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8. 追っ手

 イーレンとキーアはスマタトの宿を出ると西へ進路を取り、峠を越える細い山道へ分け入っていった。山脈を越える道は非常に険しく、ほとんど登山に近い。丸一日かけて、二人は山道の峠の手前までたどり着いた。木立の陰に場所を見つけて、二人はそこで野宿をした。


 翌日スマタトの峠を越えると、その先は長い下り坂になった。あたりは笹が生えるばかりの荒地で、人が住む場所もない。二人は昼にスマタトで調達した携行食料を食べ、さらに先へと進んだ。荒地を抜けると、次に高い木々に囲まれた暗い道に変わった。この森を抜け、山を下った先に村があるのだが、まだそこまで一晩と一日かかるはずだ。二人は今日の明るいうちに、せめて平坦な場所にまで降りておきたいと相談していた。そのためにはかなり急がなければならない。下りといえども山道は深く、歩きづらい道のりが続いた。二人は短い休憩の間に冷えて硬くなった携帯食を食べ、先を目指して歩いていった。


 イーレンはスマタトでのキーアとの会話を思い出しながら、ときどき顔が赤くなるのを感じていた。キーアは昼の間、歩いているときは全然口を開かないが、夜になるとあれこれと質問してきて、なぜかイーレンは考え込むことになってしまう。一人旅のときは、夜は疲れきって寝るだけだったので、キーアと二人の旅になって、なんだか気持ちも休まらないように思えた。


 でも一方で、キーアとの会話をしているうちに、サルビリニアスのことを忘れてハンツを目指すばかりの旅で本当によいのだろうかとも思うようになった。一度はあきらめていたこと、再びバウドーに戻ってサルビリニアスと暮らすことを考えてしまうのだ。ハンツまではあと一週間ほどの距離だ。一度ハンツに到着したら、助けを連れて戻るのもよいかもしれない。イーレンはあれこれ考えながら足を運んでいった。


 やがて、日が暮れて夜になった。暗くなってしまうと山道では進むのが難しい。結局森を出られなかった二人は、仕方なく街道を外れ、少し奥にあった小さな草地で野宿することにした。


 キーアは火打ち箱を使って小さな焚き火をすばやく起こすと、冷えた携帯食を小さな鍋にあけて温めなおし、ささやかな夕食を用意してくれた。二人は熱いお茶と一緒にそれを食べ、一息つくことができた。キーアは、なぜか今夜は何も話をしてこなかった。焚き火の炎を見ていると、眠気を誘われるからかもしれない。二人はずっと黙って、焚き火を見つめて過ごした。ときどき小枝がはじける音だけが、森の奥に響くだけだった。


 二人が寝てしまい、一刻ほど時間が過ぎたころだった。イーレンは、誰かが小石を踏む音を聞いて目を覚ました。焚き火は(おき)になりかかっていて、あたりは薄暗かった。キーアは横になって毛布に包まっていて、完全に眠り込んでいるようだった。イーレンはマントのように毛布を体にまとったまま、剣を身に帯びて立ち上がった。そしてキーアをそっと揺り起こした。


「起きて。起きて!」

「ううーん……、どしたの?」

「誰かいる」


 イーレンはキーアの唇に軽く指をあて、声を上げさせないようにしながら、彼女も毛布に包んで立ち上がらせた。二人で周囲を見渡すが、気配はほとんど感じられない。まずいな、と思ったイーレンは毛布の下で剣の鞘をはらった。


「わたしの左に」


 イーレンはキーアを左側に寄せると、左手でキーアの右肩に手を置いた。中腰になった二人は、ゆっくりと街道へ向かって降りていった。キーアは置いたままの荷物が気になるようだが、イーレンが有無を言わさず先に進むので、黙ってついてきた。イーレンは剣で暗闇を探るように先を進んでいった。


 焚き火の明かりがもう届かなくなるというところまで来たとき、イーレンは暗闇の中から二人の男が姿を現すのを見た。一人は両手剣を持った男と、もう一人は剣と盾を持った、見上げるような大男だった。イーレンはその男に見覚えがあった。スマタトの村の通りに面した飲み屋で、仲間としゃべっているところを見たのだ。そしてすぐに、その大男が三人組だったことも思い出した。イーレンはキーアの肩を掴んで引っ張ると、すばやく右へ三歩動いた。するとキーアの背後だった場所から、三人目が現れた。イーレンはキーアをかばいながら、なんとか二対三の形に位置を動かすことができた。心拍で七拍分の間が空いた。


「そいつをよこしな」


 最後に現れた女が口を開いた。だが、暗くて誰に何をいったか分からない。イーレンは答えた。


「何のこと?」

「その剣よ。よこしなさい」


 またしても剣だ。よほどこの剣には、因縁があるらしい。いったいサルビリニアスはどんな呪いをかけたのだろう。これを解くのが自分の使命なのだろうか。イーレンは吐き捨てるように言った。


