5. 保安官
イーレンは夜明けを保安官事務所の一室で迎えた。屋敷に駆けつけた保安官に連れてこられて、ずっとこの部屋に入れられていた。そこは監獄ではなかったが、部屋の扉は内側からは開かないようになっていた。机とテーブルしかない部屋で横になることもできず、イーレンは頬杖をついて待つことしかできなかった。
朝になってすぐ、保安官が入ってきた。保安官はがっちりとした体つきの大きな男で、髪を後ろに撫で付けている。目尻には皺が刻まれているが、笑っているのか怒っているのか判然としない表情だった。彼は食事をのせた盆を持って現れた。そして二人分の朝食を机に並べると、イーレンも一緒に食べようと提案してきた。これは相手の気持ちをほぐすための尋問のテクニックなのかな、とイーレンは思ったが、空腹だったので遠慮なく食べることにした。
食べながら保安官はあれこれと質問を始めた。どういう経緯で屋敷に来たのか、誰とどこで会ったのか、いくらで仕事を引き受けたのか、誰からいくら受け取ったのか。どうして人を切り殺さなければならなかったのか、他に手立てはなかったのか?
「夜盗は、わたしたちが見張りにいたのを知ってた」
「どうして分かる?」
「すぐに切りかかれるようにして入ってきたから」
「それはどうして分かるんだ?」
「剣を抜いて、わたしとグルーオスのことを探してた。わたしたちが二人ということも知っていたはず」
「それから?」
「わたしは何者かって聞いた。相手は返事をしなかった。……わたしたちが眠り込んでいると思って油断してたみたい。静かにゆっくり入れば、起こさずに息の根を止めらたのに」
「何でそれが分かるんだ?」
「入ってくるところを見てたもの。あいつらは、こっちを殺そうとした。殺らなかったらこっちが殺られてる」
「切りかかったのはどちらが先だ?」
「あっち」
「本当か?」
「わたしの相手はそうだった。大きく振りかぶって……、でもノロマだった。わたし、運がよかったかもね」
「もう一人は?」
「グルーオスがうまくやってた。わたしはちょっと助けただけ」
「とどめは君が刺したんだろう」
「どうかな。グルーオスもうまくやってたと思う」
保安官は朝食を噛み締めながら眉をひそめたが、説教じみたことは何も言わなかった。
保安官は食事を終えると、盆を持って出て行った。そして、次に保安官助手が入ってきた。助手の女は保安官よりもずっとうるさく細かい人物で、左手には紙ばさみを持っていて、それを見ながら質問をしてきた。さきほど保安官が聞いたこととほとんど同じことを何度も繰り返してくる。イーレンは、グルーオスがしゃべった内容を付き合わせようとしているに違いないと考えた。だが調子を合わせようとしても仕方がない。イーレンは我慢強く、保安官に言ったことと同じ話を繰り返した。
助手に昼までかかって質問攻めにあった後、また保安官が入ってきた。そして三回目の質問が始まった。
「グルーオスは何をしていた?」
「あいつらが入ってきたときは寝てた」
「じゃあ何も見ていないんだな?」
「わたしが大声を出して起こしたの」
「グルーオスは見てたか、見てないか、どうなんだ?」
「グルーオスに聞いてみて」
「君がどう思うかを聞きたいんだ」
「寝てたんだから、見てないと思う」
「はっきりしてくれないと困るな!」
「そうは言っても、わたしも疲れてるの」
イーレンは大あくびをして答えた。
「そろそろ昼ごはんじゃない? お腹も減ったし、昨日から寝てないし、散々よ、こんなの」
「まあ、もうちょっと付き合ってもらうしかないな」
イーレンは内心で舌打ちをした。自分は人を切り殺しているので、取調べが厳しいのは覚悟していた。しかし長い時間この町に足止めを食うのは困る。いったい何日ぐらいここに留まっていなければならないんだろうか。ここでぐずぐずしていたらプレイオスたちが追いついてくるかも……。でも焦ってもどうしようもない。ここで反抗的な態度を見せれば、余計に時間を取られてしまう。黙って従うのが、結局は一番ということになる。そこで結局、イーレンは無表情でこう言った。
「まあ、仕方ないかあ」
それを聞いた保安官は、椅子の背にもたれかかると苦笑いをした。イーレンはそのとき初めて、彼が笑ったときの表情が区別できた。
「君は若いのに奇妙な女だな。いやはや! 君は若いんだろう、違うか? それとも思ったよりは大人かな? 背は高いが若いんだろう、違うか? それなのに時々、とてつもなく年寄りみたいな態度を見せるな。いったいなぜなんだ?」
イーレンは驚いてしまった。年に似合わず背が高いというのは、確かによく言われる。だが年寄りのようだなんて言われたのは初めてだ。
「若いとか年寄りとか、気にしたことない。そもそも若いってどういうこと? あなたより若いかって聞かれたら、たぶんそうだと思うけど」
「はははは。確かに君は私より若いな」
保安官は前髪を掻きあげて言った。イーレンはそこに白髪が混じっているのを見た。
「君はどこから来た?」
イーレンが一番聞かれたくない質問だった。イーレンは精一杯、さりげなく答えた。
「ウーベリ」
「ほう……。どこへ行く?」
「決めてない。ガーウィッシュか、できたらもっと遠くへ行ってみたいんだけれど」
「何しに行くんだ?」
「武者修行ってとこかな」
「持ち物の中に、手紙があったな。あれは何だ?」
背嚢は保安官事務所に預けたので、中身は当然のことながら改められている。イーレンは宛先を書いた小さな紙切れを最初の宿屋で焼き捨てていたので、残っているのは真っ白な封書だけだった。
