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ハル

「まずは入学おめでとう。これから1年間一緒に勉強する仲間を覚えるべく、自己紹介をしてもらう。それじゃあ出席番号1番、相河から」


はい。と返事し、少年が立ち上がる。黒髪の爽やかな少年で、まだ幼さを残しつつも整った顔立ちを強ばらせ、緊張を隠しきれないといった様子で自己紹介を始めた。

「相河 巧です。ええと、サッカーのスポーツ推薦で入学しました。寮で暮らしながら頑張ります。よろしくお願いします」

ささやかな拍手とともに席へと戻る。戻り際に気が抜けたのか、ほっと一息を漏らし、席に座った。

巧が後ろを見ると、ニヤニヤと笑いつつ生温かい目を向けてくる少女がいた。その表情にむっとし、口パクで「うぜえ」とだけ伝え、前へ向き直した。小馬鹿にしてくるのはいつものことだが、自分が真剣にやったことなので割り増しで腹が立つ。

その彼女へ順番が回ってくると、静かに立ち上がり、自信ありげな笑みで教卓に手を置き、始めた。


「真柴 光です! そこの相河くんと同じ中学です。さっきは自信満々にスピーチしてましたが、実は意外とネガティブで」

「おいやめろ! てか、俺の紹介じゃなくて自己紹介をしろ!!」

どっと笑いが起こると、光は嬉しそうにつられて笑った。一方の巧は不機嫌そうにそっぽを向く。高校生活初日からやらかしてくるあたりは流石といったところか、緊張が怒りによって少し解れた。なんだかんだ、光がいてくれてよかったと思う。

思い返せば、それは嵐のような一日だった。



合格発表の日。俺は光と一緒に東京へ行き、その行く末を見届けた。自分は推薦入学なのでもう合格している。つまり心に余裕があった。俺の役目は、完全にただの付き添いだったというわけだ。

電車の中はひたすら黙っていた。いつも口を縫ってしまいたいほどうるさい彼女が、身動き一つ取らずにおとなしく座っていたのだ。

「緊張してるのか? 雪でも降りそうだな」

などと冗談を言っても、俯いたまま動かない。よく見ると顔は青白く変色し、冷や汗を垂れ流している。

「まさか体調悪いのか?! 長旅で疲れたとか…」

「大丈夫。大丈夫だから…」

……本当にこれが真柴 光なのか。魂の抜けた抜け殻なんじゃないのか?


不安を抱えながら俺たちは東京に辿りつき、学校の前の人だかりに飛び込む。まだ発表はされていないようだ。

「ほら光。ちゃんと探せよ」

「川の向こうにおばあちゃんが見える。肉じゃが食べたい…」

「しっかりしろ! あとおばあさん死んでないだろ!」

そうこうしているうちに、幕が上がる―――

瞬間、多くの声が上がった。喜びに震える声、言葉にならない悲鳴。飛び上がる者、泣き崩れる者。隣の少女は、どっちだ……





あのときは、頭の中が真っ白になっていた。不安と緊張で思考が凝り固まっていく中で、ただ隣から巧の声だけが聞こえていた。そのおかげで、取り乱したりといったようなことにはならずに済んだ。

周囲の歓声に驚いて、恐る恐る顔を上げ、自分の番号を探す。近い番号が並んでいる。段が変わり、目線が上から下へ流れてゆく。そして―――





「あっっっっったーーーーーーーーーーーーーーーー!


