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3. バールブット

 イーレンは混乱したまま、道場を飛びだした。実際には飛びだしたのではなく、ゆっくりと歩いて出て行った。なぜこんなことになったのか、心の内は答えを求めて叫んでいた。しかし冷静に自分をコントロールしているもう一人の自分が、足を前後に動かしているのだった。イーレンは村はずれの道場から、村の真ん中の通りへ向かう道を、振り向かずに歩いて行った。


 イーレンが向かったのは、村の穀物倉庫だった。そこでバールブットという村人と落ち合う約束だった。バールブットに、街道沿いの宿場の村カイブまでフライヤーに同乗させてもらうことになっていた。


 バールブットは、村が所有するフライヤートラックの運転手だった。トラックは二人乗りの座席と荷台がついた小型のもので、彼の仕事は二、三日に一往復のペースで隣町へ農作物を運び出し、帰りは村長の言いつけに従っていろいろな買い付けをして帰ってくることだった。村から外出する者を同乗させることもしばしばで、今回の旅に出るにあたって、イーレンもこれを利用する予定だった。サルビリニアスの話が突然すぎて頭が働かないイーレンだったが、どこに行くにしても街道には出なければならない。イーレンは、何はともあれバールブットと落ち合うために穀物倉庫へ向かった。


 倉庫の前では、バールブットが出発の準備をしていた。木箱を八つほど積み上げて、荷台に上げようとしていた。イーレンが声をかけると、バールブットは無愛想にこう言った。


「荷物は荷台に。座席に座って待っててくれ」


 イーレンは手伝おうかと言ったが、バールブットは首を振って断った。イーレンは肩をすくめて、言われたとおりにした。イーレンの荷物は旅行用の背嚢(はいのう)がひとつと、サルビリニアスに授けられた剣がひとつだけだった。これを荷台の隅に置き、自分は運転席の横に座った。やがてバールブットは準備をすませ、運転席に乗り込んできた。係留レバーを外し、操縦桿を倒すと、トラックはゆっくりと前へ進みだした。


 トラックの旅は、慌しい朝とは違って順調に進んだ。村の通りを抜け、畑を横切り、北にある山道へ向かって滑らかに進んでいった。大きな畑を抜けると、山の(ふもと)から峰に向かって曲がりくねった道を登っていった。山は背の高い木々に覆われていて、小さな道は薄暗かった。道に沿って揺れるトラックに身を委ねながら、イーレンは朝に起こったことを思い返した。


 サルビリニアスがくれた親書の宛先に、イーレンはひとつだけ思い当たることがあった。それはハンツの街にある帝国軍学校だった。サルビリニアスの道場は軍人を目指す者が多かったので、ハンツの街に何があるかは誰でも知っていた。ランドンという名前には聞き覚えがなかったが、おそらく軍学校にいる人物に違いない。さもなければ、ハンツ駐屯地の軍人か、あるいはサルビリニアスと同じように退役した人かもしれない。まずはハンツへ行って、学校を目指そう。イーレンはそう考えた。


 しかしハンツまで行って、自分は何をすればよいのだろうか。サルビリニアスはランドンに助言を求めろと言いたいらしいが、本当にそれでよいのだろうか。サルビリニアスに言われて道場を慌てて出てきてしまったが、道場に残ってプレイオスたちと対決する事も出来たのではないだろうか。サルビリニアスの言うとおり、イーレンには皆には勝てないかもしれない。兄姉弟子(あにでし)たちは皆年上で身体も大きく力も強い。しかしイーレンは優れた剣術の腕前があったし、スピードでは誰にも負けていない。一対一ならば、勝機はあるのではないだろうか。