「イヤだ」


 そこに、慌てたようにキーアが割り込んできた。


「まって、それは私が……」


 だが女は聞いていなかった。剣を構えているイーレンから目を離そうとせずに言った。


「逆らうと命はないよ。黙って剣をよこしな」


 もしかして、とイーレンは思った。プレイオスは、殺し屋を雇って後を追わせたのだ。こんな卑劣な手を使うとは。


「絶対にイヤだ。これは師匠にもらった宝物。命と引き換えにしても渡さない」

「あんた、三対一で勝てると思ってるの」


 相手はキーアのことを勘定に入れていない。それはイーレンにも痛いほど分かった。キーアは肩に置かれたイーレンの手を固く握りしめていて、食い込んだ爪が痛いほどだ。何とかして逃がしてやらなければならない。


「この子は関係ない。逃がしてやってもいいでしょう」


 イーレンは叫んだが、女は冷淡に言った。


「関係ないわけないじゃない」


 キーアも黙っていなかった。


「違うの、聞いてよ」


 しかしイーレンは有無を言わさず、キーアをそっと突き放した。


「いいから下がって。スキを見て逃げて」


 それから、三人組に向かって言い放った。


「わたしに何ができるか、見せてやろうじゃない」


 イーレンは剣を両手で構えた。そして左手の小指で剣の柄頭をしっかり掴み直した。そしてすばやい動作で、右手で肩にかけた毛布を取り、右側の二人の男に向かって投げつけた。それは大きく広がって、二人の視界を遮った。男たち二人は一瞬イーレンの姿を見失った。イーレンはそれと同時に、左足で大きく一歩踏み込み、女へ向かって切り掛った。


 女は中段に構えた剣で突きを入れてきた。イーレンはそれを避けつつ身を低くかがめ、左腕一本を一杯に伸ばした。右から左へ剣を薙ぐと、切っ先が女の左足の膝頭を叩き割った。女がぎゃっと悲鳴を上げるのと、大男が剣を振り下ろして毛布を切り裂く轟音が同時にあがった。イーレンは勢いを殺さず左に回りながら、今度は両手剣を持った男へ切っ先を伸ばした。その男はまだイーレンを見失ったままで、その剣さばきも見えていなかった。イーレンは二歩で間合いを詰めると、相手の臍から左の脇腹を一気に切り裂いた。


 イーレンは女と、切り捨てた男の間を転がるように走り抜けた。その直後、大男の剣が再び振り下ろされ、地面にがつんと叩きつけられた。イーレンは焚き火を背に、間合いを取り直した。仄暗い赤い光の中に、憤怒の表情の大男の姿と、目を吊り上げた女の顔が見えた。両手剣の男は倒れたようだ。キーアの姿はどこにも見えない。イーレンは剣を両手で持つと、大男に向かって正眼に構えた。


 大男が怒声を上げながら、またしても剣を振り上げてきた。イーレンも右上段に剣を振り上げ、打撃を受けようとした。イーレンは大男の筋肉の動きを見て、相手が力に任せて剣を振り下ろし、イーレンを真っ二つに叩き切ろうとしていると見抜いた。あまりにも力みすぎていて、剣の動きを細かく制御することなどできそうにない。イーレンはその打撃を受けようと右上段に構える振りをした。大男が剣の衝突に備えて、更に身体を固くするのが分かった。イーレンは剣と剣が触れ合おうとした瞬間に、巧みに切っ先を左へ入れ替えた。大男の剣は空を切り、下へ振り下ろされた。それはイーレンの右腕をかすめ、皮膚を引っかいていった。その切っ先が右の太ももを掠めていくが、どこにも当たらず地面にまで落ちていった。大男は、打撃の反動がないので慌ててしまっていた。いつの間にか体が入れ替わっていることに気づいて、目が丸く見開かれた。イーレンの剣は、男の右腕の上にするりと被さった。刃が肘の関節を切り裂き、橈骨を砕き、筋肉を削ぎ落とした。ごつごつと骨に当たる感触がイーレンの手元に伝わってくる。だが、相手の頑丈な身体を切るために全力で切り掛かったので、次の一撃を加えるための間が取れなかった。イーレンは危険を察知して、大きく四歩飛びのいた。すると相手の盾がイーレンの腰の前をびゅうと通り過ぎた。ぶつかっていたら、身体が真二つにされているところだ。