言葉では言い表せない喜びだった。自然と声が出て、身体が軽くなって、想い枷から解き放たれた。あまり覚えていないが、隣にいた巧に思いきり抱きついていたかもしれない。そこは詳しく思い出さないことにしよう。


「…おめでとう。よかったな、光」

「うん! いやーよかったバレなくて、これで失格だったらどうしようかと思うと、緊張しちゃって…」

「…うん? いまなんて?」

「緊張しちゃって?」

「そこじゃねえよ。もう一個前」

「よかったバレなくて?」

「そうそれ。どういうことだよ?」

「あーーーそれはですね……妖術を、使いまして」

「は?」


妖狐である母を持つ私には、多少の妖術が使えることがわかっていた。その中に『記憶回帰』という術があることを教わったのは、受験と向き合い始めた秋だった。

その力は自分の記憶の中に潜り込み、その時に見たものを蘇らせる、といった、ものである。記憶力です、と言ってしまえば説明はつくので誤魔化しやすく、便利だとママから教わった。

そして本番、その術を惜しみなく使い無事パスした。これが今回の全容です。

汚いって? 証拠はないので完全犯罪です。私の完全勝利なのです。はい。

「はあ。心配して損した。さっさと帰るぞ」

「ごめんねぇ。でも、これで一緒の学校に通えるね!」

これ以上ない満面の笑みを浮かべて言うと、巧は照れくさそうに顔を逸らし、肩で押し返した。ともかく、ひとつの山を越えた。いまはその達成感に溺れてもよいのだと自分に言い聞かせ、喜びを前面に振りまいた。



帰りの電車は行きよりも早く感じ、あっという間に私たちの街へ帰ってきた。東京に比べるとここは恐ろしく人が少なく感じる。隙間なく人が歩いていたのが嘘のようで、道がとても広く感じる。

夕日に照らされて赤く染まってゆく道路をぼんやりと眺めながら、ふたり並んで歩く。こうしてこの街を歩けるのもあと何回あるだろう。他愛ない話をしながら歩けるのは、コンビニに寄ってお菓子を買わせるのは、明日の試合頑張ってと言えるのは、いまの関係でいられるのは、あと―――

「じゃあお疲れ。また明日な」

「あっ…うん。また」

何だか急に、胸が苦しくなった。えも言われぬ不安に襲われた。

これから巧は部活が忙しくなって、私と話す機会も少なくなる。その間に巧は私の知らない友達をつくって、もしかしたら彼女を。


あれ。せっかく同じ学校に行くのに、何故だろう。すごく怖い。また、巧は私の届かない場所に行ってしまうのか。それは、いやだ。


「待って!」

突然呼び止められて急ブレーキをかけ、振り返ってこちらにジト目を向ける。一度大きく息を吐き、言う。

「巧に、言いたいことがあるの」

巧は不思議そうにこちらを見つめ、続きを待つ。


「巧はさ、高校入っても私と話してくれる?」

「なんだよ急に。そりゃ話すだろ」

「そ、そう。ならいいけど…」

「さっきから変だぞ。どうしたんだよ」


私も聞きたいくらいだ。頭の中が真っ白で何を言おうとしたかもわからない。ただ胸の中から溢れる言葉をそのままに、まっすぐに伝えた。


「私、まだ巧と離れたくないし、もっと一緒にいたい。だから同じ高校に行こうと思ったのに、また不安になって」

「大丈夫だよ。同じクラスじゃなくても話しにいってやるよ。友達なんだし」

「友達じゃイヤ!!」


瞬間。山に沈む夕日が差し込み、金色の髪がきらきらと輝く。顔が赤くなっているのをオレンジ色の夕日が隠してくれた。心拍数は上がる一方。まさかこんな雰囲気になるとは思っていなかったけど、いずれは言おうと思っていた。

「私は友達以上になりたい。ずっと、ずっと想ってた。簡単に切れたりしない関係になりたい。だから私、私…ずっと!」

雪が解け、春が顔を出す季節。肌寒い季節に私は、大好きな男の子と素敵な関係になれたのです。





「あんまりだよ、何であんなことすんだよ」

「えー。何か巧がネコ被ってて生意気だなと思って~」

「悪魔かよ…」

「まあ実際は、巧がモテたら困るっていうか、イヤっていうか」

「ん、なんか言った?」

聞こえていなかったことに安堵し「何でもない」と顔を背ける。不自然に見えただろうが、あれのことだから大丈夫だろう。



「ねえ」

寮の前に来ると、突然寂しさがこみ上げてきた。いつも家は近くだったのに、ここでお別れ。私は数十分電車に乗って家に帰るのである。その一人の時間を考えると、胸が苦しくなった。そのうち慣れなくてはいけない。それでも今日は―――


