。松明が燃え尽きたので、二人は夜が明けるのを待たなければならなかった。その間キーアは何度も自分を責める言葉を吐いたが、イーレンがその都度黙らせた。
やがて周囲が明るくなり、二人は村を目指して歩き始めた。急げば今日のうちに、次の村にたどり着けるはずだった。キーアはさんざん黙るように言われたのが効いたのか、昼の明るいうちは静かないつものキーアに戻ったのか、口を開かずに歩きとおした。
村についたのは夜になる前のことで、二人は宿を取って部屋に落ち着くことができた。イーレンはまずキーアの傷を調べた。彼女は真っ暗闇の森の中を這い回ったせいで、手と顔にたくさん擦り傷を作っていた。ただ幸いにも刃傷はなく、イーレンは胸を撫で下ろした。次にイーレンが服を脱いで上半身を見せると、キーアがはっと息を呑んだ。
「どうしたのその傷……」
「ああ、これは古い傷だから大丈夫」イーレンはそういって、左の乳房の下から臍の方へ抜けている縫い傷に触れた。「それより背中を見てくれない?」
イーレンにはあちこちに軽い打撲傷があり、頬にある紫色の傷の他に、背中に大きなあざがあった。右腕と、手のひらと、指にも傷があって、爪も一枚めくれていた。すでに半日が過ぎているせいか、どれもどす黒く変色していた。
「よかった、大したことなくて」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」
キーアがまた泣き出したので、イーレンは肩を抱いて慰めた。
「いいんだよ、これが剣士の仕事なんだから」
「そうじゃないの、私、あなたをこんなことに巻き込んじゃって。それにあなたの大事な剣まで……」
イーレンの剣のダメージは大きかった。折れた部分は斜めに割れたようになっていて、先がとがって鈍い光を放っていた。残った刃は大きな毀れが三つできていて、そのうちの一つは心金に届いていた。
「もし私に直せるなら……」
「切っ先はどこかへ飛んでっちゃった。今頃あの森のどこかだよ」
キーアはイーレンの返事を聞いて、じっと下をむいた。イーレンは慌てていった。
「剣を折ったのはわたしの未熟なんだから、あなたのせいじゃない。あのときとどめを刺そうと急がなければ、盾を受けることはなかったんだから……」
それでもうつむいたままのキーアに、イーレンは別の質問をした。
「あいつらのこと、知ってるの?」
「ええ。彼らが欲しがっているのは、本当は私の剣なの」
キーアはそういうと、背負子に括り付けてあった長物を取り出してきた。布で固く包まれたものを解いていくと、中から剣が四振り出てきた。二振りは鞘に収まった完全なもの、一振りは鞘も柄もなく半分に折れているもの、一振りは四つの部分に割れているものだった。
「これは……」
「ハンツの鍛冶場まで運ぼうとしている、ギルドの剣なの。ハンツで材料や成分の分析ができれば、製法が解明できるかもしれないって、私たち……私の師匠が考えているの」
「あいつらはこの剣をどうしようとしてたの?」
「説明が難しいんだけれど……。ギルドの中には、この剣の製法が解明されると困る人がいるの。あいつらはこの剣を奪って壊してしまうか、自分たちでこれを研究して、製法を辺境へ持っていってしまうつもりみたい」
「そのためにあいつら、あんな……」
「ごめんなさい、あなたを巻き込んでしまって。あなたみたいな強そうな人が近くにいたら、きっと彼らも手を出せないと思ったの。それに一人旅より二人の方が楽しいと思ったし。それに……、その、どうしてもあなたの剣が見てみたくて……」
「ほんとにもう、あんたったら!」
イーレンはどんな顔をしていいのか分からず、笑い出してしまった。だがキーアはまだ心配顔で訴えかけてきた。
「許してもらえないのは分かってるけど、どうしても一緒に行きたいと思ったの。だってあなた、とってもカッコいいし、剣を使っている姿も見てみたかったし……」
「襲撃されるのを待ってたわけ?」
「違う違う! 形を見せてもらおうと思ってたんだよ! だから広い部屋を取ろうって」
「そういうこと!」
「あるいは昼の休憩のときとか……。でも、いつも考え事をしているみたいだったから、なんだか頼みづらくて」
「……キーア、あなた本当の名前はなんていうの?」
「えっ」
「わたしはね、イーレン。よろしく」
「リニアン? イーレン?」
「わたしもね、追われてるの」
イーレンは、兄弟子が道場を乗っ取るという師匠の言葉と、ハンツで人を探そうとしている旅の目的を手短に説明した。
「だから、剣をよこせって言われたとき、道場の連中が剣を取り返そうとしているのかって勘違いしちゃったんだよね」
「そうだったのね……」
「だからおあいこ。わたしが勝手に首を突っ込んじゃったんだよ」
「それは違うと思うけど……」
キーアは唇を噛んでいたが、やがて決心したように、完全なうちの一振りを手に取り、イーレンに渡した。
「あなたにこの剣を差し上げたいの。受け取ってくれないかしら。私と、私の剣を救ってくれたお礼に」
「ええっ? だって、これはギルドのものじゃないの?」
「あなたなら、この剣の価値が分かるはず。あなたに受け取って欲しいの。茎を見て」
イーレンはじっと剣を見下ろしてみた。キーアの言葉の意味がよく分からなかったが、突然その剣が、サルビリニアスの剣によく似ていることに気づいた。柄や鍔や鞘といった拵えは、形も細かな細工もすべて異なっているが、手に持った感覚がそっくりなのだ。イーレンは鞘を払い、刃をじっくりと眺めてみた。その刃に浮かび上がった波紋もまた、サルビリニアスの剣によく似ていた。まったく同じではないが、同じ思想を感じることができた。イーレンは自分の道具を使って柄を外し茎の銘を見た。そこにはサルビリニアスの剣と同じ文字が刻まれていた。
「あなた、分かってたのね、初めて会った日からずっと……」
「ごめんなさい」
キーアは何度目か分からない詫びを言った。イーレンはため息をついて、先を促した。
「その作者が、いつ、何処の人なのかは分かっていない。もしかしたら異端者かもしれない。ハンツの鍛冶場なら、それを調べられるはず。でもね、実はハンツへ持っていって、それを壊してしまうつもりだったの」
「えっ」
「材料解析と断面分析のために、結局折ってしまうことになるの」
「そう……」
「だからね、あなたの折れた剣を私にください。代わりにこれを差し上げたいの」
イーレンは鍔を戻し、茎を柄に差し戻すと、留め釘を入れて元通りに組み立てた。
「分かった。ありがとう、大切にするよ」
「よかった……」
キーアはようやく微笑んだ。イーレンも笑いかけた。
「拵えはどうする? もし必要なら、鍔は付け替えられると思う」
イーレンはもう一度、手元に目を落として考えた。サルビリニアスの剣はどこからきたのか、キーアの剣はどうしてここにあるのか、どちらも理由は分からなかった。だが人との出会いと同じく、剣との出会いもまた、一期一会なのだという気持ちが沸いてきた。
「このままでいい。このままが一番だよ」
「分かった……それがいいのかもね。あ、それから」
とキーアは付け足していった。
「私の名前は、シアニーアっていうの。ほんとはね」
それから二人は夕食をとった。キーアは気が緩んだのか、食事の後すぐに眠り込んでしまった。イーレンは一人で、新しい相棒となった剣を研ぎ直し、油を塗って手入れをした。ベッドの上でその剣を眺める目が、暗い部屋の中で輝いて見えた。