初めまして
女神との邂逅を終え彼は意識を覚醒させた。そこは森の中だった。周りにはうっそうと木々が生い茂り、日の光は地面に僅かしか届いていないせいか肌寒く、それと同時に不気味さも感じさせる。
だが、その肌寒さも不気味さも、それらを感じたのは一瞬のことだった。
首筋に伝わる柔らかい感触と暖かな温もり、それから優しく髪を揺らす心安らぐ小さなそよ風。
横を向いていた顔を空に向ければ、クリッとした愛らしい丸い目と筋の通った小さな鼻、薄いピンク色をした小さな唇、整った顎筋、そして歪みのない綺麗な輪郭。控えめに言ったとしても、とても可愛いらしい…。そんな彼女の幼顔が見えた。
「起きましたね。」
鈴を転がすような声…いや…。
おそらく幼い少女に抱くには逸脱した表現だった、と思った彼はすぐにただのロリボイスだと訂正した。
「今、失礼なこと考えましたか?」
「…気のせいだよ。」
「…。…そうですか。」
果たして幼い子にロリボイスと思って失礼にあたるのか、ジトーっと疑うような目で見下ろされながら彼は考えるのが、そんなことよりも、今は目を覚ましてからずっと聞きたかったことを少女に尋ねることにした。
「なぁ…。」
「はい。」
しっかりと彼の目を見据える少女。彼は口を開く。
「…なんで膝枕してんだ?」
「地面に寝たままでは申し訳ないと思ったので。」
「申し訳ない?」
「はい。申し訳ないです。」
少女の見据えていた目が苦痛と悲哀の色を見せる。それから彼の頭を揺らす。
「あ、ごめん。重かったな。退くよ。」
「あ、いえ…、すみません。」
彼は起き上がり伸びを一つしてから少女の隣に腰を下ろす。
「膝枕してくれてありがとう。おかげで肩も首も痛くない。」
「そうですか。良かったです。」
口角が少し上がって少女は嬉しそうに微笑む。だが、すぐに口角は下がり、また悲哀の色を目に宿した。
「申し訳ありませんでした。」
痺れてる足をそのままに少女は頭を下げる。
「えーと…。」
彼はなぜ謝られているのか分からず、戸惑いながら頬をかく。
「とりあえず頭を上げて。俺、なんで謝られているのか分からないからそれを説明して欲しい。だから頭を上げて。」
「…分かりました。」
少女はゆっくり頭を上げた。
「…ほら、ハンカチ。未だ使ってないから。」
「あ、ありがとうございます。」
少女は涙を拭う。泣くまいと我慢していたようでしばらく目元からハンカチは離れない。鼻をすする音も聞こえてくる。
「ティッシュもあるから。使いな。」
「…っ、ありが…とう、うくっ、ございます。」
さめざめと泣く少女。その胸中は肉親に会えない悲しみか、それとも、知らない土地に放り出された孤独感か、死んだことへの寂寥感か…。一体どのような感情の火を灯しているのか、彼にはいずれも計り知ることはできない。けれども少女が涙を流し泣いていることは確かだ。
思わず、彼の手は少女の肩を通り背中に回され、そして、少女を彼の胸に引き寄せた。
「大丈夫だよ。」
スッと自然と口から出た。何の保証も無い言葉だ。けれどもそこには彼なりの思いが存在していた。
「えぐっ…、うくっ…。」
「大丈夫だから。」
そう優しく声をかけ彼は少女の小さな背中を撫でる。
それからどれぐらい時間が経ったかは分からない。しかし、次第に少女の嗚咽は徐々になりを潜めていき今度は少女が彼の背中を撫でた。
「もう良いのか?」
「は、はい。ありがとうございました。」
少女は彼から離れる。彼は少女が使ったハンカチやティッシュを受け取ろうとしたが汚いものを持たせたくないと少女はそれを断った。彼はデリカシーが無かったと反省する。
「善意からというのは分かってますから。」
少女は察しが良いようで微笑んで彼を許した。が、ほんの少しだけその微笑みに冷たさを感じたのは気のせいだろうか…?
それからようやく彼と少女は本題に入った。
「それで、どうして謝るんだ?」
「それはあなたを死なせてしまったからです。」
「どういうこと?」
「私が本を読まずに周りを見て歩いていれば、あなたを巻き込まなかったはずですから…。」
「あぁ、そういうことか。」
ふっ、と彼は笑う。その反応が少女には不服なのか目を細め頬を膨らませる。
「ごめんごめん。あれはトラックが悪いんだから、君のせいじゃないよ。」
「でも…。」
「もちろん歩きながら本を読んでいたのは良くない。でも、青信号を君はしっかり渡っていたわけだし、誰が悪いかって言ったら、どう考えても赤信号を突っ込んできたトラックだよ。だから、君は悪くないよ。悪くないから。大丈夫だよ。」
彼は笑顔で少女の頭を撫でる。すると、しばらく逡巡していた少女は撫でられる内に納得したのか悲哀を憂いていた目から宝石みたいに黒い澄んだ綺麗な瞳を見せるようになった。彼はそれを見て手を離した。少女は名残惜しい様な表情をしたがすぐにその表情を引っ込めた。だが、代わりに少しお尻を移動させこちらに近づいてきて口を開いた。
「あの…。」
「ん?」
「私を助けようとしてくれて、ありがとうございました。」
勢い良く下げた頭が少女の黒い髪を舞い上がらせた。そんな少女を見て彼もまた俯く。
「よしてくれ。結局、俺は君を助けられなかった。」
「それでも!助けようとしてくれたのは嬉しかったです。だから、ありがとうございました。」
「…そっか。」
無駄ではなかった。
そんな思いが彼の心に駆け巡った。自分もこの少女もあの時死んでしまった。彼がとった行動は何も生まず何も救うことはできなかった。けれども、今、彼は感謝をされている。
「あ…、私のハンカチ使いますか?未だ使ってません。」
「え…?」
彼は指を目尻に這わせる。
「使ってください。」
「…ありがとう。」
差し出された黄色の水玉模様のハンカチを受け取り彼は涙を拭った。途端に涙は水玉に染み込んでいった。
「本当にありがとう。ハンカチ持ってたんだな。」
「はい。では、そのハンカチを返してください。」
「…え。」
「返してください。」
「えーと…。」
「……ぷふ。」
少女がクスクスと笑う。完全に意趣返しだった。
「お互いデリカシーないですね。」
「……ふぅ。そうだな。お互い様かな?」
「お互い様ですね。」
彼と少女は静かに笑い合う。お互いどこか不安だった心が晴れていく。そして、ひとしきり笑い合えば心地良い沈黙が二人を包み込む。しばらく経ち彼が口を開いた。
「そういえば、まだ自己紹介も何もしてなかったな。」
「そうでしたね。」
彼と少女は向き合って改めて居住まいを正す。
「俺は『渡辺 優斗』です。20歳で転生しました。」
「私は『中条 茜』です。10歳で転生しました。」
二人はそう言った後、短い人生だった、と笑いながら手を差し出し握手をした。