「預かり物。まさか開けてないでしょうね?」
「いや」
「よかった。わたしも何が書いてあるのか興味津々なんだよね」
「預かっているということは、誰かに届けにいくのだろう?」
「それって言わないといけないこと? 関係ないと思うんだけどなあ」
イーレンは茶目っ気たっぷりにそう言ってのけた。保安官は思わず笑いだしたが、やがて立ち上がってこういった。
「まあいい、いったん君を釈放する。ただし町を出ることはできん。宿を手配するから、そこへ泊まるんだ。私の許可が出るまではそこに居てもらう。よいかね」
それから保安官は部屋を出て行った。最後の言葉は質問ではなかったので、イーレンは従うしかなかった。しばらくすると保安官助手が来て、背嚢を返してくれた。しかし剣は返さないという。そしてイーレンを宿へ連れていった。
*
宿のベッドで二時間ほど仮眠して、それから夕食を食べた。同じ宿にグルーオスがいて、どうしても奢らせろというので厚意を受けることにした。というのもグルーオスは、イーレンを命の恩人というからだった。
「しかし、どうしておれらが疑われなきゃならないんだ? 夜盗を倒して、屋敷を助けてやったっていうのによ」
「まあ、証拠は何もないしね」
イーレンはシチュー皿に残ったタマネギをフォークでつつきながら言った。
「そんなわけなかろう。だいたい、あのときあんたがあいつらを倒してくれなきゃ、殺られていたのはおれだったんだぜ」
「ちょっとそこのところがよく分からないんだけれど……」
「いやいや、ホントあんたはすごかったぜ! あの剣さばきは見事だった。あまりの速さに何も見えなかったからな」
何も見えなかったのに、どうして見事だって言えるんだろう。イーレンは疑問に思わずにいられなかった。
「でもね、それって……」
「とにかく、あんたは命の恩人ってことさ! なあ奢らせてくれ!」
「わたし、酒は飲まないんだけど」
「ジュースでも何でもかまいやしないさ、な!」
イーレンが仕方なくグルーオスに付き合っていると、食堂に保安官が現れた。保安官は二人の席にまっすぐやってきてこう言った。
「ルイタスとテベの行方がわかった。ルイタスは捕まえて、今晩中には連行されてくる。テベはまだ追いかけているところだが、君らは完全に放免だ。ここの代金も私が持つから、好きなだけ飲むといい」
グルーオスはそれを聞いて、それみたことかと騒ぎ立てた。だが最後にはこう言って席を立った。
「これ以上は酒が不味くなるから、俺は帰る」
それから輝く笑顔をイーレンに向け直して言った。
「じゃあな、相棒! お先に失礼するぜ」
保安官はそれを見送ると、イーレンに彼女の剣を手渡した。イーレンはそれを、二度と離すまいというように抱きしめた。
「少しいいかな」
保安官が言うので、イーレンは仕方なく返事をした。
「少しなら」
保安官はグルーオスが座っていた椅子に腰掛けた。
「すぐに町を出るかね?」
「いいえ。夜になっちゃったし、明日の朝にする」
「そうか。気をつけて行きたまえ。引き止めて悪かったね」
保安官が言葉を切ったので、イーレンは肩をすくめて席を立とうとしたが、保安官が引き止めた。まだ話がしたいらしい。イーレンは他にすることもないので、付き合うことにした。
「テベは何をしたの?」
「うーん。実はまだ分からない。どうやら、最近あちこちで発生している夜盗騒ぎの黒幕ではないかと睨んでいるが、捕まえてみないと分からん」
「それでどうして、わたしたちが放免になるの?」
「ルイタスの身柄は押さえた。まだ直接に言い分は聞いていないが、テベに誘われて話に乗ったということだ。夜半に勝手門を開けたのもこいつだ」
「つまり、警備をすると言っておいて、内側から鍵を開けているってこと?」
「そういうことだ」
なるほど、自分たちが疑われるのも仕方ないわけだ。それにイーレンとグルーオスが、見てくれだけの飾りだったということも明らかになった。テベは弱そうに見える流れ者を探しに来て、イーレンを選んだのだ。調子のよい話に乗ってくるような世間知らずを……。イーレンは不用意に事件に関わってしまった事を後悔した。
「死んだ二人のことは?」
「身元は分からない。何も持っていなくてね……。ただテベと一緒に行動していたに違いない。それらしい情報は掴んでいるんだ」
保安官は片目をつぶって、先を続けた。
「もしかしたらテベは捕まらんかもしれん。ただ、ルイタスの予備尋問は済んでいる。君らの潔白は裏が取れてるよ」
「ありがとう。ひとついい?」
「何かね?」
「もしも、誰かわたしを……、そのう、若い割には背が高くて、剣を持ってて血に飢えた女を探してるって、そういう奴らが町に来たら、知らないって言ってほしいの。そんな奴見たことないって」
「……いいだろう。しかしいったい、誰に追われているんだ?」
「そんな野暮なこと聞かないで」
「ふーむ、本当に君は面白いやつだな……」
「お願い、これって本当に深刻なんだから」
「君のような危険人物を黙って見過ごしていいのか、迷うな」
「あなたに迷惑はかけてないはずだよ」
「そう見えるかね? 面倒な仕事を増やされて、困ってるんだよ、これでも」
しかし保安官の表情は困っているようには見えなかった。その後しばらく、たわいない話をして保安官は帰っていった。イーレンは愛想よく笑ってそれを見送ったが、彼が見えなくなってから大きくため息をついた。