前世の共有
私には、前世がある。と言っても、現代日本で乙女ゲームをやってましたとか、どこぞの異世界でスキルを使ってました、なんていう素敵なものじゃない。
今ここにいる、レティーシャ第一皇女、御年9歳。今の私は、今から11年後に一度死んだ記憶がある。
要は、ループというやつなのだろう。一度死んだはずなのに、もう一度幼少期に戻っている不思議。
戸惑った私は知恵熱で二晩ほど寝込み、その時、私を逃がそうとして死んだはずの侍女のラポラが甲斐甲斐しく世話を焼くのを見て、確信した。
私は、私の人生をもう一度やり直しているのだ。
現在、皇帝には二人の息子と三人の孫がいる。まずは皇太子。これは私の父だ。その弟であるパズーリ様は公爵で継承権は事実上放棄されている。そして孫にあたるのが私と弟、そして公爵家の従兄弟殿である。
第一皇子のグランツィード、愛称グランは私のすぐ下の弟だ。
歯車が狂いだしたのは、グランが8年にわたる婚約を破棄し、別の女性を皇妃に据えたいと言いだした時から。皇太子である父とその妃である母は絶句した後、如何にその判断が身勝手で分別をわきまえないものであるかを訴えた。しかし、頑固な弟は聞こうともせず、婚約者の令嬢が酷い女性であることばかりを言い募った。
――到底、身分ある貴族令嬢の行動としては信じられないような話を。
私は、婚約破棄や令嬢の話はともかくとして、新しい婚約者について反対するつもりはなかった。色々と差しさわりはあるだろうが、弟の頑固さに言っても無駄だと悟ったのだ。そして、反発は避けられなくとも、『私』を使えばどうにかなるだろうと判断したのだ。具体的には、より良い縁談を婚約者の令嬢には紹介し、私が彼女の家に嫁入りなりなんなりすれば皇族との縁は切れないどころか深まる。
完全に私の幸せは放棄されているが、皇族として生まれ育ったからには己の役目位はわかっている。
……弟は、少しわかっていなかったようだが。
だが、時期がまずかった。
婚約破棄をした直後に、別の女性との婚約を決めてしまえば、世間からどう映るだろうか。どんなに良い見方をしようにも、弟が二股をかけていたとしかとらえられない。引いては、皇帝の威信にかかわらる。いや、それだけではない。新しく婚約する令嬢だって、婚約者のいる男に迫った女ととらえられるだろう。そうなれば、弟は最悪、皇籍を返還させられ、一市民として生きていくことになる。
だから言ったのだ、時期を待ちなさい、と。
弟は姉の私も理解がないのだと激昂した。父や母以上に私に強く、恨みをぶつけてきたのだ。その中には、なぜか当時の私の婚約者だった侯爵令息のことが入っていて、彼が弟が連れてきた令嬢と仲がいいのが気に喰わないのだろうと言いがかりが飛んできた。初耳だった。割合、可愛がっていた弟からの信じられない情報に、流石の私もショックを受けた。
なので、逃げた。具体的には、辺境の国領地に視察と称して引っ込んだのだ。これは当時の宰相殿からのアドバイスでもあった。おそらく、私が憔悴しきったことを心配してくださったのだろう。
最悪の場合、弟は皇籍を返還させられ、平民となる。その際、弟の代わりに国を治めるのは私か従兄弟殿になる。本命は直系筋である私だ。要はスキャンダル騒ぎから遠い場所に私を置くことで、混乱を避ける狙いがあったのだろう。
思えばこの判断も間違いだった。
報告のためにと、一度、領地から皇都へ戻る時、馬車が襲われた。非公式の訪問ということで最低限の護衛だったことが災いし、物騒な連中が私たちを取り囲んだのだ。
「姫様、お逃げください」
ラプラは私と自分の衣装を変えると、ベールをかぶって身代わりになってくれた。私は泣くのを堪えながら走った。しかし、ラプラの奮闘むなしく、運動にさほど慣れていない私はあっという間に男たちに追いつかれた。
一つだけ、ラプラに渡していないものがあった。代々の皇女が身に付けたという指輪だ。
……宝石のように見える部分には、致死性の毒針が仕込まれていた。どうにもならなくなったとき、綺麗な体のまま、誇り高く死ぬための毒だ。
にやにやとしたあの気持ち悪い笑みを見た瞬間、私は心を決めた。躊躇うことなく、首筋に毒針を打ち込んだ。膝の力が抜け、身体が傾いでいく。周りの男たちが何かを叫んでいた。