「何でもない。また明日」

「ああ。その、じゃあな」

軽く手を振って、その背中が小さくなっていくのを見届ける。寮に吸い込まれ、見えなくなってようやく踵を返し、駅へ向かった。



まだ慣れない玄関に靴を並べ、リビングへの扉を開く。

ソファには茶髪の女性がだらりと横たわっていた。容姿は目を疑うほど美しく、妖艶な雰囲気に惑わされがちだが、実際はパパやママたちと同い年である。仕事から帰ってきてそのままのスーツ姿で、家でしかかけない眼鏡をかけ、テレビを眺めている。扉の音に気が付くと、こちらへゆっくりと振り返る。

「あーおかえり。ごはんそろそろできるから待ってて」

「ありがとうございます。間宮さん」

「まーた苗字で呼んだ。綾子でいいって。ある意味友達みたいなものなんだし」

すみません、と苦笑する。少し怖そうな顔と物言いだが、とてもいい人だということはパパとママから聞いていた。


「しっかしよく思いついたわね。私の家に居候しようなんて。よりによって私よ? この歳で独身よ、もうそろ寂しいというか…いや、まあ愁くんの頼みなら断れないんだけど」

ふてくされた表情を浮かべ、漬物のきゅうりをがりがりかじると、不意にこちらを見て、その表情が緩んだ。

「ところでぇ、こんなところまで追いかけたい柊真くんの息子ってどんな子? タクミだったっけ?」

「ええ~そういうのはまだ」

「なによ、おばさんにも惚気話聞かせなさいよ」


にやにやしながら言い寄る間宮…綾子さんを押し返すことはできず、仕方なく私の好きな男の子について語った。

「巧は、私の幼馴染で、生まれた頃から一緒にいて、姉弟みたいな感覚でした。でも中学に上がって周りから浮かれた話が出るようになって、初めて隣の弟を男の子として見えるようになったんです。サッカーをやってて、中でも上手い方で、チームからの信頼も厚い。そんな雲の上みたいな存在が隣にいたんだなと認識すると、なんだか胸の奥がぎゅっと苦しくなって。そしてその人が遠くに行くとわかったとき、初めてこれが『異性として好き』なんだな、ってわかったんです」


「はーーー若いねぇ。青春だね~~甘酸っぱい! 年寄りには味が濃いっすわ~」

机から踏ん反り返り、前へ後ろへと動きまわっている。その間に向けられる生ぬるい視線がちくちくと刺さる。これから一緒に過ごす彼女がこんな調子で大丈夫だろうか。不安だが、同時に楽しみでもある。私の高校生活が、幕を切る。


「で、タクミくんのことは好きなの?」

「はい。大好きです!」








「相河はよぉ、彼女のどこが好きなの?」

「んー、顔?」















「冗談です! 冗談ですからぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


これにて『光ちゃんは妖術で青春する。』完結でございます。かなり遅くなってしまいましたが最後までご愛読ありがとうございました。

この作品は知っての通り前作『ハツコイは妖狐?』のスピンオフ。あとの物語となっていますが、初めは完全に勢いで「ふたりの娘とか絶対可愛いだろ。描いたろ」という軽すぎるノリで描き始めた結果、こんなに遅くなってしまいました…

これに懲りて、これからはきっちり描き貯めてから投稿しようと思います。

内容としては中学生のリアルな恋愛。こんなことありそうだねっていうのを詰めてみました。恋愛ものは描いていて楽しいので、また近々投稿しようと思います。

ともあれこれで『ハツコイは妖狐?』シリーズ完結です。重ねて言いますが、最後までご愛読ありがとうございました。これからもシリーズ、長野 ツキをよろしくお願いいたします。

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