 でも、だからといって一体どうすればよいのだろう? 先手を打って、兄姉弟子たちを一人ずつ片付けるか? そんなことが出来るだろうか。これまで練習では何度も手合わせをしてきたが、弟子同士が真剣で殺し合いをしたことは一度もない。いくらサルビリニアスを守るためとはいえ、そんなことが出来るとは到底思えない。ではサルビリニアスを守って籠城するか、あるいは彼を連れて逃げるか……。こちらもあまり現実的ではなかった。プレイオスと話し合って説得するか? 自分には道場を継ぐ野心はない。そもそも将来、剣士として身を立てるのか、帝国軍に入るのか、決めるような時期ですらないと思っていた。道場はイーレンにとっては家であり、剣術の訓練は家族の仕事の一部に過ぎなかった。今から戻って、プレイオスに言おうか。道場はあんたが好きなようにすればいい、サルビリニアスとわたしは隠居して静かに暮らすから……。


 だが、そんなことを考えていると、体の芯が熱くなるのが感じられた。そんな風に許しを請うのは、とても自分が許せなかった。そもそもそんなことを言って、プレイオスがわたしたちを見過ごすだろうか。サルビリニアスはそれを信じなかった。だから自分を逃がそうとしているのだ。そしてプレイオスたち、そうプレイオス一人ではなく、道場の弟子たち皆が結託したら、イーレン一人では勝てない。サルビリニアスはそう考えたから、自分を逃がそうとしているのだ。サルビリニアスを信じるなら、言われた通りハンツに行くしかない。そして今となっては、サルビリニアス以外だれも信じられない。


 トラックはいつの間にか、峠に近い山の峰のあたりまで来ていた。小さな谷間を抜けて、大きな曲がり角を曲がると、麓まで見渡せる場所に出た。イーレンが首を巡らせると、バウドーの村が見えた。今出てきたばかりの村の道、昨日刈り取りを手伝った畑、サルビリニアスの道場……。イーレンは一時悩みを忘れ、村の景色に息を飲んだ。もしかしたら、もう二度と村を見ることはないのかもしれない。そんな思いが心をよぎった。


 バールブットは、そんなイーレンの気持ちを知っているのかいないのか、突然トラックを道端に寄せて止めた。そして運転席からふらりと降りた。イーレンは驚いて言った。


「どうしたの?」

「しょんべんだ、しょんべん」


 そういってバールブットは木陰の奥へと消えていってしまった。イーレンは呆れて、ため息をついた。


 イーレンは、再び村の方を振り向いた。思わぬ場所でちょっと時間ができたようだ。もしこれが見おさめになるなら、ちゃんと村を見ておきたい。イーレンもトラックの助手席から降りると、もっと眺めのよさそうな、高い場所を探して道を歩き始めた。


 道をすこし戻って、先ほど村が見えた曲がり角まで行った。そしてもう一度、道場を探して目を凝らした。道場はちゃんとそこにあって、どうやら煙突から細い煙が出ているようだった。まもなく昼になるころだから、きっと昼食の準備をしているのだろう。サルビリニアスはどうしているだろうか。プレイオスは、サブレスは、他の弟子たちはどうしているだろうか。


 そうしてしばらく物思いに沈んでいたイーレンは、砂を踏んで歩く足音に気づいて道の方を振り向いた。トラックから、バールブットがゆっくり(・・・・)と歩いてくるのが見えた。彼は右手に短剣を持ち、顔には仮面を被ったような冷たい表情を浮かべていた。イーレンは短剣ではなく、その表情を見て凍りついた。バールブットには迷い(・・)がない。


 イーレンはくるりと回れ右をすると、坂を走って逃げ出した。サルビリニアスから贈られたイーレンの剣は、トラックの荷台に置いたままだった。



 イーレンは山道を少し下ると、すぐに歩調を緩めた。まず周囲を確認して、どちらに行くかを考えなければならない。村まで戻るのは論外だ。トラックでかなりの道のりを来ているから、徒歩で戻るのは無理だし、今更道場に戻るのはまずい。バールブットと対決しなければならないが、それには頭を使わなければならない。