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振り返って現在。私はまだ9歳。弟のグランは6歳。可愛い盛りである。一体どうしてあんなことになってしまったのかまるで分からないのだが、あれを一種の未来予知に近いものだと受け入れることにした。
だってどう考えたってあれは私だ。ならば、あれがあり得るかもしれない未来であるのなら、私は全力で阻止してみせる。
さしあたってはもう少し弟との距離を縮め、弟の婚約者(まだ内々でしか決まってないが)とも仲良くしよう。不穏分子を見つけるなんて真似は難しいだろうから、治安を向上させるとかそっちの方向で回避するしかない。死ぬのは、嫌だ。
「―――姫様、」
「どうしたの?」
慌ててぼんやりしていた体制を起こす。ラプラがくすりと笑った。
「婚約者のクィケッド様がいらっしゃいました」
あれ、婚約者の名前が違う。
同時に、思い出す。クィケッドは後の宰相だ。年齢は私の5つ上。前世?では、私は国領地にいた方がいいと進言してくれた人でもあり、色々と申し訳ない結果になってしまったが、とてもお世話になった人だ。
「御通ししてください。それと、お茶の用意を」
さて、一体、何の用事だろう。
「レティーシャ様、お久しぶりです」
「お久しゅうございます、クィケッド様。どうされたのですか?こんな時期に、」
まだ学生の彼は、今頃試験期間目前で忙しいはずだ。
そんな意図を込めて首を傾げて見せると、クィケッドは少し困ったように笑う。金色というよりは茶色に近く見える蜂蜜色の髪がふわふわと揺れた。
「倒れた、とお聞きして、居ても立ってもいられずに学院を飛び出して参ったのです」
「まぁ、」
私は目を見開いて固まってしまった。だって、そんなの予想外だったから。
おそらくは何かしらの用事があって、そのついでだったのだろう。けれど、あの堅物宰相と言われていたこの人がこんなにも女性を浮かれさせるようなセリフを、例えこちらの機嫌を損ねないためのリップサービスとはいえ、言うだなんて思ってもいなかったのだ。
くすぐったい気持ちになりながら、私は素直にお礼を言う。
「…ふふ、うれしいです。ありがとうございます。でも、もうすっかり良くなりましたのよ?ちょっとした知恵熱だったみたいで」
くすくすと笑いながら元気だという代わりに手を振る。彼はじっと私を観察した後、本を渡してきた。
「?これは、」
「外国の言語の本です」
「どうして、わたくしに?」
クィケッドの深い藍色の瞳を見つめる。私の紫の瞳とは全く違う深い泉の底のような美しさに、気づかれないように息を飲んだ。クィケッドはちょっと困ったように眉を寄せた後、静かに話し出す。
「皇族の役目には諸外国への訪問もございます。私は学院を卒業した後、外交官や内務官を務めようと考えています。その際、もし、姫様がお嫌でなかったら、私と共に隣国や諸外国を見て回ってもらいたいと思っているのです」
「わたくしで、よろしいの?」
それは、国家の代表として私を連れていくと明言していることに他ならない。クィケッドは強く頷く。
「姫様はとても聡い御方です。パフォーマンスとして皇族が外国を訪れるだけでなく、姫様であれば実務的な話もきっと出来るようになります。そうすれば、この国はもっと盤石になりましょう。それに、この国では女性の学院進出は進んでいるとは言いがたい。姫様が通うには問題も多くございます。ですので、どの道数年もすれば留学をされることも視野に入れた方がいいでしょう?」
ほうほう、とクィケッドの話を聞きながら色んな新情報に驚く。
そういえば、前は皇宮で家庭教師による教育を受けていたのだったっけ。でも、今度は留学するのもいい手かもしれない。
「嬉しいです。クィケッド様、ありがとうございます。わたくし、一生懸命勉強しますね」
『前』の婚約者にはこんな素敵なプレゼントはもらったことがなかった。にやけきった笑みだろうに、クィケッドは泣きそうな笑みを浮かべ、まるで騎士のように跪いて私の手を取った。
「姫、私は貴女の婚約者となりましたが、今すぐにあなたに私を好きになれというのは、きっと難しいでしょう。ですから、些細なことでもいい、私を『頼って』ください」