「ごがあ!」


 右腕に走った激痛に耐えかねて、大男は叫び声をあげた。もう剣を握っていることもできず、めちゃくちゃになった右腕の代わりに左手の盾を振り回している。しかし盾もまた凶暴な武器で、これが非常にやっかいだった。イーレンの剣は細すぎて、盾を突き破ることは到底できない。イーレンは森の木々を挟みながら、暗い方へ逃げていくしかなかったが、このまま走り去ってしまうわけにもいかない。キーアを見つけて一緒に逃げなければならない。イーレンは相手との位置を測りつつ、焚き火の方へ戻ろうとした。しかし大男もまったくのバカではなく、焚き火を中心にイーレンとキーアのことを探しているようだった。それにもう一人、女のこともある。足をだめにしてやったが、無力化できたわけではない。


「キーア!」

「こっちよ!」


 イーレンの呼びかけに、キーアが返事をした。返事をしない方が本当はよいのだが、返事をしたら大男が反応するはずだった。イーレンはそれに付け込んで、大男の方へ向かって駆け寄った。


 案の定、大男はキーアの声のする方を振り返っていた。イーレンは一気に間合いを詰めた。しかし大男は、充分に近づくより先にイーレンに気づいた。盾を横に薙ぎ払うようにして、左から右へ大きく振りかぶった。


 イーレンは突進する勢いそのままに、地面すれすれに身を伏せて、右腕を一杯に伸ばして相手の右足の脛を切った。巨体を支えきれなくなった大男は、どしんと右側へ倒れてしまった。イーレンは間髪入れずに立ち上がると、次の一撃を入れるために剣を振りかぶった。


 ところが大男は、イーレンの予想よりも速く動いていた。上半身の強靭な筋肉をバネのように使い、巨大な盾を振り子のようにして、右から左へイーレンの顎に向かって叩きつけようとしたのだ。イーレンは剣を使ってそれを()なすしかなくなった。刃ではなく、鍔で受けようとしたが間に合わない。これほどの巨大な盾を受けられるような剣ではないのに……。イーレンは相手のスピードと、自分の剣の角度をできるだけ合わせていった。それから身体を投げて、可能な限り盾から逃れるようにした。


 うまく力を分散できれば、もしかしたら助かるかもしれない。しかし剣が折れてしまったら、首のところで頭が千切られるか、頭が半分なくなることになりそうだった。致命傷にならなかったとしても、左腕は持っていかれそうだ。なんとか肘までは残したい。そういえば、千切れた腕は戻らないとヘックナーは言っていた。大都会の病院でなければ繋げないと。そもそも、切れた神経が元通りになるものか……。イーレンは目の前に迫った錆だらけの盾の縁を見つめながら、そんなことを思った。


 剣と盾がぶつかった。イーレンは剣を横へ寝かせながら力を逃がしていく。ガリガリと音を立てながら盾が刃の上を滑っていく。剣の棟が、イーレンの左手に食い込んだ。盾が、イーレンの頬骨の上を掠めていった。手元に、歯が折れるような鈍くて嫌な感触が伝わってきた。永遠に続くかと思えるほどの時間が過ぎて、イーレンは背中から地面に倒れた。ほとんど受身が取れず、イーレンは肺からすべての息を吐き出してしまった。


 イーレンは咳き込みながら転がって、大男から少しでも離れようとした。背中の激痛に耐えながら無理矢理立ち上がると、正眼に構えた。そのとき、剣の切っ先から三分の一ほどが、折れて無くなっていることに気づいた。


 イーレンは悲鳴を上げたくなる気持ちをぐっとこらえながら、大男を睨んだ。大男は立ち上がれず、うなりながらもがいていた。足の傷が深いようだった。イーレンは大男をそのままにして、キーアを探すことにした。


 焚き火の方へ戻ってみると、そこにいたのは一味の女だった。切られた足を庇いながら、木にもたれ掛かって立っていた。女もやはり、それ以上動けないようだ。キーアはそこにもいなかった。


「さあ、どうする?」


 イーレンは挑むように女に向かって言った。女は苦々しい顔をしていたが、あきらめたように言った。


「わかった、降参する」

「キーア! キーア!」

「こっちよ!」


 遠くで返事が聞こえた。イーレンは女に油断なく目を配りながら、焚き火を起こし直して明かりを灯した。暗がりからキーアが戻ってきた。


「荷物をまとめて。すぐに出発するから」


 キーアに片づけをさせながら、イーレンは女を睨み続けた。キーアは自分の背負子と、イーレンの背嚢を用意すると、二つとも自分で持って準備を済ませた。イーレンは薪の中から一本を選び、剣の手入れに使う油の染みたぼろ布を巻いて松明(たいまつ)に仕立てた。それからイーレンは女に向かっていった。


「戻ったらプレイオスに言いなさい、この落とし前は必ずつけるって」


 ところが、キーアが叫んだ。


「まって、違うの。この人たちは違うの」


 キーアは泣きながらイーレンの肩に(すが)った。


「どうしたの?」

「この人たちは、私を追ってきたの。あなたは悪くないの」

「……話は後で聞く、もう行きましょう」


 イーレンはキーアを引っ張って、松明を頼りに街道を歩いていった。


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