コクハク
夏休み、私の家に相河家の人が集まり庭でバーベキューをした。
お酒のはいった大人達は留まるところを知らず、高らかに笑い声をあげている。その道楽に、子供が絡まれるのは必然というわけであって…
「おめれろう巧く〜ん、試合見てたよぉ〜!」
「あ、ありがとうございます…」
既に呂律のまわってないママが顔を赤くして巧の首へまわした。
巧は完全に困っている。それもそうだ、いつものママは大人しくて笑顔のステキな女性…今ではただの酔っぱらいでしかない。
ふさふさの尻尾は行き先を失ったように、ふにゃふにゃと宙をうごめいている。
いつもは自慢の母だが、今だけは目を向けられない。向けたくない。
「たく兄、完全に捕まったね…」
グリルから少し離れた縁側、肉を皿へ盛り付けた希実が光の隣へ座り、微笑む。
「いつもはあんなじゃないんだけどね…パパはもうぶっ倒れてるけど」
希実がパパへ目を向けると、パパはテーブルへ額をつけて眠っていた。
それ以外の大人は未だ元気にコップを片手に話している。
「もう…しょうがないなぁ」
光は立ち上がり、水を汲みに家の中へと消えた。
「うぅ…頭痛い……」
「もぉ〜愁くん、お酒弱いんらからほろほろにしなよ〜〜」
「お前もな、吐くなよ美春?」
夏希が心配そうに美春の小さな背中を摩るが、既に限界寸前のようだった。
「美春…水…」
そう呟くと、目の前へ水の入ったコップが現れた。
顔を上げると、
「美春…?」
「光だよ、しっかりしてよパパ!」
ホント酒に弱いな…もう今にも死にそうなくらい顔青いし。
「光か…見間違えた」
「髪の色も違うのに間違えないでよ!!」
「ごめんよ、もう頭が痛くて…」
「じゃあもう寝れば?」
「いや、そういうわけには…」
これが飲みすぎてしまう大人の心理だ。自分だけ颯爽とあがるわけにもいかず、ただずるずるとその場に居座り続けては飲み続け…子供にはよく分からないものですよね。
「うん。でも…光は、美春に似てるよ」
身体をなんとか起き上がらせ、光の顔を見つめて言う。
「へぇ…じゃあさ、私くらいの頃のママはどうだったの?」
いつもは上手くはぐらかされて答えてくれないが、今日は違った。空に浮かぶ無数の星々を見上げながら、懐かしそうに呟いた。
「初めて会ったのは高校だったけど、運命みたいなものは感じたよ。見た目はあんまり変わってないけど…」
「やっぱり昔から美人だったんですね!なんて告白したんですか?!」
突然、私の背後から顔をだした希実が目を輝かせて問うた。
「えぇ、別に普通だよ…」
「なんて?なんて?」
「…希実ちゃんは、柊真にそっくりだね。しつこいところが」
「それだけが取り柄です!」
舌を少し出して頭を軽く叩くポーズをする。それに私とパパは目を細めるだけだった。
噂をすればなんとやら、柊真が現れて愁の隣へ腰かけた。
「光ちゃんは、進路どうするんだっけ?」
「あっ…えっと」
この状況に、思いもよらぬ質問に戸惑うが、ありのままを話した。
「正直…どこでもいいんです、やりたいこともまだ見つかりませんし」
「そうか、いいんじゃない?俺らもとりあえず戸倉にいったわけだし、なあ愁!」
「僕はいち早く柊真から離れたかったよ…」
「えぇ?!ひどくないそれ?!」
「昔っからそれだよな〜」
大人達が昔話を始めたところで、子供達は家の中へと逃げ帰った。
「巧、あんた推薦とかくるんじゃない?スポーツ推薦!」
コップに入ったジュースをくるくる回しながら、巧を見た。
「あ…うん。くるといいな、受験も楽になるし」
「あーそれずるい!やっぱダメ!!」
「どっちだよ…じゃあもし、俺が東京に行くとかいったら、どうする?」
その問いに、少し考える仕草を見せる。そして視線を戻して、答える。
「ちょっと、嫌かな?巧いなくなると…つまんないし」
そう、とどこか寂しそうに笑い、目を逸らした。
このとき巧が何を考えていたかは知らない、彼はぼんやりと外を眺めていた。
この答えが正しかったかどうかは分からない。
でも確実に、巧の中にある何かを突き動かしたのは気づいた。気づいてしまった。
「…まあ、話さえこない可能性もあるからね」
「そ、そうじゃん!ビックリさせないでよね!!」
「痛っ!蹴ることないじゃないか!」
「私を不安にさせたのが悪いんだもん!」
ベーっとキレイな紅色の舌を見せて、リビングを去る。
「どこいくの?」
「お風呂!!覗いたら噛み殺してやる!!」
「うわぁ普通に殺さないところが怖い…」
巧は苦笑し、黒髪のかかった背中を見つめていた。
その光景を希実は、ソファに目から上だけを覗かせている。既に目は満面の笑みを表している。
「覗いちゃいなよ?」
「誰が覗くか!」
「えぇ〜好きな女の子がすぐ近くで裸になってんだよ?頑張れば見れるんだよ?」
「うるさいな!俺は別に…!」
好きじゃない
こう言おうとしたところで、口が止まった。
それはまったくの、嘘になるからである。
嫌いじゃない、これが最初だった。そこからだんだん、かけがえのない存在となり現在に至っている。
自分だって、いつからそういう感情を抱き始めたのかは分からないけれど…それでも俺は、彼女が好きなんだ。
光が風呂に入ったと思われる時間から、1時間が経過した。しかし、未だ光があがってくる気配がない。
水の流れる音すらも聞こえない、それに巧と希実は顔を見合わせた。
「ず、随分長いな…?」
「そ、そうだね…?」
洗面所まで行ってみるが、やはり光の姿はない。やはり中から音は聞こえず、静寂が支配している。
「も、もしかして…溺れてる?」
希実がぽつりと、呟いた。
「なっ…おい光!」
巧が呼んでみるが、返事はない。
「まずいっ!!」
勢いよく扉を開け、浴槽へ視線を向けた。
浴槽には…首を手すりに器用に置き、小さく寝息をたてている光が、気持ちよさそうに浸かっている。
「な、なんだよ…寝てただk」
そう言いかけた瞬間、光はゆっくりと目を開けた。
「ふぅ〜ん……ん?」
「あっ……」
再び、一瞬の静寂が風呂場を包んだ。
このあと発せられる言葉が、何かは想像できるでしょう。
そして相河 巧の生命は、どうなったか?