きゅう、と心臓が飛び上がる。同時に、どこか冷静な頭は不思議な言い方をするなぁ、とロマンチックからは程遠いことを考えてしまう。ラプラが息を飲むのが分かった。
「ね、クィケッド様、私、お花以外のプレゼントを頂いたのは、貴方が初めてです。『頼っていい』なんて、言っていただいたのも、初めて」
違う、こんなことが言いたいんじゃないのに。
「……貴方は、まるで魔法使いみたい。私が一度ももらったことがない『欲しかったもの』をいつだってくださるの」
前のときだってそうだ。大切に思っていた弟から凍りつくような言葉を投げられて、婚約者の不貞紛いの事まで言われて。何も気づかずにいた己が情けなくて落ち込んでいた私に、公務に慣れる一環だなんて言って、逃げ道を与えてくれた。
「だから、私、きっと貴方を好きになれるわ。貴方を信頼して愛することができると思うの」
子供が言うような言葉じゃないな、と分かってはいたのだけど、口が止まってくれなかった。クィケッドは目を伏せ、私を抱き寄せる。優しく、壊れ物のように抱き寄せられて、笑ってしまった。
きっと未来は変わる。少なくとも、この人の、この腕の温かさを信じれば、きっと恐ろしい事態にはならない。そう思った。
―――結論から言えば、『前』のようにはならなかった。
弟と令嬢はこっちが恥ずかしくなるくらい仲良しで、父と母のように仲睦まじい夫婦になるだろうと、挙式の予定も立ってないのに言われる始末で、浮気のうの字も出てきそうにない。小姑である私のことも『姉様』なんて慕ってくれる可愛らしい義妹で、弟が何かやらかしたら確実に彼女の味方になろうと決めてしまった。
私が隣国へ留学に行くのに合わせて、彼女を伴うことにしたのだが、平穏無事に留学は終わり、前のようなことは起こらなかった。本当は、本国の弟が心配だったのだが、殺される危険を避ける上でも本国を離れていた方がいいと思ったのだ。弟の学院の方では何かあったらしいのだが、さしたる問題にもならずに解決されたという。あの弟が『前の時に』連れてきた令嬢は影も形もなく、あれは悪い夢だったのかもしれないなぁ、と私は思っている。
私の『前』の婚約者は全く別の女性と婚約し、侯爵を問題なく継ぐという。それにも安心した。私が別の人と婚約したことで何かしらの影響が出てないかこっそり心配していたのだ。相手の令嬢も穏やかな人で、茶会のたびに、互いに招き合う茶飲み仲間になっている。
ラプラは相変わらず細かいところにまで気が付く優秀な侍女だけど、とある騎士様とどうやら良い仲になりつつあるらしい。これは別の侍女に聞いた情報なので、近いうちに裏を取る必要がある。
クィケッドは最初に会った時からずっと変わらず私に優しく、甘い。
迎えられないかもしれないと危惧していた20歳の誕生日を私は今日迎える。ガランガラン、と大きなベルの音に、沢山の参列者たちの祝いの声。……同時に、結婚式を執り行うのだ。
祖父である皇帝と皇太子である父は最後までバージンロードの引率役で喧嘩をしていたが、結局、父親がその役目を担うことになった。ゆっくりと、歩く。父の眼に微かな涙が浮かんでいるのを見て、ベールで見えないだろうけれど、少しだけ泣いてしまいたくなった。
祭壇の上で私のウェディングドレス姿を見たクィケッドは眩しいものを見る目をしていた。
「……姫様、大丈夫です。必ず、私があなたを守ります。…愛して、守り続けます」
誓いの言葉の後、そっと引き寄せられて告げられたその言葉に胸がいっぱいになった。瞬きで必死に涙を散らして、私は悪戯っぽく笑って言った。
「ねぇ、クィケッド様は知っていた?私だって、貴方を愛しているし、守って見せます」
その言葉にクィケッドはばっと顔を上げた。そして、次の瞬間、私を渾身の力で抱きしめる。騎士と共に参列してたラプラがあらあら、なんて笑っているのが目に入った。が、私はそれどころじゃない。痛い。ドレス姿なのに呻いたり悲鳴を上げたらまずいだろうか、そう思っていた時だ。
「……神よ、感謝いたします、」
その万感の思いを込めたたった一言に、私は何も言えなくなって、甘んじて痛いくらいの抱擁を受け入れてしまったのだ。