 イーレンは探している物を求めて、右手に広がる森の中に飛び込んだ。そこは手入れがされていないので、下生えが茂って足元が悪かった。イーレンは転ばないよう慎重に、しかし最大限に急いで、盾にできそうな大きな木の幹を探した。そしてすぐに、三(ひろ)ほどの空間が広がっている場所を見つけた。イーレンが振り返ると、バールブットも後を追ってくるのが見えた。時間はほとんどない。イーレンは足元を素早く探して、一本の木の枝と(こぶし)ほどの大きさの石を見つけた。一瞬躊躇したが、イーレンが選んだのは木の枝の方だった。手に取ると、それは最近落ちたばかりの枝で、まだ乾いていない生木(なまき)であることが分かった。ずっしりと手に重く、目的に適いそうだ。イーレンは木の幹に左手をつき、右手に木の枝を構えて、バールブットが来るのを待った。


 バールブットは相変わらず無表情のまま、短剣を構えて近づいてきた。そしてイーレンが待つ木の幹に同じように左手をかけた。イーレンの持つ木の枝を見て、バールブットは言った。


「そんなもので戦えると思うか?」

「さあね、試してみる?」

「道場の子だからって、そんなものじゃ大したことはできまい」


 バールブットの言うとおり、こんな木の枝で短剣に対抗できるとはイーレンも思っていなかった。しかし相手の油断を突いていくしか方法がない。イーレンはバールブットとの間合いを保つため、彼の動きに神経を集中させた。


 バールブットは短剣を突きだして、木の幹越しにイーレンの顔に向かって切りつけてきた。素人を相手にするならば、恐怖心を煽る有効な攻撃に違いなかった。しかしイーレンに対しては間違った手だった。イーレンは右手で持った枝を使って、バールブットの手首を下から打った。バールブットは短剣を離すまいと力を込めた。短剣は手から離れなかったが、筋肉を緊張させたせいでバールブットの上半身が一瞬硬直した。その隙を逃さず、イーレンは木の幹を回り込んで ―― バールブットが予想していた左へ逃げる方向とは逆に、バールブットの足元に飛び込むように右に回り込んで、腰に隠し持っていた小さなナイフを抜き、左手でバールブットの脇腹に切りつけた。


 鋭い痛みで、バールブットの目が見開いた。その表情で、イーレンにはバールブットがこれまで一度も刺されたことがないと分った。本当の戦闘を経験していないので、痛みをコントロールして攻撃に集中することができないのだ。そのためイーレンは、何の反撃を受けることもなく、ナイフを持ちあげてバールフットの喉を引き裂くことができた。


 イーレンは素早く身を引いて三歩ほど距離を取ると、右手に木の枝を、左手にナイフを構えたまま、バールブットの様子をうかがった。バールブットは短剣を捨てて喉元に手を当てた。指の隙間から血が溢れだし、切り裂かれた気管から空気が漏れた。バールブットは口をぱくぱくと開いたが言葉が何も出てこない。そしてそのまま、ばったりと仰向けに倒れた。イーレンは油断なくバールブットに近づくと、見開いたままの彼の瞳を覗き見た。


 バールブッドもイーレンの目を見返した。そこには、先ほどまでの自信は微塵もなく、驚きと恐怖が浮かんでいた。イーレンは目をそらさず、彼の呼吸が止まり、瞳孔が開いていくのを見届けた。


 バールブッドが死ぬと、イーレンは木の枝をその場に投げ捨てた。そして走ってトラックの運転席に戻ると、背嚢と剣を荷台から手繰り寄せ、すぐに手の届く場所に置きなおし、もう二度と剣を手放さないと心に誓った。それからイーレンは、運転席で前かがみになると、頭を抱えるようにうずくまった。


 イーレンもまた、恐怖に捕らわれていた。バールブットに襲われるとは、いったい誰が自分の命を狙っているのだろうか。道場の人間だけでなく、周りは敵だらけなのだろうか。村の人々のうち、誰が信用できるのだろうか。また道場に戻って、サルビリニアスに会いたい。何もなかったんだ、心配しなくていいんだと言ってもらいたい。イーレンは頭を抱えたまま唇を噛みしめた。しかし、ここで弱音を吐く訳にはいかなかった。イーレンは頭を働かせた。


