エレジー先生とテディ
エレジー先生が風邪をひいたので、友達のテディが代わりに診療をすることになった。
机の上にはいろいろな器具や本が置いてあったが、何に使うのかさっぱりわからない。とりあえず、一番綺麗な緑色の液体を注射器に入れておいた。
最初の患者は、お風呂で足がつってしまって治らないという。テディが足に注射をしようとすると、慌てて逃げ帰っていった。
ストレスで偏頭痛がするという患者には、頭のツボに注射をしようとしたが、殺す気か、と怒鳴られてしまった。
その次の患者は、階段で息が上がって困るという。本人は病気じゃないかと悩んでいるが、どう見ても太りすぎのせいだ。
「ちょっと痛いけどね、すぐ治るよ」
テディは患者を寝かせ、ぷっくり膨らんだ腹に注射器を向けた。次の瞬間、顔に頭突きを食らってしまった。さらに引き倒され、のしかかられて危うく圧死するところだった。
ろくな患者がいないよ、とテディは言った。
エレジー先生は急患用のベッドに寝ていた。チョコレートやクッキーをどっさり枕元に置き、積み上げた本を一冊ずつ読んでいる。
「おかしいな。エレジーの言うことはみんな大人しく聞いてたよ」
「力でねじ伏せてたんでしょ。僕はね、繊細だからそんなことできないんです」
話している間にすっかり待合室が混んできてしまった。
「いつまで待たせるんだね。こっちは鼻におできができて死にそうだというのに」
患者たちはどんどん不機嫌になる。テディは得意の昆布踊りを披露したが、誰も喜ばなかった。
「もういい、さっさと薬を出せ」
「俺たちだって暇じゃないんだからな」
テディは困った。エレジー先生のベッドにはお菓子しか置いていないし、診察室には注射と点滴しかない。
「本当にワガママな奴らだね。客じゃなきゃぶっ飛ばしてるところだよ」
テディは試しに、注射器の中に石鹸水を混ぜ、さらに点滴用の薬を加えてみた。いい具合に濁り、風邪薬のような色合いになった。
「とりあえずこれを出しておこう」
患者を呼ぼうと、待合室のドアを開けた。すると上の戸棚まで開いてしまい、エレジー先生のお菓子と漫画がどさどさと落ちてきた。
テディはクッキー缶に頭を打ちつけて転んだ。薬が手から飛び出し、瓶が割れて部屋中にこぼれてしまった。
「ぎゃっ! 何だこれは」
「か、体が、体が……」
「うわああああ!」
薬を浴びた患者たちは、身をよじって苦しみ、叫び、やがて縮み始めた。
テディは雑巾で薬を拭き取ろうとしたが、遅かった。患者たちの体は歪み、丸まり、みんな同じ形に固まってしまった。
今や、待合室に並んでいるのはガラス瓶に入った薬ばかりだ。
「終わった? 早いね」
エレジー先生が起きてきて、瓶を集め始めた。ピンクのコートの女の子はイチゴミルクのような薬に、顔色の悪い老人は青白い薬になっている。全部拾い上げ、棚に並べていく。
「エレジー! な、何てことを」
「平気だよ、もう熱は下がったし」
「そうじゃなくて、この薬……」
テディが動揺しているのを見て、エレジー先生は愉快そうに目を上げた。
「火のないところに噂が立たないのと同じで、何もないところから薬はできないんだよ」
「そりゃそうだけど、これって犯罪じゃ」
「あっ、珍しいのができてる。ラッキー」
エレジー先生は透き通った銀色の薬をひとさじ、テディに分けてくれた。一ヶ月間、どんな病気にもかからなくなる薬だという。
「これ、マッチョのおっさんだったやつだよね?」
「そうだけど本当に効くよ。ものすごく貴重なんだから、これが今日のバイト代ってことでいいよね」
「また勝手なことを……」
テディは文句を言いながらも、ぺろりと薬をなめた。その途端、体が内側から温かくなってきて、お風呂に入った時のような、こたつで眠ってしまった時のような、不思議な感じがした。温かいというよりは、熱いと言ったほうがいい。
「ちょっと待って。僕、熱があるみたいなんだけど」
「えっ。あ、そうか。薬を飲む前に感染してたんだね」
温かさの後に、強烈な寒気がやってくる。手足の力が抜け、背中がだるくなり、頭が回らなくなる。
「まあ、ここは病院だから、わざわざ行く暇が省けて良かったね」
「エレジー? まさか帰るつもり?」
「ベッドは使っていいよ。薬はひとさじ百円ね。どれが風邪薬だかわからないから、適当に当たりをつけて。お菓子はエレジーのだから食べちゃだめ」
「待て、このヤブ医者、バイト代払え!」
エレジー先生はさっさと荷物をまとめ、帰ってしまった。がちゃりと入り口の鍵を閉められ、テディはその場にへたり込んだ。
「嘘だろ……何だよこのブラックバイト」
棚には、さっきまで人間だった薬瓶が並んでいる。一つずつ試してみる気には、とうていなれなかった。
「それにしてもひどい風邪だな。右腕が痛いよ」
立ち上がろうとして気づいた。最初の薬剤をこぼした場所に、手をついてしまっている。
「ま……まさか!」
テディは右手を揉み、動かした。気持ちの悪い音がして、手のひらが曲がった。見る間に指が縮んで消え、手首のくびれがなくなり、固く丸く、つるつるとした感触になる。針で刺されるような痛みが、じわじわと腕を上っていく。
「僕が……この僕が薬瓶に!」
テディはふらつきながら、まだ動く左手で携帯を取り出し、エレジー先生にメールを打った。ひょっとして最初からこのために呼んだのか。テディを使って最高級の薬を作ろうという魂胆だったのか。そう思っていると、返事が届いた。
『薬になってしまっても、二十四時間で元に戻ります。棚にいる薬たちも、明日には戻っていると思うので、フォローよろしく。お菓子は食べないでね。エレジーより』
文字がぼやけ、意識がぼやけ、テディはゆっくりと、自分の体が変わっていくのを感じた。水に溶け、小さく丸まり、透き通り、固まっていくのを感じた。
いっそ毒薬になってやろうか。お菓子の香りを漂わせ、エレジーを待っていてやろうか。動かない体の中で、テディはひそやかに思った。