もちろん、半殺しにされました。そして噛まれました。
♡
肩にタオルをかけ、長い髪をドライヤーで丁寧に乾かしている。
その後ろで、巧は正座して口を閉ざしている。正確には閉ざされている。口に貼りついたガムテープを剥がすな、と光に言われたからである。
いま思えば、外から呼ぶだけで充分だったじゃないか…
心に残る後悔と、光の…
「ぐっ…」
思い出すだけで鼻血が出そうになり、自分の太ももを強く摘む。
「さあて、説明してもらおうか…相河くん?」
「ふごふっふごふご…」
…絶対伝わってねえよな、これ。
ほら、光顔隠してるし、肩震えてるし。
「な、なんて言ってるか…分からないな…?」
「ふごふふご、ふごふごご…」
「ぷっ」
吹いたよこいつ!絶対遊んでるだけだろ!!
「わ、わかった…ガムテープは外してやろう…ぷふっ」
こいつ…散々他人で遊びやがって…!
「そいやー」
「痛ったいな!もっと優しく剥がせよ!!」
「いいじゃない、まだ罰は足りてないんだし。」
まだ足りてなかったのかよ、俺ホントに殺されんじゃねえの?
「とにかく、記憶を消しなさい!」
「んな無茶苦茶な…」
「〜〜っだって、見たんでしょ?!」
口調はより荒くなり、顔を俺の前まで近づける。
シャンプーのいい香りが俺の鼻を誘惑する。品のいい花のような匂い。
「み、見てない…」
「小さいとか思ったんでしょ!!!」
顔を真っ赤にして、顔の前で怒鳴りまくる。
「小さいって、身長が?いつも思ってるけど…」
「そうじゃなぁぁぁぁぁい!!」
「ぐはぁっ?!」
回し蹴りが肩に炸裂し、方向のままに倒れる。かなり痛い。
「その…む、胸……」
「あっ…」
俺はどうもこういうのに弱い。女の子には囲まれることはあるが、こういう話をするのは光くらいだ。
歳も歳なので、非常に触れにくい内容だったのだが…今日、せざるを得なくなった。
「ハッキリ言いなさい!!!」
「分かった!わかったからもう噛むな!!」
突き立てた歯を恐れ、何とか手で制した。
「そ、そりゃ…まだ成長期なんだし、大丈夫なんじゃねえの?」
「む〜…」
光のしかめっ面がだんだと緩んでいく。よし、あと少しだ…
「でもぉ〜、たく兄って小さい方が好きなんだよね〜?」
最悪のタイミングで希実参戦。
「たぁくぅみぃ〜〜?」
「いや、あのですね…それは希実の勘違い…」
「3回くらい死んでから出直してこーーい!!!!!」
「ぐはあっっ!!」
そろそろモザイクが入るのではと思うほど、ボッコボコにされましたとさ。
めでた死めでた死。
♡
そこから夏休みは会うことがなく、二学期が始まった。
朝、巧と目が合ったが、思い切り無視して登校した。
何か言いたげだったが、どうせまた謝罪だろうと思いスルーをきめてきた。
学校へ着くなり、隣のクラスではサッカー部フィーバー。ベスト8という功績はそれほど大きかったということだ。
私には関係ないと言わんばかりに踵を返し、自身の教室へと身を寄せた。
夏休みボケしているのか、まったく頭が回らない。始業式の話もまるで上の空。担任の話も右から左へと流れる。
なんとなく終わった1日目は、そのまま帰ろうと思っていた。
そそくさと帰ろうとすると、職員室前に先生と話す巧の背中を見た。
挨拶は…しなくていいか。
「先日、高校からスカウトの話がきました」
……え?
「そうか、よかったじゃないか!どこの高校だ?」
やめて…やめて…
気づいたら、心の中でそう叫んでいた。
そして、無情な言葉が放たれた。
「東京です。寮生になって、東京に行きます」
グサッと、まるで後ろから包丁で刺されたような衝撃を受けた。
巧は、東京へ行ってしまう────