 バールブットはおそらく、これまでも似たようなことを何度もやってきたに違いなかった。イーレンに向かって歩いてきたときの表情を見て直感した。非常に手馴れた手つき、決まりきった手順に見えた。彼はこれまでも、旅に出るものを送っていくことがしばしばあったので、同じような手口で何人も殺して来たに違いない。果たして何人が犠牲になったか分からないが、これが初めてであるとは絶対にありえないとイーレンは思った。


 果たしてプレイオスがバールブットに依頼して殺そうとしたのだろうか? もしプレイオスの差し金なら、バールブットはあんな方法を取らなかったろう。トラックを走らせたまま、脇からいきなり襲う方が確実だった。バールブットがトラックを止めたのは、イーレンをいたぶって楽しむためだった。その手口は素人臭くてお粗末で、とてもプレイオスが絡んでいるようには思えない。


 となると、いったいこれからどうすればいいだろう? イーレンは困り果ててしまった。本来このような事件が起こったら、まず村長のところへ行かなければならないが、もちろん村へは戻れない。他の町へ行って保安官を呼んでくることもできない。そんなことをすれば取調べが始まり、村に通報されてしまい、結局は逆戻りだ。となると、このまま逃げるしかない。果たして逃げ切れるだろうか?


 イーレンは顔を上げると、トラックの操縦桿を握ってみた。これまでフライヤーの操縦は多少習ってはきたものの、一人で運転するのはこれが初めてだった。いざ運転しようと思ってみると、なかなか難しい。まず係留レバーを探し、続いてアクセルと方向舵を確認した。トラックは係留されているだけだったので、レバーを解除した途端ゆっくりと前に進みだした。イーレンは方向蛇を操って、機体を道から外さないように調整した。最初はおっかなびっくりだったが、やがて慣れてきて、徐々にスピードを上げられるようになってきた。


 イーレンは峠を越え、カイブに続くなだらかな下り坂を進んでいった。下りに差し掛かると、今度はスピードを落とす方法を習得しなければならなかった。これには少々手こずって、何度か危なく道をそれて立ち木に衝突しそうになり、係留レバーで急ブレーキをかけるはめになった。やがて山道は終わって、カイブへ続く草原の道路に出た。ここから西へ行くとカイブの村だ。イーレンはしばらく街道沿いにトラックを進めた。そして村の手前の森に分け入っていくところで、イーレンは道を外れた。雑木林の奥でトラックを進め、道からは見えない場所に停車させた。イーレンは徒歩で街道へ戻り、カイブの村に入った。宿に部屋を確保した頃には、すっかり夜になっていた。


 カイブは、中心を街道が貫いた小さな村だった。その街道沿いに旅籠や商店が並んでいる。暗い夜でも村はにぎやかで、旅籠や商店からは明かりが漏れ、にぎやかな声が聞こえてきた。イーレンは一番最初に見つけた宿屋に入り、部屋と食事を頼んでみた。


「あいよ」


 宿場の主人は簡単に返事をして、部屋の番号と食事のテーブルを教えてくれた。食堂は一階にあって、夕食と朝食は宿泊代に含まれている。昼食に何か欲しかったら、今のうちに注文しろと言われた。イーレンは宿代を払って夕食を食べ、早々に部屋に入った。そこはベッドと小さな椅子がひとつあるきりの、簡素な部屋だった。イーレンは疲れ切った身体をベッドの上に横たえて、今日一日のことを考えてみた。


 おそらくバールブットの死体は二、三日のうちに見つかるだろう。隠したトラックも発見され、イーレンの行方が問題になるだろう。しかしバールブットの件で、イーレンが追及される可能性は五分五分だとイーレンは考えた。おそらく問題にするのはプレイオスたちで、彼らは当然、イーレンの行方を知りたがるはずだ。バールブットの死について追われる身になるとしても、結局追ってくるのはプレイオスたちなのであれば、やることは同じ、逃げるしかない。


 だから、最初に決めた通り、明日からハンツを目指して旅を始めよう。イーレンは宿屋の慣れないベッドの上で、天井を睨みながら決意を新たにした。


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